大白法

平成15年9月16日号


主な記事

<1〜5面>

<6〜8面>


back      index      next



フランス・モントレイユ市で妙源山信行寺落慶入仏法要


8月30日、フランス共和国モントレイユ市において、妙源山信行寺の落慶入仏法要が、御法主日顕上人猊下大導師のもと厳修された。同国では、平成5年2月17日付で宗教法人「日蓮正宗仏教寺院」が設立、早速フランス事務所が開設された。その後寺院の建立をめざして僧俗一体となった努力が重ねられてきた。その結果、先に土地・建物を選定、晴れてこのたびの待望の慶事となったものである。

落慶法要On Aug. 30, the second Nichiren Shoshu temple in European Countries, Shingyoji opened in Montreuil City, eastern part of Paris, France. Twenty-one priests including the High Priest Nikken Shonin, the Chairpriest Rev. Nichijyun Fujimoto, and Oversea Directorate Rev. Nisshi Obayashi and 120 believers mainly from France attend the opening ceremony of the new temple. It is ten years since they established the legal person "Nichiren Shoshu Buddhism Temple" in this country.


8月28日午前11時27分(日本時間)、新東京国際空港(成田空港)をお発ちになった御法主上人猊下には、総監・藤本日潤御尊能化、海外部長・尾林日至御尊能化、大石寺主任理事・八木日照御尊能化、大石寺理事・小川只道御尊師が随行し、妙縁寺住職・光久日康御尊能化をはじめ21名の御僧侶方と共に同日午後4時20分(現地時間)、フランスのシャルル・ドゴール空港に御到着あそばされた。また、信徒もフランスを中心に各国の信徒代表120余名が参集した。

30日、午前10時過ぎ、御法主上人猊下には御機嫌うるわしく信行寺に御到着。早速正面玄関とロビーに掲げられた寺号額並びに山号額の除幕式に臨まれ、続いて順次御目通りが行われた。法要は午前10時半に開始され、御法主上人猊下の御出仕に続いて御開扉、献膳の儀、読経、慶讃文奉読、唱題と如法に奉修された。この後、御法主上人猊下より新寺院建立についての甚深の御言葉を賜った。

式の部に移り、まずシリル・イサベルダンス氏より経過報告、次いで藤本総監より宗務院代表祝辞、さらに信徒代表の祝辞と続き、最後に初代住職に就任された毛利博道御尊師より丁重な謝辞が述べられた。法要終了後、御法主上人猊下には、「アカシア」の御手植え、さらに記念撮影に臨まれた。

新寺院は、パリ市東郊に位置するモントレイユ市に開設され、シャルル・ドゴール空港より車で30分、最寄りの地下鉄クロワ・ドゥ・シャヴォー駅より徒歩5分の好立地にあり、鉄骨コンクリート造り、地下1階、地上2階建ての堅牢たる法城である。



○御法主上人猊下御言葉 落慶法要祝賀会の砌

本日の妙源山信行寺の落慶入仏法要が滞りなく、かつ盛大に挙行され、皆様と共に心より喜ぶものであります。毛利博道住職の志により、このような祝賀の宴の招待にあずかり、厚くお礼を申します。また特別に、各国信徒の篤志の方々にも、このたびの信行寺建立について様々な尊い御供養を頂き、立派に寺院が建立できました。本当に仏祖三宝尊にも御照覧のことと存じます。有り難うございました。

私が登座以来、海外広布ということはたいへん重要なことと思って対処しておりました。アメリカは前から寺院が出来ておりましたが、創価学会は、寺院はあくまで創価学会の組織の一環であり、住職、僧侶は創価学会の使用人であるというような考え方で来ておったのであります。それをきちんとした形で、すなわち宗門の寺院として設置したのは、先々代の海外部長で、現在の大宣寺住職・菅野日龍師でありました。その時からNST(Nichiren Shoshu Temples:宗教法人日蓮正宗寺院)というものが生まれて、創価学会の寺院支配の在り方から一線を引いて、きちんとした日蓮正宗の寺院の運営ができるようになったのであります。

そのような中で、私はヨーロッパ、特にパリにどうしても寺院を建立して、日蓮正宗の世界広布の足掛かりを作っていきたいと思っており、それを池田大作に相談したところ、「それでは一生懸命やってまいります」と口先ばかりで、「パリヘ行ってきます」と言って、帰国して私の所に来ては「やはり、だめでした」と言うのです。それが2回、3回、4回、5回と、いつも同じことを言うのです。あまりにもそういう姿が続くものですから、これは、おそらくヨーロッパに日蓮正宗の寺院を造らせたくないのだというように考えざるをえなくなりました。そして6回目か7回目の時でしたか、ハンコでも押したように「だめです、だめです」と言うので、要するにパリに正宗寺院を造らせたくない腹が明らかに見えたものですから、「それではもう結構です」と私がひとこと言ったら「あー、よかった。その言葉を待っていました」というような感じで、それからあとはぷつんと何も言ってこなくなったのであります。彼の面従腹背の腹黒い性質はまことに明らかであります。

慶讃文そういうことからも、ヨーロッパに寺院の建立ができないような状態でありましたが、平成3年の5月以降、それまで創価学会一手にまかせていた海外広布を宗門が行うようになり、まず初めにスペインに妙昌寺(マドリード市)が出来ました。さらには、なんとかパリに寺院を建立したいと思って努力してまいりましたが、色々な隘路(あいろ)もあったらしく、今日まで実現には至らなかったのであります。

しかるところ、7年前から毛利君がこのパリの事務所の責任者として大変な努力をしてまいりました。先任者もそれぞれの立場において努力をしてきましたが、時が来なかったのだと思います。そして今回、本当にその時が来て、立派に日蓮正宗の寺院が信行寺として発足したことを、私は宗門の世界広布のためにも本当に有り難いことと思っておる次第であります。

毛利博道房は以前、台湾に赴任しておりましたが、今日のあの台湾の広布前進の姿、特に現在の布教の中心者である黒沢糾道房もこの席に来ておりますが、台湾が宗門の正しい教線のもとにきちんとした形を整えていく元を作ったのは毛利博道房だったと思います。そして今回もまた、このパリにおいてこのような立派な事業を果たしてくれました。要するに博道房は、「パイオニア」という言葉がありますが、本当に開拓者であると思います。そのような種子が本当に実って、宗門のためにはうれしいかぎりでありますが、この成果を元として、さらにこのパリにおいて、ヨーロッパの広布のために尽力をしてもらいたいと思います。日々の健闘を心から祈って、本日のお礼の言葉といたします。



○経過報告 シリル・イザベルダンス

御法主上人猊下を当フランスの地にお迎えできましたことは、私共にとって大きな喜びであります。御法務繁多の中、この遠隔の地まで御尊体をお運びいただき、本日の記念すべき法要を御奉修いただけますことは、私共にとってこの上ない栄誉であり、どのような言葉も私共の感謝の気持ちを表わすには十分ではありません。御法主上人猊下、まことにありがとうございます。

大聖人様の仏法が当フランスに流布され始めたのはわずか40年ほど以前のことであります。そして多くの人々が日蓮正宗に縁し、純粋に大聖人様の仏法を求めてきました。しかしながら、キリスト教の風土に生まれ育った人々にとって、この地球の裏側からもたらされた深い教えの本質を汲みとることは、非常に難しいことでもありました。こうしたことから、せっかく大聖人様の偉大な仏法にめぐり合いながら、束の間の縁を結んだに過ぎない人々があり、また過って、あるいは盲目的に、その教えを自分の都合のよいように解釈を加え、勝手に独り占めしようとした人々もありました。

フランスは仏法有縁の国ではありません。それ故、御本仏の御心を正しく理解するには、大きな困難が伴います。この40年来、フランスにおいて日蓮正宗の信心に縁した人の数は、恐らく1万人を超えることでしょう。しかしながら、今日までその信心を持ち続けてきた人の数は非常に限られています。

多くの煩悩を重ねながらも忍耐強く、自らの誤りを矯正し、真摯な精進を貫いてきた人々が、今日この信行寺における法要に参加させていただいております。この人々の感慨はいかばかりでありましょう。まことに不思議なことであると言えるでしょう。過去何十年もの間に、日蓮正宗に縁し、大聖人様の仏法をともかくも実践した人々の数と比べたなら、今日、日蓮正宗信徒として名を連ねている人の数は、ほんのわずかでしかありません。しかし、この人々こそが将来、大聖人様の仏法がこの地に華を開かせるための種子であり、フランスにおける法華講の原点となっていく人々であります。

大聖人様の仏法がフランスにもたらされて30年たった1991年に、ようやく御法主日顕上人猊下から、御僧侶を派遣していただくことができました。御法主上人猊下の思し召しは、まず、フランスに1つの道場を建立するということでありました。こうしてフランス人信徒が、御僧侶から大聖人様の仏法を説いていただけることになったのです。これは、それ以前の30年間には考えることもできないことでありました。

こうして、尾林日至御尊能化が何度かフランスを訪れられ、山田容済御尊師、関快道御尊師が、フランスに滞在され、信徒の教導にあたってくださいました。御僧侶をお護りするという精神に基づき、「宗教法人日蓮正宗寺院協会」が発足したのもこの頃のことであります。この協会は、法要等の宗教行事を行うためには欠くことのできないものであります。

しかしながら、信心の道場の建設に関しては、根気強く物件取得のための調査等を続けていたにもかかわらず、条件はなかなか整いませんでした。こうして12年が過ぎ、その間、それまでとはまったく変わって、信徒一人ひとりが日蓮正宗の正しい化儀を学び、日蓮大聖人様の仏法を身につけてきました。一人ひとりが正しい基本に則り、自らの求道心を深めていくことができるようになったのです。

毛利博道御尊師が、待望のビザを取得されたのは8年後の、1999年であります。以来、毛利御尊師は、止暇断眠、不自惜身命を文字通り実践なされ、信徒の教導、激励に当たってこられました。こうした毛利御尊師の御精進から、翻訳にたいへんな困難の伴うフランス語版経本も完成したのであります。

そうした時に、御法主日顕上人猊下から改めてフランス道場の建立の御意志が示されました。私たちにとっては、待望の道場建立の時がいよいよやってきたのだと奮い立ちはしたものの、行政的、財政的、社会的な面における複雑な種々の問題点は山積し、これらの困難を乗り越えることが不可能と思えるような状況でありました。それから、一度は中断した形となっていた物件取得への活動が再開されました。現地調査、設計案立案、断念ということが繰り返され、ついに立地条件等がこちらの要望に適った場所がパリ南方の郊外に見つかり、売買契約書のサイン直前までこぎつけましたが、土壇場で特別の理由もなしに売り主から売却を断られました。私たちは唖然とし、非常に落胆いたしました。それから何力月かというものは、すべてが中途半端なままの状態が続き、まるで時が止まってしまったように思われました。

こうした時、御法主上人猊下の思し召しが奈辺にあるのかを聞かれたある御信徒から、この道場を寄進したいとの申し出がありました。種々の障害は以前と同様山積しているにもかかわらず、すべてが一斉に、しかも迅速に動き出しました。土地建物が購入され、フランスの地にいつの日か妙源山信行寺が建立されるべき条件が整い、それに向けてあらゆることが進められてきました。

落慶法要その「いつの日か」という日が今日であります。

この仏法の道場建立への御報恩、そしてそのことによってフランスの人々が苦悩から解放され、一人ひとりが即身成仏が現実のものであると証明できることが可能となったということへの御報恩は、一生で尽くしきれるものではありませんが、私たちは残された人生をそのために燃焼させていかなければなりません。

この工事に当たって、現場のコーディネートを担当してくださったピエール・ド・ヴィエル氏の献身的な仕事及び、工事施工業者の代表として本席にいらっしゃるガシュラン社代表、ダニエル・カザリージ氏のプロフェッショニーズムとその卓越した技量に心から御礼申し上げます。このお2人をはじめとする工事関係者の並々ならぬ努力によって、3カ月半という、通常ではとても考えられない短期間に、本日の落慶入仏法要が可能となりましたことに深く感謝しております。

最後に、御法主日顕上人猊下のますますの御健勝と御宗門の御隆盛をお祈り申し上げて、経過報告とさせていただきます。まことにありがとうございました。





宗旨建立750年慶祝記念ヨーロッパ総会


信行寺落慶入仏法要の翌8月31日は、パリ市内のホテル=メリディアン・モンパルナスにおいて宗旨建立750年慶祝記念ヨーロッパ総会が盛大に開催された。これには、御法主上人猊下の御臨席を仰ぎ、信行寺の法要に参加した全僧侶とフランスを中心にスペイン、UK(英国)、ドイツ、オーストリア、スイス、イタリア、オランダ、ベルギー、ノルウェー、スウェーデン、台湾、韓国、日本等の国々から350余名の信徒が出席。5カ国語におよぶ同時通訳で行われた。

祝賀会午前9時45分、まず御法主上人猊下の大導師のもと会場前面中央に特設された祭壇に向かい読経・唱題が行われた。式の部に移り、ピエール・オンリ氏によって開会が宣せられたあと、御法主上人猊下が登壇あそばされ、ヨーロッパをはじめアジアなどからも集まった400名に近い僧俗に対し、親しく御言葉を賜った。次いで藤本総監より祝辞が述べられた後、ヨーロッパ各国信徒を代表してスウェーデンのトニー・ヴァレン氏とスペインのドローレス・シエラ女史がそれぞれ力強く決意を披瀝。引き続き来賓信徒を代表して、中華民国・台湾の林徳晃氏より祝辞が述べられた。続いて主催国住職として毛利御尊師より挨拶があった後、尾林海外部長より謝辞が述べられた。最後にドミニック・シュヴァラン女史より閉会の辞が述べられ、全員で「地涌讃徳」を合唱し、小憩に入った。

続くパフォーマンスの部では、ピアノ演奏・ダンス・オペラ等が順次披露され、終わるたびに会場は大きな拍手と喝采が鳴り響いた。記念すべき総会は、昨年総本山広布坊で行われた海外信徒総会を彷佛(ほうふつ)とさせるほどの熱気につつまれながら午後1時前に滞りなく終了。欧州広布が新たな時代に入ったことを強く印象づけるものとなった。この後祝賀会が催され、御法主上人猊下より御言葉を賜り、毛利御尊師より謝辞が述べられた。

今回の御訪仏による信行寺落慶入仏法要とヨーロッパ総会は、フランスのみならずヨーロッパ全土の広布が大きく進展する契機となるものと期待される。なお、御法主上人猊下の御一行は、9月2日午後8時3分(現地時間)にシャルル・ドゴール空港を発たれ、3日午後2時18分(日本時間)、無事新東京国際空港に御到着、御帰国あそばされた。



○御法主上人猊下御言葉 宗旨建立750年慶祝記念ヨーロッパ総会の砌

昨日の妙源山信行寺落慶法要に引き続き、本日はフランス国内の信徒御一同、またヨーロッパ近隣諸国よりの信徒各位の参加により、かくも盛大に宗旨建立750年慶祝記念ヨーロッパ総会が開催され、まことにおめでとうございます。宗旨建立750年の慶祝事業は、仏恩報謝と広布への前進の深い意義を込めて、昨年、総本山において厳修され、ヨーロッパ在住の信徒皆様もはるばる参詣いたされ、まことに御苦労さまでございました。そして今年、ヨーロッパ地域において行われる総会に、私も出席することができ、再び皆様とお目にかかれることは、まことに有り難く、喜びとするところであります。

総会宗旨建立とは、宗祖日蓮大聖人様が末法万年の人々の仏道成就のため、南無妙法蓮華経の大法を始めて唱え出だされたことであります。故に大聖人は『諸法実相抄』に、「末法にして妙法蓮華経の五字を弘めん者は男女はきらふべからず、皆地涌の菩薩の出現に非ずんば唱へがたき題目なり。日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱へしが、二人三人百人と次第に唱へつたふるなり。未来も又しかるべし。是あに地涌の義に非ずや」(御書666ページ)と仰せられました。まことに大聖人様の御一生は、宗旨建立の始めより池上の御入滅に至るまで、終始、一切衆生に南無妙法蓮華経を受け持ち、唱え行ずることをお勧めになったのであります。

釈尊一代仏教の中心は法華経であり、その法華経の精髄は南無妙法蓮華経の五字・七字であります。そして、この妙法を久遠以来、受け持って、悪世末法のためにこれを弘める尊い役目を持った菩薩が、法華経涌出品に出現して一切衆生を導く因縁を成じ、また末法に出現することを誓った地涌の菩薩であります。しかして、皆様方の如く南無妙法蓮華経を常に唱える方々は、久遠劫以来の尊い生命存在たる地涌の菩薩であり、また地涌の菩薩でなければ唱えられないのであると、大聖人様が仰せであります。実に有り難く、すばらしいことではありませんか。

皆様方は、生まれてくる前の過去はどんな姿であったか、お題目を離れて個人として考えるとき、おそらく何も判らないと思います。否、皆様のみならず、世界中の何十億という人々がほとんど判らないと思います。それもそのはずであります。釈尊の教えにおいて、我ら一切衆生の命は無明の煩悩という迷いに閉ざされていると示しているからです。無明とは「明らかで無い」「明るさが無い」ということで、現在の我々個人の命の実体実相も明らかでなく、まして過去も未来もどうだったのか、どうなっていくのかまことに明らかではありません。

現在について言えば「人の心は時に随って移る」と『立正安国論』に示されるように、ある時は怒り、ある時は貪り、ある時は愚癡など、また浮き浮きとして楽しいかと思うと暗い憂いに閉ざされるなど、常に境遇に従って左右され、どれが本当の自分であるのか明らかでない人がほとんどであります。そうしたなかで、ただ夢中の一生を過ごしているのを、仏教では迷いの人生と言うのであります。それは詰まるところ、生命について明らかでない原因として無明の迷いに煩(わずら)わされているからです。したがって、この無明の迷いを打ち破ることが、すなわち生命の真実相を明らめることであります。

釈尊は一代五十年の間、五千・七千と言われる経典を説かれましたが、四十余年間に説いた華厳経・阿含経・方等経・般若経等は、すべて権(か)りの方便であり、いまだ生命の真実の内容を説いておりません。ということは、宇宙法界およびそのなかの我々一人ひとりの生命がいかに深く、また知りにくいものであります。また我々の持つ無明の煩悩が、いかにも重く、容易にその真相を示し難いからであります。したがって、釈尊はその一分一分の解決を四十余年の方便経で説き進めましたが、そのすべては不完全でありました。そののちの法華経に至って、従来の方便を捨てて生命の全体相、真実相をついに説き明かされ、したがって、その時の人々において無明という根本の迷いを打ち破る道が開かれ、迷いの人々が成仏という最高の悟りを得ることができました。

さて、末法に入りますと、これらの諸経、特にその中心の法華経が経典として残っていますが、これによって現代の人々が救われることはできません。釈尊時代の人々は久遠の過去よりの仏の導きにより、成仏の種としての要の法華経たる妙法を心内に宿していたため、方便ののち、真実たる法華経の説明を聞いて悟ることができました。しかし、末法現代に生まれた人々は、その種を全く受けていないので、説明のみによる法華経では救われないのであります。

故に末法においては、下種本仏日蓮大聖人が出現せられて、この仏種を植えられます。この成仏の種が南無妙法蓮華経であります。しかるに、不思議なことに、日蓮大聖人の教えに基づいて題目を唱える人は、この信心修行に入る前において、先程も述べたように前もうしろも判らぬ迷いの人でありましたが、ひとたび決心してお題目を唱える信仰生活に入るとき、妙法蓮華経の御本尊の不思議な力と用きによって、久遠劫来の常住の個性となり生命となるのであります。それで、その筋道を逆に言うならば、久遠以来の常住の生命、すなわち地涌の菩薩である故に妙法を唱えることができるのです。

総会すなわち先程の御文で、「地涌の菩薩の出現に非ずんば唱へがたき題目なり」(同ページ)との御文がそれであります。今まで皆様は自分の過去がどこから来たか判らない迷いの命でありましたが、ひとたび妙法を受持して地涌の菩薩となる時、そのまま久遠以来、妙法を持ち、自他を導いてきた清浄な生命となるのであります。そして、「未来も又しかるべし」(同ページ)と仰せのとおり、未来においても永劫に地涌の菩薩として限りない妙法の功徳をもって永遠の生命を生きるのであります。すなわち過去・現在・未来、三世常住に我々の命が妙法の当体となるのであります。これは大聖人様の御魂たる妙法蓮華経の御本尊が尊極無上であることによるのであります。

この深く広い意義をさらに一言申し述べますと、南無妙法蓮華経は宇宙法界全体の元をなす地水火風空の五大であり、これよりあらゆる現象とあらゆる生命が生ずるのであります。そして善因善果、悪因悪果の大原則により、上は仏・菩薩より、下は地獄・餓鬼・畜生等、その中間に人間界等の十界が存します。この地水火風空は色法、すなわち物質的存在ですが、そこには必ず一念の心法、すなわち精神的存在が具わっているのです。その一念の心には、また地獄より仏界までの十界が宛然として具わります。

この色心の二法による法界全体の存在を妙法蓮華経と悟られた方は、久遠元初自受用身という久遠の仏であるとともに、末法に出現された日蓮大聖人なのであります。そのお言葉として『総勘文抄』という御書に、「五行とは地水火風空なり(中略)是則ち妙法蓮華経の五字なり。此の五字を以て人身の体を造るなり。本有常住なり、本覚の如来なり」(御書1418ページ)と説かれるように、妙法をもって照らすとき、我々の命は地水火風空によって造られ、そこに一念の心法を宿していることは、我々の生命が永遠常住であるとともに、広く十界の生命を具え、あらゆる空間に通ずる自由自在な用きを持つことが解ります。故に信心を起こして妙法蓮華経を唱え奉る功徳は無量無限なのであります。

すなわち御本尊の中央の「南無妙法蓮華経」は法界全体を含む色心の二法であり、人即法の本尊であります。下の「日蓮在御判」の御文は、上の妙法を証悟された大人格、すなわち法即人の本尊とその証明を表し給うのであり、御本尊の中心主体であります。次に左右の釈迦牟尼仏・多宝仏は、中央・南無妙法蓮華経の両脇に座して、妙法に従ってその徳を顕すのであります。故に『諸法実相抄』に、「釈迦・多宝の二仏と云ふも用(ゆう)の仏なり。妙法蓮華経こそ本仏にては御坐(おわ)し候へ」(同665ページ)とお示しであります。そして以下の本化・迹化の菩薩乃至十界の相は、本仏大聖人の一念に具わる十界を顕すとともに、妙法五字に照らされて、その相対的な苦楽が、すべて絶対の安穏極楽の境地に至ることを表されております。故に御本尊に向かって至心に題目を唱えるとき、我ら迷いの衆生が直ちに御本尊と一体となり、即身成仏の大功徳が具わるのであります。

さて、中国に生まれた像法時代の仏法の伝道者である天台大師は、早朝の太陽の光がまず高い山を照らし始めることを、釈尊の教えが華厳経から始まったことに譬え、正午に至って太陽の燦々と降り注ぐ光が平坦な地を遍(あまね)く照らすことを、一切衆生を平等に救う中道の教えである法華経に譬えられております。

総会人類の歴史上、近代文明の中心地的存在として発展された当ヨーロッパ諸国は、地理的にほぼ平地の多い地域をそれぞれの国土といたしております。このことは、平等にして明晰な論理性に富む、自由および民主精神の特徴を、永い歴史の中で大きく育まれ、もって、様々な不幸の時代を乗り越えて、今日の民主主義諸国家を形成されたことと決して無関係ではないと推察されます。すなわち、かかる歴史のなかで培われた皆様の尊い人間性は、先程の太陽の譬えの如く、依正不二の原理の上からも、法華経の平等大慧という民衆の真の功徳顕現の教えに共鳴し、また、それを指向するものであり、よって世界各国の多くの人々の共感を呼ぶとともに、世界における民主思想の先駆をなすことができたと思われるのであります。

またもちろん、これは分喩であり、山地の国々にあっても、正午の太陽が燦々と降り注ぐことは当然であり、民衆の真の幸せを願って前進せられたことは、今日、ほとんどのヨーロッパの国々が民主主義国家となっていることが証明いたしております。そしてその故に、一切衆生の生命に根本的な自由と平等と尊厳を開かしめる日蓮大聖人の教法こそは、全ヨーロッパ諸国はもとより、全世界の人々が、色心の上に真実の幸福を顕現し、無限の未来へ向けて文明を進展せしめるところの大いなる意義を持つことを深く信ずるものであります。

本日の宗祖日蓮大聖人宗旨建立750年慶祝記念ヨーロッパ総会に参加された各国代表信徒の皆様の御健勝と御多幸、そしていよいよの信行倍増と積功累徳(しゃっくるいとく)折伏増進を心よりお祈りいたし、本日の私の言葉といたします。


※Nichiren Shoshuの表示のある画像は日蓮正宗公式サイトのものです。



back      index      next