大白法

平成14年10月1日号


主な記事

<1〜5面>

<6〜8面>


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「竜頭竜尾」の30万総登山


宗旨建立750年慶祝記念法華講30万総登山は、9月22日をもって第55会がつつがなく終了した。この日は8千余名がご登山し、賑々しい大法要となった。そしてまた、初会(4月29日)よりの登山参詣者数が御命題の30万名を突破した、記念すべき日でもあった。念願の30万名達成という報に、共々に喜び合おう。

さらに10月7日の終会まで、あと5回の30万総登山大法要が行われる。これからの登山には、毎回6千名以上、多い日には7千名という登山者が予定されており、まさに「竜頭竜尾」の実現と強く感ずるものである。この勢いで最後の最後まで、気を緩めずに臨んでまいりたい。

この30万総登山大法要において御法主日顕上人猊下は、本年修される数々の大行事によって、世界広布の基礎が築かれることを述べられるとともに、全世界の宗教界・思想界の混乱の中、広宣流布の大願に基づき、立正安国の真実の正義を厳然と行ずる宗団は、我が日蓮正宗のみであると御指南の後、「かかる重大な意義と地涌の使命を自覚し、30万総登山の達成、さらに日本乃至世界広布を大目標として『一人より一人への折伏』、妙法弘通の大業にいよいよ精進をいたしてまいりましょう」(趣意)と参詣者一同に仰せ下されている。

御指南のごとく、30万総登山大法要の達成・奉安堂落慶、そこに向かう我等の下種仏法の信心即生活をもって、未来広布の基礎が建立される。その後は、広布大願という御遺命の実現に向かって、さらに僧俗一致の大前進が始まるのである。

本年は実に、功徳に満ちあふれた年であり、それを表現し尽くす言葉を持たないというのが実感である。この時に生まれ合わせ、御法主上人猊下の御指南に随順して功徳を積んでくることができた因縁と身の福徳をかみしめ、御本尊様の利益に護られ、どこまでも求め祈る御題目を唱えよう。そして、この御題目をどんどんと人にも唱えさせていく生活の毎日に、切りかえていこうではないか。


慶祝記念局通達より

「登山参詣信徒数御命題の30万人を突破」


9月22日、標記大法要の第55会が奉修され、4月29日初会以来の登山参詣信徒の累計人数が30万6238人に達し、法華講30万総登山の御命題が見事に達成されました。

ご承知の通り、平成6年・地涌六万大総会の砌、御法主日顕上人猊下より、平成14年宗旨建立750年を慶讃し、御本仏日蓮大聖人の御鴻恩に報い奉るために、法華講衆30万人による総登山を行う旨の御命題を賜わりました。以来8年間、僧俗一体となって真剣に推進活動に取り組み、見事にその御命題にお応えすることができたものであります。

偏に、仏祖三宝尊の御加護と御法主上人猊下の御嚮導によることは勿論、宗内僧俗各位の不惜身命の精進行が結実したものと、衷心より慶賀申し上げます。

宗内僧俗各位には、10月7日の終会まで、全ての支部が御命題を達成すべく、支部割当人数の完遂に全力を傾注せられるよう強く念願いたします。




○奉安堂、今月8日に竣工式、12日に落慶大法要

宗旨建立750年慶祝記念法華講30万総登山大法要も、残すところあとわずかとなり、いよいよ、待望の奉安堂落成に関する各法要が始まることとなる。

はじめに、10月8日に奉安堂竣工式が奉修され、同12日に落慶大法要、その翌13日から10日間にわたって落慶記念大法要が行われる。これらの大法要を間近に控え、奉安堂外構工事、御宝前の御厨子などの仏具の搬入等が9月いっぱいをもって終わり、これですべての工事が終了したことになる。

このたび、最後に完成したのは、奉安堂の外廻りの回廊である。これは広開門(正面の門)から東西に180mずつ、全長360m、幅3.3m(一部5.5m)、高さ4.4mからなるもので、この回廊により、雨天時などに広開門から入り、雨にあたらず東西からそれぞれ直接堂内に入ることができるようになる。

構造は、鉄骨造、日本瓦本葺きの重厚感のある屋根、また、床には正面参道と同種の石張りを配し、廻りの植栽とともに、富士山を背景にした周辺の景観と調和している。

御宝前は、本門戒壇の大御本尊様御安置の御厨子と御灰骨宝塔、御宮殿の設置が完了した。特に、大御本尊様御安置の御厨子は、耐震・耐火を徹底的に追求した特殊な構造を持ち、現存する厨子の中では最も強固で安全なものとなっている。御扉の回転軸も数十万回の開閉にも耐える特注のものを用い、さらに、御開扉の際、信徒席の隅からでも大御本尊様を拝することができるよう、御厨子内部の丸柱の幅を改良する等の設計がなされている。

これらの御厨子・宝塔・御宮殿は、幅8.8mの須弥壇の上に御安置され、御宝前全体として、大空間をもつ奉安堂にふさわしいスケール感をもたせたものとなっている。

これら奉安堂のすべての工事が完了し、総本山ではいよいよ、8日からの竣工式をはじめとする慶祝諸行事を待つばかりとなっている。



○宗祖御難会

9月12日の午後6時より、総本山の御影堂において御法主日顕上人猊下大導師のもと、宗祖御難会が厳粛に奉修された。

法要は、塔中・山内の御僧侶、所化小僧さん、近隣の檀信徒多数がお待ち申し上げるなか、御法主上人猊下が御出仕あそばされ、読経、引き題目と進められ、大聖人様の大慈大悲に御報恩謝徳申し上げ、午後6時半にとどこおりなく終了した。法要終了後は、御影堂前において、御法主上人猊下の御慈悲による御造酒のおながれが振る舞われた。

また、全国の各寺院でも、竜の口法難に当たるこの日を中心に、御難会の法要が執り行われた。


大聖人様の御一生は「大難四カ度、小難数しれず」といわれ、仏教の大弘通者も肩を並べることができないほどの大法難をお受けあそばされた。なかでも文永8(1271)年9月12日の竜の口法難には、特に重大な意義が存するのである。この前代未聞の極刑に処せられようとした頸の座を契機として、大聖人様の御身の上に一大変化が生じたのである。

すなわち『開目抄』に、「日蓮といゐし者は、去年九月十二日子丑の時に頸はねられぬ。比は魂魄佐渡の国にいたりて、返る年の二月雪中にしるして、有縁の弟子へをくれば、をそろしくてをそろしからず。みん人、いかにをぢぬらむ」(御書563頁)と御教示あそばされているように、この時、大聖人様は凡夫上行日蓮の身より久遠元初自受用報身如来、すなわち三世諸仏の根源たる久遠名字の本仏として、その本身を開顕され、凡夫の御立場から末法の御本仏と発迹顕本あそばされたのである。

また『上野殿御返事』の中に、「三世の諸仏の成道は、ねうしのをはりとらのきざみの成道なり」(同1361頁)とあるように、子丑の刻とは、大聖人様の名字凡夫の死で終わりを示し、寅の刻とは、大聖人様の御身そのままが久遠元初自受用身、すなわち御本仏の生で始まりを示すという甚深の意義が存するのである。

そこで本宗においては、この意義深き9月12日に、毎年、御難会を奉修し、御本仏日蓮大聖人様に仏恩報謝申し上げるのである。



○寛師会

9月18・19日の両日、総本山大石寺において恒例の寛師会が、御法主日顕上人猊下大導師のもと、厳粛に奉修された。この法要には、総監・藤本日潤御尊能化、教学部長・大村日統御尊能化、庶務部長・早瀬日如御尊能化、大石寺主任理事・八木日照御尊能化、宗務院の各部長・副部長をはじめ、塔中・山内の御尊師方、並びに所化小僧さんを含む多数の御僧侶方が出席された。また、法華講総講頭の柳沢委員長並びに大講頭・石毛副委員長、井出潔・渡辺定元・吉野範里大石寺総代ほか、法華講連合会からは各部長・地方部長はじめ一泊1660余名、日帰り170余名が参列した。

時折、花火の音が鳴り響く総本山大石寺。登山者は、18日午後1時半の奉安殿での御開扉に臨み、御法主日顕上人猊下大導師のもと読経・唱題し、罪障消滅と諸願成就の御祈念をしていただいた。

<御逮夜法要>

この後、午後4時からは客殿の御逮夜法要に、登山者全員が参列した。客殿に出仕太鼓が響きわたり、お供を従えられた御法主上人猊下が御出仕あそばされた。懇ろな献膳の儀が行われたのち、読経・唱題と進められ、御法主上人猊下の御焼香に続いて、参列者全員が順次焼香し、日寛上人に御報恩謝徳申し上げた。

このあと、日寛上人ゆかりの常唱堂(石之坊)において御法主上人猊下大導師のもと御逮夜法要が修され、代表者が参列した。

<布教講演>

常唱堂では御逮夜法要に引き続いて、布教講演が行われ、久成坊住職・関快道御尊師が、「熱原三烈士を偲ぶ」と題し、熱原法難について講演された。そのなかで関御尊師は、

 熱原法難は、弘安2(1279)年9月21日、駿河国熱原地方で日蓮大聖人様の信仰に励んでいた神四郎など20人ほどの信徒に起きた法難である。

 滝泉寺の院主代・行智などの讒言によって、無実の罪で鎌倉へ送られた熱原法華講衆は、大聖人様への帰依をやめて念仏を唱えるよう強要する平左衛門尉頼綱に対し、堂々と意見を述べ折伏した。ひき目の矢で威嚇する幕府の高官の権威を恐れず、誰一人として退転しない熱原法華講衆の振る舞いに、ついに平左衛門尉頼綱は神四郎、弥五郎、弥六郎を斬首した。

 大聖人様はこの法難の勃発により、妙法の信仰が完全に定着したことを御覧になり、本門戒壇の大御本尊様を御建立あそばされ、出世の本懐を遂げられた。

 現在の日本では、信仰の自由が憲法によって保証され、不借身命を決意する場面に遭遇することは、まず有り得ない。ところが、今日、世界には文字通り命をかけて信心修行に励んでいる海外信徒がいることを忘れてはならない。

 10月末より3回に分けて行われる、宗旨建立750年慶祝記念海外信徒総登山には、そうした信心を重ねた大勢の信徒が世界中より総本山に集う。安心して御登山できる現代にあっても、熱原三烈士の不惜身命の精神を忘れることなく継承していくことが法華講の使命である。

と話された(趣意)。


一方、塔の原グラウンドに特設された土俵では、寛師会で恒例となっている奉納角力大会が盛大に催されたまた、夕闇迫る頃からは、打ち上げ花火や仕掛け花火が夜空を彩り、登山者、地元の見物人の目を楽しませた。翌19日は、午前2時半からの丑寅勤行に参列した。

<御正当会・墓参の儀>

午前10時から、日寛上人の御正当会が、昨日の御逮夜法要と同じく客殿、次いで常唱堂において、御法主上人猊下の大導師のもと奉修された。引き続き、墓苑において墓参の儀が、御法主上人猊下の大導師のもと執り行われ、一切の法要がとどこおりなく終了した。



○秋季彼岸会

彼岸の中日に当たる9月23日、総本山客殿において御法主日顕上人猊下大導師のもと、秋季彼岸会が厳粛に奉修された。

法要には、塔中・山内の御僧侶、所化小僧さん、地元の檀信徒ら多数が参列した。午後4時、御法主上人猊下が大勢の御供を従えられて御出仕あそばされ、献膳の儀・読経・唱題と厳粛に進められた。読経・唱題のなか、御法主上人猊下の御焼香に続いて参列者全員が焼香し、先祖並びに有縁の諸精霊の追善供養を行った。唱題の後、御法主上人猊下による懇ろな御回向が行われ、午後5時過ぎに法要は終了した。

なお、全国の各寺院でも、この日を中心に彼岸会が奉修された。


仏教では、我々が生活している世界のことを穢土=裟婆世界と呼び、煩悩や苦しみが充満した穢れた国土であると説く。この裟婆世界を「此岸(しがん)」に譬え、成仏の境界を「彼岸」に譬えるのである。この彼岸の語源は、梵語のパーラミーターに由来し、波羅蜜と音訳される。これは「到彼岸」と訳し、迷いの此岸から悟りの彼岸に到る、つまり成仏の境界をいうのである。

日蓮大聖人様は『薬王品得意抄』のなかで、「生死の大海には爾前の経は或は筏、或は小船なり。生死の此の岸より生死の彼の岸には付くと雖も、生死の大海を渡り極楽の彼岸にはとづきがたし」(御書350ページ)と仰せのように、我々末法の衆生は、爾前諸経の修行法では成仏の彼岸に到ることはできないのである。

しかるに、我らが成仏の境界に到るためには、「六度の功徳を妙の一字にをさめ給ひて、末代悪世の我等衆生に一善も修せざれども、六度万行を満足する功徳をあたへ給ふ」(同605ページ)と、大聖人様が御教示のごとく、妙法の御本尊を信じ奉ることによって、直ちに即身成仏の大利益を戴くことができるのである。

ゆえに彼岸の法要においては、唱題を根本とした折伏・育成等の実践によって戴いた功徳をもって、諸々の先祖を追善回向していくことが大切であり、またこの功徳は、自らの福徳となって我が身を潤すことにもつながっていくのである。




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