大白法

平成12年11月16日号


主な記事

<1〜5面>

<6〜8面>


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最高裁判決に基づき三か寺を奪還
僧俗一致の活動を再開

既報のとおり、最高裁判決に基づき、岩手県久慈市の東光寺、愛知県東海市の法布院、滋賀県大津市の法乗寺が離脱僧から奪還なった。

東光寺では10月31日に、宗務院より派遣された庶務部・渉外部の御尊師方、これまで東光寺事務所住職の任に当たられてきた渡瀬雄卓御尊師が、布教区内の住職方立ち会いのもと、不法にも寺院を占拠していた離脱僧・大塚順妙の代理人(弁護士)から、御本尊、土地・建物などを受け取った。渡瀬住職、東光寺信徒は一週間後の今月4・5日に支部総登山で総本山に参詣。寺院を奪還でき、決意を新たにした喜びの支部総登山となった。また翌6・7日には、講中総出で大掃除を行い、8日の入院式並びに奪還奉告法要を迎えた。

まだ法布院でも、11月1日に御本尊、寺院建物等の引き渡しが行われた。引き渡しの際には法華講の代表8名も参加したが、久しぶりの法布院に、「私たちのお寺がどうしてこんなにも荒れてしまったのか」と驚きを隠せなかった。今は、今月中に行われる予定の入院式並びに奪還奉告法要に向けて掃除等、準備の最中である。住職・舟橋雄雅御尊師は、「せっかくお寺を奪還できましたので、講員と共に、一から法華講を作る気概で精進します。建物がかなり傷んでおり、これも皆で少しずつ修復していきます」と抱負を語られる。

法乗寺は、11月4日に引き渡しが行われた。法乗寺では10日12時半より、入院式並びに奪還奉告法要が行われ、引き続き同日午後2時より、住職・西岡雄恩御尊師のもと、御会式が奉修された。住職・法華講員でお花作り、お餅等の準備を整え、やはり手作りの、法乗寺事務所で使用していた飾り付け等什物類を用いて御宝前を荘厳し、感激の御会式となった。

三か寺共、僧俗一致、この喜びを得て意欲に燃えて本年の折伏誓願目標を達成せんとの活動が始まっている。




第二回奉安堂建設御供養について


奉安堂の建立は、御法主日顕上人猊下の御発願による、宗旨建立750年という大佳節を迎えるに当たっての大事業であり、戒壇の大御本尊様を荘厳し奉り慶祝申し上げるという童大な意義を存する。この奉安堂建立の御供養は、慶祝記念局の決議並びに慶祝記念局総裁・御法主上人猊下の御裁可を賜り、御供養申し上げるものである。

御供養の流れ 昨年12月に第1回目の御供養受付が行われ、本年の法華講連合会初登山会において御奉呈申し上げた。本年も間もなく迎える12月の初旬には、第2回受付が各支部ことに行われることになっている。現在奉安堂は、前号で紹介したように付帯工事も終わり、基礎工事も始まっている。

仏祖三宝様への御供養ほど、三世に亘って大きな功徳で我が身を飾るものはない。大聖人様は、「よく(慾)ふか(深)き御房とおほ(思)しめす事なかれ。仏にやすやす(易々)となる事の候ぞ、をし(教)へまいらせ候はん」(上野殿御返事、御書1528ページ)と、そこに御供養の功徳は、心の奥底に根深く食い込む樫貧の煩悩を、意外と簡単に浄化してくれるのである。このように大聖人様は、御供養の功徳の大きさをお教え下さっているのである。

そのため、総講頭・柳沢委員長は、誰でもが励めるようにと、目安として一日100円の積み立てを提唱されてきている。このように御供養は、毎日の積み立てを基本に行っていくものであり、一日一日の積み立てを一年ごとに御供養申し上げ、その功徳と喜びをもって、次の年の励みとしていこうではないか。

私たちは、家庭訪問を通して、御供養の意義を正しく伝え、功徳を積むことをしっかり教えながら、共に励んでいくことが大事であり、それぞれの家庭においても、幼い孫や子に至るまで、力一杯に御供養に参加させたい。生活の中で倹約し、工夫する中で生み出していく御供養を心がける信心が大切である。支部挙(こぞ)って、折伏に、また御供養にと精一杯励むことによって、すぱらしい功徳を載き、来たるべき平成13年「誓願貫徹の年」を歓喜で迎えよう。



論苑 『御供養の功徳と支部の発展』
東京第一地方部副地方部長・柳沢智晴


第2回奉安堂建設御供養の受付が目前となった。この一年間、全国の同志の取り組みはいかがだっただろうか。今から21年前、社会人になりたての私は毎月の給料から3万円を家に入れ、自分の関係の買い物やら交通費をやはり3万円ぐらいに抑え、残りは全部貯金していた。漠然とした貯金ではなく、目的は当時支部で取り組んでいた700御遠忌記念御供養であった。約2年後、そのような生活の結晶として、初めて自分の力で納得のいく大きな御供養ができ、清々しい気分と共に何とも言えない充実感を得た。

なぜ自分がこのときにそこまでがんばったかというと、昭和47年に本行寺本堂新築御供養があったとき、支部の多くの方々がアルバイトに励むなど喜々として御供養に取り組む姿に大いに触発されたが、自分自身はまだ高校生であったためにさしたる貢献ができず、「次は自分も」と固く決意をしていたからである。若かった私は、御供養の功徳というものがどういうものか興味関心はあったものの、それを期待して御供養したわけではなく、自分自身で何か実感できるのはもっと先のことだろうと考えていた。ところが、そう思う自分の生活の中に、すでに御供養の利益は現れていた。

奉安堂予定図 社会人2年目の6月、法華講連合会の体制が大きく変わったときに「大白法」の編集室に入った私は、昼間は職場、夜は富士会館の編集室、家に帰るよりは会館に泊まる方が次第に多くなっていき、文字通り「お金を使う暇のない生活」に突入していた。無我夢中の毎日の中、気が付くと職場の給料日がきて口座にお金が入る。御供養が終わった後の3年間ぐらいはそんな状況で、自分が御供養した額の約2倍にあたる貯蓄が簡単にできてしまったことが今も鮮やかに思い出される。また、この編集室の体験自体が、そのときは実感できなかったが、自分に十分な体力があり、職場でまだそれほど責任を求められなかったほんの数年問の巡り合わせとして実現したのである。お金では買えない経験ができたことが、時の経過と共に非常に有り難く感じられる。

お金(貨幣)というものは、人間社会の便法として、手段として生まれたものであるが、周知のごとくそれが人生の目的のようになってしまっているところに大変な問題がある。私よりいくつか年下の人の体験であるが、大石寺開創700年の御供養の際、証券会社に勤めていた彼はやはり相当の御供養をした。バブルの絶頂で非常に収入があったときに生活水準を上げるのではなく、その分を御供養に回したのである。その後、バブルが崩壊し、彼の同僚の多くは分不相応の暮らしの後始末に大変な苦労を強いられたそうだが、彼自身はその後スムーズに堅実な生活を確立できた3年間の取り組みにより、まさに一生にわたる功徳をいただいたと言える。

世間でも、渋沢栄一や後藤新平など、私利私欲なく大きなお金を世の中のために使った人たちがいる。しかし、仏様への御供養が世間の寄付等と決定的に異なるのは、「仏様との縁がより強くなる」という、これ以上はない御利益をいただけるところにある。御供養の志のある人は普段から地道に努力し、機会のあるときに借しみなく力を発揮する。そして10年20年のうちにはっきりとしてくるのは、その人の身内眷属が信心を中心にしっかりとまとまってくることだ。世間では一家離散は当たり前であり、「六親和合」などはほとんど死語に近い。妙法の大利益なくして、子々孫衣にわたる繁栄はあり得ないのである。御供養の基本が、個々人の志、それぞれの取り組みにあることは言うまでもない。

しかし、一歩深く考えれば、御供養の利益をいただく人が増えれば、その組織がいろいろな意味で磐石になっていくということに気付く。現に私の所属する支部では、700御遠忌の御供養のあと、そして大石寺開創700年の御供養のあとと、それそれ登山者の画期的な増加が見られた支部全体として、御供養の取り組みがしっかりと推進されることによって、組織の体質が変わり、質的な向上が叶う。幹部はこのことを強く自覚すべきである。

宗旨建立750年の大佳節を前に、奉安堂建設御供養に参加できることの意義は、個々人においても、支部組織においても非常に大きいものである。今回、そして来年と、「30万総登山」達成につながっていくこの御供養の取り組みに、全力を尽くしていこうではないか。



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