<4〜5面>
宗旨建立749年に当たる、去る4月28日、総本山の御影堂において、御法主日顕上人猊下御出仕のもと、立宗会が厳粛に奉修された。これには、塔中・山内の教師をはじめ、前日に新説の免許を受けたばかりの教師30名も出仕され、多数の檀信徒が参列した。法要は午前7時より、御法主上人猊下大導師のもと、献膳、読経、引き題目と如法に執り行われ、7時半過ぎに終了した。
明年の宗旨建立七百五十年まで、ついに残り1年となった。この時に当たり、我らは、その重大なる意義を再認識し、明年の法華講30万総登山と奉安堂建立の記念大事業を必ず達成し、もって広大な下種三宝の御恩を報ずるため、この最後の1年、連合会においては「誓願貫徴の年」の残り七カ月半を、命がけで唱題、折伏、育成に精進しよう。
大聖人は、これら諸宗の輩による一国大謗法の姿こそが、世の中の一切の災いの根源であり、この災禍を鎮め安国ならしめる方途は、邪宗邪義を砕伏し、日本一同に釈尊本懐の教えたる法華経のもとに帰一させていく以外にはないことを、深くお考えあそばされたのである。その法華経とは、色相荘厳の方便を帯する脱益の法華経ではない。『神力品』において地涌の菩薩の上首・上行菩薩に結要付嘱された法華経文底下種の要法たる久遠元初の南無妙法蓮華経の五字・七字であり、この大法こそが、末法の一切衆生を成仏に導く唯一最高の御教えであることを悟られたのであった。
経文に照らし、一度この破邪顕正の法門を弘宣すれば、三類の強敵の難が競い起こることは必定であるが、四恩報謝の上に、いかなる大難が競い起ころうとも、大法を弘通せんとの不退転の決意を固められたのである。
建長5(1253)年4月28日早暁、清澄山上の嵩(かさ)が森に歩を運ばれた大聖人は、遥か太平洋の彼方の水平線上より一閃の光芒(こうぼう)が全身を照らし出したその時、「南無妙法蓮華経 南無妙法蓮華経 南無妙法蓮華経」と、昇り来る太陽をはじめとする宇宙法界に向かって久遠元初の題目を唱え出だされたのである。御年32歳、南無妙法蓮華経の大法を宗旨とする立宗の大宣言であられた。
この立宗を期とする大聖人の御一生は、大難4カ度小難数知れずと仰せられる法華経の行者の厳しき御修行の日々であられた。大聖人は『諌暁八幡抄』に、「今日蓮は去ぬる建長五年癸丑四月廿八日より、今弘安三年太歳庚辰十二月にいたるまで二十八年が間又他事なし。只妙法蓮華経の七字五字を日本国の一切衆生の口に入れんとはげむの計りなり。此即ち母の赤子の口に乳を入れんとはげむ慈悲なり」(御書1539ページ)と御自身の生涯を振り返られ、立宗以来の一期の忍難弘通の御化導は、ただ一切衆生救済を目的とした大慈悲の御振る舞いの日々であられたことを述懐あそばされている。地涌の菩薩の眷属たる我ら法華講員は、この御指南を拝し奉り、重大な今後1年の闘いを、水の流れる如く一瞬時も心を休めず、火の如くに力強持続することが大切である。
平成6年の日蓮正宗法華講地涌6万大総会、平成10年の客殿落慶10万名総登山と見事に達成し、そして迎えんとする明年、宗旨建立750年の佳節における30万総登山と奉安堂建立こそは、まさに御指南の末法広宣流布の礎としての重大なる意義をもつことを深く自覚し、その大佳節に巡り値えた果報に大歓喜をもって精進しなければならない。
平成2年の雲仙普賢岳噴火以来「阪神大震災」をはじめとする様々な天変地災が日本を襲っている。『大悪大善御書』の、「大事には小瑞なし、大悪を(興)これば大善きたる。すでに大謗法国にあり、大正法必ずひろまるべし」(同796ページ)との御指南を拝せば、大聖人御在世と同様、謗法の罰としての様々な災難と世相の混迷は、明年の法華講30万総登山が礎となり、大正法が必ず世界に広宣流布する大善の大瑞相と確信いたすべきである。
〇 宗旨建立749年立宗会を奉修 − あと一年!
日蓮大聖人は、生智の妙悟に加え、12歳より32歳に至るまでの京都・鎌倉研鑚により、後五百歳白法隠没の、まさしく経文に示される時であること、下種仏法の弘まる時であることを確信あそばされた。当時の仏教界の様相はと言えば、釈尊仏法の正統たるべき天台法華宗は既に誑惑され、他の諸宗もおしなべて教法流布の次第と、仏法には付嘱の大事のあることを知らず、権教に基づく勝手な迷見に執し、徒らに邪義邪説を喧(かまびす)しくしていた。
大聖人が一期御化導の究寛として、弘安2(1279)年10月12日、末法一切衆生の謗法罪障消滅、即身成仏のために、三大秘法惣在本門戒壇の大御本尊を御建立あそばされ、一閻浮提広宣流布を御遺命あそばされてより七百有余年。熱原法華講衆以来、富士の清流を厳護し来たった日蓮正宗法華講は、平成2年の大石寺開創700年を期して、いよいよ広宣流布への大前進を開始した。