<6〜8面>
On Aug. 30, the second Nichiren Shoshu temple in European Countries, Shingyoji opened in Montreuil City, eastern part of Paris, France. Twenty-one priests including the High Priest Nikken Shonin, the Chairpriest Rev. Nichijyun Fujimoto, and Oversea Directorate Rev. Nisshi Obayashi and 120 believers mainly from France attend the opening ceremony of the new temple. It is ten years since they established the legal person "Nichiren Shoshu Buddhism Temple" in this country.
30日、午前10時過ぎ、御法主上人猊下には御機嫌うるわしく信行寺に御到着。早速正面玄関とロビーに掲げられた寺号額並びに山号額の除幕式に臨まれ、続いて順次御目通りが行われた。法要は午前10時半に開始され、御法主上人猊下の御出仕に続いて御開扉、献膳の儀、読経、慶讃文奉読、唱題と如法に奉修された。この後、御法主上人猊下より新寺院建立についての甚深の御言葉を賜った。
式の部に移り、まずシリル・イサベルダンス氏より経過報告、次いで藤本総監より宗務院代表祝辞、さらに信徒代表の祝辞と続き、最後に初代住職に就任された毛利博道御尊師より丁重な謝辞が述べられた。法要終了後、御法主上人猊下には、「アカシア」の御手植え、さらに記念撮影に臨まれた。
新寺院は、パリ市東郊に位置するモントレイユ市に開設され、シャルル・ドゴール空港より車で30分、最寄りの地下鉄クロワ・ドゥ・シャヴォー駅より徒歩5分の好立地にあり、鉄骨コンクリート造り、地下1階、地上2階建ての堅牢たる法城である。
本日の妙源山信行寺の落慶入仏法要が滞りなく、かつ盛大に挙行され、皆様と共に心より喜ぶものであります。毛利博道住職の志により、このような祝賀の宴の招待にあずかり、厚くお礼を申します。また特別に、各国信徒の篤志の方々にも、このたびの信行寺建立について様々な尊い御供養を頂き、立派に寺院が建立できました。本当に仏祖三宝尊にも御照覧のことと存じます。有り難うございました。
私が登座以来、海外広布ということはたいへん重要なことと思って対処しておりました。アメリカは前から寺院が出来ておりましたが、創価学会は、寺院はあくまで創価学会の組織の一環であり、住職、僧侶は創価学会の使用人であるというような考え方で来ておったのであります。それをきちんとした形で、すなわち宗門の寺院として設置したのは、先々代の海外部長で、現在の大宣寺住職・菅野日龍師でありました。その時からNST(Nichiren Shoshu Temples:宗教法人日蓮正宗寺院)というものが生まれて、創価学会の寺院支配の在り方から一線を引いて、きちんとした日蓮正宗の寺院の運営ができるようになったのであります。
そのような中で、私はヨーロッパ、特にパリにどうしても寺院を建立して、日蓮正宗の世界広布の足掛かりを作っていきたいと思っており、それを池田大作に相談したところ、「それでは一生懸命やってまいります」と口先ばかりで、「パリヘ行ってきます」と言って、帰国して私の所に来ては「やはり、だめでした」と言うのです。それが2回、3回、4回、5回と、いつも同じことを言うのです。あまりにもそういう姿が続くものですから、これは、おそらくヨーロッパに日蓮正宗の寺院を造らせたくないのだというように考えざるをえなくなりました。そして6回目か7回目の時でしたか、ハンコでも押したように「だめです、だめです」と言うので、要するにパリに正宗寺院を造らせたくない腹が明らかに見えたものですから、「それではもう結構です」と私がひとこと言ったら「あー、よかった。その言葉を待っていました」というような感じで、それからあとはぷつんと何も言ってこなくなったのであります。彼の面従腹背の腹黒い性質はまことに明らかであります。
そういうことからも、ヨーロッパに寺院の建立ができないような状態でありましたが、平成3年の5月以降、それまで創価学会一手にまかせていた海外広布を宗門が行うようになり、まず初めにスペインに妙昌寺(マドリード市)が出来ました。さらには、なんとかパリに寺院を建立したいと思って努力してまいりましたが、色々な隘路(あいろ)もあったらしく、今日まで実現には至らなかったのであります。
しかるところ、7年前から毛利君がこのパリの事務所の責任者として大変な努力をしてまいりました。先任者もそれぞれの立場において努力をしてきましたが、時が来なかったのだと思います。そして今回、本当にその時が来て、立派に日蓮正宗の寺院が信行寺として発足したことを、私は宗門の世界広布のためにも本当に有り難いことと思っておる次第であります。
毛利博道房は以前、台湾に赴任しておりましたが、今日のあの台湾の広布前進の姿、特に現在の布教の中心者である黒沢糾道房もこの席に来ておりますが、台湾が宗門の正しい教線のもとにきちんとした形を整えていく元を作ったのは毛利博道房だったと思います。そして今回もまた、このパリにおいてこのような立派な事業を果たしてくれました。要するに博道房は、「パイオニア」という言葉がありますが、本当に開拓者であると思います。そのような種子が本当に実って、宗門のためにはうれしいかぎりでありますが、この成果を元として、さらにこのパリにおいて、ヨーロッパの広布のために尽力をしてもらいたいと思います。日々の健闘を心から祈って、本日のお礼の言葉といたします。
御法主上人猊下を当フランスの地にお迎えできましたことは、私共にとって大きな喜びであります。御法務繁多の中、この遠隔の地まで御尊体をお運びいただき、本日の記念すべき法要を御奉修いただけますことは、私共にとってこの上ない栄誉であり、どのような言葉も私共の感謝の気持ちを表わすには十分ではありません。御法主上人猊下、まことにありがとうございます。
大聖人様の仏法が当フランスに流布され始めたのはわずか40年ほど以前のことであります。そして多くの人々が日蓮正宗に縁し、純粋に大聖人様の仏法を求めてきました。しかしながら、キリスト教の風土に生まれ育った人々にとって、この地球の裏側からもたらされた深い教えの本質を汲みとることは、非常に難しいことでもありました。こうしたことから、せっかく大聖人様の偉大な仏法にめぐり合いながら、束の間の縁を結んだに過ぎない人々があり、また過って、あるいは盲目的に、その教えを自分の都合のよいように解釈を加え、勝手に独り占めしようとした人々もありました。
フランスは仏法有縁の国ではありません。それ故、御本仏の御心を正しく理解するには、大きな困難が伴います。この40年来、フランスにおいて日蓮正宗の信心に縁した人の数は、恐らく1万人を超えることでしょう。しかしながら、今日までその信心を持ち続けてきた人の数は非常に限られています。
多くの煩悩を重ねながらも忍耐強く、自らの誤りを矯正し、真摯な精進を貫いてきた人々が、今日この信行寺における法要に参加させていただいております。この人々の感慨はいかばかりでありましょう。まことに不思議なことであると言えるでしょう。過去何十年もの間に、日蓮正宗に縁し、大聖人様の仏法をともかくも実践した人々の数と比べたなら、今日、日蓮正宗信徒として名を連ねている人の数は、ほんのわずかでしかありません。しかし、この人々こそが将来、大聖人様の仏法がこの地に華を開かせるための種子であり、フランスにおける法華講の原点となっていく人々であります。
大聖人様の仏法がフランスにもたらされて30年たった1991年に、ようやく御法主日顕上人猊下から、御僧侶を派遣していただくことができました。御法主上人猊下の思し召しは、まず、フランスに1つの道場を建立するということでありました。こうしてフランス人信徒が、御僧侶から大聖人様の仏法を説いていただけることになったのです。これは、それ以前の30年間には考えることもできないことでありました。
こうして、尾林日至御尊能化が何度かフランスを訪れられ、山田容済御尊師、関快道御尊師が、フランスに滞在され、信徒の教導にあたってくださいました。御僧侶をお護りするという精神に基づき、「宗教法人日蓮正宗寺院協会」が発足したのもこの頃のことであります。この協会は、法要等の宗教行事を行うためには欠くことのできないものであります。
しかしながら、信心の道場の建設に関しては、根気強く物件取得のための調査等を続けていたにもかかわらず、条件はなかなか整いませんでした。こうして12年が過ぎ、その間、それまでとはまったく変わって、信徒一人ひとりが日蓮正宗の正しい化儀を学び、日蓮大聖人様の仏法を身につけてきました。一人ひとりが正しい基本に則り、自らの求道心を深めていくことができるようになったのです。
毛利博道御尊師が、待望のビザを取得されたのは8年後の、1999年であります。以来、毛利御尊師は、止暇断眠、不自惜身命を文字通り実践なされ、信徒の教導、激励に当たってこられました。こうした毛利御尊師の御精進から、翻訳にたいへんな困難の伴うフランス語版経本も完成したのであります。
そうした時に、御法主日顕上人猊下から改めてフランス道場の建立の御意志が示されました。私たちにとっては、待望の道場建立の時がいよいよやってきたのだと奮い立ちはしたものの、行政的、財政的、社会的な面における複雑な種々の問題点は山積し、これらの困難を乗り越えることが不可能と思えるような状況でありました。それから、一度は中断した形となっていた物件取得への活動が再開されました。現地調査、設計案立案、断念ということが繰り返され、ついに立地条件等がこちらの要望に適った場所がパリ南方の郊外に見つかり、売買契約書のサイン直前までこぎつけましたが、土壇場で特別の理由もなしに売り主から売却を断られました。私たちは唖然とし、非常に落胆いたしました。それから何力月かというものは、すべてが中途半端なままの状態が続き、まるで時が止まってしまったように思われました。
こうした時、御法主上人猊下の思し召しが奈辺にあるのかを聞かれたある御信徒から、この道場を寄進したいとの申し出がありました。種々の障害は以前と同様山積しているにもかかわらず、すべてが一斉に、しかも迅速に動き出しました。土地建物が購入され、フランスの地にいつの日か妙源山信行寺が建立されるべき条件が整い、それに向けてあらゆることが進められてきました。
その「いつの日か」という日が今日であります。
この仏法の道場建立への御報恩、そしてそのことによってフランスの人々が苦悩から解放され、一人ひとりが即身成仏が現実のものであると証明できることが可能となったということへの御報恩は、一生で尽くしきれるものではありませんが、私たちは残された人生をそのために燃焼させていかなければなりません。
この工事に当たって、現場のコーディネートを担当してくださったピエール・ド・ヴィエル氏の献身的な仕事及び、工事施工業者の代表として本席にいらっしゃるガシュラン社代表、ダニエル・カザリージ氏のプロフェッショニーズムとその卓越した技量に心から御礼申し上げます。このお2人をはじめとする工事関係者の並々ならぬ努力によって、3カ月半という、通常ではとても考えられない短期間に、本日の落慶入仏法要が可能となりましたことに深く感謝しております。
最後に、御法主日顕上人猊下のますますの御健勝と御宗門の御隆盛をお祈り申し上げて、経過報告とさせていただきます。まことにありがとうございました。
午前9時45分、まず御法主上人猊下の大導師のもと会場前面中央に特設された祭壇に向かい読経・唱題が行われた。式の部に移り、ピエール・オンリ氏によって開会が宣せられたあと、御法主上人猊下が登壇あそばされ、ヨーロッパをはじめアジアなどからも集まった400名に近い僧俗に対し、親しく御言葉を賜った。次いで藤本総監より祝辞が述べられた後、ヨーロッパ各国信徒を代表してスウェーデンのトニー・ヴァレン氏とスペインのドローレス・シエラ女史がそれぞれ力強く決意を披瀝。引き続き来賓信徒を代表して、中華民国・台湾の林徳晃氏より祝辞が述べられた。続いて主催国住職として毛利御尊師より挨拶があった後、尾林海外部長より謝辞が述べられた。最後にドミニック・シュヴァラン女史より閉会の辞が述べられ、全員で「地涌讃徳」を合唱し、小憩に入った。
続くパフォーマンスの部では、ピアノ演奏・ダンス・オペラ等が順次披露され、終わるたびに会場は大きな拍手と喝采が鳴り響いた。記念すべき総会は、昨年総本山広布坊で行われた海外信徒総会を彷佛(ほうふつ)とさせるほどの熱気につつまれながら午後1時前に滞りなく終了。欧州広布が新たな時代に入ったことを強く印象づけるものとなった。この後祝賀会が催され、御法主上人猊下より御言葉を賜り、毛利御尊師より謝辞が述べられた。
8月30日、フランス共和国モントレイユ市において、妙源山信行寺の落慶入仏法要が、御法主日顕上人猊下大導師のもと厳修された。同国では、平成5年2月17日付で宗教法人「日蓮正宗仏教寺院」が設立、早速フランス事務所が開設された。その後寺院の建立をめざして僧俗一体となった努力が重ねられてきた。その結果、先に土地・建物を選定、晴れてこのたびの待望の慶事となったものである。
8月28日午前11時27分(日本時間)、新東京国際空港(成田空港)をお発ちになった御法主上人猊下には、総監・藤本日潤御尊能化、海外部長・尾林日至御尊能化、大石寺主任理事・八木日照御尊能化、大石寺理事・小川只道御尊師が随行し、妙縁寺住職・光久日康御尊能化をはじめ21名の御僧侶方と共に同日午後4時20分(現地時間)、フランスのシャルル・ドゴール空港に御到着あそばされた。また、信徒もフランスを中心に各国の信徒代表120余名が参集した。
○御法主上人猊下御言葉 落慶法要祝賀会の砌
○経過報告 シリル・イザベルダンス
信行寺落慶入仏法要の翌8月31日は、パリ市内のホテル=メリディアン・モンパルナスにおいて宗旨建立750年慶祝記念ヨーロッパ総会が盛大に開催された。これには、御法主上人猊下の御臨席を仰ぎ、信行寺の法要に参加した全僧侶とフランスを中心にスペイン、UK(英国)、ドイツ、オーストリア、スイス、イタリア、オランダ、ベルギー、ノルウェー、スウェーデン、台湾、韓国、日本等の国々から350余名の信徒が出席。5カ国語におよぶ同時通訳で行われた。