大白法

平成12年6月16日号


主な記事

<1面>

<2〜4面>

<6〜8面>


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光明 『誓願への一念力』

奉安堂の着工法要が奉修された4月28日、立宗会の日より開始された一日三千遍・百日問で三十万遍の唱題行も、ちょうど中問にさしかかった。

この度の唱題行について、御法主日顕上人猊下の、「宗祖大聖人様の、『今日蓮が唱ふる所の題目は前代に異なり、自行化他に亘りて南無妙法蓮華経なり』の御金言に広宣流布の功徳と実証を込め、折伏の大増進と成就を期したいと思います」(大白法546号)との御指南を体し、折伏成就のための唱題行を生活の中心にすえて精進しよう。

そして御法主上人猊下の大慈大悲の衣の中に、毎日を安心して生活できることを感謝して、御報恩の折伏に邁進していきたい。折伏は「自分がやるのだ」という堅い決意と、折伏成就の強い祈りの唱題、そして実行を何度も何度も諦めずに繰り返す。これ以外に誓願を達成する道はない。

経典には、釈尊の因位の修行として、能施太子が一切衆生を救うために竜宮の竜王からもらった如意宝珠(にょいほうじゅ)を取り返すため、海のほとくりに立って海水を員殻で汲み始めた。来る日も来る日も汲み続け、これを見ていた諸天等が力を貸して遂に大海の水を汲み干して、如意宝珠を取り戻し、目的を果たしたと書かれている。

また、多くの鳥や獣の住む山が火事になったこの山に住む鸚鵡(おうむ)が、自分だけで消せるはずがないにもかかわらず、何度も何度も小そそさな翼で水を運び、猛火に濯(そそ)ぎかけ火を消そうとしている。これを見ていた帝釈天が鸚鵡に問うと「今生でだめでも、生まれ替わってきて必ず火を消し止める」と答え、この志に感じた帝釈天は大雨を降らして火を消し、よって多くの鳥や獣の命を救うことができたという。

強い一念と最後まで諦めずに貫くことの大切さと共に、諸天が動いて御加護をいただけるからである。諸天の加誕により、変化の人(へんげのにん)が現れて誓願成就に導いていただける、その因は、己の一念力である。




体験発表 『勤行の姿勢改め、気がつけば次々折伏成就』
玉林寺支部 林栄美


第34回四国地方部総会まことにおめでとうございます。私は、平成3年5月5日に高知の延寿寺で、縁あって入講させていただきました。それ以前は、19歳のときから9年間、顕正会で活動していましたが、疑問を感じて脱会。それから約一年後の入信、でした平成6年に、敬台寺の講員だった主人と結婚し、高松に住むことになったので、玉林寺へ移籍させていただきました。

玉林寺へ来てからは、月に一、二度お寺に参詣し、朝晩の勤行をするのがやっとという生活でした。長女と長男に年子で恵まれましたが、その頃の私は、子供のかわいさより、子育てのたいへんさで毎日が楽しくなくイライラして怒ってばかりいました。あっという間に5年が過ぎ、信心もいい加減になり、勤行ができない日も多くなってきました。


平成11年1月に、総本山で宗旨建立750年に向かっての出陣式が行われたという記事を、「大白法」で見たとき、意義の深さを感じ、このままではいけないと強く思うようになりました。勤行も毎日欠かさず、少しずつ唱題もするようになりました。

四月、長女の英理華が幼稚園の入園式を目前に控えた頃に突然高熱を出し、しばらく熱が続き、見ると足に紫の斑点ができていました。病院で診てもらうと「アレルギー性紫斑病」という診断で、香川医科大学医学部附属病院へ入院することになりました。紫斑病とは、何らかの菌により全身の血管が炎症を起こす病気で、治療法といえば安静にしているしかないとのことでした。症状も個人差があり、腎不全になる人もいるとのことで、検査、検査の毎日でした。

入院してからは腹痛も出て、「お腹が痛い、帰りたい」と訴える娘の背中を、心の中で御題目を唱えながらさすっていました。御住職・蜂谷城道御尊師に当病平癒の御祈念をしていただき、支部の方々も娘のために御題目を唱えてくれました。その上、御住職の御配慮により、御秘符をお受けすることができました。おかげで娘は、二週問で退院することができました。

娘の入院した部屋は六人部屋で、大きな病院なので2週間の間にいろいろな子供さんが入退院しました。全身に火傷を負って何度も手術している子や、産まれつき体が弱く定期的に入院している子など、いろいろな業を背負った人を見て、「これが自分の子供だったらどんなにか辛いだろう。英理華は守られているな」とつくづく感じました。

中でも、本当なら高校生ぐらいの年なのに、産まれたときから寝たきりで、話すこともできず、食事も流動食のみで、親に痰をとってもらいながら、ずっと吸入を続けている男の子がいました。人の好さそうなお母さんで、「産まれたときからずっとこんな調子なんだよ」と、話してくれました。退院する前日、その方と二人だけになれたので、仏法の話をしてあげたいと思ったのですが、どうしても言い出す勇気がなく、ついに話すことができませんでした。申し訳なく情けない思いでした。そこへ、支部総会で体験発表をするように言われました。とても気が引けたのですが、結果的には、発表させてもらったことで折伏への決意ができました。


しかし、それからもなかなか勇気が出ず、勤行しながら、誰に話そうとか、何と切り出そうとか、もんもんと考えていました。御住職より、「朝晩の勤行を真剣にしなさい。二座をやっているのか、三座をやっているのか判らなくなるような勤行ではだめです。小さな声でこそこそ唱えるのではなく、大きな声で外にも聞こえるような堂々とした題目を唱えなさい。折伏は周りの人に自分の生活を伝えていくことである。自分の力でできるものではなく、御本尊様に祈り、慈悲の心が強ければ、必ず周りに折伏できる人が寄って来ます」との御指導がありました。それからまず勤行の姿勢を変だ朝晩、真剣に、特に御観念文を丁寧にするようにしました。昼間は周りの人にも聞こえるように、できるだけ大きな声で唱題しました。

あるとき、近所の親しい人と幼稚園の話をしたときのことです。教会の幼稚園に通うかもしれないと言うので折伏をしないと与同罪になると思い、きっかけを探していたら、下の子がその人の前で南無妙法蓮華経と唱えだしました。その人は、「貴幸くんがお経をあげてるよ」と驚き、それがきっかけで、お宅へ伺って話をすることができました下種だけでしたが、それからは、他人にも話しやすくなり、幼稚園のお母さんたちにも機会があれは大石寺へ行ったことなど、少しずつ話ができるようになりました。

「人を救えるような境界になりたい。折伏させてください」と御祈念しながら、御題目もできるだけたくさん唱えるようになった頃、友人のYさんから久しぶりに電話があり、遊びに来るとのことでした。そこで信心の話をしようと思いましたが、なかなかできないまま時問が経ち、夕方になりました。我が家では娘との約束の一つに「勤行をする」というのがあり、それを壁に張っていたのですが、それを見たYさんが、「林さんは創価学会なの」と聞いてきました。聞いてみると、Yさんは学会員でした。大阪で両親が一生懸命、学会活動をしているそうですが、Yさんは小さい頃から信心活動が好きではなくお寺のことも全く知りませんでした。しかし昨年、断りきれずに『ニセ本尊』をまつったとのことでした。

私は「ニセ本尊』やお寺のことを話しましたが、その日は何だかよく判らずに帰ったので、改めてお宅に行き、お寺に行くように勧めました。最初は躊躇していましたが、11月18日、お寺に行き、学会の誤りなどを話していただきました。その日は子供の幼稚園があって話が途中になり、再度お寺へ連れて行くことになりました。Yさんはとても迷っていたのでお寺へ連れて行く前の日に、「彼女のほうから私に近づいてきたのだから、絶対、縁があるはずだ」と思いながら、御題目を喝えました。おかげでスムーズに連れて行くことができ、11月22日に御住職と奥様に話をしていただき、無事、勧誡を受け、御本尊様を御下付戴きました。


同じ頃、7年前より話をしている元顕正会員で、神戸に住んでいる横田さんのことも思い出し、もう一度話をしようと電話しました。するとそれまでと全然違って、「お寺に行ってみようかと思う」との返事でした。ちょうど『顕正会からの脱出』という本をいただいたのでそれを送ると、すぐお寺に来ることを決意されました。詳しくは判りませんが、生活上でいろいろと悩むことが出てきたようでした。ご主人は仕事の都合で来られませんでしたが、横田さんと子供二人は11月21日、お寺で御住職よりお話をしていただき、御授戒を受けることができました。

ご主人も、「折伏実行の年」の本年1月1日に、神戸より参詣し、無事、御授戒を受け、御本尊様を御下付戴きました。私は顕正会という邪宗の団体にいたことで高知では周りの人にすっかり信用をなくしているのですが、同じ悩みを持つ顕正会員を救うことができたことで、とても気持ちが楽になりました。

まだこ主人の妹の飯田さんは学会員でした長年疎遠だった兄妹ですが、横田さんがお店を始めたことで妹の飯田さんは従業員として働くことになり、信心の話をすると、『ニセ本尊』に変えていることが判りました。飯田さんも、無理矢理『ニセ本尊』に変えられたことなどで、学会不信になっており、すぐに脱会を決意しました。2月6日、横田さん宅の入仏式のため神戸に行った際、講頭さん夫妻、講区長さんと共に大阪に出向きました。御住職の御配慮により飯田さんと子供二人は、妙輸寺で勧誡式を受け、御本尊様を御下付戴くことができました。


このように御本尊様の不思議なお力によって、いつの間にか折伏できたので、自分でも本当に驚いています。今一番の願いは、自分の両親の折伏です。何度か話はしましたが平行線で、「もう信心しそうにないので、葬式だけ正宗でできるようにがんはろう」などと諦めていましたけれど、帰省する度に、心臓の悪い母が発作を起こしたり、もうろう意識が朦朧(もうろう)となったりする姿を見せられ、まるで早く折伏しなさいと教えていただいているようでした。

「我を生める父母等には未だ死せざる已前に此の大善を進(まい)らせん」(御書 679ページ)と仰せのごとく、もしこのまま母が死んでしまったら、後悔してもしきれないだろうと思い始め、兄弟、家族と一緒に御題目を唱え、御祈念し、必ず救っていくつもりです。

一年間いろいろな体験をさせていただき、本当に御本尊様の偉大なお力を感じるようになりました。子供に対しても優しい気持ちになれ、感情に走って叱るのではなく、なぜ悪いのかを話して叱れるようになりました。子供も怒りっぽく不安定だった気持ちがだんだんなくなり、伸び伸びと楽しそうにしています。子供は親の鏡なんだとつくづく思いました。

大聖人様は、「只南無妙法蓮華経とだにも唱へ奉らば滅せぬ罪や有るべき、来たらぬ福(さいわい)や有るべき。真実なり甚深なり、是を信受すべし」(御書 406ページ)と仰せであります。日蓮正宗に縁する以前は、御法主上人猊下を誹謗する立場にいた自分が、正しい信仰をし、このような功徳を戴けたこことを、たいへん有り難く思っています。

教学も信心も浅い自分ですが、唱題行を根本に、平成14年の30万総登山に向け、「折伏実行の年」、一人でも多くの人を救っていけるよう精一杯がんぱってまいります。



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