大白法

平成12年5月1日号


主な記事

<1〜5面>

<5〜8面>

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法華講連合会全国青年部大会


大会前日の22日は、遠隔地を中心とする一泊の登山者が午前中に着山した。着山受付を済ませた登山者は、午後1時半からの御開扉に臨み、奉安殿において御法主日顕上人猊下の大導師により本門戒壇の大御本尊様に御内拝をいただいた。また大会の主会場となる広布の広場では、午前8時より特設ステージの設置が開始され、10,000席の椅子も整然と並べられていった。続々とバスターミナルに着いた登山者は、手際よく準備が進められていく会場の様子を見ながら大会への期待を膨らませていた。

各宿坊での勤行・夕食の後、午後7時から全国座談会が広布坊で行われた。座談会は、「地涌讃徳」を合唱した後、四国・中九州・福岡・北陸の各地方部草部長が、明日の大会を目指して困難を乗り越えてきた活動について発表した。次いで井手青年部長が立ち、登山申し込みが15,000名を上回ったことを御目通りのときに御法主上人猊下が大変お喜びくださったことを伝え、全員で明日の大会に向けて勝ち関をあげた。最後に総講頭・柳沢委員長より挨拶があり、「広布に生きる」を合唱して、8時過ぎに終了した。

翌23日は、午前2時半からの丑寅勤行に参列。明けて各宿坊で勤行を行い朝食をとった。また、前日の午後から深夜・早朝にかけて着山した登山者は、午前7時半・8時20分・9時10分の御開扉に臨んだ。8時半、広布の広場の入場が開始され、最前列から次々と着席した。また、総一坊、総二坊での参加者は、テレビ放映を見ながら大会に参加した。9時半、全国から代表5名の支部青年部長が登壇し、今回に向けての支部活動を報告すると共に、法華講30万総登山の達成を目指しての代表決意を述べた。

ブラスバンドの演奏の中、連合会役員並びに各地方部長・各地方部青年部長がステージ上に着席した。続いて満場の拍手の中、御尊能化、御尊師方が御入場された。10時半、会場の全僧俗がお待ち申し上げる中、御法主上人猊下が御到着あそばされ、総講頭・柳沢委員長の先導で御法主上人猊下、御登壇、御着席、全国青年部大会の開会が高らかに宣言された。

「地涌讃徳」の合唱に続き、体験発表に移った。蓮成坊支部・西岡悟さんは、家族、友人、職場での折伏の体験を通して深めた御本尊様への確信を語った。次いで誠諦寺支部・荒木大樹さんは、御住職の御指導の中で励む折伏成就と、支部・地方部・輸送班での活動にふれ、生涯を僧俗一致の信心に賭けることを誓った。井手青年部長は、「立て全国の青年部、いざ広宣流布へ」と題して、御指南のまま正直に信行に励み、支部挙げての大折伏戦を展開し、不惜身命の精進をする時であると訴え、また奉安堂建立に際し、悔いのない御供養を呼びかけた。

青年部大会

ここで御法主上人猊下より御言葉を賜った。その中で御法主上人猊下は、大聖人様の一心一念が法界にあまねく充満する境界を示された。御本尊を我々は無二の信心をもって拝すべきであり、真剣に題目を唱え、我が一心一念もまた御本尊と境智冥合の大利益を賜り、法界にあまねく充満する心なりと信ずることが即身成仏の直道であると御指南あそばされた。さらに、周りの人々へ正法正義の信仰を語り伝えることが大切であり、本日参集の一人ひとりが一年に必ず一人以上の折伏を成就して仏恩報謝に供え奉り、青年の大活力で広布の先駆を切っていくよう望まれた。

最後に柳沢委員長より、若き地涌の友15,000名が御法主上人猊下の御もとに集う今大会は、30万総登山運営の結団式の感を深くすすると話し、これまでの不備をはらむ西洋哲理による価値観が崩れ始めている今、正法による国造りが急がれるのであり、そこに自覚し、折伏も勉強も仕事も精進していただきたいと挨拶があり、全員で「広布に生きる」を合唱して大会は終了した。

このあと、一泊登山者および午前の御開扉を戴いた登山者は順次下山を開始。また、午後も3回に分かれて御開扉が行われて下山となり、全国の青年部員は歓喜の中、決意も新たに帰途についた。




御法主上人猊下御言葉

本日は、法華講連合会全国青年部大会が、本仏日蓮大聖人の御法魂、厳然としておわします総本山大石寺において、青年部信徒15,000余名の大結集により、かくも盛大に開かれましたことを心からお祝いいたします。皆さん、おめでとうございます。

この法華講連合会の全国青年の大結集は今回が初めての壮挙でありますが、これは取りも直さず、日蓮正宗法華講が「折伏実行の年」たる本年において、いよいよ本格的な大前進の態勢を整えたことを示すものであり、お集まりの精鋭青年男女一人ひとりの信心にさらなる歓喜と躍動をもたらすところの、まことに意義深い大会であると確信するものであります。

そして、これはまた「僧俗一致、広布に生きる」との、あの力強い歌の詞(ことば)のとおり、御本仏大聖人様の御在世の如く正法正義を受け継ぐ僧侶と、皆様方清浄な在家の信徒が心を一にして大法護持興隆に精進する理想的な仏法弘通のなかにおいて、その中核たるべき姿であり、心より喜びを禁じえないのであります。


さて、老若男女あらゆる階層の人々のなかで青年の持つ特権は、一つには、若々しく柔らかな心と肉体によって、あらゆるものに挑戦し捕らえんとの積極性に富むことであり、二つには、老人にはあまり残されていない多くの期待すべき未来、時間を持っていることであります。しかしまた、その故にこそ油断は禁物であります。大聖人様は、「命己(すで)に一念にすぎざれば、仏は一念随喜の功徳と説き給へり」(御書 299ページ)と仰せであります。

皆様のその一念の心は無限の時間と空間のすべてを具えております。すなわち、一念とは瞬間、瞬間の心であり、それが無限の過去を送り、未来を生ずるのであります。それをうっかりしていると、年を取ってから自分はなんのために今まで生きてきたのだろうという悔い多き一生、酒に酔ったように目的もなく生きてきて、さながら夢のように、甲斐(かい)なく死んでいくことになり、かかる命の姿はあまりにわびしく、死後の未来へ向かう暗く不幸な出発ではありませんか。

これについては、既に正しい理解と信念を持たれているとは存じますが、この機会に、より崩れざる確信をもって、皆様一人ひとりが尊い命の花を見事に咲かせながら、正しい目的を持ち、喜びに満ちた輝かしい人生を勝ち取っていかれることを心から願うものであります。


しかし、そこにはなんぴとも考えなければならない現実の相があります。かの釈尊は、年十九にして王城を捨て、悟りを求めて出家したのでありますが、その原因はなんだったのでしょう。それは、生きとし生けるものに存する、どうにもならない苦しみに対する解決の模索でありました。そして、釈尊は大悟徹底の暁(あかつき)に、この苦しみを8つに分析されました。すなわち、生・老・病・死の四苦と、愛別離苦・怨憎会(おんぞうえ)苦・求(ぐ)不得苦・五陰盛(ごおんじょう)苦の四苦であります。今日、色々な社会面で問題となる様々な犯罪や汚職、家庭不和やストレス、青少年の非行など、あらゆる姿も、この苦の真相に対する無知と未教育から来ております。

特に、本日お集まりの青年男女皆様にとっても、種々の欲望があることは当然でありますが、その欲(ほっ)するものを求めようとしても得ることができないという求不得苦は、この世に生きるすべての衆生にとって避けられない苦しみであります。さらには、青年にとって最も切実な苦しみに五陰盛苦があります。これは、我々の命が色心の二法、すなわち心と肉体における外界との接触によって起こる思考と行動でありますが、その心と肉体のあらゆる欲求が年とともに盛んになり、火のように燃え上がることにおいて感ずる様々の苦悩であります。

現代の人々の多くは苦しみながら、このような苦に対する客観的認識がほとんどなく、その苦の解決のために、さらに苦を増長しております。これは、物質文明の特質たる物欲にのみ幸福の内容がある如く誤る結果であるとともに、自我におけるエゴイズム、すなわち自己中心の心から来る執着であり、通常の観念でかかる諸苦の正しい解決は全く不可能であります。このところより思想の濁り、感情の濁り、また生命の濁り、それらの交互の影響による社会的、国家的な腐敗・堕落等、様々な悪事・悪徳が発生しております。


そして皆さん、いまさら申し上げるまでもなく、この混濁の世を三世にわたって救うべく出現あそばされたのが、釈尊一代五十年の説法をその中心たる法華経の肝心・寿量品の南無妙法蓮華経に擣篩和合(とうしわごう)して托せられ、この大良薬をもって一切人類の永遠にわたる救済、すなわち成仏の種子として受けられた宗祖日蓮大聖人様であります。この妙法の五字七字は宇宙の大真理、法界のすべての実相と一切の原因、結果の根本が込められた、いわゆる「本地甚深の奥蔵(おうぞう)」であります。換言すれば、無限の時間、空間を一念に摂し尽くすところの法界の真理を悟られた本仏大聖人が、あらゆる苦難を超克され人々の生きるための根本の道を顕し、与えられたのであります。

釈尊は当時の民衆に対し、その大昔よりの導きの因縁により、一代五十年の説法をもって人間の煩悩の様々の在り方を細かく分け、有(う)に執着する者には空の真理を、空(くう)に執着する者には仮(け)の真理を、但なる中道にのみ執着する者には円融の中道を説き、最後に仏の出現の姿にのみ執着する者に、仏の永遠の生命を本門寿量品に説き明かし、もって、その本源の我即法界の妙法の悟りに入らしめられたのであります。

しかし、末法現代の民衆には、かかる釈尊の教法が既に全く役立たないことは、釈尊自ら「白法隠没(びゃくほうおんもつ)」と言われていることで明らかであります。故に、宗祖大聖人様は『上野殿御返事』に、「今、末法に入りぬれば余経も法華経もせん(詮)なし。但南無妙法蓮華経なるべし」(同 1219ページ)と断ぜられました。この妙法を、久遠元初自受用身という根本の仏様の再誕として出現せられた大聖人様は、末法の衆生を導く三大秘法の随一たる本門の本尊として顕し給うたのであります。

すなわち、大聖人様が仏法の正法正義の本源に立って、その仏法の本質を曲げ、民衆国家に害毒を流す謗法の諸宗を折伏あそばされたのに対し、法華経に明らかな予言としての三類の強敵(ごうてき)が現れて、あらゆる悪口罵詈(あっくめり)・刀杖瓦石(とうじょうがしゃく)・流罪等の大難が起こりました。そして最後に、国家権力をもって大聖人を亡きものにせんとの迫害が、かの文永8年9月12日の竜の口の頸(くび)の座の大難であります。これは不思議な光り物の出現により、御頸を切らんとした太刀(たち)取りは眼くらんで倒れ、ついに大聖人殺害を果たせなかったのであります。これすなわち、一身一念即法界と開かれた久遠本仏の大威霊の実証・現証であります。

これより鎌倉幕府は大聖人を佐渡に移し奉ったのでありますが、この時期以来、大聖人の御化導に大きな変化がありました。それは、末法法華経の行者たる大聖人が衆生に主師親三徳を具え給う仏であることを顕された『開目抄』、ならびに末法に地涌・上行菩薩の出現と妙法大漫荼羅本尊の建立を示された『観心本尊抄』が著述されるとともに、妙法大漫荼羅御本尊の顕示が始められたことであります。この御本尊の体相は、佐渡の流刑の地を離れて身延に入られ、寿量品を身に当てて読まれた大功徳に伴う戒定慧の具足と三大秘法の整足をもって、本門戒壇の大御本尊として人即法・法即人、人法一箇の尊容を顕し給うたのであります。


さて、皆さん、御本尊の中央、南無妙法蓮華経の直下に日蓮在判と示し給うのは、大聖人様の一心一念が法界に遍(あまね)く充満する妙法蓮華経の境界、いわゆる久遠元初自受用身即末法の下種本仏日蓮大聖人究竟の悟りのお姿であります。すなわち、法界を自身と開く大聖人即宇宙法界、法界即大聖人の境智を示された御本尊として、我々日蓮正宗の僧俗は無二の信心をもって拝し奉るべきであります。

要するに、仏道の根本的な悟りとは何か。それは一心即法界と開く悟りであります。そこには、他に肩をならべるなにものもない大人格が存するのであります。故に妙楽大師は「成道の時此の本理に称(かな)ひて一身一念法界に遍(あまね)し」(同 106ページ)と喝破しております。

また、大聖人様は、「所詮一心法界の旨を説き顕はすを妙法と名づく」(同 45ページ)と仰せられ、さらに『御義口伝』に寿量品自我偈の文について、「法界を自身と開き、法界自受用身なれば自我偈に非(あら)ずと云ふ事無し。自(ほしいままに)受(うけ)用(もちいる)身(み)とは一念三千なり」(同 1772ページ)と、本仏究竟の悟りを御指南であります。御本尊の当体としてこのところを如実に拝するのが、我ら信心の究竟のところであり、したがって、これから申し述べることこそ、皆さんの信心生活にとって大切なことと信ずるのであります。

なかなかに信じ難いことですが、人々の一人ひとりの命、その一念には本来、法界に遍満する自由自在な妙法の性(しょう)を備えております。ただし無始以来、無明という煩悩に弊(おお)われて、この悟りを全く知らず、低い境界に迷っているのです。故に、無二に御本尊を信じ奉り、一心一念即宇宙法界と開かれた大聖人様の御法魂に対し奉り、真剣に題目を唱え、我が一心一念もまた、御本尊と境智冥合の大利益を蒙(こうむ)り、法界に遍満する広大な心なり、と信ずることが即身成仏の直道であります。

もちろん、御本尊を信ずる一念にこの境界はすべて含まれておりますから、この広大無辺な心を意識的に持たなければならないということではありません。生活上の種々の目的のため、折伏のため、現世安穏のため、後生善処のため、あるいは種々の希望や欲求満足のために、御本尊に向かい唱題することもまた、至極、結構なことであります。しかし、知ると知らざるとにかかわらず、どんな小さな利益も罰も、大きな利益も罰も、その元はすべて一心法界に遍満し、通ずる妙法の利益と罰であり力用(りきゆう)であります。そのところをしっかり掴(つか)まえておけば、いかなることが起こっても動かず、恐れず、揺るぎない確信が生ずると信ずるものであります。


このように正しく御本尊を信ずる者は、我が一心即法界なる故に、自由自在の境界をおのずと開かれ、心が広く豊かで、自然に喜びの心があふれてきます。境界が一転すれば、あらゆる人やものに対する見方が変わるのであります。恐ろしかった人が急に幼く見えたり、今まで気づかなかった人の値打ちを新しく感ずる等、対人関係においてもおのずから人々の姿をゆとりを持って正しく見るようになる。また、不平・不満や暗い苦悩の生活が、いつとなしに喜びと希望に変わっていく。そこからまた、折伏の心、人を本当に思いやる心が出てまいります。しかし、その元はすべて妙法受持の信心でなければ本物ではありません。かくて、すべての人に妙法の功徳を語りつつ、共に幸せになっていく仏法の上の修行こそ、広宣流布の要諦であると思います。

ただし、世間の人々はその元の正しい妙法の在り方を信ずることができず、それぞれ雑多な小さい人生観、世界観、宗教観による思い込みに執われているため、そこより起こる不完全な、不幸な因果によってあるいは悪を行じ、あるいは堕落しております。かの池田創価学会が大聖人仏法の根本を見失い、背いて邪宗教に転落したのも、驕慢によって仏法の本源を軽蔑し、元から離れたところにおいて学会中心という小さな自我に執着したからであり、まことに哀れな者どもであります。

根本の正しい妙法に縁するところ、あらゆる苦悩を乗り越え、その時どき、事ごとに応じて自由自在の対応をなし、安楽と喜びの境地に住しきれるのは、一心法界の妙法に宇宙人生の一切を含むからであり、すなわち法界のすべて、十界三千の数多(あまた)の内容を具えるからであります。

したがって、時間、空間に一如する法界の真理を悟られた本仏の力と智慧を、その一身に信行によって涌現できれば、また他の一切の思想、宗教、格言等における行いより勝れた境地を具え得られるのであります。いわゆる人法一箇の大御本尊に対し奉り、妙法を受持し、一心法界の境地を受け継ぐ功徳は、大にして多、多にして勝であり、この大・多・勝の功徳を確信して妙法を唱えることが肝要であります。


しかし、我々はお互いに、一人で生きているのではありません。家族、知人、朋友その他、多くの人との関係において生活をしております。世間では、謗法の罪業により濁りのなかに囚(とら)われる不幸な人が充満しております。しかれば、本仏大聖人の大仏法により日々夜々、功徳を成就する境界より、この周りの人々へ正法正義の信仰を語り伝えることこそ大切であり、すなわち、それは折伏の実践であります。

今や宗門は平成14年の宗旨建立の大佳節に向かい、大法世界広布への堂々たる歩みとして、30万総登山ならびに奉安堂建立の二大事業の完遂に僧俗一致の大前進を行いつつあります。本日参集の男女青年の皆さん、この未曾有の青年部結集を機に、皆様方一人ひとりが一年に必ず一人以上の折伏を成就して、広大なる下種本仏宗祖大聖人の仏恩報謝に供え奉り、青年に、より多く恵まれた大活力をもって、それぞれの法華講支部のなかに在って広布の先駆を切っていかれることを強く期待したいと思いますが、皆さん、いかがでありましょうか。

そして、本年4月28日の奉安堂着工法要の日より100日間、1日3千遍として30万遍の大願成就のための唱題も、多忙なる生活のなかに在って時間に工夫をこらし、願いとして叶(かな)わざるなき功徳の実証を確信し、この浄業をしっかり成し遂げていこうではありませんか。皆様のいよいよの信行倍増と御健勝を祈り、これをもって本日の言葉といたします。

※この原稿は昭倫寺支部の若山さんのご協力で転載いたしました




『立て、全国の青年部 いざ広宣流布へ』
法華講連合会青年部長 井手国弘


本日は、恐れ多くも御法主日顕上人猊下の御臨席を賜り、多宝富士大日蓮華山大石寺の広布の広場をメイン会場にに、さらに総一坊、総二坊に、全国の法華講青年15,000名を越えて盛大に開催される法華講連合会全国青年部大会、皆ざんおめでとうございます。これも偏に御法主上人猊下の大慈大悲の賜と、法華講連合会青年部一同、心より厚く御礼申し上げます。御法主上人猊下、まことにありがとうこざいます。


さて、今を去ること720年前、熱原法難を機として御図顕あそばされた日蓮大聖人出世の本懐たる一閻浮堤総与・本門戒壇の大御本尊の脇書には、「願主 弥四郎国重 法華講衆等敬白」と認められております。「法華講」とは、大聖人様が直々に命名された尊い名称であります。そして熱原法華講衆以来、幾多の諸先輩が、時の御法主上人猊下の御もと、ある時は「針金宗旨」と言われながら、大聖人様の御遺命である「広宣流布」を目指して忍難弘通に精進してきました。

昨年6月19日、夏期講習会登山の砌、御法主上人猊下は、法華講総講頭・柳沢委員長に対して、「青年部大会をお山で行っては」との御言葉を賜りました、そして時来たり、全国の青年は、今年に入り1月8日の全九州青年総決起大会を皮切りに、3月19日の全北海道まで、全国8カ所において地域別青年総決起大会に奮い立ちました。

そして今、法華講700年の歴史の中で、未だかつてない未曽有の15,000名を越える青年が、御法主上人猊下の御もとに馳せ参じたことを、700年来の法華講の先輩たちが、「よくぞやった。しかし、闘いはこれからだぞ」と激励されるその声が、私には聞こえてきます。


御法主上人猊下は、平成8年1月6日の末寺住職、寺族初登山の砌、「縦糸と横糸があって初めて織物が出来るように、広布の発展、信徒の育成においてもこれは不可欠であります、(中略)この横糸としての連合会の在り方、そして、縦糸としての宗務院、宗務支院、各末寺の指導教師の立場というところが相まって初めて、真の僧俗和合一致しての広布の進展も存すると思うのであります」(大白法448号)と、御指南を賜っております。

私は、今回の青年部大会を通じて強く感ずることは、各支部、地方部そして連合会が一つとなり、御法主上人猊下の御指南の通りに、また各指導教師の御指導を受け切って、そして実践したときに我等法華講は大きく前進できるという、尊い異体同心の信行の姿であります。法華講には、七百年前から信心の根本の根っ子が厳然と存在し、いよいよその「根」から「芽」が出て、若木と成長するときが、正に今、到来したのであります。

今日集われました15,000名の中に、中学生・高校生が3,000名近くいます。次の10年、20年、そして立宗800年に向けての次の50年間に、法華講は真の妙法広布目指して大発展の時を迎えます。しかも烏合の衆ではなく、しつけ秩序ある躾の中に教育された法華講の青年たちが、次の50年を担っていく時を迎えます。


しかし、法華講が御法主上人猊下の御もとに真の広宣流布を目指して進むならば、個人はもとより法華講全体にも、内からも外からも「魔」が現れてくることは必定であります。

思えば平成2年の三万総会、平成6年の地涌六万大総会、そして平成10年の客殿新築落慶記念十万総登山を迎えるに当たり、その準備のために数カ月にわたり御奉公させていただきました。そして、すべてが無事に行われたとき、仏祖三宝尊の御照覧のもと、御法主上人猊下の大慈大悲の尊さを心より感じ、「すべては御仏意によってなされることであり、我々はただひたすらに御奉公の誠を尽くす以外に何もない」ということを教わりましした。「俺が俺が」という我見は厳に慎み、御法主上人猊下に導かれ、、御指南のままに素直に正直に信行に励むならば魔は退散し、すべてが成就されるということであります。

来たる4月28日には、いよいよ総本山奉安堂着工法要が御法主上人猊下の御もと奉修されます。我等法華講は、本門戒壇の大御本尊様を御安置申し上げる奉安堂建立の御供養をあと2回、今年度と来年度のそれぞれ12月にさせていただけます。これから数百年先の我等法華講の末裔も、時の御法主上人の御許可を戴いて、内拝させていただける奉安堂に真心からの、しかも目が覚めるような悔いのない御供養によって我々は、さらに大きく境界を開くことができるのです。

さあ、全国の青年の皆さん、これよりは支部挙げての大折伏戦を展開し、我々青年は指導教師の御指導をすべて受け切り、自分の支部の折伏誓願目標を自分のことと思い、その地域全体が横のつながりを取り合いながら、全国目標28,208世帯を全国一体となって実践する時と覚悟を決め、御法主上人猊下の御指南のままに、総講頭・柳沢委員長のもと、折伏戦線の一大連携を取り合って30万達成を目指して、また真の世界広布の礎となれるよう、不自惜身命の精進をしてまいろうではありませんか。




体験 『御指導通りの御奉公で大功徳』
誠諦寺支部青年部長 荒木大樹


私は生まれて間もなく入信し、法華講に入講させていただいたのは平成5年12月11日の父が亡くなったときで、それが唯一正しいこの信心の道へ入れたときでした。私を導いてくださった誠諦寺住職・清水法瑞御尊師は常々、『諸法実相』の、「涌出品の時出現し給ふ地涌の菩薩等を先づ作り顕はし奉る」(御書665)との御文を引かれ、我等は御本仏日蓮大聖人様から正法流布の役目の命を戴き、御法主上人猊下の御指南のもとで広宣流布のために御奉公する約束があると申されます。

父が死んだときより、戒壇の大御本尊様、唯授一人の血脈付法の御法主上人猊下を信心のすべての根本と信じ奉り、御指南を拝され御指導くださる御尊師のもと、御奉公させていただくことを、お誓い申し上げました。当時は、少しでも油断するとすべてがなくなってしまう崖っぷちに置かれた状況でした。弟は父に勘当され、母は私が幼いときに離婚したため、父が死んだとき私は独りきりでした。

家は栃木県宇都宮市で8500墓を有する公園墓地を経営しており、民間では北関東最大規模の霊園であります。父が創業者で、社員は20名程おり、しかも霊園墓地は公共的なもので、宗派は問わないため、様々な宗教の人が使用しております。霊園に墓地を持っていて、成仏できない邪宗の方々をどうして救うのか、そのためにどんな信心をしなければならないか、御尊師から御指導をいただきながら考え、この信心の教えを人生の根本とすることを決心しました。また父の墓の脇には、「肝心第一の信心は御本尊様を根本とすべし」との家訓を刻んだ石碑があり、父の遺言であります。


平成六年の五十万遍唱題行では、大功徳を賜りました。平成6年2月11日に叔父を折伏、御本尊様御下付を賜り、唱題行完遂の100日目、4月10日には現在の妻を入信させ、御本尊様御下付を賜り、続いて叔母も御本尊様御下付を賜りました。私が父の遺志を継ぎ邪教に厳しく接したため、弟とは疎遠になっておりましたが、たびたびの折伏に次第に心を開き、入信することになりました。私が仏壇を新しくしたので、弟は「家の仏壇をいただき、御本尊様を受け、親の供養をしたい」と言ってきました、弟は御尊師に一生懸命信心していく旨をお誓いし、平成7年9月、御本尊様の御下付を賜りました。兄弟仲良くの遺言通り、弟は昨年、私の会社に入り、生まれ変わったように一生懸命に働き、年末には婚約者を折伏して、今年の春、お寺の御宝前で結婚式を挙げていただきました。

私は業が深く、この6年間に私をはじめ親族全員が死に直面するような病を患い、ぎりぎりのところで助けていただき、皆、大功徳を戴いております。本当に不思議なことですが、病気のほか、すべてにわたって最悪の状況がことごとく逆転し、そのまま大功徳へど展開されてきました。御金言に、「南無妙法蓮華経と唱ふる人は、煩悩・業・苦の三道、法身・般若・解脱の三徳と転じて」(御書694)、とございますが、大功徳とはこのことかと拝するものであります。

また結婚以来3年間、妻の実家を折伏し、長女が生まれてからは、妻の実家の謗法払いをして御本尊様を御安置するまでは絶対に子供を実家に入れないと、妻と決めました。実家に行くと、妻と子供は、たとえ雨でも、どんなに寒いときでも、実家に入らずに外で対面し、毎日のように通って折伏したため、私は嫌われていきましたが、この状況は常に御尊師に申し上げ、御指導をいただいておりました。

平成9年3月1日、ついに妻の父の御授戒、御本尊様の御下付を賜り、入仏式をしていただきました。半年後には妻の実家の叔父、祖父、祖母の御授戒、御本尊様の御下付を賜りました。折伏の中、叔父は生活、仕事、すべてが行き詰まり、「『念仏無間地獄』と聞いたが、全くその通りだ」と思い、入信したそうであります。

また平成10年の客殿新築落慶大法要直前、12年ぶりに母に連絡が取れ、折伏し、御本尊様御下付を賜り、御尊師には福島の山奥まで入仏式に行っていただきました。そして害殿新築慶祝記念大法要・10万総登山には一族全員で有り難く参詣させていただくことができました。

本年1月30日には私が折伏した叔母の初めての折伏が成就いたしました。そして、今月2日には妻の実家でただ一人入信せずに残っていた妻の従姉妹を、初めて妻の縁で入信させることができました。これでついに有縁の親戚一同10世帯15名、そのほかの方を入れると全部で15世帯23名を折伏させていただきました。社内で折伏を始め、社員が3人入信しましたので、それ以来毎月第2日曜日の御講の日は会社を休みにしました。御会式、支部総登山の日も休業することにいたしました。今では社内の半数以上の社員が信心しましたので、昨年父の七回忌の折、社員全員を折伏するこ とを御尊師にお誓いいたしました。現在、誠諦寺の青年部長という大任を拝命しております。


この度の全国青年部大会は、御法主上人猊下の大慈大悲のもとに行われる大事な大会と、連合会の井手青年部長よりお聞きいたしました。また御尊師よりは、700年来こんなすばらしい法華講青年部の活動は初めてであり、宗旨建立750年以後の先々までの本当の信心の出発で、今やらなければならないと、厳しい御指導をいただきました。

私は、信心のこと・生活のこと等すべて御尊師に包み隠さず申し上げ、本当に細かいところまで御指導をいただいております。自分も、会社も、家族の幸せも、御尊師の御指導通り御奉公させていただいた功徳だと確信しております。この6年間に本当にたくさんの大功徳を賜りました。

支部活動は、御尊師の御指導により作成した折伏対象者名簿折伏内容を詳細に記録した報告書を御尊師に提出して、御祈念していただきます。その折は参詣し朝夕の勤行、毎日の一時間唱題行にお供しております。青年部活動は、この大会の啓蒙に向けて、お寺のカラーコピーを使わせていただき栞を作成しました、内容は総本山大石寺の三門のカラー写真が表紙で、中には大会の案内や注意事項、登山の意義、三宝様、勤行へ御供養、御講等の説明、そして総本山案内図です、女子部は栞を持って家庭訪問して説明し、男子部は大白法のコピー等を持参し、平日の夜も土日も2・3名の数班に分かれて啓蒙に回りました。参加目標105名の実現へ、資料作りの段階から家庭訪問まで御尊師より常にご配慮いただき、110名の結集をもって本日を迎えることができました。

北関東地方部では副青年部長として、栃木布教区各支部青年部へ連絡をさせていただいております。支院長様をはじめ御尊師方の御指導・御協力の有り難さを痛感しました。またたびたび各支部青年部に連絡させていただく中、常に励まし合うことの大切さを感じました。僧俗協議会では支院長様の御指導により、各支部青年部代表が、本日の大会成功に向けて参加者啓蒙活動の決意発表をさせていただきました。大会の啓蒙が進む状況や、折伏誓願目標が達成したことをお互いに喜び合いました。真の御奉公とはこのようなことと拝するものであります。


また私は、本山任務者輸送班を平成6年よりさせていただいております。これは、お寺での御奉公の延長上にあると信じてがんばっております。全国の青年部員が指導教師の御尊師に推薦をいただき、特別にさせていただける極めて大事な総本山での御奉公であります。大聖人様と御法主上人猊下の御もとへのお客様お出迎えのお手伝いをさせていただく尊い御奉公は、他にはないと御尊師よりお聞きしております。精一杯御奉公をして戻りますと、折伏意欲が涌いてまいります。本山任務をさせていただき、本当に有り難く思っております。

任務の中で、総講頭・柳沢委員長の貴重な激励をいただき、またそれを受けて井手青年部長、川上副青年部長より御奉公すべき大事な事柄・注意事項を折に触れて教えていただき、地方におります私にとって、本当に有り難いことであります。30万総登山の成否がかかっている本年は、自分の一生の中で最も重要なときだと実感しております。今ここで決意することは、常に御法主上人猊下の御指南を拝され、御指導くださる清水御尊師砂もと、30万総登山達成に向かって、支部青年部長として青年部員て、支部青年部長として青年部員全員が御法主上人猊下御指南の「一年に一人が一人以上の折伏」を完遂させていただくことであります。そのために、唱題行を根本として、さらなる精進をお誓い申し上げ、私の体験とさせていただきます。本日はまことにありがとうございました。




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