大白法

平成11年12月1日号


主な記事

<1〜5面>

総本山宗祖日蓮大聖人御大会

福岡県水巻町・弘教寺落慶入仏法要

<6〜8面>


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総本山宗祖日蓮大聖人御大会


宗門の二大法要の一つである宗祖日蓮大聖人御大会が、さわやかな快晴のもと11月20日、21日の両日にわたり、総本山大石寺で厳粛かつ盛大に奉修された。この大法要には、総監・藤本日潤御尊能化、重役・吉田日勇御尊能化、椎名日澄・高野日海・秋山日浄各御尊能化、宗会議長・土居崎慈成御尊師、宗務院各部の部長・副部長、大石寺主任理事・八木信榮御尊師をはじめとする御尊師方が多数御参列。また、法華講総講頭の柳沢委員長、大講頭の石毛副委員長、寺族、井出潔・渡辺定元総代をはじめ、法華講連合会及び海外信徒の代表4700余名が参列した。



御 法 主 上 人 猊 下 御 説 法

文底下種妙法蓮華経如来寿量品第十六


「汝等(なんだち)智有らん者 此(ここ)に於て疑(うたがい)を生ずること勿(なか)れ 当(まさ)に断じて永く尽きしむべし 仏語は実にして虚(むな)しからず」(新編法華経 442ページ)(題目三唱)


 本夕は、宗祖日蓮大聖人御大会式(おんたいえしき)における恒例の御逮夜説法会を奉修のところ、法華講総講頭・柳沢喜惣次氏、大講頭・石毛寅松氏をはじめ全国の法華講連合会役員の方々、各寺法華講支部講頭以下幹部役員の方々、一般信徒各位、さらに世界16カ国よりはるばる参詣の海外信徒各位等、多数の参詣により、盛大に仏恩報謝の行事を執行いたすことは、まことに有り難く存ずるものであります。

 さて、本夕は、例年より引き続く寿量品自我偈に関する拝読のなか、釈尊が過去・現在・未来にわたって衆生を導く、いわゆる三世常住益物(やくもつ)を法の上に説かれた結びの言葉として、仏の化導が実にして虚しからざることを述べる一偈について申し上げます。

 すなわち、自我偈につきましては、その初めの「自我得仏来」より、昨年の御大会(ごたいえ)説法の終わり「久修業所得」まで、平成5年以降6回にわたり、まず法説(ほっせつ)について拝説してまいりましたが、本年はその最後の括りとしての「汝等智有らん者 此に於て疑を生ずること勿れ 当に断じて永く尽きしむべし 仏語は実にして虚しからず」の一偈について申し述べる次第であります。この文は、わずか一偈ではありますが、仏の衆生化導の大慈悲による結びの語として重要な意義が含まれております。初めの二句は誡(いまし)め、すなわち誡門に当たり、のちの二句は勧め、すなわち勧門に当たります。


 初めの「汝等智有らん者 此に於て疑を生ずること勿れ」の「汝等」とは、弥勒をはじめとする法華経会座(えざ)の大衆を指し、再び丁重に呼び掛けられたのであります。思うに弥勒等は涌出品の地涌六万の出現に対し、これを導かれたという釈尊が三十成道より法華経会座に至る、わずか40余年の少ない時期であることを不審に思い、仏の説の真実なりやを疑ったのであります。

 故に、涌出品では弥勒等、諸菩薩の言葉として、「世尊、如来太子為(た)りし時、釈の宮を出でて、伽耶城(がやじょう)を去ること遠からず、道場に坐して、阿耨多羅三藐三菩提を成ずることを得たまえり。是( これ)より己来(このかた)、始めて四十余年を過ぎたり。世尊、云何(いかん)ぞ此の少時に於て、大いに仏事を作(な)したまえる」(新編法華経 422ページ)と釈尊に質問しました。

 大聖人様は『開目抄』にこの文を挙げさせられ、「一切の菩薩、始め華厳経より四十余年、会々(ええ)に疑ひをまう(設)けて一切衆生の疑網をは(晴)らす中に、此の疑ひ第一の疑ひなるべし(乃至)されば仏此の  疑ひを晴らさせ給はずば、一代の聖教は泡沫(ほうまつ)にどう(同)じ、一切衆生は疑網にかゝるべし。寿量の一品の大切なるこれなり」(御書 552ページ)と、この疑いのまことに重(じゅう)にして大いなる所以を御指南あそばされました。

 この疑いとは、すなわち「子老父少」の疑いであります。いわゆる釈尊は子の如く若く、仏道を成じて久しからず、地涌・上行菩薩等は父の如く老いて威厳あり、仏法の功徳を得ること長久であり、釈尊の師の如く見える故に、釈尊がこれら菩薩を弟子として教化したとは全く信じられぬことであると言うのであります。

 しかるに、法華経には、「若(も)し此の経に於て 疑を生じて信ぜざること有らん者は 即ち当(まさ )に悪道に堕つべし」(新編法華経 427ページ)とあり、また華厳経に、「信は道の源、功徳の母」と言い、天台大師は『止観』に、我が身と仏と法の三つの疑いについて、「疑惑を以て自ら毀傷すること莫(なか)れ・・・常に恭敬(くぎょう)を三世の如来に起こすべし、云何ぞ疑いを生ぜんや・・・若し心に法を信ぜば法即(すなわ)ち心に染(そ)む、猶予狐疑(ゆうよこぎ)すれば事(こと)覆器に同ず」と誡めております。すなわち「覆器」とは覆(くつがえ)る器であり、人に疑いがあれば覆った器の如く、その身に法水が停(とど)まらないのであります。

 故に、釈尊が一切衆生の得道のため、この疑いを晴らさんために寿量品を説くに当たり、三たび丁重に仏語を信解すべきを誡め、弥勒等は三たび仏の説き給うことを願って信受を誓い、さらに重ねてこれを願い誓ったのに対し、仏はまた重ねて、「汝等諦(あきら)かに聴(き)け」(新編法華経 429ページ)と誡められており、いわゆる「三誡三請、重請重誡」の丁重を尽くされております。

 これほど丁寧に誡め、また誓ったにもかかわらず、この寿量品の「如来秘密」の内証はさらに深く、信じ難く解し難いのであります。故に、仏弟子として、釈尊がこうまで戒められる以上、信じねばならないと心に言い聞かせつつ、爾前迹門の化導のなかで数多くの発心、修行、菩提、成道乃至、転法輪等を聴聞し信解してきたけれども、仏寿長遠の一筋のみは信解することに徹底できず、仏身についてあれこれを思う結果、はっきり決定(けつじょう)しない心、すなわち疑いが残ったのであります。

 本日の自我偈の文は、仏がこれを見抜かれて、寿量品の説法の偈頌法説(げじゅほっせつ)の最後に至り、衆生に対し改めて「疑を生ずる事勿れ」と誡め給うた文であります。


 この疑いについて一言いたしますと、世間、出世間においてこの疑い、すなわち疑問は実に高低様々な、また広い内容を持っております。しかし、この疑問を持ち、これを正しく解決することによって衆生の心に新しい認識が開け、文化・文明に寄与貢献する事例が多くあります。かの西洋の学者がリンゴの落ちるのを見て疑問に思い、万有引力を発見する実例等であります。これらは一分一分ではあっても、疑いが真理を開いていく姿であります。

 それに対し、仏教で言うところの惑(まど)い、すなわち煩悩という誤りの見解や感情が元となって、そこから出てくる果てしない疑いは、人々をして徒(いたず)らに迷路のなかにさまよわせるのであります。

 この惑いの種類として「見惑」という思想的なもの、すなわち三世の因果の道理を否定して、人生は偶然であるとか、運命的決定によると考えたり、生前も死後もないという断見、霊魂的な自我があるという常見等、また、自己自身を有(う)と執(とら)われる身見などがあり、このような思想的な誤りによって生ずる人生不可解の疑問は数えきれません。

 また、「思惑」という本能的・感情的な煩悩、すなわち好き嫌いの情やその他、人間生活万般における貪(むさぼ)りや瞋(いか)り、愚癡(ぐち)等が元となって様々な不信感およびそれに伴う様々な社会問題、不幸な事件等の起こるのも、これら迷いによって誘発される疑いから来ることが多いのであります。

 さらに一段上の迷いとしては「塵沙(じんじゃ)の惑」という、塵(ちり)や沙(すな)の如き微細にして無量の迷いがあります。これは万物の因縁の姿、その変動や変化、また、現実相の因縁果報に暗い惑であり、これらより様々の現実の相を見て限りない疑いが生ずるのであります。

 このように世間と仏法のなかにあっても様々な疑いの要素があり、一代仏教のなかにおいても実に無量の疑いによる衆生の質問と、それに対し正道正義へ導くための仏の答えが説かれております。

 しかし、あらゆる疑いとそれによる質問のなかで、最も深く、到底、知りえない問題は、生命の本質に関することであります。この根本的な自他の生命についての迷いを大乗仏教において「無明」と称しております。今現在、自己の存在と生命のあることはそれぞれの識覚によって判りますが、その生命の広さと深さ、特殊性と平等性その他、一切の因縁相について世の人々は全く無知であります。そこに、この無明の煩悩によって自己と他の存在に無知なる結果、種々の疑いが生ずるのであります。

 生命の本当の深さと広さ、それは何かといえば、あらゆる差別と平等の一切を括って妙法の一法に一切を具すところに、最高の悟りと境界を得てそれを自由自在に用いる仏の境界を、さらにまた、あらゆる生命が具えているということであります。御仏の大慈大悲はこのところへ一切衆生の眼(まなこ)を開かしめるべく、四十余年のあらゆる機に対して方便の法を説き、その一分一分の疑いを解決されたのでありますが、いまだ不完全であるため、人生の最大・最善の法体たる妙法蓮華経を説き、衆生をして仏知見を開き、示し、悟らしめ、入(い)らしめんとされたのであります。

 ここに、爾前経に永く成仏できないはずの二乗が仏の功徳を具足し、一切衆生の成仏の道が開かれました。この妙法を信じ奉るとき、自己自身に対する疑いは日輪の前の露の如く消え去り、凡身の我が身に得難い仏界を具えることを確信するに至ります。故に、妙法を信ずるとともに、それを持続することが大切であります。

 この妙法は仏教以外の様々の外道の宗教においても、また、仏教内の小乗、権大乗等の様々の法門においても、いまだかつて説かれず、ただ法華経方便品に初めて説きいだされたのであります。故に、内道・外道を相対し、小乗・大乗を相対し、権経・実経を相対して真実の妙法に到達したとき、すべからく疑いを断じてその法を唯一無二に信ずることを肝要として説かれたのであります。

 以上、妙法の功徳を拝するとき、まず自己に対する疑いと法に対する疑いを排除することが明らかとなります。


 そして残るところは、仏に対する疑いであります。四十余年以来始成正覚の仏とは、凡夫が修行し、無量の迷いを破って菩提を悟られたのであり、本来に具える仏性の徳も、修行によって得た仏果の徳も、共に過去に限 りがあり、それ以前はやはり迷いのなかを展転していたのである。しかれば、その悟りは常住にして絶対のものではないという疑いが存します。とするならば、その仏の性質が我ら凡夫に具わることも、その十界互具の妙(たえ)なる法も、共に不確かで永遠不動のものではないということとなります。故に、いったん妙法十界互具を聞いて自己を信じ、法を信じて、それに対する疑いを消し除いたとはいえ、その基(もと)の仏界が無常であるとの疑いがあれば、翻(ひるがえ)って自己と法に対する悟りもまた、無常変化のなかにある存在として不動の信は確立しえないのであります。

 ここに、釈尊の化導において迹門方便品ののちに本門寿量品が説かれ、仏身の三世常住にして不変・不動の実在の上に無窮(むきゅう)の化導が示されたのであり、その仏界の不変常住を信ずるところに、我ら己心の仏界の本有常住と、その本門の妙法、いわゆる自己と法の二つも、改めて不変常住絶対の開悟となるのであります。

 故に、仏に対する疑いを断除することがこの寿量品の教えの主意であり、「汝等智有らん者 此に於て疑を生ずること勿れ」と言われる「疑」とは、まさにそれであります。これこそ一切の疑いのなかにおいて最も根本の疑いであり、これを断除することこそ、一切衆生即身成仏の要道なのです。故に、自我偈の法説の最後の一偈をもって丁重にこの疑いを生ぜざるよう、また、徹底して永く断じ尽くすように説き置かれたのであります。


 この寿量品を聞いた在世の法華経一会(いちえ)の衆生は、釈尊の無始の仏界を聞いて、自己の生命の一身にのみ仏知見を開くのではなく、釈尊の仏界の常住は、すなわち我が身に具わる仏界、すなわち十界の常住であることを知り、根本の疑いを断除したのであります。

 これを大聖人は『開目抄』に、「本門にいたりて、始成正覚をやぶれば、四教の果をやぶる。四教の果をやぶれば、四教の因やぶれぬ。爾前迹門の十界の因果を打ちやぶって、本門の十界の因果をとき顕はす。此(これ)即ち本因本果の法門なり。九界も無始の仏界に具し、仏界も無始の九界に備はりて、真の十界互具・百界千如・一念三千なるべし」(御書 536ページ)と仰せられました。

 この「九界も無始の仏界に具し」とは、寿量品を聞いた衆生が仏の常住を信じ奉ることによって自らの常住の仏界を覚知することを仰せであり、「仏界も無始の九界に備は」るとは、釈尊の仏界常住は一切の九界の迷妄のところに具わり、そのことごとくが浄化されることをお示しと拝せられます。

 これを因果並常(びょうじょう)の宗と言い、因とは九界の衆生で、果とは仏界釈尊であり、その因と果が共に本有常住、すなわち仏界無窮の功徳に包まれて根本の疑いを断除したところを申すのであります。そして在世の一切衆生は、この釈尊の常住に対する疑いを断じきることにより、分別功徳品の経文の如く、十信、十住、十行、十回向、十地、等覚等の悟りを得たのであります。このところまでが、寿量品の文上の化導による疑いを断破する利益の相であります。


 しかし、この本因本果の法門は、先に述べた因果並常の法相法義のさらに一重奥に、因果一念の深旨(じんし)があります。これは釈尊の化導が垂迹の仏身よりの顕本であり、色相荘厳の仏であるから、その仏界を基準とする本因本果、すなわち因果並常の宗までが文上の顕説でありました。しかし、その化導の本意は釈尊の仏身が本種の妙法蓮華経と一体なる久遠元初凡夫即極名字即の仏に存するのであり、在世の衆生はこれを徹見して、自らもまた凡夫の位に立ち還(かえ)って名字妙覚の悟りを開きました。この本種の妙法こそ、一切の仏法の根源であります。

 しかし、末法の衆生にとって最も大切なこの下種の妙法を顕すことは、直接、釈尊御自身のお役目ではありません。そのために地涌・上行菩薩を招いて、寿量品の「我本行菩薩道」の文底に沈む久遠名字の妙法、ならびに仏身を譲られたのであります。

 故に、この仏身は末法において出現される上行菩薩、すなわち日蓮大聖人が御開示あそばすところであります。それは因果一念の宗に具する仏界と九界であり、金色(こんじき)三十二相の仏が基本でなく、凡夫即極の仏の、我が身、地水火風空の五大と知ろしめし即座開悟し給う仏、すなわち久遠元初自受用身の一念の本因本果を主体とするのであります。

 この久遠元初自受用身とは、末法出現の日蓮大聖人であります。故に、文底より拝するとき、この「疑を生ずること勿れ」という誡めは、日蓮大聖人様を久遠元初自受用身と仰ぎ、久遠即末法、末法即久遠の上に厳然と不動・不変の仏身をもって三世の化導を示し給う本仏と信じ奉り、余仏への執着の疑いを断除することが、この寿量品の文における真実の正意であります。また、これが「当に断じて永く尽きしむべし、仏語は実にして虚しからず」との誡めの正意でもあります。

 思うに、宗祖大聖人一期(いちご)の御化導ことごとく兼知未萌(みぼう)の讖言(しんげん)をもって、釈尊の説き置かれた法華経のことごとくを行じ給い、なかんずく三類の強敵の扣発(こうはつ)、いわゆる悪口罵詈(あっくめり)、刀杖瓦石、流罪・死罪、数々見擯出(さくさくけんひんずい)等、全く余人の読まざりし法華経の行者を実証あそばされたのであります。

 また、『種々御振舞抄』に、「日蓮が去(い)ぬる文応元年太歳庚申に勘(かんが)へたりし立正安国論すこしもたがわず符号しぬ。此の書は白楽天が楽府(がふ)にも越へ、仏の未来記にもをと(劣)らず、末代の不思議なに事かこれにす(過)ぎん」(同 1055ページ)と仰せの如く、『安国論』の自界叛逆(ほんぎゃく)、他国侵逼(しんぴつ)の大予言も、三度の高名のお振る舞いとともに、まさに的中したのであります。これまさしく仏の御(み)言葉であり、このように真実にして虚しからざる衆生化導の真実語を示された宗祖大聖人は、脱益垂迹の仏である釈尊に対して、下種の本仏にましますことが明らかであります。

 我らは、何よりもこの末法出現の本因妙の教主、下種本仏の日蓮大聖人を信じ奉るところに、おのずから真に妙法の器たる大確信を成ずるとともに、宗祖大聖人の御法魂たる南無妙法蓮華経の大法が心に染(そ)み、妙法当体の蓮華仏と顕れるのであります。

 『当体義抄』に、「正直に方便を捨て但(ただ)法華経を信じ、南無妙法蓮華経と唱ふる人は、煩悩・業・苦の三道、法身・般若・解脱の三徳と転じて、三観・三諦即一心に顕はれ・・・無作三身、本門寿量の当体蓮華の仏とは、日蓮が弟子檀那等の中の事なり。是(これ)即ち法華の当体、自在神力の顕はす所の功能(くのう)なり。敢(あ)へて之を疑ふべからず、之を疑ふべからず」(同 694ページ)との御金言を信受することこそ、我ら衆生がまさに疑いを永く断じ尽くして顕れるところの大功徳であり、仏の語(みことば)は実にして虚しからざる、我らの大確信となるのであります。


 今や宗門は自行化他の唱題・折伏行をもって、衆生救済の妙法の本理に基づき、宗旨建立750年を目指して僧俗和合一致団結して広布へ邁進しております。この浄業(じょうごう)が未来永劫にわたる自らの荘厳と社会へのまことの貢献であることを申し上げ、僧俗各位のいよいよの御精進をお祈りいたす次第であります。

 本日はこれをもって失礼いたします。南無妙法蓮華経。南無妙法蓮華経。南無妙法蓮華経。



※この原稿は、昭倫寺支部の若山さんのご協力で転載いたしました。


福岡県水巻町・弘教寺落慶入仏法要


〇御法主上人猊下御言葉


本日は、当妙法山弘教寺落慶入仏法要に当たり、お伺いをいたした日顕でございます。当寺関係信徒御一同、その基となった八幡・法霑寺の信徒御一同、さらに福岡布教区関係の幹部信徒御一同の参詣により、まことに盛大にこの落慶入仏法要が奉修できまして、宗門のため、心からうれしく存ずる次第であります。仏祖三宝尊にも厚く御高覧あそはされ、意義深い本日の落慶入仏法要、新寺建立を御嘉賞あそはされることと深く拝察し奉るものであります。

宗門が、近年において邪教と化した創価学会の種々の謗法を指摘いたしたところから、彼らの宗門に対する大きな背反の行為が表れてまいりまして、ある時期において一つの処置をしたのであります。さらに、それらのことが因縁になって、創価学会の幹部の者どもの邪義・邪心が明らかに表れてまいりまして、その結果、はっきりと宗門から手を切ることになりました。したがいまして、その後の状況のなかでは、新寺建立ということもほとんどなかったのであります。しかるに、本日ここに秋山日浄師の深い志によりまして、明治時代にこの九州における教会の第一号として発足をした、法霑寺の前身・頃末教会の発祥の地に、この寺院が建立できたということは、実に記念すべき喜ぴであると思うのであります。

正法の寺院建立ということは、考えてみますとそこに条件が整わなければなりません。寺院建立のための資力が第一に必要であり、それより重要なことは、その寺院の信徒として寺院を護持し、そして広布に向かって進むところの尊い信徒の方々がおいでになるということです。そこに初めて寺院建立ができるのであります。ただいたずらに建物だけが建って、そして寺院としての格好ができても、信徒がおいでにならないで、その寺院の護持ができなかったならば、その寺院は全く常住することができないのであります。

しかるに、秋山日浄師が法霑寺の信徒の方々と共に、常日ごろから本当に真剣なる護持、正法興隆、折伏弘通に邁進をせられておりますことは、今日、宗門全体のよく知るところであります。その功徳をもって法霑寺の教勢が実に増し、特にこのゆかりの深い水巻町頃末の周辺においても多くの信徒の方々が輩出し、その方々の手によって、これからいよいよ新寺を建立し、この寺院を将来の宗門の大法城とすべく出発をしていくという準備がなったわけであります。

ここに、近年において久しぶりに新寺を建立することができました。これを契機に、将来において日本国内乃至、全世界のあちらこちらに新しい寺院が建立される気運がいよいよ明らかになってくるものと私は確信する次第であります。それにつけてもこのたびの新寺建立は、今後の大法広布、そして宗旨建立750年に向かって大前進する宗門のために、大きな興隆の意義を持っておるということを深く感ずる次第であります。


ただいまの「慶讃文」において拝読をいたしましたとおり、宗祖大聖人様は建長5年4月28日、日本国乃至、世界の一切衆生を救済のために、初めて本因下種の南無妙法蓮華経をお唱えあそばされました。この南無妙法蓮華経は久遠元初以来の常住の、本門三大秘法総在の妙法蓮華経の御当体であります。しかしながら、その南無妙法蓮華経は、まず第一に本門の題目の形として大聖人様がお唱えあそばされました。それより法華経の行者としての種々のお振る舞いをあそばされて、その上にこの南無妙法蓮華経が三大秘法として御化導の上に明らかに顕れたのであります。

特に、あの有名な文永8年9月12日の竜の口の法難において、普通の者であっては魂が消し飛ぶほどの、命を取られるという大難において、大聖人様は本仏の御境界をもって、「不かくのとのぱらかな、これほどのよろこびをぱわらへかし」(御書1060)と四条金吾殿に仰せられました。そして、その御本仏の大確信と大御威光をもって、太刀取りがまさに頸を切らんとするその時いわゆる不思議な光り物の出現によって太刀その時、いわゆる不思議な光り物の出現によって太刀取りが倒れ伏し、ついに御頸を切ることができなかったのであります。この最高の御苦難である頸を切られんとした大法難によって、凡夫の日蓮の頸が切られて、魂魄が佐渡の国に至ったということを『開目抄』に御指南であります。

したがって、久遠元初の御本仏としての御境界をその御修行の上からさらに明らかに御顕示あそばされ、しかもその御境界の内証を御本尊として顕し給う上に、さらに文永年問より建治、そして弘安に至る道程のなかで、その真の大慈大悲の御法の根本がはっきりと本門戒壇の大御本尊様として御顕し奉られたのであります。

弘安以降の御本尊様において、特に人法体一、そして三大秘法の整足という深い意義が拝せられるということは、これは御信徒の方々はあまり聞かれていないと思いますが、その上からの弘安2年10月12日の本門戒壇の大御本尊様の御顕発となっております。


本日はこの御本尊入仏法要において、かたじけなくも本門戒壇の大御本尊様を御書写し奉り、当寺の御本尊として入仏し奉った次第であります。どうぞ有縁の皆様には、これから常に当寺に参詣をせられ、そして僧俗が真に和合一致して、大慈大悲の大聖人様のお心を拝しつつ、世の中のあらゆる謗法の人々を折伏し、南無妙法蓮華経の唱えを、たとえ一人からでも、そこに正しい信仰に導いていくというところの行業を積まれていかれることが肝要と思います。

せっかく出来た寺院ですから、有縁の方々の信心によって、この寺院をさらにさらに大法城として光輝あらしめるよう、いよいよの御精進を心からお祈りを申し上げて、本日の祝辞とする次第であります。まことにおめでとうございました。



〇布教区代表祝辞 内藤寿学御尊師

菊花薫る晩秋のこの好き日、御法主日顕上人猊下をお迎え申し奉り、妙法山弘教寺の新築落慶入仏式が、かくも盛大に厳修されましたことを、布教区を代表してお祝いを申し上げます。おめでとうございます。

ただ今、法霑寺総代より詳しく経過報告がありましたごとく、法霑寺住職・常智院日浄能化の発願により、檀信徒皆々様の熱烈たる護惜建立の精神により、まさに僧俗異体同心の信心の結実が、本日の盛儀を迎えることができたものと信ずるものであります。まことに「出陣の年」の終尾を飾る快挙であり、さぞかし仏祖三宝様も御嘉納のことと存じ奉ります。


経過報告にもありましたように、先師九州御出身の堀日亨上人の御草稿になりました、『妙寿日成貴尼伝』の記述の中に、「明治18年、秋の彼岸会に、筑前の異流・柴田三平と渡辺友次郎が来寺して橋爪佐平の取り次ぎによって妙寿尼に対面した。しぱらくの間、道理を尽くして話し合い教訓したところ、両人ともすべてにわたって改心し、旧来の邪宗邪義を捨てて、本宗の信仰に帰依することを決めた。それから、遠賀郡嶋門村の柴田三平宅に招待を受け、その席で付近の頃末村等の13軒が、やはり本宗の信仰に帰伏して、ただちに異流の本尊を改めて本宗の御本尊を受けた。もっとも、これらは時が熟しきったことであったので、妙寿尼は『試しにこの地に教会を設けて、残りの異流者や邪宗教に迷う人たちを教化してはどうだろうか』と言ったところ、すぐにこの13軒で頃末村に教会を新築することになった」(妙寿日成貴尼伝)とあります。

当時は不幸にして大暴風雨の災害で田の稲はなくなり、蔵積みの俵まで流されてしまったのであり、農家でさえ、その日の米を買わなければならぬ状態であったけれども、13軒の法華講の人たちは不屈の信心、障魔を乗り越えて明治19年に奥行2間、間口3間の堂宇を建立し、早速、御本尊様の御下付を本山にお願いしたのであります。明治25年には、官庁の認可を得た、九州での教会所設立第一番目であり、現在の法霑寺2000余世帯の発祥の地であります。

譬えが違いまするが、従果向因と申しますか、法霑寺の根源発生の地に、このような立派な寺院を建立寄進せられましたことは、仏祖三宝様は申すに及ばず、九州開導の師、妙寿日成貴尼も寂光土において喜び一入(ひとしお)のことと拝する次第であります。


ところで本日この好き日に当たり当弘教寺の新住職を拝命した秋山堅広師を、御紹介いたします。堅広師は、皆様もう御存知のことと存じますが、履歴を紹介いたします。師は常智院日浄能化の二男として昭和35年1月の出生であります。長男はご承知のとおり、大牟田市の法恵寺において広布のために精進しています。昭和47年に沙弥に叙せられ、以後、昭和57年3月に、東京の立正大学仏教学部を卒業せられ、引き続き大坊に在勤し、昭和60年8月、石川県松任市の最教寺の住職を拝命いたし、布教に専念いたし、本日、当弘教寺の住職を拝命せられた次第であります。

皆様、御書にもありますとおり、「内には弟子有って甚深の義を解り、外には清浄の檀越有って仏法久住せん」(御書790)と、また、「警へばよき火打ちとよき石のかどとよきほくちと此の三つ寄り合ひて火を用ふるなり。祈りも又是くの如し。よき師とよき檀那とよき法と、此の三つ寄り合ひて祈りを成就し云云」(1314)と御書に申されておられますように、よき手続の師を得た皆様、「法華経は灯の如く、行者は油の如し。檀那は油の如く、行者は灯の如し」(同1380)のごとく燈は油が切れては輝かず、闇を照らしません。

住職と檀信徒の関係は而二不二の関係であります。何卒、「異体同心なれば万事を成じ、同体異心なれば諸事叶ふ事なし」(同1389)とのごとく、来る宗旨建立750年の記念大法要に向けて大同団結なされ、一大目標に向けて勇猛精進あらんことを祈念いたし、お祝いの言葉といたします。



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