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これには、本種寺住職・佐藤公妙御尊師をはじめ日本・アメリカ・アジアから有縁の御尊師方が多数御出席。また本興院主管・黒沢糾道御尊師をはじめとする同国在住の御尊師及び地元東台湾地域をはじめ全土から2,000名を越える信徒が勇躍して参集、同布教所の誕生を慶祝した。
法要は、午前と午後の計3回に分けて執り行われた。第1回目は現地時間の午前10時より、尾林海外部長の御導師のもと奉修され、御本尊御開扉・献膳の儀・説経・唱題と進められた。
引き続き式の部に移り、信徒代表による経過報告の後、新布教所の母体法人・中華民国日蓮正宗基金会の董事長である尾林海外部長より挨拶があった。その中で同部長は、「一人ひとりが参詣の志を立て、自らの生命を磨き、御報恩の誠を尽くしながら、多くの人々をこの布教所に案内して大寺院へと発展させていっていただきたい(趣意)」と述べられ、新法城の外護と台湾広布のさらなる進展に期待を寄せられた。続いて来賓祝辞、最後に責任者に就任された佐藤信俊御尊師より丁重な謝辞が述べられ、記念撮影をもって法要は滞りなく終了した。
このあと法要は、午後1時と3時半にも同様に奉修され、それぞれ信徒の喜びが堂内に満ちあふれていた。特に2回目と3回目の法要では、小憩をはさんで大慈院住職・上地広暁御尊師と香港事務所責任者・後藤史道御尊師より、日々の活動について報告が行われ、参列者は他国の同志の活動に熱心に耳を傾けた。
タ刻には宜蘭市内において祝賀会が開かれ、御尊師方及び信徒の代表あわせて約500名が一堂に会し、宗旨建立750年に符節を合わせて開設された新布教所の晴れの門出を祝福し、喜びを分かち合った。
なお新布教所は、宜蘭市と羅東市のほぼ中央部、宜蘭と羅東の両駅から車で10分前後という参詣の便のよい緑豊かな地にあり、約230坪の敷地に、堂々たる堂宇を構えている。
台北・本興院、高雄・法宣院、中台・中台布教所に次ぐ台湾第4の拠点の誕生で、台湾における僧俗和合の布教体制は一層磐石となった。特にこれまで遠隔の本興院まで足を運んでいた地元信徒にとって、僧侶常駐の新法城の誕生は大きな喜びであり、これを契機に今後台湾東部地域の広布の大きな前進が期待される。
5月18日の第8会、玉林寺支部の登山第1回目に参加させていただきました。この日は、あいにくの雨でしたが、参詣の皆さんの生き生きした姿を拝見し、なんてすばらしい登山だろうと思いました。
三門で御題目を三唱するときに目がうるんで、涙が出て困りました。御開扉、記念大法要に参加させていただき、本当に感動し生涯忘れることができない登山になりました。御開扉で大御本尊様に班員の山下さんをお連れしたことを報告申し上げたとたん、目頭が熱くなり、涙がとめどなく出て目がかすみ、大御本尊様をよく拝することができませんでした。
山下熱海さんは、私がお世話させていただいている班員さんで、80歳になられます。60歳の頃に患い、右手、右足が不自由になられ、何をするにも車イスで用事を済ませなければなりません。最初は、登山参詣は無理だとご本人も言われ、とても行けるような状態ではありませんでした。
しかし、穴吹区長から身障者が自家用車で登山されたという話を聞き、私は、山下さんもぜひ30万総登山に参加させてあげたいと思い、お宅にお伺いし、30万総登山への参詣を勧めました。その時は、「今は入退院を繰り返しているから」と断られました、後日、再ぴお伺いした折も、「体力もなく登山する気力も自信もなくて、皆さんに迷惑をかけては申しわけない」と断られました。
私は、このよき年、30万総登山にどうしても参詣させてあげたい一心で御祈念し、懸命に唱題しました御本尊様に祈って祈り抜きました。そして「大白法」を届けにお伺いした折、突然「登山に行きます」と返事がありました、その声を聞き、「よく決心してくださいました元気で一緒に登山しましょう。必ず御本尊様が守ってくださいます」と激励しました。
早速、穴吹区長に連絡し、申し込みを済ませ、ご本人の要望をいろいろ聞いたうえ、区長の自家用車の座席を倒して寝台車のようにして、少しでも身体に負担のかからないよう横になって行けるようにと、区長が気を配ってくださいました。乗員数が限られるので運転を区長と林登山部長にお任せし、私はバスで登山させていただきました。いくら山下さんが登山すると言っても、私一人の力ではとても登山させてあげられなかったと思います。
こうして山下さんは20年ぶりに登山参詣でき、たいへん喜んでくださいました。後日、体調を伺いに訪ねたところ、登山前より元気な姿にあんど安堵いたしました。
御法主日顕上人猊下は「一切を開く鍵は唱題行にある」と御指南されました。そのとおり、朝夕の勤行を真剣に、御題目を唱えに唱えていけば必ず祈りが叶うことを信じて、一人でも多くの人を慈悲の心をもって折伏してまいります。
どう云っていいのかわかりません。それが今の気持ちです。老齢で、しかも重度身障者でありながら、若者のように身をふるわせているのです、それは云いようがないのです。
昭和35年4月28日入信しましたが、昭和56年10月13日(自分の誕生日)、病気になって、それ以来は一度も登山をしていません。20年以上も、登山はできないものと一人で定めていました。
それが諸天の加護と同志のなみなみならぬ心づくしのおかげで、このたび登山をすることができました。この喜びは、何と云ったらよいのでしょうか。雪山坊の前でおもわず「折伏したい!」と叫びました。
鉄筋コンクリートで新興宗教のような風景であったお山も、重厚な建物に変わり、富士を背にした様相は、実に絵のようです。大作という無法者に依って汚された聖地が、今、今、蘇っているのです。この感激を、どう云っていいのかわかりません。只、嬉しくてなりませんでした。
中華民国台湾宜蘭県に日蓮正宗東台布教所開所
玉林寺支部・久本静夫,山下熱海
○山下熱海