大白法

平成14年3月16日号


主な記事

<1〜2面>

<3〜8面>


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やさしい教学 『良医病子の譬』

昔むかし、あるところに、どんな病でも治してしまうという、非常に腕の良い医者がいました。そして、この医者には、たくさんの子供がいたのです。

あるとき、医者は用事で遠くの国に出かけました。その留守の間に、子供たちは、薬がたくさんある棚から、おもしろ半分に、毒薬を飲み込んでしまったのです。それはたいへんな毒で、子供たちは悶(もだえ)え苦しんで、地面にのた打ち回り、苦しみのあまり本心を失っている子供もあれば、あまり毒に犯されずに気が確かな子供もいました。

そこへ、医者の父が戻ってきたのです。その様子を見た父は、大変に驚くと共に、何と愚かな子供たちであろうかと、深く悲しみました。

子供たちは、父が帰って来たのを知ると、喜んで父に、「よく無事にお帰りになりました。私たちはたいへん愚かで、お父さんが留守の間に、誤って毒薬を飲み込んでしまいました。どうか治療をして、命をお救いください」と、助けを乞うのでした。

父は、急いで子供たちの病を癒(いや)そうと、好い薬草ばかりを集めて、突いたり砕いたり、篩(ふる)ったり混ぜ合わせたりして、ついに色も香りも味わいも好い、最高の薬を作り上げたのです。

そこで、父は子供たちに、「この薬は、色も香りも味わいも最高であり、どんなに重い病でも治してしまう効き目があるから、今すぐにこれを飲みなさい。そうすれば、たちまちのうちに、お前たちの病は癒(い)えるであろう。だからもう、何も心配することはないぞ」と言って、その良薬を与えました。

子供たちの中でも、心がそれほど乱れておらず、まだ本心を失っていなかった子は、父の言葉を信じ、さっそくその薬を飲みました。すると、たちまち病は癒えていきました。ところが、毒が深く入り込んで、本心を失ってしまった子は、父が帰って来たのを喜び、助けを求めていたのにもかかわらず、父の調合した薬そのものを疑ってしまい、飲もうとはしなかったのです。

そこで、父は考えたあげく、一つの方便(ほうべん)を思いつきました。父は、「私は、既に年老いて、身も心も衰え、間もなく死ぬであろう。だから、この最高の薬を、今ここに留めて置くから、私の言葉を信じて飲みなさい。飲めば必ず病は治る。だから、疑ってはならないぞ」と子共たちに言い聞かせると、再び遠い他国へと旅立ちました。

するとある日、父の使いの者が子供たちのところへやってきました。そして、その使いの者は、子供たちに、「あなた方の父上は、既に他国でお亡くなりになられました」と言いました。

この知らせを聞いた子供たちは、深く悲しみに沈みました。そして、「もし、お父さんが生きていてくれたならば、私たちのことを慈悲深く哀れんで、よく護ってくださったのに。しかし、今は私たちから遠く離れた他国で亡くなられてしまった。私たちは、頼る方もいない孤児になってしまったんだ」と落胆したのでした。

それからというもの、子供たちは来る日も来る日も悲しみに閉ざされ、父の言葉を信じなかったことを後悔しました。そして、その中でついに本心に醒(さ)め、父の残した良薬の色も香りも味わいも好いことに気づくと、その良薬を口に含んだのです。すると、みるみる元気なもとの体に戻っていってのでした。

その様子を、他国で聞いていた父は、子どもたちが皆元気になったことを知ると、子供たちのいる我が家に帰ってきたのでした。そして子供たちは、再び父が自分たちのもとへ、戻ってくれたことを、大いに喜びました。



◇ ◇ ◇

このお話は、法華経の『如来寿量品第十六』の中に説かれています。この譬を、末法の今日、私たちの身に当てて拝するならば、非常に腕の良い医者とは、末法の御本仏たる日蓮大聖人様のことであり、たくさんの子供たちとは、末法の一切衆生のことなのです。

つまり、子供たちが誤って毒薬を飲んでしまったということは、日本国の一切衆生が、法華経以前の低い教えに執着する謗法の僧侶たちの、誤った教えを信じ込んでしまい、災難の苦海に喘(あえ)ぐ姿を指すのです。

そして、この時に、父の医者が戻ってきたということは、貞応元年2月16日に、末法の御本仏たる日蓮大聖人様が日本国に御出現あそばされたということです。

さらに、子供たちが父の帰りを知って喜んだというのは、苦しみに喘ぐ衆生の心中に眠っていた仏性が眼を醒まして、歓喜したということです。ところが、毒気が深く入った衆生が多いために、自らの仏性を喜びを覚(さと)る者はいなかったのです。

そこで父が、直ちに子供たちの病を癒そうと薬を調合し、良薬を飲むよう勧めたということは、大聖人様が無量の教法の中から、最も勝れた法華経という薬草より妙法蓮華経の大良薬をお説きになられ、衆生の謗法による三毒の病を治すべく折伏・弘通あそばされたということです。

本心を失わずに父の言うとおりに良薬を飲んで病が治ったという子供というのは、大聖人様の教えを信じて弟子檀那となり、正法を護持して即身成仏を遂げた順縁の衆生をいい、逆に本心を失って父の言葉を信じることができずに良薬を飲まなかった子供というのは、謗法の毒気によって大聖人様の教えを信ずることができず、かえって大聖人様を怨嫉して、誹謗・中傷して地獄に堕ちていった逆縁の衆生を指すのです。

そこで父が再び旅に出た後、旅先から使いの者に自分が亡くなったと、子供たちに告げさせたということとは、大聖人様が衆生に恋慕の心を起こさしめるために、弘安5年10月13日、武州池上の宗仲館で御入滅あそばされ、滅不滅の相をお示しになってということです。

そして父が、子供たちが本心を取り戻して良薬を飲み、もとのように元気になったのを知って、子供たちに再会したというのは、大聖人様が常住不滅の御尊体たる本門戒壇の大御本尊を未来広布のために御図顕あそばされ、この大御本尊様を信じ奉る者に対して、三世常住の御利益を垂(た)れ給ふことを指すのです。

大聖人様は、『聖愚問答抄』に、「仏を良医と号し、法を良薬に譬へ、衆生を病人に譬ふ。されば、如来一代の教法を撞篩和合して妙法一粒の良薬に丸せり。豈、知るも知らざるも服せん者、煩悩の病ひ癒えざるべしや」(御書408頁)と仰せのように、貧・瞋・癡の三毒による煩悩の病に苦しむ末法の一切衆生を救うべく、妙法の大良薬たる本門戒壇の大御本尊様を、今日、総本山大石寺に留め在かれたのです。

そして、この大法を受持するならば、どんなに深く毒気が入った者であっても、必ず苦しみから救われ、やがて即身成仏の大果報を得ることが叶うのです。ですから、私たちはこの御本仏日蓮大聖人様の御金言を決して疑うことなく、信の一字をもって自行化他にわたる信心修行に精進していくことが大切なのです。

本年は、宗旨建立750年の大佳節の年であり、宗門未曾有の法華講30万総登山が行われる千歳一遇の時です。私たち法華講員は、今この時にこそ、謗法の病に苦しむ世間の人々を一人でも多く救うべく、折伏・育成に励み、一人でも多くの眷属を連れて30万総登山に参加して参ろうではありませんか。




教学用語解説 『宗教批判の原理』

仏法は体、世間は影

「宗教批判の原理」とは、正しい宗教と間違った宗教を見極める方法・基準のことをいいます。『諸経と法華経と難易の事』に、「仏法は体(たい)のごとし、世間はかげのごとし。体曲がれば影なゝめなり」(御書1469ページ)と仰せのように、仏法と世間は、ちょうど体と影のような関係にあります。したがって、間違った宗教が弘まれば、影に当たる世の中が必ず乱れるのです。

最近の世相を見ますと、国の内外を問わず、実に恐ろしい事件や悲惨な出来事が次々に起こっており、さらに政治・経済をはじめ、あらゆる方面に大混乱を来たし、誰もが大きな不安に包まれています。このように世相が荒廃する原因を『立正安国論』には、「世皆(みな)正に背き人悉く悪に帰す。故に善神国を捨てゝ相(あい)去り、聖人所を辞して還らず。是を以て魔来たり鬼(き)来たり、災起こり難起こる」(同234ページ)と、ひとえに邪宗教の蔓延によるとお示しです。

現在、日本最大の宗教団体である創価学会が、『ニセ本尊』の作製・販売や、御法主上人猊下に対し誹謗中傷の限りを尽くすといった大謗法を繰り返し、毒気をまき散らしています。さらに、禅宗・念仏宗等の既成宗教も、相変わらず根強く社会に蔓延(はびこ)り、新興宗教、新新宗教と呼ばれる邪宗教の勢力も、まだまだたいへんなものがあります。

「仏法は体、世間は影」との御金言に照らし、世の人々が正しい宗教を信仰すれば、個々の幸福はもちろん、平和な社会を築くことができますが、逆に邪宗教が弘まったならば、社会全体が正法誹謗の罪過(ざいか)によって乱れ、災難を受けることになってしまいます。故に、宗教の正邪をはっきりと峻別(しゅんべつ)し、そして正しい仏法を世に弘めていかなければならないのです。


宗教批判の原理

さて「宗教批判の原理」について説かれたものには、天台大師の「五時八教(ごじはっきょう)」「四重興廃(しじゅうこうはい)」等、さらに日蓮大聖人の御教示として「宗教の五綱(ごこう)」「五重相対(ごじゅうそうたい)」「五重三段(ごじゅうさんだん)」「三証(さんしょう)」等があります。ここでは「宗教の五綱」と「三証」の二つについて説明します。

【宗教の五綱】 「宗教の五綱」は『教機時国抄』等に説かれているもので、正しい宗教を見極めるには、「教・機・時・国・教法流布(きょうほうるふ)の先後(せんご)」の五義を知らなければならないという御教示です。はじめに「教を知る」とは、仏教をはじめとして、その他あらゆる思想や哲学・宗教について、勝劣・浅深を見極めることです。次に「機を知る」とは、教えを受ける衆生の機根の違いを知ることで、特に末法に生まれる衆生は貪(とん)・瞋(じん)・癡(ち)の三毒強盛な本未有善(ほんみうぜん)の機根であることを知らなければなりません。「時を知る」とは、正・像・末の三時の中で、今は末法であることを知り、時に適(かな)った教えを弘めることです。「国を知る」とは、それぞれの国の気候、風士、状況や、どのような教えに縁があるかを知ることです。最後の「教法流布の先後を知る」とは、仏の教えが弘まっていく順序・次第を知るということです。

【三証】 「三証」とは「三つの証(あかし)」ということで、「理証・文証・現証」をもって真実を検証する基準とされたのです。はじめに「理証」とは、道理に基づくことです。正しい宗教である以上、その教えは、厳格な因果の道理に裏付けられた、誰人も納得できるものでなければなりません。次に「文証」とは、文献上の証拠のことで、その教えが独断的なものではなく、仏の教えにきちんと説明されたものかどうか、ということです。いくら立派に聞こえる理論であっても、それが仏の説いた経文になければ邪説であり、絶対に用いてはなりません。最後の「現証」とは、信仰した結果が現実の上に現れることを言います。いかにすばらしい教えだなどと言ったとしても、信心修行の結果として実際に功徳の現証がなければ、絵に描いた餅(もち)となってしまいます。故に大聖人は『三三蔵祈雨事』に、「日蓮仏法をこゝろみるに、道理と証文とにはすぎず。又道理証文よりも現証にはすぎず」(同874ページ)と、現証こそ宗教の正邪を判定する最も重要な証拠と仰せになっています。


大聖人の仏法こそ唯一絶対の教え

大聖人は、この「宗教の五綱」や「三証」、さらには先に挙げた「五時八教」「四重興廃」「五重相対」「五重三段」など、あらゆる判定方法によって、一切の宗教の勝劣・浅深を明らかにされました。そして、末法の衆生を救う真実の教えは、文底下種・事の一念三千の南無妙法蓮華経であることを説き出だされ、その大法を三大秘法総在の本門戒壇の大御本尊として御建立あそばされたのです。この大聖人の仏法こそが、本尊・教義・修行・利益等、あらゆる面において、唯一にして最高の教えなのです。


真の功徳とは成仏にあり

大聖人の仏法において、真の功徳とは成仏にあることは言うまでもありません。『御義口伝』に、「功徳(おおきなるさいわい)とは即身成仏なり」(同1775ページ)と仰せのように、私たちが大聖人の仏法を堅く信じて、題目を唱え、仏道修行に励むならば、この身そのままの姿で即身成仏するという、すばらしい功徳を得ることができるのです。

このように、宗教の正邪を峻別する方法である「宗教批判の原理」を学ぶならば、日蓮大聖人の仏法が唯一絶対の宗教であることを確信できます。いよいよ信心を倍増させ、池田創価学会をはじめ、あらゆる邪宗教に迷い苦しむ気の毒な人たちを救うために折伏に精進していくことが肝要です。

※この原稿は修徳院支部の川人さんの御協力で掲載いたしました。




慶祝登山の留意点について

3月28日には、宗旨建立750年慶祝記念開宣大法要が奉修されます。そのひと月後の4月27、28日に宗旨建立750年慶祝記念特別大法要が、また翌29日から、宗旨建立750年慶祝記念法華講30万総登山大法要(以下法華講30万総登山と略す)が60回にわたって奉修されることとなります。

「これまで折伏できなかった両親を、何としても30万総登山に参加させたい、親孝行がしたい。」「自分にとって大切な人なのに、信心の話をしていない人がいました。折伏するなら今しかありませのがん。今年を逃したら、共に30万総登山に参加できないのですから。」「あと50年後にも宗旨建立800年は奉修されるでしょう。現在70歳を越えた自分は、その時に再び生まれて参加したい。そのために今、縁ある人を折伏しています。」「毒気深入で当方の話をずっと受け付けなかった創価学会時代の友人が、久しぶりに連絡したら境遇も心境も変わっていました。本心を取り戻せるよう、しっかり折伏します。」「孫の成長を願って、孫の分も御供養串し上げましたら、孫が遊びに来てくれました。今度こそしっかり信心させます。」―一人ひとりの祈りと実践が、“地涌の友、30万で総登山へ”と、自らを奮い立たせ、周囲をも力強く前進させている様子が、全国からの声で伝わってきます。

総本山ではすでに、担当の御僧侶方が論義式の練習を行われたり、「宗旨建立750年特別記念展」の準備も進んでいます。まもなく私たちも、各寺院で自我偶訓読の練習も始まることと思われます。いよいよ慶祝の気運を高めてまいりましょう。

登山参詣に関する事務手続きの詳細は次の機会に譲り、今号では、法華講30万総登山がどのような流れになっていくのかを中心に掲載いたしますので、推進の参考にしてください。


○日程について

30万総登山は、4月29日から10月7日までの間で、土・日とを中心に60回執り行われます。記念大法要は、60回とも毎回、午前10時から約2時間の予定で奉修されます。


○御開扉は登山日により3つのパターン

御開扉は記念大法要の前後に行われます。その時問帯によってパターンは3つに分かれています。(特に登山者の多い日に限り、御開扉が4回行われる日もある)なお、法要参加当日の午後に御開扉を戴く日帰り登山者は、当日の朝8時半までに着山することとなります。

また、午前中の御開扉を戴く方の中には、前日から着山する(前泊)コースの方もありますし、あるいは当日の早朝に着山する方もあります。

法要に参加し、午後の御開扉を戴いてその日、総本山に宿泊して明朝8時半までに下山する(後泊)コースもあります。いずれのコースで登山する場合も、御開扉の回(時問)は、あらかじめ決められています。

各支部では、着山したら最初にどこへ行けばよいのか、また当日はどのような時間帯で行動するのかを判りやすく工夫して周知し、安心して気持ちよく御登山に臨めるようご配慮ください。


○早朝着山・前日着山の宿坊について

大法要参加の前の日に着山する(前泊)の申し込みをした方は、前日の午後4時から午前0時までの間に、あらかじめ指定された宿坊に入ることになります。

早朝に着山する方で、前泊の申し込みをしていない方のために、常来坊が用意されています。早朝(午前0時から6時)に着山される方は、いったん常来坊にお入り下さい。その後、午後6時半までに退出し、決められた休憩坊へ移動して下しさい。全国から登山する色々なコースの方が、宿泊や休憩に各坊を利用するところから、このような措置がとられています。


○記念大法要について

午前10時から奉修される記念大法要は、御法主上人猊下の御出仕、方便品・自我偈の読経が行われます。

このとき行道散華が行われます。「行道」とは、仏を礼拝供養するため堂内や仏座を列をなしてゆっくりと回(めぐ)り歩く儀式のことで、本宗では古来、御遠忌などの大法要の際に執り行われます。行道僧の御僧侶方が自我偶を誦しながら、散華(紙製の蓮華の花びら)を雨(ふ)らし、このとき信徒も自我偶(訓読)を読誦します。自我偏の「我此土安穏(乃至)雨曼陀羅華」を顕現して会座を荘厳し、もって御本仏日蓮大聖人を供養讃歎申し上げ、仏道増進を誓う厳粛な儀式です。

訓読経本

その後、論義式が行われます。この論義式は、二祖日興上人の時代から行われてきたと言われており、血脈法水に基づく日蓮大聖人の仏法が、師弟相対して正しく日蓮正宗に伝えられている姿を現す大事な儀式です。前回奉修されたのは、昭和56年の宗祖第700御遠忌の大法要の際でした。

この論義式は、まず、問者が講師に質問し、講師がそれに答え、最後に御法主上人猊下が問答の当否を判断され、証義を下されるという形で修されます。

そして、御法主上人猊下より御言葉を戴き、御法主上人猊下御退座の後、記念局よりの挨拶をもって記念大法要は終了となります。

この後、各会場から退出し、引換券と引き換えに、記念品並びに慶祝弁当を頂戴します。


○登山の中込みについて

現在、各支部では、割り当て日、割り当て人数にしたがって申込みがなされています。支部ごとの受け付けにしたがって申込みをしましよう。

なお、登山費は大人2100円、小人1000円。その他、前泊の費用は、法要当日の朝食代として530円を加算します。また後泊の費用は、法要当日の夕食と翌日の朝食代として1060円となります。


○自家用車による登山について

自家用車による登山が認められておりますが、そのためには「自家用車許可申請書」の提出が必要です。この申請書は、支部を通じて地方部へ、地方部を通じて連合会へと順次提出がなされ、駐車許可証の発行となります。当日は発行された駐車許可証をフロントガラスの所定の位置に提示し、常灯ヶ峰など、決められた駐車場に駐車することとなります。

大法要期間中は、山内塔中には駐車できません。また、自分勝手な場所、他の交通の妨げになる路上に駐停車することもできません。


○車イスの使用について

総本山では、車イス70台を用意してくださっています。これは当日、総一坊一階にある登山事務所に行って直接申し込んでください。

なお、自分の車イスを持っている方は、それを総本山境域に持ち込んで使用してかまいません。また、総本山までの道中、サービスエリアなどでも使用することを考えれば、地元から持参したほうが便宜がよいと思われます。最近は市町村等、地域の福祉課等でも貸し出してくれる所が増えており、取り扱いも楽な軽量のものが多いようです。


○付き添いでの登山について

身障者・高齢者・初信者の付き添い、または子供(小学校2年生以下)連れで登山される場合は、当日、着山してからの申し出では人数の把握ができかねますので、支部における申し込みの段階から、その旨(むね)を申し出るようになっています。

なお、付き添いの方も記念品と慶祝弁当を頂戴できます。付き添いの方の大法要の会場については、各回の参加者全人数によって、客殿に入場できる場合と、大講堂でテレビ放映を拝見する場合があります。これは、その回の指示にしたがうようにしてください。


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