大白法

平成13年10月1日号


主な記事

<1〜3面>

<4〜8面>


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奉安堂建設現場より

奉安堂10月1日(23Kb)


実修山妙證寺寺号公称板本尊入仏式

〇 布教区代表祝辞・光久諦顕御尊師

本日は、総本山第67世御法主日顕上人猊下の御親修を賜り、旧蓮成坊東京出張所寺号公称板御本尊入仏式を執行するに当たり、一言お祝いの富菜を述べさせていただきます。御法主日顕上人猊下におかせられましては、御法務ことのほか御多忙のところ、この地、滝野川に御下向賜り、板御本尊入仏式並びに御親教を奉修くださいますことは、当寺住職並びに信徒一同にとって無上の歓喜はもちろんのこと、当布教区一同にとりましても、これに勝る喜びはございません。御法主上人猊下、まことにありがとうございます。

「誓願貫徹の年」も余すところ3カ月となり、宗旨建立750年・法華講30万総登山もいよいよ目前に迫ってまいりました。この世紀の慶事を迎えるに先駆け、当寺御一同様には、板御本尊入仏式及ぴ寺号公称の喜びは、さこそと存じます。これはひとえに講頭様をはじめ御信徒皆様の不断の信心の結晶と衷心よりお慶び申し上げます。

明治31年より営々と積み重ねられた先達の方々の信心の赤誠が、本日の喜びたとなり花開いたものと慶賀に堪えません。ここで、当講員の皆様はすでにご存じのことでありますが、一部御来賓の皆様方に実修講の歩みについて簡略ではございますが申し述べさせていただきます。

明治31年、時の御法主日応上人と初代講頭となられた堤実吉氏との深い因縁により実修講は発足したと伺っております。堤実吉氏は、その当時、三菱造船横浜ドックに勤務しておられ、その関係上、当初講員15世帯は横浜を中心に折伏を展開いたされておりました。その後、大正9年11月23日、宗務院より正式に横浜実修講の認可が下り、ここに名実共に活動が開始されたわけであります。

やがて戦時中という混乱期にかけて、堤氏の猛烈なる折伏により、講員数は1,700世帯と増加いたしました。しかし、終戦という険しい世相を迎え、様々な悪条件の重なるなか、昭和24年10月、堤氏が亡くなられ、そうした不幸も重なって1,700世帯の講員も徐々に減り、ついには220名となってしまったのであります。

堤氏の後を継ぎ2代講頭となられた倉橋護蔵氏は、時の指導教師であらせられた藤本日潤御尊能化の御薫陶に浴し、大きく前進されました。この時期に活動拠点の中心が、かつての横浜より倉橋氏の居住地である、ここ滝野川へと移ったのであります。

倉橋氏の不屈の信心と講員一同の団結により、昭和54年、藤本日潤御尊能化の御尽力もあって北区滝野川の地に蓮成坊東京出張所計画の許可が下りたのであります。そしてその年の6月、藤本日潤御尊能化の導師によって起工式が執行いたされました。

その後、同年8月23日、藤本日潤御尊能化の後任として石井信量師が蓮成坊住職の任命を受けられ、赴任されたのであります。藤本日潤御尊能化の実績を継承された石井御住職は、その後、上棟式・完成式を経て昭和55年1月、当出張所に常住御本尊様をお迎え申し上げ、出張所を拠点とした活動が開始いたされました。爾来20年、懸命に護法に専念された2代講頭そして3代講頭も他界され、現在は4代の石村与四夫講頭が中心となり、誓願貫徹をめざし、僧俗一丸の折伏を展開されております。(☆現在1,200世帯)

現在の活動の結果は皆様御承知のとおり、寺号公称を前に折伏目標を悠々と貫徹し、布教区内の賞賛の的であります。堂々たる寺号公称を布教区一同改めて御祝福申し上げます。おめでとうございます。寺号公称を機に、妙證寺御一同様が布教区の模範としてますます寺檀和合・僧俗一致し、いよいよ隆昌を果たされますよう心からお祈り申し上げる次第でございます。

我等布教区一同も、この妙護寺様の怒濤の前進にあやかって、本年の誓願貫徹をめざし、精進することを心に誓いまして、本日のお祝いの言葉といたします。おめでとうございました。



『宗旨建立750年・法礎建立の年に向かって』 正説寺住職・早瀬義久御尊師

秋気澄む10月。本門戒壇の大御本尊御建立の意義深き月、また大聖人様御入滅の厳粛な月を迎えた「誓願貫徹の年」も残すところ3カ月。全国の法華講各支部は、30万総登山の完遂をめざし、総力をあげ精進を重ねている。明年は「宗旨建立750年法礎建立の年」と命名され、未来広布の基盤が確立される年となる。

昭和27年の宗旨建立700年慶祝大法要では、(1)六壼と客殿の新たな建立、(2)戦争で供出した大梵鐘の鋳造、(3)『日蓮正宗聖典』の出版、といった記念事業をもって、宗門の再建がはかられ、新たな広布への第一歩が力強く踏み出された。ときの御法主第64世日昇上人は、「時は恰(あたか)も日本国が独立再建の機会にあり、而るに国民は精神の支柱となる教法に迷い、思想は混乱して帰するところを知らない。正法の必要なるは今日より切なるはない。ここに聖祖の立宗700年を迎えるを思うとき立正安国の本仏の冥慮が心肝に沁みるを感ずる」(日蓮正宗聖典序)と記され、御仏智による時の招来を確信なされた。

この年、これに呼応するかのように、戸田城聖氏率いる創価学会は、(1)折伏した人は、信徒として各寺院に所属させること、(2)当山の教義を守ること、(3)三宝を守ること、この三原則を宗門に誓い、総本山外護の精神に立ち、果敢な折伏活動を展開していった。その立場は、どこまでも、「創価学会というのは、日蓮正宗のなかの一部の会であり、日蓮正宗には、法華講とか何々講とかあるうちの一つに、創価学会がある」(戸田城聖全集4−425ページ)とするものであった。

わずか50年、池田創価学会となるや大きく変貌し、いまや宗門を敵視する魔軍と化してしまった。ナポレオンは「理屈はどうでもよい。革命は未だ持たざる者がすでに持てる者より奪うことである」と言ったというが、池田大作は、自らを世界の指導者の座に置くため、御法主上人猊下の尊厳をおとしめ、宗門攻撃に転ずるまでになってしまったのである。名聞名利・我慢偏執の酒こそ恐るべしである。

大聖人様は『新池御書』に、「本性よき人なれども、酒に酔ひぬればあしき心出来し、人の為にあしきが如し」(御書459ページ)、「末代の衆生は法門を少分こゝろえ、僧をあなづり、法をいるがせにして悪道におつべしと説き給へり」(同1461ページ)、また『兵衛志殿御返事』には、「千年のかるかやも一時にはひ(灰)となる」(同1183ページ)と御教示のように、驕慢の心によって2代戸田会長の精神を踏みにじり、一切を無に帰してしまった。

かつて、第65世日淳上人は、「由来教義の混乱は目立たずに長い間には何時となく混乱してゆくのであります。此の弊書は常に能(よ)く講中が全部僧侶に接近してゆくことによって矯正せられたのであります。(中略)教義は結局正宗気質の表徴であります」(日淳上人全集719ページ)と警鐘を鳴らされたが、いま眼前にある事例を後車の戒めとしなければならない。

ここにおいて宗門は、宗旨建立750年を好機として、新たな出発を期し、未来広布の盤石な礎を築こうとしている。毎月行われる僧俗協議会も、すでに26回を数える。その目的とするところは、広宣流布の真の礎を築くことにある。本宗全体が、喜ぴに満ちた信心をもって正法広布に進んで行く、その最前線が法華講各支部である。したがって、宗門として、如何にすれば歓喜の信心をもって広布のお役に立てる支部を築くことができるか。如何にしたら折伏の精神みなぎる支部を構築することができるか。この点を熟慮し、宗務当局として、交流・啓発の場を設け、各支部が盤石な基礎を確立するよう願われているのである。

御法主日顕上人猊下は、「今、宗門の600になんなんとする寺院と、そこに組織された法華講信徒皆様の信心の結集と団結こそ、まさにこの崇高な目的を実践すべき場であることを、深くお考え願いたいのであります」(大白法517号)

この御指南を、お互いが深く拝し、歓喜と使命を持し、「宗旨建立750年法礎建立の年」に向かい、勇躍邁進していきたい。去るものは去り・また充ちて・秋の空 飯田髄太



体験発表 『新来者14名を迎えて群馬地方部青年部折伏座談会』
覚王寺支部・富山勝彦

皆さん、おはようございます。本日は、8月19日に行われました群馬地方部青年部主催の折伏座談会についてお話いたします。私は群馬地方部で青年部長をさせていただいております。また、本山任務輸送班といたしましても、早いもので十数年、御奉公さ世ていただいております。

さて、最近『大白法』でよく掲載されており、皆様もご承知のごとく、柳沢総講頭をお迎えして各支部で開催されております。折伏座談会は、僧俗一致、異体同心の折伏推進に大なる成果をもたらしています。以前から、法華講連合会の井手青年部長、川上副青年部長より、「僧俗一致の折伏座談会は、すばらしい。君の支部でも開催したらどうですか」とのお話をいただいておりました。そのたぴに、私は、正直に申しますと、「困ったな。うちの支部では、無理だな」と、最初の頃は本当に困惑いたしました。困ると思いつくのは言い訳です。「今度、青年部長に言われたら、何と言い訳しよう。誰かのせいにしようか」と考えつつ、暗い日々を過ごしておりました。

そんな中、本年「誓願貫徹の年」を迎えました。いよいよ宗旨建立750年・法華講30万総登山に向かって、最後の一年になってしまったのです。正月に、「このままではいけない。今年は何としても折伏するぞ」と決意を新たにしたのは、私だけではないと思います。しかし、時が経つにつれ、思いとは裏腹に行動が伴わず、自分自身がお寺やお山や会合に参加するだけで精一杯と思うのも、私だけではなかったようで、支部内の多くの方が、そのような心境になってしまっておりました。そうなると、支部では、何かしなくてはと、順序違いのちぐはぐな活動方針が出され、その指示に皆が流されたりしていきました。私はそれを改善し、前進するための力になれない自分に苛立ちました。良く考えてみると、原因は、折伏座談会のお誘いに、言い訳してその場しのぎを繰り返し、責任転嫁しか考えない、私の信心の姿勢に問題がありました。

原因に気がついたものの、現状では覚王寺支部での折伏座談会の開催は難しく、地方部青年部長として、各支部の講頭さんや青年部長に相談しましたが、「やりたいけれど今は難しい」とのお返事でした。私はまた困惑いたしました。そこで唱題し、考えました。「そうだ、地方部の青年部で開催を計ってみよう」と思いつきました。そうです。群馬地方部には、本山任務者として30万総登山をめざし、日々各支部で信行に励み、お山では全国の任務者と共に尊い汗を流し、純粋な信心を貫く三十数名の友がいたのであります。その後、7月18日の群馬地方部理事会の日に併せて、地方部青年部長会を開催して、折伏座談会を開催したいと呼びかけました。そして各支部の青年部長に、新来者を何人お連れできるか申告していただきましたところ、合計18名となりました。そこで私は、開催を決意して理事会に臨み、審議、認可をいただきました。その後、柴山地方部長にお供して、群馬布教区宗務支院長の無量寺御住職・舟橋泰妙御尊師へ御報告申し上げましたところ、快く御了解いただき、さらに折伏座談会の会場として無量寺をお貸しくださること、また数名の御僧侶の御出席までも、お約束いただきました。有り難くて涙が出る思いでした。

もうすべてが終わったかのように歓喜したのも束の間、地方部長より、「青年部長、本当に新来者を18名、無量寺へお連れできるのか」と聞かれると、不安が出てまいりました。しかし、「やるからには絶対に成功させなくてはいけない。やれば必ずできる」と自分に言い聞かせ、準備に取りかかりました。早速、井手青年部長、川上副青年部長にご相談し、様々なアドバイスをいただきました。そのおかげあって、作業は手際よく進みました。7月18日の開催決定から8月19日の開催日まで32日問でした。開催概要を作成して各支部へ郵送し、各支部青年部長とは電話とメールでやり取りし、ようやく新来者18名の名前が出揃ったのは、開催前日の8月18日でした。

その日は、群馬布教区僧俗協議会の日で、少し早めに伺って、柴山地方部長にお供をして支院長様へ新来者名簿を提出し、翌日の打ち合わせをさせていただきました。同席されておられた地域担当員の持経寺御住職・丸岡雄道御尊師からも、「成功を祈っていますよ」との有り難い激励をいただき、感激いたしました。


いよいよ8月19日、群馬地方部青年部主催の折伏座談会当日の朝、私は覚王寺において御住職と共に早朝勤行と唱題行をさせていただきました。そして柴山地方部長と共に無量寺へ早めに着き、食事を済ませて会場準備と打ち合わせをしておりますと、やがて、がやがやと人の声が聞こえてまいりました。「やった。新来者をお連れして、皆が集まりだした」と何だかうれしくて、わくわくしてまいりました。午後2時の開会が今や遅しと本堂にたくさんの人が集まりました。宗務支院長様のお計らいで10分早く開会させていただくことができました。

予定新来者リストは当日朝で24名にまでなりました。これは、青年部の皆さんが、予定していた方が参加できなくなったら、違う方に声をかけるなど、がんばったからです。そのうち、14名の方が参加しました。私が司会を務め、開会を宣言し、はじめに宗務支院長様の御導師で読経、唱題をしました。引き続き体験発表を3題行いました。浄法寺支部の林青年部長、無量寺支部の湯沢春代さん、本応寺支部の富岡青年部長と、本山任務もされている方々が、新来者に向かってすばらしい体験を話され、その後、本堂いっぱいに各支部が輪を作り、折伏座談会が始まりました。この日は、宗務支院長様の他、副宗務支院長の覚王寺御住職・野村法慎御尊師、正見寺御住職・光久顕道御尊師、常行寺御住職・渡辺道宏御尊師、善成寺御住職・水谷道健御尊師と群馬布教区12カ支部中、5カ支部もの御住職様方に御出席いただきました。一方、群馬地方部からは、地方部長の他、深沢副地方部長、板垣庶務部長、長瀬企画部長、内海少年部長、青年部長の私と、副青年部長の稲垣さん、森下さん、高橋さんの計9名で任に当たりました。また、開催会場となった無量寺支部より金子講頭さんはじめ、壮年、婦人の方々にもご協力いただき、盛大に開催できました。

座談会の最中、本堂をいっぱいに使ってできた、いくつもの折伏の輪へ御尊師方と地方部役員が、入れ代わり立ち替わり巡回して、一つ一つの輪を盛り上げました。入信が決まった輪からは、拍手と喜びの声が上がり、本堂に響きわたります。正味一時間半ぐらいの中、御尊師方も、紹介者も、地方部役員も、応援の青年部の皆も、一心に、「ここにいらっしゃる新来者一人ひとりを救っていきたい。一緒に30万総登山へ行こう」との思いで折伏を進めていく中で、私は、まさに異体同心とはこれか、僧俗一致とはこれか、と感じたのでした。以前、「折伏によって異体同心する」と聞いたことがありますが、私が体験した初めての情景でありましたお寺の御本尊様の御前に新来者をお連れして、御尊師が折伏されるお姿を目の当たりにできたことは、この折伏座談会に集った私たち青年のこれからの信心の糧となりました。

あっと言う間の約一時間半で、閉会を宣言するのも心苦しいほど盛り上がりました。最後に宗務支院長様より御法話をいただき、地方部長より御礼のご挨拶があり、題目三唱して無事終了いたしました。群馬の青年は、これまで「折伏せねば」との思いが、有効な行動につながらず、各人、各支部で悶々としておりました。しかし、柳沢総講頭と連合会の方々の、遮二無二進む姿に触発され、宗務支院長様はじめ布教区内の御尊師方と僧俗一致の上に、力を合わせて、初めて立ち上がりました。これは、今までにない新しい闘いだと思います。

今後、各末寺における御住職の御指導による信行をさらに力強く進めるためにも、地方部と支部の連携によるこの僧俗一致の折伏戦を推進していく決意でございます。なお、この日の成果といたしましては、参加した新来者は14名。そのうち当日の御授戒が3名、座談会を待たずに1名が入信、後日入信した方2名と勧誡1名を含めますと、合計7名の成果でした。当日入信決意した方は、無量寺以外の支部の縁の場合、直ちに紹介者の所属寺院に、御住職、紹介者と共に戻って、御授戒を受けておりました。参加した青年部は24名、御出席いただいた御尊師は5名、開催寺院の方々8名と地方部役員9名でした。

気がつけば早いもので9月になり、1年の3分の2が経過しました。残された3カ月余りを、あきらめず最後の最後まで誓願貫徹に向かって闘えるのは、我ら全国の法華講青年部と本日ここに集った私たちと確信しております。最後に、この9月度登山会に臨むに当たり、御住職にお願い申し上げ、覚王寺支部におきましても、11月初旬の折伏座談会開催をお許しいただきましたことを、皆さんにご報告申し上げ、体験発表といたします。最後の最後まで、折伏と御供養を共々に励んでまいりましょう。


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