<2〜4面>
<6〜8面>
現在の折伏進捗状況を見ると、特に9月・10月に入ってから全国に奮起した姿が現れているも、今のままでは、誓願達成は厳しいと思われる支部もある。指導教師と共に自らの誓願を最後まで「成就していくぞ」との堅い決意で各支部誓願成就を目指し、闘い抜いていこう。今、宗旨建立750年に向かって30万総登山実現のため、布教区別僧俗協議会・地方部別達成推進会が行われている。この二つの行事が回を重ねることにより、三十万総登山推進の意識が次第に高まり、「絶対に誓願を破らない」との決意が漲ってきた。
まさに時である。誓願を片時も忘れず、支部が団結して折伏戦を闘い抜けば、仏祖三宝尊のお計らいと諸天の御加護を戴き、誓願は必ず成就する。しかしそのためには、誓願成就に向かって、指導教師の御祈念に、講員が真剣に「祈り合わせていく」ことが必須である。「とくとく利生をさづけ給へと強盛に申すならば、いかでか祈りのかなはざるべき」(祈祷抄)と、大聖人様は、必ず祈りは叶うと仰せられているが、また、「おのおのは随分の日蓮がかたうどなり。しかるをなづき(頭脳)をくだ(砕)きていのるに、いままでしるし(験)のなきは、この中に心のひるがへる人の有るとをぼえ候ぞ」(弁殿御消息)とも御訓戒あそばされる御指南を深く拝し、我が身と支部に当てて深く懺悔することである。
そこに御法主上人猊下の、「一人がまず立ち上がるの決意を持つことであります。そこに3人が立ち、5人が立つでありましょう」との御言葉を堅く拝し、幹部自らが、己が信行を改めなければ、現状を変えていくことはできない。今、組織で折伏を行うには、既存の組織をあてにする考えは捨てて、誓願に対し「とくとく利生をさづけ給え」と祈り合わす者が団結して折伏を展開することが、現状打破の鍵である。
初めは3人いればよい。この3人が、「乾ける土より水を儲けんが如く」唱題し、折伏に動き出すことである。その動きを来る日も来る日も続けていくことである。必ず仏天はお力を貸し、誓願成就への道を開いて下さる。組織的な活動は、個々の下種と共に、入信した方々への折伏の応援、また家庭訪問の中から、新しい下種先が展開していくものである。そして大勢してお寺に新来者をお連れし、折伏座談会を開くことである。御住職、講中の先輩たちから折伏され、その場にいる人たちの人格を見て「こういう真面目な環境ならば自分も幸せになれる」と信じ、入信するのである。さあ、「出陣の年」、まだ45日ある。誓願達成に向かって折伏に邁進していこう。
12月初旬には、奉安堂建設御供養の第1回受付が行われる。奉安堂は、御法主日顕上人猊下の御発願による、御報恩の上からの宗旨建立750年を迎える大事業である。今、その設計等も着々と進み、明年の起工式が待ち望まれるところである。この建設に当たり、慶祝記念局総裁・御法主上人猊下より、我等法華講は御供養申し上げることのお許しを戴き、大佳節の時に大きく功徳を積ませていただく機会を与えていただいたのである。ここに、30万総登山を目指し前進できる果報は、これに勝るものはない。
御供養の取り組みは、毎日の生活の中で、信心の志を積み上げて御供養させていただくことが基本である。しかも家族が協力しながら取り組んでいくことが大切である。もし、まとまった収入を当てにして、その中から御供養すればよいと考えていたならば、予定外の支出をしなければならない事態が発生し、そこに意に反して功徳を積めなくなってしまうのである。則ち、月々日々の地道な積み立てを心懸けていく信心の中に、諸天に守られて無事に御供養奉ることができるのである。
最初に訪れた台中市・中台分院では、27日午後7時からの激励指導会に出席、震源地南投県はじめ中部から参列した約200百名の信徒を激励された勤行の後、初めに本興院支部講頭・林徳晃氏が謝辞を述べ、続いて尾林海外部長から激励指導が行われた。その中で海外部長は、まず世界各国僧俗からの御見舞に対して謝意を表され、次いで「正法の功徳に輝く寂光土へと転ずる以外に、真の安寧はない。いよいよ信心強盛にして、この災難を乗り越えて頂きたい」(趣意)と述べられた。
引き続き石橋主任の指導、本興院主管・黒沢糾道御尊師の謝辞があり、その後、被害の大きかった信徒に対して宗門よりの援助金が手渡された。翌28日には、台北市・本興院においても激励指導会及び援助金の授与が行われ、これには北部を中心とする500名を越える信徒が参列した。今回の大地震では、家屋の損壊を免れなかった信徒も一部いたが、国難ともいうべき大震災の中で、奇跡的に一人も死傷者が出なかったことは、ひとえに仏祖三宝尊の偉大な御加護の賜であった。現地信徒は改めて血脈付法の信心に確信を深め、御法主上人猊下の深い御慈悲に一層の折伏行を以て御報恩申し上げることを誓い合った。
明けて29日、海外部長一行は政府内政部を訪れ、宗門からの義捐金を黄主文部長(大臣)へ直接手渡された。その後午後3時半から本興院で開催された「中華民国日蓮正宗基金会」の董事会に出席し、一切の行事を終え10月30日、次の訪問地香港に向かった。
その大会に先駆けて、全国8カ所において、その前哨戦とも言うべき「法華講連合会地域別青年総決起大会」が、30万総登山達成推進委員会副主任委員の法華講総講頭・柳沢委員長、同主事の大講頭・石毛副委員長をお迎えして開催されます。この決起大会は、単に4月の青年部大会のための決起大会だけではなく、折伏・育成の実践に信心即生活で貫きまた自分の支部に帰って、「今、全国の法華講青年は、御法主上人猊下の御もとかく闘えり」と共に奮起していける青年の集いとなるのです。
決起大会は全国を八つに分けたその地域ごとに現地連絡機関を設け、法華講連合会と連絡を密にしていく事前準備会議も計画しています。また、決起大会終了後は、総講頭、大講頭の御出席をいただき参加者有志にて座談会も計画しております。
我等はこの2年余りを、信心も仕事もすべてをやり切って、大聖人様から戴いた尊い命を、具体的には、できる限りの時間をこの信心のために使わせていただくことであります。その青年には、諸天の加護が必ずあることは必定であります。逆に、この大転換期には、信心を、また役職を利用して、他人の利益、そして自らの欲望をむさぼる不正直な者も現れてくるのも必定であります。しかしながら、因果は過酷なまでにこれを裁くのでありますから、我等法華講青年は、ただひたすら御法主上人猊下の御指南のままに素直に正直に折伏・育成に励むのみであります。
さあ、全国の法華講青年の皆さん、まずは、大聖人様にお誓い申し上げた、今年の折伏誓願目標の達成目指して、完遂の日まで御住職・御主管である指導教師の御指導のままに大折伏戦を展開し、12月には、力一杯の御供養に参加し、すぱらしい功徳を積み、大歓喜をもって明年の全国青年部大会を迎えようではありませんか。
4月1日より女子部長の大役を仰せつかり、今まで先輩方に引っ張っていただいた分、今度は自分ががんばらなければいけない、という気持ちになりました。初めは難波前女子部長のアドバイスを受け、部員さんの家を一軒一軒教えていただきながら家庭訪問に歩きました。当時は正直言って、家庭訪問や役員会、支部の行事に出席することで精一杯で、それで役目を果たしているような気持ちになっていました。
6月6日、支部総会が盛大に行われました。今年の支部総会には、花野御住職と古くから親交のある埼玉県の宣行寺御住職・村上節道御尊師と宣行寺支部の飯山壮年部長、同岡田女子部長も来賓として出席されました。終了後、私たち青年部は別室で、飯山壮年部長、岡田女子部長と懇談する時間をいただきました。花野御住職からは、「村上御住職と自分とは総本山に一緒に出家して以来の親友で、毎年折伏を200世帯もやっている立派な講中だから、どういった活動をされているか、よく教えてもらいなさい」と御指導をいただいていました。
さっそく活動状況を聞いたところ「活動は毎日です」という返事を聞いて、私は驚きました。浄福寺では青年部の全体的な活動として、毎月、男子部、女子部で唱題会を行っているだけでした。宣行寺支部では毎日1時間の唱題の後、折伏に出かけているそうです。さらには、高等部時代からそういった活動に参加する方もいるとのことでした。
具体的な活動について聞いてみますと、宣行寺支部は青年部員宅への家庭訪問も充実しており、訪問する際には必ず前もって連絡して、日時を決めて行くそうです。訪問先ではまず最初に勤行をして、相手の生命を高めるとのこと。さらに「行く前に最低1時間の唱題をして、少しでも御仏智をいただかなければ、相手をよい方向に向けたり、救うことは絶対にできない」と、岡田女子部長は言われました。
私達の中には、毎日1時間の御題目を唱えている人はほとんどおりませんでした。しかし、この日を境に発心して、毎日最低1時間は御題目を唱えるよう努力し、家庭訪問を活発にできるようになりました。1日の訪問件数が多く、青年部で発行している「青年部だより」を配る目的もあるので、はじめのうちは事前に約束をとることは徹底できませんでしたが、最近では行く前に連絡できるようにして、無駄な動きがなくなってきています。
訪問日も増やし、回る人数も増やしているので、毎月、訪問先が確実に増えています。ときには訪問先で一緒に勤行や唱題をできるようになりました。岡田女子部長にお話をいろいろお聞きして、同年代の女子部の方が広宣流布のため、真剣に取り組んでいるのを知りました。そのお陰で、私たち浄福寺女子部はやる気をおこしました。岡田女子部長には本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
女子部長に就任してからの私は、家庭訪問や会合でほとんど家にいないせいか、まだ学会に籍を置いている父が、いろいろと私の活動の邪魔をしようとしました。私の顔を見ては「お前は頼りないから、御住職に女子部長をおろしてくれと頼んでやる」と言ったり、法華講に入るように勧めたときには、「お前が女子部長を辞めたら、今すぐにでも入講してやる」と言うなど、私が女子部長になったことをたいへん嫌がっていました。私は父のそのような言葉に耳を傾けず、自分なりに精一杯広宣流布のためにがんばっていました。
そのような父でしたが、支部総会に参加して、私の女子部長としての決意発表を聞いてくれました。その日からだんだん父の態度も変わり、入講する気になってくれました。しかし、父の入講の話はなかなか思うように進みませんでした。
私は6月26日、27日の夏季講習会登山の第5期に参加させていただきました。その1週間程前に父はようやく勧誡式を受ける気になってくれたのですが、手違いがあって延期になってしまいました。その頃から、父は体の調子が悪いと訴えるようになりました。しかしなんとか仕事にも行っていましたので、あまり心配はしていませんでした。父は勧誡式を自分の誕生日である7月10日にしたいと言い出しましたが、私は1日も早くお寺に連れて行き、勧誡式を受けさせたいと思い、真剣に祈りました。その甲斐あって7月4日に、勧誡式を受けさせることができました。私と母が入講して8年目にして、やっとの思いで父を脱会入講させることができたのです。私と母は手を取り合って喜びました。
それはつかの間、3日後の7月7日、あまりにも体の具合が悪かった父は、病院に検査を受けに行き、肺に水がたまっていることが判り、即入院することになりました。私はそれを知って、7月4日に勧誡式を受けさせておいて本当によかったと思いました。10日まで延期していれば、父は学会員のまま入院し、苦しみながら病気と闘わなければならなかったのです。
私たちの真剣な祈りが通じたのか、御本尊様がぎりぎりのところで父に手を差し延べてくださったと感謝しています。父は何としても今年中にこの信心で元気になって、総本山にもう1度行きたいと夢をもって病気と闘っています。私も早くその夢を叶えてあげたいと思い、1日も早く病気がよくなるよう、毎日祈っています。
7月13日の御講に、西宮に住む住吉さんという学生の方が浄福寺に参詣されました。この方は学会員で、最近の学会に不信を抱くようになり、学会活動から足が遠のいておられました。家で唱題をしても全く気持ちがのらず、近くの日蓮正宗のお寺に行ったら、なぜか学会の男子部員に見つかり、中へ入るのを止められて追い返されたそうです。家に帰ると、お寺に行こうとしていたことを男子部員に告げ口され、母親からものすごく怒られたそうです。そこで昔、加古川に住んでいたことを思い出して、浄福寺に来られたとのことでした。
御講の始まるまえに、御住職が自ら折伏されましたが、御住職の御慈悲で「後は、青年部に任せたから、男子部長と女子部長が折伏してください」と言われました。私は住吉さんに、とにかく夏季講習会登山がすばらしかったことを真剣に話し合いました。住吉さんは御講に参加され、御住職のご法話を聞いて入講を決意され、翌14日に勧誡式を受けられました。しかも私の話を聞いて、夏季講習会登山に参加したいと希望されたので、谷口男子部長に引率していただいて、第10期に参加されました。御法主上人猊下をはじめ御僧侶方の御講義を聞いて感激し、今、浄福寺の青年部員としてがんばっておられます。
そこで彼に「何故そんなに創価学会を嫌うの」と尋ねたところ、今、住んでいるアパートの下の住民が、創価学会の幹部らしく、朝、昼、晩も関係なく、会合を開いては大きな声で騒ぐので、何度も大家さんをとおして話し合いを持ちましたが、らちがあかなかったそうです。そういう訳で創価学会に対して、非常識な団体との反発意識があったようでした。
私はそれを聞いて、法華講も同じと思われては困るので、女子部の活動の話や、昨年参加した客殿新築慶祝記念大法要で感動した話をしながら、そのとき私が撮った写真などを見せました。また今年初めて参加した夏季講習会登山での話など、私が感動した話をたくさんしました。すると最初は少し警戒していた彼も、少しづつ私の話に耳を傾けてくれるようになり、最後には自分自身の話をしてくれました。
彼の話を聞いてみると、特定の宗教を信じているわけではないのですが、いろいろなお寺にお参りすることはよいことだと思い、暇をみつけては様々なお寺に足を運び、住職の説法を聞いていたそうです。私と話をしているうちに、「自分も何か真剣に信じられるものを探していた。日蓮正宗は自分が探していた宗教かもしれない」と言ってくれるようになりました。
7月20日、彼は晴れて浄福寺で御授戒を受け、御本尊様を御下付戴きました。そして今までより広めのアパートに移り、無事、御本尊様を御安置することができました。この日は講中の役員の方や、壮年部、婦人部、青年部の方々がたくさん来てくださいました。今、中村さんは浄福寺の男子部員として、積極的に活動されています。最初は初心の功徳が出たりと、とまどうこともあるかと思いますが、功徳の体験を積んで、「正しい宗教は、この信心しかないんだ」という確信をもっていただきたいと願っています。
7月下旬に入院中の父を心配して、高知県に住む兄が加古川に帰ってきました。父は私に、兄が加古川にいる間に脱会・入講の説得をするようにと言いました。私は父の気持ちを兄に伝えました。すると、今までの兄ならそういった話を嫌がるのですが、父の気持ちが通じたのか、すんなりと入講を決意してくれました。兄が高知県へ戻る前日の晩でした。
私は少しでも早く兄を入講させたいと思い、明くる朝、班長に電話で相談しました。班長は早速、浄福寺に連絡をとってくださいました。あいにく御住職様は御法務でお留守でしたが、すぐ連絡がつき、御住職のお計らいにより高妙寺の御住職にお願いしていただき、無事、兄も勧誡式を受けることができました。そのときには急なことにもかかわらず、講中の役員の方や女子部の方が来てくださり、一生忘れられない感激の勧誡式となりました。
このように私が女子部長の大役をいただいてから、まず父を折伏し、次に住吉さんの折伏のお手伝いをし、さらに友人の中村さんを折伏し、このたびは高知の兄までも折伏することができました。これもひとえに御本尊様のお力によるものであり、御住職の御指導や講中の皆さんのご協力があったればこそと心より感謝しております。4月から今日まで、たくさんの人に支えられ、感謝しきれないほどの恩を感じております。その恩を少しでも返せるよう、唱題を根本に、日々の家庭訪問を通じて人材育成に取り組み、女子部長として少しでも成長できますよう、真剣に努力してまいります。
去る10月26日午後1時30分より、東京地方裁判所民事第12部(下田裁判長)において、クロウ事件とFBI第一事件(決定的証拠事件)の裁判が行われた。まず、FBI第一事件で証言した創価学会副会長・福島啓充弁護士に対する宗門側の反対尋問が行われ、クロウ事件に関する被告創価学会の最高責任者と自認した福島弁護士が、原告宗門側弁護士による厳しい追及に対し、答えにならない答えの繰返した。そして、「アメリカ連邦政府に存在する決定的証拠」なるものに関する情報が、いかにあやふやで、いい加減なものであったかを白日のもとに曝した。
」
最初にSGI−USAが入手したという「連邦政府からの情報」が、具体的にどの政府機関の誰からの情報なのか、問題の記録が具体的にどのような形で存在していたのか、「連邦政府内の情報源」とは誰なのかなど、裏付け調査のための初歩的基本事項さえ、当時から今日に至るまで全く判っていないことを告白。また、その後シカゴとワシントンD.C.から、2種類の情報を入手したとしながら、その2つの内容がいずれも最初の情報とは大幅にくい違っている点については、不思議に思いながらも、今日まで何も確認し得てないこと、等が暴露された。
また、アメリカの学会側弁護士らが依頼した調査事務所から、このコンピューター記録は、もともとそういう所に入力されるはずがない、「疑わしい入力」であると、はっきり指摘されていたのに、その点について疑問をただすこともないまま新聞発表をしたという驚くべき証言もなされた。
創価学会は、このように「疑わしい」記録で、しかも新聞発表時には、既に抹消され、姿を消してしまったとの報告を受けていながら、なぜ、あえて「現に存在する」と発表したかについても、アメリカの弁護士がSGI−SSAの機関紙にそう発表したので、それにならったという、全く無責任な、理由にならない理由を繰り返すだけだった。
結局、創価学会は、何者とも素性の確認できない連邦政府の職員と称する者から、SGI−USAに寄せられた情報に飛びつき、探偵事務所からそれは「疑わしい入力」であり、発表時にはすでに抹消されて無くなってしまっていた事実を知らされていたのに、あえて連邦政府のファイルに「決定的証拠」が存在するという大々的な発表を行ったのだ。
FBI第一事件で、被告側福島弁護士が、以上の事実を、宗門側の反対尋問で認めたということは、クロウ事件の裁判にも重要な影響を及ぼすであろう。つまり、創価学会は御法主上人を貶めるためならどんな情報にも飛びつき、確かな裏付け調査もせずに大発表し、悪宣伝するという体質を露呈したわけで、いわゆる「シアトル事件」そのもののデタラメさ加減を暴露したものと云えるのである。
福島弁護士の尋問終了後、裁判所はクロウ事件の審理に移った。前に原告宗門側は、被告創価学会に対し、スプリンクル証人が1963年3月、シアトル警察を無給軍務休職中であったのに、どうしてシアトル警察官としての権限を行使できたのか、その釈明を求めていましたが、被告らはようやく最後の土壇場になって、スプリンクルやこれに迎合する者達の供述書をたくさん提示してきた。
創価学会は、先に新聞発表した早期除隊説をさすがに引込めたが、軍務時間外は、自宅に帰って何でも出来たから、スプリンクルが軍務期間の1963年3月夜、シアトル警察に勤務することは可能であったという主張をしている。しかし、一体、誰が正規の軍務に就いて働きながら、夜は夜で8時間もの時間(午後8時から午前4時まで)パトロール警察官として働くというようなスーパーマン的なことができたであろうか。
しかも、スプリンクルはこうした警察官としての勤務に対し「給料をもらったかどうか特別な記憶はありません」と述べている。給料もなしに、こんなハードな勤務をこなしたというのであろうか。荒唐無稽(こうとうむけい)な話も休み休みにしてほしいものである。
いずれにせよ、被告創価学会はスプリンクルその他の者による供述書を出しただけで、宗門側が8月に提出した数多くの公文書・公記録を打ち破るような公記録を何一つ出せなかった。人(供述書)と違って、物(公記録)はウソを言わない。勝負ははっきりしている。
裁判所はあわせて、クロウ事件とFBI第1事件を併合する決定をした。二つの事件はあくまで別の事件ですが、審理する裁判所が同じであり、両事件の証拠も共通なので、両事件に対して同時・連結の判決を下すという意味である。FBI第1事件で、クロウ事件についての「決定的証拠」なるものが無かったことが明らかになった現在、この併合は宗門の望むところである。裁判所はこの併合事件の最終口頭弁論を来る12月7日に指定した。宗門は人事を尽くし、裁判所の公正な判断を待つのみである。
池田学会の習い性として、今後も、会員騙しの虚報をつづけるであろうが、宗門各位にはクロウ事件の圧倒的大勝利を確信し、雄々しく宗旨建立750年の大佳節に向かって邁進しようではないか。
布教区全体の折伏まで指導、それだけに「これを推進するのが、我が法霑寺支部の責任」と支部全員に力が入る。「折伏は成果よりも行うことが尊い」「幹部は口先だけでなく自らが実践せよ」「広宣流布の為でなく、まず自分の為に折伏せよ」と御尊能化よりその時々により御指導いただく一つひとつが、心に体について離れない。
1月。正月気分の抜け切らぬ間に、「日興上人様の御祥月の闘争で、本年度を決する大折伏戦を展開しよう」と折伏・出陣の時機を告げられ、支部内、その方向へと心を合わせた。しかし、組織が大きな目的に動き出すには時間がかかった。御尊能化は「真に闘うものは多くはいらない。一人、二人でもよいのだ。指導を真剣に受けとめ、本気になって闘うものが一人立ち上がればそれでいい」、その思いがあったに違いない。
一老婦人がいた。支部内、折伏にかけてこの人の右に出る者はないほどの闘士、その方が病の床に伏して大折伏戦の陣列に加わっていない。御尊能化はずっと気にされていた。…その思いと御祈念が通じ、床に伏しているはずのこの御婦人が1月30日、タクシーの運転手に背負われて参詣。「2月の伝統の大闘争に寝てはおれません。御授戒を」というのである。なんと受けるのはおぶっているその運転手。「闘う者は闘う者を知る」まさに、大折伏戦に絶対欠かせない人の捨て身の闘いに、闘将御尊能化はこの時、2月度の、否、本年度の折伏勝利の手応えを掴まれたに違いない。
「一つの獅子王吼ゆれば百子力を得る」御尊能化よりこの御書の御文を肝に銘ずるよういただいたが、これが我が支部のモットーである。それはまた御自身の御決意を表していた。全部隊を率いる御尊能化は連日、まるで救急病院の医師のごとくに、次々に信徒に連れられてくる新来者を診て折伏。新来者のあまりに多いときには、ある程度の折伏をされ、後の処理を託され、次の人へ…。食事を取る間もなく、夜は11時、12時近くまで折伏されるのである。ロビーの掲示板には、戦局が時々刻々と表示され、それを見てそれぞれが部隊に戟を飛ばす。そこには幹部の上下はなく一体となり、闘う者の気迫の上下により、大幹部でさえ緩んだ心では叱責を受ける。しかし、それこそが我が指導教師の望まれる闘う集団の理想の姿なのだ。
「折伏は理屈や格好ではなく、ただ誠意と情熱と執念」を再認識させられたのは、4月度の2度目の立宗闘争の時だった。 ある婦人部員が連れてきた中年の男性。折伏が始まると胡座をかき、後ろ手をついて、相手を見下すような態度で話を聞き始めた。
対する御尊能化はちょうど勤行を終えられたばかりで袈裟を着けられ、相手とは対照的に、礼を尽くし終始笑みを称え、延々と折伏をされた。側で見ていた者は「こんな失礼な人には適当に話して、早く切り上げては…」などと思ったが、紹介者の苦労をも思われ、差別なく法を説かれる姿に、折伏の奥の深さはその精神にあることを教えられた。後で「人が連れてきたのではない。仏様が自分自信の信心を励ますために人を寄越されたのだ」との御講義をいただき、また我々は折伏の姿勢が変わった。
姿勢が変わると言えば、支部活動の大きな柱である毎月10日の「池田教対策座談会」での、御尊能化の質疑応答が、毎月の活動の活性化につながっている。また、毎月25日に行われる「布教会」では、各部のひと月の活動報告、また各地区長よりの成果発表並びに次月の折伏目標発表、新来者紹介があり、翌月度の闘いの方針が発表された後、支部は動き出す。
だが、実際に折伏して生じた問題点や現時点での疑問点を、池田教対策座談会で皆で考え、活動者の体験を聞き、最後に御尊能化より、問題のとらえ方について等々、具体的に明確に御指導いただく「質疑応答」が、闘いに真剣さを増し、目標を1つにして達成させようとの意欲を全員にみなぎらせてくれる。目標に対し「目の色が変わる」時である。そしてお寺での大唱題会。「全てを開く鍵の唱題」を全員で行い、その後、その時々の部隊長が決意に燃え出陣、全部隊が本格敵な闘いに突入するのである。
この部隊編成も、惰性に流されないようにと、御尊能化は常に新しい試みをなされ、闘う意義をそこに込められ、皆が新鮮な気持ちで活動することに気遣われている。本年は部隊責任者全員に、その闘いだけのために辞令が与えられるなど、一つひとつに使命の重さを示され、単なる掛け声だけに終わらぬよう毎回真剣に取り組まれた。その結果、支部全体が大折伏一本に突き進でいったのである。
折伏が激化すると必ず、創価学会からの嫌がらせも起きてくる。その時は、すぐに本部と池田教対策委員が、御尊能化の指示のもと現地に急行、一歩もひるむことなく、池田教の輩を追い散らす。これも脱会した人を守るために重要な闘いである。今年もある目の不自由な壮年の方が入講、すると早速、近所の学会員が数名で引き戻しに来た。しかし、目は不自由であっても、人を、心を見る目で、また折伏のとき学会の真実の悪の姿をこんこんと話されていたため、池田教の嘘を見破り、堂々と「学会には戻りません」と宣言したのである。すぐさまその場に駆けつけた御尊能化と対策委員、地区部長は入講まもないその方と手を取り合い、共に闘った喜びを分かち合った。この思いが全員の心に生じ、「法華講に入ってよかった」と、「学会を出て最高の信心と新しい同志を得た」と大いに歓喜されたのである。
「ただ折伏、入講させてそれで終わらせてはならない。むしろそこからが本当に難しい闘いなのだ」と、我々
は人材育成の大切さを御指導されている。折伏は「長の一念」とよく言われるが、それを実際に行えるか、行えないか。そして、それが1回、2回に終わらずに連続して行えるかどうか…。それはまさに地区、支部の、中心者の命によって決まるといっても過言でない。
7月31日、本年も7月に年間目標を達成。充実感で支部総登山に臨み、御法主上人猊下に達成報告を申し上げた。御尊能化は言われる、「宗門のためとか、広宣流布のためとか、そんな立派なキレイ事を言うのではなく、まず自分自身の幸福のために折伏するんです。幸福の近道は折伏なんです。それを行って実証を示していけ
ば。それが広宣流布につながっていくんです」と。
まず達成可能な目標を設定し、立てた目標は必ず達成する。現在は折伏成果320世帯と、誓願目標より50世帯の上積みができている。 本年は御尊能化発願による弘教寺落慶という二重の喜びに、法霑寺支部は、さらに前進を期す決意である。
誓願のもと勇躍して「出陣」した本年も、残すところ1ヵ月半となった。本年3月、第36回総会の砌、御法主日顕上人猊下は、「さあ、皆さん、出陣によって折伏の陣列に並ばれた以上、次は一歩一歩の前進こそ大切であります」と仰せられ、その前進の元は御本尊様への折伏実行の御祈念であると御指南を賜った。そこに全法華講員に対し、折伏の大前進を望まれたのである。
10月27日、海外部長・尾林広徳御尊師には、9月21日に中華民国(台湾)中部を襲った大地震の被災信徒を激励するため同国を訪問、次いで30日には2番目の訪問地香港を訪れ、同国事務所での恒例の御会式に出席された。これには海外部主任・石橋頂道御尊師、宗務院書記・佐藤信俊御尊師が同行した。
連合会青年部長 井出国弘
来る平成14年、宗門は宗旨建立750年の大佳節を迎えます。そして明年、平成12年4月には、法華講連合会全国青年部大会並びに全国青年部登山会が、御法主上人猊下の御もと未曽有の15,000名の青年が全国より集い、総本山で開催されることとなりました。この大会は、将来の法華講の発展を担う青年に期待なされての御法主上人猊下直々の御指南のもと開催されるものであります。
今、世間はどうしたら真の幸福な国家社会の建設が可能か、不明のまま混迷をきわめ、自自公路線に対して強い不信感の中にあります。そこに強く待ち望まれるのが正直な、真のリーダーです。総講頭・柳沢委員長は、「金融業界をはじめ大手企業同士の吸収合併が続いていますが、結局はその企業の考え方が変わらない限り同じ宿業を引きずっており、厳しい局面は打破できない。そこに真のリーダーとなるべく、青年の台頭が必要であります。そして、平成14年までの、2・3年の信行は20年・30年の修行に値する。この2・3年の修行に徹するならば、即大きな信用をいただくことができる」と話されています。
浄福寺支部 下野さゆり
私は今年の4月に浄福寺支部の女子部長という大役を拝命し、新しいスタートを切りました。これまでの数カ月間、本当に貴重な体験をたくさんさせていただきました。その体験を発表させていただきます。
〇「活動は毎日」とのアドバイスにびっくり
〇毎日一時間の唱題と家庭訪問の実践を決意
〇学会員の父親に境涯を試される
〇御本尊様の御加護により、有望な人材の入信相次ぐ
7月18日、私は讃岐本門寺の御虫払法要に御住職の引率で参加させていただきました。その感激と感謝の気持ちで勇気を出して友人の中村和夫さんにこの信心の話をしました。最初、私が彼に信仰をしていると言うと、「何の宗教に入っているの」と聞かれ、私が「日蓮正宗です」と答えると、彼はとても嫌な顔をして、「もしかして創価学会ですか」と聞いてきました。私は胸をはって、「いいえ、違います。確かに創価学会はかつて日蓮正宗の信徒団体として信仰していましたが、今は破門されて、日蓮正宗とは関係のない団体です。私はそのとき、母と一緒に日蓮正宗についたのです」と言いました。すると彼は安心したようでした。
〇気が付けば一家和楽の信心に
北九州地方部・法霑寺支部
「去年は福岡布教区・地方部は、全支部目標達成の大偉業を立てたではないか。もう少しで全支部達成できるぞ。がんばれ、御戒壇様がついている。祈れ闘え僧俗一致して、そして御法主上人猊下にお応えしよう」と、御住職・秋山御尊能化の戟が飛ぶ。三十万達成を目指しての僧俗協議会の席である。
案の定、それを契機に、御尊能化率いる4部隊編成の折伏軍団は勇猛果敢に、邪教創価学会を中心に攻めに攻め抜いて、1カ月で103世帯という驚異の成果を得た。今も「よくあんな闘いが出来たものだ」と、多くの人が不思議がっている。
7月、「立正安国論の月」。まさに折伏決戦の月である。この月で今年の年間目標を達成するのだと、御尊能化はこの月も陣頭に立たれ、創価学会の幹部から末端まで、とにかく連れて来られた人には皆会って、折伏をされた。そして、そこに居合わせた人はその時その時の御尊能化の折伏を実践で学び、そこから地区、ブロック、支部へと折伏の波動が広がっていった。