大白法

平成13年8月16日号


主な記事

<1〜5面>

<6〜8面>


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第7回鼓笛コンクール・第11回少年部大会


法華講連合会第7回全国鼓笛隊コンクールが、7月27日から29日に、全国23地方部・25チームの鼓笛隊員970余名ブラスバンド・スタッフの400余名が参加して行われた。また、少年部合宿には、7月28日から29日に、全国の980余名と付き添い・家族の2240余名が参加した。最終日の『第11回少年部大会』は、少年部員1600余名と付き添い・家族等の合計4600余名が結集して盛大に開催された。


〇 日正寺支部・溝口萌 (小学3年)

昨年6月6日、夕方5時55分、交通事故にあいました。自てん車でおうだん歩道にむかっていたら、一時ていししていた車が萌がいることに気がつかずにはっ車して、萌はひかれてしまいました。でもよくおぼえていません。さいしょは、目が見えなくて、何が何だかわからなかったからです。きゅうきゅう車にはこばれて、事故にあったんだと気づきました。

胸がすごくいたくて、いきができませんでした。でも「萌、がんばるんだよ」とお母さんがずっとはげましてくれたので、萌はがんばれました。札幌い大にはこばれました。けんさのけっか、頭も、ほねも一本もおれていませんでした。でも、りょうはいがつぶれ、かんぞうとひぞう(脾臓)がはれつする、大へんな事故でした。けれど、出血りょうが少なくて、しゅじゅつにならなくてすみました。萌は、人工こきゅうきや、たくさんのてんてきや、きかいをつけて、薬でねむらされていたので、よくわかりません。

かぞくや、はん(班)の人が、ずっと、しょうだいをしてくれたそうです。そのおかげで、6月30日、25日目でたいいんできました。7月3日から、元気にとう校しました。学校の先生たちや友だちが、みんなよろこんでくれました。べん強もぴょういんのベットの上でしていたので、おくれないですみました。

事故から一力月で体育もブールもぜんぶ、みんなといっしょにできるようになりました。7月25日、かきこうしゅう会と山も行けました。そして、8月1日にびょういんに行きました。先生が「もう、なおっていますね。もう、ぴょういんに来るひつようもないですよ」と言われました。先生は、とても早く、きれいになおっていたので、びっくりしていました。

萌は、と山に行って来たくどくかなあと思いました。ご本ぞん様が、萌を守ってくれました。毎日、こ本ぞん様にかんしゃして、おまいりしています。今年のこてきたいコンクールにむけて、少年部とこてきのれんしゅうを休まないで、がんばってきました。きのうのコンクールでは、元気いっぱいげいか様の前でえんそうすることができました。そして、銀しょうをいただきました。これからは、ご本ぞん様のおつかいができる人になりたいです。


体験発表(41kb)


〇 法道院支部・国広めぐみ (小学6年)

「あっ、ご供養がない」お父さんが言いました。みんなが貯めてきた奉安堂のご供養がなくなっていたのです。それも、貯金箱ごとすべて、ドロボーにもっていかれていました。国広家では、初めてであまりにも大きなこの事件は、去年の夏休み最後の日曜日のことでした。お父さんは、だまって落ち込んでしまいました。お母さんは、「うちみたいな費乏人から取らなくても、お金持ちの人から取ればいいのに」と言っていました。私もぽんやりしたままうなずきました。お姉ちゃんは、「くやしー」と言いながら、おこって2階に上がって行きました。

その時私は「どうして、ドロボーが入ったんだろう。朝と晩の勤行もしてるし毎日1時間の唱題もしている。家族でお講にも行くし、登山だって行ってる。なのに、どうして、家にドロボーが入らなきゃいけないんだろう」と思っていました。ずっと考えていたら、朝と晩、勤行をしていても、唱題の時も、お父さん、お母さんに、「姿せいが悪いよ」と注意されることがあっても、「わかってるよ、うるさいなあ」と思っていたので、また同じことをくり返したりしていました。ご供養も、お姉ちゃんは、「千円もらったから、五百円は貯金する」と言って自分からしていたのに、私は、「買いたい物を買って、あまったら少ししてみよう」と考えていたので、お母さんにも、「めぐちゃん。少しでもご供養しなさい」と言われた時だって、「えー。本がほしいのに」と言って、イヤイヤしていました。これではまじめに信心しているとは言えないと思って反省しました。

考えてみたら、事件の日の朝も、お寺で朝の勤行と唱題をしていこう、と言っていたのに、ねすごして、そのまま家で勤行して、でかけたんだと気づきました。でも、みんなが落ち込んでいたので、だまっていました。家族の中でもお父さんが特に落ち込んでいたので、私が、「そんなに落ち込まなくてもいいじゃない。今日からまた貯めればいいんだから。そんなに落ち込んだって、お金はもとに戻らないよ」と言って、山崎のおじちゃんからもらった新五百円を、新しい貯金箱に入れました。するとお姉ちゃんも、「じゃあ、私も」と言って、同じように五百円を入れました。新五百円を入れた音は、いつも貯金箱に入れている音より少しいい音がしました。

「家族をはげまそう」と始めた奉安堂のご供養だったけど、「じゃあ、少しでも貯まるように、一円でも十円でもいいから、みんなで貯金していこう」とご供養を貯める工夫を始めました。電気や水道も節約できるように注意したり戸じまりにも気をつけました。貯金も、五百円玉だけ貯めていたけれど、百円、五十円も、別に分けて貯めていきました。いつしか私も、「一生に一度の奉安堂のご供養だから、精一ぱいさせていただこう」という気持ちになっていました。そして、残り3カ月、家族で一生けん命貯めたら、1回目のご供養よりたくさんすることができました。この時、どんな短い期間でも「やればできる」ということがわかりました。この事件がなかったら、奉安堂のご供養のことも、真けんに考えていなかったし、家族で、協力することも、なかったと思います。そしたら、ドロボーが入ったことは、よかったのかなあと思えるようになりました。

今、私は家がほしいと思っています。この前、「自分の部屋がある大きな家に住みたいな」と言ったら、お母さんが、「精一ぱいのご供養をした人は、家を新築したり、増築したりしているんだよ」と、大白法を見せてくれました。だから、去年よりもっとたくさんご供養したいと思います。

そして、高望みかも知れませんが、大きなワゴン車もほしいと思っています。その車がほしいのには、わけがあります。この問、車の展示場に行った時、まだ信心していない佐伯のおじいちゃんが、「このワゴン車がいいね」と言ったので、「ワゴン車買ったら信心してくれる?」と聞いてみました。おじいちゃんは、「うーん」となやんで、笑ってごまかしていました。その時、私は、「このワゴン車をぜったい買って、おじいちゃん、おばあちゃんを平成14年までに折伏して、みんなでご登山させていただこう」と決心しました。そしたら30万総登山にもいっしょに行けるからです。今年は、奉安堂ご供養の最後の年です。家族みんなで、満足のご供養ができるよう、がんばりたいと思います。


〇 蓮成坊実修講支部・佐竹美奈(小学6年)

こんにちは。今日は、私の左手が使えなかったことを話しますので、聞いて下さい。平成13年2月13日左手の親指の手のひらが熱を持ち、赤くなり、指全体がはれていました。たとえて言えば、ぬい物をしていて、はりがチクリとささったような痛みが、ズキーン・ズキーンとずーっと続き、すごーく痛かったです。学校から帰って来て、おばあちゃんに言い、病院へ行きました。先生に「けんしょうえん」だと言われました。取りはずしのできるギブスをはずしてお湯に手を入れグーパー・グーパーとして手をあたためたり、病院でもらって来たクリームをつけてマッサージをして、又ギブスをつけていましたが、ギブスが合わずにタコができてそれも痛かったです。

2月24日、少年部冬季修養会にギブスをしたまま行きました。修養会でマッサージをしてくれたお姉さん、ありがとうございました。修養会の次の日、病院へ行ったら、ちがう病院へ行くように先生から言われました。私は「さいあく」と思いました。次の日、大きな病院のドクターに3月6日、CTとMRIの検査をすると言われ、なんでやらないといけないのかと思いました。

3月3日7時からの題目会に全員で行きました。今までおばあちゃん一人で行っていたうしとら(丑寅)ごん行も、おじいちゃん、おなあちゃん、お母さん、私、妹、家族全員で行きました。3月4日、熱海の道場で、ご住職様にご指導をうけました。ご住職様は、私にやさしく、「なんみょうほうれんげきょうの、なにかにそむいたんだよ。みんな仏様の子供だよ、こん行、題目をしっかりしていれば、手の痛いのは、冶して下さいと祈らなくても、自然のうちに冶る」と言ってくれました。私はとってもほっとしました。私は、ご住職様の言われた通り、こん行、お題目をとなえて、ぜったい治そうと思いました。おじいちゃんも、おばあちゃんも、お母さんも、妹もそう言ってはげましてくれました。

3月6日、病院へ検査に行きました。はじめにCTの検査です。CTは脳の検査ですが、ねていたらすぐ終わりました。MRIと言うのはしんけいの検査ですが、ガガガガーとものすごい大きな音がして、カマの中に入って行きます。ねていてもこわくて、検査ができませんでした。ドクターは2月27日に初めて来た時より痛みが楽になっているので、首を右に左にとかしげながら、「脳には異常なし。痛みが楽になっているようだから、薬でねむらせてまで、いそいで検査をしなくてもよいので、1カ月先に来なさい」と、言われました。おばあちゃんは、「きっと、ご本尊様がそんな検査しなくていいと言っているのよ」と言っていました。

3月10日、夜7時から題目会に家族で行き、その後大石寺に行き、家族全員でうしとらごん行をして、そのまま車の中でねました。次の日、朝のごん行は蓮成坊でさせてもらいました。そして全員でごかいひをうけました。ごかいひをうけて、トイレに行って、私は、おばあちゃんに、親指が動くと言いました。やっと動いてうれしかったです。親指が動かなくなってから、学校へ行くのにランドセルを持って行けなくて、家の人に持って行ってもらったり、帰ったり、毎日してもらっていました。そのランドセルをおんぶして学校へ行けるようになりました。本のページもめくれます。洗たく物もたためます。まだ重い荷物を持つと少し痛いですが、ふつうの事ができるようになってうれしいです。

ご住職様のご指導で、「ご本尊様に手の痛いのは、治して下さいと祈らなくても、自然のうちに治る」と言ってくれた通り、いつ治ったか、分からなかったうちに、痛いのがなくなっていました。6月3日、熱海の道場で、ご住職様が、私と妹のごん行の声が大きくて良いと、ほめてくれました。がんぱってよかったと思いました。お母さんが折伏した岩船さんも、ごん行は私と妹とにおしえてもらうと言っているので、がんばります。これからもご住職様、執事様に言われる通り、ご本尊様を信じてがんばります。そして、朝ぱんのごん行、うしとらごん行、題目をとなえたり、家族全員元気で熱海の道場や、ごかいひもつれて行ってもらいます。ご本尊様ありがとうございました。


表彰式(21kb)


〇 宣行寺支部・山崎弘美 (小学4年)

こんにちは。私たちのお寺では、ご住職さまが毎日11時から1時問のしょうだいをされています。私も、毎週土曜日と日曜日にはお寺に行って、ごん行・しょうだいをしています。ご住職さまはいつも、大きな口を開けて、ちゃんと声を出してごん行・しょうだいをするように言われています。この前の土曜日に、私のお母さんは「弘美はごん行・しょうだいをしているとき、口が開いていない。形だけのごん行をしている」と言われたそうです。私は、お母さんからその話を聞いたとき、ごん行をちゃんとやっているのにと思い、くやしくて、5時間くらいないてしまいました。そして、その日の夜のごん行からしっかりやりました。

次の日の日曜日は朝ごん行からお寺に行き、ごん行・しょうだいをあごがはずれるほど大きな口を開けてやりました。そのあと、お寺の大そうじをしっかりやって、おにぎりをいただいて、1時間のしょうだいをやり、つくしの会に参加しました。1時問のしょうだいのあと、こうとうさんに「今日は朝からお寺に来て、大きな声でごん行・しょうだいが出来てえらいねえ」と言われ、すごくうれしかったです。つくしの会でこうとうさんに「日蓮正宗では数字の三が大事なんだよ」と教わりました。三がつくのには、三大秘法・三徳・三学・三宝・三業があると聞きました。そのときは身口意の三業とは、身が体、口が言葉、意が心だと教えてもらいました。「身口意の三業が一致していると良いことがある。一致しないと悪いことがある」と、こうとうさんが言っていました。

私は悪いことが起こらないように、ごん行、しょうだいをちゃんとやって、友達に信心の話をしていきたいと思います。毎月第1・第3月曜日に少年部長は、みゆきちゃん、ゆみちゃん、まりちゃん、ゆき子ちゃんをつれて、一緒にごん行をするために私の家に来ます。みんなと一緒にごん行が出来るので、いつも楽しみにしています。少年部長はごん行が終わった後、「夏休みが終わるまでに、学校の友達に信心の話をするように」と言っていました。私は船越さんという友達に信心の話をしようと思いました。「船越さんと一緒に信心ができますように」と、ご本尊様に毎日おねがいしています。平成14年には一緒に本山に行きたいです。これで私の体験発表を終わります。ありがとうございました。

〇 法道院支部・関学 (小学6年)

みなさん、こんにちは。ぼくは、福子として生まれました。また、もったいなくも、名前は、せんだいの御主管さまにつけていただきました。生まれて言葉もしゃべれない時から勤行を聞いて育ち、知らず知らずおぼえていきました。大きくなり小学校に入ると、少年部と鼓笛隊に入りました。最初のうちは、行くのがあたりまえと思っていたのですが、スイミングを習い始めてからは、疲れてしまって行くのがいやになる事もたびたびありました。それでも、なんとかがんぱって練習に参加していました。

そして、小学校3年生になりコンクールに出る準備が始まり、うまくできるようになると今までの自分がうそのようにやる気になってきて、コンクールに出る時にはほんとうにたのしくなり、たのしみながら出ることができました。おととしのコンクールではぜんぜんよばれなくて、賞がとれなかったんだと思ってあきらめかけた時、金賞でよばれ、とてもうれしく感動しました。また昨年は、特別賞をいただきました。今年は、笛のパートリーダーに選ばれたので、よりいっそうはりきってがんばりました。

始めは、やる気のなかったぼくですが、がんぱって続けてきたおかげで、今年はせんばつ隊に選ばれて参加することができました。学校でも、ぼくは、吹奏楽部に所属してチューバをふいています。朝練、午後練とたいへんですが、自分できめて始めたので、6年生の終わりまでがんばって続けたいと思います。またスイミングも、小学校1年生から始めて、鼓笛隊と重なり、つらい時もありましたが、今では、選手コースまでになりました。これも、がんぱってあきらめずに続けてやってきた結果だと思います。

また、その他に、少年部の合宿では、いろいろ学校では教えてもらえないすぱらしい事を学びました。特に熱原の三烈士の事を知り、すごく勇気があると感動しました。その勇気に少しでも近づきたいと思い、お寺に学校の友達をさそったところ、子供のお会式と研修会に、学校の同級生の吉村君と弘中君をさそうことができ、いっしょに参加することができました。また、家に、その友達が泊った時は、勤行を教えてあげて、いっしょに勤行することができました。まだ入信はしていませんが、保育園からの大切な友達なので、いつか必ずいっしょに信心ができるように、これからもがんばります。

そのために勤行、唱題を一生懸命がんばって、功徳をたくさん積みたいと思います。最後に平成14年・30万総登山の一員として一人でも多くの人にこの信心のすぱらしさを伝えていけるようにがんばります。ありがとうございました。



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