※この原稿は平安寺支部の河原さんのご協力で転載しました。
※中見出しは妙音で付けました。
体験発表 『御住職の真心に触れて30名が学会を脱会』
聖教寺支部 伊藤敬子
聖教寺支部では現在、平成14年・宗旨建立750年の法華講30万総登山に向けて、講頭さんを中心に、支部の目標を絶対に達成するぞとの意気込みで毎月、第一土曜日は10時問唱題会、月2回の折伏推進協議会、毎週日曜日はお寺に集まり、御住職・柳坂幹道御尊師の導師で一時間の唱題会を行った後、折伏・家庭訪問先を御住職様に報告してから、それぞれ出発します。そして午後5時に再びお寺へ集まり、一日の報告をすることになっています。具体的には、やる気はあっても、折伏・家庭訪問の仕方のよく判っていない人が多く、そのような人たちには判っている人が一緒に折伏・家庭訪問に行っています。
さて、私は平成3年9月17日、聖教寺支部の法華講員となりました。当時、婦人部長をしておられた新道さんに、「伊藤さん、今まで学会で折伏してきた人たちに、学会の間違いをどんどん話すように」と言われました。脱会後、様々な嫌がらせが、あまりにも多くあり過ぎたため、私は、「今は折伏はできない」と断りました。新道さんは、私の話をよく聞かれた上で、不言「いふといはざるとの重罪免れ難し。云ひて罪のまぬかるべきを、見ながら聞きなが置いていましめざる事、眼耳の二徳忽ちに破れて大無慈悲なり」(御書906頁)の御金言を引いて、「伊藤さん、折伏は人のためにするのではなく自分のためにするのよ。勇気を出して。題目よ」と励ましてくださいました。
私は嫌がらせが続く中、何とか折伏したいと思い、折伏記録ノートを作成し、朝夕の勤行の時に、「御本尊様、私に折伏をさせてください」と祈り、頭に浮かんでくる学会時代の友人、仕事上の知人、その他の友人の名前をノートに書き込んでいきました。そして平成10年のある日、地方部総会の入場券を講員さんに届けに行く途中、地下鉄のホームで偶然、創価学会員の小泉さんを見つけ、声をかけました仕事帰りだった小泉さんを喫茶店に誘い、学会が間違っていることを話し、一度、御住職様に会って欲しいと言って、早速お寺にお連れしました。
御住職様は小泉さんの質問に対し、大石寺は創価学会が言うような諺法の山ではなく、日蓮大聖人より唯授一人の血脈相承を伝え、三大秘法の御本尊様を正しく付嘱、伝持している唯一の宗教団体であること、池田大作は創価学会の昭和52年路線の目的であった、宗門からの分離独立の謀略が宗門によって阻止され、責任をとった形で、会長を退き、総講頭を辞任せざるを得なかった経緯を説明されました。その上で、池田大作はこのことを逆恨みして、その復讐のため謀略をめぐらし、僧俗和合を破って、いろいろと御法主上人猊下をはじめ、宗門を中傷誹謗するようになり、変質し、創価学会が主、宗門は従という邪義を唱えるようになったこと、宗門乗っ取りのため、宗門攻撃しか考えていないこと等、創価学会の謗法について丁寧に破折してくださいました。小泉さんは創価学会の変質とその歴史を理解して、その場で脱会を決意され、勧誡を受け、法華講に入講されました。
また、同じ地区の楠木さん宅での宅御講の日のことです。御住職様が御法務のため、宅御講は中止との連絡湖ありました。その宅御講に新来者として出席を予定していた学会員の福山さんは、翌日、創価学会の会館で『ニセ本尊』を受けることになっているという切羽詰まった状況でした。そこで急遽、宅御講を折伏座談会に切り換えて、橋本副講頭さん、宇仁婦人部長さんに来ていただき、福山さんを折伏いたしました。御住職様も御法務を終えられてから、夜11時頃、駆け付けてくださいました。福山さんは、学会で聞かされている日蓮正宗の僧侶の姿と、自分の目で見た御住職様のお姿のあまりにも違うことにびっくりして入講を決意し、御本尊様を御下付戴くことができました。
また、尼崎に住む松山さんは、お葬式に御僧侶がいない、戒名もないと、創価学会を批判していましたが、近所付き合いや、親戚が学会員であることを理由に脱会していませんでした。私は、父の五十回忌の法要を申し込みにお寺に行くときに、松山さんに同行していただき、御住職に会っていただきました。御住職様は、「学会活動はしなくても、学会に籍を置くことは、一切衆生の成仏の道を妨害していること。また、本当に幸福になりたいならば学会との悪縁を切ること」と、破折されました。松山さんは、会合に行っていなくても学会に在籍するだけで協力していることになるということを知って、その怖さが判り、その場で脱会、入講されました。
私は、学会の人を見れば、どこででも気軽に声をかけ、「一度、聖教寺の御住職様に会って、自分の目で、耳で、確かめて」と、すぐにお寺にお連れします。私が入講してから、声をかけた人が55名います。その中でお寺にお連れし、御住職様に会っていただいた人が38名で、その中で脱会、入講した人が30名います。
また、友人が、「この方に仕事を紹介してあげて欲しい」と、宮本さんを連れて来ました。宮本さんは学会員で、15年ぶりの再会でした。そこで、宮本さんの自宅に訪ねてみると『ニセ本尊』を受けており、本人も学会の変化に気づいていましたが、勇気がなく、学会に入る前の宗教に戻ろうと思っているとのことでした。宮本さんには私の最近の体験を話しました。
その体験談を簡単にお話しますと、平成5年11月20日の夜、些細なことから、子供の友達のお母さんに、刺し身包丁で腹部を刺され、重体となって病院に運ばれました。そのとき、真夜中にもかかわらず、御住職様をはじめ多数の法華講の方々が、午前0時から手術の終わる午前7時まで、大阪府立病院の待合室で唱題をして、御祈念してくださったおかげで一命を取り留めました。担当医師の話では、刺さった刃は、肋骨二本を切り、腎臓、膀胱まで達し、肺には水が溜まり、心臓は5ミリの差ではずれていたとのことでした。さらに、「社会復帰は無理です」と、はっきり言われました。しかし、その後の回復は、担当医師や看護婦さんもびっくりするほど早く、5日目には一人で歩くことができ、11日目には普通に歩いていました。かつて学会員だったときに一緒に活動した創価学会の幹部が、私の様子をさぐりに来ました。そして私の元気な姿を目にして驚いたのでしょう、思わず「さすが30年の信心」という言葉がこの方の口をついて出ました。しかし、私は、御本尊様の御加護は言うまでもありませんが、御住職様と法華講の方々が、真夜中に飛んで来て、一講員のために真剣に唱題してくださったおかげで、現在があると思っております。
このことをお話して、宮本さんに一緒にお寺に行こうと誘い、御住職様に会ってもらいました。私の拙い話には理解を示さなかった宮本さんも、整然と判りやすくお話をしてくださる御住職様の真心に触れて納得し、入講されました。宮本さんは夏期講習会登山にも参加でき、現在は、私と一緒に折伏に回っています。学会の問違いが判っていても、なかなか決意がつかずにいた私が晴れて脱会、入講できたのも、御住職様が温かい御心で一人ひとりを大切に思ってくださる、そのお人柄に触れて感動したからでした。
昨年7月25日、心臓の持病が悪化して入院したときのことです。私のベッドの横に沢さんが入院しておられました。沢さんとは17年前、仕事の上で顔見知りになった程度の間柄で、お付き合いというほどのものはありませんでした。しかし17年ぶりの再会でした。話を聞いてみると、『ニセ本尊』と取り換えてからよいことがなく、3カ月前に脳梗塞で倒れ、一人ではトイレにも行けない状態でした。私は、それが創価学会の諺法のためであることや、うそとデマで固めた池田大作の個人崇拝の誤りを破折し、宗門の正しいこと、学会のあらゆる問題を一つひとつ話し、創価学会に籍を置くだけでも与同罪で、無間地獄の苦しみを受ける結末となることを話しました。そこで、とにかくお寺に行って御住職様に会って、お話を聞こうということで、お寺に連れて行きました。
病院には、沢さんは外泊、私は外出と届けを出しました。御住職様は、少しでも謗法、不信があれば、無間地獄は疑いないことと、学会の謗法に染まることの恐ろしさを話してくださいました。沢さんは謗法の怖さを知り脱会を決意して、すぐに勧誡式を受けられました。お寺に行くまで沢さんは一人で歩くこともできなかったのが、帰りには一人で階段を降りることができるようになっていました。
学会の人は皆、学会が変質してしまっていることに気付いても、勇気がないため、しがらみあきらに悩んだり、諦めたりして、脱会できずにいます。これらの大勢の学会の友人を、ぜひ、御住職に会わせてあげたい。法華講に入講させてあげたい。手続ぎ師匠のもとで信心することが、どれだけだけ大切か教えてあげたい。ただそれだけの思いで声をかけています。
日蓮正宗の信徒として、真の法華講衆の一員となれるように、一生成仏を目指し、指導教師である御住職様の御指導のもと、私の年間折伏目標である5世帯を必ず毎年完遂して、平成14年・30万総登山を目指して家庭訪問に折伏に、今日よりさらにがんぱっていく決意です。