大白法

平成12年8月16日号


主な記事

<1〜5面>

<6〜8面>


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第10回少年部大会

法華講連合会第6回全国鼓笛隊コンクール(合宿)は、7月28日から30日に、全国23地方部・25チームの鼓笛隊員1020余名と、連合会ブラスバンド、付き添い等の330余名が参加して行われた。また、少年部合宿は、7月29日から30日に、全国の少年部員590名と付き添いの380余名が参加した。

鼓笛コンクール


〇体験発表 延寿寺支部3年 橋田佳奈

今年の2月28日学校から帰るとちゅう、交通じこにあいました。家の近くの、おしボタンのある、おうだんほどうで、車にはねられました。わたしは、おしボタンをおしてわたって行ったのですが、車は、赤のしんごうに気がつかず、わたしにぶつかったそうです。わたしは、きゅうきゅう車にのるのが、はじめてでした。でも、ぜんぜんおほえていません。

気がついた時は、ベットの上でしたてんてきのちゅうしゃのはりが、なかなかはいらなくて、「いたい」と、言ったことや、顔のきずの手あてを、してもらったことを、お母さんに聞きましたが、何にもおほえていません。気がついたら、お母さんと、お父さんや、親せきのおじちゃんや、おばちゃんが、きていました。心ぱいしている顔でした。小学校のたんにんの先生もきてくれていました。

今度、目をさました時は、つぎの日の朝でした。おなかと、せ中が、いたかったです。朝、おなかをちょうおんぱ(超音波)さつえいするために、車いすにはじめてのせてもらって、さつえいするへやに行きました。けっかは、かんぞうに黒いかげがあるけれども、時間がたてば、なおるということでした。びょう室に帰って、お母さんと、きのうのことを話しました。

わたしに、ぶつかった車は、けい四トラックで、わたしの体がぶつかった所がへこんで、頭がぶつかったフロントガラスが、われていたそうです。お父さんと、お母さんがじこのことを聞いて、すぐ来てくれて、目はあいているけれど、白目になっていて、口からよだれを出して、何度も名前をよんだけれども、へんじをしなかったということです。

顔の右半分が、はれて青くなっていました右の目じりから、右の耳まで、黒い二本の線がついていて、ワイパーのゴムのあとだとわかりました。「ふーん」と、言って聞きました。そして、「きのう、ごじゅうしょく様が、きてくれたことを、おぼえちゅうかね」と、お母さんが言いました。わたしは、「おぼえちゅうよ」と、答えました。

「てんじゅうきょうじゅ(転重軽受)って、お話してくれたろう。かなが生まれる前に、ほとけ様とやくそくを、しちゅうことがあるがやと。かなが生まれたら、びょうきもします。けがもします。じこにもあうよって。けんど、かながごん行して、お題目をいっぱいあげたら、びょうきもすぐなおるし、大きなけがもせんように、守ってあげるという、やくそくをしちゅうがよね。かなが、お寺へ行って、一時問のお題目をあげたり、たいこをたたいたりしてがんはっていたから、、ごほんぞん様が、守ってくれたがよね。これからも、ちゃんとごん行して、お題目をあげようね」と、話してくれました。

そして、「これで、かなは、2回もたすけられたね」と、言いました1回目は、わたしがお母さんのおなかの中にいる時に、死にそうになったけれど、ぶじに生まれてきたことで、その時は、お母さんが一しょうけんめいお題目をあげたそうです。「お題目ってすごいな〜」と、思いました。わたしも元気になったら、お題目をあげようと思いした。

だんだん、せ中やかたがうんといたくなってきました。だぼく(打撲)したところだそうです。歩けるようになってきましたが、歩くとおなかがいたかったです。お母さんが「いたかったら、お題目をあげてごらん」と、言ってくれたので、お題目をあげました。ベットの上で、ごん行もしました。ご本ぞん様がないので、へんな気持ちがしました。でも、まどから見えるビルや空を見ながらしました。早く学校に行きたかったです。

6日目にたいいんができました。とってもうれしかったです。すぐに学校に行けると思ったけれども、行けませんでした。まだ歩いたらおなかがいたかったし、ランドセルをせおったら、かたと、せ中が、いたかったからです。2週間、学校を休みました。その問にお寺でお題目ひょうをもらいました。お父さんと、お母さんと相談して、わたしは1日10分問お題目をあげることにきめました。10分間お題目をあげたら、一つずつますをぬっていきました。お寺の唱題会に行ったら、いっぱいぬれるので、うれしいです。

まい日のごん行の時、おねがいしていることが三つあります。一つ目は、4才からやっている、きかい体そうがもっと上手になるように。二つ目は、こういしょう(後遺症)がのこらないように。三つ目は、山田のおじいちゃんと、おばあちゃんと一しょに、大石寺に行けるようにです。わたしは、お山に行くのが大すきです。

4月29日に、お母さんと、おれいと山に行ってきました。いつもはバスで行くけど、はじめて、しんかん線にのって行きました。わたしは、しんかん線にのるのがはじめてでした。いつも行くバスのと山も、サービスエリアにいっぱい止まるから楽しいけれど、しんかん線も楽しかったです。しんかん線は、すごく速くてビックリしました。

このと山は、てんしょと山と言うそうです。いつものと山とちがって、外国の人にたくさんあってとてもびっくりしました。外国の人も、ちゃんとおきょうを読んで、お題目をあげているのにも、びっくりしました。日本語がわからない人も、お題目をあげるのがすごいと思いました。

それと、大ご本ぞん様のすごく近いところで、ごかいひがうけられて、よかったと思いました。守っていただいたおれいと、三つのおねがいもきちんとごきねんしました。

そして、お兄ちゃんといっしょにこてきと山にさんかしました。四国地方部のこてきたいのなかまにはいって、楽しく練習しました。

これからも、いっぱいお題目をあげて、やさしくて、がんばれる人になりたいです。大きくなったら、ご本ぞん様の正しいことをいっぱいお話します。


少年部大会


〇体験発表 延寿寺支部6年 能登千尋

私は、幼稚園の年長の時から毎年、少年部大会へ参加させて頂いています。富士宮地方部なのですが、埼玉に住んでいるためなかなか行事等に参加させてい頂くことができません。なのでこの少年部大会は、かかさず参加させて頂いています。

今年は少年部最後の年なので、今までの少年部大会の思い出を書いてみたらどうかと、原田御住職様に勧められて書くことにしました。初めての少年部大会の記憶は、はっきりしていません。でも、一つだけ、憶えていることがあります。それは柳沢委員長の御言葉です。毎年必ずおっしゃるのですが、幼稚園児だった私にも分かったことは、「親や他人に何か言われたら、必ず返事をしなさい。最近の子は返事をしない子が多い。だから、返事をする子供になりなさい」という御言葉です。

私はこの言葉を毎年聞く度に、ドキッとします。なぜなら、私は返事をしなかったり、人の目を見ないで返事をすることがあるからです。その態度を注意される度に、柳沢委員長のこの御言葉を思い出し、次はきちんとしようと思うのです。6年生になった今は、人の目を見て返事をするように心がけています。

私は、2年生の時、少年部大会の中で、体験発表をさせて頂きました。その年は、広布坊の出来た年で、初めてたくさんの人の前で発表させて頂きました。大きな坊での発表に心臓が破裂しそうな思いでした。自分の信心への気持ち、これからの信心への心構えを発表させて頂きました。このことは一生忘れられない体験となりました。


次に、昨年私の周りでおきたことについてお話させて頂きます。私の通っている小学校は、5年生への進級でクラス替えがあり、新しく4人でグループになりました。その中の一人は、1・2年で同じクラスだったとても仲が良かった子です。あとの2人は、5年生になってから親しくなりました。

初めのうちは、話をしていても遊んでいても楽しくて友達になれて良かったと思っていました。しかし、私と一番親しい子を2人がいじめ始めたのです。私も初めは、悪口を聞いていました。心ではいけないことだと分かっていても、つい自分のことではないので注意もしませんでした。そればかりか私も仲間外れにされるのが怖くてズルズルと一緒にいたのです。

でも次第に「こんなことをしていていいのだろうか」と思うようになりました。けれども、2人のその子に対するいじ悪は、日増しにひどくなるはかりです。ある日、とうとう2人に注意をしました。とても勇気がいりましたが、言えてよかったと思いました。しかし、今度は、そのいじ悪が私の方へ向かってきたのです。そして、いじめていた子を仲間に入れて3対1になりました。

その子も、初めのうちは私と同じように2人に気を使って一緒に行動をしていましたが、やがて私をかばってくれるようになりました。2人に無視しようと言われても、私といてくれました。けれども、残る2人のいじ悪は続きました。私のさわった物はさわらない方がいいとか、私だけをおいてにげたりとか、身体のなおせないことをかげでこそこそと悪口を言うのです。そしてそのことを他の友達にもひろめていくのです。

私は、「なぜそんなことをするのだろうか。私は嫌われている。どうしよう」と思い、毎日つらい日が続きました。この頃から母は、私の様子がおかしいことに気づいていたようでしたが、私は誰にも相談できずに一人でなやんでいました。


そんな日が続いたある日、自分では解決できないと思い、母に打ち明けると、「そんな弱気じゃだめ、自分に自信を持ちなさい。あなたは何のために信心しているの」と、なぐさめられるどころか、反対にしっかりしなさいと言われました。

私も、「そうだ、こういう時だからこそ御本尊様にしっかり祈っていこう」と思いました。そして、「どうかこの状況から抜け出させて下さい」と真剣に唱題を重ねました。

唱題をする前の自分は、気持ちを落ち着かせて考えることができず、原因を見つめることもしませんでした。他人に振り回され、何のために信心をしているのかも忘れていました。しかし唱題することにより、「そんなことでくよくよしてはいけない。もっとしっかりしよう」と思いました。

後で分かったのですが、私をいじめてた子の一人は創価学会に入っていました。そして母に、「その子が創価学会をやめて、法華講に入れるように、御本尊様に祈っていきましょう」と言われました。私は、日蓮正宗は自分のことだけでなく他人のことも考えていける、素晴らしい信心だと知りました

また父にも、「その子を恨んではいけない。あなたにその子が教えてくれているんだと思いなさい。原因があって結果があるのだから、良い原因をつくっていきなさい」と言われました。すると、相手を思いやることができるようになりました。心から御本尊様に感謝しています。

今年は、2年おきのクラス替えが、毎年行われることになり、その2人とはクラスが別になりました。新しい組では、友達も増え毎日楽しく過ごしています。


話は変わりますが、私は今年、同じ年のいどこと夏期講習会に参加させて頂きました。初めての参加でしたので何も分からずについて行きました。小学校の授業とちがい、時間が長くて、少しつらかったです。とくに、勤行、タ食後の3時限目は、眠気と疲れで気がゆるみそうになりましたが、御講議の時は気がひきしまり無事終了しました。この日はうし寅勤行にも、参加させて頂きました。

2日目の猊下様の御講議は、難しい事ばかりでしたが、心に残る御言葉がありました。それは、「悪口は絶対にいけません」という御言葉です。1年前の事を思い出し、改めて言葉の大切さを感じました。夏期講習会へ参加させて頂き、本当に良かったです。そして御本尊様の素晴らしさを、一人でも多くの人に話していきたいと思いました。

私には小学2年生の妹がいます。宗旨建立750年に向けて、朝晩の勤行、唱題を一緒に行っています。父と母と一家4人で30万総登山に必ず参加させて頂けるよう、御祈念していきたいと思います。

最後になりますが、今まで少年部大会へ参加させて頂き本当に良かったと思います。それはたくさんの小学生が全国でがんはっていることを教えられるし、何より御本尊様の素晴らしさを深く知ることができるからです。




中華民国法華講第一回総会


7月22日、中華民国台北市の本興院において、このほど新設された客殿の板御本尊入仏法要が盛大に行われた。これには日本から海外部長・尾林広徳御尊師、海外部主任・石橋頂道御尊師、宗務院書記・佐藤信俊御尊師が御出席。また同国内から南台布教所責任者・堀田信宣御尊師、中台布教所責任者・長沢正奏御尊師等が御出席され、所属信徒の代表約500名が参列した。

法要は午後2時より、尾林海外部長の御導師のもと、献膳、読経、唱題と厳粛に奉修された。次いで、講頭・林徳晃氏の経過報告、尾林海外部長の祝辞、本興院主管・黒沢糾道御尊師の挨拶と続き、最後に記念撮影が行われ、午後3時過ぎ、法要の一切が滞りなく終了した。新設された客殿の広さは約22坪で、150名余りを収容でき、婚礼などの儀式や会議等、多角的に活用される予定である。


また、翌23日には、台北市と台中市の中間に位置する新竹市内の新竹市体育館を会場に、中華民国日蓮正宗法華講第一回総会が開催された。これには前日からの尾林海外部長ほか一行に加え、日本から最勝寺住職・佐藤泰蓮御尊師、竜眼寺住職・木村滋道御尊師、総本山大石寺塔中・本住坊住職・秋元意道御尊師、また近隣のアジア諸国からもマレーシア布教所責任者・岩城信統御尊師、シンガポール事務所内・桐越正忠御尊師が御出席。また中華民国全土から約5,000名の信徒が参加した。

台湾総会


開式の辞に引き続き、黒沢主管の御導師のもと、献膳、読経、唱題と奉修された。続いて式の部に移り、はじめに副講頭・許童榮氏の経過報告、来賓紹介、さらにこの日のために御法主上人猊下から御染筆賜った「正道」の色紙が披露された。

次に、尾林海外部長が挨拶に立たれ、「法華講員としての信心は、第一に、勤行・唱題によって自らが福徳を積むこと。第二に、身の周りの人々へ妙法の種を施し、折伏教化の実践を図っていくこと。第三には、御講などの寺院行事への参詣と総本山への登山である。一人ひとりがこれらの実践によって一家の広宣流布を果たしつつ、法華講を支えていっていただきたい」(趣意)と述べられた。

小憩の後、アトラクションの部に移り、国内の全8本部・少年部・青年部・合唱団が、それぞれ歌・踊り・演劇等を披露した。フィナーレは北京語で「地涌讃徳」を大合唱し締め括られた。最後に、黒沢主管が挨拶を述べ、午後4時過ぎ、総会の一切は大成功裡に終了した。

中華民国においては、2年前に法華講本興院支部結成式が約4,200名の大結集をもって行われた。その後、高雄市と台中市に順次布教所が開設され、着実に躍進を遂げてきた。またこの間、各種研修会も次々と行われ、「真の法華講精神の確立」をスローガンに、組織の充実と人材の育成にも力を注いできた。

その結果、結成当初6,800百名ほどであった信徒数は、2年後の今日では1万名を越えるほどになっている。今回の総会は、このような大前進の流れの中で行われ、来たるべき平成14年・宗旨建立750年に向けて一層の飛躍を図る重要なステップとなった。



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