<5〜8面>
私は今年の1月にSGIを脱会した韓国・求法信徒会の金貞姫(キム・ジョンヒ)です。1966年8月8日、当時高校生だった私は母の勧めで大邱(テーグ)で入信の決意を致しました。その頃の座談会出席者はほとんどが病人や貧乏人でした。教学は、日本帰りの地区部長なる人が日本の教材を訳しながら、黒板に書いたり話すのを書き写しながら習ったものでした。高校を卒業して就職してから、女子部の組長・班長、そして女子部長といった役に就いた私は、大邸だけでなく地方の慶山・月背等を熱心に回りました。ときには、食事も抜いて池田大作の『指導集』『人間革命』特に『若き日の日記』を読んでがんばりました。
そして1973年、見合結婚をして、夫の勤務地である平沢に移りました。結婚前は私の信心に理解を示してくれた夫ですが、結婚後には反対され、私も新婚の甘い生活に迷わされ、いつしか組織から遠のき、退転状態になりました。その結果、初出産は出血がひどく、大変な難産となりました。実家の家族から退転の恐ろしさを教えられ、改めて信心をまじめにしていく決意をいたしました。そこで2度目の出産のときには、百万遍の題目を唱えて臨み、その現証を見た夫は、1978年より一緒にお題目を唱えてくれるようになりました。
その後は、夫の転勤に伴い釜山から馬山・昌原と移り、行く先々で私は支部婦人部長から地域の婦人部長、夫は地区部長としてがんばりました。そして1981年2月1日に、総本山から御僧侶が出張御授戒に来られた際、家族4人そろって御授戒を受け、御本尊様を御下付戴きました。1985年、初めて家を購入することができ、2人の子供も学校の成績が上がり、夫も課長・係長と昇進し、それこそ最高の功徳をいただきました。
そして1989年5月、一番上の義兄(姉の夫)の案内で義姉と共に初めて登山をし、御開扉を受けました。次回は家族一同で登山をしようと思っていた矢先、1990年末に学会問題が起こりました。私には何が何だか判らないまま僧俗和合を祈願しながら100万遍の唱題行を行いました。
1991年には学会が破門になりました。そして1992年の4月、学会を脱会した一番上の義兄より池田大作の誤りを教わり、宗門が正しいと判りました。早速夫に話して脱会しようと思いましたが、以外にも夫は脱会に反対で、今後は義兄と連絡を取ることさえ禁止されてしまいました。私は、宗門が正しいと知りながらも、脱会すると家庭が壊れるような気がして決心できずに迷った挙句、役職(圏副婦人部長)を辞任し、一切の学会活動を中止し、住居を移し、1日10時間の唱題行を始めました。また、出会った学会員には勤行要典を学会版に換えないように、また御法主上人猊下を誹謗しないよう、話しました。
そして1992年は一年で700万遍の御題目を唱えることができました。ところが昨年6月17日、私の留守中に夫が『ニセ本尊』に換えてしまいました。それまで『ニセ本尊』に取り換えるよう強要されても、それだけは拒絶していましたが、とうとう換えられてしまったのです。その後は子供の兄弟喧嘩が絶えなくなり、長男が勉強を怠けるようになって試験の答案用紙を白紙で出したり、夫が昨年9月に定年退職した後、理由もなく家出をしてしまうというようなことが立て続けに起りました。今までこのようなことは一度もありませんでした。不思議にも『ニセ本尊』に換えたとたんに一斉に起きてきたのです。これこそ罰であると感じ、自宅で総本山の方角に向かって罪障消滅のお題目を唱えました。その結果、夫も戻り、長男も落第を免れることが出来ました。
以上の現証で、私は確信を持って脱会する決心を固め、本年1月21日に一番上の義兄を訪ねてソウルへ行き、求法信徒会に入会しました。しかし、それからが大変でした。まだ夫や2人の子供は脱会に反対でしたので、まず以前から池田大作に盲従する学会のやり方に疑問を持っていた兄と一番上の姉、そして私の話を聞いてくれる2番目の義兄を説得し脱会を決意させました。
そこで、一番上の義兄と求法信徒会の婦人部と一緒に2番目の義兄の家に行き、『ニセ本尊』をはずそうとしたときのことです。脱会に反対であった義兄の息子が学会の男子部数名と副圏長を連れて来て妨害をしたため、その日は諦めました。その後様々な学会の集団的嫌がらせが始まりました。そういう状態の中で私は、離婚や死も覚悟の上で『ニセ本尊』をはずし、兄もはずしました。その翌日、夫は帰ってくるなりそれを聞いて大騒ぎになり、一時は殺人でもするのではないかと思いましたが、幸いにも娘と共に夫を納得させることができました。
しかし2番目の義兄の家では、甥の反対で、はずせずにおりました。実はこのときすでに私たちは3月6日の登山に向けて、旅券とビザを準備していました。ところが、義兄は2月末に原因不明の病で入院してしまったのです。そこで思い切って姉に『ニセ本尊』はずすよう話しました。そうしたら不思議にもその日の夜に義兄が無事に退院することができました。この現証により姉夫婦も確信を持ち、甥も何も言わなくなりました。
3月4日、登山のため私たち夫婦・義姉・2番目の義兄の4人がソウルの一番上の義兄の家に行きました。そのときは、大邱から学会男子部が10名ほど追いかけて来て、求法信徒会会館・義兄宅・会長宅に押しかけたり、嫌がらせ電話を夜中にかけてきました。もしもの場合を考えて、3月5日夜中のうちに場所を移し、翌日早く空港に行きました。幸い彼らに見つからず、無事に出発できました。
私と義姉は2度目、夫と2番目の義兄は初めての日本、初めての御登山です。6日の夜、無事に総本山大石寺に着きました。私にとっては10年ぶりとなりました。常灯坊において早速御尊師の導師で夜の勤行をし、引き続き勧誡式、及び御授戒を受けました。常灯坊に泊まり、7日の朝の客殿での丑寅勤行、御影堂での日興上人様の御講に参加させていただきました。また、御開扉も2度受けさせていただきました。総本山にいる間は雨が降ったり止んだりでしたが、ソウルの義兄と求法信徒会から一緒に来た二人の婦人部の案内で、大聖人様をはじめ御歴代上人様の墓所・五重塔・納骨堂・新六万塔等を見学し、南条時光殿の生家であった妙蓮寺にも参詣致しました。また六壺では塔婆供養も出来ました。
御健勝であらせられる御法主上人の朗々たる御題目のお供をさせていただき、学会で話していることは全部嘘であることを実感いたしました。彼らの話は主語を池田に置き換えれば、それがそのまま池田の真実の姿となるでしょう。まさに池田は現代の提婆達多であると思います。3月8日に御本尊様を後下付戴き、登山を終え、無事9日に帰国。このことをSGIのメンバーに話したところ、彼らは「その猊下は偽者だ」などと言い出し、開いた口がふさがりませんでした。百聞は一見にしかずです。皆一度登山をして確かめればよいのです。
以来、私は謗法団体にいた罪障を消滅するため、SGIメンバーを折伏することを誓いました。その頃より彼らの嫌がらせが一層激しくなり、男子部が毎日数名、時には数十名が尾行したり家の前を見張ったり、私と親しい人たちに嫌がらせをしてきます。しかし私は負けず、ある婦人部長夫婦を脱会させ、4月10日に一緒に登山して、勧誡式を受けさせ、御本尊様を御下付戴いたのをはじめ、現在、計15世帯28名の人を脱会させるに至りました。
SGIでは、この人たちを連れ戻そうと、様々な嫌がらせをしてきます。それ以外にも『ニセ本尊』をはずそうとした矢先に連れ戻された人も数名あります。今まで脱会者がなかった地方だけに大変です。今後も嫌がらせは続くでしょうが、それに負けず、未だに天魔池田にだまされている人々を救っていくため、命を懸けて闘うことを御本尊様にお誓い申し上げます。
求法信徒会(韓国) 金貞姫
◇御本尊様の功徳で一家和楽
◇ニセ本尊の害毒に脱会を決意
◇学会員の妨害を振り切って一族で御登山
◇騙されているSGIのメンバーに真実を伝える