大白法

平成12年7月1日号


主な記事

<1〜3面>


<4〜8面>


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末寺ニュース


〇 善聴寺事務所入仏式

6月17日、広島県三次市の善聴寺事務所が落成し、その入仏式が御法主日顕上人猊下の御名代として赴かれた総監・藤本目潤御尊能化の御導師のもと、厳粛に奉修された。

これは、平成11年8月20日、同寺住職であった藤田雄運が不法な手続きのもとに離脱を表明し、同寺に蟠踞(ばんきょ)しているため、御法主上人猊下の御慈悲により、同寺信徒の依所とすべく開設されたものである。これには随行の宗務院庶務部主任・斎藤栄順御尊師、西中国布教区宗務支院長の興福寺住職・青山聴螢御尊師、副支院長の妙宝寺住職・今福永明御尊師をはじめ布教区内外の御僧侶が御出席。また西中国地方部からは本水一成地方部長をはじめとする地方部内の信徒、さらには有縁の信徒が多数参列した。

法要は午後1時に開始され、斎藤主任による御本尊御開扉、青山支院長の献膳の儀・読経・唱題と如法に執り行われた。引き続き式の部に移り、青山支院長が祝辞に立たれ、はじめに入仏式を迎えるまでの経過を報告、新住職の紹介に続いて、30万遍唱題行を原動力に僧俗一体となって折伏活動を進め、御法主上人猊下の御任命くださった住職を守り立てて、平成14年に向け、力強く前進していただきたいと念願された。

次に、善聴寺の山岡貞信総代が祝辞に立ち、講員一同が現状を正しく把握し、一人の落伍者もなく今日の日を迎えられた喜びと、新住職のもと異体同心して精進していくと決意を披瀝した。最後に、住職・及川正知御尊師より、参詣の御僧侶並びに信徒各位に対し、丁重な謝辞と、死身弘法の糟神で邁進していく旨の力強い決意が披瀝された。引き続き、本堂において記念撮影が行われ、法要の一切が滞りなく終了した。



〇 仙台市妙遍寺宗門に帰る

去る6月2日、宗門は、これまで本多遠道に不法占拠されていた法光山妙遍寺(仙台市泉区所在)を無事に奪還し、同寺は、日蓮正宗末寺としての宗教活動を再開した。

同寺住職であった本多遠道は、日蓮正宗代表役員(管長)の承認を得ることなく、勝手に不動産業者らと結託し、宗制宗規及び寺院規則に各違反して、その境内地処分と移転に着手するという重大な違法行為に及び、さらに、この違法行為に対する宗務院の命令に対して姑息な手段を弄してこれに一切従わなかった。その結果、宗門は、本多を住職罷免の懲戒処分に付すとともに、妙遍寺建物明け渡しを求める訴訟を提起した。

裁判は、一審の仙台地裁並びに、二審の仙台高裁において、宗門の完全勝訴判決が下され、さらに、最高裁もこれらの判決を踏襲し、本多の違法行為に対する宗門の厳正・的確な対処を認め、妙遍寺明け渡しを命ずる判決を下して、この判決は確定した。

また今回の判決によって、仮に宗派離脱手続きがあっても、違法行為に対する宗門の懲戒処分は有効であることが、判例の上に確立・確定した。このことは、判例として重要な意義と価値を有するものであり、現在も係属中の寺院奪還訴訟において、大きな影響を及ぼすことは明らかである。

宗門は、この勝訴が確定したことを受けて、本多から妙遍寺を奪還し、6月19日付で椎場承道御尊師が、妙遍寺住職に赴任された。妙遍寺法華講員は、今後、椎場住職のもと、心新たに30万総登山に向かって邁進していく。




南米信徒総会より


☆ 1000名が結集して南米総会

5月28日、ブラジル、リオデジャネイロ市内のホテルのコンベンションホールにおいて、ブラジルで2003年に予定されている宗旨建立750年慶祝記念総会の前哨戦ともいうべき南米総会が盛大に開催された。これには、日本から海外部主任・石田演道御尊師と宗務院書記・須藤信大御尊師が、また南米各地からは、アルゼンチン布教所責任者・井尻執道御尊師、サンパウロ一乗寺住職・尾本信志御尊師、アングラドスヘイス布教所責任者・安孫子信洋御尊師、3名の一乗寺在勤者が御出席。また、ブラジルをはじめアルゼンチン・チリ・ペルー・ウルグアイなど南米5カ国から1000名を越える信徒が集い、南米では初の合同総会となった。

広大な面積を持つ南米大陸。飛行機を利用し前日から現地入りしたメンバーや、10台以上のバスを連ねて7時間以上かけて会場に駆けつけたサンパウロからの信徒もいる。日頃は広布の舞台と組織が違うが、みるみるうちに場内のあちらこちらに交歓の渦ができた。互いに困難を克服しながら信心に励んできた同志として固く交わす握手と輝く笑顔。会場は慶祝ムードに包まれていった。

総会は午前11時より、読経・唱題に引き続き、安孫子御尊師によるポルトガル語の力強い開会宣言で幕を明けた。冒頭、次の決意表明が読み上げられた。

一、宗旨建立750年の2002年までに、各個人が折伏誓願目標を完遂しよう。
二、南米に新たな寺院の建立を目指そう。
三、生活のあらゆる面で、信心を基本に頑張ろう。
四、常に慢心を排し、正しい信仰を心がけよう。

この4項目が満場一致の大きな拍手で採択された。

このあと各国代表による決意発表と体験発表が続いた。どの発表からも、南米広布にかける並々ならぬ決意、また実体験をもとに偉大な功徳の実証がうかがわれた。

次いで登壇された石田御尊師は、まず日本での宗旨建立750年慶祝関連事業の進捗状況を報告。さらに南米広布の現況と今後の異体同心の信心について力説された。須藤御尊師の挨拶に続き、井尻御尊師が指導に立ち、未曽有の大変化を続ける時代に正法に巡り値った真の意味を噛みしめ、今こそ大きく境涯を開く重要な時であることを自覚するよう強く訴えた。次に尾本御尊師が挨拶に立たれ、信徒のこれまでの艱難辛苦を賛嘆し、今後さらに、忍難弘教で南米全土を浄化せんとの大志を立てて勇猛精進するよう訴えられた。

ここで参加人数が1000名を越えていることが発表されると、場内には大きな拍手と歓声が起こった。総会は第2部に移り、数々の趣向を凝らしたアトラクションが技露された。舞踊、独唱、またポルトガル語での「広布に生きる」の合唱と、この日のために練習してきた成果を存分に発揮した。爽やかな演技の連続に、会場は大いに沸いた興奮覚めやらぬまま、午後2時過ぎに、南米初の大総会は幕を閉じた。

大成功に終わり、宗旨建立750年に向けて確かな手応えを感じた今総会を期に、南米各国の僧俗は一属連携を図りながら、広大な大陸を舞台として力強く広布に邁進していくであろう。



☆ メッセージ 海外部長 尾林広徳御尊師

このたび、宗祖日蓮大聖人の宗旨建立750年の大佳節を前にして、南アメリカ各国の日蓮正宗信徒がリオデジャネイロに結集してプレ総会を開催され、まことにおめでとうこざいます。世界に先駆けてブラジル・アルゼンチン・チリ・ペルー・パラグアイ・ウルグアイをはじめ、南アメリカ各国の御信徒が一同に会し、日蓮大聖人への御報恩のために、南アメリカ各国の広宣流布のために、お互いの信心の向上と人材の育成のために、異体同心の絆を深め合うことは、まことに意義深い盛儀であると存じます。皆様、大変にこくろうさまです。また、本日の盛会を心よりお喜び申し上げます。

御承知のように日蓮大聖人の教えは、日蓮大聖人が久遠元初の御本仏として一切の諸法の根元の大法をお悟りになり、その因果倶時の不思議の一法を南無妙法蓮華経と名づけられたように、久遠元初の仏のお悟りに基づく宗旨であります。また、末法万年の一切の人々への折伏と救済を目標とした広宣流布のための宗旨であります。

「本門戒壇の大御本尊」は、まさに世界の広宣流布を大眼目として、閻浮提の人々のために留め置かれた大御本尊であります。「本門の題目」は末法万年の人々の盲目を救い、万代万年の人々を救う正行の題目であります。「本門の戒壇」もまた世界の広宣流布の暁に建立され、公開される大殿堂であります。日蓮大聖人は、末法万年の人々の成仏と幸せと、真の仏国土建設のために三大秘法を建てられたのです。

これほどの大構想と大確信と大慈悲をもって開かれた宗旨は、世界の何処を探してもありません。皆様は、どうかこの日蓮大聖人の一閻浮提第一の御本尊のもとに、一閻浮提第一の尊い信仰を貫くものだ、という誇りと確信をもって、どうかお一人おひとりが自らの折伏弘通の目標を達成して、信心の感動を味わい、福徳を掴み取っていただきたいと存じます。

南アメリカ各国の平和と広宣流布の前進と皆様方の御多幸を遥かにお祈り申し上げ、メッセージとさせていただきます。



☆ 体験発表 アングラ・ドス・ヘイス布教所信徒 マリア・コンセイソン・R・ライデル

私は1979年に、主人に誘われて日蓮正宗の内徳信仰を始めました。当時はイパチンガという所に住んでいました。私はカトリックの家に生まれたために、最初に仏法の話を聞いたときは強く抵抗しました。しかし、仏典を読むうちに納得して、主人やメンパーの誘いを受けて会合に参加するようになりました。

経験ある先輩に激励されて、私自身の宿命転換への挑戦をはじめました。徐々にではありますが、自分が確実に変化していくのに気がつきました。キリスト教を信仰していた当時、神父たちは、宿業、因果の法則については信徒には伝えなかったので、これらはすべてが奇妙であって、理解することができなかったことです。

初信の頃は、自分自身の目的達成と幸福を願って、目先の問題を解決しようとしました。最初の目標は、子供の勉学の便宜上、当時住んでいた地域から出ることでした。しかし、主人は、静かな場所だし自分の仕事にも都合がよいので、転居には反対でした。それで私は、暇のある限り信心に没頭し、8月から12月まで100時間の唱題をすると決意し、生活の中では転居のことにふれるのはやめました。私は、学校で一日教鞭をとり、夜も教えることがあったので、昼食、夕食の時間と週末を利用して唱題しました。

10月の中頃、43時間目になったときに、主人が「会社の都合で別の区域に転任するよう誘いを受けた」と言ったので、私は小躍りして喜びましたが、顔には出しませんでした。主人は、「おまえが子供の学校のためにカリルーへ行きたいと言っていたから、会社に転任できるよう頼んでみる」と言ってくれました。1979年11月18日、私たち一家は、私が行きたいと思っていた場所に転居しました。これが「祈りの叶わない事はない」ことの最初の実証でした。

しかし、私の知らなかったことは、初信の闘争が大きければ、罪障消滅のため障害も大きく起こってくるということです。入信2年目の5月に、主人が腎臓障害で亡くなりました。大変ショックでした。主人は大柄で体力もあり、年齢もわずか41歳でした。急に私は、8歳になるクリスチアネ、5歳のシンチア、4歳のカリナの、3人の小さな子を抱え一人で育てていくこととなってしまいました。その頃、ある事業に投資しようと2軒の銀行から借金をしたばかりでした。しかし私は打ち続くショックにも動揺しませんでした。

幹部の助言もあり、3人の子をすべての活動に連れて歩きました。周囲の人が、何かあれば協力してあげよう、と話し合ってくれていることも耳にしました。そこで機会ある毎に、仏法の話をしました。私が仏教を信仰していることを知ってもらえるようにと努力し、掛け持ちで教鞭をとる3校で、同僚に「南無妙法蓮華経」を教えました。

月に1度私を訪ねてくる人と、1日に2時間の唱題を目標に実践しました。5年問、第1土曜日に唱題会を実践して、自分が習ったことを伝え、11人の折伏ができました。時は過ぎ、子供たちは成長して、私と一緒に信心をするようになりました。多くの障害、とくに財政面の難にもあいました。主人亡き後、社宅を出なければならず家賃を払う境遇となりました。また主人の年金は僅少でした。

しかし、子供にはよい教育を受けさせたいと思い、3部制で授業を受け持ち、食事をする暇もないほどでした。そんな中で私が決意したことは、何事も御本尊様第一、その他は二の次ということでした。

子供たちはベロ・オリゾンテの大学に行き、2人が卒業して働いています。クリスチアネは法科、カリナは公共経営科です。3番目のシンチアはバレリーナで、ダンスの先生もしています。今年彼女はビジュアル・ブログラミング科を卒業します。

私にとって一番大事なことは、子供たちに御本尊様への信仰を伝えたことであり、それが私の一番の幸せです。皆さんに、がんはった甲斐があった、とお伝えしたいと思います。私は勉強が好きで、1989年に学校の数学の教師を定年退職してから、友人のアドバイスでゴヴェルナドル・ヴァラダレス市の法科大学に入学して5年間、週3回通いました。家を夕方5時に出て帰るのは午前1時、翌朝は6時に起きて朝の勤行をし、仕事に出かけました。1993年に54歳で大学を卒業しました。すべては正法のお力のお陰です。

1996年に市役所の学校調整員職を定年退職して、1998年4月にベロ・オリゾンテ市の現在の家に転居しました。その地域で、日蓮大聖人の正しい仏法を弘教するため、微力ながらお手伝いさせていただいています。正法を信仰するということは、ただ単に信じることではなく、強い決意と勇気が必要です。それは日々の勤行と唱題、並びに折伏をしようとの心構えで成就できます。

私は今年61歳ですが、たゆまぬ活動及び努力で、生命力を得ていつも活発に動いております。1999年に勉学を再び始めました。1週に1回、英語、発声技術、演劇を勉強し、学校のコーラス部員でもあります。私の本当の目的は、学校関係の人たちを折伏することです。自分は偶然にそこにいるのではない、地涌の菩薩の使命を果たすためだと思っています。

2002年の総本山への登山およぴ30万の目標達成をめざして、さらなる活動に帽進し、必ず総本山へ一緒に行きましょう。



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