大白法

平成12年2月1日号


主な記事

<1〜3面>

<4〜8面>


back      index      next



体験発表 『我見に執われない御題目』

円照寺支部 福田勝之

平成10年「革進の年」、11年「出陣の年」の、御本尊御下付6世帯内得信仰者10名の折伏成就の体験を発表します。しかしながらその中には、退転者あり、勧誠式当日の学会幹部の横槍で折伏できなかった人あり、活動を控えて信心を改めるよう努めた月もありと、毎日、毎月が体験の連続です。


〇 一昨年のある折伏から

一昨年11月、日蓮宗の信徒だった人の折伏が成就し、その一家と御登山させていただくことになりました。登山の10日程前からご主人の言動がおかしくなり、御本尊様を怖がるようになっていました。「この信心を始めてから女房が変わってしまった御本尊と仏壇を焼く」と電話で怒鳴るのです。

まず御住職・中村福道御尊師に一報入れてから、その方の家へ行きますと、御本尊様は無事でした。ご主人と御題目を唱え、御本尊様にお詫び申し上げ、私は帰宅しました。しかしその後、すぐにまたご主人が同じようなことを言い出したので、奥さんはご主人を振り払って御本尊様を懐にしまい、裸足で私の家へ逃げて来ました。御本尊様は私が預かり、奥さんを講員宅へ泊める手配をし、同時に御住職へ報告しますと、「すぐ行こう」と言われ、一緒に伺いました。すでにご主人の姿はなく、仏壇がほらばらに壊されていました。

翌日、奥さんをお寺へ連れて行った後のことです。御住職は御法務で不在、私が本堂で唱題していますと、「福田、出て来い。刺したる」と、ご主人が怒鳴り込んで来ました。「私は日蓮正宗の信徒だから絶対に喧嘩はしない。気が済むまで殴りんさい」と返事するや否や無茶苦茶に殴られました。決して避けようとしない私に腹が立ったのでしょう。20発以上殴られ、その間、3回御題日を唱えるのが精一杯でした。

警察を恐れたご主人はすぐに帰りました。本堂で唱題させていただくうち、妙の御文字からの優しい光と、御本尊様に吸い込まれる自分がそこにいました。痛みも出血もなく「日蓮大聖人様有り難うございます」の大歓喜の御題目でした。

ご主人はその月の13日の朝、警察に逮捕されました。その晩奥さんと子供は、初めての御登山となる支部総登山へ臨まれました。


〇 私が本山任務で得たこと

御住職の御指導は「何があっても御題目だ。余事なく他事なく、雑念のない御題目を唱え奉ること。時間でなく数でもない、一遍の御題目で感じるものがなければだめだ」とのこと。私にもその御題目を唱えるときが訪れました。

私は親不幸者でやくざでした。今は、やくざを辞めて、一人で生活しています。結婚願望が強く、いつも御本尊様に御祈念させていただいております。ある夜、夢の中に御法主日顕上人猊下がお出ましになられ、「あなたが変わらなければ」と声をかけてくださいました。ぱっと目を覚ますと、丑寅の時刻、御前2時30分でした仏間ですぐ題目三唱し、折伏の決意をしました。

昨年春に、本山任務輸送班に登録し、7月25日の第9期夏期講習会登山が初任務と決まりました。6月に学会員の横槍で折伏に失敗した私は、「なぜ、こんなことになるのか」という迷いが広がり ました。「革進の年」5名、「出陣の年」半年で3世帯の御本尊御下付、5名の折伏成就のこれまでの勢いが止まりました。

そんなとき「刺青(いれずみ)者に輸送班が務まるのか。半袖にサポーターをはめ、詰めた指を見た登山者はびっくりするはずだ」と思い悩むばかりでした。他界した両親に詫び、自分を責め、謗法の罪の深さを思うと、出るのは溜息ばかりでした。お袋が一生懸命教えてくれた「南無妙法蓮華経」を、もっと早く唱えていれば、指を詰めるようなことはなかったのにと、涙がこぼれ、お袋に詫びました。

落ち込んで、五日間お寺に参詣できませんでした。

「よし、一からやり直す。時間や数に執らわれない御題目を唱える」と決意し『立正安国論』上呈 の日に同僚の20歳の青年を折伏してから、初めての任務に着かせていただきました。

「魔の責任じゃない。すべて自分の信心であること」と観じ、御法主上人猊下の御指南の奥の奥を学ぶには、御住職の御指導のまま素直に行じることだと判りました。

任務中、高齢の女性が、「全部言わなくても判る。これからもがんばってね」と、指のない私に握手を求めてくるのです。総本山で聞くこと、会話すること、すべてが私の迷いへの答えでした。全国の青年任務者が、いろいろなことを乗り越え、志を持って支部でがんばり、総本山で御奉公させていただく姿勢に、自分の曲った部分を改められました。


〇 法華経の兵法

8月9月で6名入信、10月に御本尊御下付2世帯となり12月に1名入信しました。そのうち10月の1世帯は、7月に折伏した青年のアパートを貸りる段取りから始め、毎朝一緒にお寺へ参詣し育成に努めていく中で、彼も私も次々と下種先が広がりました。

会社でも休憩時間や帰宅途中に「南無妙法蓮華経は絶対だ。一緒に今唱えよう」と、お寺のほうを向いて御題目を唱え、その足でお寺へ行きます。そのような中で、私の周りにどんどん人が集まることに嫉妬した社員が、うその情報を上司に伝えたことから、12月一杯で私を解雇するとの話が持ち上りました。その社員にも以前下種をしましたが、御授戒の当日、父親に反対され入信できませんでした。以来、私を憎むようになってました。

私は下請業社の社員、そして折伏した相手がすべて親会社の社員であったため、このような話になったようです。私は、御宗門や支部で発行している機関紙や、パンフレットを持って、親会社の係長に面接を願い出ました。そして正しく日蓮正宗の話を聞いていただき、「正しいことを言い、悩みを 解決し、力一杯働く元気な日蓮正宗の信徒を一人使うか、平気でうそをつく社員が大切か、考えてください。世の中の人は苦しみの原因が判らぬまま、迷いながら仕事をしているのです。会社をよくするには日蓮正宗の信心しかないのです」とはっきり伝えますと、「解雇しない」と約束してくれました。

ちょうどこの頃、社員が2名、会社を辞めたので解雇できなくなったのです。数日後、うそをついた社員は、肺に穴が空いて入院しました。また、御授戒に反対した父親は会社を解雇され、日蓮正宗を笑った者は交通事故で車が廃車になり、「大石寺へ行くな」と言った人は私が御開扉を受けた同じ時刻に地上5メートルで作業服に引火し、私の横で「念仏が絶対だ」と言った人は、家で倒れて職場に復帰できなくなるなど、不思議な現証が次々と起こりました。「なにの兵法よりも法華経の兵法をもちひ給ふべし。『諸余怨敵皆悉摧滅』」(御書1407頁)の御金言どおりです。


折伏行の中で創価学会破折は、時間のある限り行じております。訪問、「大白法」の号外配布はも ちろん、直接会館へ出向いて破折もしておりましたら、「福田を潰せ」となったようです。

私の家の表札は、「日蓮正宗円照寺支部法華講」と掲げ、学会員向けの掲示板を作り、窓ガラス2枚 分の看板もあります。輸送班をするに当たって1つの区切りとして、個人活動としてこのような物を作りました。

総本山の御大会から帰った後、11月23日の午前1時半頃、その看板に投石され、窓ガラスを被られました。相手を捕まえようと家を出ましたが、オートバイに細工されていて動かず、断念しました。さらに、軒を壊されていました。しかしながらほとんど腹も立たず、仏間に入り御題目を唱えました。

こういうことがあればあるほど御題目の悦びは大きくなり、1遍の御題目で不思議と感ずるものがあります。


〇 執らわれない御題目を常に唱え奉ること

私は青年部員に対し、大きな声で叱りとばしません。私の場合だけかもしれませんが、私が叱るとだめなのです。少なくとも2名の退転者はこれが原因でした。

殴られても、笑われても、石を投げられても、怒ることなくただ南無妙法蓮華経と唱え、相手の感情とか、周りの状況に執らわれないことが大切です。考えて一晩かかって執らわれないよう努力するのとは違います。その瞬間、その瞬間で起こっていることの意味を考えるのです。

妙法の大功徳は、現世利益ではありません。病気が治った、仕事がうまくいった、それも大切ですが、病気の人は病気のまま成仏するということもあるはずです。何があっても御題目のみ、一遍の御題目をいざというとき唱えられるか否かだということを折伏行で体験します。

折伏の功徳は、目に見えるものではありません。この体験発表を聞かれた方も、時間が経てば必ず忘れます。私だけが一生涯忘れないのです。御題目の悦びと御本尊様は絶対だという確信は、折伏を行じた人のみが判るのであり、体験発表を聞いているだけでは判らないのです。

執らわれない御題目を常に唱え奉ることが御法主日顕上人猊下にお応えさせていただくことと確信し、宗旨建立750年・法華講30万総登山はもちろん、命ある限り唱題行、折伏行に精進させていただきます。


※この原稿は平安寺支部の河原さんのご協力で転載しました。
※中見出しは妙音で付けました。



体験発表 『御住職の真心に触れて30名が学会を脱会』

聖教寺支部 伊藤敬子

聖教寺支部では現在、平成14年・宗旨建立750年の法華講30万総登山に向けて、講頭さんを中心に、支部の目標を絶対に達成するぞとの意気込みで毎月、第一土曜日は10時問唱題会、月2回の折伏推進協議会、毎週日曜日はお寺に集まり、御住職・柳坂幹道御尊師の導師で一時間の唱題会を行った後、折伏・家庭訪問先を御住職様に報告してから、それぞれ出発します。そして午後5時に再びお寺へ集まり、一日の報告をすることになっています。具体的には、やる気はあっても、折伏・家庭訪問の仕方のよく判っていない人が多く、そのような人たちには判っている人が一緒に折伏・家庭訪問に行っています。 さて、私は平成3年9月17日、聖教寺支部の法華講員となりました。当時、婦人部長をしておられた新道さんに、「伊藤さん、今まで学会で折伏してきた人たちに、学会の間違いをどんどん話すように」と言われました。脱会後、様々な嫌がらせが、あまりにも多くあり過ぎたため、私は、「今は折伏はできない」と断りました。新道さんは、私の話をよく聞かれた上で、不言「いふといはざるとの重罪免れ難し。云ひて罪のまぬかるべきを、見ながら聞きなが置いていましめざる事、眼耳の二徳忽ちに破れて大無慈悲なり」(御書906頁)の御金言を引いて、「伊藤さん、折伏は人のためにするのではなく自分のためにするのよ。勇気を出して。題目よ」と励ましてくださいました。

私は嫌がらせが続く中、何とか折伏したいと思い、折伏記録ノートを作成し、朝夕の勤行の時に、「御本尊様、私に折伏をさせてください」と祈り、頭に浮かんでくる学会時代の友人、仕事上の知人、その他の友人の名前をノートに書き込んでいきました。そして平成10年のある日、地方部総会の入場券を講員さんに届けに行く途中、地下鉄のホームで偶然、創価学会員の小泉さんを見つけ、声をかけました仕事帰りだった小泉さんを喫茶店に誘い、学会が間違っていることを話し、一度、御住職様に会って欲しいと言って、早速お寺にお連れしました。

御住職様は小泉さんの質問に対し、大石寺は創価学会が言うような諺法の山ではなく、日蓮大聖人より唯授一人の血脈相承を伝え、三大秘法の御本尊様を正しく付嘱、伝持している唯一の宗教団体であること、池田大作は創価学会の昭和52年路線の目的であった、宗門からの分離独立の謀略が宗門によって阻止され、責任をとった形で、会長を退き、総講頭を辞任せざるを得なかった経緯を説明されました。その上で、池田大作はこのことを逆恨みして、その復讐のため謀略をめぐらし、僧俗和合を破って、いろいろと御法主上人猊下をはじめ、宗門を中傷誹謗するようになり、変質し、創価学会が主、宗門は従という邪義を唱えるようになったこと、宗門乗っ取りのため、宗門攻撃しか考えていないこと等、創価学会の謗法について丁寧に破折してくださいました。小泉さんは創価学会の変質とその歴史を理解して、その場で脱会を決意され、勧誡を受け、法華講に入講されました。

また、同じ地区の楠木さん宅での宅御講の日のことです。御住職様が御法務のため、宅御講は中止との連絡湖ありました。その宅御講に新来者として出席を予定していた学会員の福山さんは、翌日、創価学会の会館で『ニセ本尊』を受けることになっているという切羽詰まった状況でした。そこで急遽、宅御講を折伏座談会に切り換えて、橋本副講頭さん、宇仁婦人部長さんに来ていただき、福山さんを折伏いたしました。御住職様も御法務を終えられてから、夜11時頃、駆け付けてくださいました。福山さんは、学会で聞かされている日蓮正宗の僧侶の姿と、自分の目で見た御住職様のお姿のあまりにも違うことにびっくりして入講を決意し、御本尊様を御下付戴くことができました。

また、尼崎に住む松山さんは、お葬式に御僧侶がいない、戒名もないと、創価学会を批判していましたが、近所付き合いや、親戚が学会員であることを理由に脱会していませんでした。私は、父の五十回忌の法要を申し込みにお寺に行くときに、松山さんに同行していただき、御住職に会っていただきました。御住職様は、「学会活動はしなくても、学会に籍を置くことは、一切衆生の成仏の道を妨害していること。また、本当に幸福になりたいならば学会との悪縁を切ること」と、破折されました。松山さんは、会合に行っていなくても学会に在籍するだけで協力していることになるということを知って、その怖さが判り、その場で脱会、入講されました。

私は、学会の人を見れば、どこででも気軽に声をかけ、「一度、聖教寺の御住職様に会って、自分の目で、耳で、確かめて」と、すぐにお寺にお連れします。私が入講してから、声をかけた人が55名います。その中でお寺にお連れし、御住職様に会っていただいた人が38名で、その中で脱会、入講した人が30名います。

また、友人が、「この方に仕事を紹介してあげて欲しい」と、宮本さんを連れて来ました。宮本さんは学会員で、15年ぶりの再会でした。そこで、宮本さんの自宅に訪ねてみると『ニセ本尊』を受けており、本人も学会の変化に気づいていましたが、勇気がなく、学会に入る前の宗教に戻ろうと思っているとのことでした。宮本さんには私の最近の体験を話しました。

その体験談を簡単にお話しますと、平成5年11月20日の夜、些細なことから、子供の友達のお母さんに、刺し身包丁で腹部を刺され、重体となって病院に運ばれました。そのとき、真夜中にもかかわらず、御住職様をはじめ多数の法華講の方々が、午前0時から手術の終わる午前7時まで、大阪府立病院の待合室で唱題をして、御祈念してくださったおかげで一命を取り留めました。担当医師の話では、刺さった刃は、肋骨二本を切り、腎臓、膀胱まで達し、肺には水が溜まり、心臓は5ミリの差ではずれていたとのことでした。さらに、「社会復帰は無理です」と、はっきり言われました。しかし、その後の回復は、担当医師や看護婦さんもびっくりするほど早く、5日目には一人で歩くことができ、11日目には普通に歩いていました。かつて学会員だったときに一緒に活動した創価学会の幹部が、私の様子をさぐりに来ました。そして私の元気な姿を目にして驚いたのでしょう、思わず「さすが30年の信心」という言葉がこの方の口をついて出ました。しかし、私は、御本尊様の御加護は言うまでもありませんが、御住職様と法華講の方々が、真夜中に飛んで来て、一講員のために真剣に唱題してくださったおかげで、現在があると思っております。

このことをお話して、宮本さんに一緒にお寺に行こうと誘い、御住職様に会ってもらいました。私の拙い話には理解を示さなかった宮本さんも、整然と判りやすくお話をしてくださる御住職様の真心に触れて納得し、入講されました。宮本さんは夏期講習会登山にも参加でき、現在は、私と一緒に折伏に回っています。学会の問違いが判っていても、なかなか決意がつかずにいた私が晴れて脱会、入講できたのも、御住職様が温かい御心で一人ひとりを大切に思ってくださる、そのお人柄に触れて感動したからでした。

昨年7月25日、心臓の持病が悪化して入院したときのことです。私のベッドの横に沢さんが入院しておられました。沢さんとは17年前、仕事の上で顔見知りになった程度の間柄で、お付き合いというほどのものはありませんでした。しかし17年ぶりの再会でした。話を聞いてみると、『ニセ本尊』と取り換えてからよいことがなく、3カ月前に脳梗塞で倒れ、一人ではトイレにも行けない状態でした。私は、それが創価学会の諺法のためであることや、うそとデマで固めた池田大作の個人崇拝の誤りを破折し、宗門の正しいこと、学会のあらゆる問題を一つひとつ話し、創価学会に籍を置くだけでも与同罪で、無間地獄の苦しみを受ける結末となることを話しました。そこで、とにかくお寺に行って御住職様に会って、お話を聞こうということで、お寺に連れて行きました。

病院には、沢さんは外泊、私は外出と届けを出しました。御住職様は、少しでも謗法、不信があれば、無間地獄は疑いないことと、学会の謗法に染まることの恐ろしさを話してくださいました。沢さんは謗法の怖さを知り脱会を決意して、すぐに勧誡式を受けられました。お寺に行くまで沢さんは一人で歩くこともできなかったのが、帰りには一人で階段を降りることができるようになっていました。

学会の人は皆、学会が変質してしまっていることに気付いても、勇気がないため、しがらみあきらに悩んだり、諦めたりして、脱会できずにいます。これらの大勢の学会の友人を、ぜひ、御住職に会わせてあげたい。法華講に入講させてあげたい。手続ぎ師匠のもとで信心することが、どれだけだけ大切か教えてあげたい。ただそれだけの思いで声をかけています。

日蓮正宗の信徒として、真の法華講衆の一員となれるように、一生成仏を目指し、指導教師である御住職様の御指導のもと、私の年間折伏目標である5世帯を必ず毎年完遂して、平成14年・30万総登山を目指して家庭訪問に折伏に、今日よりさらにがんぱっていく決意です。



back      index      next