<3〜8面>
昔むかし、あるところに、どんな病でも治してしまうという、非常に腕の良い医者がいました。そして、この医者には、たくさんの子供がいたのです。
あるとき、医者は用事で遠くの国に出かけました。その留守の間に、子供たちは、薬がたくさんある棚から、おもしろ半分に、毒薬を飲み込んでしまったのです。それはたいへんな毒で、子供たちは悶(もだえ)え苦しんで、地面にのた打ち回り、苦しみのあまり本心を失っている子供もあれば、あまり毒に犯されずに気が確かな子供もいました。
そこへ、医者の父が戻ってきたのです。その様子を見た父は、大変に驚くと共に、何と愚かな子供たちであろうかと、深く悲しみました。
子供たちは、父が帰って来たのを知ると、喜んで父に、「よく無事にお帰りになりました。私たちはたいへん愚かで、お父さんが留守の間に、誤って毒薬を飲み込んでしまいました。どうか治療をして、命をお救いください」と、助けを乞うのでした。
父は、急いで子供たちの病を癒(いや)そうと、好い薬草ばかりを集めて、突いたり砕いたり、篩(ふる)ったり混ぜ合わせたりして、ついに色も香りも味わいも好い、最高の薬を作り上げたのです。
そこで、父は子供たちに、「この薬は、色も香りも味わいも最高であり、どんなに重い病でも治してしまう効き目があるから、今すぐにこれを飲みなさい。そうすれば、たちまちのうちに、お前たちの病は癒(い)えるであろう。だからもう、何も心配することはないぞ」と言って、その良薬を与えました。
子供たちの中でも、心がそれほど乱れておらず、まだ本心を失っていなかった子は、父の言葉を信じ、さっそくその薬を飲みました。すると、たちまち病は癒えていきました。ところが、毒が深く入り込んで、本心を失ってしまった子は、父が帰って来たのを喜び、助けを求めていたのにもかかわらず、父の調合した薬そのものを疑ってしまい、飲もうとはしなかったのです。
そこで、父は考えたあげく、一つの方便(ほうべん)を思いつきました。父は、「私は、既に年老いて、身も心も衰え、間もなく死ぬであろう。だから、この最高の薬を、今ここに留めて置くから、私の言葉を信じて飲みなさい。飲めば必ず病は治る。だから、疑ってはならないぞ」と子共たちに言い聞かせると、再び遠い他国へと旅立ちました。
するとある日、父の使いの者が子供たちのところへやってきました。そして、その使いの者は、子供たちに、「あなた方の父上は、既に他国でお亡くなりになられました」と言いました。
この知らせを聞いた子供たちは、深く悲しみに沈みました。そして、「もし、お父さんが生きていてくれたならば、私たちのことを慈悲深く哀れんで、よく護ってくださったのに。しかし、今は私たちから遠く離れた他国で亡くなられてしまった。私たちは、頼る方もいない孤児になってしまったんだ」と落胆したのでした。
それからというもの、子供たちは来る日も来る日も悲しみに閉ざされ、父の言葉を信じなかったことを後悔しました。そして、その中でついに本心に醒(さ)め、父の残した良薬の色も香りも味わいも好いことに気づくと、その良薬を口に含んだのです。すると、みるみる元気なもとの体に戻っていってのでした。
その様子を、他国で聞いていた父は、子どもたちが皆元気になったことを知ると、子供たちのいる我が家に帰ってきたのでした。そして子供たちは、再び父が自分たちのもとへ、戻ってくれたことを、大いに喜びました。
このお話は、法華経の『如来寿量品第十六』の中に説かれています。この譬を、末法の今日、私たちの身に当てて拝するならば、非常に腕の良い医者とは、末法の御本仏たる日蓮大聖人様のことであり、たくさんの子供たちとは、末法の一切衆生のことなのです。
つまり、子供たちが誤って毒薬を飲んでしまったということは、日本国の一切衆生が、法華経以前の低い教えに執着する謗法の僧侶たちの、誤った教えを信じ込んでしまい、災難の苦海に喘(あえ)ぐ姿を指すのです。
そして、この時に、父の医者が戻ってきたということは、貞応元年2月16日に、末法の御本仏たる日蓮大聖人様が日本国に御出現あそばされたということです。
さらに、子供たちが父の帰りを知って喜んだというのは、苦しみに喘ぐ衆生の心中に眠っていた仏性が眼を醒まして、歓喜したということです。ところが、毒気が深く入った衆生が多いために、自らの仏性を喜びを覚(さと)る者はいなかったのです。
そこで父が、直ちに子供たちの病を癒そうと薬を調合し、良薬を飲むよう勧めたということは、大聖人様が無量の教法の中から、最も勝れた法華経という薬草より妙法蓮華経の大良薬をお説きになられ、衆生の謗法による三毒の病を治すべく折伏・弘通あそばされたということです。
本心を失わずに父の言うとおりに良薬を飲んで病が治ったという子供というのは、大聖人様の教えを信じて弟子檀那となり、正法を護持して即身成仏を遂げた順縁の衆生をいい、逆に本心を失って父の言葉を信じることができずに良薬を飲まなかった子供というのは、謗法の毒気によって大聖人様の教えを信ずることができず、かえって大聖人様を怨嫉して、誹謗・中傷して地獄に堕ちていった逆縁の衆生を指すのです。
そこで父が再び旅に出た後、旅先から使いの者に自分が亡くなったと、子供たちに告げさせたということとは、大聖人様が衆生に恋慕の心を起こさしめるために、弘安5年10月13日、武州池上の宗仲館で御入滅あそばされ、滅不滅の相をお示しになってということです。
そして父が、子供たちが本心を取り戻して良薬を飲み、もとのように元気になったのを知って、子供たちに再会したというのは、大聖人様が常住不滅の御尊体たる本門戒壇の大御本尊を未来広布のために御図顕あそばされ、この大御本尊様を信じ奉る者に対して、三世常住の御利益を垂(た)れ給ふことを指すのです。
大聖人様は、『聖愚問答抄』に、「仏を良医と号し、法を良薬に譬へ、衆生を病人に譬ふ。されば、如来一代の教法を撞篩和合して妙法一粒の良薬に丸せり。豈、知るも知らざるも服せん者、煩悩の病ひ癒えざるべしや」(御書408頁)と仰せのように、貧・瞋・癡の三毒による煩悩の病に苦しむ末法の一切衆生を救うべく、妙法の大良薬たる本門戒壇の大御本尊様を、今日、総本山大石寺に留め在かれたのです。
そして、この大法を受持するならば、どんなに深く毒気が入った者であっても、必ず苦しみから救われ、やがて即身成仏の大果報を得ることが叶うのです。ですから、私たちはこの御本仏日蓮大聖人様の御金言を決して疑うことなく、信の一字をもって自行化他にわたる信心修行に精進していくことが大切なのです。