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6月24日、神奈川県大和市の大円寺事務所が落成し、その入仏式が、御法主日顕上人猊下の御名代として赴かれた総監・藤本日潤御尊能化の御導師のもと、厳粛に奉修された。
これは、平成11年9月9日、同寺住職であった佐藤伴道が不法な手続きのもとに離脱を表明し、同寺に蟠踞しているため、御法主上人猊下の御慈悲により、同寺信徒の依所とすべく開設されたものである。
これには、随行の宗務院庶務部主任・斎藤栄順御尊師、宗会議長で神奈川布教区宗務支院長の護国寺住職・土居崎慈成御尊師、副支院長の久遠寺住職・木村真昭御尊師をはじめ布教区内外の御僧侶が御出席。また神奈川地方部からは関野洋夫地方部長をはじめ寿照寺支部の信徒代表、大円寺支部の信徒が多数参列した。
法要は午後1時に開始され、斎藤主任による御本尊御開扉、土居崎支院長の献膳の儀・読経・唱題と如法に執り行われた。引き続き式の部に移り、土居崎支院長が祝辞に立たれ、はじめに入仏式を迎えるまでの経過を報告、新住職の紹介に続いて、平成14年の大慶事に向けて信心の金字塔を打ち建て、大円寺の早期奪還を目指し、御法主日顕上人猊下の御指南を信心の根本として、新住職の御指導のもと大円寺支部発展のためにいよいよ精進していただきたいと念願された。
次に、大円寺の柴田勝重総代が祝辞に立ち、このたびの入仏式を契機に、新住職の御指導を受けきり、大円寺事務所をしっかり外護申し上げ、講頭を中心に異体同心の団結をもって、平成14年・宗旨建立750年の大佳節に向かって唱題根本に精進していくと決意を披瀝された。
最後に、住職・野村雄宏御尊師より、藤本総監をはじめ出席の御僧侶並びに参詣の信徒各位に対し、丁重な謝辞と、30万総登山に向けて死身弘法の精神をもって邁進していく旨の力強い決意が披瀝された。引き続き、本堂において記念撮影が行われ、法要の一切が滞りなく終了した。
この「立正安国」とは、『立正安国論』一編の内容と目的とを端的に表現された語で、「立正」とは、正しい仏法を立てることをいい、「安国」とは、国を安んずることをいいます。
総本山第26世日寛上人は『安国論愚記』において『立正安国論』の破折の対象が、一往、付文の辺は法然の浄土宗にあるが、再往、元意の辺は諸宗に通ずることを明かされています。すなわち「立正」には必然的に「破邪」の意味が含まれていることを、「当に知るべし、立正とは破邪に対するの言なり、正直捨方便は邪を破するなり。但説無上道は正を立つるなり」(日寛上人文段集7ページ)と仰せられ、正法を立てるとき(立正)には、必ず邪教に対する破折(破邪)が伴うことを御教示されています。
このような邪義・謗法を破して立てられる正法とほ、『立正安国論』では、浄土宗に対する権実相対によって、法華経を指して正法とされています。しかし再往、後の『開目抄』『観心本尊抄』『三大秘法抄』等に示される大聖人の御本意から立ち返って拝するならは、法華経の中にもさらに本迹相対・種脱相対して、文底下種の本門・三大秘法こそが、末法に立てられるべき唯一の正法に当たるのです。
したがって本迹相対・種脱相対を知らず、天台の迹門や文上脱益の法華経を正法と立てることは、大聖人の御本意の「立正」とはなりません。日寛上人は、「立正の両字は三箇の秘法を含むなり」(同8ページ)と仰せられ、「立正」の二字に三大秘法を含むことを、字義的な面から次のように釈されています。
本門の本尊について、「本門の本尊に約せば、正とは妙なり、妙とは正なり。故に什師は妙法華経と名づけ、法護は正法華経と名づくるなり。況(いわん)や天台は三千を以て妙境と名づけ、妙楽は妙境を以てまた正境と名づけんをや。故に正は即ち妙なり。妙とは妙法蓮華経なり。妙法蓮華経とは即ち本門の本尊なり」(同)とあり、
次に本門の題目について、「本門の題目に約せば、謂く、題目に信行の二意を具す。行の始めはこれ信心なり、信心の終りはこれ行なり。既に正境に縁する故に信心即ち正なり。信心正なる故にその行即ち正なり。故に題目の修行を名づけて正と勅すなり」(同9ページ)とあり、
本門の戒壇については、「本門の戒壇に約せば、凡(およ)そ正とは一の止まる所なり、故に一止に从(いたがう)な。一は謂く、本門の本尊なり。これ則ち閻浮第一の本尊なるが故なり(乃至)またこれ一大事の秘法なるが故なり。(乃至)故に本尊を以て一と名づくる者なり。止はこれ止住の義なり。既にこれ本尊止住の処なり。豈本門の戒壇に非ずや。立とは戒壇を立つるなり」(同)と示されています。
すなわち大聖人が『立正安国論』に、「汝早く信仰の寸心を改めて速やかに実乗の一善に帰せよ。然れば則ち三界は皆仏国なり」(御書250ページ)と仰せの「実乗の一善」とは、三大秘法総在の「本門の本尊」を指していることは明白であり、「立正」の本意もここにあるのです。
次に「安国」とは、立正によって顕現する果報、すなわち三大秘法の正法を広宣流布することにより、国土が安穏になることをいいます。その「国」とは、日本一国のみを指すのではなく、日寛上人が、「文は機日本及び現世に在り、意は閻浮及び未来に通ずべし」(日寛上人文段集 8ページ)と示されているように、『立正安国論』は一往は鎌倉時代の日本の国を諌めるために著されたものですが、再往、そこに示された内容は普遍的に全世界及び未来に通ずることをいわれたものなのです。
また御法主日顕上人猊下は「国」の字について、「大聖人の広布に関する御本意は、立正安国論の御真蹟中『くに』の文字において、口がまえの中に玉、または或字を書き給うは、わずかに15字であるに対し、口がまえの中に民の字を書き給うは実に50数字にわたることにおいて、民衆中心、民衆による仏法弘通の通の御意が拝されるのであります」(大白法293号)と御教示されています。
すなわち『立正安国論』は国主諌暁の書であり、その意義や方法は時代と共に変化するとはいえ、正法を立てて国家社会乃至世界の安寧とする立正安国の実践に進むべきことは、民衆を中心とする我々門下に託された一日も忘れてはならないことと拝することが大切なのです。
「立正」が「安国」の根本条件であるとともに、私たちは正しい信心によってこそ、人間の生命が浄化され、それがひいては社会の平和・繁栄がもたらされる要因であることを知らなければなりません。
大聖人の御生涯は、「『立正安国論』に始まり『立正安国論』に終わる」と言われます。それは邪義を峻別し、正義を顕正して修行していくところに、はじめて真の成仏の道があることを、大聖人の仏法の出発点とし、終着点とするからです。
大聖人は『立正安国論』に、「唯我が信ずるのみに非ず、又他の誤りをも誡めんのみ」(御書 250ページ)と示されています。私たちは平成14年を目指して、仏恩報謝のために一人でも多くの人を折伏し、30万総登山の大成功を期して、真の「立正安国」を実現していきましょう。
日蓮大聖人は文応元(1260)年7月16日、時の最高権力者であった北条時頼に対して『立正安国論』を提出し、当時頻繁に起きていた災難の根本原因が謗法にあることを明らかにし、正法に帰依することによって、平和な国土の実現が可能であることを御教示されました。