大白法

平成15年1月16日号


主な記事

<1〜5面>

<6〜8面>


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国内外で広布の陣容が充実


○台湾北西部苗栗県で妙徳寺開所入仏式

平成14年12月25日、中華民国台湾北西部に位置する苗栗県において、同国第5番目の法城となる妙徳寺が開設され、御法主日顕上人猊下の御名代として海外部長・尾林日至御尊能化が訪台し、開所入仏法要が盛大かつ厳粛に奉修された。これには、宗務院より海外部主任・石橋頂道御尊師、宗務院書記・堀沢良充御尊師ほか、同国常駐の御僧侶及び日本から有縁の御僧侶方が御出席。また地元地域をはじめ台湾全土から2千名近い信徒が勇躍参集した。

法要は、午前と午後の計2回にわたって奉修され、1回目は約1千名余の信徒が集う中、現地時間の午前11時より、尾林海外部長の導師のもと、御本尊御開扉、献膳の儀、読経、唱題と如法に進められた。引き続き式の部に移り、信徒代表による経過報告の後、尾林海外部長より挨拶があった。その中で「本日の法要を契機に、互いに『広布大願の年』に当たっての決意を固め、中華民国全信徒が7年後の正義顕揚750年に向けて、さらなる広布の推進に邁進していただきたい(趣意)」と述べられ、正義顕揚750年に向けての新たなる門出と、台湾広布のさらなる進展に期待を寄せられた。次いで、寿量寺住職・上田慈一御尊師、法忍寺住職・水谷慈浄御尊師の祝辞と続き、妙徳寺の初代住職に本興院との兼務として就任した黒沢糾道御尊師より、丁重な謝辞と今後の決意が披瀝された。

このあと法要は、午後3時にも同様に奉修され、2回目は常在寺住職・細井珪道御尊師、正光寺住職・辻秀道御尊師よりそれぞれ祝辞が述べられ、最後に黒沢住職から謝辞があった。1回目の法要と同様に、2回目にも約750名の信徒が本堂を埋め尽くし、その喜びが堂内に満ちあふれた。両法要では、小憩をはさんで慧日寺住職・上田元道御尊師と宗務院書記・宮原委道御尊師より、それぞれ布教報告が行われた。また2回目の法要終了後に記念撮影が行われた。夕刻より、苗栗県から40分ほどの新竹市で、祝賀会が出席御僧侶及び信徒の代表約350名が一堂に会し行われ、宗旨建立750年の大佳節に開設された新寺院の門出を祝福した。

妙徳寺は、今までの台湾寺院と異なり、大規模な建築物である。約1万6千坪の広大な敷地を有し、それぞれ建坪が100坪の2階建ての本堂と3階建ての研修センター、2棟の建物から構成されている。1棟は地域信徒の法城としての役目、1棟は全台湾の研修センターの機能を備えている。



○東京都江戸川区の白蓮院復帰報告法要

平成14年12月23日、東京都江戸川区の白蓮院において、復帰奉告法要並びに第3代主管・夏井育道御尊師の入院式が厳粛に奉修された。

白蓮院は、江戸時代末期、天保年間の砂村問答に由来し、明治時代に入り、その流れを汲む信徒の家を間借りして「砂村問答法華本門道場」と称した。その後初代主管・観法院日健贈上人が赴任され講中は発展したが、戦災で道場を焼失。戦後に復員された観法院贈上人を中心に復興を図り、時の御法主日昇上人より「白蓮院」との名前を戴き文京区に道場を再興。昭和41年に現在の江戸川の地に本堂・庫裏が新築された。

観法院贈上人御遷化後、昭和52年路線で学会の教義逸脱の嵐吹き荒れるなか、自称正信会の者によって白蓮院は不法に占拠され、その後20年の長きにわたり日蓮正宗を離れていた。また白蓮院支部の法華講員はこの間、千葉県市川市の弾正寺預かりとなり、弾正寺住職・梶原慈文御尊師のもと、協力し合って信行に励んできた。そしてこのたび、平成14年11月27日(初代主管・観法院贈上人の第27回忌に当たる)、「前非を悔いて宗門側に返還申し上げたい」との申し出があったことにより、宗門に復帰となった。

法要並びに入院式には、総監・藤本日潤御尊能化、高野日海御尊能化、庶務部長・早瀬日如御尊能化、菅野日龍御尊能化、東京第一布教区宗務支院長・光久日康御尊能化、同副支院長・鈴木譲信御尊師をはじめ布教区内外の御僧侶方が御出席。また、東京第一地方部 より佐々木宣英地方部長、柳沢智晴同副地方部長。さらに東京第一布教区内の支部代表信徒135名、また白蓮院の丹羽弘総代をはじめ白蓮院信徒多数が参列した。

入院式は午後1時より奉修され、はじめに新主管の夏井育道御尊師の導師により、献膳の儀、読経、唱題と奉修された。次に、光久支院長より新主管の紹介、並びに経過報告を交えての祝辞が述べられ、続いて藤本総監、水野則夫講頭より、それぞれ祝辞が述べられた。最後に、夏井新主管より参列の各位に対して丁重な謝辞と今後の決意が披瀝された。こののち、本堂において記念撮影が行われ、復帰奉告法要並びに入院式はとどこおりなく終了した。

なお、入院式に先立ち12月9日午前11時45分より、返還の読経、唱題、引き続き、座替り式が奉修され、さらに、光久支院長、鈴木副支院長、総代等の立ち会いのもと、事務引き継ぎが行われた。




御法主上人猊下御言葉


☆各講中講頭御目通りの砌

ただいまは法華講大講頭の石毛副委員長より、新年の丁重なる御挨拶をいただきまして、まことに有り難うございました。ただいまの御挨拶にもありましたように、昨年は大聖人様の宗旨建立750年仏恩報謝のために、宗門の僧俗が文字どおり一丸となって精進し、御報恩のための事業完遂に邁進をいたしました。お陰をもちまして、滞りなくすべてを成就することができました。これもひとえに仏祖三宝尊の広大な御加護であり、さらに法華講総講頭・柳沢氏、また大講頭・石毛氏ほか法華講連合会の役員の方々、さらに各寺院の講頭以下幹部の方々が中心となっての精進によるところと思います。本当に御苦労さまでございました。

また、既に申し上げたことではありますが、昨年度の一切の行事にはまことに不思議な瑞相が顕れてきておりました。私ごとではありますけれども、私自身が大聖人様の仏法を正しく受け継ぐところの日蓮正宗の法主・管長としての立場にありますので、その私に対して、創価学会によるところの「クロウ事件」なる忌まわしい誹謗が、以前からずっと続いておりました。けれども、これが不思議なことに昨年の大慶事の前の1月31日をもって、いわゆる和解によるところの解決を見ました。

これによって創価学会は「クロウ事件」に関する誹諦の言辞を一切、行うことはできないということになりました。それに対してこちらは、そのことに関して色々と論ずることは向こうと同じように行わないという形ではありますけれども、ただ単にこの事柄に関して否定をする、つまり「そのようなことはなかったのである」と言うことは一向に差し支えないということになっております。このことは皆さんも既に御承知と思いますが、そのような和解の内容は、考えてみれば勝訴以上の条件で解決したと言えるのであります。そして、このことが宗旨建立750年の佳き年の1月31日をもって完結したのであります。したがって、このことが大慶事の一つの皮切りにもなったと思うのでありますが、これは本当に不思議なことと思います。

また、皆さんも御承知のように、総本山の桜の花は、だいたい虫払大法会奉修の4月の6日・7日前後に満開となります。ところが昨年だけは、ちょうど開宣大法要を執り行いました3月28日に、総本山における桜が最も盛りの時を迎え、それを過ぎてすぐに散り始めたのであります。そのような点からも、1週間以上も早く、しかも3月28日の大慶事に合わせて桜が見事に咲いたということは、法界がこの大慶事をまことに喜んでおったと感ずる次第であります。

その後におけるあらゆる諸行事中の天候といい、また日本乃至、海外の方々までもが登山された法華講30万総登山等において、その往還においてなんらの事故もなく、すべてが滞りなく執り行われた次第であります。そのほか、奉安堂落慶大法要としての10月12日、さらに落慶記念大法要の初日であり、大聖人の御命日でもある10月13日の2日間における天候のまれなることは、ほとんど類がなかったように思えるほどの快晴でありました。しかもそれが2日間、続いておるということは、これも法界全体が、我々の申し上げた大事業について心からら護ってくださり、さらに法界自身の喜びがそこに顕れておると思うのであります。皆様、本当に有り難うございました。

さて本年は、この功徳を受けて6年後の「平成21年・『立正安国論』正義顕揚750年」に向かって、ますます正法護持興隆のため志を持って進んでいかなければならないと思います。それにつけましても、ここにお集まりになっておられますところの講頭の方々が各講中の中心としての役割を持っておられるのであります。ですから、皆様には常に講中の発展と人材の発掘、育成等、指導教師と共になんとしてでも正法のもとに講中を大興隆させていくという気持ちをもって進んでいただきたいと思います。講頭、いわゆる長の一念が講中のあらゆる面の興亡、盛衰を左右するものと思うのであります。

昨年度において、ある講中は実に飛躍的な発展をしたということも見聞しております。しかしまた残念ながら、それほどの発展がなかった講中もあるかと思います。しかし、成果はともかくとしましても、大切なのは講員が即身成仏をする、本当に幸せになっていく、また立派な講中を作るという一念で正法を護持していくことだと思うのであります。

新年に当たって、特に講頭としての責任の上からこの志をしっかり持っていただき、本年度の出発の始めに道を開いていっていただきたいということをお願い申し上げまして、私の新年の言葉とする次第であります。本日は御苦労さまでございました。



☆唱題行(1月4日)の砌

昨日に引き続いて、本日も新年初登山の法華講員の方々がお見えになっておると思います。昨日から夜半にかけての雨もすっかり上がって、良い天気のもとに皆さん方の総本山御参詣が行われますことは、まことに結構なことと思うのであります。

さて、大勢おいでになっておりますので、唱題行に関することについて、ほんのひとこと申し上げたいと思います。申すまでもなく本年の1月1日から1カ月間にわたって、朝において1時間の唱題行を行います。皆さん方もそれぞれのお宅において朝夕の勤行、また必要に応じて唱題行を行われておると思うのであります。

この唱題行、すなわち南無妙法蓮華経とお唱えするなかには、上は仏界の様々な大智、すなわち大きな智慧と慈悲によるところの一切の法門が入っております。また下は地獄界の苦しみなどがありまして、皆さん方の毎日の生活のなかにおけるあらゆる事柄、あらゆる心地(しんち)というもののすべてが、この妙法蓮華経のなかに入っておるのであります。

ですから、生・老・病・死と言いますが、生じ、あるいは有為転変していく姿、あるいは病気にもなり、そして最後には死んでいく姿等の、ありとあらゆる法界の姿がこの妙法蓮華経であるということを、大聖人様は『諸法実相抄』に、「法界のすがた、妙法蓮華経の五字にかはる事なし」(御書664ページ)ということを仰せであります。

もっとも、このような教えを頂きましても、あまりにも大きすぎて意味が解らないと思うのでありますけれども、法界の一切の「体」がそのまま妙法蓮華経の五字に示されておるとともに、その妙法蓮華経の法界の意義をはっきりと顕していくところに成仏の姿があるのであり、それを「宗」という意味からするならば修行という形で示されるのであります。すなわち妙法蓮華経の体はそのまま、妙法蓮華経を行ずるところに顕れるのであります。

さらに「用」という意味からするならば、妙法蓮華経の修行によって、あらゆる衆生の境遇のなかで正しく善処して仏と成っていく、また真実の幸せを得ていくところの用きが顕れてくるという次第であります。そのなかに「法界のすがた、妙法蓮華経の五字にかはる事なし」ということが、その全体の教えにおいてお示しになっておられるのでありますから、したがって世の中の事柄もすべて妙法蓮華経のなかの因縁因果の理法の姿なのです。そこのところをはっきりと見極めることが、妙法蓮華経を信じ感得していくことなのであります。

それを知らない人は、恐れや不安や迷いなどのあらゆる問題が起こってくるときに、直ちに魂も消し果てて、その上、それらの問題を自分の浅はかな智慧で解決しようとして、さらに悪因を生じ、それによって悪果を生じていくのであります。そこに不幸の姿が存するのであり、おのずから法界の姿も自分の命も見失っていく姿があるのであります。

したがって今、世間の人々は様々な問題に逢着(ほうちゃく)して悩み苦しみ、そのようななかで政治、経済等も一向によくなっておりません。けれども、もし日蓮正宗の信徒である皆様方が政治を執ったならば、妙法の用きを持った本当に正しい解決の道が、次から次へと顕れてくることと、私は信ずるのであります。しかし、まだ日本の国はそこまでの状態に至っておりませんが、そのような面からも、妙法の真実の用きをもってあらゆる立場において行っていけば、その当体において成仏の道、人間としての真実にして最高の値打ちが顕れてくると思う次第であります。

よって、我々の生活のなかのすべてが法界の姿ですから、妙法を正しく受持すれば、そのすべてがそのなかに篭もっておりますので、慌てふためく必要もなく、また色々な面で誤った希望などを持って、わけの解らない形で進んでいく必要もないのです。今現在の自分の命の当体がそのまま法界の上における形であることを信じていくところに、いかなることにも負けず、恐れざるところの真実の妙法の境界をもって、人生を悠々と正しく示していく姿が顕れてくると思うのであります。

そのところから見てみると、世間では多くの人々の生活が実に不安定であり、過ちの姿が処々に現れております。そこに皆様方が妙法を唱えて折伏をし、真実の道を教えていくところに、皆様方の信心の大きな意義と功徳が存するのであります。その意味において、6年後の「平成21年・『立正安国論』正義顕揚750年」に向かってのいよいよの正法興隆、広宣流布の実現のために、本年「広布大願の年」は、これからさらに唱題行の意義をもって自行化他の精進をせられることをお祈りいたしまして、本朝の御挨拶といたします。




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