<2〜6面>
<7〜8面>
「論議式」は、日蓮正宗の伝統法義をお互いに研鑚し問答し、論議することによって記録として残していくとともに、大聖人様の仏法を後世に正しく伝えていくためのこのである。「論議式」は、「問者(もんじゃ)」と呼ばれる僧侶が「講師」と称される御僧侶に大聖人様の教えについて質問し、講師がその質問に慈悲をもって答えるという問答形式で行われる。そして最後に、この問答の内容について、御法主上人猊下が講評を下されるとともに、本宗甚深の意義を述べられる。
法要において、御経行(おきょうぎょう、自我偈訓読・行道散華)が終わると、厳粛な雰囲気の中、はじめに「証義(しょうぎ)」の御法主上人猊下が登高座(とうこうざ)あそばされ、次いで講師・問者の御僧侶方が着座し、論議式が始まる。
まず、講師の御僧侶が「表白文(ひょうびゃくもん)」を両手にかざして奉読する。これは、論議式の趣旨を述べるとともに、座に臨むご自分の覚悟のほどを披瀝するものである。講師の奉読が終わると、問者は「お伺いいたします!」と講師に対して質問を発し、気迫みなぎる問答が始まる。問答は、第一問に次いで、第二問、第三問と三人の問者が続き、次第に深い内容の法門に及ぶ。
問答の内容は、日蓮大聖人様の甚深の御法門である、「本尊論」・「仏身論」・「三宝論」・「題目論」・「行儀論」・「成仏論」の6つに分れており、それぞれの会座において、この中から一つが論題に選ばれ、重々の論議が繰り広げられる。
【本宗仏身論】第一問答では、爾前の円教仏身と、法華実経の仏身について、爾前円教の仏身は、種々の方便が付帯して、その実義が顕れないことから、法華経の仏身との間に大きな勝劣があることが述べられる。第二問答では、本迹二門の仏身について、たとえ本門寿量品の開顕以後であっても、迹仏は迹仏であり、本門久成の仏身に及ばないことから、本迹の仏身に、自ずと天地の相違勝劣があることが述べられる。第三問答では、寿量文上の仏身と文底の仏身との間には、本地自行と垂迹化他、名字凡身と色相荘厳、人法体一と人法勝劣、本因妙の教主と本果妙の化主など、法体そのものに相違勝劣があることが明かされるとともに、宗祖日蓮大聖人こそ、久遠元初即末法の御本仏にましますことが述べられる。
【本宗三宝論】第一問答で、寿量品の「時我及衆僧、倶出霊鷲山」との文より、末法の私たちの尊信すべき三宝が、寿量文底・久遠元初・本因下種の仏法僧にあることを述べられる。第二問答では、文底下種の仏宝の真意が宗祖大聖人にましますことを、上行菩薩と宗祖日蓮大聖人との外用・内証の筋目より明かし、さらに本仏としての御振る舞いを、宗祖大聖人の三大秘法建立の御化導の上から示される。第三問答では、『百六箇抄』の「久遠元初の結要付嘱」との文の意義、および客殿の別体三宝の本尊奉安式と猊座の意義より、末法下種の僧宝の真意が、日興上人を随一とする唯授一人血脈付法の歴代御法主上人にましますことを述べられる。
【本宗題目論】第一問答では、『報恩抄』の「如是我聞の上の妙法蓮華経」の文に一往・再往の筋道があり、宗祖大聖人が唱え出だされた題目とは、寿量文底下種の妙法であったことが述べられる。また第二問答では、『三大秘法抄』の「題目に正像と末法の二意あり」との仰せにつき、正像と末法に法体の相違があることから、修行にも自行と自行化他の違いがあり、本門の題目は大聖人が初めて唱え出だされたことが述べられる。第三問答では、法華経に説かれる五種妙行は、本門の木尊を受持する一行に具わることから、末法の自行とは本尊受持の唱題行にあり、また化他とは折伏にあることが述べられる。
【本宗成仏論】第一問答では、即身成仏につき、種熟脱の三益が説かれない華厳・大日両経等の爾前諸経にはその実義はなく、ただ法華経のみに限ることが述べられる。第二問答では、釈尊の本門寿量品の説法によって、在世の衆生は初住ないし等覚の位に至る利益を受けたが、再往文底より拝すると、在世の衆生はその内証において久遠元初本因下種の妙法を覚知し、等覚に至る行位を一転して名字即の信行に徹し、さらに妙覚果満の位に到ったことが述べられる。第三問答では、末法本未有善の私たちは、本門戒壇の大御本尊に対する信行により、どのような道筋をもって境智冥合し、即身成仏の大利益を得ていくか、その方途が述べられる。
【本宗行儀論】第一問答では、本宗の助行において方便・寿量の二品のみを読誦し、一部八巻にわたって読誦しない理由が述べられる。第二問答では、方便品の読誦について、『観心本尊得意抄』の、「所詮、在々処々に迹門を捨てよと書きて侯事は、今我等が読む処の迹門にては侯はず」との仰せより、寿量顕本の意義から、迹門所詮の理を破す所破とともに、方便品の文を借りて寿量文底の妙法を助け顕す借文の意義があることを明かす。第三問答では、寿量品の読誦に、文上と文底、能詮と所詮等の立て分けより、文底体内の文上寿量品を所破のため、また文底内証の寿量品をただちに用いる所用の意義として示し、さらに文底所詮の南無妙法蓮華経の題目を正行として唱え奉ることが述べられる。
そして、御法主上人猊下の御言葉が終わると、題目三唱の後、講師と問者の御僧侶が互いに向かい合って合掌し、次いで証義の御法主上人猊下に合掌した後、高座より降りる。
最後に、御法主上人猊下から、この度の宗旨建立750年慶祝記念法華講30万総登山大法要の意義等について、甚深の御指南を賜る。そして,題目三唱の後、僧俗一同が唱題する中を御法主上人猊下が高座より退かれる。
当時は戦後戸田城聖氏が創価学会の2代会長となって以来、本来の各寺院所属法華講と在り方を異にする折伏推進の方途が戸田氏の逝去の後も続いていた中で、各寺院所属の法華講が古来の大法弘通折伏前進の精神に立ちかえるべく、自行化他の実践に即応できるように企図された大英断であった。
此の前後の宗門の隆昌発展と相次ぐ大変化は、実に筆舌に絶するものがある。しかしながら法華講連合会は結成以来その正しい伝統の上に立って、僧俗一致なる広布への願業推進に大いなる役割を果たして来たのである。
則ち当初に於いて法華講連合会委員長に就任し、日達上人の御意志を体して全国的な法華講支部の連絡と団結のため尽力したのは常泉寺所属の法華講員平沢益吉氏であった。
そして結成後直ちに、(1)連合会機関紙の発行、(2)年2回の総登山と月例登山、(3)総本山並びに各法華講寺院の外護、(4)法華講員の世帯数及び人員数の調査把握、という4項目の活動方針を決め実行に移されて来た。
この中の機関紙については日達上人より『大白法』という御命名と題字御染筆を頂き、爾来今日まで着々とその内容を整備充実し、全法華講員の総本山並びに宗門に於ける行事や広布活動に対する周知徹底、更に信行増進と教学研鑽等に重要な役目を果たしている。
その他の3項目も確実に整備実行されることに於いて、常に広宣流布を目指す折伏大前進を行じ、連合会は終始着実に発展の経過を辿(たど)ったのである。
この間、初代委員長平沢氏の逝去の後、佐藤悦三郎氏、阿部唯七郎氏が続いて委員長となり、その後第4代連合会委員長として柳沢喜惣次氏が就任した。氏は連合会結成当時より、平沢益吉初代委員長の下で総務部長の要務にあったが、その頃平沢委員長の宗内全法華講員に対する全体的総括的活動方針とその実施に対し、各寺院住職との不協和音が起こり、宗務院の立場から連合会へその善処を強く要請したことから、柳沢氏は平沢委員長と宗務院の間に立って大変に苦労をしたことを私はよく記憶している。
蓋(けだ)し、各寺院所属の法華講は基本的に夫々(それぞれ)の指導教師の掌握による講頭以下役員より一般講員という縦糸であり、連合会は全体の法華講を連ねて連絡と活動を計る横糸である。縦糸と横糸は互いに助け合ってあらゆる布地を作り出すように、各寺院法華講と連合会は互いに協力補助しつつ法華講の大前進をなすべきであるとして、これらの不協和音の表れに対し宗務院が強力に指導した時期があったのである。
しかし口で云うのは容易であるが、夫々の活動方針は当然その立場を固守する限り主体性を必要とする関係上、この両者の種々の活動に縺(もつ)れが生じ、柳沢氏は間に挟まれて苦労を重ね、遂に一時役職を降りる事にもなった。しかし柳沢氏が再び連合会の委員長として返り咲いてより、この苦労と経験が見事に結実し、今日のような相互補助の形が具体的実践的に定着し、法華講の大前進となっている事は本当に喜ばしい次第である。
則ち現在連合会は各地方部が発展と共に分割増加して27地方部を数えるに至り、柳沢委員長、石毛副委員長、各地方部長が異体同心の団結の下、寺院への参詣供養と各法華講支部の発展、そしてそれを全体的な立場から支える連合会の発展を目指して活動している。
特に目下行われている宗旨建立750年慶祝記念法華講30万総登山と、昨年までの奉安堂建設御供養の完遂において法華講連合会の果たし、また果たしつつある役割と成果は甚大なものと云うべきである。
かの池田創価学会が宗門に属していた頃、広布に名を借りて各寺院への参詣を常に全国的に制止したり、本末転倒の宗門軽視と面従腹背(めんじゅうふくはい)の汚い行動に終始した姿とは天地雲泥の相違と云うべきである。
要するに縦糸と横糸の相互補助による活動顕現こそ理想的な在り方であって、全国の各寺院指導教師もまた連合会の役員の方々もこの意義を更に未来に渉ってよく弁(わきま)えられつつ、広布へ前進されんことを祈るものである。
以上法華講連合会のいよいよの充実発展を祈り、結成40周年の祝辞とする。
宗旨建立750年慶祝記念法華講30万総登山大法要の中で「論議式」が奉修されている。この「論議式」は日蓮正宗の歴史において、日興上人が認められた『遺戒置文』や『原殿御返事』には、「問答講」が行われていたことが記されている。そして、この「問答講」が現在に「論議式」として伝えられる儀式の原型と言われている。
<師弟相対による令法久住の姿を表す>
【本宗本尊論】第一問答では、本宗の本尊につき、『本尊問答抄』の御教示から、法華経の題目すなわち本門の大漫荼羅を本尊とすべきこと、および宗祖が一部信徒の釈尊像造立を方便として讃歎された意義が述べられる。第二問答では、『報恩抄』の「本門の教主釈尊を本尊とすべし」との御教示につき、「教主釈尊」とは久遠元初の釈尊であり、その実義とは人法一箇の大漫荼羅本尊にあることが述べられる。第三問答では、宗祖所顕の大漫荼羅御本尊の御化導に究覧・未究覧の次第があり、弘安2年10月12日の本門戒壇の大御本尊こそ、宗祖御化導における究寛本懐の本尊であることが述べられる。
第三問が終わると、証義の御法主上人猊下が、講師に精問(せいもん)を下される。これを受けて、講師は精答(せいとう)を言上する。この後、証義から講師と問者との問答に対する講評(こうひょう)が下されるとともに、論議式の結論が述べられる。
御法主上人猊下より御言葉を賜る
思えば昭和37年7月31日、法華講連合会が結成されてより、本年の7月を以て満40年を迎える。この結成は、先師日達上人が大慈悲によって、全国各寺院法華講支部の檀信徒を総本山根本の信仰に基づくところの、より大いなる団結に導き以て広布への大前進を志されたことによる。
そして特に法華講員の大きな自覚を誘ったのが平成2年の総本山開創700年を記念する3万人目標の結集の総会に於いて、4万名を超えた大成功の実証であった。その時に打ち出した平成6年の地涌6万総会、更に客殿新改築に伴う10万総登山も破竹の勢いを以て悉く達成し、目下本年の30万総登山の大業に邁進をしているのである。
※この原稿は、昭倫寺支部の若山さんの御協力で掲載いたしました。