大白法

平成11年11月1日号


主な記事

<1〜4面>

<5〜8面>


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『SGIのすさまじい嫌がらせの中脱会』
求法信徒会(韓国) 金貞姫


◇御本尊様の功徳で一家和楽

私は今年の1月にSGIを脱会した韓国・求法信徒会の金貞姫(キム・ジョンヒ)です。1966年8月8日、当時高校生だった私は母の勧めで大邱(テーグ)で入信の決意を致しました。その頃の座談会出席者はほとんどが病人や貧乏人でした。教学は、日本帰りの地区部長なる人が日本の教材を訳しながら、黒板に書いたり話すのを書き写しながら習ったものでした。高校を卒業して就職してから、女子部の組長・班長、そして女子部長といった役に就いた私は、大邸だけでなく地方の慶山・月背等を熱心に回りました。ときには、食事も抜いて池田大作の『指導集』『人間革命』特に『若き日の日記』を読んでがんばりました。

そして1973年、見合結婚をして、夫の勤務地である平沢に移りました。結婚前は私の信心に理解を示してくれた夫ですが、結婚後には反対され、私も新婚の甘い生活に迷わされ、いつしか組織から遠のき、退転状態になりました。その結果、初出産は出血がひどく、大変な難産となりました。実家の家族から退転の恐ろしさを教えられ、改めて信心をまじめにしていく決意をいたしました。そこで2度目の出産のときには、百万遍の題目を唱えて臨み、その現証を見た夫は、1978年より一緒にお題目を唱えてくれるようになりました。

その後は、夫の転勤に伴い釜山から馬山・昌原と移り、行く先々で私は支部婦人部長から地域の婦人部長、夫は地区部長としてがんばりました。そして1981年2月1日に、総本山から御僧侶が出張御授戒に来られた際、家族4人そろって御授戒を受け、御本尊様を御下付戴きました。1985年、初めて家を購入することができ、2人の子供も学校の成績が上がり、夫も課長・係長と昇進し、それこそ最高の功徳をいただきました。

そして1989年5月、一番上の義兄(姉の夫)の案内で義姉と共に初めて登山をし、御開扉を受けました。次回は家族一同で登山をしようと思っていた矢先、1990年末に学会問題が起こりました。私には何が何だか判らないまま僧俗和合を祈願しながら100万遍の唱題行を行いました。


◇ニセ本尊の害毒に脱会を決意

1991年には学会が破門になりました。そして1992年の4月、学会を脱会した一番上の義兄より池田大作の誤りを教わり、宗門が正しいと判りました。早速夫に話して脱会しようと思いましたが、以外にも夫は脱会に反対で、今後は義兄と連絡を取ることさえ禁止されてしまいました。私は、宗門が正しいと知りながらも、脱会すると家庭が壊れるような気がして決心できずに迷った挙句、役職(圏副婦人部長)を辞任し、一切の学会活動を中止し、住居を移し、1日10時間の唱題行を始めました。また、出会った学会員には勤行要典を学会版に換えないように、また御法主上人猊下を誹謗しないよう、話しました。

そして1992年は一年で700万遍の御題目を唱えることができました。ところが昨年6月17日、私の留守中に夫が『ニセ本尊』に換えてしまいました。それまで『ニセ本尊』に取り換えるよう強要されても、それだけは拒絶していましたが、とうとう換えられてしまったのです。その後は子供の兄弟喧嘩が絶えなくなり、長男が勉強を怠けるようになって試験の答案用紙を白紙で出したり、夫が昨年9月に定年退職した後、理由もなく家出をしてしまうというようなことが立て続けに起りました。今までこのようなことは一度もありませんでした。不思議にも『ニセ本尊』に換えたとたんに一斉に起きてきたのです。これこそ罰であると感じ、自宅で総本山の方角に向かって罪障消滅のお題目を唱えました。その結果、夫も戻り、長男も落第を免れることが出来ました。

以上の現証で、私は確信を持って脱会する決心を固め、本年1月21日に一番上の義兄を訪ねてソウルへ行き、求法信徒会に入会しました。しかし、それからが大変でした。まだ夫や2人の子供は脱会に反対でしたので、まず以前から池田大作に盲従する学会のやり方に疑問を持っていた兄と一番上の姉、そして私の話を聞いてくれる2番目の義兄を説得し脱会を決意させました。

そこで、一番上の義兄と求法信徒会の婦人部と一緒に2番目の義兄の家に行き、『ニセ本尊』をはずそうとしたときのことです。脱会に反対であった義兄の息子が学会の男子部数名と副圏長を連れて来て妨害をしたため、その日は諦めました。その後様々な学会の集団的嫌がらせが始まりました。そういう状態の中で私は、離婚や死も覚悟の上で『ニセ本尊』をはずし、兄もはずしました。その翌日、夫は帰ってくるなりそれを聞いて大騒ぎになり、一時は殺人でもするのではないかと思いましたが、幸いにも娘と共に夫を納得させることができました。

しかし2番目の義兄の家では、甥の反対で、はずせずにおりました。実はこのときすでに私たちは3月6日の登山に向けて、旅券とビザを準備していました。ところが、義兄は2月末に原因不明の病で入院してしまったのです。そこで思い切って姉に『ニセ本尊』はずすよう話しました。そうしたら不思議にもその日の夜に義兄が無事に退院することができました。この現証により姉夫婦も確信を持ち、甥も何も言わなくなりました。


◇学会員の妨害を振り切って一族で御登山

3月4日、登山のため私たち夫婦・義姉・2番目の義兄の4人がソウルの一番上の義兄の家に行きました。そのときは、大邱から学会男子部が10名ほど追いかけて来て、求法信徒会会館・義兄宅・会長宅に押しかけたり、嫌がらせ電話を夜中にかけてきました。もしもの場合を考えて、3月5日夜中のうちに場所を移し、翌日早く空港に行きました。幸い彼らに見つからず、無事に出発できました。

私と義姉は2度目、夫と2番目の義兄は初めての日本、初めての御登山です。6日の夜、無事に総本山大石寺に着きました。私にとっては10年ぶりとなりました。常灯坊において早速御尊師の導師で夜の勤行をし、引き続き勧誡式、及び御授戒を受けました。常灯坊に泊まり、7日の朝の客殿での丑寅勤行、御影堂での日興上人様の御講に参加させていただきました。また、御開扉も2度受けさせていただきました。総本山にいる間は雨が降ったり止んだりでしたが、ソウルの義兄と求法信徒会から一緒に来た二人の婦人部の案内で、大聖人様をはじめ御歴代上人様の墓所・五重塔・納骨堂・新六万塔等を見学し、南条時光殿の生家であった妙蓮寺にも参詣致しました。また六壺では塔婆供養も出来ました。

御健勝であらせられる御法主上人の朗々たる御題目のお供をさせていただき、学会で話していることは全部嘘であることを実感いたしました。彼らの話は主語を池田に置き換えれば、それがそのまま池田の真実の姿となるでしょう。まさに池田は現代の提婆達多であると思います。3月8日に御本尊様を後下付戴き、登山を終え、無事9日に帰国。このことをSGIのメンバーに話したところ、彼らは「その猊下は偽者だ」などと言い出し、開いた口がふさがりませんでした。百聞は一見にしかずです。皆一度登山をして確かめればよいのです。


◇騙されているSGIのメンバーに真実を伝える

以来、私は謗法団体にいた罪障を消滅するため、SGIメンバーを折伏することを誓いました。その頃より彼らの嫌がらせが一層激しくなり、男子部が毎日数名、時には数十名が尾行したり家の前を見張ったり、私と親しい人たちに嫌がらせをしてきます。しかし私は負けず、ある婦人部長夫婦を脱会させ、4月10日に一緒に登山して、勧誡式を受けさせ、御本尊様を御下付戴いたのをはじめ、現在、計15世帯28名の人を脱会させるに至りました。

SGIでは、この人たちを連れ戻そうと、様々な嫌がらせをしてきます。それ以外にも『ニセ本尊』をはずそうとした矢先に連れ戻された人も数名あります。今まで脱会者がなかった地方だけに大変です。今後も嫌がらせは続くでしょうが、それに負けず、未だに天魔池田にだまされている人々を救っていくため、命を懸けて闘うことを御本尊様にお誓い申し上げます。



支部登山たけなわ


支部登山たけなわ 76Kb


『忙しくても折伏はできる』
本修寺支部 松本一弘


私は、創価学会を脱会し、法華講に入ってから早7年が経ちますが、恥ずかしながら折伏の成就は昨年の9月まで1世帯もなく、毎年、折伏目標を聞かれると仕方なく目標は出すものの、達成したことはありませんでした。また、仕事の関係で、早朝5時か6時頃には家を出て、帰宅は夜の10時から12時頃になり、休日も半分は出勤となってしまいます。このため、お寺に行きたくてもままならない状態で、いつも時間がなく、何とか折伏できたらいいなと思い、御本尊様に祈り続けておりました。

そんな私に転機が訪れました。それは、昨年「革進の年」に、妹が「折伏したい。折伏させてください」と祈り続けていたところ、夏期講習会登山から帰ってくると、友達から「何とか助けて欲しい」との電話があり、信心の話をしてお寺に連れて行き、折伏成就できた姿を見たことでした。

昨年は、平成14年・30万総登山のお役に立ちたいとの一念から、「誓願した1世帯は何とか成就したい」との気持ちが、焦りとなっていました。「今の仕事は忙し過ぎるので、仕事を変えて信心に専念したい」と、菅原御住職にご相談したところ、「今の仕事をまっとうしなさい。そして職場の人を折伏できるようになりなさい」との御指導をいただきました。「自分の置かれた立場が折伏の場なのだ」と気付かせていただきました。

そこで、自分のつたなさを反省すると共に、ただ「折伏したい、何とか折伏させてください」との一心で唱題していると、行方不明になっていた創価学会員の叔父から、4年ぶりに「どうしようもなく困っている」との連絡があり、お寺にお連れすることができました。

久しぶりに会った叔父は、御本尊様の御不敬と謗法与同の罪により、脳梗塞からくる痴呆と、ホームレスと見まがうばかりの姿となっておりました。私と妹は、学会の謗法と誤り、そして御法主上人猊下の血脈を否定して本門戒壇の大御本尊様から離れたのでは功徳はないことを話し、叔父に勧誡を受けさせることができました。これは、私にとって10年ぶりの折伏成就となりました。これにより、折伏は本気で願えばできるという確信を持てました。


本年「出陣の年」、御法主日顕上人猊下は「新年の辞」において、「出陣の最重要事は千万人と雖(いえど)も吾れ往(ゆ)かんとの烈々たる気魄であり」(大白法516号)と仰せられ、眦(まなじり)を決しての大号令を発せられました。私は、御法主上人猊下の御指南に少しでもお応えしたいと思い、折伏先のあてはありませんでしたが、本年の折伏誓願目標を5世帯と、生れて初めて本気で御本尊様と御法主日顕上人猊下に誓願いたしました。

しかし、仕事はますます忙しくなり、唱題はおろか、勤行するのが精一杯の毎日、仕事の合間に心の中で唱題し、少しでも時間があれば家族の幸せと、折伏誓願目標達成を祈りましたが、1月は1世帯もできませんでした。そんな中、叔父が痴呆でふらついていたところを、本沢さんに助けていただき、無事に帰って来ました。この本沢さんは、5年前に奥さんを亡くされ、今は独り暮らしをしているとのことでした。

3月になり、まだ1世帯も折伏成就せず焦っていた頃、有り難くも地方別僧俗指導会に参加させていただけました。柳沢総講頭は厳しくも判りやすく「魔と宿業」について指導くださり、自分が思っているほど、魔と宿業は甘くないことを知り、真剣に折伏を祈れるようになりました。

そんなとき本沢さんから「助けて欲しい」と電話がかかってきました。私は副講頭のお力添えをいただき、お礼の気持ちを込めて、今までいただいたたくさんの功徳のこと、この信心でしか宿業転換はできないことを話し、本沢さんを折伏できました。

間をあけずに次の折伏をさせていただこうとがんばりましたが、思うようにできません。仕事もかなり忙しくなって、1ヶ月、2ヶ月と経ってしまいました。「折伏したい」という純粋な気持ちが、「早く1世帯成就したい」という焦りに変わった頃、また叔父がいなくなりました。仕事の忙しさも極限に達し、思うように叔父を探せませんでした。

1ヶ月ほど過ぎた頃、川名さんという女性から情報をいただき、お宅にお伺いしました。するとそのお宅の異様な暗い雰囲気に驚きました。部屋の中には高さ70センチもある観音像、その脇に30センチの稲荷2体、10センチ位の大日如来像の仏壇、壁にはどこかの教祖らしき座禅を組んだ異様な人の写真が飾られていました。とにかく叔父の居場所を教えていただいて探しに行きましたが、叔父はいませんでした。


その後、仕事に追われる日々が続き、さらに1ヶ月ほど経った頃、警察から、叔父が亡くなったとの連絡が入りました。叔父は、ホームレスと一緒だったらしく、髪と髭は伸び放題でしたが、安らかな顔をしていました。「叔父の成仏のためにも」と、真剣に折伏の御祈念をしていると、叔父のことを連絡してくれた川名さんから電話が入りました。早速お寺に行って真剣に1時間唱題した後、お宅に行き、川名さんのしている信仰が謗法であること、そして本当の幸せ、成仏するには日蓮正宗しかないこと等を話し、同席していた川名さんの知人の君和 田さんも一緒にお寺に連れて行きました。

お寺では、御住職、講頭を交えての折伏となりました。その結果、2人は共に入信を決意されました。再び川名さん宅に戻り、謗法の物をダンボール箱5個に入れ、謗法払いを済ませた後、晴れて御本尊様の御下付を戴きました。入仏式が終わり、川名さんの話を聞いて驚いたのは、私に電話をした晩、川名さんの夢に亡くなった叔父が出て来たそうです。その中で叔父が「明日甥を寄越すから。甥は必ずあなたをお寺に連れて行くから、そうすれば、俺に会えるよ」と言ったそうです。川名さんは、私が来る前の日から、私がお寺に連れて行くことを判っていたとのことでした。この不思議な出来事をとおし、はたからでは見えない叔父の信心と、御本尊様の偉大な功徳を体験させていただきました。

生活のため、仕事はやり切っていかなければなりません。しかし、毎日忙しいからといって折伏できないと諦めず、真剣に祈れば必ず御本尊様は叶えてくださるとの確信を胸に、「出陣の年」あと2世帯の折伏を成就し、平成14年・30万総登山には、折伏させていただいた方たちと共に歓喜をもって参加させていただく決意です 。

※この原稿は昭倫寺支部の若山さんのご協力で転載いたしました。


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