大白法

平成13年11月16日号


主な記事

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奉安堂建設現場より

奉安堂11月16日(25b)


法華講連合会10月度登山会より

〇 激励 柳沢喜惣次委員長

皆さん、こんばんは。今日、はじめにお話したいことは、先月起こったアメリカの同時多発テロのことです。今年の夏期講習会終了後に、謝辞の後、私は再び登壇し、御法主上人猊下の『真実の証明』に対して、法界が必ず動くよということを話してきたでしょう。どう動くかは判らないけれど、今年の後半は、天は必ず動く。このことは、私の観心であります。

大聖人様の竜の口の御法難の時に、「江のしまのかたより月のごとくひかりたる物、まりのようにして辰巳のかたより戌亥のかたへひかりわたる」(御書1060ページ)というのは知っているでしょう。翌日がまた、すごいんです。『種々御振舞御書』を見てご覧なさい、依智の本間邸で夜中、大庭に出て大聖人様が月に向かって自我偈をあげ、後に月天子を「せめしかば・・・天より、明星の如くなる大星下りて、前の梅の木の枝に」掛かったということ。それを見て、警護の者が家の後ろに逃げ込んだことを、大聖人様が書き残されている。法界が動くんです。それを堅く信ずるか、信じないかです。私はそれを信ずる。


そこにテロが始まったでしょう。あれはアメリカでは9月11日ですが、日本は9月12日で、しかも夜中です。これが、どういう意味を持つか凡夫には判りませんが。アメリカは、あれだけのことをやられていますから、仮に報復じゃないと言ってみても通るものではない。アメリカの、テロを許さないという立場に対しては、どの国も反対はしない。だけど、やり方に対しては必ずしもみんな賛成してはいない。この辺を見逃してはだめです。また、彼を擁護する人々も、大勢いるんだということ。

先日、朝日新聞を見て、なるほどと思ったのは、救急車の、車の色や形は日本と同じようなタイプなのに、マークが、日本の救急車は赤で十字が書いてある、それが向こうは赤で新月が書いてある。赤十字じゃなくて赤新月なんですね。それだけ十字架を嫌うんだということ。これは我々が考えているようなもんじゃない。「十字軍」とひとこと言っただけで、イスラム各国から反発が出る。そこに、見逃してはいけないのは、文化が違うということ。こういうことは謗法のマスコミや学者が盛んに言っていますが、我々の認識はそんな程度じゃだめです。

イスラムであろうとキリストであろうと、苦しみから「救われない」ということなんです。それはどういうことかというと、憎しみが解決しない。我々は題目を唱えてますから、時に肚がたっても、一生憎んでいかないでしょう。端からみていたら、「あんた、この間まで憎んでいたんじゃないか、なんで憎み続けないのか」と。「だけど、やっぱり考えてみたらかわいそうだ」なんてね。この心が判らないところに、西洋人が日本人の理解に苦しむところなんですよ。

日本は仏教の国土だから、因果によって裁かれるということを教えられていて、我々は生まれない前から、体に染みこんでいるんです。因果によって裁かれることを知っているから、憎まない。それが仏法のすごいところなんだということを、皆さんもよく知っていてもらいたい。他のどんな宗教であろうと、コーランにしても聖書にしても、たとえば、泥棒しろなどとは書いてないように、仲が悪くならないように教えている。それでも、どうしても、憎しみが解決しない。憎しみが解決しないから、キリスト教では離婚が解決しない。夫婦でも1回ならまあまあ我慢しますがね、2度3度と裏切られたら、どうです、憎悪ですよね。怨憎会苦というのは八苦の中の一つの苦しみですからね。そういうところから、世界のどんな教えも一分一分にそれなりの効能はあるけれども、根本である煩悩の中の憎悪が解決しない。だから、謗法では憎しみは解決しないんです。

折伏していくときには、憎しみが解決しない教えはだめだ、ということを忘れないでください。それを頭に入れておかないと、来年の三十万総登山に向かっての折伏は前進しない。御題目を唱えることによって、憎しみは解決する、その上に、はじめて祈りが叶うということ。片方は必死に祈るから叶う。片方は憎しみが解決しない。そうしたら一生を通じていく間に、大きな差になるでしょう。一生かかって60代、70代になってくる頃には、僅かな祈りでもちゃんと叶っていく。ましてや登山しようと思ったら、いつでも登山できる果報になってくる。また、大勢を折伏して育ててありますから、晩年を子供や孫たち、甥や姪、みんなに守られ、安心した生活ができる。そういう果報になれたのには何を努力してきたかというと、特別に何をしたわけではない。ただ一生懸命拝んで、人にも拝みなさいと、それだけなんですよ。


ただ、そこで考えなければならないのは、大聖人様の仏法というのは、わずか2〜3年の勝負だなんて考えていたらだめです。一生かかってはじめて勝負がつくんです。ところが、今の人はそういう教育を受けていませんから、「一生懸命やって報われなきゃ、つまらない。長くても2・3年で勝負をつけろ」と言うんですね。生まれた子供が3歳になるまでに勝負がつきますか。人生の単位というのは、やはり30年なんです。30年を2回やると年を取って、もう、ごくろうさまになってしまう。

そこで、信心をしていく上に、「立ち返って見る」ということを、知っておいてほしい。若いときは、きれいな言葉で言うと、因から果に向かってどんどん進んでいくんですよね。それを60代、70代の果から立ち返って見ていく。すると今の境遇、環境と、10代、20代、30代の頃と比べたときに、誰も上り坂になってきている。

それから、女子部、婦人部の方々には、真言宗や念仏宗、他宗から、日蓮正宗の家に嫁いで5年や10年で「ああ、私は本当に良いところに嫁に来た」なんて思えるわけはない。主人は毎晩、信心活動でいない。子供の面倒は自分が独りで見なきゃならない、後家みたいなものだから。「なんでこんなところに嫁に来ちゃったのか」と思いますよ。それが17〜8年たって成長してきた子供が中学、高校生になって、意外と言葉遣いも尊貴のこともよく知って、目上、目下の見境のない言葉は使わない。よく考えてみると、自分がやってきたことを、そのまま真似してやってるんですよ。自分のほうは忘れちゃっているんですね。

自分なりに「後からくる人には、こういうところに嫁にきちゃいけないと言おう」と思っている頃は、まだ5〜6年目で、子供は小さいから判らない。子供が小学校のとき同級生だったお母さんたちと会うと、出てくるんですね、子供が不良になっているという話が。だんだん判って比較して見ると、うちの子供は、ちゃんと御題目を唱えているから、まっすぐに育っている。それではじめて「勝った」ということが判る。次に、自分の生い立ってきた実家を見る。そうすると、これはだめだということ。妹や弟の家庭では、子供は乱暴なことを平気でやっている。そういうことが30年のちょうど半ば頃に出てくる。そしてこれが30年たつと、はっきりする。どうはっきりするかというと、毎回話しますが、嫁に出す時、嫁が来る時。「よくもまあ親の嫌うタイプの子を」と思っても、だめですよね、本人がいいんだから。ぐずぐず言えば出ていってしまう。「いい娘を連れてきたな」と思ったら、これは勝ったんですよ。

実は子供のほうが親を見ているんです。好きな彼女がいて、折伏したら「やらない」と言うから、「じゃあ、だめだね」と自分で見切りをつける。母親が「この前のあの娘はどうしたの」と聞くと「うん、あれはだめだよ、信心しないと言うんだ。そういう人は、お母さんたち承知しないだろ、うまくいかないもんな」なんてね。そういう子はしぱらくは縁が遠いけれど、心配することはない、悪縁が切れていくんですから。2〜3年ブランクが続いたって、ちゃんといい縁が出てくる。仏様がちゃんと見ていてくださっているということです。

そういうふうに、我々の生活は信心が第一です。その評価というのは、今、3つお話ししましたが、憎しみが解決するか、祈りが叶うか、そして人生を振り返って勝ったか、それで決まってくるんですね。


申し遅れましたけれど、連合会の草創期から、また皆さん方には、この月例登山でもお世話になりました島崎総務部長さんが10月3日に亡くなりました。生前、たいへんお世話になり、ありがとうございました。篤く御礼申し上げます。たいへんいい死相で、大白法11月1日号にも「島崎総務部長を偲んで」の記事が載っています。

彼は私の縁で入信して、51年間ずっと一緒に来ました。はじめ内得信仰でと思ったら、今の御法主様が当時、御住職でして、「内得信仰というのは昔のことだよ。今はもう内得信仰じゃないよ」と折伏されて、御本尊も戴いて、その足で御本尊送りに行ったんです。まことに世話をやかせなかった人でした。臨終間際までがんぱって、いい死相でした。もともと色は黒くないが、抜けるような白さで半眼半口でね。それを見て私も納得しました。でもやはり、凡夫ですね、火葬場で内側の扉が閉まった時、「お前一人で行くんだぞ」と思ったら、涙が出てきた。それまでずっと二人でしたから。そのとき思いましたね。人間は死んだときの臨終の相ばかりではない、生きているうちに、振る舞いを見ていれば判るんだと思ったら、また一段と信心の確信を深めましたよ。


さて、来年に向かって、鬨の声までいかなくても、どんどん勢いが上がってきてほしいと思うけれど、今一歩という感じですね。これは皆さん方もお感じになっているでしょう。そこで、なぜ折伏の問題が進まないかということを、二つ申し上げたい。

一つは、我々に「徳がない」ということです。徳は、誰も皆ありませんけれど、御供養をしてきた上に戴く徳というものが、身についていない。御供養をしてきた人は、「必ず利益を戴けるよ」と確信を持って言い切っていける。それは、体全体が御供養の利益の体験を知っているからです。それがために折伏が容易にできるのです。これがないと、だめですね。

もう一点は、今やっていることが、本当に正しいかどうかということ。これは自分一人で決めたってだめです。では、誰が軍配を上げるのかというと、法界が軍配を上げるんだということです。全国をずっと回っているときに話してきていますが、『大悪大善御書』にごく簡潔に仰せです。簡潔だけど、びしっと決まっている。「大事には小瑞なし、大悪をこれば大善きたる。すでに大謗法国にあり、大正法必ずひろまるべし。各々なにをかなげかせ給ふべき」(御書796ページ)と仰せあそばされる。

この「大事には小瑞なし」とは、我々の願いというのは、“わずかな”欲望の満足なんですね。御利益でも、みんな“わずかな”願いなんです。大事の瑞相というのは、そんなものじゃない。大悪が来るのです。これが頭の中になければだめですね。大悪起これば大善が来る。これは、大善の来る瑞相だよということです。

「すでに大謗法国にあり」、これは、今、日本には創価学会という大謗法を先頭に、いるじゃないですか。ところが御書がよく判らないと、あまり結びつかない。「テロがあったのはアメリカじゃないの」なんて感じでね。ところが、これが日本に大きな問題になってくる。そこに、「大正法必ずひろまるべし」というんだから。そして「各々なにをかなげかせ給ふべき。迦葉尊者にあらずとも、まいをもまいぬべし。舎利弗にあらねども、立ちておどりぬべし。上行出菩薩の大地よりいで給ひしには、をどりてこそいでし給ひしか。普賢菩薩の来たるには、大地を六種にうごかせり。事多しといへども、しげきゆえにとヾめ侯。又々申すべし」(同)と。この舞い出てくるというのを、扇子を持って舞うような、あんな感じを持っちゃだめですよ。

上行菩薩は四菩薩を先頭に、六万恒河沙の眷属、その六万恒河沙の眷属にまた六万恒河沙もいるんだから、先のほうが、ちょろちょろと出たんでは、後のほうは間に合わない。仏様から「出てこい」と言われたら、「うわーっ」と次々に舞い出なければ、後がつかえてしまう。そういうことを頭に入れますと、この御文が判ってくる。

今、私たちが御題目を一生懸命唱えておって、これだけの大難が現れてきていても、舞い出てこないのか。どうなっているのかと思っているでしよう。今、世界中が大変化していく時です。それは今までの価値観では通用しないことと、新しい価値観、すなわち大正法の弘まる時だからです。そこに、我々やあなた方が、実は舞い出なければだめなんです。結論はそれなんですよ。

「あなた方一人ひとりが、地涌の菩薩だということを自覚してほしい」という、その話をもう少し、しますと、身延派等では、「今に上行菩薩が出てくる」と、今でも思っているんです。本当にそうなんですよ。何故かというと、『開目抄』を見れぱ、巍巍堂々としてお釈迦様よりも素晴らしく歳も取っていて。「そういう姿をした人が、まだ出てこない」と。凡夫の大聖人様では気に入らない。大聖人様が出ているのに、「まだ出てこない」と。では、どんな人が出てくるんだと、「お釈迦様のような姿、形のお方が出てくるんだ」と思っている。

南無妙法蓮華経は大聖人様が唱えなさいと言って、御自身が先に唱えはじめられているんでしょう。凡夫のその大聖人様をすっぽかして「お釈迦様が出てくるんだ」というのは、今の無自覚な私たちと似ているかも知れない。「自分はとても地涌の菩薩だなんて、そんな立派な者じゃない」と、みんなそう思っている。では聞きますが、どこにいるんですか。今、時が来ていて、まだ現れないんですか。大聖人様が南無妙法蓮華経と唱えなさいと言われてから、来年で750年が過つんじゃないですか。そういう、皆さんや我々が考えているような地涌の菩薩がどこかにいるとしたならば、どこにいるんですか。

我々が、自覚して舞い出なければだめなんです。それが、今、30万総登山に向けて、次から次へと出てこなければ。そのことが曖昧になっているから、今一歩の元気がないんです。そのことはお互いに自覚しないと駄目ですね。みんな南無妙法蓮華経と唱えているんだけど、『信解品』に出てくる「客作の賎人」(法華経194ページ)と同じですよ。御題目を唱えても、長者の家の子なのに糞尿を取っている立場で、こんな立派な家の子ではないと思っている。

皆さん方も、大聖人様の御許にいて、いろいろと御利益を戴いたり、励ましてもらったりしていながら、まだ客作の賎人のような考えから抜けられない。そういう考えで、一生懸命に御題目を唱えていても、だめですよね。「舞い出てきたんだ」という自覚、しかも法界は、これだけの大難が出ている!そしてこれは、さっき言ったように、三大秘法の御本尊でなければ苦しみを解決できない。そのことを我々は知っている。この辺のところを、よく自覚してほしい。

我々は、凡夫だと自分で思い込んでいますけれど、凡夫は当たり前ですよ。大聖人様は12分に御承知の上で、我々に教えを施してくださっている。だから、「末法の衆生には難しいことを言ったってだめだ」と、そのことが、大聖人様の『四信五品抄』の中に、「以信代慧と言われるんですよ。仏正しく戒定の二法を制止して一向に慧の一分に限る。慧又堪(た)へざれば信を以て慧に代ふ」(御書1112ページ)と。信を以て慧に代える。その信とは、大聖人様を信ずることです。


750年前に、大聖人様を当時の人々から見たならば、ある日突然、南無妙法蓮華経を唱え出すのですから、誰だって今様で言えば新興宗教だと思いますよ。そこに大聖人様が、勝手に言っているのではないという、釈尊との脈絡をきちっとしなければならない。この、釈尊との脈絡をきちっとしていく中で、ずっと、「御題目を唱えなさい」と言ってこられ、その脈絡のけじめがきちっとしていくのが、竜のの口の断頭場裡ですよ。

在世の衆生、四条さんや富木さん等、その方々と自分と置き換えて見る時、私たちの前には、常に半歩前、一歩前に大聖人様がおられることが判るんです。大聖人様を信じて、「南無妙法蓮華経と唱えなさい、人にも唱えさせなさい」と言われるとおりにやっていく。何が出てくるかと言えば、「何だ、いつの間にか偉そうになって、自分だけ偉いと思って」なんて仲間は言ってくる。だけども、大聖人様を信じているから、何と言われようと御題目を唱え、人々にも「御題目を唱えなさい」と言って10年・20年経っていく間に、自分も成長していくし、また結婚もする。子供にも唱えさせていく。子供にとっては、自分の一番身近にいる親が、一番偉い人ですから、その親がちゃんと御題目を唱えていけば、その通りやっていきます。そうして30年・50年と経っていく。

人の一生は生老病死、さらに四苦八苦の苦しみですから、楽しいときもあれば、苦しいときもありますが、苦しいときには来世の苦しみを考え、楽しいときも、「今生の楽しみは夢の中の栄え」と臨終の夕べに至るまで、余念なく退転なく、南無妙法蓮華経と唱えていって、初めて成仏するんです。

そこに、半歩、一歩前を歩くお方が、即身成仏の姿を示してくれなかったら、だめでしょう。この疑問を持っていなければだめです。大聖人様の御入滅は、成仏のお姿を、はっきりと示されているのですが、滅後の衆生は見ていないから判らない。そこに日有上人様が、化儀として『御会式』の儀を残してくださっているんです。私たちは、御会式の法要の中で、御申状を拝する姿、形を見て、大聖人様の立正安国の御意が得心できるのです。人に御題目を唱えさせていく、御題目を唱えなければ即身成仏も叶わない、苦しみも解決しない、国土の繁栄もない、ということが我々の歩いていく道なんだということですよ。

今は因の立場から、今度は、仏の果の立場から、私たちにいろいろなことを教えてくださる。それは、戒壇の大御本尊様が、弘安2年に御出現になるでしょう。戒壇の大御本尊様御出現以後、滅後の人々は、「この戒壇の御本尊様以外には拝んではだめだよ」と仰せられるのです。大聖人様は、当時在世の方々の半歩前、一歩前で、ずっと導いてきてくださるんですよ。戒壇の大御本尊様は久遠元初の仏様であり、言葉を代えて言えば、そのお方は日蓮大聖人様であります。

今日、化儀として現された中に、私たちは、半歩、一歩前どころではなく、毎朝・毎晩の勤行・唱題において、大聖人様を目の前に拝しているんです。そこに、以信代慧ということは大事なことなんです。何にも判らない。したがって「判ったらやる」なんて、とんでもない話ですよ。判らなくても判らなくても信ずるというのが大聖人様の仏法なんです。禽獣に同ずるような、恩も何も判らない衆生に対して、「御題目を唱えなさい。人にも唱えさせていきなさい」と教育してくださる。

生活の上にいろいろなことが出てくるたびに「拝みなさい」と言われ、一生懸命拝む。苦しみも救われ、智慧が開いていくんです。そして、一生の間に必ず仏に成ることができるよと言われているのが『松野殿御書』の末文なんです。


コーランにはどうの、聖書にはどうのと言ったって、苦しみ、憎しみは解決しないのです。やっていることを見れば判ります。これを私は「西洋の外道」と言っているのです。東洋の外道は儒教が代表です。外道には、それなりに外道の教えに依る理想像というものがあるんです。儒教の場合は、仁・義・礼・智・信を本として、道徳を作り大勢の人々を導いてきましたが、末法には通用しないのです。では、末法の衆生はどうすればいいかというところに、仏様は大慈悲の上に、南無妙法蓮華経を唱えなさいと教えてくださり、大御本尊様をお顕しくださって、無二に信じていくところに、一切の苦しみ、罪障も、祈りも、道理も、きちんと判ってくるよと、日寛上人様も私たちに御指南くださるのです。

それを、自分が無自覚で、「そんな立派な人間じゃないよ」なんて言う。そういう立派でない凡夫が、言われたことを信じて振る舞っていくんです。人の苦しみを心配して、「御題目を唱えなさい」ということほど、立派な振る舞いはない。それには、自分も真剣に拝んでいなければだめです。これだけの振る舞いを謗法や他門の学匠にだって、できますか。どんなに理屈を並べようと、所詮は我欲じゃないですか。そんなことは、日本の国会でも、あるいは行政・司法でも、怨嫉の固まりになって、互いに傷つけ合っている。

その中で、ちびた下駄を履いて、人に何と言われようと「難儀なことだ。御題目を唱えなさい、よくなっていくよ」と言って30年・40年やっていくことです。「それで本当に幸せになれるんですか」なんて言っていたらだめですよ。そのことが実現しているから、御宗門は749年もそのままで続いてくるんですから。どんなにいいことを言っても実際に利益がなかったならば、身延や他門のごとくに、とっくにおかしくなっていますよ。そのへんのところをよく自覚して、本年の残り2カ月を、御供養に、折伏に、30万総登山の推進に、がんぱっていただきたいと存じます。よろしくお願いいたします。




体験発表 『娘の祈りに動かされてお寺へ』
常泉寺支部・井沢芳明

皆さん、こんばんは。私は、平成12年12月3日に入信いたしました。本日は入信に至るまでの体験をお話させていただきます。私は現在、千葉県柏市に在住し、一男二女の3人の子を持つサラリーマンです。団塊の世代の少し前の昭和18年生まれで、所得倍増、列島改造、高度成長と右肩上がりの昭和40年代から50年代を企業戦士として働き続けた一人です。

宗教に関する青年時代の記憶をたどりますと、『宝島』を書いたイギリスの作家スティーブンソンの随筆『若き人々のために』を読んだ当時のことが蘇ります。この中に恋愛論や結婚論があるのですが、特に記憶にありますのは、西洋においては、結婚の条件の1つに挙げられるほど、宗教や信心は大切なことだといっていた点であります。

ところが我が身を含めて大多数の日本人を振り返ってみますと、お寺というのは葬式や法事をする所、お彼岸にお墓参りをする所、というのがせいぜいで、宗教と信心は切り離して考えておりまして、ましてや宗教や信心が結婚の大切な条件の1つであるとは考えてもいなかったのではないでしょうか。私自身も、私の父が70歳を過ぎて父の実家の菩提寺に一緒にお墓参りをするまで、自分の家が天台宗であることを、全く知らずにおりました。


そんな無信心な人間でしたが、人並に結婚し子供を3人育て、サラリーマンの終着駅である定年まで、あと少しのところまで歩み続けることができました。子供たちに対しては、学校を卒業した後は自分の人生、各自の人生を大切にするよう、言ってはおりましたが、2番目の子供であり、この信心を勧めてくれた娘の里香が、当時、父親の私にたいへん反抗的でありました。

私は仕事柄どうしても服装や職業で人を判断する習慣が抜けない上、一流校・一流企業をめざすのが人生の幸せと思っていた節もありました。その娘が、親に相談もなく勤めを辞め、独り暮らしを始めた上、しばらくして商売を始めると言ってきたときはたいへん驚き、心配もしましたが、がっかりもいたしました。短大を出て、専門学校まで卒業しながら何で行商人のような生活を始めるのかと思い、問いただそうとしましたが、「お父さんは身なりや職業で人を判断する悪い癖がある」と言われたことを思い出し、黙っておりました。家内にはいろいろと相談し、少々の援助も受けていたようですが、素人が始めたビジネス故、うまくいかず悩んでいたようでした。

そんな折、娘は、常泉寺支部男子部の桜井昭弘君から入信を勧められ、信心していくうちに、生活その他、身の周りのことが、徐々に整ってきたようでした。そんな娘の苦労も知らず、私はゴルフや旅行に明け暮れる生活を送っておりました。家内は私の退職後や老後のことを考え、夫婦2人でできる生き甲斐として健康飲料水の普及を手がけておりました。これが軌道に乗りかけた頃、娘から日蓮正宗に入信したと聞かされました。

いつも自分の判断で行動する娘ですから、反対して親子ゲンカになるのは避けたいと思い、「ああ、そうかい」と言うに留めました。とは言っても、新興宗教にマインドコントロールされたのではないかという心配はありましたので、「日蓮正宗というのは創価学会か」と聞きましたら「違うよ」という返事でした。翌日、書店で学習研究社から出版されている『日蓮の本』という書物を購入いたしました。日蓮各宗派系チャートに日蓮正宗の名前があり、新興宗教でないことを知り、安心した次第です。


私の宗教に対する認識は無に等しく、父が亡くなったときに墓地を購入し、お墓を建立しなくてはならないという必要に迫られ、当時少しは仏教について本を読んで調べはいたしましたが、日蓮宗は宗派が多いこと、創価学会、霊友会、立正佼成会も皆同じ宗派なのだというくらいの認識でしたから、正しい宗教が何であるかも判らず、ただ墓石に御題目を刻んでもらい、親類や知人の葬儀などには、「南無妙法蓮華経」と唱えたり、曹洞宗の法事で般若心経を読まされても何も感じないありさまでした。父が亡くなるまでは家に仏壇がなかったものですから、宗教や信仰にはほとんど無縁の生活を送っていたわけです。

娘から何度となくお寺へ一緒に行ってほしいと言われていましたが、いつも1週間くらい前に突然電話で言ってくるものですから、スケジュールが入っていると断っておりました。あるときも、娘が、お寺で体験発表するから聞きに来てほしいと言ってきましたが、突然の誘いでもあり、ゴルフの予定が入っていたので断ったところ、電話の向こうで娘が泣いておりまして、これにはさすがにびっくりいたしました。泣くほど大切なことだったのかと反省いたしまして、早目に予定を知らせてくれれば出席すると約束いたしました。

昨年の11月中旬頃、お寺で大切な行事があるので来てほしいと言われました。12月3日の常泉寺の「お虫払い」の法要の日だったのです。そのとき初めてお寺に行く約束をしましたが、我々が断るのではないかと娘からは何回も確認の電話が入りました。


そしていよいよ12月3日、東武伊勢崎線の業平橋駅まで迎えに来てくれた娘と、初めて常泉寺の山門をくぐりました。本堂にはたくさんの御本尊様が本堂一面に掛けられ、ご年配の方々や若い方たちに混じって、子供たちまでが集っており、その方々の生き生きとした雰囲気に圧倒されはしましたが、このとき娘の選択は間違っていないと確信いたしました。

法要の後、場所を変えて執事の須藤正伝御尊師からお寺や宗教・信心に関するお話を伺いました。折しも平気で弱い人をいじめ、死に追いやる事件が次から次へと報道される今の世の中に疑問を感じ、これからの人生の中心に信心を据えることを考えていた折でもあったため、執事様のお話にはたいへん心を動かされました。また、同席してくださった桜井ご夫婦からの熱心なお話とお勧めに、御授戒を受ける決心をし、その日の夕の勤行で御授戒を受けさせていただきました。

信心することの難しさも、たいへんさも考えず入信いたしましたので、入信後は、早く娘に追いつこうと日蓮正宗の出版物を桜井様からお借りして読み始めました。娘からも勤行と唱題の大切さを教わり、早速始めました。朝は出勤前にと4時半に起床、5時に朝の勤行を開始、夜は帰宅後9時に夕の勤行を開始することを日課として生活に取り入れました。勤行の仕方も判らないため、土曜・日曜は予定のない限り常泉寺へ伺い、朝の勤行をさせていただきました。 

そして次に御本尊様をお迎えする準備にかかりました。先ほども申しました通り、父の実家は天台宗でしたが、我が家では日蓮宗の仏壇に父の位牌が安置してありました。これは、父が生前、家の近くなら我々子供たちにとって墓参りが面倒にならないだろうと言っていたことから、徒歩15分くらいの日蓮宗・妙蓮寺に墓地を求めたためであります。

御本尊様を御安置させていただくにあたっては、母と何度も相談いたしました。日蓮正宗の正しい仏壇に換えることや、位牌を仏壇に置けないこと、墓地のあるお寺との今後の付き合い方などなど、母の心配を取り除き、今年の4月8日に母も御授戒を受け、御本尊様をお迎えする準備が整いました。

そして今年6月9日に無事御本尊様を御下付戴くことができました。その足でお忙しい中、執事様にお運びいただき、桜井様父子、青年部長の荻阪様、青年部の皆様に多数ご臨席いただき、賑やかに御本尊様をお迎えし、御入仏させていただくことができました。

御入仏までの約半年間、会社が休みとなる土曜・日曜は常泉寺様の朝の勤行に時間がある限り参加させていただきました。今後もこれは続けたいと思っております。これは、家内が太鼓の音を聞きながら御題目を唱えることを楽しみにしているからです。


御本尊様をお迎えした翌々週の6月23日、24日には第7回夏期講習会に参加いたしました。御法主上人猊下様直々の御講義を拝聴する機会に恵まれ、宗旨建立750年に向かう最後の講習会に未熟ながら参加できた幸運を感謝しつつ、下山いたしました。この気持ちを忘れず、

「無益(むやく)の事には財宝をつ(尽)くすにお(惜)しからず。仏法僧にすこしの供養をなすには是をものう(物憂)く思ふ事、これたゞごとにあらず、地獄の使ひのきを(競)ふものなり。寸善尺魔と申すは是なり」(御書1457ページ)

という大聖人様の御言葉を心に留め、精進してまいりたいと思っております。折しも宗旨建立750年、奉安堂建立という大事な時期にこの信心に巡り合わせていただけた幸運を思い、できる限りの御供養をさせていただこうと心に誓っております。

また、我が家にはこの信心を勧めてくれた娘の他に2人の子供がおりますが、まだ入信しておりません。法統(ほっとう)相続をきちんとしていくのが親の勤めですから、娘から教えられた正しい信心が2人の子供たちに伝わるよう、唱題に励みたいと思っております。健全な若木が大木・銘木に成長していくように、伸びゆく青年時代にこそ信仰に励むならば、どれだけ大きな人生の力となり、強固な礎(いしずえ)となるであろうことを早く気付かせたいと念じております。


また本日ご参加の皆様の中には、ご両親の折伏に苦戦されている方も多くあると聞いております。子供に折伏された親の体験から、たいへん僭越(せんえつ)ですがアドバイスさせていただけば、

1つ目には、決して諦(あきら)めずにお寺の行事にお誘いすることです。かわいい子供から誘われていつまでも断れるものではありません。必ず来てくださると思います。そこで御住職様や法華講の皆様のお力添えがあれば御授戒を受けてくださることは間違いないと思います。

2つ目に、大聖人様の御言葉を引用してご両親にお手紙を差し上げるのはいかがでしょうか。私も娘の里香から私の誕生日にファクシミリで、「蔵の財より身の財、身の財より心の財」と大聖人様の御言葉を送られ、物のあり余る現代社会を生きている人間として大いに反省し、感銘を受けたものでした。

3つ目には、「祈りとして叶わざるなし」との御言葉を固く信じて唱題に励むことです。これは入信後に荻阪青年部長からお聞きしたことですが、娘の里香が私共夫婦のために一生懸命唱題に励んでくれたそうです。その祈りが通じ、夫婦揃って御授戒を受けることができたと感謝しております。

以上3つのことを実践し、この正しい信心をすることによって、これまでとは違った自分の姿をご両親に見ていただくことです。生き生きと生活している子供の顔や姿を見て、必ずや親御さんは心を動かしてくださるだろうと思います。

最後になりましたが、明年の宗旨建立750年・法華講30万総登山にはまだ入信していない2人の子供を必ず折伏することを決意し、そして常泉寺支部誓願2000名を名実共に成就できますよう「一人が一人の折伏」と「唱題」により一層励みたいと思います。

※この原稿は昭倫寺支部の若山さんの御協力によって転載いたしました。




教学用語解説 『無所畏』

<無所畏とは>

無所畏は、法華経の『方便品第二』や『譬喩品第三』等に説かれ、四無畏・四無所畏ともいいます。これは梵語の「経験」「練達」の訳語で、仏や求道者が教えを説く際に具えている揺るぎない4つの「境地」を表しています。この無所畏の語は、大乗・小乗の諸経論にも多く見られ、「仏」と「菩薩」の境地を「自信」と示して、それぞれ挙げられています。

また『方便品』には、「舎利弗、如来の知見は、広大深遠なり。無量、無礙、力、無所畏、禅定、解脱、三昧あって」(法華経89ページ)と説かれ、無所畏が仏の広大深遠な智慧の徳目として挙げられています。このことから無所畏の「境地」とは、畏れを感じない4つの「智慧」「智力」とも解せられます。


<仏の四無所畏>

仏における無所畏は、『増一阿合経』や『倶舎論』等に、正等覚無畏・漏永尽無畏・説障法無畏・説出道無畏と4種説かれています。

このような仏の4つの境地は、十力(十種の智慧)を具えた仏の心地であり、広大な徳の上に常に安楽な境界であることを示しています。すなわち、それは仏の無所為とは、仏が一切の覚者であるという自信を持たれ、煩悩を断じ、邪道を誡め、苦しみから離れる道を示す、という4つの畏れなき徳をいいます。


<菩薩の四無所畏>

次に、仏から教説を授かる立場にある菩薩の無所畏は、『大智度論』に、能持無所畏・知根無所畏・決疑無所畏・答報無所畏として4種、その境地が示されています。

このように無所畏とは、仏菩薩の教法を流布するに当たって、全く危惧することがない不動の境地を表したものなのです。


<無所畏とは折伏行>

無所畏について、日蓮大聖人は『御義口伝』に、「説法とは南無妙法蓮華経なり、心無所畏とは今日蓮等の類南無妙法蓮華経と呼ばはる所の折伏なり」(御書1779ページ)と仰せられ、末法における無所畏が、大聖人及びその門下の南無妙法蓮華経と唱えて行ずる「折伏」であることを明確に示されています。

さらに『御講聞書』でも、「所謂南無妙法蓮華経の大音声を出だして諸経諸宗を対治すべし。『巧於難問答、其心無所畏』とは是なり」(同1855ページ)とあることから、『涌出品』の「難問答」の語に対し、諸宗に向けての「折伏」を表す心構えを無所畏としていることが伺えます。このようなことから、仏の無所畏とは、末法の御本仏、大聖人の御境地を指しているものといえます。

その大聖人の顕された人法一箇の御本尊を根本に行ずる本宗僧俗の弘教につき、御法主日顕上人猊下は、「妙法を受持して、たとえ一人なりともこの正法を説き勧めんと志すその身に、宛然として地涌の菩薩の深く尊い境界と功徳が具わるのであります」(大白法517号)と仰せられています。すなわち、他に正法を畏れなく説き・時機を鑑み、疑問に答え、邪説を論破するという折伏行こそ、無所畏の徳性を顕していくものとなり得るのです。


<無所畏の行体は唱題>

このように折伏行は無所畏の意に適った所業ですが、その実行と成就の行体は唱題行にあります。

折伏は慈悲の行為です。慈悲とは抜苦与楽であり、『御義口伝』に、「一念三千は抜苦与楽なり」(御書1786ページ)とあるように、仏の当体、すなわち御本尊に題目を唱えるときに、初めて慈悲行である真の折伏も可能となり、何物にも畏れることのない正法流布への不動なる境地が得られるのです。

私たちは、無所畏の根底に具わる唱題をもって、師子王のごとき勇気溢れる折伏を実践し、一人でも多くの人を救済する慈悲行に邁進してまいりましよう。


※この原稿は修徳院支部の川人さんの御協力によって転載いたしました。


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