もちろんこの『安国論』奏呈の時には、これら二難は未だ起こっておりません。その後、9ヶ年を経て大蒙古国牒状がまいりまして、それからさらに自界叛逆・他国侵逼の二難が必ず起こるという実際の証拠が現れてきたのであります。それらの国難が、法然の邪義によるところの例証として、つまり念仏の邪教によってあらゆる災難が起こっているということについて、中国の例それから日本国の例を挙げるのが、本日のところであります。
では、最初の部分から入ります。
・客殊に色を作して曰く、
これは特別に血相を変えたということです。
・我が本師釈迦文(もん)、
これはいわゆるお釈迦様のことを言うわけです。一代仏教を説いた方が釈迦牟尼仏ですから、その「牟尼」の音訳として、これをまた「釈迦文」とも言います。
・浄土の三部経を説きたまひてより以来、
仏教には、中国で翻訳されたものだけでも、五千七千と言われるほどたくさんの経典がありますが、そのうちで念仏を勧める阿弥陀仏のことが説いてあるのは、全体でわずか4巻の「浄土の三部経」だけなのです。つまり浄土の三部経とは、無量寿経が2巻と観無量寿経が1巻、阿弥陀経が1巻と、その3経だけで非常に短いものです。
この浄土の三部経は誰が説いたかと言うと、世間にはそんなこともよく知らない人が多いのです。南無阿弥陀仏とか念仏ということは言うけれども、なかには信仰している人ですら、阿弥陀仏がこの日本国に生まれてきて、浄土の三部経を説いたように思っている人もいるようです。けれどもそれは間違いで、つまりこの浄土の三部経は、お釈迦様が説かれたのであります。
また、そのうちの観無量寿経は、章提希夫人(いだいけぶにん)という人に対して説いたのです。この章提希夫人は頻婆舎羅王(びんばしやらおう)という国王の夫人ですけれども、その息子の阿闍世(あじゃせ)王が提婆達多に誑(たぶら)かされて、自分の父親である頻婆舎羅王を幽閉して殺してしまうのであります。そのときに韋提希夫人が、幽閉された頻婆舎羅王の健康を少しでも永らえるために、自分の身体に蜜を塗って国王の所へ通ったのです。けれども、そのことが息子の阿闍世王の知れるところとなり、阿闍世王はさらにその母親をも幽閉してしまったのです。そのように、非常に悲しく辛い境遇のときに、お釈迦様が神通力をもってその幽閉の場所へ行かれ、夫人に慰安を与えるために教えを説かれたのが、この経であります。
そのようなことですから、観無量寿経という経典は、要するに韋提希夫人の一種の特別な悲しく辛い境遇のときに説かれたものであり、その際に仮に西方浄土の阿弥陀仏とその国土を教えて帰依の心を生ぜしめ、そのときの悩みを救おうと図られたのであります。
これを含めて浄土の三部経を説いたのは、要するにお釈迦様なのであって、阿弥陀仏がこの世に現れて直接説いたわけではありません。阿弥陀仏が西方極楽十万億土にいるということは、お釈迦様がおっしゃったわけです。つまり阿弥陀仏は、釈尊の舌の上で生まれ、舌の上で極楽浄土を説き、舌の上で滅度した仏なのであり、そういう内容の経典であります。
・曇鸞法師は四論の講説を捨てゝ一向に浄土に帰し、
この「四論」というのは4つの論ということで、1つは『中観論』。それからもう1つが、12の条項を作って論じておることから『十二門論』。それから『百論』。この3つの論を「三論」と言い、三論宗という宗旨の依り処であります。それから、もう1つが『大智度論』で、これを足すと4つになりますから「四論」と言うわけです。
この『中観論』『十二門論』『大智度論』は、大乗の千部の論師と言われたあの有名な竜樹菩薩が述べた論であります。竜樹菩薩の代表的な思想、教学がここに表れております。もう1つの『百論』は、竜樹菩薩の弟子の提婆という人が述べた論です。
それで、これらは何を目的として論じられたかと言うと、一つには外道の見解を打ち破っておるのです。つまり仏教以外の宗教や哲学としての外道がインドにたくさんおりまして、その教えの中でいろいろなことを言っておるけれども、結局、因縁因果の正しい仏法の法理法則に背いており、様々な人生観、世界観の内容において、やはり大変に誤ったものを論じておるというところから、これら外道を破しておるのがこれらの論です。
さらにもう一つは、大乗に対する小乗の教義を破しております。ただし、これら竜樹を中心とする大乗論の内容は、何の経典に依っているかと言うと、これは各種般若経典の中で一番大きい大品般若経です。この他にも仁王般若とか光讃般若とか、様々な般若がありますけれども、要するに絶対空を説く般若経であります。釈尊一代の経典中、この般若経は、華厳・阿含・方等の各経の次に位するのです。この般若の次に説かれたのが法華経であり、したがって般若は、教えの段階から言っても4番目に当たり、その教理には非常に深い意味があるのです。
小乗の阿含経においても、生滅の理を説いております。「生」とは生ずることで、現実に存在している我々の命であります。それから「滅」は滅する、すなわち生じたものは必ず死滅するということです。したがって、死んでしまえばなくなってしまうから、その変化の実体たる我の存在は「空」ということになるのです。この生滅の理というのは結局、存在はするけれども、どんどん万物は変化していく、その永劫の迷いから脱却する道は、最後に「空」を悟るということです。いわゆる灰身滅智で、心身共に空寂に帰するところに真の安住があるとします。このような教えを説くのが「小乗の空」であります。
それに対して、この「生」も「滅」も、現在存在しておるものも存在していないものも、ことごとくまとめて本来のあり方が「空」であるということを説くのが「大乗の空」であり、この「空」のところに自ずから一切事物を包含する、これを「第一義空」とも言うのです。つまり、この現象的な形のものと不可得の「空」と、ことごとくをすべて「空」にまとめるところに真実の中道があると言うのです。これが般若を中心とする大乗の「中」というとらえ方です。
さらに言えば、我々の生活の上の4つの対立する概念としての生と滅、去(こ)と来(らい)、一と異、断と常を、それは迷いの上の見解であり、真実の「第一義空」においては、生に非ず滅に非ず、乃至断に非ず常に非ずとして、一切の差別の迷執を超越したところに絶対中道の理を立てます。これが8つの差別を超越した中道、つまり「八不中道」という教理です。我々は、その片方のところだけに、特に「生」なら「生」のところだけにとらわれているけれども、実際は「滅」ということも知らなければならないのです。そこでその本質が「但(たん)なる空」なんだということを示すのが小乗です。
大乗は、その差別の万相の全体が「即空」であるということを言うのです。ですから、般若経の内容というのは、要するに「第一義空」と言うか、法界一切、我々の命から何から何まで全部が、第一義において本来「空」なのであるから、その「空」のところを本当に見定めて修行していくことによって悟りを開く、仏に成ると説くのです。ですからその修行の内容は、現実の仮諦を錬り、また空諦を深めて無量阿僧祇劫という長い期間を経ると言われるのです。またその修行の結果としては、深い菩薩の境界に至りますが仏に成ることはできません。しかし最後は、完全な円教としての法華経に帰って仏と成ることができるのです。しかるにこの永い回り道の相を見て、念仏門の者たちが理深解微(りじんげみ)とか千中無一とかと言い、聖道門を否定するのであります。
ところが実際には、中国の浄土門の彼らは法華経の功徳の勝れたことを知らないのです。すなわち般若経の次の法華経では、あらゆる衆生の相を具体的に示し、その功徳が示されているのであります。地獄に堕ちたあの大悪人の提婆達多も成仏できる、それから爾前経では成仏できなかった二乗の人たちや、さらには女人も成仏する、すべてが救われるということが実際に法華経の中に説かれておるわけです。
そうすると、法華経の「中道」と、般若経の対立する概念をことごとくまとめて「第一義空」に帰するところの「中道」の、この2つの中道、つまり般若経の中道と法華経の中道とは、どう違うかということになります。一言にして言えば、法華経は「妙法蓮華経」と示されています。
この「妙」という字は、大聖人様も『法華題目抄』等に、「妙とは具の義なり」(御書357ページ)とお示しになっておるように「具」ということであります。これは何を具しておるかと言うと、「衆生をして、仏知見を開かしめ、清浄なることを得せしめんと欲する」(法華経102ページ)という有名な法華経の『方便品』の御文がありますが、地獄や餓鬼、畜生でも、その衆生の中に仏の命が具わっていなければ、これを「開く」ことはできないのです。その外見だけを見ても全く判らないけれども、法華経ではあらゆる衆生にしたがって、具わっておるが故に尊い法華経の修行の過程を経れば、必ずこの命が現れてくるのです。ですから十界互具ということを言われるのですが、十界互具の意味こそ、この法華経の中道であります。ところが般若経は、この一切においての徹底した「具」というところへは到達していないのです。ですから「妙法」という言葉は経文中に出てはくるのですが、法華経の妙法と般若経の妙法とは本質が違うのです。そこに同じ「中」という言葉を使うけれども、その内容に天地の隔たりがあるわけであります。
これをもう少し具体的な意味で言いますと、法華経の『信解品第四』の中に「長者窮子(ぐうじ)の譬え」という話があります。これは皆さん方も聞いたことがあるでしょう。
この譬喩は、長者の息子が幼い頃に屋敷を飛び出し、長い間貧しい生活を送ってきたことによって心が非常に下劣になっておりました。その息子をあるとき長者が見つけて、息子をうまく賺(すか)して長者の屋敷に連れてきた。息子は自分が長者の息子であることさえも忘れ果てて、自分は身寄りのない下劣な者であると思い込んでいたために、長者に対して非常に恐れをなしておったのです。そこで長者は、初めに便所掃除などの下働きをさせ、次第に仕事の内容をよくしていきながら次第に接見し、とうとう長者のありとあらゆる金銀財宝の管理までを任せるようになるのです。そして最後に、実は自分の息子であることを教え、財産を譲り与えたという内容です。
この中で、長者のありとあらゆる金銀財宝の管理までを任されて、事業と財産のすべてを判っているけれども、自分はまだ一介の使用人に過ぎないと思い込んでいる。それが言うなれば、般若の法開会と言いまして、法において一切が平等、ことごとくが「空」であるということは、もう一歩進めば実の子として長者の跡を継ぐ自覚、いわゆる真実の中道としての即身成仏の大利益を得るところまで来るのだけれども、まだそのところが完全な「具」の「中」でなく、般若の「中」は「空」というところに当てはめた形での「中」なのです。「空」「仮」に即する「中」の絶対的な尊厳の価値が顕れていません。
つまり法華経の「中」とは「具」の意義です。「具」の大真理からいくと「空」がすなわち「仮」であるのです。それから因縁の現れとしての一人ひとりの命、この因縁による「仮」の姿は、すなわち「中」であると示します。ですから即空・即仮・即中、この三諦、つまり3つの真理がそのまま円(まど)かに具わっておることを三諦円融と言うのであります。
これは先ほど言った「具」による大真如であり、よって即空・即仮・即中が、実際問題としての十界の生命に当てはめれば十界互具ということになるのです。故に、般若からもう一歩進んで、法華経の大真理を拝して信心修行すれば、一切衆生を正しく救えたにもかかわらず、このところで爾前経の長い修行にとらわれ、「難しい聖道門の教え、理深解微の教えにはとてもついていけない」と言って念仏の教えに走ったのが、中国における念仏の開祖曇鸞であります。
この「曇鸞法師」という人は、初めて中国で西方浄土、南無阿弥陀仏の教えを述べた人で、いわゆる念仏門の初祖であります。洛陽でインドから来た菩提流支(ぼだいるし)という人に会い、そこで観無量寿経を授かったのです。もう難しい四論の勉強などをしなくてもいいんだということで、それで阿弥陀仏の教えに入るということになったわけであります。
その曇鸞の碑を見て次に発心をしたのが、第2祖「道綽禅師」という人です。その道綽の教えによって、更にまた念仏の教えに入ったのが第3祖「善導和尚」です。この3人は、共に中国の人であります。
この人たちの主張は、一代仏教はつまり聖道門と浄土門の二門であり、聖道門は理深解微であると考えます。経典として浄土の三部経以外の教えは全部聖道門であり、その説くところの教理は大変深いが、それだけにそれを理解することは微(かす)かであり、衆生を導く役に立たないと言うのです。
さてその「聖道門」の内容には非常に深い、戒定慧という意義があります。その戒とは防非止悪の義で、あらゆる悪を止め、善を勧めるのであります。またこれには、小乗戒と大乗戒とがあって、大乗の戒は非常に広く、あらゆる道徳を束ねた大きな意味があります。次に定ということも、善事について心を統一し、集中するという大切な内容があります。また慧とは智慧で、あらゆる真理や善悪を択ぶ作用であり、天台大師はこの慧について、20の慧があることを『法華玄義』に説いてあります。そのような意味で、この戒定慧の内容を開けば、また布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧という六度にもなり、また一代聖教八万四千の法門となるわけです。それが聖道門です。
これに対して「浄土門」は、釈尊の説いた浄土三部経において、かつて法蔵比丘という人が、自ら仏に成ったときには浄土を作り荘厳するという誓願を立てたとあります。つまり安養浄土という国土を作って、悩み苦しんでいる人々を全部そこへ救い取るという誓願です。その浄土は、いわゆる安楽であり、一切の悩みがなく、楽しみばかりが存在するところであると言うのであります。しかし、その教えを説いた観無量寿経という経典には「定善」「散善」というのがあって、その中には、浄土ヘ生まれるためのいろいろな修行が説いてあるのです。
けれども日本の法然は、はっきりとそんなものは全部いらないのであり、ただ阿弥陀仏を信じて、南無阿弥陀仏と念仏を唱えれば救われるのだと言うのです。それがそのまま末法における浄土門のあり方としております。これに対して、聖道門のほうは理深解微、すなわちその教えの理が非常に深くて、愚鈍な衆生の智慧では理解できず、一人も成仏できないと言うのです。
理が深いということは、戒定慧のそれぞれの内容において非常に深い教えの意味があるということです。本来、仏の教えは深いのですが、その故にとてもこの聖道門では救われない。したがって浄土門のほうが簡単で、ただ念仏さえ唱えれば救われるというのが、「念仏門」の主張であります。
・道緯禅師は涅槃の広業を閣(さしお)きて偏に西方の行を弘め、
大聖人様は、「身は軽ければ人は打ちはり悪(にく)むとも、法は重ければ必ず弘まるべし」(御書898ページ)と仰せであります。
先ほどの経過報告にもありましたごとく、正法寺の開創は、幕末の頃、八戸法難の渦中にあった佐藤清助の妻と息子の寿之助が、函館に移住し、艱難辛苦の中で信心を貫いておりました。この母子の信心が御縁で、明治24年に総本山から布教師が派遣され、佐藤寿之助宅で座談会が開かれたのであります。その時、8名の方が折伏をされて、日蓮正宗に入信しました。明治26年に、東川町に32坪の堂宇が建立され、総本山の函館出張所が開かれましたが、明治34年に同じ町内に再新築されました。しかし、明治40年の大火に遇い、栄町に移転しましたが、昭和9年にも大火に遇って、再度、類焼したため再建を繰り返しました。昭和23年に、真実山正法寺の寺号公称を許され、昭和36年に増新築が行われて、第66世日達上人御親修のもと、落慶法要が奉修されました。
そして、昭和42年10月7日に現在の佐藤泰法師が正法寺12代住職として赴任されました。その後、昭和53年に鉄筋コンクリート2階建ての伽藍を新築し、日達上人の御親修のもと、落慶法要が奉修されました。そしてこのたび、790坪の土地を購入して、ご覧の通りの立派な伽藍を建立され、総本山第67世御法主日顕上人猊下の大導師を賜り、本日の慶事を迎えるに至ったのであります。八戸法難の末裔が移住して始まる函館の広布は、総本山の函館出張所の開設となり、110年の間に7回も新築を繰り返しながら、本日の姿へと発展してきたのであります。
「崇重(そうじゅう)年旧(ふ)り尊貴日に新たなり」(同238ページ)との御言葉があります。日蓮大聖人の正法を尊崇する純真な信徒と僧侶とが、異体同心して折伏に精進し、寺院や僧侶を尊貴する御信徒の信心の真心からなる外護の積み重ねの結果が、本日の大慶事に至ったものと思うのであります。
大聖人様は、「仏法の邪正をたゞす事皆経文をさきとせり。今当世の道俗・貴賎、皆人をあがめて法を用ひず、心を師として経によらず・・・邪義を以て一実の正法を謗ず。是等の類豈大乗誹謗のやからに非ずや。若し経文の如くならば、争(いか)でか那落の苦しみを受けざらんや。之に依りて其の流れをくむ人もかくの如くなるべし」(同364ページ)と仰せのごとく、依法不依人という仏の誠めを破り、裏では人間以下のことをしながら人間主義を標榜して世間を欺き、下種三宝を平然と破壊した輩は、ひたすら那落の底に突き進んでおります。
『開目抄』には、「順次生(じゅんじしょう)に必ず地獄に堕つべき者は、重罪を造るとも現罰なし。一闡提人これなり」(同571ページ)と仰せでありますが、現在の一闡提人とは、まさに池田大作のことであります。しかしながら宗門にとって、今更、創価学会のことなどどうでもよいことであり、単なる異物だったのです。
今、宗門は、御法主上人猊下の「祖道の恢復」の御指南のもと、日蓮大聖人の正法正義を高らかに掲げ、来たる「平成21年。『立正安国論』正義顕揚750年」の大佳節に向かって、地涌の菩薩の流類たる法華講衆の倍増と、令法久住。広宣流布、そして世界平和のために、僧俗一丸となって折伏弘教に精進しているのであります。
ただ今、御法主上人猊下の御親修を賜った皆様方には、本日を新たな出発点とし、広布の道は遠く険しくとも、僧俗一致・異体同心で、力強く、先陣を切って前進されますことを、心から念願するものであります。皆様方のいよいよの信心倍増と現当二世、御健勝・御多幸を、衷心よりお祈りいたしまして、私の祝辞とさせていただきます。本日は、実におめでとうございます。
於夏季講習会第5・6期
今日、これから拝読するところは、要するにいろいろな災難・国難が現れてきておる。特に、この『安国論』において予言書として、このような国内の状態からは必ず自界叛逆と他国侵逼の二難が起こるということを予言されておるのであります。
<第五問答:和漢の例を出だす>
客殊に色を作して曰く、我が本師釈迦文、浄土の三部経を説きたまひてより以来、曇鸞法師は四論の講説を捨てゝ一向に浄土に帰し、道綽禅師は涅槃の広業を閣きて偏に西方の行を弘め、善導和尚は雑行を抛ちて専修を立て、慧心僧都は諸経の要文を集めて念仏の一行を宗とす。弥陀を貴重すること誠に以て然なり。又往生の人其れ幾ばくぞや。
布教区代表祝辞 藤原広行御尊師
北海道第一布教区を代表いたしまして、一言、お祝いの言葉を申し述べさせていただきます。本日は、総本山第67世御法主日顕上人猊下の御親修のもと、真実山正法寺創立110周年記念移転新築落慶法要が、盛大かつ厳粛に奉修されましたことを、衷心よりお祝いを申し上げます。本日は、実におめでとうございます。
※Nichiren Shoshu の表示のある画像は、日蓮正宗のオフィシャルサイトのものです。