<6〜8面>
本年の元日より本日に至るまでの1カ月間、当客殿において1時間の唱題行を奉修申し上げました。この唱題行において、仏祖三宝尊の広大なる御恩徳を深く深くお受けさせていただきまして、本当に有り難かったことと存じております。
本年は昨年の宗旨建立750年のあとを受け、さらに6年後の「平成21年・『立正安国論』正義顕揚750年」に向かっての宗門の大法興隆、折伏前進を開始する第1年目に当たるのであります。この出発点として非常に大事な時であり、この時に本年も1月の唱題行が滞りなく奉修できまして、仏恩報謝とともに我々の信行倍増をいよいよ確信する次第であります。この総本山の行事を元として、全国の末寺の住職乃至、信徒の方々も僧俗一致していよいよ正法護持興隆と折伏前進に努められることと存ずるものであります。
本日は唱題行奉修の最終日でありますから、いつもより大勢の方々がこうして御参詣になり、相共に御報恩の唱題行を奉修することができまして、たいへん有り難く存ずる次第であります。特に、総本山総代の皆さんにも、御高齢にもかかわらず、連日、寒いなかを出席されまして、まことに御苦労さまでございました。
四諦ということは、要するに「苦・集・滅・道」ということであります。迷いの因果としての苦・集、すなわち煩悩と苦しみがあり、それを正しく解決していくための道として滅・道、滅諦と道諦がある。この苦・集・滅・道の4つが四諦であります。
釈尊の時代に須達長者という長者がインドにおり、この須達長者の家には、常に仏様や仏弟子が出入りしておりました。そして、この家では鸚鵡が飼われていたのですが、ある時、阿難尊者という十大弟子の1人が、鶴鵡に四諦である苦・集・滅・道を教えました。このことによって、この鶏鵡も「クジュウメツドウ、クジュウメツドウ」と常に四諦の名を唱えたのであります。
しかし、ある時、鸚鵡が庭の木の上で寝ていた時に、狸に襲われて殺されてしまったのです。けれども、その鸚鵡が生きておる間に唱えた苦・集・滅・道の四句の功徳をもって、天に生じたということであります。そしてさらに、種々の天を回りつつ、最後に人間として生まれ、ついに仏道を成じたということがあります。
すなわち、この場合の鸚鵡は、苦・集・滅・道の意味も何も解らないけれども、ただこの尊い教えを唱えることによって、そのような功徳を得たのであります。そして、さらに大聖人様は、妙法蓮華経の題目は四諦よりも何千、何万倍も勝れたところの八万聖教の肝心であり、また一切諸仏がことごとく出づるところの元であるということを御指南であります皆様方が日蓮正宗の大正法に縁ぜられて、唱えられるところのお題目の功徳は、実に広大なのであります。そして、これはすべて法界に通じておるのです。
大聖人様はまた、御本尊様の深い御内証を、「法界即日蓮、日蓮即法界」(日蓮正宗聖典379ページ)と御指南であります。この御文について、なんのことか意味が解らないかも知れません。大聖人様の妙法の御当体がそのまま法界の全体であり、その一切を含めたところの功徳をもって御本尊を顕し給うたのでありますから、我々はこの御本尊に南無して、しっかりお題目を唱えきっていくところに、その大きな功徳を自然に受けられるのであります。
法界の意義を深く観ずる智慧は、法界依性智という名称でも示されております。その一歩手前で、法界の全体を歴々と観ずる智慧が大円鏡智であり、さらに法界の一切衆生の真実の平等の姿を観ずる智慧が平等性智であり、さらにまた世間一般も含めてのあらゆる事物の深い妙の姿を観ずるのが妙観察智であります。そしてさらに、そこから一歩下って、我々の毎日の生活のなかにおけるすべての所乍が、ことごとくその筋道に当たる智慧を成所作智と言うのであります。
したがって、我々の毎日の生活、命、それ自体が妙法の当体でありますけれども、妙法を忘れておる者は、そのなかにおいて常に自我の煩悩の罪障をもって種々の誤りを行じ、その結果として様々な苦しみに逢着しておるのであります。
ですから、お題目を唱えるところに、何も知らなくとも法界に達するところの功徳が得られるのであり、鸚鵡が四諦の名をもって、ついに仏道を成じたように、我々も唱題で大きな功徳を得ることができることを確信すべきであります。
本年度、1カ月間の唱題行も本日で終わりますが、この唱題行が終わって、そこから出づるのは、いわゆる化他であります。ですから、皆様方の知っておる方々に、たとえひとことでもこの正法を下種するということ、つまり、自分一人だけの信心ではなく、自分はこの題目の功徳をもって必ず人に教えていこう、伝えていこう」というところの折伏行が大切なのであります。
世界各国(地域)で、一昨年より順次開催してきた「宗旨建立750年慶祝記念総会」。去る2月2日、スリランカにおける慶祝記念総会が、コロンボ市内の集会所において、千名を超える結集をもって盛大に開催された。これには、海外部長・尾林日至御尊能化、海外部主任・中本代道御尊師、スリランカ担当教師の田島寛応御尊師、宗務院書記・野村信導御尊師、さらに、来賓として大妙寺住職・高野顕昇御尊師が参列した。
総会に先立ち、午前8時より、日蓮正宗スリランカセンターにおいて、御授戒ならびに御本尊下付が尾林海外部長の導師のもと、3回に分けて厳粛に執り行われた。この日の御授戒者数は550名、御本尊下付は358体という驚異的成果で、これは前回の出張御授戒(昨年6月)以後、この日の総会をめざし、御報恩のために昼夜を問わず折伏に歩き続けた精進の結晶である。また、10月の海外信徒総登山(初会)に参加した信徒の歓喜もこれをあと押しした。
午後からは、センターから徒歩で3分ほどの集会所に会場を移し、慶祝記念総会が行われた。開会に先立ち、来賓を招いた際に行われるスリランカの伝統儀式であるオイルランプヘの点火が、御僧侶をはじめ来賓それぞれにより行われ、スリランカの副リーダーであるラクシュマン・ニレゴダ氏より歓迎の言葉があった。
最初に、女子部のアルニ・マドゥガルさんは、入信から7年、自分も家族も周りも大きく変革できた功徳の体験と、「スリランカは男性より女性が強い国なので、女性をもっと折伏したい」との決意を語った。続いて、青少年部の代表約20名により、今回のために作った歌を発表。続いて、ご主人と共に折伏に励んでいる婦人により、美しい伝統舞踊が披露され会場を沸かせた。次に、壮年部のS・M・ガマゲ氏が、先祖代々熱心に小乗教を信仰してきた一家親族がすべて日蓮正宗に入信した喜びを熱く語り、「今一番の功徳は折伏による心の充実」と話すと、歓喜の拍手が沸いた。
ここで、スリランカを代表する歌手で、昨年入信したディーピカ・プリヤダラシャニーさんが、心に響く美しい歌声を披露した。次に、尾林海外部長より祝辞が述べられ、日蓮大聖人の仏法の功徳の偉大さを確信して、2009年の『立正安国論』正義顕揚750年をめざして、さらなる折伏に精進することを願う、と激励された。次いで、女子部による伝統舞踊、「日蓮正宗スリランカの歌」の合唱の後、信徒を代表して、パラナガマ女史より謝辞があり、大感激の渦のなか、総会が終了した。
今回が初めてのこの総会で、信心による一体感を体験した信徒は、新たな目素標である2009年をめざしてすでに折伏を開始している。
インドネシアは、平成2末、日本で創価学会問題が勃発した翌年1月に、故セノスノト前会長の指導のもと、NSI(日蓮正宗インドネシア)の組織を挙げてSGIを脱会、宗務院直属の信徒となった。その後、名称をBDI(Nichiren Shoshu Buddha Dharma Indonesia)と改称し、現在インドネシア全土に約50数万人の日蓮正宗信徒がいる。
また会館御本尊を御安置している地方会館は全国10カ所にのぼり、その他、会館・礼拝所は各地に多数ある。妙願寺布教所(1999年1月開所)は、首都ジャカルタから車で約1時間ほどの郊外、メガマドンにあり、敷地は本堂と庫裡を合わせて約1000坪、本堂は約1500名を収容できる立派なものである。また、これと隣接して研修道場と講堂、そして2000名収容の宿泊施設があり、ここで毎月インドネシア全土からリーダーたちが集まり、2泊3日の日程で研修が行われている。その内容は各地に戻ったリーダーたちによって、メンバーに伝えられる。
今回紹介するルディ・パンゲランさんは、ジャカルタから最も遠い所に位置する会館の1つ、スラウェシ島のマッカサルの会館建設に携わったリーダーの1人で、建設業を営む47歳の壮年である。
○私の姉が、私よりずっと以前から入信していました。姉は、このすばらしい妙法を私に唱えさせようとしましたが、最初は決意できませんでした。その当時の私は、母が信仰していた観音信仰を最後まで続けなければならないという義務感のようなものを感じていたからです。しかし、姉は決してあきらめませんでした。私を説得できなかったため、今度は私の妻を折伏したのです。妻は、私が姉の勧める宗教(日蓮正宗)を好きでないことを知っていましたので、入信後は私に隠れて、姉の部屋で唱題していました。
それからすぐに、私の経営する会社のプロジェクトが停滞して、緊迫した状態に陥りました。さらに、これは突然のことでしたが、甲状腺が大きく腫れて、私は奇妙な風貌になってしまったのです。日に日に腫れはひどくなり、一層奇妙なものになり、私は生きているよりも死んだほうがましだと思うようになりました。
その地獄のような苦しみの中で、妻は私に「南無妙法蓮華経」と唱えるよう熱心に話しました。私には、まだ観音信仰に対するプライドがありましたが、何かによってますます奇妙になっていく現実をひしひしと感じていましたので、毎日5分だけと決めて御題目を唱えるようにしたのです。すると、御本尊様はその偉大な御力を示してくださいました。その直後に、この病気を治すことのできる医者に縁することができたのです。
そしてその後、1998年7月、妻の勧めで海を越え、約1500キロメートル離れたメガマドンヘ2日間かけて行き、御授戒を受け、御本尊様を御下付いただきました。御授戒を受けて御本尊様をいただいてから、私の人生はとても意義深きものとなりきした。姉と妻には、感謝の気持ちで一杯です。
○その後、私はマッカサルの組織に所属し、妻よりも活発に活動するようになりました。朝、仕事に行く前や夕方自宅に帰る前、また時間のあるときは、地域の個人会館に行き、夜遅くまで活動に励みました。これは不思議なことですが、活動に参加するようになってから、建設業者がたくさん倒産していく中で、私の会社は大規模なプロジェクトを受けました。これは御本尊様からの功徳以外に考えられません。私は心より御本尊様に感謝しています。
当時はまだマッカサルには、大きな会館はありませんでした。そこで2001年の初め、BDI責任者のアイコ・セノスノトさんは、「インドネシアの東部地区の布教の拠点となる会館を、6カ月以内に建てることができるか」と、マッカサルのメンバーに話を持ちかけました。あまりに短期間なので、誰もが「それは無理だ」と感じていました。
しかし、誰ともなく自然に私がやるような雰囲気になりました。私も内心は「無理だ」とは思いながらも、やる気は充分で、意を決して決意書にサインをしました。
○会館の建設と、布教活動は私の人生を変えました。私はこの会館の建設こそが、私が長年建設業に携わってきたことの本当の意味であり、新しい広布の第一歩だと強く感じました。私は全精力を会館建設に注ぎました。初めはこんな短期間で会館を建てるということは、不可能なことのように思われましたが、私は心中で予定通りに終わらせたいと祈っていました。
私の社員は、私の予想を超えて、彼らの全身全霊をもって応援してくれました。彼らは、仕事が終わった後、会館建設現場へやってきて、遅くまで働いてくれました。しかも、彼らは残業手当も請求しませんでした。「どうしてか?」と聞くと、彼らは、「ここ数年間、暖かく接していただいたことに対する恩返しをしたいからだ」と答えました。この時、私は入信してから社員たちへの対応が、以前とは変わっていたのだ、ということに気がつきました。
それまでの私は、彼らをプログラムとスケジュールの通りに動く機械のように扱い、彼らの人生など気にもかけませんでした。私にとって最も大切なことは、ただ予定通りに仕事を終わらせることだけだったのです。でも、このすばらしい仏法は、私を社員に信頼してもらえる人間に変えてくださっていたのです。私は、他の人々に慈悲を与えるという仏法の教えに従って、彼らに個人的な接点を持つよう自然に心がけていたのです。その結果、頼んでもいないのに彼らは会館建設の手伝いをしたいと申し出てくれたのです。
こうしてマッカサルの会館は予定通りに完成し、インドネシア東部地区の拠点として、2001年の10月29日に無事会館御本尊様の入仏式を執り行うことができました。
○現在BDIは、首都ジャカルタにメモリアルホールを建設するために努力しています。これはBDIにとって、とても大きな歴史的出来事です。私は、この建設の副委員長としての責任を与えられました。私は、インドネシアの日蓮正宗の歴史に残る事業に加えさせていただけることを有り難く感じています。
○唱題行(1月31日)の砌
宗祖大聖人様は『法華題目抄』に、「小乗の四諦の名計りをさやづる鸚鵡なを天に生ず。三帰計りを持つ人、大魚の難をまぬかる。何に況んや法華経の題目は八万聖教の肝心、一切諸仏の眼目なり」(御書353ページ)と御指南であります。
☆スリランカで宗旨建立750年慶祝祈念総会
☆インドネシアリポート
■入信の動機についてお話いただけますか?
■その後の活動についてお話しいただけますか?
■マッカサルの会館の建設はどうでしたか?
■これからの目標は何ですか?