大白法

平成12年5月16日号


主な記事

<1〜5面>

<6〜8面>

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総本山 奉安堂着工法要


宗旨建立748年の佳き日、4月28日午前11時より、宗旨建立750年慶祝記念総本山奉安堂着工法要が、慶祝記念局総裁・御法主日顕上人猊下の大導師のもと厳粛に奉修された。これには、慶祝記念局委員長の総監・藤本日潤御尊能化、副委員長の重役・吉田日勇御尊能化、常任委員である教学部長・大村日統御尊能化、庶務部長・早瀬日如御尊能化、大石寺主任理事・八木日照御尊能化はじめ宗務院各部の部長・副部長、大石寺理事、また委員の椎名日澄・高野日海・秋山日浄各御尊能化、宗会議長・土居崎慈成御尊師をはじめとする御尊師方が御出席された。また、総講頭の柳沢委員長、大講頭の石毛副委員長、井出潔・渡辺定元総本山総代をはじめとする信徒側委員、寺族、そして設計施工業責地元来賓も出席した。

着工法要は、御法主上人猊下の御出仕に続いて唱題の中御本尊が奉掲され、次に読経・唱題と進められた。読経の中、御法主上人猊下の御焼香に続いて藤本総監、柳沢総講頭、石毛大講頭、井出総代の順で焼香が行われた。次に、御法主上人猊下、藤本総監、柳沢総講頭、設計施工業者の代表による鍬入れ式が執り行われた。

続いて、慶祝記念局委員長の藤本総監より挨拶があり、参列者に謝辞が述べられた後、奉安堂の落成慶讃大法会は、平成14年・宗旨建立750年の大御本尊御建立の佳き日である、10月12日に定められたと発表された。そして、奉安堂着工に当たり万難を排して無事故・無災害で竣工の日を迎えられるよう望まれると共に、僧俗和合して慶祝記念事業すべての完全達成をめざして推進していくことを誓われた。

題目三唱の後、唱題の中、御本尊が奉収され、11時40分に着工法要は滞りなく終了した。この後、客殿表向拝で記念撮影が行われた。今後、関係官庁等の諸手続きを継続し、それが完了次第直ちに建設工事に着手して、平成14年の竣工落成をめざし事業を推進していく。



〇挨拶 慶祝記念局委員長 藤本日潤総監

宗旨建立750年慶祝記念局委員長といたしまして一言御挨拶を申し述べさせていただきます。本日は、御法主日顕上人猊下大導師のもと、慶祝記念事業の中心とも言うべき奉安堂建立の着工法要を奉修申し上げましたるところ、吉田重役殿をはじめ僧侶代表各位、柳沢法華講総講頭殿をはじめ法華講連合会役員各位、井出・渡辺両総本山総代各位、そして施工業者奥村組、泉建設、並びに設計監理者建築研究所の各位、地元来賓各位におかれましては、諸般御多忙の中を、お差し繰り御参列をいただき、厳粛かつ盛大に執行することができましたことを、篤く御礼申し上げる次第であります。まことにありがとうございました。

申し上げるまでもなく、奉安堂は御本仏日蓮大聖人の御当体たる本門戒壇の大御本尊御安置の根本道場であり、広宣流布、大願成就のその日まで清浄に厳護し奉るべき、重要なる堂宇であります。したがって、慎重の上にも慎重を期すべき見地から、工期に若干の遅れを見る結果とはなりましたものの、落成慶讃大法会の期日を、平成14年・宗旨建立750年の大御本尊建立の佳き日たる10月12日と定めることができましたことは、むしろその意義を顕揚して余りあることと申さなければならないと、このように有り難く感じているところであります。どうか、設計・施工関係者の各位には、この奉安堂の持つ重要な意義を充分に体せられ、万難を排して一切無事故、無災害をもって、無事、竣工の日を迎えることができますよう、全力を挙げて御精進いただきたく、お願いを申し上げる次第であります。

私共一同は、この奉安堂建立事業をはじめ、記念大法要、法華講30万総登山、記念出版事業等の慶祝記念事業すべての完全達成を目指し、僧俗和合して全力を尽くし、もって仏恩報謝のまことを捧げ奉るべく、いよいよの精進をここに固くお誓い申し上げるものでこざいます。

以上、簡略ではございますが、一言もって御挨拶とさせていただきます。本日は、まことにおめでとうございました。



論苑 『大転換期における法華講員の信心』

神奈川地方部長・関野洋夫

4月28日、宗旨建立750年慶祝記念・総本山奉安堂著工法要が、御法主日顕上人猊下大導師のもと、さわやかな晴天に恵まれた総本山において厳粛に奉修されました。また4月23日には、法華講連合会全国青年部大会が、御法主上人猊下の御臨席を仰ぎ奉り、15,000名の青年の大結集をもって、広布の広場において盛大に挙行されました。これは法華講700年の歴史の中において未曽有のことであり、御法主上人猊下のもと、支部、地方部そして連合会が一つとなり、御法主上人猊下の御指南のとおりに、また各支部指導教師の御指導を受け切って実践した賜物であると深く感ずるものであります。

各支部青年部長の体験を聞きますと、新しい支部でも、小さな支部でも、僧俗一体となって唱題根本に実践しきった支部は、大きな目標をも達成することができていることに感銘を受けました。

総講頭・柳沢委員長は、4月28日の朝、奉安堂着工法要に出席するため登山した我々地方部長に対して、
 一、全国青年部大会・奉安堂着工法要を起点として、世・出共に大転換していくこと。
 二、法華講が大前進していく上において、障りとなるもの、必要のないものは自ずから払われていくことになろう。
 三、全国青年部大会に参加した若木の15,000本を、一本も枯らすことなく育てていくこと。
 四、今後、思いもよらない魔性の出現が予想されるが、御法主上人猊下に従い奉り、前を向いて前進あるのみである。
等、熱意を込めて話されました。私はこのことを深く心に留め、唱題根本に真剣に実践していこうと心に決めました。

本年中盤から後半の信行を考えるとき最も大切なことは、現在実践している御法主上人猊下御指南の1日3000遍×100日間=30万遍の唱題を各支部全体に徹底し、一人でも多くの講員がこの唱題行に参加し、支部全体に唱題の渦を巻き起こし、折伏に、登山に、御供養に力一杯実践していくことであります。

すなわち、まず第一に本年度折伏誓願目標を何としても達成していくことであります。御法主上人猊下は、3月25日の「第6回講頭・副講頭指導会」の砌、「講頭・副講頭の方々は、本年度の折伏目標、また、講中として課せられた在り方を常に肚に入れて進んでいくためにはどうしたらよいか、ということを忘れてはなりません。その根本は唱題行だと思います」(大白法546号)と御指南あそばされております。色々な立場の長が唱題根本に「長の一念」を燃やし、自らが「一年に一人が一人以上の折伏」を実践し、それを班・グルーブ等に開き、団結して実践してまいりましょう。

第二には奉安堂建設御供養の件であります。御法主上人猊下は御供養について、昭和63年7月28日の夏季総登山会御目通りの砌、「この福田のなかにも大きく分けて、敬田(きょうでん)、恩田、悲田等がありますが、敬田というのは敬うべき方を敬って御供養申し上げることであります。特に仏・法・僧の三宝に御供養し、その法の命を支えていくというところに大きな福田の意味があり、その供養をされることによってその方々が、眼には見えなくとも未来永劫にわたっての福を積んでいくところの尊い意義の実践が存するのであります」(同308号)と御指南あそばされております。

そして、柳沢総講頭は常々、「真心からの御供養とは、毎日の勤行のことく、毎日毎日の積み立てである」と話されております。私たちは、本年と平成13年の12月に行われる2回の御供養において、精一杯、御供養させていただこうではありませんか。

さあ、皆さん、青年が一足早く立ち上がりました。御法主上人猊下の、「横糸としての連合会の在り方、そして、縦糸としての宗務院−宗務支院−各末寺の指導教師の立場というところが相まって初めて、真に僧俗和合一致しての広布の進展も存すると思うのであります」(同448号)との御指南を何度も拝し、壮年も婦人も唱題根本にすべてに勝利すべく、30万総登山達成を目指して大前進を開始しようではありませんか!




小説富士 塚原問答(十四)


塚原大庭に集まった3・400の人達が畜生と言われたのだから、たまらない。「わあっ…」という、怒りの喊声が山野を震わしてあがったのも無理がなかった。

「日蓮法町ただ今は女人成仏の結構な御法門を伺って、まあまあ有り難いと申しておこう。だが、法華経を知らざる者は畜生に同ずるとは、ちと慢心が過ぎはしないか。奢りたかぶる心は、僧侶の戒むべきところと思うがどうじゃ、南無阿弥陀々々々々々」塚原の山野を動かした、大聖人に対する叱声嘲笑が、この質問でようやく静かになった。

60を過ぎての、自ら分別くさい顔をした念仏僧である。「拙僧は、この佐渡の島に住む者ではない。わざわざ越中から来た者だ。今、日本国中の寺々の僧侶が、毎日唱えておる南無阿弥陀仏の、称名念仏を悪口して、南無阿弥陀仏と唱えると地獄に堕ちると申しておるそうだが、本気で、そんな馬鹿げたことを申しておるのか、この耳で確かめたくてこの塚原に来た者だ。日蓮法法師、しかと左様か…」

「念仏無間・禅天魔・真言亡国・律国賊とは、日蓮が、建長5年4月28日より今年文永9年に至る18年の間、叫ぴ続けたことある。称名念仏は堕地獄の根源とは、四箇の格言の真っ先に申しておる」

「しかし、ただ今では配流の身となった日蓮法師、その心持ちも変わっておられるであろうと思うが、どうじゃなあ」

「越中から、わざわざこの日蓮を見たくて来たと申すから、よおく申し聞かせよう。念仏が堕地獄の根源とは、日蓮が一番最初に言い出したのではないぞ。まず、ものの道理を聞かれたい…」

大聖人が、一番最初に言い出したのではないと言ったので、驚きの声が塚原の大庭に湧いたが、何を言い出すかという一同の興味も手伝って、水を打ったような静けさに変わった。大聖人の凛々たる声が一同の耳を覆った。

「そもそも、我が国において、今日のごとく南無阿弥陀仏の名号を唱えることは、法然の『選択集』に始まる。法然は17歳にして一切経を習い極め、天台六十巻を知り尽くし、八宗を兼学して、一代聖教の大意を得たりと称して『選択集』なる書物を著して、南無阿弥陀仏と唱えることを諸人に勧めたのによるものである。これを憂いて、皆も知る天下無双の智人、広学の学者である斗賀尾(とがのおの)明慧は、『摧邪論』三巻を造って選択の邪義を破した。また、三井寺の長史、実胤大僧正、この人も希代の学者、名誉の才人であるが、『浄土決疑集』三巻を造って法然の専修の悪行(阿弥陀一仏のみをたのんで、他はすべて捨ててしまえという教え)を難じ、比叡山の住侶、仏頂坊隆真法橋は、天下無双の学匠、山門探題の棟梁である。この人も『弾選択』上下を造って法然の邪義を責めた。

こればかりではない。南都(奈良)、山門(比叡山)、三井寺の僧達が、たぴたぴ、法然の『選択集』の邪義は亡国のもとであると訴え出たので、土御門の承元元年二月上旬に、専修念仏の張本人、安楽住蓮等は召しとらえられて、たちまち首を刎ねられ、法然は遠流の重科に処せられた。のみならず、後堀河院の嘉禄3年には、京都六カ所から、法然の『選択集』とその印板を捜し出して、叡山の大講堂の前に叡山3,000人の僧侶が集まって、三世の仏恩を報じ奉るなりと称して、これを焼き捨ててしまった。しかも、法然の墓まであばいて、その骨を京の鴨川に流してしまったではないか。これでは、念仏を唱えるならば地獄に堕ちることは、法然自身が証明していることではないか。どうじゃ、念仏無間は日蓮が発明したのではなくて、その先例があり、法然自身が実験証明済みだ。御老僧、承知されたか」

「…」

「返答がないのは、耳が遠いとでも申すのか。以上のことは『皇代記』という書物にあり、専修念仏の行は諸宗衰微の基なりと、これを禁止すつの宣旨や御教書は数々あるぞ」

老僧は何か言いたげに、口をぱくぱくさせたが、それは次の質問者が立ったので、老僧の発言の機会はなくなってしまった。


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