大白法

平成13年6月16日号


主な記事

<1〜2面>

<3〜6面>

<7〜10面>


back      index      next


奉安堂6月16日(28Kb)



栃木県宇都宮市・仏説山誠諦寺移転新築落慶入仏法要


5月23日、栃木県宇都宮市の誠諦寺において、御法主日顕上人猊下の大導師のもと、宗旨建立750年慶祝・移転新築落慶入仏法要並びに御親教が、厳粛かつ盛大に奉修された。

同寺は、昭和41年2月、御先師日達上人の大導師のもと落慶入仏法要が奉修されて以来、代々の御住職方が増改築を加えられてきたが、年数の経過と共に建物の老朽化が進み、さらには近年の信徒の増加、そして宇都宮とその周辺地域の将来の広宣流布の進捗を鑑み、移転して新しく大きな堂宇を建立することを発願し、昨年1月23日に起工式、同年11月5日に上棟式を執り行い、このたびの慶事を迎えたものである。


〇 御法主上人猊下御言葉

本日、当仏説山誠諦寺移転新築落慶入仏法要が奉修され、お招きを受け参上いたした次第であります。当寺の本堂・庫裡が立派に完成いたし、見事な姿をここに現しまして、正法興隆のために心からお祝いを申し上げる次第であります。おめでとうございました。

皆様も既に御承知の如く、当寺は先代住職・西沢雅道房が檀信徒の方々と共に志を立て、既に古くなった旧来の本堂・庫裡も建て替えるという意味を含めて、前もって当地を購入したのであります。そして檀信徒の供養によって、かなりの額の移転新築の資金が蓄積され、まさにその事業を興さんとする時に、まことに残念なことではありましたが、病魔に冒され、ついに亡くなった次第であります。

しかしながら後任住職として当寺にまいりました清水法瑞房が、先住の志を受け継き、檀信徒の方々との異体同心の協力をもってその事業の遂行に邁進した結果、本日、この立派な本堂が出来上がった次第であります。

三宝尊の尊い御加護の賜物でありますが、また一つには住職の檀信徒の皆様との正法護持興隆の志がここに合致いたしまして、このような浄業が滞りなく完遂したと思うのであります。仏祖三宝尊の御高覧のもとに、当寺がこれからさらに立派に寺檀和合・寺運興隆の道を進むものと存ずる次第であります。

また本堂が大きくなる関係上、特に住職の志をもちまして客殿が出来ましたので、従来の御本尊様は客殿に御安置申し上げることになりました。そして、この広い本堂に御安置申し上げる御本尊様については、総本山に御本尊の下附方を願ってまいりました。したがって本門戒壇の大御本尊様を拝し、その御内証をもって書写申し上げまして、ただいま当寺の本堂に板御本尊を入仏して御報恩謝徳申し上げた次第であります。

本門戒壇の大御本尊様は、申すまでもなく本門三大秘法の随一であり、また久遠元初の自受用身の末法出現の御本仏である宗祖日蓮大聖人の御魂魄を、世界の民衆を真に救うところの本仏の大慈大悲の上から、総本山の戒壇の大御本尊様に留め給うのであります。したがって特に戒壇というところに、日本乃至、世界の一切衆生が本当の正しい道を得て、あらゆる謗法や邪悪なる在り方をことごとく浄化するのであり、その仏国土を建設していくところの根本が御本尊の御当体なのであります。

したがって純真なる信心をもってこそ初めて、戒壇の大御本尊様を仰ぎ拝し奉ることができるのであり、あの血脈を否定し、勝手な邪義・魔義を唱えて、しかも戒壇の本義までも我意をもって誤ったことを色々と述べ、結局宗門から破門を受けた池田大作その他、創価学会の者どもは、その行為、信心が邪悪である故に、今日、御戒壇様を拝することが全くできない状況になっておるのであります。

また、今日、謗法の姿のなかから社会のあらゆる面における道義の退廃、様々な犯罪の姿も現れておりますが、それらの根本は善悪についての問題を正しく見ることを忘れた姿にあるのであります。つまり善と悪ということにおける本当の価値観が忘れ去られておることが、今日の多くの道義退廃等の元になっておるのであります。

仏教の教えのなかに戒定慧という三つがあるうちの究極の「戒」とは、本門の戒壇の戒の意義により日本国の一切衆生に真の大善を教えて、その大善の功徳によってあらゆる悪を浄化していくところに存するのであります。したがって、この正法を護持することこそ本当の大善を行ずることであり、そこにまた折伏の意義が存するのであります。

本日は、本門戒壇の大御本尊様を拝し奉り、その御内証をもって御書写申し上げた御本尊が入仏されました。これからこの寺院の皆様方が、立派になった本堂において心新たに題目を唱え、折伏を行ずることが真の大善の行であるということを深くお考えいただきたいと思います。そして、その行業に向かって進まれることが、自他共に即身成仏の道を顕すところであるということを申し上げ、また皆様方の今後のいよいよの御健康、御精進をお祈りいたし、一言、祝辞に代える次第であります。本日はまことにおめでとうこざいました。




教学用語解説・手続の師匠


「手続の師匠」とは、「手継の師匠」とも書かれ、総本山第9世日有上人の『化儀抄』に、「手続の師匠の所は、三世の諸仏高祖已来代代上人のもぬけられたる故に、師匠の所を能く能く取り定めて信を取るべし、又我が弟子も此くの如く我に信を取るべし、此の時は何れも妙法蓮華経の色心にして全く一仏なり、是れを即身成仏と云うなり」(聖典974ページ)と説かれたところに由来します。

「手続」とは、一般的に事務上の手順などを意味しますが、本来は、「物事について、他人を介さず直接承継し付嘱すること」や「正統な承継の次第、また二者の間を取り次ぎ仲介する」という意味も含みます。したがって「手続の師匠」とは、前者の意によれは、日蓮日興・唯我与我の重における下種仏法の正統な承継者、すなわち唯授一人血脈付法の御法主上人に当たり、これを「手続の師匠」の本義とします。また後者の意によれば、私たち法華講員の信心を、御法主上人の血脈へ取り次がれる、各寺院の住職・主管、すなわち指導教師に当たるのです。

手続の本義は唯授一人の血脈相伝

『百六箇抄』に、「直授結要付嘱は唯一人なり。白蓮阿闍梨日興を以て総貫首と為し、日蓮が正義悉く以て毛頭程も之を残さず、悉く付嘱せしめ畢んぬ。上首已下並びに末弟等異論無く尽未来際に至るまで、予が存日の如く、日興が嫡々付法の上人を以て総貫首と仰ぐべき者なり」(御書1702ページ)と仰せのように、本門戒壇の大御本尊をはじめとする日蓮大聖人の仏法の一切は、唯授一人血脈付法の日興上人に受け継がれ、その血脈法水は、日興上人から日目上人、さらに日道上人と次第して、一器の水を一器に瀉(うつ)すように、現日顕上人に受け継がれているのです。この直授結要付嘱、つまり唯授一人の血脈相承そのものが、仏法上の「手続」の本義です。

したがって『化儀抄』では、「手続の師匠」たる時の御法主上入の御内証には、三世諸仏、並びに御本仏大聖人・日興上人以来の魂魄、すなわち妙法の血脈法水が抜けてきている故に、御法主上人を仏法の大師匠と定めて師弟相対の信心をいたすべきであるとされ、私たちもこの信行により、大聖人以来の血脈法水に浴して師弟不二を成じ、妙法即身成仏の本懐を遂げると仰せなのです。

所属寺院の住職・主管も手続の一分

右の「手続の師匠」を大前提とした上で、所属寺院の住職・主管にも、手続の師匠としての意義があります。すなわち、寺院の住職・主管には、その御法主上人に対する師弟相対の信心のもとに血脈法水が通うのであり、そこから所属の法華講員に信心指導をされ、また講員の信心を御法主上人の血脈へ取り次がれるのです。したがって、所属寺院の住職・主管は、仏法における直接の師匠であり、指導教師となるのです。

師弟子の筋目を正して仏に成る

本宗の信徒は、「手続の師匠」の意義を正しく知って、御法主上人を現時における仏法の大師匠と仰き、所属寺院の住職・主管を仏道の直接の師匠と拝して、毎日の信仰に励むことが大切です。何故ならば、日興上人が『佐渡国法華講衆御返事』において、「こ(此)のほうもん(法門)は、し(師)でし(弟子)をたゞ(糾)してほとけ(仏)にな(成)り候。しでしだにもちが(違)い候へは、おな(同)じほくゑ(法華)をたも(持)ちまいらせて候へども、むげんぢごくにお(落)ち候也」(歴代法主全書1−183ページ)と御指南されるように、師弟子の筋目を正して信行に励んでこそ、初めて妙法即身成仏の本懐を得るからです。反対に、もし師弟子の筋目に背いたならば、如何に法華経を受持信行しようとも、師敵対の大謗法罪によって、必ず無間地獄に堕ちることになるのです。

創価学会の大聖人直結は大謗法

以上のように、「手続の師匠」の意義を正しく知ることは、下種仏法の師弟の筋目を正すことであり、それはそのまま、私たちの即身成仏の要道を知ることになります。ところが、血脈法水の大事を無視し、下種仏法を破壊せんとする池田入作は、「私どもは、どこまでも大聖人とご一緒である。『僧宝』であられる日興上人の仰せ通り、御本尊と御書を根本に、大聖人直結の信心を貫いているのである」(聖教新聞平成3年10月12日付)と放言し、大聖人直結が、まるで日興上人の仰せであるかのこどく述べて、その正統化を謀(はか)っているのです。

しかし、その日興上人御自らが先の御文に続いて、「うちこしうちこしぢき(直)の御でし(弟子)と申すやから(輩)が、しやう(聖)人の御とき(時)も候しあひだ(間)、ほんでし(本弟子)六人をさだ(定)めお(置)かれて候。そのでし(でし)のけうけ(教化)のでしは、それをそのでしなりとい(言)はせんずるためにて候。あん(案)のごとくしやう(聖)人の御のち(後)も、すゑ(末)のでしどもが、これはしやう人のぢき(直)の御でしと申すやからおほ(多)く候。これが大はうぼう(謗法)にて候也」(歴代法主全書1−184ページ)と仰せられ、創価学会のいう大聖人直結こそ、まさに大聖人・日興上人の御意に背く大謗法であると断じられているのです。故に、この大謗法団体の邪義を徹底して破折することが、また師弟の筋道を正しく行ずる私たちの使命であることを知りましよう。

僧俗和合をもって三十万達成へ

大聖人は『法華初心成仏抄』に、「祈りも又是くの如し。よき師とよき檀那とよき法と、此の三つ寄り合ひて祈りを成就し」(御書1314ページ)とお示しです。「よき法」とは本門戒壇の大御本尊であり、また「よき師」とは別して大聖人、総じては「手続の師匠」たる歴代の御法主上人です、私たち法華講員は「よき檀那」として、「手続の師匠」たる御法主上人の御指南に信伏随従し、指導教師の御指導のもと、異体同心して自行化他の題目を唱え、明年の30万総登山達成に向かって邁進することが肝要です。


back      index      next