大白法

平成15年9月1日号


主な記事

<1〜4面>


<5〜8面>


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創価学会による離脱勧誘の実態が銀行記録から明らかになる
池田託道事件の最高裁判決は不当!


離脱僧・池田託道が宗門側を相手に名誉毀損の損害賠償を求めていた訴訟で、去る7月15日最高裁は真実を見誤り、宗門側敗訴の判決を言い渡した。しかし現実には、創価学会は離脱僧に対して驚くべき高額な支度金の提供を申し出たり、あるいは離脱後に月々100万円もの金員を支給していた例が明らかになっている。御法主上人猊下の御発言はこれらの事実を、限定された聴衆に対して指摘されたものであり、名誉毀損が成立するとの最高裁判決は不当である。


<池田託道事件とは>

平成4年3月31日、総本山における非教師指導会において、御法主上人猊下は創価学会の謗法を厳しく破折されると共に、当時創価学会に与(くみ)する離脱僧が出始めていたため、その邪な心根を仏法の正邪の上から弾劾された。その折、御法主上人猊下は、これら離脱僧には創価学会から、まず5000万円が支払われ、その後月給は80万にも及ぶという当時巷間に流布されていた情報をお述べになられた。そして、例え経済的困窮があろうと、どこまでも正しく仏法を守ることが道心であり、道心あるところにはあらゆる御加護が必ず及ぶことを御指南された。

しかるに離脱僧・池田託道は、この御法主上人猊下の御指南が事実無根であると、名誉段損による損害賠償の支払いを求めて訴訟を提起していたものである。


<裁判の経過と創価学会の動き>

この訴訟において、一審大津地裁、二審大阪高裁共に、御法主上人猊下の御指南が池田託道に対する名誉毀損に当たるとして、賠償金の支払いを命じていたが、このほど最高裁も従前の判決を維持し、宗門側の上告を棄却した。

日蓮正宗僧侶しかいない限られた場において、師僧から弟子への宗教的御指南をとらえて名誉毀損とする司法判断は、宗教・表現の自由を無視した不当な判決である。

この最高裁判決をとらえて、嫉妬に狂う創価学会は、「悪辣なデマで名誉を毀損」、「反社会性を厳しく断罪」、「改革僧侶へのデマ発言で賠償命令」などと、ここぞとばかりに悪宣伝を繰り返している。

しかし、このほど御法主上人猊下の御発言を裏付ける次のような決定的証拠が発覚した。これによって、今回の最高裁判決の不当性はますます明白になった。


<「5000万円」の離脱支度金>

池田託道事件とは別の裁判であるが、その裁判の中で、創価学会副会長で同責任役員、さらに弁護士でもある八尋頼雄らが、ある宗門僧侶に対する離脱勧誘の際に、「創価学会本部から現金5000万円の支度金を支給する」と述べていた事実が暴露された。この事実は東京地裁、東京高裁の双方によって認定されたところであるが、創価学会側は最高裁に上告すらできないまま、この判決は確定した。要するに、創価学会が宗門僧侶の離脱の支度金として、現金5000万円もの大金の提供を申し出ていたことは、司法が認めた事実であり、しかもこの判決は“判例”として広く法曹界に紹介されている(判例タイムス1094−181)

その当の本人である八尋自身が、聖教新聞紙上などで、御法主上人猊下を「ウソつき」呼ばわりしているのであるから、厚顔無恥も甚だしいと言わざるを得ない。


<月々「100万円」の手当>

さらに、別の離脱僧がらみの訴訟においては、月100万円が、「ソウカガツカイ」(創価学会)名義で振り込まれている事実も発覚した(写真参照)。この離脱僧に対しては、初回に50万円が振り込まれ、2回目には「ソウカガツカイリジチヨ」(創価学会理事長)名で100万円、3回目以降は創価学会名義で毎回100万円が、毎月25日前後に振り込まれている。その累計は平成12年10月までで、なんと7250万円もの高額に及んでいる。この高額な金員の振り込みは一体何を意味するのか、もはや何も語る必要はあるまい。

このような創価学会の金にあかせた離脱工作の実態がすでに露呈している以上、池田託道事件の不当判決をもって宗門を攻撃するなど、負け犬の遠吠えに等しいものである。


<「学会僧」と堕す離脱僧>

「受けがたき人身を得て、適(たまたま)出家せる者も、仏法を学し謗法の者を責めずして、徒に遊戯雑談のみして明かし暮らさん者は、法師の皮を著たる畜生なり。法師の名を借りて世を渡り身を養ふといへども、法師となる義は一つもなし。法師と云ふ名字をぬすめる盗人なり。恥づべし、恐るべし」(御書1051ページ)との大聖人の御制誠を離脱僧は何と拝するのであろうか。

31世日因上人は、「僧衆檀那の心を取り機嫌に入る事は仏法を売物にする売僧(まいす)と云ふべし」(富要1−222ページ)と、池田大作におもねる僧らを「売僧」と御指南である。これら狗犬の蠢(うごめ)きなどものともせず、いよいよ平成21年の新たな御命題に向かって大道を突き進んでいきたい。




御法主上人猊下御講義 立正安国論(2−下)
於夏季講習会第3・4期


<第四問答:正しく一凶の所帰を明かす>

第四問答の要旨は、客が主人の言葉を聞いてさらに怒り、「誰人を指して悪比丘と言うや」ということを、またさらに詰問するのであります。そしてここに至って初めて主人は、それが誰であるかということを示します。それがいわゆる法然であり、その法然の著した『選択集』(せんちゃくしゅう)の文を挙げて、その内容を論じ、まさしくそれが破仏破法の邪義であり、災難の元凶であるということを示すのが第四問答であります。

客猶憤りて曰く、明王は天地に因って化を成し、聖人は理非を察(つまび)らかにして世を治む。世上の僧侶は天下の帰する所なり。悪侶に於ては明王信ずべからず、聖人に非ずんば賢哲仰ぐべからず。今賢聖の尊重せるを以て則ち竜象の軽からざることを知んぬ。何ぞ妄言を吐きて強ちに誹謗を成し、誰人を以て悪比丘と謂ふや、委細に聞かんと欲す。

 ・天地に因って化を成し

私利私欲や私情を交えないで世を治めるということです。いわゆる天の法、地の法というように、自然に万民を撫育(ぶいく)するところの意義が成り立っておりますから、そういう意味において、天地の法にしたがって万民を撫育するのであるということであります。これは『孝経』という中国の本ですが、その中に、「天の明に則り、地の義に因り、以て天下を順う」という文があります。そういう意味から述べております。

 ・聖人は理非を察らかにして世を治む

『安国論』の中には「聖人」という語が何回も出てきますけれども、このところでは、まず世間における聖人を言われております。例えば『貞永式目』等を作って世を治めた北条泰時、あるいは諸国を巡っていろいろな実状を調べてそれを政治の参考にしたところの最明寺入道時頼といった人々であります。こういう人たちがその時代において正しい政治をして、多くの民衆を救おうとするというような意味においては聖人に当たるということで、その意味の聖人であります。つまり道理と理非をよく察して、そして世を治めるということ、これは当時の政治家を言うわけです。

 ・世上の僧侶は天下の帰する所なり。悪侶に於ては明王信ずべからず、

僧侶というのは、いわゆる天下の人々が帰依するのである。ですからそこにもし悪い僧侶がいるとするならば、それは国王が信ずるはずがないではないかと言うのです。

 ・聖人に非ずんば賢哲仰ぐべからず。

このところの「聖人」は、前と異なり各宗の僧侶のことを言っておるわけです。本当に聖人と言われるような僧侶でなければ、世の賢人、哲人が仰ぐことはあり得ないと言うのです。ここのところは「聖人」が2つ出てきますが、両方の意味があるわけです。

 ・今賢聖の尊重せるを以て則ち竜象の軽からざることを知んぬ。

この場合の「賢聖」は、世の賢人、聖人です。それらの人々が僧侶に対して疑いを持たずに尊重しておるということをもってしても、現今の僧が竜や象のように、その徳が軽くないということが判るではないかという主張です。この「竜象」の「竜」と「象」という字は、共に徳の高い偉い僧侶のことを言うのです。つまり動物の中で竜と象は非常に勝れたものでありますから、同様に僧侶の中でも非常に勝れた徳を持ち学識がある人のことを竜象と言います。それで、その地位、徳望の軽くないことが判るというのであります。

 ・何ぞ妄言を吐きて強(あなが)ちに誹謗を成し、誰人を以て悪比丘と謂ふや、委細に聞かんと欲す。

このように客は主人の語に対し、「妄言」とまで言ってさらになじるのです。つまり「あなたは嘘を言っているのではないか」「どうしてそのような悪口を言って誹謗するのか」「誰人を悪比丘と言うのか」という質問であります。それに対して、いよいよこの第四問答の主人の答えとなります。

主人の曰く、御鳥羽院の御宇に法然といふもの有り、選択集を作る。則ち一代の聖教を破し遍く十方の衆生を迷はす。其の選択に云はく「道綽禅師聖道・浄土の二門を立て、聖道を捨てゝ正しく浄土に帰するの文、初めに聖道門とは之に就いて二有り、乃至之に準じて之を思ふに、応に密大及以実大を存すべし。然れば則ち今の真言・仏心・天台・華厳・三論・法相・地論・摂論、此等の八家の意正しく此に在るなり。曇鸞法師の往生論の註に云はく、謹んで竜樹菩薩の十住毘婆沙を案ずるに云はく、菩薩阿毘跋致を求むるに二種の道有り、一には難行道、二には易行道なりと、此の中の難行道とは即ち是聖道門なり。易行道とは即ち是浄土門なり。浄土宗の学者先づ須く此の旨を知るべし。設ひ先より聖道門を学ぶ人なりと雖も、若し浄土門に於て其の志有らん者は須く聖道を棄てゝ浄土に帰すべし」と。

ここからが特に教義的に細かい指摘が行われてまいります。

 ・主人の曰く、御鳥羽院の御宇に法然といふもの有り、選択集を作る。

ここに「法然」という名前が出てきましたが、これは日本の浄土宗の開祖です。南無阿弥陀仏を唱える宗旨としての最初の人であります。今はどちらかと言うと、法然の浄土宗より親鸞の浄土真宗のほうが有名のようです。京都の西本願寺、東本願寺などは親鸞のほうの本山です。親鸞は、実は法然の弟子なのです。親鸞は大聖人様とほぼ同時代で、若干大聖人様よりも前の人ですが、不思議なことに大聖人様は親鸞については何もおっしゃっていないのです。400余編の御書の中で親鸞のことは全く出てきません。しかるに法然については、あらゆる御書に破折の対象としてはっきりと述べられております。

この法然というのは岡山県の出身で、現在の岡山市の真北、約30kmくらいのところに久米南町というところがありますが、そこに今でも法然誕生の地として、誕生寺という浄土宗の寺があります。つまり昔の美作国(みまさかのくに)で生まれたのです。それから、9歳で観覚の弟子となり、15歳の時に比叡山に登ったのです。天台の三大部乃至一切経を読むこと5回を行ったというのですから、大変な大学者であったことも事実でしょう。ところが43歳の時に、中国の善導という人の記述した浄土を説く観無量寿経の疏に出会い、それより深く念仏に傾倒して天台宗から飛び出して、念仏の宗旨を開いたのであります。そして66歳の時に、この『選択集』2巻を著して、特に念仏の宗義を作り上げました。

 ・則ち一代の聖教を破し遍く十方の衆生を迷はす。

すなわちこの法然の『選択集』が、実は一代の聖教すべてを破し尽くしておるのであり、それによって遍く十方の衆生を迷わしておるということを、ここにはっきりとおっしゃっておるのであります。

『選択集』の「選」という字、それから「択」という字も、共に「えらぶ」という意味です。つまり選び択ぶということですが、では何を選び択ぶのかと言うと、要するに浄土門のみを選び、聖道門(しょうどうもん)の一切を捨てるということ、広大な仏教のすべてを捨て、その中よりただ浄土門を選び取るということが「選択」の意味です。

 ・道綽禅師聖道・浄土の二門を立て、聖道を捨てゝ正しく浄土に帰するの文

ここからは『選択集』の文をまず挙げられているのですけれども、そのところどころの要点を述べられております。まず道綽(どうしゃく)禅師という人の、聖道・浄土の二門を立て、聖道を捨てて正しく浄土に帰すべきだという主張を、法然が『選択集』に取り上げておる文を挙げられるのです。

この道綽という人は、中国における浄土宗の第2祖で、天台大師が出現した中国の隋、唐代の頃の人です。河清元(562)年に生まれて14歳で出家しました。当時、中国には涅槃宗という宗旨があったのです。涅槃経という経典がありますが、これはお釈迦様が最期、亡くなる時に説かれた経典で、その経典を中心とするところの宗旨を涅槃宗と言うのす。日本には伝わってきませんでしたが、中国には当時存在したわけです。道綽は、その涅槃宗の僧侶として常に涅槃経を研鑽し、24回にもわたって涅槃経を講義したということが伝えられております。しかし、48歳の時に玄中寺という寺に入って、その時に念仏宗の初祖である曇鸞の碑文を見て感ずるところがあり、浄土の教えに帰依して『安楽集』を作り、浄土に帰すべきという教えを立てたということであります。

この道緯禅師が浄土の教えに帰依した理由として、ひとつは釈尊が亡くなってからずいぶん時が経ち、したがって世の中が大変荒(すさ)んできておるから、到底お釈迦様の深い教えはもう聞くに堪えない衆生が増えてきておるということ。もうひとつは、お釈迦様の深い教え、つまり浄土門に対する聖道門として、すなわち華厳、阿含、方等、般若、法華等の経典がありますが、この聖道門は末世の衆生には難しくて到底理解できないから、浄土門をもって救うべきだと言うのです。

たしかに聖道門の法門は深く、その教行理等は難しいと言えます。しかし釈尊の教えは、その究極の法華経に至って、すべての人が易しく救われる道が示されているのです。それは特に、末法において法華経の根本の付嘱を受けられた大聖人様が、有り難いことには、その聖道門の難しさも功徳も全部、南無妙法蓮華経の中に篭もっているということをはっきり説かれ、また行じられたわけです。あらゆる人々が南無妙法蓮華経を唱えることにより、必ず救われると共に、また世間の姿においても全部、南無妙法蓮華経の信心において即応して大功徳を受けるということです。ですから、そこには少しも難しいために避け捨てる必要がないのであります。その点をよく理解していただきたいと思います。

しかし『選択集』では道綽の説を挙げ、聖道門を捨てて浄土門に帰するという文があるということを、ここに摘要されるのです。

 ・初めに聖道門とは之に就いて二有り、乃至(道綽文)

まず、この「二有り」というのは何かと言うと、聖道門には大乗と小乗があるということです。それから「乃至」というのは、ここで大聖人様が法然の『選択集』の引文を省略されている意味であり、実際には法然が『選択集』で、道綽の『安楽集』の意を取って述べた言葉として、「一には大乗、二には小乗、大乗の中について顕密、権実等の不同有りと雖も、今この集(安楽集)の意は、唯顕大及び権大を存す。故に歴劫迂回の行に当たる」という文があります。

つまり大乗には顕教と密教、権教と実教があると、まず述べております。その密教とは、真言の密教です。それから顕教とは、そのほか華厳・方等・般若・法華等、ほとんどの大乗の教えです。それから顕大とは密教に対する一般の大乗のことで、権大とは方便の大乗を意味するのです。そこで、この本来の道綽の『安楽集』の意は「顕大及び権大を存す」というのであり、密教に対しての一般の大乗と方便の大乗の教えを見ると、すべて歴劫迂回(うえ)の行、すなわち大変に長い時間を回り道するものであるから、これを捨てるべきという意味です。

そこには、法華経ということをはっきりと示していないのです。いわゆる顕大と権大は、密教以外の一般の大乗及び方便の大乗で、それはまさしく歴劫迂回の行に当たるのであります。法華経を除いた大乗はことごとく、小乗もそうですが歴劫迂回の行なのです。つまり直ちに即身成仏という目的を達することができないのであり、成仏のためには非常に長い期間修行をしなければならないのです。

 ・之に準じて之を思ふに、応に密大及以(および)実大を存すべし。(法然文)

これが法然のさらに誑惑の言葉であります。つまり『安楽集』の意は、歴劫迂回の行が「顕大及び権大」であり、これは一般の大乗のみを意味するので、それを捨てるというのです。しかるに、法然が自分の意見として「応に密大及以実大を存すべし」というのは、『安楽集』の意をさらに誇張して、密大という真言宗、それから実大という法華経の宗旨までを捨てるべきであるという暴言です。つまり歴劫迂回の行である一般の大乗は、衆生にとって用をなさないということを『安楽集』では言っているのだけれども、法然はさらにもう一歩進めて、法華経も真言も無用であるということを述べておるのです。

 ・然れば則ち今の真言・仏心・天台・華厳・三論・法相・地論・摂論、此等の八家の意正しく此に在るなり。(法然文)

これも法然の言です。現在存する「真言」、「仏心」すなわち禅宗、「天台」すなわち法華経、その他「華厳・三論・法相・地論・摂論」等の八家は、すべて聖道門として捨てるべきという文です。「地論・摂論」というのは、地論宗・摂論宗というのが中国にあったのですが、これらは日本には伝わってこなかったのです。またこの2宗は、教理の上から三論・法相の中に吸収されてしまったのであります。

とにかく「此等の八家の意正しく此に在るなり」ということは、結局『選択集』で道綽禅師の文を引きつつ、さらに法然が一歩を進め、あらゆる聖道門の教えを全部捨てて、浄土門に帰すべきであるという主張をしており、その悪義をここに引かれているのであります。

 ・曇鸞法師の往生論の註に云はく、(法然文)

これは、世親の『往生論』を曇鸞が註解した『往生論註』のことであります。

 ・謹んで竜樹菩薩の十住毘婆沙(びばしゃ)を案ずるに云はく、(曇鸞文)

さて、竜樹菩薩という大乗の教えを説いた有名な菩薩がインドに出現しましたが、その著書の中に『十住毘婆沙論』という本があるのです。この「毘婆沙」というのは、広説すなわち大乗の教えを広く説くという意味であります。「十住」というのは、本来は「十地毘婆沙」と言うべきなのです。大乗の菩薩の位に十信、十住、十行、十回向、十地、等覚という五十一位がありますが、その中で十地が一番上のほうの位です。その華厳経に説いてあるところの十地の菩薩の行業の初地、二地を述べておるのがこの『十住毘婆沙論』なのです。したがって『十住毘婆沙論』の「十住」ということは、本当は「十地」の意味です。それをここではあえて、下のほうの位ではあるけれども「十住」という言葉を使っておるのであります。

 ・菩薩阿毘跋致(あびばっち)を求むるに二種の道有り、(竜樹文)

この「阿毘跋致」というのは、皆さん方が『寿量品』で読むところの「阿惟越致地」と同じ意味であります。『寿量品』の初めのところで、「我等住。阿惟越致地。於是事中。亦所不達。(我等、阿惟越致地に住すれども、是の事の中に於ては、亦達せざる所なり)」(法華経430ページ)と、いつも読んでいるでしょう。これは弥勒菩薩の言葉です。つまり弥勒菩薩は、自分が阿惟越致地、すなわち阿毘跋致に住しておるということを言っておるのです。簡単に言えば、これは非常に深い菩薩の境界として、いかなることがあっても全く退転することのない、仏様に近い深い境界になったということです。阿毘跋致という不退の位にも、位不退、行不退、念不退とあるけれども、特にこれは念不退という意味でありましょう。そういう意味での菩薩の深い境界、これを得るのに「二種の道」があると言うのです。

 ・一には難行道、二には易行道なりと。(竜樹文)

その2種の道の1つが「難行道」、もう1つが「易行道」であります。

『往生論註』の中では譬えとして、陸を一歩一歩行くと、山や谷などの坂もあって足も疲れ、非常に辛く難行であるが、同じ場所に行くにも、船を使って海から行けば楽に行けてしまう。いわゆる易行道があるということを述べておるのです。

 ・此の中の難行道とは即ち是聖道門なり。易行道とは即ち是浄土門なり。(法然文)

法然の釈です。この中の「難行道」というのは「聖道門」である。「易行道」というのは「浄土門」であるということをまず言って、したがって難しい行が聖道門なのだから、聖道門は捨てなければならないと言うのです。

 ・若し浄土門に於て其の志有らん者は須く聖道を棄てヽ浄土に帰すべし」と。(法然文)

つまり曇鸞の難行道、易行道という面から、聖道門と浄土門の取捨、すなわち聖道門を捨てて浄土門に帰すべきを述べておるのであります。

又云はく「善導和尚は正・雑の二行を立て、雑行を捨てゝ正行に帰するの文。第一に読誦雑行とは、上の観経等の往生浄土の経を除いて已外、大小乗・顕密の諸経に於て受持読誦するを悉く読誦雑行と名づく。第三に礼拝雑行とは、上の弥陀を礼拝するを除いて已外、一切の諸仏菩薩等及び諸の世天等に於て礼拝し恭敬するを悉く礼拝雑行と名づく、私に云はく、此の文を見るに須く雑を捨てゝ専を修すべし。豈百即百生の専修正行を捨てゝ、堅く千中無一の雑修雑行を執せんや。行者能く之を思量せよ」と。

今度は善導という人のことになります。善導という人は、中国唐時代の浄土宗の僧侶で、道綽の弟子であり、中国の浄土宗における第3祖となります。この人は、初め三論宗の嘉祥大師の弟子である明勝という人に三論宗の教義や法華経、維摩経を学んだのです。ところがその後、道綽について深く浄土門を信ずるようになり、そして観無量寿経というお経の解釈書である『観経疏』を作った。それからさらに『往生礼讃』『般舟讃』(はんしゅうさん)等の浄土門の教義を著述した人であります。

しかるにこの人は、最後には阿弥陀仏の住国たる西方極楽十万億土へ早く行きたいということから、自坊の木に登ってそこから飛び降り、腰の骨を折って、苦しんで亡くなったというような伝えもあるようです。しかしともかく、非常に念仏を鼓吹した人であります。

 ・又云はく『善導和尚は正・雑の二行を立て、雑行を捨てヽ正行に帰するの文(法然文)

その善導の教えを『選択集』に挙げる文です。善導が観無量寿経を解釈した『観無量寿経疏』の中で、五種正行ということを述べておるのです。これは、観無量寿経の意義をもってこれを立てているのであります。なお、この観無量寿経に関する内容は、一切方便経によるもので真実ではありません。安国論の趣意を判り易くするために説明しつつ、後の方にもずっと念仏の法門が出てくるのですが、万が一にも「これはいい」と思われるといけませんから、まずお断りしておきます

五種正行とは、第一に読誦正行であり、他の経典を全く読誦せず、浄土三部経のみを読誦することが正行であるということです。第二に、観察正行であり、阿弥陀仏と浄土のみを観察することであり、他の菩薩や仏のことを一切観じてはいけないということです。第三に、礼拝(らいはい)正行であり、阿弥陀仏を中心に、観音と勢至の両菩薩が両脇士として侍(はべ)るという、観無量寿経に説かれる弥陀三尊のみを礼拝すべしと言うのです。第四に、称名正行であり、阿弥陀仏のみを称名する。つまり名前を唱えるということです。ですから、釈迦牟尼仏もいけなければ、薬師如来もいけない。その他あらゆるものを唱えずに、南無阿弥陀仏とだけ唱えよというのが称名正行です。第五に、讃嘆供養正行であり、これは弥陀仏のみを讃嘆供養するということです。

更に、これらは助業と正業に分かれるということを示してあります。つまり、第一、第二、第三、第五は助業となり、第四の称名だけが正業であるということを善導が言っておるわけで、これを正助二業といいます。

また、善導は『観経疏』に、「此の正助二業を除いて已外、自余の諸善を悉く雑行と名づく」と言っておるわけです。雑行とは正行に対して雑多な行、間違った行という意味であります。

ところが、法然はさらにこれに付け加えをしているのです。それは何かと言うと、五種正行を翻対して、翻対というのは反対の意味をもって翻(ひるがえ)すという意味ですが、つまり五種の正行に対してこれを翻すと五種の雑行があるということを示したのです。つまり、善導は雑行として1つにまとめているのだけれども、法然はさらに詳しく、5つの正行に対する翻対として、5つの雑行をはっきりと示したのであります。

すなわち、第一に読誦雑行で、これは浄土三部経以外の読誦は全部雑行であるということ。それから第二に観察雑行で、これは阿弥陀と浄土以外の観察は全部雑行であると示します。第三に礼拝雑行で、これは弥陀三尊以外の礼拝は全部雑行であるということ。第四に称名雑行で、これは阿弥陀仏以外への仏菩薩への帰命と称名は、ことごとく全部雑行であるということ。第五に、讃嘆供養雑行で、弥陀以外の仏法への讃嘆も供養も、ことごとく全部雑行であるというのです。要するに法然は、善導の主張に付け加えて、さらに雑行としての五つの形を明確にし、弥陀以外のものは信じ行じてはいけないということを、はっきりとさせたのであります。

では、『安国論』の本文に戻ります。

 ・第一に読誦雑行とは、・・・大小乗・顕密の諸経に於て受持読誦するを悉く読誦雑行と名づく。(法然文)

これが、今の五種雑行の第一を挙げておるわけです。次は、第二を省いて第三を挙げておられます。

 ・第三に礼拝雑行とは、・・・一切の諸仏菩薩等及び諸の世天等に於て礼拝し恭敬するを悉く礼拝雑行と名づく(法然文)

つまり、5つの雑行を法然は述べているのですが、大聖人様は特に『安国論』では、第一と第三を挙げられておるのであります。これは恐らく、読誦と礼拝ということにおいて、誹謗が非常に顕著になる意味があるということから、特にこの5つの雑行のうち、第一と第三を挙げられたと思うのであります。

 ・私に云はく、此の文を見るに、須く雑を捨てヽ専を修すべし。(法然文)

この「私」というのは、法然が『選択集』の中で自分のことを言っているのです。つまり法然自身の意見であります。「此の文」というのは、これまた別の文で、善導の『往生礼讃』という書の文であります。この中に、「十即十生、百即百生・・・千中無一」という言葉があるのです。そこで法然が、「此の文を見るに」というのです。これは、法然が自らが五種の雑行をはっきりと示し、かつ『往生礼讃』の「千中無一」等の文よりするも、一切の雑行を捨てて専(もっぱ)ら浄土の念仏を修すべきであると言っておるのであります

 ・豈百即百生の専修正行を捨てゝ、堅く千中無一の雑修雑行を執せんや。行者能く之を思量せよ」と(法然文)

この百即百生というのは、100人いれば100人がすなわちそのまま極楽浄土へ生まれるということで、それが正行の功徳であるというのです。また千中無一というのは、聖道門の雑行をいうのです。雑行を修することによって行者のその心が至らなければ、と言ってはいますけれども、さらに積極的に聖道門を否定する語がこの千中無一であり、これによって道を得る人が1000人に1人もいないと言うのであります。


次は、またさらに『選択集』の法然の言う文を摘示されています。この御文は、非常に省略されておりますから、分かりづらいと思います。

又云はく「貞元入蔵録の中に、始め大般若経六百巻より法常住経に終はるまで、顕密の大乗経総じて六百三十七部・二千八百八十三巻なり、皆須く読誦大乗の一句に摂すべし」「当に知るべし、随他の前には暫く定散の門を開くと雖も随自の後には還って定散の門を閉づ。一たび開いて以後永く閉ぢざるは唯是念仏の一門なり」と。

 ・貞元入蔵録の中に、(法然文)

『貞元入蔵録』は、その先に作られた『開元入蔵録』という仏教目録がありまして、その後にできたものであります。唐の徳宗皇帝の貞元元年中に、釈の円照等が勅命を奉じて一切経の目録を『開元入蔵録』を元として追加新撰したものであります。これは五千・七千と言われる経巻のうちの七千の方に当たります。あとのほうは少し数量がちがうようですけれども、これはまた別の基準としての見方があると思います。

 ・始め大般若経六百巻より法常住経に終はるまで、(法然文)

『貞元入蔵録』においては、大般若経が600巻、それから法常住経という経典もあります。この法常住経という経典を調べましたけれども、これはごく短い、こんなお経があるのかと思うくらいに短いお経なのです。

 ・顕密の大乗経総じて六百三十七部・二千八百八十三巻なり、皆須く読誦大乗の一句に摂すべし・・・随他の前には暫く定散の門を開くと雖も随自の後には還って定散の門を閉づ。一たび開いて以後永く閉ぢざるは唯是念仏の一門なり(法然文)

これらを、「皆須く“読誦大乗の一句”に摂すべし」と法然が言っておるのです。この「読誦大乗の一句」とは、何のことでしょうか。この観無量寿経に説かれている行門というのが、さらに要点として散善門・定善門・念仏一門の3つに別れるというのです。

  1. 散善門
    1. 世福:これは世間的な意味での福を成ずる道であります。
      1. 孝養父母:父母に孝養を尽くす。
      2. 奉事師長:師長に仕え奉る。
      3. 慈心不殺:慈心をもってものを殺さない。
      4. 修十善行:十善の行を修するということ。これは、十悪に対する行が十善でありますから、それを修行する。
      これが世間的な意味での行為における福を示しております。

    2. 戒福:これは仏教の上からの戒めによって行じ積まれる福です。
      1. 受持三帰:三帰を持つということ。三帰というのは、仏・法・僧の三宝に帰依するということです。
      2. 具足衆戒:衆戒を具足するということ。いろいろな戒律を具足して持つという意味です。これは大変なことですけれども、釈尊仏教の中に広くこの戒律を述べております。
      3. 不犯威儀:威儀を犯さずということ。これは散善の威儀ということで、いわゆる仏教において戒を受けたところの身において、きちんとした形でそれを実行する。日常生活の中の行住坐臥の威儀を犯さないということです。

    3. 行福:これは実際に仏法を実践する上の内容です。
      1. 発菩提心:これは先ず菩提心を発すること。
      2. 深信因果:深く因果を信ずること。因果を信ずるということは、大変大事なことで、仏法の行者、信者として忘れてはなりません。皆さんも、まことに大事なこととして肚に入れていただきたいと思います。
      3. 読誦大乗:これが今『安国論』で引用された『選択集』の文に出てきた「読誦大乗」ということです。つまり大乗経典を読誦するということです。
      4. 勧進行者:これは行者を勧進すること。

      このようにありますけども結局、あらゆる経文の修行は、聖道門を含めてことごとくこの行福としての読誦大乗に入る。それについて法然は「読誦大乗の一句に摂すべし」と述べて、大乗を読誦することは(観無量寿経の)散善門の中の一分の修行に過ぎないというのです。

  2. 定善門

    定善門の方は極楽浄土の阿弥陀仏に関しての観念を言うのです。心が一つに定まった意味の定の上から、これを観ずべきということにおいて定善門と言うわけであります。

    • 日想観、水想観:これは仮の観(仮観)であります。
    • 地想観:これは極楽の国土の地であり、それを想うということ。
    • 宝樹観、宝楼観、華座観:これ(日想観〜華座観)は全部まとめて依報の形、すなわち阿弥陀仏の国土を観ずるという意味です。
    • 像想観、弥陀観、観音観、勢至観:これは似像観と真身観の両方で、共に正報観であります。つまり依正二報のうちの正報で、この場合の正報とは仏を意味しますから、功徳の正報たる阿弥陀仏と脇士の三尊を観ずるのです。
    • 普想観:これは総想依正二報観で、依報・正報を共に全部まとめて観ずることです。
    • 雑想観:これは別想弥陀観で、別想としての弥陀を観ずるというのであります。

    そして、これら定散の二門(定善門と散善門)を全部まとめて括られて随他意となっています。つまり、観無量寿経には、これらがすべて説いてあるのです。けれども法然は、これらは全部随他意であると決するのです。

    ここに随他意と随自意ということがありますが、隋他意とは他の者、すなわち迷いの衆生の心に随って説くことです。つまり方便の教えであります。仏様の本当の心の上からの説法ではないという意味です。随自意というのは、仏様が自らの心に随って正しいことを説く教えということです。したがって、本来の正しい仏教の判定よりすれば、法華経のみが随自意で、他の経々はすべて随他意なのです

    しかるに、この場合の「随他意」は、法然の言う意味において、観無量寿経の中の散善門と定善門の一切が随他意であり、本当のものではないと言っているのです。したがって、これは修行の上において閉じるべきであるというのです。

  3. 念仏一門

    ところが、念仏一門は、これこそ本当の阿弥陀仏の衆生を救う心であるということを述べ、それが阿弥陀仏の教えという随自意である故に、これを開くべきであると言っておるのであります。すなわち、この「念仏一門」とは、散善や定善の行は閉じて、ただ阿弥陀仏を念じ唱える一行を開き、極楽往生の唯一の門とするという意味です。

    そこで、この念仏一門を開とする根拠は何かと言うと、観無量寿経の最後に、「仏、阿難に告げたまわく、汝能く是の語を持て。是の語を持つとは即ち無量寿仏の仏の名を持つなり」(釈尊文)という言葉だけなのです。「是の語を持て」とは、つまり阿弥陀仏の名前を持つことであるとして、行住坐臥いつでも南無阿弥陀仏と唱えることが、本当の阿弥陀仏の随自意の教えであり、衆生を救わんとするところの行であるという意味であります。

又云はく「念仏の行者必ず三心を具足すべきの文、観無量寿経に云はく、同経の疏に云はく、問ふて曰く、若し解行の不同邪雑の人等有りて外邪異見の難を防がん。或は行くこと一分二分にして群賊等喚び廻すとは、即ち別解・別行・悪見の人等に喩ふ。私に云はく、又此の中に一切の別解・別行・異学・異見等と言ふは是聖道門を指すなり」已上。又最後結句の文に云はく「夫速やかに生死を離れんと欲せば、二種の勝法の中に且く聖道門を閣きて選んで浄土門に入れ。浄土門に入らんと欲せば、正・雑二行の中に且く諸の雑行を抛ちて選んで応に正行に帰すべし」已上。

 ・念仏の行者必ず三心を具足すべきの文、(法然文)

観無量寿経において、先の散善門と定善門を説いた後に、九品往生の相とその心地が示され、西方浄土往生が説かれています。その九品成仏の第一が上品成仏であり、浄土往生に必要な三心を具足するべきであるというのであります。その三心とは、第一に至誠心(しじょうしん)であり、誠実なる心をもって往生極楽を願うことであります。第二に、深心(じんしん)であり、阿弥陀仏の本願が吾ら一切の愚悪を救い給うと深く信ずることであります。第三に回向発願心であり、一切の善根をすべて回向し、只管(ひたすら)西方浄土、極楽に生ずることを願うことであります。

 ・或は行くこと一分二分にして群賊等喚び廻すとは、(善導文)

この文は善導の『観無量寿経疏』の文です。この疏において、この三心を釈する中で、回向発願心を解説した後で、さらに善導が外邪異見(聖道門の教え)の難を防ぎ、西方浄土への信心を決定せしめるため、『二河白道の譬え』というのを述べておるのですが、その中の文であります。

『二河白道の譬え』とは、旅人が一筋の白道を東の岸から西の岸に向かって進んでいると、突然その道の南北に2つの河が現れたのであります。南、すなわち向かって左の河は火の河であり、北、すなわち向かって右の河は水の河であります。旅人が渡っている中間の白道は、幅が僅か4・5寸しかなく大変危険なのでありますが、この他に西岸に渡る道は無いのであります。さらに旅人の背後の東岸には、猛獣や盗賊等が迫って、旅人を害そうとするのであります。そこで旅人が一筋の白道を命の綱として進むべきか、退くべきか迷っていると、後ろの東岸より「疑わずして進め」という声がして、また前の西岸よりも声がして「早く西の国へ来たれ、必ず汝は救われん」と云うのであります。そこで、旅人は意を決して、狭い白道を西へ向かって進みはじめたということであります。

ところが、一分二分、つまり少しづつ進んだところで、これが『安国論』の文のところですが、背後の群賊が旅人を誑かそうとして、「その道を進めば必ず死ぬ。早く還れ」ということを叫ぶのであります。しかし、旅人は迷わずに西に向かって進んだため、無事にこの白道を渡り切って西岸の安楽の地に到達することができたという譬えであります。以上が、『二河白道の譬え』の要約であります。

さらに、合譬(がっぴ)について説明します。まず、旅人とは浄土門の信者であります。次に、東岸とはこの娑婆世界であり、悩みの世界、苦しみの世界、それを言うわけです。また、西岸とは極楽浄土であり、本当に楽しい世界、阿弥陀仏の世界であるということです。また、南北の河については、水の河は貪欲・愛欲をあらわしており、火の河は瞋恚・闘諍をあらわしております。一筋の白道というのは、往生浄土の信心を意味します。

次に、東岸の勧めの声は釈尊の浄土三部経等とするのであります。つまり、阿弥陀経、無量寿経、観無量寿経の浄土三部経というのは、これは釈尊が説かれているのです。例えば、釈尊が韋提希(いだいけ)夫人に説いたのが観無量寿経です。ですから、阿弥陀経といっても、阿弥陀仏が説いたわけではなく、また西方極楽十万億土があるということを説いたのも釈尊なのです。それが、東岸の勧めの声という意味に、ここでは取っているわけです。一方、西岸の招きの声とは、阿弥陀仏の声であり、救済の力であるというのです。

 ・即ち別解・別行・悪見の人等に喩ふ。(善導文)

そして、一分二分進みはじめると、「引き返せ、引き返せ、その道は危険極まりないから、そのまま進むと必ず死ぬぞ」という声が、「別解・別行・悪見」、すなわち聖道門の人であるということを言うのです。ですから、浄土門以外の僧侶や仏菩薩なども、全部これを悪人にしてしまうわけであり、そういう顛倒した教えなのです。

 ・私に云はく、又此の中に一切の別解・別行・異学・異見等と言ふは是聖道門を指すなり。(法然文)

したがって、これについてまた法然が、このように無量の悪言をもって一切の仏教を誹謗しているのです。

 ・又最後結句の文に云はく「夫速やかに生死を離れんと欲せば、二種の勝法の中に且く聖道門を閣きて選んで浄土門に入れ。浄土門に入らんと欲せば、正・雑二行の中に且く諸の雑行を抛ちて選んで応に正行に帰すべし」已上。 (法然文)

法然の最後の結論の文です。これは要するに、仏道の目的たる生死の苦を離れるためには、聖道門を閣(さしお)いて、浄土門に入りなさい。正・雑二行の中には雑行を抛って正行に帰しなさいということを言っておるのです。ここまでが法然の『選択集』の引文であります。


これについての批判と破折が、以下の大聖人様の御文です。

之に就いて之を見るに、曇鸞・道綽・善導の謬釈(みょうしゃく)を引いて聖道浄土・難行易行の旨を建て、法華・真言総じて一代の大乗六百三十七部二千八百八十三巻、一切の諸仏菩薩及び諸の世天等を以て、皆聖道・難行・雑行等に摂して、或は捨て、或は閉じ、或は閣き、或は抛つ。此の四字を以て多く一切を迷はし、剰へ三国の聖僧・十方の仏弟を以て皆群賊と号し、併せて罵詈せしむ。近くは所依の浄土の三部経の「唯五逆と誹謗正法を除く」の誓文に背き、遠くは一代五時の肝心たる法華経の第二の「若し人信ぜずして此の経を毀謗せば、乃至其の人命終して阿鼻獄に入らん」の誡文に迷ふ者なり。是に代末代に及び、人聖人に非ず。各冥衢(みょうく)に容りて並びに直道を忘る。悲しいかな瞳矇を■(う)たず。痛ましいかな徒に邪信を催す。故に上国王より下土民に至るまで、皆経は浄土三部の外に経無く、仏は弥陀三尊の外に仏無しと謂へり。

 ・之に就いて之を見るに、曇鸞・道綽・善導の謬釈(みょうしゃく)を引いて聖道浄土・難行易行の旨を建て・・・剰へ三国の聖僧・十方の仏弟を以て皆群賊と号し、併せて罵詈せしむ。

ここに法然が中国の念仏宗の先達三者の誤った解釈を引いて、あらゆる大乗教や一切の諸仏菩薩について捨・閉・閣・抛すべしという大悪義を述べ、またありとあらゆる聖僧乃至仏弟に対し、皆群賊と号して併せて悪口をもって罵(ののし)っておると指摘されるのであります。

 ・近くは所依の浄土の三部経の「唯五逆と誹謗正法を除く」の誓文に背き、

さらに主人(大聖人様)は、続いてこの法然の悪説は、先ず自ら依っておるところの浄土の三部経のうち無量寿経の文に背いておると言われます。すなわちその経において阿弥陀仏が法蔵比丘として誓願修行をしたときに立てた四十八願あるうちの第十八願に、「たとい我れ仏を得たらんに、十方の衆生、至心に信楽(しんぎょう)して我が国に生ぜんと欲し、乃至十念せんに、もし生ぜずんば正覚を取らじ、唯五逆と正法を誹謗するとをば除く」という言葉があるのです。つまりどんな衆生も救いたいし、救うけれども、五逆の者と正しい仏法を誹謗する者は、極楽浄土へ迎え入れることができないと、阿弥陀仏自らが述べておるのであります。

このように、阿弥陀仏自身が正法誹謗を否定しているにもかかわらず、それに背いてこの法然は徹底して正法を誹謗しているわけです。正法を誹謗しながら南無阿弥陀仏をいくら唱えても、西方極楽浄土へは行けないのであり、したがって法然の悪説は阿弥陀仏の言っていることと全く矛盾しており、成立しない邪義であることを、ここに述べられております。

 ・遠くは一代五時の肝心たる法華経の第二の「若し人信ぜずして此の経を毀謗せば、乃至其の人命終して阿鼻獄に入らん」の誡文に迷ふ者なり。

法華経の第二巻の『譬喩品』の文を挙げられます。これは有名な経文で、正法誹謗すなわち法華経を誹謗することによって必ず地獄に堕ちるということが、はっきりと示された経文です。

 ・是に代末代に及び、人聖人に非ず。各冥衢(みょうく)に容(い)りて並びに直道を忘る。

以上のことからするも、代が末になってくると、聖人と言われるような立派な人がいなくなってくる。したがって人々は「冥衢」に入る。「冥衢」とは暗い道のことで、その中に入って正直な大道を忘れておると言われるのです。

 ・悲しいかな瞳朦を■(う)たず。痛ましいかな徒に邪信を催す。

この「瞳朦」というのは、目に膜がかかっているという意味です。それを針で打つことによって目が見えるようになる。昔も針をもって目の膜を打って目を見えるようにするという治療がありました。この「瞳朦を■(う)たず」とは、盲目であるにもかかわらず、そういう治療をしていないということです。そして悲しいことには、その瞳朦を打たず、また痛ましいことには、盲目の故に正邪の判別ができず、いたずらに邪信を催しておると言われるのです。

 ・故に上国王より下土民に至るまで、皆経は浄土三部の外に経無く、仏は弥陀三尊の外に仏無しと謂(おも)へり。

法然が『選択集』をもって多くの人々を惑わしたことによって、このように国中の上下万人が浄土三部経と弥陀三尊のほか、仏法は全くないと誤信するような結果になっておると述べられております。


これから後は、仏法の壊乱(えらん)の姿を述べられるのであります。

仍って伝教・義真・慈覚・智証等、或は万里の波涛を渉りて渡せし所の聖教、或は一朝の山川を廻りて崇むる所の仏像、若しくは高山の巓に華界を建てゝ以て安置し、若しくは深谷の底に蓮宮を起てゝ以て崇重す。釈迦・薬師の光を並ぶるや、威を現当に施し、虚空・地蔵の化を成すや、益を生後に被らしむ。故に国主は郡郷を寄せて以て灯燭を明らかにし、地頭は田園を充てゝ以て供養に備ふ。

而るを法然の選択に依って、則ち教主を忘れて西土の仏駄を貴び、付嘱を抛ちて東方の如来を閣き、唯四巻三部の経典を専らにして空しく一代五時の妙典を抛つ。是を以て弥陀の堂に非ざれば皆供仏の志を止め、念仏の者に非ざれば早く施僧の懐(おも)ひを忘る。故に仏堂は零落して瓦松の煙老い、僧房は荒廃して庭草の露深し。然りと雖も各護惜の心を捨てゝ、並びに建立の思ひを廃す。是を以て住持の聖僧行きて帰らず、守護の善神去りて来たること無し。是偏に法然の選択に依るなり。悲しいかな数十年の間、百千万の人魔縁に蕩(とろ)かされて多く仏教に迷へり。謗を好んで正を忘る、善神怒りを成さゞらんや。円を捨てゝ偏を好む、悪鬼便りを得ざらんや。如かず彼の万祈を修せんよりは此の一凶を禁ぜんには。

 ・仍って伝教・義真・慈覚・智証等、或は万里の波涛を渉りて渡せし所の聖教、或は一朝の山川を廻りて崇むる所の仏像、

この「伝教・義真・慈覚・智証等」とは、要するに法然の大先輩である天台の大学匠、聖道門の僧侶のことを言っておるわけであります。これらの人たちが多くの苦労を重ねながら、中国やインドから渡した尊い聖教が日本国に存することを示されるのです。

 ・若しくは高山の巓に華界を建てゝ以て安置し、若しくは深谷の底に蓮宮を起てゝ以て崇重す。

そして「高山の巓に華界を建て」とは、すなわち我が国中の山の嶺などに堂塔を建て、また「深谷の底に蓮宮を起て」とは、深い谷の底にも寺塔を建てて仏像を安置し崇め重んじたということです。この「華界」と「蓮宮」は、共に清浄な蓮華の境界や宮殿という意味で、仏教の教えの内容を意味します。そういう多くの建物を建てて仏像経巻を安置し、崇重しておるということを言われるのです。

 ・釈迦・薬師の光を並ぶるや、威を現当に施し、

当時、大聖人様は32歳に至るまでいろいろと勉学される中で、特に比叡山に長くおられました。それで比叡山のことは、よくご存じだったわけです。そこで、比叡山の中では西塔の宝幢院(ほうどういん)に釈迦仏の像がある。それから東塔の止観院、これはいわゆる有名な根本中堂です。そこに薬師如来が安置されておる。それでこのことを仰っておるわけです。この二仏の威光が現当、つまり現在と未来の二世に施されておるというのです。

 ・虚空・地蔵の化を成すや、益を生後に被らしむ。

「虚空・地蔵」というのは、比叡山の戒心谷というところに安置する虚空蔵菩薩と、般若澗(はんにゃだに)に安置してある地蔵菩薩のことです。そしてこれらの菩薩がその徳をもって、衆生教化の利益を、やはり現生と滅後にわたり図っておるのだとされております。

 ・故に国主は郡郷を寄せて以て灯燭を明らかにし、地頭は田園を充てヽ以て供養に備ふ。

したがって国主も郡や郷の所領の一部を寄進してその灯燭を明らかにし、地頭も所有の田園の一部を充てて、その仏法の供養に備えておる。そういう姿が過去においてあったということを、ここに述べられております。

 ・而るを法然の選択に依って、則ち教主を忘れて西土の仏駄を貴び、

しかるに法然の『選択集』が出たことによって、この土の教主釈尊の恩徳を忘れて、「西土の仏駄」つまり阿弥陀仏を貴んでおる。ところがこの阿弥陀仏は、この土に現れた仏ではなく、釈尊が口の上に説かれた仏なのです。つまり釈尊の口から生じて、口の上で消えていった仏なのです。したがって、その元の釈尊こそ大切であるのに、それを忘れてこの阿弥陀仏のみを貴んでおるという誤りを示されるのです。

 ・付嘱を抛ちて東方の如来を閣き、唯四巻三部の経典を専らにして空しく一代五時の妙典を抛つ。

それから「付嘱を拠ち」というのは、伝教大師から法華経の意によって師資相承(ししそうじょう)を立て、その上において根本中堂に薬師如来を安置しておるにもかかわらず、その仏に対する帰依を止めて、「唯四巻三部の経典」すなわち浄土の三部経だけを専らに読誦し供養して、他のありとあらゆる五千・七千の経巻等を抛っておるという矛盾を挙げられます。

 ・是を以て弥陀の堂に非ざれば皆供仏の志を止め、念仏の者に非ざれば早く施僧の懐(おも)ひを忘る。

これは、念仏一本の信仰というような形がある時期に非常に出てきまして、弥陀の堂でなければ供養をしないというようなことから、それによって一代五時の妙典と、それを説き示した釈尊への供養の志が抛たれておるということです。また、念仏の僧のみに布施をして、他の僧への供養はすでに忘れ去られておるとも指摘されております。要するに、仏と僧への布施供養の停止の相を示されるのです。

今の世間の人たちは、釈尊も阿弥陀仏も、何がなんだか、その区別や相違も判らないようです。ただお寺と言えば、仏様を安置するところと思っておる。これは末法の相がさらに進んで、寺院や仏像についての関心が全く失われたからです。これも邪教の害毒によって、仏教全体の意義を民衆が忘れ果てるに至った姿と思われます。

 ・故に仏堂は零落して

つまり聖道門における大乗の仏堂がたくさんあるけれども、それらが適当な修理も行われず廃れてしまっておる、落ちぶれた姿になっておるということです。

 ・瓦松の煙老い、

「瓦松の煙老い」というのは、長く葺(ふ)き替えもないため、苔が生じたところの古屋根が、松のように見えるというのであります。そしてそこに立ち上る細い煙も、人が老いさらばえたごとく朽ち果てた寺院の相を示しておるという意です。

 ・僧房は荒廃して庭草の露深し。

仏堂と挙げたので、それに対して次に僧房と言われるのは、前と同一の例です。僧の住する房も荒れ果てて「庭草の露深し」という状態となる。つまりその庭においては、草を取る人がいないものですから、草が茫々と生えており、そこに露が深く溜まっておるという廃墟のような姿の形容であります。

 ・然りと雖も各護惜の心を捨てゝ、並びに建立の思ひを廃す。

これは前来述べるごとく、正しい仏法に対し、護りと惜しむ心がなくなってしまっている故に、その結果としてさらに堂塔を維持するような意味での建立の思いもなくなっておると言われております。

 ・是を以て住持の聖僧行きて帰らず、守護の善神去りて来たること無し。是偏に法然の選択に依るなり。

次には、このように日本の仏教が廃れ、聖僧も不在となり、守護の善神が国土を捨て去って無量の災難が起こるということは、すべて法然の『選択集』の悪法によるのであるということを、ここに述べられております。

 ・悲しいかな数十年の間、百千万の人魔縁に蕩(とろ)かされて多く仏教に迷へり。

法然が出生してからしばらくの間、つまり後鳥羽院の御宇の後において、承久の乱(1222年)という日本国未曾有の下剋上の大怪事がありました。この承久の乱のちょうど始まった頃が、不思議にも御母・梅菊女が大聖人様を御懐胎なさる時期なのです。ですから、ちょうどそういう大悪来るときに、本当の根本の大善が胚胎するという法界の不思議な実相が拝されるのであります。要するに、この数十年の間、法然の『選択集』という魔縁により正邪の念を失い、多くの人々が仏教に迷っておるという指摘です。

 ・謗を好んで正を忘る、善神怒りを成さゞらんや。

この「謗」という字は真蹟がこの通りです。けれども宗門以外の『立正安国論』の印刷物は、多くが「傍」になっているのです。この「傍」とは「かたわら」の意味ですから、それに対しての「正」とは「中心」という意味になります。要するに、中心に対して傍らのものということです。それは経典において、法華経の正が中心の意味ですから、それに対して「傍」は、華厳、阿含、方等、般若等の方便経、つまり中心以外のものとなるわけです。その「傍を好んで」ということは、華厳等四十余年の方便経を好んで、正義の法華経を忘れるという意味になります。

しかしこの法然の場合は、その華厳、阿含等の四十余年の経々の中で、ただ浄土の三部経のみを取って、あとは全部捨ててしまっておるわけです。そこで法然の謗法を明らかにする意味において、大聖人様は「傍」の字を使われず、「謗」の字にされたのです。要するに、法然が浄土の三部経のみを取った謗法の義を表すために、大聖人様があえて「傍」という字を使われずに、「謗」という字をお示しになったと拝するべきであります。

その「謗を好んで正を忘る」、つまり法然の邪義謗法を好み、法華経の教えに背いておることにおいて、「善神怒りを成さざらんや」、すなわち正法を守護する善神が怒りを成ぜぬことがあろうか、必ず成ずるのであると言われるのです。

 ・円を捨てゝ偏を好む、悪鬼便りを得ざらんや。

円とは、いわゆる中道実相、円満な完全無欠の教えという意味であります。偏は、偏っておるということ。すなわち小乗と大乗とで言えば、小乗は偏っておるし、権教と実教で言えば、権教は実教に対して偏っておるのであります。したがって、正直の純円法華経を捨てて、法然の主張のごとき極端な「偏」を、好むならば、その悪に乗じて悪鬼が便りを得ないことがあろうか、必ず便りを得て災いが起こってくると仰せであります。

そして、いよいよ今日の最後の文であります。

 ・如かず彼の万祈を修せんよりは此の一凶を禁ぜんには。

この御文は、非常に有名な言葉であります。これが大聖人様の仏法の、折伏を中心とした御化導における要点をはっきりお示しになった御言葉であります。折伏ということの中に、その要点要義を掴(つか)んで、教導の相手に対してその方法を示すことに大切な意味があります。

身体の調子をよくするために、薬をたくさん飲む人が多いのですが、薬をいくら飲んでも身体がよくならない人も多いのです。つまり不健康になっている人は、不健康になる一番元の原因を知らねばなりません。例えば、ある人の場合は大酒飲みで、若いときから飲んでいて、それが若いうちは何でもないのだけれども、40歳、50歳、60歳になってきますと次第に新陳代謝も衰え、身体の条件が変化しているにもかかわらず、それに気づかない。そこで若いときのように大量の酒を飲み続けていると、どんどん身体がおかしくなり、種々の病気が出てくるのです。結局、それは大量の酒によって不健康になっているのですが、本人は若いときからの飲酒で、健康だったという思い込みで身体の条件の変わっているのが判らないのです。その人が、酒を飲みながらいくら良い薬をたくさん飲んでも効果は出ないし、病気は悪くなるばかりです。要は、薬をたくさん飲むよりも、病気の一凶である大量の飲酒をやめればいいのです。そうすると病気はきれいに治ってきます。

それと同じように、この『立正安国論』の最初に、客の言葉の中にありとあらゆる御祈念を修する実例が述べられてありましたが、あれが万祈を修しても何ら効果がないという姿を先ず初めに示されたのです。つまり一凶を禁じ、悪いことを止めなければ、本当の意味で不幸を退治する解決はない、成仏はできないのだということが、「此の一凶を禁ぜんには」という御言葉の要点であります。このことをはっきりと掴めとおっしゃっておるのです。

要点を掴むということは、どういうことかと言うと、謗法を謗法として意識して、その謗法を打ち破っていくところに、本当の勝れた功徳を成ずるということです。その意味において『立正安国論』正義顕揚ということは、やはり皆さん方の一人ひとりが謗法をはっきりと意識して、特に創価学会の謗法、その他の様々の謗法を正法正義の折伏によって破っていくということです。その行業と決意、信心において、初めてこの一凶を禁ずるという姿が、はっきりと日本国の中に、また皆様方の信心と生活の上に、本当の正しい功徳として現れてくるのです。

したがって、この「如かず彼の万祈を修せんよりは此の一凶を禁ぜんには」ということが、万古に通ずるところの、衆生を正しく導くための大聖人様の大指針であるということを最後に申し述べて、本日の講義を終わる次第であります。

※配布資料を用いて御講義された部分に関して、妙音で編集を加えさせていただきました。




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