<7〜8面>
○法道院支部(東京都豊島区)沖田和雄
だいぶ前のことになりますが、4月27日、28日の特別大法要に兄弟そろって着任させていただきました。しかも、この大法要には父も代表登山に参加することになっており、息子2人で、任務者として父を迎えられるというすばらしい日になりました。
弟はこの日が初めての任務でした。社会人になったばかりで、仕事が精一杯。帰りも遅いため、任務までに唱題が思うようにできませんでした。私は弟の任務がしっかり努まるように、父が無事に登山できるようにと、唱題を増やして御祈念をいたしました。
いよいよ当日、私は場外、弟は場内に着任し、任地は違っていても胸の内は同じです。「早く父が来ないか」と。そしてその時は、外にいる私のほうに先に訪れました。大法要のワッペンをつけて歩いてくる父が見えました。父は私を確認すると、満面の笑みで軽く手を上げ通り過ぎました。立ち止まらなかったのは、任務を邪魔しないようにと気遺ったからでしょう。
私は父の笑顔を見た瞬間、任務の出発前夜に私たちにかけてくれた言葉を思い出しました。「この大佳節、しかも大法要に、息子2人そろえて御奉公に出せるなんざ、願いに願ったって、なかなか叶うもんじゃあない。親として、これほどの幸せはない。誇りに恩う。じゃあ、お山でな」と。その言葉と目の前の父が重なったとき、溢れる涙をもう止めることはできませんでした。弟も、あとで同じ思いをしたでしょう。
後日聞いた話では、私たちの出発前日の昼間、父はお寺の本堂で一人唱題していたそうです。それを目にしていた同じ支部の新名副主任から「きっとお前たちのことを祈っていたんだよ」と言われ、また涙が溢れました。これからも兄弟、信心で固く固く結束し、護法のため、そしてこんなにも私たちを愛してくれる親への報恩のために、どこまでも身を捧げていきたいと思います。
本山任務では、登山者の目に触れない所にも任務者がいます。この夏の太陽の下で、陽を遮る木も何もない駐車場で、真っ黒になりながら、ひたすら任務している人たちや、定点といって、ポイントになる場所で警備をしている人たちです。
へとへとに疲れているのではという心配をよそに、わずかな休憩のときにも笑顔で語り合って、時間になると「さあ、行こう!!」と元気に飛び出していきます。「法華講の青年は頼もしい!」と感じた一場面です。
任務させていただくごとに、感動と反省と発心の連続です。また、任務を通じて、生涯にわたって喜び合い励まし合える仲間に出逢えたことは、私にとって大きな財産です。
唱題を根本に、未来に不安を感じている職場の仲間や友人、知人に、この信心の話をどんどんしていきます。
私が主に任務させていただいているのは、場内です。特に身障者、高齢者、子供連れの方の誘導をさせていただいています。毎回、いろいろな方と出会い、接することができ、任務をさせていただきながら、登山される皆様の姿に、本当にすごいなあと思います。
ふだんだったら、とてもお山に来られないような方で、「この30万総登山だけは」と必死の思いで登山してこられた方を、何人もお見かけいたしました。何時間もかけて登山されるのは、障害を持つ方にとってはたいへんなことなのに、あのお顔!皆さんが笑顔です。そして、付き添いの方々の、その人を思う気持ちがすごく伝わってきます。
私は任務のたびに、登山される方から元気と勇気をいただいています。これからも、お一人お一人が、安心してよい登山ができるように、精一杯、任務させていただきます。
先日の任務は、夏休み中ということもあり、子供連れの方が多かったように思います。私は奉安殿の場内で任務をさせていただいていたのですが、そのときに、小さな男の子が大きな声で一生懸命お経本を読んでいる姿を見ました。その隣に座っていた同い年くらいの男の子は、その姿を見て、初めは少し驚いたような表情をしていたのですが、ちらちらと隣を見ながら、自分も一生懸命お経本を読もうとしていました。
私はその様子を見て、初心に返る思いがしました。そして、こんなに小さな子たちががんばっているのだから、私ももっともっとがんばらなくてはいけないと思いました。任務では学ぶことがとても多く、毎回大きなパワーをいただいて帰ってきます。今回もまた、大切なことに気づかせていただきました。
先般の任務2日目の7月31日に、東名高速道路の事故渋滞に巻き込まれて、着山が遅れた支部がありました。受け入れ体制が緊急に変更となり、御影堂の裏手、奉安堂の前までバスを誘導し、私たちは着山のお手伝いをさせていただいたのです。
その際、到着したバスの中からうれしそうに手を振る登山者の方がおられ、着山を待っていたその支部の担当者が、笑顔で手を振って応えておられました。バスの中では、客殿で行われている法要や御開扉に間に合うだろうかと、きっと不安だったことでしょう。着山できた喜びに溢れていました。それを見ていた私も、うれしさからもらい泣きしてしまいました。
私が輸送班になってから8年目になった今年、宗旨建立750年ということで、慶祝記念法華講30万総登山に何度か任務させていただけました。
そういう中で最近は、奉安殿任務のおり、皆さんが入場を終えられたあと、後方に座り、本門戒壇の大御本尊様に御法主日顕上人猊下が御開扉あそばされているお姿を拝していて、なぜだか涙が出てきて止まらなくなることがあります。
それは、50年に1度しか行われない大法要の年を、若いこのときに迎えられた故に、任務をさせていただけていることだとか、いろいろなことを思うと、涙が止まらなくなってしまうのです。
平成9年から、日々の信心が任務の基本であることを忘れずに、任務をさせていただいています。30万総登山では、高齢の方や体の不自由な方の誘導を担当しています。30万総登山では、思った以上に多くの方々が御登山されています。初めはその数の多さに入退場に時間がかかり、対応が追いつかない状況でした。
そこで、“引継ぎノート”を作り、改善策を皆で一生懸命考え、環境を整えました。マットなど、さまざまな道具を導入したり、専用通路を作ったりした結果、現在では当初からは考えられないほどスムーズに入退場できるようになりました。
暑さの中、汗だくで車イスを押してくる付き添いの方にも喜んでいただけて、うれしく思います。また、他にも様々な面で改善に努めています。私としては任務をこなすことで精一杯ですが、「ありがとう」と言ってくださる方々に励まされ、これからも気持ちよく登山していただけるよう、精一杯がんばります。
私は、高齢者・身障者対応の部門で任務をさせていただいております。今回の30万総登山では、本当に一人ひとりの登山者の方々が、特別な思いを持って御登山されているんだなあ…と、強く思いました。
特に高齢者・身障者の方々。体を自由自在に動かすことができない状態、しかも全国各地から。これはやはり一人ひとりの意志があってのことだと思います。なかには、義足の方、寝たきりの方、酸素ボンベ(機具)をつけたままで来られる方、支えがなければフラフラになってしまう方もいます。
いろいろなハンディを背負って静岡県の大石寺まで、遠くから来られている方を見ると、任務者である私たちが温かく出迎えてさしあげなければ、ここまで来られた方たちに失礼だ、疲れたなんて言っている場合じゃないと、逆にその姿に、私たちのほうが勉強させていただいています。
任務者の一員として、これからの任務も、登山される方によりよい気持ちで帰っていただけるように、また支部に帰ってからも、一歩上をめざして精一杯御奉公させていただこうと思います。
第1クール目の任務に就き、警備で道に立っていると、支部の方の車が前に停まった。「塔の原の駐車場を教えて欲しい」と言う。その方は、ガンを患っており、とっくの昔に医者から余命半年と宣告された方だ。車イスは使わない。身障者用の駐車場も使わない。おそらく早めに30万総登山に参加したかったのだろう。
実は私は、昨年母をガンで亡くしている。48歳だった。成仏は確信している。だがやはり30万総登山に参加してもらいたかったという思いもある。
任務で同じ班になった人から、「祖母が病で倒れたが、30万総登山への魔であると確信して、御題目を唱えぬき、治った」と聞いた。任務中に泣いた。任務のたびに母の分まで御奉公させていただこうとの決意を新たにする。私の30万総登山の任務とはそういう感じだ。
待望の宗旨建立750年法華講30万総登山で、整理班任務をさせていただけることを、心から有り難く思っています。何といっても総本山は心躍るような雰囲気に包まれ、毎回の任務がとても楽しみです。
私が一番感じることは、初めて登山をされる方が非常に多いことです。そして、皆さんが本当に助け合って登山され、一人のためにがんばって来られたんだと、本当に感激させていただいています。
慈悲の心で娘さんを連れてこられたお母様や、車イスに乗ったご老人に優しくお数珠をかけて差し上げた男性の方、大きな声で御題目を唱える小さな兄弟。一人ひとりの心が世の中を変えていくというのが、何となく判ってきました。
私も多くの方々に信心の話しをして、大事な家族や、友達、縁のある方々を一人でも多く御登山させられるよう、日々精進してまいります。
私は入信3年目で、総本山での任務は、この30万総登山からです。最初の任務は5月3日から3日間、塔中での誘導でした。いざ自分が任務する側になってみると、正直、(主に肉体的にですが)こんなに辛いとは思ってもいなかったので、自信を失いかけもしました。それでも3日間、参道を登っていく大勢の登山者、特にお年寄りや足の不自由な方々と接し、任務者としての責任の重さを痛感させられました。
次は7月6日から2日間、総坊から三門にかけての誘導でした。最終日は清貫洞横で下山される方々のお見送りをさせていただいたのですが、東北、大阪、福岡など遠方から登山されていたほとんどの方が、「ありがとうございました」「お世話になりました」とお辞儀をしてくれたのには驚きました。こんなにたくさんの方が、長い時間をかけて御登山されるのだと涙が溢れそうになりました。マニュアルではなくて、心から「お気をつけてお帰りください」と何百回も言うことができたことは、大きな喜びでもあり、今後もずっと忘れないでしょう。
まだまだ、任務者としては未熟ですが、残りの任務でも、参加される全ての方が無事に、そして笑顔で下山できるよう、精一杯ご奉公させていただきたいと思います。
私は、特に身障者・高齢者の方々が、安全に円滑に御登山できるよう、お手伝いする部門を担当させていただいております。30万総登山は、通常の登山会に比べ、身障者・高齢者が2倍にも3倍にもなると言われていました。実際に1度の法要で、車イスの数が60台以上になったこともあります。
参詣する当事者も、もちろん必死です。私も折伏させていただいた眷族や講中の方をお連れしたときは、「なんとか無事に御登山できますように」と本当に必死で、じんわりとした歓喜は、実は御登山した後に沸いてきたようなありさまでした。
青年一人をお連れするにもそれです。まして、体の自由の利かない人をお連れする、付き添いの方の心中は図り知れません。「なんとしても、御戒壇様にお目通りを…」。「最後の登山になってしまうかもしれない」。そのような想いをひしひしと受けつつ、法要が滞りなく終了するようお手伝いをさせていただいています。
そのようななか、たくさんの出会いがありました。御開扉のときの、おそらく知的障害者であろう男の子。始まったとたん、大輪の花が開くように笑みがその子の顔中に広がるのを見て、本当にうれしかったです。盲目の老婦人は、「御本尊様はどっち」と我々に尋ね、ご案内した私の手をぎゅっと握りながらイスに腰掛け、その向きから動かれませんでした。
客殿の法要では、車イスの老人が、法要が始まる前のモニターを見ながら泣いていらっしゃいました。なんとか2階の会場にご案内した後も、ずっと泣いていらっしゃいました。30年ぶりの御登山だったと後で伺い、私たちも胸がいっぱいになりました。本当に自らの信行を省みる出会いばかりです。
ある車イスの老婦人は、青年を連れて、「私が付き添いです」とおっしゃいました。負けてはいられません。残り1ヵ月余り、恥じることのない信行に邁進してまいります。
ところで離脱僧は、このように「離脱僧」の「役割」は「基本的には無い」とまで言われながら、なぜ創価学会に擦り寄るのか?また学会は、役割がないはずの離脱僧をなぜ抱え込むのか?
ともかく、創価学会にとって離脱僧などは、使い捨ての道具程度にしか考えていないことだけはハッキリしている。それは、先の中野教授とともに、小さなお古の会館を改修し「会館寺院」なる名称をつけて下げ渡していること、そして離脱僧を抱えても、その後継の僧侶を全く養成していない事実からも見て取れる。離脱僧の役割とは、創価学会においても所詮、その程度でしかない。
ところで、創価学会がこれまでに開設した、お古の、ちっぽけな会館寺院には「栄光寺」とか「常勝寺」などと、俗物的野望に満ち溢れている池田大作の好みか、真摯な宗教心の片鱗もうかがえない、下品な名称のものが多いが、それらでは、「(創価学会)会員の家族・親族らの法事を行うほか、学会の諸行事でも活用される」(平成14年4月8日付聖教新聞)という。
当然ながら「学会の諸行事」の主宰者は創価学会であるから、離脱僧が会館寺院で主宰するのは、法事などのほかにはない。このことから、離脱僧の日常的活動は、学会が指摘する多くの邪宗よろしく、典型的だな「葬式仏教」に堕していることが明白である。
そもそも創価学会は、これまで日蓮正宗の伝統化儀を「形骸化」などし蔑み、会長の秋谷は、「寺院は本来、法要や儀式だけを行う場でも、まして坊主のねぐらでもなかった・・・寺院の本義は、今日においては、創価学会の会館・研修道場において見事に蘇っています」(平成7年2月26日付聖教新聞)と息巻いている。
しかるに、まさしく「法要や儀式だけを行う」「坊主のねぐら」に過ぎない「会館寺院」なるものを創価学会が設けること自体、大いなる自己矛盾であり、天に唾(つば)する愚か者と言わざるをえない。離脱僧が住む「会館寺院」は、いわゆる「葬式仏教」の典型なのである。
このように、住むところはあてがわれるものの、本来的な「役割」もなく、腹の中では“坊主”と馬鹿にされながら、ただ仏事一般を執行するだけの離脱僧は、自らの存在をどのように考えているのであろうか。
いまだに日蓮正宗僧侶であったころの道号を名乗り、必要ないはずの法衣にしがみつき、創価学会に媚(こび)を売りつつ世を渡るさまは、いかにも見苦しい。まさに、このような姿を現ずる離脱僧こそ、法衣を衣食住の糧と頼る「食法餓鬼」の典型であろう。また、このように打算で僧形を装う者を売僧(まいす)とも言う。
宗旨建立750年という大佳節にもかかわらず、何の御報恩事業もせずに、ただひたすら宗門の諸事業を邪魔することだけに腐心する、まことに哀れで愚かな者どもである。
○妙光寺支部(東京都品川区)鈴木悦子
○威徳寺支部(長野県下諏訪町)名取由美
○華王寺支部(東京都練馬区)大石真理子
○覚王寺支部(群馬県前橘市)大島綾子
○慧目寺支部(岐阜県美濃加茂市)桜井一章
○法道院支部(東京部豊島区)斉藤潤子
○法正寺支部(茨城県鹿嶋市)青木健
○法勝寺支部(さいたま市)山嵜輝明
○法珠寺支部(北海道釧路市)但野安澄
○常泉寺支部(東京都墨田区)鈴木昌俊
○本行寺支部(東京都墨田区)桜庭夕香
<離脱僧の役割>
<「会館寺院」こそ「葬式仏教」の典型>
<離脱僧こそ典型的「堕落僧」>