大白法

平成15年3月16日号


主な記事

<1〜3面>

<4〜8面>


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ガーナ法華寺で宗旨建立750年慶祝記念総会


2月23日、宗旨建立750年慶祝記念アフリカ総会が、アクラ市の法華寺において、ガーナ全土およびコートジボアール、トーゴ、ナイジェリア、ベニンの各国から3千名を超える信徒が結集し、盛大に開催された。これには、宗務院より海外部長・尾林日至御尊能化、海外部主任・中本代道御尊師、宗務院書記・佐藤道幸御尊師をはじめ、来賓としてヨーロッパ、アメリカ、日本から12名の御僧侶方が御出席。さらには法華寺信徒との交流を続けてきた日本の法華講員9名も招待を受けて参列した。

準備風景

午前10時より慶祝記念法要が、法華寺創立5周年記念の意義も込めて奉修された。法要は法華寺住職・吉田道常御尊師の導師により、献膳の儀・読経・焼香・唱題と修され、その後66名の御授戒と13体の御本尊下付が行われた。

御授戒

引き続き総会が開催され、最初に開会宣言と御僧侶方の紹介があった。経過報告に続き、尾林海外部長が祝辞に立たれ、アフリカ広布のさらなる推進を期待された。さらにロサンゼルス妙法寺住職・高野泰信御尊師からも祝辞が述べられた。続いて、メッセージの披露、体験発表、決意発表、学校設立基金のアピール、クワミ・オダメ・ボワマ講頭の謝辞があり、最後に吉田住職より丁重な謝辞とアフリカ広布への決意が述べられた。

総会風景

この後、法華のコ一ラスグルプが、法華寺信徒作詞作曲の「アフリ広布の歌」をはじめ4曲を披露し、最後に会場の全員で「地涌讃徳」を合唱した。記念撮影の後、各国・地域の迫力ある伝統の踊りや美しいコーラス、少年部による御書暗誦など、すばらしいパフォーマンスが次々に披露され、アフリカ総会は大歓喜のなか終了した。

パフォーマンス

5年前の法華寺落慶入仏法要の際、すでに発給されていた、御法主上人猊下をはじめとする一行の入国ビザが突然無効を通告され、渡航を断念せざるを得なくなってしまった。その記憶と、この5年間の様々な想いが重なり、記念法要は僧俗一同が感涙にむせびながらの読経・唱題であった。

僧俗和合

「モア・チャンティング!(もっと唱題を)」が法華寺信徒の合言葉である。アフリカでは、総会の大歓喜を原動力に「モア・チャンティング」の輪を拡大すべく新たな前進が開始された。

地涌讃徳




論苑 『衣・座・室の三軌に則り、威風堂々の大前進を』
弾正寺住職・梶原慈文御尊師


御法主上人猊下より新たな御命題を賜り、6年後の平成21年『立正安国論』正義顕揚750年に向けて前進を開始した本年も、早2カ月余が過ぎました。「光陰矢の如し」と言われるごとく、月日は待ってくれません。私たちが進むべき道を、常にお示しくださる御法主上人猊下の御慈悲にお応え申し上げるためにも、私たちは一日一日を大切に精進することが肝心でありましょう。

日蓮大聖人様が示された『立正安国論』の正義、すなわち正法による仏国土の建設も、まず一人を折伏するところから始まります。御法主上人猊下は『大白法』の新年号で、「広布への前進は自行化他の題目、即ち唱題と折伏にあります。真剣な唱題によって自ずから折伏の心が生じ、また折伏の縁を鑑照することができるのであります」(大白法612)と、広布への前進の要諦は、唱題と折伏にあると御指南あそばされています。


慈・悲・喜・捨

『大智度論巻第二十』の中に「四無量心」ということが説かれています。これは衆生を憐慾(あいみん)する心で、慈無量心・悲無量心・喜無量心・捨無量心の4つの心をいいます。仏道を行じ衆生を救っていく者は、常にこれら4つの心を持たなければならないということです。

慈無量心の「慈」とは、相手に楽しみを与えてあげること、悲無量心の「悲」とは、相手の苦しみを抜いてあげるということです。『大智度論巻第二十七』には、「大慈は一切衆生に楽を与え、大悲は一切衆生の苦を抜く」と、この「慈」「悲」とは抜苦与楽(ばっくよらく)であることが説かれています。

『開目抄』に、「日蓮が法華経の智解は天台・伝教には千万が一分も及ぶ事なけれども、難を忍び慈悲のすぐれたる事は、をそれをもいだきぬべし」(御書540ページ)とありますように、大聖人様は、あらゆる諸難に対して一歩も怯(ひる)むことなく、末法の一切衆生を救わんがため、法をお説きになりました。これは仏様の尊い大慈大悲の現れであり、他の誰人にも勝るものであるとの、末法の御本仏の大確信です。

また『諌暁八幡抄』には、「涅槃経に云はく『一切衆生の異の苦を受くるは、悉く是如来一人の苦なり』等云云。日蓮が云はく、一切衆生の同一の苦は悉く是日蓮一人の苦なりと申すべし」(同1541ページ)と、一切衆生の苦しみはすべて大聖人様御自身の苦しみであるとまで仰せです。

その大聖人様の御魂魂は、戒壇の大御本尊様です。ですから、御本尊様は御本仏の慈悲の当体といえます。この大御本尊様を心から信じて、ひたすら題目を唱えることこそ、私たちが慈悲の心を持つことができる唯一つの方法なのです。真剣な唱題こそ慈悲の心の源です。


次に、喜無量心の「喜」とは、他人が楽を得るのを喜ぶことです。つまり折伏した相手が、功徳を受けて幸せになっていくのを、心から喜んであげるということです。自分より相手が幸せになっていくのを妬んだりしてはいけません。

そして、捨無量心の「捨」とは、捨てるということで、他人に対して愛憎親怨の心がなく、心が平等であるということです。つまり「私があなたを幸せにしてやったんだ」というような、恩着せがましい心を捨てるということです。どんなに立派な信心をしている人でも、一度慢心の心に蝕(むしば)まれると、このような心になってしまいます。私たちの心の中には、このような醜い心が存在するのです。これでは、せっかくの仏道修行の功徳も無に帰してしまいます。

以上のように、慈・悲・喜・捨の四つの心を常に心がけて、私たちは法を説くことが大切です。


衣・座・室の三軌

この四無量心という教えは、法華経には「衣・座・室の三軌」として説かれています。

法華経『法師品第十』に、「如来の室に入り、如来の衣を著(き)、如来の座に坐(ざ)して、爾して乃し四衆の為に広く斯の経を説くべし」(法華経329ページ)とあるのがそれです。つまり折伏を行ずるときは、如来の室に入り、如来の衣を著、如来の座に坐して法を説きなさいということです。

一番目の「如来の衣を著る」とは、折伏では柔和忍辱(にゆうわにんにく)の心を持つことが大切であるということです。折伏とは、相手を折り伏せることであり、邪宗教への執着を断ち切らせる非常に激しい化導方法です。それ故、自分の言葉や態度は、より以上に柔和で丁寧でなければなりません。相手にどんな乱暴な言葉を浴びせられたとしても、根気よく、何度も何度も誠意をもって話しをすることです。そして、何事にも耐え忍ぶことが大切です。この耐え忍ぶということが、忍辱の衣を着るということなのです。

二番目の「如来の室に入る」とは、折伏するときは、慈悲の心を持たなければならないということです。

三番目の「如来の座に坐す」とは、「一切法空」という立場に立つことです。どんな人にでも仏性はあります。さらには、どんなに立派な地位や名誉のある人でも、実は様々な苦悩を持っているのです。私たちもその人たちも皆、同じです。大聖人様の仏法を信心している私たちのほうが、むしろ幸せだと思うことが大切です。このような心を持つことが「如来の座に坐す」ということです。

この衣・座・室の三軌を心得るならば、必ず折伏ができると説かれています。


三つの功徳を確信

また経文には、折伏を行ずるとき、3つの有り難く心強い功徳があると説かれています。

その一つは『見宝塔品第十一』に、「法華経を説く処有らば、我が塔廟(とうみよう)、是の経を聴かんが為の故に、其の前に涌現して、為に證明(しようみよう)と作って、讃めて善哉(ぜんざい)と言わん」(同337ページ)とあります。私たちが折伏を行ずるときは、いつも仏様がすぐそばに付いていてくださるというのです。

二つめは『法師品第十』に、「若し此の経に於て、句逗(くとう)を忘失せば、我還って為に説いて、具足することを得せしめん」(同330ページ)とあります。もし私たちが、御書の御文を忘れたり、難しい教学が判らなかったとしても、不足のところは仏様が補ってくださるというのです。

さらに三つめは『同品』に、「若し人悪、刀杖及び瓦石を加えんと欲せば、則ち変化(へんげ)の人を遣して之が為に衛護と作さん」(同333ページ)とあります。折伏行では、いろいろなことに耐え忍ばなければならないが、もし理不尽に危害を加えようとする者がいたならば、諸天善神が守護してくださるというのです。


折伏に無量の功徳

折伏を行ずることは、末法の御本仏日蓮大聖人様のお手伝いをさせていただくことです。ですから恐れるものは何もありません。また唱題に励む人は、誰にでも折伏はできます。そして折伏を行ずることによって、無量の功徳を受けることができるのです。

さあ、平成21年『立正安国論』正義顕揚750年に向け、御法主上人猊下の御命題にお応えすべく、僧俗共々、異体同心の絆を結び、威風堂々と折伏行に遭進していこうではありませんか。



破邪鉄槌 『「忿りの杖」を捨てよ!』


意業(いごう)に三悪あるなかの第二は「瞋恚(しんに)」である。瞋恚とは「いかり憎むこと」で、漢和辞典の「解字」を見ると、瞑:目のわくいっぱいに目をむき出すこと。恚:心をかどだてておこること、と説明している。

ついでながら、標題に使った「忿」は、かっと破裂するように急におこることで、いずれも心がかなり緊張した状態であることは同じである。


「邪悪への怒りが日蓮仏法」??

聖教新聞の「寸鉄」に、「御書『責めても猶(なお)あまりあり、禁(いまし)めても亦(また)たらず』邪悪への怒(いか)りが日蓮仏法」(平成15年2月3日付)というのが載った。

御案内のように、これは『聖愚問答抄』の一文で、今、末法は濁世であり、権教や謗法ばかりが多いので正法は弘まりがたい。この時には、「只(ただ)折伏を行じて、力あらば威勢を以て謗法をくだき、又法門を以ても邪義を責めよ」(御書403ページ)と仰せられて、謗法を責めぬく折伏行の大事を御指南されたものである。

そして、続く御文には浄土、真言、禅、律の順に各宗がいかに法華経を下しているかを列挙され、それらの謗法を責めるべきことを厳しい調子で指南せられたのが「寸鉄」に引く文である。

それが、池田大作らの狂った頭で読めば邪悪への“怒り”を燃やすことが大事であり、それが「日蓮仏法」であるという文証になるらしい。大聖人がはっきりと「謗法破折」についておっしゃっている御文を引きながら、それをわざわざ曲解して「邪悪への怒り」を燃やせと煽る寸鉄子。池田大作に振り回されて「大聖人直結」とか「御書根本」を言い出すと、こんなふうに悩乱するという現証を見る思いである。


そもそも「邪悪」って何?

そもそも、ここで言う「邪悪」とは何なのか。大事なことはクチコミで流すというお家芸を持つ創価学会のことだから、なかなか正体をつかみづらいが、池田大作のおぼえめでたき大場副会長の次の発言は、それを推測する上で興味深い。

今から約3年前の第42回本部幹部会において大場は、極悪と戦うことが極善であるとした上で、会員に対し、「仏敵・日顕を、断じて倒すその日まで、日顕宗へ阿修羅のごとき怒りをもって、徹底した執念の戦い、攻めの戦いを敢然と展開していこう」(平成12年1月30日付聖教新聞)と呼び掛けた。

大場某が言う「日顕宗」とは、破門された創価学会が、根本の日蓮正宗に帰依しきれず、かといって日蓮正宗から離れることもできない矛盾を暴露する創価学会特有の用語で、正しくは「日蓮正宗」と言わなければならない。

その日蓮正宗を統率される御法主日顕上人硯下を「仏敵」と決めつけ、これを倒すまで「阿修羅のごとき怒り」をもって攻めていこうと述べているわけで、このあたりが「寸鉄」の言う「邪悪」の正体でもあろう。

慈悲の善導が大事それにしても、「邪悪への怒り」を焚(た)きつけられたり、「阿修羅のごとき怒り」をもって攻めていこうと煽られるなど、創価学会員はしょっちゅう、“怒って”いなければならないようである。

しかしながら、たとえ「邪悪」に対するも、慈悲をもって教化善導することが大事であって、右の指導を守っていつも怒ってばかりいれば、相手も聞く耳を持つことはないであろう。


大聖人は、「汝(なんじ)仏にならんと思はゞ、慢のはたほこをたをし、忿りの杖をすて・偏に一乗に帰すべし」(御書296ページ)と御指南である。

池田大作よ、御書根本を言うなら、まず手始めに大場某を叱責してその誤りを正し、かつ、会員に対して「怒りの杖をすて」なければならない、と指導し直すべきではないのか?




 

体験発表 『信心の目的は即身成仏と覚醒して学会に決別』
妙縁寺支部 三宅妙子


昨年は、宗旨建立750年慶祝記念の法華講30万総登山大法要、続いての奉安堂落慶記念の大法要に、大歓喜をもって参加させていただき、その感激で胸がいっぱいでございました。本年1月3日には、再び奉安堂に参詣し、新年の決意も新たにさらなる信行の精進を大御本尊様にお誓い申し上げました。


思い起こせば、昭和19年に日蓮正宗に入信しましてよりの58年間、私は、創価学会の歴史とともに、信心生活を過ごしてまいりました。戸田城聖先生の指導のもとに、宗旨建立700年の記念行事には、女子部として参加しました。当時、学会は、僧俗一致し、総本山を外護する立場を保ちながら、折伏行に邁進しました。東京においては、蒲田・小岩・杉並の3拠点において、毎月1度、戸田先生が『立正安国論』の講義をしてくださり、蒲田は私の実家が拠点でした。

時は昭和22年の8月、私の姉が同伴してきたのは同窓生であった池田大作その人でありました。小説『人間革命』には、そのときの美化された戸田先生との出会いが描かれていますが、それは全く事実とは違います。そのとき19歳であった彼は、折伏をされて10日後に入信しました。

その後、昭和24年の1月、池田が21歳のとき、蒲田工業会に勤務していた彼を、私の母が、日本正学館を経営されていた戸田先生に、「よい青年がいる」と、初めて紹介し、就職を依頼しました。池田の学会での仕事の出発点がここであり、私は、このときのことを今でも鮮明に覚えています。


戸田先生から殊の外、目をかけられていた母に連れられて、私も戸田先生の白金のご自宅に何回か訪問しました。先生の奥様とお話し合いの機会を持てたことを、今でも懐かしく思い起こします。母は、蒲田の婦人部の草分けとして活躍し、昭和41年に亡くなりました。

父は、大田区の区議会議員を3期務め、学会では大田の支部長を経て、静岡の本部長を務めて学会に貢献しました。昭和44年に他界しましたが、晩年、よく「最近の学会の流れは、どうも変な路線を歩んでいるようだ」と語っていたそうです。

三宅家の長男の建夫は、学会からの強い要請で、創価学会本部に就職しました。しかも、池田に忠誠を誓っています。建夫が学会の幹部である以上、父は本音を話すことができず、さぞや胸を痛めていたものと、今になって私は改めて痛感した次第です。

父と母は、当常泉寺の墓地にて、静かに見ているものと思います。恩義のあるはずの母の葬儀にも、父の葬儀にも、池田が顔を見せることはありませんでした。戸田先生の奥様・幾様の御葬儀にも、池田自身が姿を見せることはありませんでした。奥様の御葬儀は、「学会葬は絶対にしないで欲しい」との強い御遺言の通り、常在寺御住職・細井珪道御尊師はじめ、多数の御僧侶様方により日蓮正宗にて、厳粛に執り行われました。それは奥様の、無言でも強い、学会への抵抗と諌(いまし)めであったと、私は思います。


昭和40年代からの「池田本仏論」の台頭、またいわゆる「昭和52年路線」、さらに御本尊模刻問題等がありました。加えて、平成2年に創価学会が問題を起こして以来、学会員は総本山に登山しないように強要され、各寺院にも参詣できず、人が亡くなった場合は「友人葬」という、不可解で納得のいかぬことの連続が始まりました。

それ以来の10余年間は、波瀾万丈ということを身をもって体験することとなりました。何をやっても悪い状況となり、信じられないくらいでした。私の名義のガレージ付き一戸建ての家までも処分することを余儀なくされました。

平成11年には、私が長年勤務していた職場が、倒産しました。その上、息子は、10年も勤務していた会社からの解雇に見舞われるなど、次々と悪いことばかりが続き、はたと悩んでしまうことが、しばしば起こりました。


平成13年10月17日、私の弟の嫁である幸江さんに話がしたくて会いました。約3時間、いろいろと話し合いました。

話のなかで、初めて幸江さんが法華講員であることを知り、その上、ご主人には内密でお子さんたちにも勧誡を受けさせ、総本山にも参詣させていると聞き、その幸江さんの純粋なひたむきさに心をうたれました。ご主人が学会の幹部であるなかを、法華講員として信心を貫き通されている姿に、私は体中に電流が流れていくようなショックを感じました。

私は、学会員として何をしてきたのでしょう。信心の究極の目的は成仏にあるということに思い至り、深く決意することができました。ただちに妙縁寺の光久御住職様のもとにお伺いし、様々な有り難い御指導を賜ることができました。そして1週間後の10月24日、学会と決別し、息子とともに勧誡を受け、法華講員となることができたのです。


翌月の11月、10年ぶりで総本山大石寺に参詣できました。久しぶりに本門戒壇の大御本尊様にお目にかかれた感激で、涙がとめどもなく流れ、何も見えないほどでした。

さらにその翌月の12月、木屋さんを折伏しました。彼女は友人でも隣人でもなかった、街中で出会った一婦人でした。奥様風情の優雅な彼女に、「お茶でも飲みませんか」と喫茶店に誘いました。私は登山した歓喜のうちにあり、何かをこの婦人から感じたので、ともかく折伏したいとの一念心が涌いてきたのです。

そして、彼女はこの信心の話を素直に聞き、決心して御授戒を受け、御本尊様を御下付いただくことができたのです。その上、30万総登山の大法要にも、私の息子とともに総本山に参詣することができました。


私と息子は、法華講員になってから真剣に唱題に励みました。仕事の面では、息子は、この就職難が続くなか、現在では通信関係の仕事に携(たずさ)われるようになり、懸命に取り組んでいます。私も、現在70歳を過ぎた「高齢者」ですが、幸いにも私を必要としてくれる職場が見つかり、明るく元気に健康で、現役で働いています。

私は今、法華講員として強盛なる祈りが大切なことを実感しながら日夜、信行に励んでいます。御本尊様の力が顕れるかどうかは、私たちの信心の厚薄によるのであって、力強く御祈念するとき、いかなる祈りも必ず叶うものと確信します。

今や独裁主義者により、巨大なマンモス組織と肥大化した創価学会は、ついに会の規約を改竄(かいざん)し、血脈相承を全く否定し、日蓮正宗の教義からは完全に逸脱しています。

表面は華やかに世界に飛躍しているがごとく錯覚を起こさせ、会員にはアピールしていますが、その内実は洗脳された学会員が、誤った指導者に盲従しているだけです。一般の学会員は、目覚めない限り、荘厳なる奉安堂には永遠に参詣することができません。私たち法華講員は、奉安堂で御開扉をお受けすることができるのであり、本当に幸せものだと、心底からこみ上げてくるものがございます。


この原稿を妙縁寺支部総会にて体験発表しました翌々日、学会の大幹部が私のもとに訪れ、学会に戻るよう勧めました。私は、誰人の悪口を申したわけでもなく、生きてきた、ありのままのことをお話しただけですから、何ものも恐れることはありません。たとえ、地位、名誉、役職、恩恵、それらを奪おうとしても、失うものは何一つありません。恐れることは何もないのです。ただ一つ恐ろしいことは、大御本尊様から見捨てられてしまうことが一番恐ろしいことですと、その大幹部に申しました。

また、今日より4日前、2月19日には、私の友人、キャリアウーマンの中原さんを折伏しました。妙縁寺の皆様の見守るなか、中原さんは、御授戒をお受けし、御本尊様を御下付いただくことができました。


御法主日顕上人猊下より新たに賜った御命題である「『立正安国論』正義顕揚750年の佳節までに、地涌の友の倍増乃至それ以上の輩出と大結集」を遂げることができるよう、この意義ある6年間を、御住職・光久日康御尊能化の御指導を仰ぎながら、田中講頭を中心に団結し、ますます信・行・学に精進してまいります。

今後ともささやかながら、信行に励むことをお誓い申し上げ、つたない体験発表とさせていただきます。


※この原稿は昭倫寺支部の若山さんのご協力で転載いたしました。




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