大白法

平成15年5月16日号


主な記事

<1〜2面>

<3〜8面>


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体験発表 『脱会して寺院外護と一家和楽の信心』
法秀寺支部・青年部長 角田正人


皆さん、こんにちは。生まれて間もなく入信した私のこれまでの26年間は、すべて御本尊様に守られた人生です。限られた時間ではすべては語り尽くせませんので、本日はその中からほんの少しだけお話させていただきます。

私は、福島市に生まれました。私が生まれたとき、母は創価学会員で、父は入信していませんでした。父は「もやもや病(ウィリス動脈輪閉塞症)」という難病で飯坂温泉近くの施設に入居し、ときどき腰浜町の住まいへ帰ってくるという生活でした。学会に籍を置いていた我が家でしたが、会館よりも広布寺のほうが近かったので、お寺にしばしば参詣していたように記憶しています。

私には、幼い頃のある日の記憶が今でも鮮明にあります。それは、母と広布寺へ参詣したときに、お寺の受付で御僧侶からお菓子をいただいたことです。このときから「日蓮正宗のお坊さんは優しい人だ」と幼な心に思い、学会のような在家の人たち中心での活動ではなく、御僧侶の近くで親しく信心がしたいという気持ちが芽生えたのです。

私が5歳のとき、我が家は母親の実家のある新潟県三島町(長岡市の隣町)という農村へ引っ越しました。現在の私の実家です。当時、その集落は旧習の深い土地で、村社会の典型でした。例えば「角田」という姓は父方の苗字のため、集落に「角田」姓は我が家だけです。そのことだけで、大人から子供までが私たち一家に奇異のまなざしを向けてきました。

さらに、創価学会員であったこと、神社関係の祭に参加しないこと、身体障害者の父がいたことなどで、村の人たちからは、「先祖代々の仏をないがしろにしている」とか「村のしきたりを無視している」、「福祉の世話になっているくせに」といったような、いわれのない中傷が、小学生だった私自身にも浴びせられました。

また、実家には未入信の祖父と祖父の後妻がいて、私の父母といろいろな面で折り合いが悪かったようでした。私はその家庭環境によるストレスのためか、やせ始め、じんましんが出たりして体調が悪くなりました。

昭和60年7月7日、父は、寺号公称される直前の長岡市の法秀院で御授戒を受けました。私はこのとき初めて、法秀寺御住職の山口実修御尊師にお目にかかりました。


父は、まるで自らの死期を悟って日蓮正宗に入信したかのように、御授戒を受けた13日後の7月20日に死去しました。このとき私は小学校3年生でした。葬儀は自宅で、山口御主管の御導師で執り行われました。父の火葬後、初七日忌法要後のことです。母や親戚の大人たちが御尊師とお話しているとき、小学生の私と山口御尊師の視線が合い、そのとき、御尊師がニコッと微笑まれたのです。それ以来、私は、「法秀寺の御僧侶はいい方だ」と強く思い、そのことを周囲の学会員にも話していました。

平成2年以降、学会問題が起こったとき、母は「宗門、学会側の双方に付かず離れずが一番だ」と言っていましたが、私はそれに猛反発し、「お寺と御僧侶あっての日蓮正宗でしょう。僕の小さい頃の記憶とお父さんの葬式のときの記憶では、学会の幹部が言うように正宗の御僧侶が堕落しているとは思えない」と毎日毎日、言い続けました。しかし母は、なかなか脱会を決意できませんでした。


そうこうしているうちに転機が訪れました。平成7年、私が高校の卒業式に行くその朝、母はクモ膜下出血で倒れ、そのまま意識不明の状態で3カ月間、生死の境を彷徨(さまよ)いました。このとき伯母の家族が母の看病を交代で手伝ってくれたので、私はどうにか大学に進学することができました。

法秀寺の御住職様に願い出て、御秘符を戴くことができました。伯母が御秘符を水に溶き、母の口に含ませました。すると、医師からは「回復しない。もし回復しても後遺症が残る」と診断されていた母の意識が戻り、みるみる回復し、無事に退院できました。その後、母は元気にパート勤めにも出られるまで回復し、ほとんど何の障害もなく生活できました。

母の退院から1カ月後、母方の祖父が亡くなりました。当時、我が家はまだ学会員でしたが、祖父が生前「俺が死んだときは、お寺に弔いをお願いしてほしい」と言っていたこと、さらに母と私が、学会員でありながらも時々お寺に参詣していたこともあり、法秀寺に葬儀をお願いしました。それが縁となり、母と私、そして祖父の後妻である祖母の3人が、脱会して法華講に入ることができたのです。私が19歳のときでした。法華講員になってからというもの、ぎくしゃくしていた母と祖父の後妻との仲は良好になり、一家和楽そのものになりました。

また当時、大学に通うために埼玉県大宮市で独り暮らしをしていた私のアパートに、法秀寺の御住職様はわざわざお越しくださり、直々に御入仏を行ってくださいました。その際、御住職様は「御本尊様を御入仏したのですから、五座三座の勤行は欠かさず行ってください」と笑顔でおっしゃられ、「これは言うとおりにしないといけない」と思い、毎日欠かさず行うようになりました。

2年生より大学の校舎が東京へ変わるのに伴い板橋区に引っ越しました。それを機会に、御住職様のお計らいで板橋区の妙国寺の預かり信徒として、支部の活動に参加するようになりました。妙国寺では御僧侶、そして田中講頭さんはじめ支部の皆さんにかわいがっていただきました。妙国寺支部での信心活動は、厳しくも慈悲に溢れたもので、貴重な経験を積ませていただきました。


私は大学卒業後、新潟市にある会社に就職し、入社2年目には新発田市に転勤となり、それとともに引っ越しました。また、社会人になると同時に法秀寺支部の青年部長を拝命し、新潟・新発田と、長岡という2つの拠点を持った生活がスタートしました。

青年部長になってからの活動は、平成14年の法華講30万総登山大法要の参加目標の達成に全力を傾けました。支部では御報恩御講参詣者数の増加に力が注がれていました。我が家においても御講参詣の習慣のなかった母と祖母に、その習慣を身に付けさせたことは、今となってはよい思い出です。

平成14年・宗旨建立750年は、私にとって生涯忘れることのできない激動の年でした。3月12日、母が急死しました。その2日前、母は祖母を車に乗せて法秀寺の御報恩御講に参詣しました。母にとってその参詣は、寿命を賜った大聖人様へ、最後のお礼のご挨拶かのような寺院参詣となりました。


母の通夜・葬儀とも、自宅のふすまを取り外して会場を作って執り行いました。大勢の参列をいただき、特に通夜は信心での有縁の方々や会社関係の方々で満杯となり、入りきれずに外に溢れるまでになりました。また、私が広告代理店に勤務している関係からか県内テレビ各局から弔電をいただき、さらにはテレビ局の方より直々に弔問いただいたのには驚き、恐縮しました。

さらに県内の青年部有志の皆さんには、式場の誘導等でたいへんお世話になりました。皆さんのおかげで母の葬式を、正宗の化儀に則り、盛大にそして立派に出すことができました。

後日、集落の中では、正宗の厳粛な葬儀、大勢の弔問客、マスコミからの多くの弔電、そしてきびきびとした青年部有志による会場誘導のことが、いい意味で評判になったようです。会社関係の方々からは、「日蓮正宗の葬儀に感動した」との感想が聞かれました。さらには、葬儀の折に御住職様が、私が青年部長として御奉公していることを会社の社長や上司に紹介してくださったので、会社では、お彼岸と休日出勤が重なるときなど「角田君は、お寺の御奉公があるから出勤しなくていいよ」と言われ、参詣しやすくなりました。

御住職より「お母さんは君の高校卒業の日にクモ膜下で倒れ、御戒壇様から『更賜寿命(更に寿命を賜う)』の寿量品の経文のように寿命を戴けたんだね。そして一人息子が無事大学を卒業して、社会人としても信仰の面でも立派に成長した姿を見届けて、安心して亡くなっていったね」とのお言葉をかけていただきました。私にとって真の親孝行はこれからです。法秀寺での御奉公に勤め、菩提寺である法秀寺を外護できる人材に名実共に成長することが、真の親孝行であると考えています。

父、母、祖父と自宅で3回も正宗での葬儀を出しましたが、3人とも安祥とした半眼半口の相を間近に見ることができ、日蓮正宗の正しさに確信を抱きました。

御法主上人猊下の御指南、御住職様の御指導に従い、平成21年・『立正安国論』正義顕揚750年の御命題の達成に向かって日々精進していきます。まず未入信の親戚への折伏に精進し、先祖供養のため、一族和楽の関係を築くことをここに決意し、体験発表とさせていただきます。



体験発表 『どんどん湧き上がってくる折伏する勇気』
大修寺支部・高校一年 宮田華慧


私は、日蓮正宗の信心をしている家庭に生まれ、物心ついた頃には朝夕の勤行をしていました。小学生のときから、御法主上人猊下の「一人が一人の折伏を」の御言葉が、いつも胸に響いていました。友人と出かけるときには、目的地の近くにある日蓮正宗のお寺に一緒に参詣させていただいたり、家に友人が遊びに来たときには、御本尊様の前で御題目三唱を一緒にしてきました。

そして昨年、中学3年生になり、父の「大切な友人がいるのなら、この仏法の話をしてあげなさい」との一言がきっかけとなり、思い切って日蓮正宗の話を同級生の友人たちにしていきました。4月15日には、家庭の経済問題で悩んでいた友人を、菩提寺である府中市の大修寺の御住職・国島道保御尊師のもとへお連れし、友人は御授戒を受けることができました。

そして4月21日には、「何だか判らないけれど、この御本尊様が一番正しいって命で判るよ!」と言ってくれた友人、また、5月6日には、御本尊様の前で突然泣き出して心の苦しみを話してくれた友人、さらに11月24日には、幼いときにお母さんと事情があって別れて暮らさなければならなくなった友人が、それぞれ御授戒を受けることができ、結果として4人の友人を入信に導くことができました。

正直に言って、初めて友達に日蓮正宗の話をする前は、「私の持っている宗教の話をして嫌われないだろうか。変な子だと思われないだろうか」という不安もありました。けれども、口を開いて一言、御本尊様の話をしてみると、そんな弱い気持ちなどどこかへ消えてしまい、むしろ自分自身の生命が沸き上がるようなすごいものを感じるようになったのです。私は、折伏していると、すごい力を感じます。これは折伏をしたことのある人にしか判らないと思います。一度誰かにこの仏法の話をすると、次に話すときには何も心配なく話せるのです。心の中で、「南無妙法蓮華経」と唱題しながら話すと、何かを考えて話さなくても、自然と自分の口から「日蓮正宗が本物の宗教です」ということが言えるのです。同級生への折伏を通して私は、折伏とは、ごちゃごちゃ考えてするものではないと実感しました。

朝夕の勤行と唱題を続けていると、自然とこの信心の話をしなくてはいけないように周りの環境が整ってくるのです。そして、自分の近くに寄って来る友人たちは、三世の因縁果報の中で大聖人様の仏法を求めている人たちなのだと、折伏させていただくうちに、強く感じるようになりました。今でも友人たちから悩みを打ち明けられたり、相談を受けることが多いのですが、このようなとき私は、「御本尊様の話をして根本から解決してもらうしかない」と確信しています。

御法主上人猊下が言われているように、今、世界ではいろいろな不幸な事件、災害、戦争、テロなど、恐ろしく悲しい出来事がたくさん起こっています。邪宗教がいろいろな場所ではびこり、それを信じる人が多いからです。未来の世の中を平和にしていくためには、私たち日蓮正宗を持っている人ががんばって折伏を進めるしかありません。折伏をしなければ御本尊様のお役には立てないのです。

昨年は、宗旨建立750年という日蓮正宗のとてもおめでたい年でした。私は8月に、折伏した2人の友人を、この慶祝記念法華講30万総登山大法要にお連れすることができました。心から嬉しかったです。

登山の直前には、身と心がバラバラに壊れそうな悲しいことが起こり、入院するほどでした。このとき母から、御住職様が「大きな魔ですね。負けないよう一日も早く治られて総本山に行かれますように御祈念しています」とおっしゃってくださったことを聞き、お守り御本尊様を胸に抱きしめ、一生懸命に心の中で「南無妙法蓮華経」と御題目を唱え、急いで自分自身を立て直しました。

法要での御法主上人猊下の御姿や、散華が何枚も何枚も、家族や友人、そして自分のところに飛んで来たことなど、思い出すたびに今でも胸が熱くなります。自我偈の訓読も一生、忘れられません。本当に御本尊様に御報恩感謝の気持ちでいっぱいです。

今年は、奉安堂が建立された次の年になりますが、御法主上人猊下の年頭の、「その成就による心の弛(たる)みこそ大敵である」(大日蓮683号)との御指南を、私はしっかりと心に留めています。

できる限り、またそれ以上の御題目を唱えて、一日も早く内得信仰している友人たちの家に御本尊様をお迎えできるようにがんばりたいと思います。

高校受験という高いハードルも、信心している友人たちと唱題を重ね、共々に、見事に乗り越えることがで きました。御本尊様のお陰で、心の底から本当に励まし合い、判り合える信心の友人たちに巡り合えたことを深く深く感謝して、御住職様のもと、講中の皆様のお力をお借りしながら、このつながりを八風に負けないように月々日々に強く逞(たくま)しく、そして大きく拡げていきたいと思います。

平成21年『立正安国論』正義顕揚750年、「地涌の友の倍増乃至、それ以上の輩出と大結集」(大白法608号)との、御法主上人猊下よりの御命題をかみしめ、その確実な成就をめざし、今よりまた皆様と共に正しく精進してまいりますことを、新たな決意といたします。本日はありがとうございました。



体験発表 『友への折伏を通して自分も成長』
正妙寺支部・高校一年 村田千尋


今日は、私が友達の家族を、母と二人三脚で折伏させていただいた話をさせていただきます。

一昨年の中学3年の夏、学校のクラブ活動で同じクラブに入っていた林妙子さんが友達と我が家に遊びに来たときのことです。ちょうどそのとき、母は、何とか折伏ができるようにと唱題していました。私は心の中で、母の唱える御題目を友達に聞かれたくないと思っていました。すると、一人が「何かお経が聞こえる」と言い出し、私はとっさに「気にせんで」と言ってしまいました。そのときばかりは、「聞かれたくない、信心をしていることを知られたくない」と、とにかく話題を唱題から遠ざけようと強く思う自分がいました。

ところが数日後、妙子さんと話をしていたとき、ひょんなことからそのときの御題目の話になりました。私は勇気を出して「お寺に行ってみらん?」と尋ねました。すると妙子さんから、「行ってみたい」との返事があり、驚きと同時に、「話してよかった」と思いつつも、「どうして言えたんやろ?」と不思議な気分でした。数日前のあのときは、母の御題目の声を聞かれたくない、知られたくないと思っていた自分があったのに、このときはとにかく口が勝手に動いたような気がして、本当に不思議でした。

家に帰って母にこのことを話すと、母は翌日には林さんの家を探し出し、妙子さんと妙子さんのお母さんに、日蓮正宗の話、信心の話、正法と邪法の話、誤った邪な本尊の話などをしに行きました。母は人一倍はっきりとした性格で、その対応の早さは、娘ながらいつも驚かされます。

林さんは、もともと創価学会員で、平成10年頃には妙智会という新興宗教に入会し、熱心に活動をしていました。母は、林さんが以前入っていた創価学会の誤りと『ニセ本尊』の話、その後に入会した妙智会の誤りを話し、そして日蓮正宗のすばらしさを伝えました。林さんはそれに納得して、すぐに謗法払いをし、お寺に向かわれました。私は「ずいぶん早く話が進むな」と思いつつ、学校帰りに制服のままお寺に向かいました。

お寺に着くと、妙子さんと、そのお母さん、妹さんが来ていて、すぐに勧誡式を受けられ、正妙寺の法華講員となられました。妙子さんが母の唱える御題目を聞いてから勧誡式を受けるまで、あっという間でした。私は、戸惑いもありましたが、とても嬉しかったことを今でも鮮明に覚えています。

勧誡式の翌日から、母と一緒に林さんの家に行き、勤行を教えることとなりました。私は、期末考査前ということもあってイライラしていて、自分のことばかり考えていました。そして、母に「何で教えに行かんといけんの?お寺で習えばいいやん」と言ってしまいました。すると母に「折伏した人は、自分の子供と思って育てていかないといけんのよ」と言われ、自分の無慈悲さを反省しました。しかし、妙子さんは勤行の時間になると部屋に閉じ篭(こ)もって、出てきてくれませんでした。「せっかく来てるのに」と、またも無慈悲な思いが私の心の中に出てきました。

そのようななか、何度も通ううちに、妙子さんも部屋から出てきて一緒に勤行してくれるようになりました。このとき、あきらめないで通っていれば、必ず相手が心を開いてくれるということ、また、思いは必ず伝わるということを教えていただき、育成のたいへんさを学びました。

そして、一昨年の10月には、林さんの未入信だった家族が全員、御授戒を受けることができ、林さんは、一家6人そろって信心できるようになりました。さらに、昨年の5月には、妙子さんのお祖母さんの崎山さんも脱会して勧誠式を受け、正妙寺の法華講員となりました。

そして昨年7月には、林さんの家族全員と崎山さんの7名と一緒に、法華講30万総登山へ参詣することができました。ここまで来るのには、林さんのお母さんの並々ならぬ努力があったことを、よく母に聞かされました。「皆、いろいろな思いを胸に登山されているのだな。自分もがんばらなければ」と思いました。法華講30万総登山に参詣した妙子さんは、初めて見る三門や、慶祝記念大法要での御経行・行道散華の儀式を目の当たりにして、日常では決して経験できない仏道修行に感動していました。この登山に一緒に参詣できて、本当に嬉しかったです。

特に私が嬉しかったのは、一緒に丑寅勤行に参加できたことでした。丑寅勤行に何度も参加したことのある私でも睡魔に負けそうになるのに、妙子さんがしっかりと正座して手を合わせて勤行している姿に感心し、私も負けじとがんばることができました。

私は、この30万総登山に、3回参詣させていただけました。日本中、世界中からの参詣者にとても感激し、胸がいっぱいになりました。特に海外からの参詣は、聞いた話だけでも本当にたいへんなことばかりでした。「困難ななかでも登山できるようにと、すごくがんばっているな」と思いました。とても勉強になった登山で、一生のよい思い出になりました。

林さん一家を母と一緒に折伏、育成させていただいたときは、短い間にも辛いことがたくさんありました。涙を流しながら唱題したときもありました。けれども、御法主上人猊下の一年に一人が一人の折伏を」との御指南のとおりに折伏の誓願を実践することができました。何事も、言うは易く行うは難しですが、だからこそとても勉強になり、嬉しい出来事となりました。

今年は「広布大願の年」と銘打たれ、去年よりも、さらに折伏と育成にがんばっていかなければならない一年です。それは30万総登山が終わったからといって終わりではなく、当面の大目標である平成21年の『立正安国論』正義顕揚750年へ向かう第一歩の年だからです。

それから、今、本当に大切なのは、未来を担う青年部の確立だと思います。その青年部の一員として、これから先、唱題を怠らず、一人でも多くの人に話ができるよう下種先を増やし、日蓮大聖人様の仏法のすばらしさを伝えていこうとの志を持ち、実践し続けていきたいと思います。

御住職・高橋正芳御尊師より、「御本尊様は実践している人には必ず御仏智をくださる。折伏のときには、自分がしゃべっているのではなく、御本尊様が自分の口からおっしゃっている」とのお話を聞きました。私は今回の林さんの折伏を通して、この御指導を身に染みて感じることができました。これから先、下種していこうと思っている友達がたくさんいます。しっかりと唱題して、お寺の行事には積極的に参詣し、がんばっていこうと思います。

大聖人様の御金言の、「行学の二道をはげみ候べし。行学たへなば仏法はあるべからず。我もいたし人をも教化候へ。行学は信心よりをこるべく候。力あらば一文一句なりともかたらせ給ふべし」(御書668ページ)との仰せのまま、日々努力の精神で精進していくことをお誓いし、私の折伏と育成の体験と、平成21年の『立正安国論』正義顕揚750年に向かう決意とさせていただきます。



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