大白法

平成12年10月1日号


主な記事

<1〜4面>


<5〜8面>


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法華講連合会理事会
御宗門の方針発表−来年は『誓願貫徹の年』


9月15日午後0時10分より、法華講連合会理事会が、東京・吾妻橋の法華講富士会館で行われた。これには柳沢委員長、石毛副委員長をはじめ、理事である26地方部の地方部長が出席。また、幹事の連合会各部長も委員長の招請により出席した。

理事会に先立ち、柳沢委員長と共に読経・唱題した後、はじめに委員長から挨拶があった。次いで連合会規約に基づき、委員長が議長となり議案の審議に入った。議案は、

右各議案について順次審議し、すべての議案について承認し、可決決定した。この中で平成13年度の方針について、去る8月16日、御宗門より「誓願貫徹の年」とする発表があった旨の説明があり、実践項目は別掲のことぐ決定した。


  1. 宗旨建立750年慶祝記念事業貫徹の御祈念
  2. 僧俗一致で、折伏誓願目標の貫徹
  3. 全国一丸で、30万総登山の啓蒙・推進
  4. 家庭訪問で、御講参詣の啓蒙と育成の徹底
  5. 日々の積み立てで、奉安堂建設御供養


【第38回総会】は、【春季総登山会】の第2日目の3月25日(日)午前10時から総本山広布坊、他4つの会場において開催することとなった。【平成13年度鼓笛隊コンクール合宿】並びに【少年部夏期合宿】についても、例年通り7月末に行われる。平成13年度【第7回夏期講習会登山】及び年間登山の日程は、別面に掲載。

また、その他の事項として、

@平成12年度第6回夏期講習会登山初級及び一般実績数について
A折伏成果の状況と完遂について
B第2回奉安堂建設御供養の推進について
C地方部年間行事計画の提出について

等、説明があった。特に、本年の折伏警願目標の完遂に向かっては、折伏進捗の厳しい現状をふまえつつ、本年の残りの3カ月間をどのように闘っていくかについて、具体的な取り組みが話された。この中で、委員長は、何としても誓願を達成していくぞとの固い決意を促し、本年こそ、全国各支部がそれぞれ立てた誓願目標を完遂すべく、全国が一丸となって闘っていくことを確認した。以上、議案及びその他の事項のすべてが終了し、午後2時、理事会は終了した。



御書解説 『法門申さるべき様の事』


(1)御述作の由来

本抄は、御執筆年次が明記されていませんが、文永七(1270)年12月、大聖人様が48歳の御時、鎌倉で認められ、京都に遊学中の三位房日行に与えらられた書です。御真筆は、千葉県市川市の中山法華経寺に現存しています。

三位房は、三位公・三位殿とも言われ、生没年は不明ですが下総国(千葉県)の出身で、早くから大聖人様の弟子に加えられ、日興上人の冨士弘教の補佐や、諸宗とのの問答を命じられるなど、活躍が目立ちました。『頼基陳情』には、建治三(1277)年6月9日、鎌倉桑ケ谷で説法していた天台僧・竜象房と問答し、完膚なきまでに論破した様子が述べられています。居合わせた聴衆は大いに歓喜し、三位房に説法を請うほどだったと言われています。

しかし才知におぼれ、慢心を起こす傾向があり、大聖人様の御指南に背くことも重なって弘安二(1279)年に起きた熱原法難の頃に退転し、不慮の死を遂げたと推定されています。


(2)本抄の大意

はじめに当時、隆盛を誇っていた浄土宗の破折の方法について述べられます。一代聖教には、大別して方便と真実の二種があることを明らかにした上で、浄土宗の依経である三部経(無量寿経・観無量寿経・阿弥陀経)をはじめ、諸宗が依経とする経教は、釈尊が一時的、部分的に説かれた「当分」の経典であり、すべて、「四十余年未顕真実」(法華経23ページ)と言われる方便に属する経典であることがら、正直これを捨てて、「要当説真実」(同93ページ)の法華経につくべきであると主張するよう述べられます。

法論に当たっては、あくまで依法不依人の立場から、仏説に準じて衆生有縁の主師親であり、一代聖教の実語は法華経一部に限り、釈尊の真意を説いた法華経を信受することが仏法中の孝であることを明かして、念仏を破折するよう御教示されています。

さらに大聖人様は、三位房が京部のある公家の持仏堂で法門について講説し、面目をほどこしたと報告したことに対して、一閻浮提第一の法門を受持する大聖人様の弟子としての姿勢の在り方を厳しく御指南されています。

次いで、真言の邪義を取り入れて権実雑乱に陥っている比叡山天台宗を破折されています。念仏・禅等の諸宗を認め、それらを取り入れて大謗法に陥っている比叡山は、やがて日本国の滅亡を招くと憂えられ、元冠による国難を救い得るのは大聖人御一人のみであると、立正による安国の急務なることを強調されています。


(3)拝読のポイント☆=念仏信仰の破折

第一は、浄土宗の破折の方法について述べられていることです。法然の『選択集』についての破折はひとまずさしおき、釈尊が一切衆生にとって主師親の仏であることを説かれている法華経『譬喩品』の、「今此の三界は皆是れ我が有なり。其の中の衆生悉く是れ吾が子なり。而も今此の処諸の患難多し。唯我一人のみ能(よ)く救護を為す」(同168ページ)の文を示して、このことを相手に認めさせるべきことを教えられています。つまり、この娑婆世界の衆生にとっては、有縁の仏は釈尊であって西方十万億土の極楽世界の阿弥陀如来は、娑婆世界の衆生にとっては無縁の仏であるということです

なお、釈尊を主師親三徳の仏と立てられたのは、当時流行していた阿弥陀信仰を破折するために、権実相対の上からあえて仏教の開祖たる釈尊を立て、釈尊に帰依すべきことを説かれたのです。しかるに末法の一切衆生にとっての、主師親の三徳を具備された仏とは、大聖人様御自身であられるのであり、このことを考慮に入れて拝していかなければなりません。

その上で、方便に属する経典を捨て、真実の教えである法華経に移るべきであると申すように仰せです。もしも法華経を用いずに権教を用いた場合、仮に法華経を直接謗るような言動がなくても仏の心に背いているのであり、法華経を信受しない人々は仏法の中では第一の不孝の者であると仰せられ、国難が起ることは不孝誹謗によるところのものであると断じられています。


(4)拝読のポイント☆☆=妙法を受持する者としての誇りと自覚

第二は、大聖人様が、三位房の世俗的なら権威に媚び諂(こびへつら)う虚栄と慢心の姿を、厳しく指摘されていることです。三位房からの文面に接し、公家に召され、法門を講じたことで称賛を浴び、得意気になって夢見心地になり、「ことはつき・音なんど京なめりにな」るなど、表面ばかり取り繕うことに腐心し、自らを失っていく三位房の心理の奥底を見てとられ、大聖人様の弟子として一閻浮提で最高最勝の大法である妙法を受持する者としての見識と誇り、自覚のなさを殊の外、残念がられています。

大聖人様は、妙法を受持する者の立場について、「説ひ等覚の菩薩なりとも何とかをもうべき」と、仏の位と等しい等覚の大菩薩、また釈尊の領地を預かる梵天・帝釈さえ問題にしないほど高い位であるとされ、妙法受持の位がいかに尊貴なものであるかを御教示されています。

しかるに日本国は、月氏・漢土の大国・おき中国にも及ばぬ島国であり、その島国の長に仕える公家に厚遇されたことに対して「面目をほどこした」と喜んでいるとは何事かと、自らの立場を忘却して社会的名誉を第一とする三位房の姿勢を、大聖人様は、「かたがたせん(詮)ずるところ、日蓮をいやしみてか(書)けるか」と厳しく叱責されているのです。

今日にあっても、自分を飾り立てるために海外から数多くの勲章・顕彰・名菅博士号等を受けたとして、それを誇らしげに語って喜んでいる人もいますが、このような人は、世俗の栄誉から離れ、妙法という真実の世界に生きられた大聖人様からどのような評価を受けるのでしょうか。きっと、三宝破壊の謗法と共に、名聞名利に走るその姿を厳しく破折されるに違いありません。


(5)拝読のポイント☆☆☆=悪法の流布が国難を招く

第三に、歴史と権威を誇る天台真言宗(日本天台宗所伝の密教のこと)が、新興宗教である念仏宗や禅宗に浸食され、その権威が失墜すると共に、悪法が流布する故に、善神が捨国する所以が示されていることです。

すなわち天台真言の僧侶たちは、「念仏宗等が説く極理は、天台真言の極理と同一か」との質問に対し、「全集の極理は天台真言の極理なり。弥陀念仏は法華経の肝心なり」等と答えるのですが、念仏宗・禅宗等の徒輩は、天魔が乗り移って天台真言の僧侶よりも悪知恵に長けているので、「自宗の極理は天台真言と同じである」などとは決して言わないのです。

禅宗の徒は、「禅は天台真言よりはるかに勝れた極理である」と主張し、念仏者は、「法華経等の諸経は、道理が深くて衆生の愚鈍な智慧では理解が困難である。衆生の機根と教法が相違しているため、一人も成仏する者がいないから、法華経等の聖道門を捨てて、浄土門の弥陀念仏を信じよ」と強弁するのです。そのため天台真言に帰依していた王臣等の檀那は皆、念仏宗・禅宗等に帰依してしまったと仰せです。

念仏や禅が流布し、日本一国が正法に背き、悪法に帰しているために、正法に背く国には諸天善神は住まず、これを捨て去ると共に、国難を招くのは、この謗法を改め、正すべく大梵天、帝釈天などの諸天善神が隣国の聖人(蒙古)に仰せつけて、日本を攻めさせているのだと仰せになられています。つまり捨離した善神を呼び戻す方途は、謗法を禁じ、正直の法たる法華経とその信受による以外にないことを明かされているのです

今日、人心の荒廃による恐喝や殺傷事件が連続し、地震などの自然災害が頻発して私たちの生活を脅かすのは、宗教に名を借りた悪法が流布し、正法に背いていることが原因であることを強く訴えていかなけれはなりません。

私たちの折伏の実践と、正法流布への強い一念とが、御法主上人猊下が仰せの、「法界を浄化し、清気・清風を世に送り、国家社会の自他倶安同帰寂光の礎(いしずえ)を建設すること」(大白法414号)となることを確信してまいりましょう。


(6)結び

「折伏実行の年」も3カ月を残すのみとなり、各支部とも僧俗一丸となって30万総登山の態勢確立の総仕上げに全力を傾注していることと思います。30万総登山が成功するか否かは、御法主上人猊下より課せられた御命題を、他人ことではなく自らのものとして受け止めて常に実践し、その成就に向けて懸命な努力と、継続していく強靭なる信仰姿勢が望まれるのです。

そのためには大聖人様が、「つたなき者のならひは、約束せし事をまことの時はわするゝなるべし」(御書574ページ)と仰せになられている“拙き者”となって約束したことを“まことの時”に忘れることのないように、日々努めていくことが大切です。

自身の罪障消滅を果たし、福徳を具えていくためには唱題・折伏・育成・御供養のいずれもが大事な修行です。共に励まし合って、解怠や臆病、慳貪の心を誡め、悔いのない修行を成就してまいろうではありませんか。



体験発表 『支部一丸、寺院返還期して』
蓮秀寺支部 寺師友明


本日は第3回南九州地方部総会まことにおめでとうございます。私の所属する蓮秀寺は、昨年末、住職だった人が離脱僧となったことで皆様方の記憶に新しいことと思います。今日は、その時のことと併せて私自身の体験をお話いたします。

10年程前、看護婦をしている妻と知り合い、平成2年1月、初詣でのことをきっかけに、信心の話を始めることができました。それまで折伏をしたことがなかった私は、2時間もかけて話をしました。私の長い話を意外にも彼女は真剣に聞いてくれました。何とか折伏させていただきたいと、その日から、御祈念の唱題が始まりました。それから1週間後、彼女は友人から、3カ月でよいから、「聖教新聞」を取って欲しいと言われたそうです。当時、私の一家は、親戚一同、北九州の法霑寺の法華講に所属していました。日蓮正宗の信徒の中心は法華講というお寺の雰囲気を見ていた私は、何としても彼女と法華講で、共に信心をしていきたいと強く思いました。

しかし学会の友人は学会幹部と結託し、勝手に御授戒の日を決めて、「隣に座っているだけですぐ終わるから」と彼女に説明したそうです。すぐに北九州のおじに相談し、3時間後、おじが折伏の応援に鹿児島までわざわざ来てくれました。勇気付けられた私は、必死におじと2人で彼女を折伏し、「5年後には学会と法華講の信心では必ず差がでる」と最後に伝えました。平成2年6月、彼女は、御授戒を受け、御本尊様を御下付戴くことができました。

その後、結婚した私たちは、平成3年の蓮秀寺法華講支部結成に伴い、法華講に移籍させていただきました。お寺への参詣も思うようにできるようになり、初代御住職・後藤史道御尊師のもと、折伏、唱題の大切さを教わりました。その頃の私たちは、小さな支部ではありましたが、どこにも負けないという自信と、信心の楽しさで活気に満ちあふれていました。支部全員が一丸となり、折伏成果が誓願目標の350% を越えたこともありました。毎日、学会員の家に折伏に出かけ、門前払いはしょっちゅうで、時には怒り狂った学会員に殴られて帰った日もありました。御住職の「それもこれも、すべて自分たちの行であり、罪障消滅の道である」との、厳しくも温かい御指導のもと、毎日がんばりました。

ところが、平成9年に二代住職・山根雄務に替わってから、支部の雰囲気が変わっていきました。信心に対してあまり厳しいことを言わなかった山根雄務に、ある人は物足りなさを感じたのか、だんだんお寺から遠ざかってしまいました。また逆にそこがよいとお寺に来るようになった人もいました。支部の熱気が冷め始めたのは、唱題会や勉強会の日、お寺へ行ったら鍵がかかっていて、誰もいなかったということがしばしばあってからです。

また、御報恩御講での話が、フランスの地図を広げて「私はここの事務所に在勤していた」という説明や、ただ御書を拝読するだけという日もありました。 私が一番あっけにとられたことは、学会員宅へ折伏に行くとき、事前にコンタクトを取り、了解を得てから行くという協定を、住職が地元学会幹部と結んだことでした。どこの世界に「今から行きますよ」「はいどうぞお待ちしております」というような学会員がいるでしょう。しかし、御法主上人猊下の御名代として蓮秀寺にいらっしゃっるのだからという思いから、誰も文句など言えません。そのうちに、だんだんと折伏に出かける人も少なくなり、支部の雰囲気は暗くなってしまいました。

一方、住職はどうかというと、自分の趣味に没頭し、暇がありません。古びた茶だんすや食器類など、いわゆる骨董品を買い漁(あさ)り、それをあちらこちらに飾っていました。お寺の庫裡だけにならまだしも、控え室、そして、遂には本堂にまで及んできました。窓という窓にはすべて簾が下がり、照明も提灯のようなうす暗い電気に器具ごと変えて、まるで人里離れた田舎の邪宗の寺といった雰囲気に、私たちは嫌気がさし、求めているものと何か違うと感じ、お寺へ参詣する回数が減っていったのです。

そして、平成11年、支部総登山から帰ってきた2日後の11月30日、山根雄務は大石寺を離脱しました。次の日、布教区内の御尊師方と支部の主だったメンバーが私の家に集まり、宗務院からお越しくださった御尊師より、正式に山根雄務が離脱したとの発表がありました。泣き崩れる婦人部の方、畳に拳を叩き付けて悔しがる壮年部の方もいました。私自身、副講頭として、これから先、講頭とどうやって支部をまとめていけばよいか判らず、目の前が真っ暗になってしまいました。

幸いにも、蓮秀寺支部の誰一人として、山根雄務について行かなかったことが、せめてもの救いでした。まさか手続の師と仰いだ住職が、邪宗池田創価学会の片棒を担いでいたとは信じたくありませんでしたが、その後の「聖教新聞」に掲載されていた山根雄務の手記を読み、驚きました。御法主上人猊下の御恩に報いるどころか、お寺と、御本尊と、そして自分の魂を売り渡したのは事実です。

今、私たち蓮秀寺支部は、南九州布教区宗務支院長・芦原法雲御尊師のお計らいにより、西大宣寺にお世話になっております。芦原御尊師には、御法務極めて御繁多の中、私たちの面倒まで見ていただいておりますことに、この場をお借りして、厚く御礼申し上げます。

私たちは今、自分たちのお寺へ行きたくて、行きたくて、たまりません。邪教池田創価学会にお寺を奪われたことが、悔しくてなりません。自分たちのお寺が奪われるということが、どれだけ惨めで悲しいことか、お寺があるということが、どれだけ幸せなことか強く感じています。

もし身近に、ふだんあまりお寺に参詣されない方がいらっしゃいましたら、ぜひ、このことをお伝えください。この不況の中、仕事が忙しいというのはある意味で功徳といえるでしょう。しかし、忙しいからお寺へ行けない、御本尊様の前に座れないというのは、とんでもない間違いです。そのこと自体が我々を御本尊様から引き離そうとする魔の仕業であるということに、気が付くべきです。

平成14年の30万総登山まであとわずかしかありませんが、1日3000遍の御題目を唱え切り、がんばってまいります。また現在の折伏の状況ですが、新たに2人の方が入信され、少しずつではありますが前進しています。

御法主上人猊下は、「この一年に自分の信心において立派な折伏をし、一人の信徒を立派に導かせていた だこうという、その願いをもって唱題をするところ、御本尊様は必ずその願いを聞き入れてくださる」(大白法 543号)と仰せであります。蓮秀寺が返ってくるその日まで、我々一同、唱題を根本に一人が一人の折伏を実行し、邁進してまいりますことをお誓い申し上げます。

※この原稿は本行寺支部の大嶋さんのご協力で掲載いたしました。


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