次に、仁王経を引かれます。
仁王経に云はく「仏波斯匿王に告げたまはく、是の故に諸の国王に付嘱して比丘・比丘尼に付嘱せず。何を以ての故に。王のごとき威力無ければなり」已上。
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・仁王経に云はく、
この「仁王経」というのは、国土を正しく治め守るという内容において、波斯匿王に説かれたのであります。
・「仏波斯匿王に告げたまはく、
この「波斯匿王」は、当時インドに舎衛国(しゃえこく)という国があり、その国の王で、釈尊と同じ日に生まれているのです。また勝軍王という名前が付いており、戦って負けたことがないという、大変武力に勝れた王であったということです。
・是の故に諸の国王に付嘱して比丘・比丘尼に付嘱せず。何を以ての故に。王のごとき威力無ければなり」已上。
その波斯匿王が深く仏法を信じ、釈尊の教えを受けた因縁から、釈尊は波斯匿王に対して仁王経を説いたのです。これは国王のごとく広く強い勢力の威力を持っておる方が、仏法を受けて正しく護持し、それによって国を治め、多くの人々を幸せにすべきであるという意義から、この経を国王に付嘱されたのです。それに対し、国王のような威力を持たない比丘・比丘尼や、一般の人には付嘱をしないというわけであります。
結局この国王への付嘱という趣意は、正法を護り弘めるための、王様に対する特別な意味を述べておるのです。
涅槃経に云はく「今無上の正法を以て諸王・大臣・宰相及び四部の衆に付嘱す。正法を毀る者をば大臣四部の衆、当に苦治すべし」と。又云はく「仏の言はく、迦葉能く正法を護持する因縁を以ての故に是の金剛身を成就することを得たり。善男子、正法を護持せん者は五戒を受けず、威儀を修せずして、応に刀剣・弓箭・無槊(むさく)を持すべし」と。又云はく「若し五戒を受持せんの者有らば名づけて大乗の人と為すことを得ざるなり。五戒を受けざれども正法を護るを為て、乃ち大乗と名づく。正法を護る者は、当に刀剣器仗を執持すべし。刀杖を持つと雖も、我是等を説きて、名づけて持戒と曰はん」と。
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・涅槃経に云はく、
次は、涅槃経の『長寿品』を引かれます。
・「今無上の正法を以て諸王・大臣・宰相及び四部の衆に付嘱す。
これは国王にも付嘱するが、国王のみならず、さらに大臣や宰相、四部の衆にも付嘱をするということです。「四部」というのは、比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷です。
・正法を毀る者をば大臣四部の衆、当に苦治すべし」と。
すなわち、国王とさらに多くの方々に付嘱をし、その国民的意義において、もし正法を毀り、背く者があったならば、これをまさに「苦治すべし」、つまり懇(ねんご)ろにその悪心を治むべきであると示されるのです。
・又云はく、
次は、苦治についてより強い意味で述べられており、涅槃経の『金剛身品』の引文であります。
・「仏の言はく、迦葉
これは迦葉菩薩に対する説法で、迦葉が如来の法身の金剛不壊を得られた原因を質問したその答えです。
・「能く正法を護持する因縁を以ての故に是の金剛身を成就することを得たり。
すなわち仏は「正法を護持する因縁によって、私はこの金剛身を得ることができたのである」と答えます。この金剛の身というのは強く堅固で、どんなことをしても破ることのできない身という意味です。「金剛」というのは金剛石、ダイヤモンドですから、固くて破ることができない。そのように仏の身は破ることができないという意味であります。
・善男子、正法を護持せん者は五戒を受けず、威儀を修せずして、応に刀剣・弓箭・無槊(むさく)を持すべし」と。
続いて、その正法を護持する方法としては、五戒を受けず威儀を修することをしないで、刀剣等の武具を持つべきと言われるのです。けれども、この「五戒」というのは、人間のあらゆる生活の道徳上の基本です。つまり不殺生戒・不偸盗(ちゅうとう)戒・不邪淫戒・不妄語戒・不飲酒(おんじゅ)戒の5つですが、そのうちの特に不飲酒戒を除く4つは、先ほど言った殺生・偸盗・邪淫・妄語ですから、そういうことを行うのは基本的にはいけないことです。ところがそれをあえて「そういうことにとらわれるよりも、正しい仏法を守ることこそ大切である」という心であります。
次の「威儀」とは三千の威儀という言葉があり、釈尊教団の正式な比丘は二百五十戒という多くの戒を受けました。その二百五十戒を、行住坐臥と言って、人間生活の基本たる4つの行為の中で持つが故に、これが千になり、その千にさらに過去・現在・未来の三世を合わせますから三千となるのです。つまり一切にわたってこの戒を持っていくのが、威儀を修するということであります。
けれどもここでは大乗の教え、特に法を護るということからすれば、それらを修する必要がなく、その代わりに、刀や弓・矢・槍などの武器を持てと言うのです。これはつまり邪法邪義をもって正法を破る者があるならば、守護のために刀や槍などの武具を持てと言うのです。しかし、あえて殺せということではありません。正法の人を迫害するような者がもし来た場合には、刀を用いても法を護るために武装を許すという意味であります。
この例が、ずっと日本国の仏法にも伝わっておりまして、総本山での御大会のときにも、客殿から御影堂へ向かって行列が進みますが、そのときに総代の一人が裃(かみしも)姿で刀を持っております。あれが古式により刀剣を持って法を護るという姿です。その元の教えがここに述べられておるわけであります。
・又云はく、
次も前と同じく『金剛身品』の文です。
・「若し五戒を受持せんの者有らば名づけて大乗の人と為すことを得ざるなり。
つまり「五戒」は、小乗大乗に通ずる戒ですが、小乗からも出てきます。故に五戒のみを受けることは、むしろ小乗の意味になって、本当の大乗の戒を持つことにならないのです。
・五戒を受けざれども正法を護るを為て、乃ち大乗と名づく。
そして、すなわち正法を護ることが本当の大乗の戒であると、ここで言われておるわけです。
・正法を護る者は、当に刀剣器仗を執持すべし。
したがって、正法を護る者は、その必要に応じて刀や剣・兵器・杖、そういう敵を打ち倒すものを持って法を護るべしということであります。
・刀杖を持つと雖も、我是等を説きて、名づけて持戒と曰はん」と。
それで五戒等の個人的な道徳・規範、特に不殺生戒の規定にとらわれるよりも、大乗の法を護るために刀杖を持つことが、真に戒を持つことと示されるのです。
次も『金剛身品』ですが、これから先は、実際に法を護ることを行った聖者の過去の実例を挙げておられるのです。すなわち有徳王・覚徳比丘の事蹟であります。
又云はく「善男子、過去の世に此の拘尸那城に於て仏の世に出でたまふこと有りき。歓喜増益如来と号したてまつる。仏涅槃の後、正法世に住すること無量億歳なり。余の四十年仏法の未、爾の時に一(ひとり)の持戒の比丘有り、名を覚徳と曰ふ。爾の時に多く破戒の比丘有り。是の説を作すを聞き皆悪心を生じ、刀杖を執持して是の法師を逼む。是の時の国王名を有徳と曰ふ。是の事を聞き已はって、護法の為の故に、即便(すなわち)説法者の所に往至して、是の破戒の諸の悪比丘と極めて共に戦闘す。爾の時に説法者厄害を免るゝことを得たり。王爾の時に於て身に刀剣箭槊(せんさく)の瘡を被り、体に完き処は芥子の如き許りも無し。爾の時に覚徳、尋いで王を讃めて言はく、善きかな善きかな、王今真に是正法を護る者なり。当来の世に此の身当に無量の法器と為るべし。王是の時に於て法を聞くことを得已はって心大いに歓喜し、尋いで即ち命終して阿仏(あしゅくぶつ)の国に生ず。而も彼の仏の為に第一の弟子と作る。其の王の将従・人民・眷属の戦闘すること有りし者、歓喜すること有りし者、一切菩提の心を退せず、命終して悉く阿仏の国に生ず。覚徳比丘却って後寿終はりて亦阿仏の国に往生することを得て、而も彼の仏の為に声聞衆の中の第二の弟子と作る。若し正法尽きんと欲すること有らん時、当に是くの如く受持し擁護すべし。迦葉、爾の時の王とは則ち我が身是なり。説法の比丘は迦葉仏是なり。迦葉、正法を護る者は是くの如き等の無量の果報を得ん。是の因縁を以て、我今日に於て種々の相を得て以て自ら荘厳し、法身不可壊の身を成ず。
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・又云はく「善男子、過去の世に・・・余の四十年仏法の未、爾の時に一(ひとり)の持戒の比丘有り、名を覚徳と曰ふ。
これは歓喜増益如来の化導において仏の滅後、正法が長く住し、次に「余の四十年仏法の末」とありますから、像法か、あるいは末法の時代に入ったのでしょう。その時に1人の持戒の比丘、戒を正しく持つ僧侶があり、その名を「覚徳」と称しました。
・爾の時に多く破戒の比丘有り。
そのときに、また多くの破戒の比丘があり、この者たちは正法を誹謗する一闡提の破戒に当たっていたと思われます。
・是の説を作すを聞き
「是の説」とは、僧侶たる者は修行と衆生化導を根本とすべきであり、物欲に頼ってはいけないと、覚徳比丘が破戒の者を諌(いさ)めたことを言うのです。
今の宗教団体の者たちの中には、信者から供養されたお金をもって、いろいろな事業をしたり様々なことを行って、直接金儲けをするような姿もあるようです。そういうことは、宗教者としてはよくないのです。ですから我が日蓮正宗では、そういうことは絶対にいたしません。僧侶が商估(しょうこ)に類する金儲けをするようなことはしてはいけないということが、『宗規』の中にも規定されているのです。ところが当時は、そういうことをしていた破戒の僧侶がおり、それを誡められたのが、この覚徳比丘であります。
・皆悪心を生じ、刀杖を執持して是の法師を逼む。
そして、破戒の比丘らはその言を聞き終わって、覚徳を殺そうという悪心を生じたのです。
欲のある者は、その欲の道を断たれると、非常に怒りを生ずるものです。これは現在の世間でも皆同じで、いろいろな悪いことをして金儲けをしている人間は、そのことを閉じられようとすると怒り狂って、あらゆる悪巧みをします。そのために人を殺したり、様々な迫害を及ぼすのであります。このときの破戒の僧侶もこれと同様、覚徳比丘を非常に憎み恨んで、殺そうとしたのです。
・是の時の国王名を有徳と曰ふ・・・是の破戒の諸の悪比丘と極めて共に戦闘す。
そのときに有徳という国王がこれを聞いて説法者のところに駆けつけて、破戒の比丘らが覚徳比丘を殺そうとするのを防ぎ、身を挺して戦いました。
・爾の時に説法者厄害を免るゝことを得たり。
その結果、覚徳比丘が悪い僧侶どもから殺される厄害を免れることができたということです。
大聖人様が文永元(1264)年11月11日、房州小松原において東条左衛門ら数百人に襲われたとき、直檀・工藤左近吉隆殿が身を挺して大聖人を守って戦い、ついに討ち死にされたのも、まさにこの仏法守護の実例であります。
・王爾の時に於て身に刀剣箭槊(せんさく)の瘡を被り、体に完き処は芥子の如き許りも無し。
その戦いによって有徳王は身体のあらゆるところに、敵の刀による傷を受けて、瀕死の状態であったということです。
・爾の時に覚徳、尋いで王を讃めて言はく、
この王のまさに臨終のときに及んで覚徳比丘は、王に対しその捨身の行為を讃歎します。
・善きかな善きかな、王今真に是正法を護る者なり。当来の世に此の身当に無量の法器と為るべし。
「あなたは本当に正法を護る方である。この功徳によってあなたの身は将来、無量の智徳を持つ法の器となるであろう」、つまり仏と成るであろうと言われたのです。
・王是の時に於て法を聞くことを得已はって心大いに歓喜し、尋いで即ち命終して阿仏(あしゅくぶつ)の国に生ず。
有徳王はこのことを聞いて心に大いなる歓喜を抱き、そこで命を終わりました。この王様は、その功徳をもって阿仏という仏様の国に生じたということです。この阿仏は、法華経の『化城喩品』に、大通智勝仏の十六王子の成道を示される中の一番目の仏としてその名があります。
・而も彼の仏の為に第一の弟子と作る。
この王はその仏の国土に生じて、その仏の第一の弟子となったのです。
・其の王の将従・人民・眷属の戦闘すること有りし者・・・命終して悉く阿仏の国に生ず。
また王様の臣下として極めて共に戦闘した人たちが皆、一緒に阿仏の国に生じて、立派な菩提を成ずることができたと言われるのです。
・覚徳比丘却って後寿終はりて亦阿仏の国に往生することを得て・・・第二の弟子と作る。
さらにこの覚徳比丘もまた、死んだ後に阿仏の国に生じて、その仏の第二の弟子となったということです。
この過去の事例を挙げられた釈尊は、正法がまさに尽きようとするときには、我が命を捨ててもこのように法を受け持ち、護るべきであるとおっしゃるのであります。
大聖人様は、内・大・実・本・種の五重の深義の上から、三世にわたり一切衆生を救う究極の仏法たる三大秘法を正しく弘めていくためには、まさにこの根本の法を命懸けで護るということをあくまでも根底とされております。これは『三大秘法抄』のあの大事な戒壇の文の中に、「有徳王・覚徳比丘の其の乃往(むかし)を末法濁悪の未来に移さん時」(御書1595ページ)と示され、究極の戒壇建立の大事に関し、有徳王・覚徳比丘の故事を引き給うところに明らかであります。もって深くこのお示しを拝すべきであります。
・迦葉、爾の時の王とは則ち我が身是なり。
さて釈尊が迦葉に対して呼びかけ、示されたのは、そのときの王すなわち有徳王とは、釈迦仏の前身であるということをおっしゃるのです。
・説法の比丘は迦葉仏是なり。
次の「説法の比丘」すなわち覚徳比丘とは、迦葉仏と成った方と言われます。「迦葉仏」は、釈尊が出現する前に出られた仏様であります。
・迦葉、正法を護る者は是くの如き等の無量の果報を得ん。是の因縁を以て、我今日に於て種々の相を得て以て自ら荘厳し、
そして、このように命を懸けて法を護る因縁があったから、結局、無量の果報たる仏の相を得ることができたと言われるのであります。仏の相には、三十二相八十種好というのがありまして、それらはみんな非常に勝れてめでたい相なのです。百福荘厳と言って、無量の善を行って一相を得ると言います。しかし、その元は護法の因縁によると言われるとおり、仏様は根本の正法を護る徳によって、三十二相という種々の相を得られたということです。
・法身不可壊の身を成ず。
「法身」とは、法界を体とし、その大真理と一体の身を言います。それは広大深遠の徳がある故、壊(やぶ)ることができない、それを「不可壊」と言うので、そういう尊い身を成じたと示されるのです。
仏、迦葉菩薩に告げたまはく、是の故に護法の優婆塞等は、応に刀杖を執持して擁護すること是くの如くなるべし。善男子、我涅槃の後、濁悪の世に国土荒乱し、互ひに相抄掠し、人民飢餓せん。爾の時に多く飢餓の為の故に発心出家するもの有らん。是くの如きの人を名づけて禿人と為す。是の禿人の輩、正法を護持するを見て、駈逐して出ださしめ、若しくは殺し若しくは害せん。是の故に我今持戒の人諸の白衣の刀杖を持つ者に依って、以て伴侶と為すことを聴(ゆる)す。刀杖を持つと雖も我是等を説きて名づけて持戒と曰はん。刀杖を持つと雖も、命を断ずべからず」と。法華経に云はく「若し人信ぜずして此の経を毀謗せば即ち一切世間の仏種を断ぜん。乃至其の人命終して阿鼻獄に入らん」已上。
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・仏、迦葉菩薩に告げたまはく、是の故に護法の優婆塞等は、応に刀杖を執持して擁護すること是くの如くなるべし。
そこで以上の護法の功徳を受けて、仏は迦葉菩薩に向かって、在家の信者はまさに刀杖を帯して法を護るべきであると説かれます。
・善男子、我涅槃の後、濁悪の世に国土荒乱し、互ひに相抄掠し、人民飢餓せん。爾の時に多く飢餓の為の故に発心出家するもの有らん。是くの如きの人を名づけて禿人(とくにん)と為す。
その故は未来においても仏の滅後、濁悪の世に国土が乱れ、お互いに他の物をかすめ取り、人民が飢え苦しむときに、まことの道心もなく、飢えを凌(しの)ぐために出家して、民の供養を受けつつ不善をなす者が出るであろう、これを「禿人と為す」と言われます。
・是の禿人の輩、正法を護持するを見て、駈逐して出ださしめ、若しくは殺し若しくは害せん。
この「禿人」というのは、要するに心が非常に荒(すさ)んでおり、自分の欲のために出家をする人です。今日では、我がまま勝手に宗教を翫(もてあそ)ぶ者たちがこれに当たります。道心の上から正しい法を護り、多くの人々を導こうという僧侶は大切ですが、そうではなく、権力欲・支配欲・独占欲等の自分の欲のため、栄耀栄華を得るために僧侶や宗教者になる。「あれは宗教家だ」ということで御供養してくれることを見込んで指導者の振りをする。要するに、欲のためですから、正しい法を行ずる人を見て、必ず怒りを生ずるわけです。
今、創価学会が宗門に対して邪悪な怒りを生じ、あらゆる罵詈・誹謗を行っています。けれども、私どもは決して彼らを怒っていません。地獄に堕ちる気の毒な者共だから救わなければならないと思うものです。これが、私どもの常に折伏をしようという心です。しかし彼らは、あらゆる点で嘘が多く、しかも正しい人にありとあらゆる迫害・妨害をする。これは心中に我欲が充満しているから不当な怒りを生じておるのです。つまり、その一番の元に彼らの邪悪な欲望がある。ですから、この「禿人」と同じなのです。つまり欲によって自分たちの宗教を誤魔化して立てながら、その欲をあくまで貫こうとするために、正しい僧団を見て怒りを生ずるわけです。仏説は、このように未来、末法濁悪の謗法者について、きちんと説かれておるのであります。
・是の故に我今持戒の人諸の白衣の刀杖を持つ者に依って、以て伴侶と為すことを聴(ゆる)す。
そこで、そういう正法を持つ比丘を護るために在家の方が、場合によっては刀を持ち、杖を持ち、説法者を守り、同伴することを許されているのです。
・是の故に我今持戒の人諸の白衣の刀杖を持つ者に依って、以て伴侶と為すことを聴(ゆる)す。
そしてこの行為こそ、戒を持つ善人として讃めるべきであると言われます。
・刀杖を持つと雖も、命を断ずべからず」と。
しかし、そこで最後の言葉として、刀杖を帯びることについて一言きちんと釘を打たれていることに注意すべきです。すなわち刀杖等の武器を持っておるからといって、軽々しく人の命を奪ってはいけないと言われるのです。ここに刀杖の許可を挙げながらも、末法に仏法を弘通していく上においては、人の命を断ずることのみを目的としてはいけないということであります。
さて、この第七問答の答えにおいて、その中に謗法禁断の方法として以上2つを挙げられたわけです。一つは初めに挙げた、一闡提に対し布施を止めるということ。そして次が、仙予国王による謗法者の命を絶つということです。
けれども結局、四悉檀の上から合理的に正しく仏法を弘める形においては、布施を止めるということが、この『安国論』全体の主体をなすのであり、この次の第八問答も、そこのところをもって決せられておるのです。つまり「刀杖を持つと雖も、命を断ずべからず」という文が、これから第八問答に至って謗法禁断の方法を結論づける一つの伏線となっておると拝すべきであります。
法華経に云はく「若し人信ぜずして此の経を毀謗せば即ち一切世間の仏種を断ぜん。乃至其の人命終して阿鼻獄に入らん」已上。
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・法華経に云はく、
さて、これまで涅槃経と仁王経をもって、国難を退治する謗法破折の経文を挙げられてきましたが、次にいよいよ法華経を挙げられて、最後のけじめとされるのであります。以下は法華経の『譬喩品』の文です。
・「若し人信ぜずして此の経を毀謗せば即ち一切世間の仏種を断ぜん。
この法華経を信じないでこの経を毀謗する人は、一切衆生の仏の種を断ずるところの大きな罪になるとの仏説であります。つまり法華経にのみ、あらゆる人々が仏に成る根本の種があることを説いておるのです。その法華経を誹謗するということは、あらゆる人々が正しい意味で救われるところの仏の種を断ずることになりますから、これは法界全体の事物と真理に背く罪になるわけです。
・乃至其の人命終して阿鼻獄に入らん」已上。
その意義から、必ず法華経を謗る者は地獄に堕ちると、仏様自らの仰せです。
「阿鼻獄」について言えば、地獄は大きく分けて8つあります。その八大地獄の一番下にあって最も苦しみの大きいのが阿鼻地獄で、これには五無間と言って5つの無間があるのです。これは省きますが、要はあらゆる面で間断なく苦しみを受けるということから無間地獄と言うのであり、その地獄に堕ちるということです。ですから、すべての人は正しく勝れた法華経を信じ護らなければならないと同時に、これを誹謗する者が必ず地獄に堕ちるという文をもって、最後の結文とされておるのであります。
次からが主人、すなわち大聖人様の御言葉であります。
夫経文顕然なり。私の詞何ぞ加へん。凡そ法華経の如くんば、大乗経典を謗ずる者は無量の五逆に勝れたり。故に阿鼻大城に堕して永く出づる期無けん。涅槃経の如くんば、設ひ五逆の供を許すとも謗法の施を許さず。蟻子を殺す者は必ず三悪道に落つ。謗法を禁むる者は定めて不退の位に登る。所謂覚徳とは是迦葉仏なり。有徳とは則ち釈迦文なり。
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・夫経文顕然なり。私の詞何ぞ加へん。
このように明らかな経文を挙げた以上は、私が今さら言葉を加える必要がないではないかとまずおっしゃった上で、法華・涅槃の誡文の主意をまとめて次に示されるのであります。
・凡そ法華経の如くんば、大乗経典を謗ずる者は無量の五逆に勝れたり。
まず、法華経についてその誡めの要点は大乗経典、特に法華経を謗ずることであり、その罪は無量の五逆に勝れていると言われます。このことは今の『譬喩品』の文の前後をずっと読んでみますと、本当に五逆罪よりもなお法華経を誹謗する罪が重いということが長く丁寧に説かれてあります。そういうことから明らかなように、法華経の趣意として、このような無量の五逆を犯した罪よりも、法華経誹謗の罪が重いということが述べられてあります。
・故に阿鼻大城に堕して永く出づる期無けん。
したがって大乗、特に法華誹謗の罪により阿鼻地獄に堕し、永くその地獄より出る時がこないとの警告です。
・涅槃経の如くんば、設ひ五逆の供を許すとも謗法の施を許さず。
次に、涅槃経の趣意については、経に五逆を犯した悪人に供養することはまだ許すけれども、正法を誹謗する者については絶対に供養をしてはいけないとの誡めがあると示されます。すなわち前に挙げた純陀の問いに対する一闡提ヘの布施の禁止が、これに当たるわけです。
・蟻子を殺す者は必ず三悪道に落つ。
以下は、「殺」についての目的観の上から対照的に述べられております。蟻を殺すことですら、無用に悪心を持って殺す場合は、地獄・餓鬼・畜生に堕ちると再びここに仰せあります。
・謗法を禁むる者は定めて不退の位に登る。
しかるにそれとは逆に、謗法を誡め為に戦う者は勝れた菩薩の境界、不退の位という悟りのところへ登ることができるという涅槃経の趣意を示されております。
・所謂覚徳とは是迦葉仏なり。有徳とは則ち釈迦文なり。
その例として、覚徳は迦葉仏に、有徳王は釈迦文となる。つまり仏の大果報を得たことを再示されました。ここに「釈迦文」とありますが、普通は釈迦牟尼と言うのです。この牟尼という梵音を音写で漢字に表す「文」となるので同じことなのです。
そこで、これから先の文が大聖人様の謗法に対するはっきりとした批判の御文であります。
法華・涅槃の経教は一代五時の肝心なり。其の禁め実に重し、誰か帰仰せざらんや。而るに謗法の族、正道の人を忘れ、剰へ法然の選択に依って弥愚癡の盲瞽(もうこ)を増す。是を以て或は彼の遺体を忍びて木画の像に露はし、或は其の妄説を信じて莠言を模(かたぎ)に彫り、之を海内に弘め之を廓外(かくがい)に翫ぶ。仰ぐ所は則ち其の家風、施す所は則ち其の門弟なり。然る間、或は釈迦の手の指を切りて弥陀の印相に結び、或は東方如来の鴈宇(がんう)を改めて西土教主の鵞王を居(す)へ、或は四百余回の如法経を止めて西方浄土の三部経と成し、或は天台大師の講を停めて善導の講と為す。此くの如きの群類其れ誠に尽くし難し。是破仏に非ずや、是破法に非ずや、是破僧に非ずや。此の邪義は則ち選択に依るなり。嗟呼悲しいかな如来誠諦の禁言に背くこと。哀れなるかな愚侶迷惑の麁語に随ふこと。早く天下の静謐を思はゞ須く国中の謗法を断つべし。
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・法華・涅槃の経教は一代五時の肝心なり。
まずここで、今までずっと述べてこられた趣意として、一代五時の五千七千の経教について、法華経と涅槃経がその全体の中心であると決せられます。
すなわち釈尊一代の化導の中で、最初の華厳経は擬宜(ぎぎ)のため、次の阿含経は誘引のため、次に説かれた方等部の多くの経は弾呵(だんか)のため、次の般若経は淘汰のためという目的をもって説かれており、しかもそれらは全部仏様の本懐ではないのです。法華経に来たって初めて真実の仏の目的が顕れて、一切の衆生を導くところの慈悲において、十界をことごとく開いて仏道を成ぜしめるところの法の内容を説かれるのであります。
次の涅槃経は、法華経の意を受けて最後に説かれた経です。これは法華経においてまだ悟りを得ることができなかった人たちに対して、一往、法華以前の華厳・阿含・方等・般若等の方便の内容を入れながら述べているのですが、最後にはやはり法華経の意をもって括っているのであります。ですから「拾遺嘱(くんじゆういぞく)」と言い、これは落ち穂拾いの意味であります。全体の化導の中心主眼は法華経にあるのです。したがって法華と涅槃を相対すれば、当然、法華経が勝れておる。しかし、一代全体の50年間の化導の意からすれば、法華経と涅槃経がやはり中心になるという意味です。
・其の禁め実に重し、誰か帰仰せざらんや。
法華・涅槃に説くところは、かかる真実の大乗を誹謗する者の罪は非常に深く、同時にまたそれを護ることの功徳は大変大きいことの誡めであり、一切の人が帰依し、渇仰しなければならないと言われるのであります。
・而るに謗法の族・・・法然の選択に依って弥愚癡の盲瞽(もうこ)を増す。
このところからは、法然の『選択集』という悪書によって法華・涅槃の正しい道を忘れ、正邪・善悪の判らないような愚かな見解を増しておるということと、その悪い実例を挙げられるのです。
・是を以て或は彼の遺体を忍びて木画の像に露はし、或は其の妄説を信じて莠言を模(かたぎ)に彫り、之を海内に弘め之を廓外(かくがい)に翫ぶ。
その一つとして「彼の遺体」すなわち法然の遺体について、その遺徳を偲び崇めて、その形をあるいは木像に刻み、あるいは画像に描いて安置し、2つには法然の『選択集』の妄説を信じ、その「はぐさ」のごとき有害な言葉を版木に彫り印刷して、「海内」すなわち日本中に弘め、「廓外」すなわち都の外のあらゆる地方に賞玩しているとして、その謗法を難じ給うのであります。
・仰ぐ所は則ち其の家風、施す所は則ち其の門弟なり。
故に、多くの人々が信じ仰ぐところは浄土宗の、法華経と釈尊に背く間違った家風であり、人々が誤って供養を施しておるところが、邪義を説く法然の門弟らに対してであると言われるのです。つまり邪法・邪師の邪義に対して供養をしておることが、大変誤りであるのです。
・然る間、或は釈迦の手の指を切りて弥陀の印相に結び、
これはどういうことかと言うと、京都や奈良などの寺院に行くと、仏・菩薩等の様々な像がありますが、これらの像の手は「印相」を結んでいるのです。これらの仏像は、長い歴史の中で多くの僧や仏師により、いろいろな形で造りましたから、結局その印相は、ある程度一定しているものもあれば、そうでないものもあるのです。しかし、要はこの印相によって仏様の悟りや行儀を顕すわけであります。そういう形がインド・中国・日本の仏教の上からあるのです。
さて、お釈迦様の印相の場合は古来、親指の先と中指の先をつける円を画く形になっているのです。それから阿弥陀仏は、人差し指と親指をつけるのです。ですから、お釈迦様の像を阿弥陀仏にするには、その指のところをちょっと直せばよい。親指と中指だったのを親指と人差し指に直してしまうと阿弥陀の印相となり、釈尊が阿弥陀仏ということに形が変わってしまうのです。ですからここでは、お釈迦様より阿弥陀仏のほうが有り難いということで、お釈迦様の像の印相を変えて阿弥陀仏の像に造り替えてしまったということを言っておられるのであります。
・或は東方如来の鴈宇(がんう)を改めて西土教主の鵞王を居(す)へ、
次に「東方如来」というのは、薬師如来のことです。釈尊がこの仏の本願功徳経を説かれ、この如来は12の大願を起こし、特に衆生の心身の病を治すとされています。薬師如来は、権経の仏で真実の三身常住の仏ではないが、伝教大師が法華経の義によって開顕し、『寿量品』の大良医を心とする薬師という意味で、薬師如来を比叡山の根本中堂に安置しました。それに倣って天台宗の各堂に薬師如来が安置されたと思われます。「鴈宇」とは、堂塔の別名です。
また「鷲王」とは、仏に三十二相の一つとして手足指縵網相という、手足の指の間に鵞鳥(ガチョウ)の水かきのようなものがあるということから、仏のことを言うわけです。ですからこの文は、薬師如来の堂を改めて阿弥陀仏を安置し、その堂としておるという事例を挙げられているのです。
・或は四百余回の如法経を止めて西方浄土の三部経と成し、
法華経の書写行のことです。すなわち比叡山第三代座主の慈覚大師は、天台の宗旨からの比叡山の法統においては一往、偉い人と言われておるわけですが、天長10(833)年の40歳のときに法華経を如法に書写し、そしてその経を納めたところを如法堂と言ったのであります。
「如法」ということは、法華経『法師品』の最初のところに、「妙法華経の、乃至一偈を受持・読・誦・解脱・書写し、此の経巻に於て、敬い視(み)ること仏の如くにして、種種に華香・瓔珞(ようらく)・抹香・塗香(ずこう)・焼香・所W(ぞうがい)・幢幡(どうばん)・衣服・伎楽を供養し、乃至合掌恭敬せん」(法華経319ページ)と、十種供養によって法華経を行ずるという説示があります。このような供養をきちんと行って法華経を書写することが、十種供養によるところの法華経の書写という形であります。したがって、『法師品』に説かれる法のごとくに、その方式によって書写をするから「如法経」と称しました。それが天長10年から後白河法皇の13回忌、元久元(1204)年までの間、これは正確に言えば371年になりますが、この間ずっと行われてきたのです。
ところが、後白河法皇の13回忌の時から、その法要において法華経の書写を止めて、浄土の三部経を書写することになったのです。その謗法をここで挙げられておるのであり、「四百余回」というのは、その如法経初めよりの概数を言われるのです。
・或は天台大師の講を停めて善導の講と為す。
この「天台大師」という方は、ご承知のとおり中国に出現されて、釈尊一代の仏教の一切を悉く正しく整理・決判されて、そしてあらゆる経典の内容が、どういう目的で説かれたかということを、きちんと示された方であります。大変な偉業だったわけです。
今の他宗他門の僧侶たちは、未だにそれが判りません。竜樹菩薩が仏教の始祖で偉い人だったとか、空海が仏教の権威者であるなどと思い込んでいます。ですから般若経などの権経が、あくまで仏教の中心であると思い誤っておるのです。本当は、般若経などは、法華経を説くための方便に過ぎません。ですから「空」という真理からさらにもう一歩、仏法の真髄たる諦理が出てこないのです。いかに最高の第一義空と言っても結局「空」に尽きます。法華経の真実の即空即仮即中の上からの真実の即身成仏ヘの道ヘ出て来られないのが、今の仏教界の人々であります。ですから皆さん方は、日蓮正宗の御信徒になられて、最高の仏法を勉強し、修行しているのだと確信してください。
さて、そういうことにおいて天台大師という方は偉い方で、その教えによって伝教大師が日本に比叡山を開いたのだけれども、その天台大師の御命日の11月24日に行っていた天台大師報恩講を止めて、その代わりに中国の念仏の第三祖の善導の報恩講としての行事を行うようにしてしまったという誤りがあると指摘され、このような謗法の行為の類は実に多く、言い尽くし難いと仰せられるのです。
・此くの如きの群類其れ誠に尽くし難し。是破仏に非ずや、是破法に非ずや、是破僧に非ずや。
以上、述べられた4つの事例について、これは仏法僧の三宝を破る行為が歴然ではないかと破責されるのです。すなわち釈尊の印相の指を切って弥陀の印相に改めたということや、東方如来の鴈宇を西土教主に改めたということがありましたが、これが「破仏」に当たります。それから4百余回の如法経、すなわち法華経の書写を止めたというのがありましたが、これが「破法」になります。また天台大師講を止めて善導の講にしたのが「破僧」に当たるわけであります。
・此の邪義は則ち選択に依るなり。
そして、このような嘆かわしい事態になった原因は何かと言えば、まさに法然の『選択集』という邪法・邪義の悪書によるのであると論断されます。
・嗟呼悲しいかな如来誠諦の禁言に背くこと。
このような悪書が出て教主釈尊の真実の禁言、すなわち先ほど挙げられた法華経の「若し人信ぜずして此の経を毀謗せば、即ち一切世間の仏種を断ぜん。乃至其の人命終して阿鼻獄に入らん」という誡めに背いておることは、まことに悲しいことである。
・哀れなるかな愚侶迷惑の麁語に随ふこと。
また、この悪書を弘める法然のごとき仏法の帰趨に迷惑する愚かな者の粗悪乱暴な語に、多くの世の人々がしたがっており、それが無間地獄へ堕ちる業因とも知らないのは、本当に哀れなことだとの慨嘆です。
・早く天下の静謐を思はゞ須く国中の謗法を断つべし。
これが、この第七問答の項における最後の結論であります。この「謗法を断つ」とは、どういうことかと言いますと、具体的には謗法への供養・布施を断つことであります。それはさらに次の第八問答にはっきり示されるところですが、これが『立正安国論』の正義顕揚の意義を持っておるのです。したがって、謗法に布施をしないように、謗法への供養をすることが誤りであるということを、一人でも多くの人に自覚せしめるために行うべきことは何かと言えば、それは「一人が一人の折伏」にあります。
今、宗門は「『立正安国論』正義顕揚750年」に向かって進んでおるのであります。ですから、縁のあるところから謗法の供養を止めさせる、その宗教が邪義であることを知らせることが必要であります。その折伏をお互いに行じていくことが、我々一人ひとりの幸せとなり、また多くの人々を救っていくことになるということをここに申し上げ、皆様方のいよいよの御精進をお祈りし、私の本日の講義に代える次第であります。
※妙音の編集方針により、当該記事は『大日蓮』第692号76〜87ページ収録の「海外布教研究会報告」(尾林日至御尊能化著)により差し替えさせていただきました。
現在、海外部を中心にして進めております海外布教研究会の現況について御報告させていただきます。
1.はじめに
海外布教研究会は、特に海外に赴任しております住職や在勤者が、それぞれの国において適切な指導を展開していくなかにあって、もしも寺院あるいは住職によって指導・教導の内容に大きな隔たりがあったりいたしますと、海外広布にとって大きな障害ともなりかねません。特に現代においてはコンピュータ時代を迎え、海外の御信徒も、例えば総本山に登山されて、お互いの国の状況や広布への願望等々を話し合い、交流するだけでなく、さらに友達となってコンピュータでのメールのやりとりを行うなど、国は離れていても御信徒同士の交流が非常に盛んでございます。
そういうことも含めまして、やはり海外赴任僧侶はお互いの共通認識の上に立って、正しく教導しなければならないということから、信仰上必要な案件についてお互いによく考え、検討し合い、また論文に仕上げて配布し、世界中で連帯して正しい教導を図っていけるようにしようという目的のもとに、平成9年6月に海外布教研究会が発足した次第でございます。現在、海外布教研究会の皆さん方の努力によりまして、「アジアに関する歴史認識」「社会福祉の取り組みについて」「人工中絶についての見解」「謗法厳誡と海外布教」という4つのテーマについて報告が出来上がっておりまして、海外部だけではなく、宗務院の各部の部長さんをはじめ職員の方達、内事部の理事さん達、そして布教師の方々、あるいは海外の担当教師全員に配布してチェックをし、さらに意見を頂くよう進めております。
一往、この目的は、先程申しましたように海外に赴任する僧侶がお互いに共通認識の上に立って信徒の教導に当たっていこうということでございますけれども、必要な事項に応じては、国内の皆様方にも読んでいただけるような機会が生まれればというふうに念じております。
2.SGI破門以後にみる海外布教の躍進
それでは最初に、海外布教の現況について少々、御報告をさせていただきたいと思います。
従前は海外信徒の教導をSGI(創価学会インタナショナル)会長に一任しておりましたが、そうしたことを一新いたしまして、宗門として直接、教導に当たっていくことを、平成3年3月5日にSGI会長宛てに通告いたしました。それから宗門主導の海外布教が始まったわけであります。
御承知のように、当時はアメリカにNST(日蓮正宗寺院)という法人が出来、6ヵ寺の体制が整っておりました。また、ブラジルのサンパウロに1ヵ寺あり、都合7ヵ寺が海外寺院として実在し、約15名の住職乃至、在勤者が派遣されておりました。それが現在は、世界の宗門信徒は、インドネシアの59万人を含めて、およそ63万人に上り、アジアを中心にして南米、そして北米・欧州・アフリカ・オセアニアと世界全域に分布しております。ただし、その比率としては韓国・台湾・インドネシアなどのアジアが大半であります。
家族全体の信仰、一家全体の実践ということではアジアが突出しておりまして、台湾・韓国・シンガポール・マレーシア・インドネシア等々、家族が一緒になっての信仰ということになりますと、断然やはりアジアでございます。どうしてもヨーロッパ、あるいはアメリカ等の国々では、個人主義的な風潮が強くあるようで、一家のなかでお父さん、あるいはお母さん、子供が信心を実践していても、なかなか家族全体の信仰ということに結びつけることが難しい状況があります。
ですから現在、急激な進展ということになりますと、台湾が非常に突出しております。平成9年4月に本興院が開設されてから、約6年の間に5ヵ寺の体制まで進みまして、当初は3千人からスタートした台湾メンバーも、現在は1万6千名を越える規模に発展をしております。
現在、世界の布教拠点は、11の寺院をはじめといたしまして布教所・事務所・出張所等を合わせると13ヵ国、26ヵ所に上り、現在赴任しております常駐僧侶は、住職と在勤者を合わせまして36名になります。つまり、この12年間における海外布教の進展は、数字の上におきましても約3倍ということになっております。
日本からの遠近、また規模の大小を問わず、いずれの国や地域におきましても、寺院の建立と僧侶の常駐を切望しております。現在でも特に大韓民国、あるいはヨーロッパのイギリス・イタリア、北米のカナダ、あるいは東南アジアのタイというような国においてよく聞くことは、「なんとか早く寺院や布教所を建ててほしい」という声でございます。しかし宗門といたしましても、ただ闇雲に建てればいいということではありませんので、ある程度の陣容が整い、その地域に布教所乃至寺院を建立して、「自立して活動していける」という一つの目途(もくと)を立てて、その上においてよく検討し、最終的には御法主上人猊下の御裁可をいただくという形になっております。
また、各国の布教体制の整備とともに、その国の歴史・文化・民族・宗教・言語・風俗・習慣や国家体制・法律・宗教政策等に関する調査研究も必要になってきております。
例えば、これは御承知の方も多いと思いますが、インドネシアにおきましては、1945年の独立の時に「建国五原則」というものが立てられました。したがって現在、施行されております憲法の前文にも、その「建国五原則」が謳われておりまして、そのなかに“全知全能の神への信仰”、“唯一絶対神への信仰”ということがあります。このほかにも、公正にして文化的な人道主義、またスマトラ人・ジャワ人・バリ人・マレー人等々の他民族のインドネシアの統一。また協議と代議制において、英知によって導かれる民主主義、全イシドネシア国民に対する社会正義の具現ということが謳われております。
インドネシアは、人口的にはイスラム教が95%の国であります。それ以外の3%が仏教、そしてまた一部がキリスト教やヒンズー教という分布になっております。そうしたなかで、日蓮正宗がインドネシア政府から容認されているということは、一つには憲法前文に謳われる全知全能の神が、日蓮正宗においては“久遠元初の自受用身”、“久遠元初の御本仏”がそれに当たるという教義的な説明が政府から認証され、日蓮正宗の弘通が認められているということがございます。
それともう一つは、東南アジア各国にはたくさんの華人、昔は華僑と言われましたが、そういう人達がおられます。特にイギリス・オランダ・スペインというような国々が東南アジア各国を植民地として支配した時代が、16世紀から19世紀まで約400年間続いたわけでありますが、そうした時代に植民地政策の一環として、たくさんの中国人が香港を経由して東南アジア各国に労働者として入植をしたのであります。そういう人達の子孫が、東南アジア各国に合わせますと、今でも約1500万人を越えると言われております。また、そういう人達が今現在、インドネシアあるいはタイ・シンガポール・マレーシア等々に散在いたしまして、日蓮正宗の信仰を支え、また東南アジア各国の広布の大任に当たってくれているわけであります。
たしかに300年・400年昔は労働者として、その国に入植したわけでありますけれども、しかし何代となく世代を越えて、その国に生き続けて来られた、その実績の上から経済的にも、社会的にも大きな力となって今、東南アジア広布の本当の推進者・実行者となってくれているわけであります。ですから300年・400年前には考えられなかった中国人のそうした役割、広布の使命というものを考えてみますと、本当に不思議なことだと思うのであります。当時はだれも考えつかなかった、思いもいたさなかったことだと思いますけれども、現時になって、世界広布の時代を迎えて振り返って考えてみますと、やはりインド人・中国人、あるいは日本人というこの三国の方々は、特に釈尊の在世から末法における仏法流伝の大きな使命を果たす民族として、その大任を戴いているという思いがするのであります。それも不思議なことでありまして、実際に東南アジア各国での中国人の役割は、本当に大きなものがあるということを認識していただきたいと思います。
3.日蓮正宗海外布教研究会発足の理由
次に、研究会発足の理由でありますが、一つには「僧侶主導の海外布教の確固たる基盤を構築するため、現地法人の設立に関する調査研究」ということがございます。これは何回も現地に赴き、そして現地の信徒の代表者、あるいは現地の弁護士さん達、政府の要人等々と接触をして話し合いをし、そういうなかで、はたしてその国に宗教法人があるのかどうか、宗教法人格を取ることができるのかどうか、あるいはビザがどうなっているのか、どうすれば短期のビザから僧侶として常駐し宗教活動ができるビザを取得することができるかといったことを、それぞれ国状が違いますから、一国一国調査研究をするということが、どうしても必要になってまいります。
現在でも努力はしていますけれども、なかなか難しい国もあります。例えば、ある国では「日蓮正宗テンプル」という法人を取得することができまして、私がその代表者となり、そしてまた何人かの僧侶が理事として入っております。けれども、一方で派遣する僧侶のビザがまだ取れないという状況もあったりするわけで、法人が出来たから即、僧侶の派遣が可能かというとそうもいかないのです。やはり政府からの僧侶としての受け入れの許可がきちんと取れ、両方が相まって初めて、布教所なり寺院なりの建設へと進んでいくわけであります。
二番目といたしまして、「国によって異なる適正な布教方法・布教形態に関する調査研究」ということも当然、必要であります。例えば、日本におきましては種脱相対の宗義の上から、大聖人様と釈尊との間には下種の御本仏と脱益の仏という明確な違いを立てます。現在、インドの人達はほとんどがヒンズー教徒でありますけれども、また釈尊に対する信仰に近いような尊敬の心は非常に深いものがあります。だから、ヒンズー教の人であっても、ヒンズーの神々だけではなく釈尊の仏像も家の中に安置してあるという家庭が非常に多いのであります。やはりインド人として、歴史上あるいは宗教上の仏として、または大人物として尊敬する気持ちを多くの人が持っているのです。
ですから、ヒンズー教の人といえどもインド人の前で、「釈尊は過去の脱仏である」ということを言いますと、やはり不快な顔をいたしますし、また、そういうことを言う人は来てもらわなくても結構ですと反発を買いかねません。したがって、ダイレクトにあまり強い言葉で釈尊を誹謗したり、釈尊の法義を強い言葉で破折をするということは非常に危険であります。
それからまた、インドネシアやシンガポール等々におきましても、他の宗教を公衆の面前で破折誹謗するということは御法度(はっと)であります。シンガポールなどは、淡路島ぐらいの大きさでありますから、非常に小さな国であります。そういう小さな国ですから当然、社会の隅々まで政府の目が行き届いております。そういう国で極端に他の宗教を誹謗したりいたしますと、やはりそれは取り締まりの対象になりますし、その国にある種の混乱を起こす人物ということを言われます。したがって、こういう国では折伏という言葉もダイレクトには使えないのであり、教化・育成・指導といったことが表にならざるをえません。つまり正しいものを目指していこうという呼び掛けは結構でありますけれども、あからさまに公衆の面前で他の宗派を断罪する、あるいは誹謗するということは許されない。そういうところにも気をつけながら、現在こういう国での布教が進んでいる次第であります。
それから集会や法要等も、きちんと政府に登録して認可を得た建物、それは寺院にしろ布教所にしろ、きちんと認可を取った建物でなければ行うことができないという所もあります。もちろん登録した建造物の中での集会・法要・儀式は結構でありますけれども、登録していない所での集会、たとえそれがメンバーの家庭であったとしても、そういう所で大勢の人が集まって無届けで集会あるいは座談会等を開くということは難しい状況もございます。
三番目といたしまして、「国家体制・法律・宗教政策・民族・宗教・言語・歴史・文化・風俗・習慣等の相異を踏まえ、その国における適正な布教方法を宗是たる謗法厳誡に照らして調査研究」するということも、やはり必要であります。
インドネシアなどは、宗教省という一つの省庁がございます。あるいはアルゼンチンでも宗教局というものがありまして、お寺を建設することも、それから活動することも、さらに法人格等のこともすべて、きちんとこういうところの認可を取り、また、あらかじめどういう年中行事を奉修するのかということをきちんと登録をいたしまして、その認可のもとに活動するということが現在行われているわけであります。やはりそうした省庁からの目も注がれているということを常に認識しながら活動をしていくということも必要であります。
四番目といたしまして、「価値観の多様化に伴って変化する文化一般の諸問題、科学技術や医療技術の発展に伴って急速に変化する生命倫理の諸問題等、近年、世界的規模で進む諸々のテーマに対して本宗教義の上から適正な見解を導くための調査研究」ということも大切であります。
また五番目といたしましては、「世界宗教としてのキリスト教やイスラム教、一部の国や地域に定着するユダヤ教やヒンズー教のような民族宗教をはじめ、本宗の海外布教が直面する諸宗教の研究。併せて異教徒の住む国における布教の在り方」についてもよく考えなければなりません。これはどうしても避けられない道でありまして、これから宗門の広布が大きく進展していけば進展していくほど、他宗教への対応も真剣に考えて取り組んでいかなければならないと思うのであります。そしてまた、現地の信徒を他宗教からどう守っていくかということも大切なことであります。
4.海外布教研究会の構成
次に、現在進められております海外布教研究会の構成といたしましては、まず研究会は6つの分科会に分かれており、そこに研究員として16名の方に当たっていただいております。そのほかに、あと28名の担当教師乃至、海外派遣要員でもって全体が構成されております。海外派遣要員は全員、その準研究員として分科会に所属して研究に参加し、また実際の論文作成等々にも当たっていただいております。そして、一つのテーマ研究の最終段階で論文の内容を吟味するチェック班、また文章をチェックする構成班を併せて設置し、出来上がったものをそちらに回すようにいたしております。また研究会の本会議に教学部の主任に加わっていただきまして、本宗の伝統法義とのすり合わせも併せて行っております。
ちなみに、この分科会の構成と研究テーマについて申し上げますと、第一分科会は、王仏冥合・社会福祉・戦後認識、あるいはまた核兵器の廃絶であるとか、国によって徴兵制というものが残っている国もたくさんございます。そういう国における信徒の立場から、徴兵制に対してどう対応していくか。あるいは社会福祉の取り組み、日本におきましては憲法第9条について、あるいは死刑制度の廃止や葬送の自由についての見解など、政治問題やそれに付随する事柄について併せて研究してみようということになっております。
第二分科会といたしましては、臓器移植・尊厳死・遺伝子治療・脳死・生殖医療・ホスピス・環境問題など、そういった生命倫理に関わる問題を複合的に研究して、お互いの統一認識に立とうということで進めております。
第三分科会は社会文化の問題です。僧侶の肉食妻帯、最近とみに問題になってまいりました同性愛者の問題、自殺者や特にその家族に対する指導の在り方、それから菜食主義と肉食主義について、というような問題を取り上げて研究の対象としようということであります。
昔、私も海外部の仕事をさせていただいて一番初期のころに、まだ海外の出張御授戒等を全部SGIに一任した形でやっていた時に、出張御授戒の要請がありますと、その前に必ず学会の本部で打ち合わせをいたしました。その時には大体、秋谷乃至池田が最後に出てきまして、約一時間ぐらい、それぞれの各国の宗教事情とか広布の展望などといって池田の独演会みたいになりまして、本当に色々なことをしゃべっておりました。そういうなかで特に言っていたことは、「ヨーロッパに日蓮正宗のお寺を建てることは、本当にこれは不可能です。まずできません」ということまで言っていました。それから、「シンガポールであるとか台湾であるといった東南アジアにも、日蓮正宗の寺院はまず無理でしょう」と。ですから最終的には「学会でなければなりません。学会でなければできません」と、言いわけのようなことを盛んに言っておりまして、毎回そういうことを繰り返しておりました。
そこで「なぜ、そうなのか」ということを聞きますと、やはり「日蓮正宗の御僧侶は、ほとんどの方が家族を持っていらっしゃる、妻帯をしておられる。どうしてもそれがネックになって、キリスト教やあるいはその国に先に広まった様々な宗教から必ず、そこのところをあげつらわれて、日蓮正宗は堕落した宗教であるというようなことを言われ大騒ぎになって、まず御僧侶が安定した形で布教を進めるということは難しいのだ」と盛んに言っていました。したがって実際に、台湾に「日蓮正宗信徒弘法会」が出来て、これはまだ信徒の団体でありましたが、そこに一番最初に宗門の僧侶を派遣することになった時に、そういう問題も一つの考慮の対象になったわけです。そこで、最初は僧侶だけが赴任して、ある程度様子が判ってから家族を呼び寄せたらどうかというようなことも考えまして、一時、そういうことの提案も御法主上人に申し上げたこともありました。
しかし、その時に猊下がはっきりおっしやったことは、「そういう隠し立て、姑息な手段を用いて、あとから実は奥さんがいました、子供がいましたなどと連れていくような、みっともないことはよしなさい。初めから堂々と正直に家族を連れて行って、それで受け入れられないなら受け入れられないで、しょうがないじゃないか。そういう隠し立てをしないで、どこまでも宗門はきちんと正直に行きなさい」ということで、台湾の初めての赴任者に対しましても家族一同、一体となって、奥さんにも現地のメンバーに交流していただいて、また広布の片腕となって活動・活躍をしていただいたわけであります。
実際に今、ヨーロッパのスペインにも寺院が開かれて既に10年になります。あるいは台湾も先程申しましたように1ヵ寺体制から5ヵ寺の体制に急激に進展しております。シンガポールにも開妙布教所が開かれて滝川信雅師家族が赴任しておりますが、そのことが問題になって帰されるというようなことはありません。また現地の人達も奥さんにもなじんでいただき、子供も可愛がっていただいております。したがって、要は日蓮正宗の僧侶としての道念の上から正直に誠意を持って対応し、そして日蓮正宗の僧侶の活動を内側から支える寺族も現地の皆さんと共に汗を流して協力し、家族が共に懸命に努力し、またその国に一心に挺身していくならば、必ずその国の信徒からも受け入れられるということを確信する次第であります。
実際にそういうことも一時、考慮した時代もありましたけれども、今はどの国に派遣する場合でも堂々と、包み隠さずそのことを申し上げて、実際に家族のビザも取っていただいて一緒に赴任をするということにいたしております。そういう点では、どこまでも正直であって誠意を尽くせば、きちんと理解されるという一つの確信も持つ次第であります。
次の第四分科会は謗法厳誡・摂折二門・随方毘尼・四悉檀等の伝統法義に対する問題や、それらを用いた実際の海外広布の展開、さらに各宗教の研究ということを扱います。謗法厳誡をどこまで貫くことができるかということは、一つの難しい問題であります。それと同時に、キリスト教・イスラム教・ヒンズー教や、あるいはチベット仏教・タイ小乗仏教・スリランカ小乗仏教というものに対する調査研究ということも怠ることはできません。
謗法厳誡、あるいは摂折二門につきましては、よく四悉檀を用い、随方毘尼という有り難い御法門もございます。そういうものを勘案しながら、やはり本義はどこまでも曲げることはできませんけども、布教の方法としては、それぞれの国々の実状に合わせながら、穏やかに誠意を持って、諄々(じゅんじゅん)と説くことが必要な国もあれば、ある程度日本と同じように自由に展開できる国もあり、それは様々であります。しかし、いずれにしても、その国にあらぬ混乱が生じないように気をつけながら、布教を展開しているところであります。
第五分科会は、特に今日の映像時代を迎えまして、ビデオ等の視覚に訴える布教を研究テーマとしております。映像の布教研究というのは、特に海外広布の現況をビデオに収録いたしまして、これを日本の法華講の皆さん方との交流、あるいは海外信徒間の信心の深化に役立てていただければというふうに思っている次第であります。
5.研究会の進捗状況
次に、研究会の進捗状況でありますが、平成9年6月の発足以降、既に30回に及ぶ本会議を開催いたしました。また本会議に並行して、各分科会も年に3乃至、4回開催を続けております。各分科会で完成度の高いテーマ論文を作成して本会議に提出し、そこで重点的な検討も行われております。テーマの最終成果は小冊子にまとめて発行し、海外布教の現場で活用していきたいと思っております。現在のところ、ただいま申しましたように、4つのテーマが最終段階に入りまして小冊子化されております。これもさらに、もう少し検討をいたしまして、どこに出しても恥ずかしくないものに仕上げたいと思っております。
次に、テーマ別研究の成果について報告いたしますと、一つには「アジアに関する歴史認識」という問題であります。8月6日、いわゆる広島に原爆が投下された日であります。また8月15日の終戦の記念目といった時に合わせて、今年も新聞やテレビでは色々な報道がなされておりました。それらの新聞の報道や、あるいはテレビの放映の状況を見ますと、やはり原爆や戦争の悲惨さ、あるいはその時の家族の苦労などを伝えるということが番組の主眼になっておりまして、実はその前に、満州事変に始まって、日本の軍隊が東南アジア各国を戦場化し、その過程における様々な振る舞いというものに対する認識、報道というものが、どうしても欠落をしておるように思います。
やはり日本人も大きな被害者なんだという場面が強調されて、実際に、それ以前に東南アジア各国において日本が何をしてきたかという加害者の側面についての報道は、ほとんどなされないというのが現実でございます。しかし、韓国人あるいは中国人に対しましても、またシンガポールやマレーシア、特にまたフィリピンでも、そういう国にまいりますと、やはり反日感情というのは、まだまだ抜き難いものがございます。
相手は御信徒ですから日蓮正宗の信仰を全うしたいという一念があります。当然、僧侶に対する尊敬の気持ちと、僧侶からの教導を受けたいという気持ちはありますから、表面上は過去の惨状のことを、けっして口には出されません。口には出されませんけれども、やはり家族のだれかを失ったり、家族のだれかが大きく傷ついたという歴史を背負って今を生きておられますから、心の奥底において、なんらかの日本人に対する悪感情を持っているということも事実でございます。したがって私達も、そういう国に赴任して布教する場合は、やはり過去のことを懺悔し、そしてまた、そういう国の人々の痛みを理解し、分かち合うという認識をもった上から、日蓮正宗僧侶としての教導を図っていくということを、どうしても考えていかなければならないという側面があるということを知っていただきたいと思います。
中国における南京大虐殺なども、あったとかなかったとか、日本でも色々な議論があります。被害者は30万人などという報告もあり、反対にそれが大げさすぎるというような議論もあります。しかし、人数の大小はともかく、そういうことがあったのは事実であり、それを否定することはできないわけであります。そういう点で、特にアジアの人々に対しては、この日本という国は加害者であったんだということを忘れてはならないと思うのであります。また、その意識を根底にして、その国の民族の心の痛みを理解する日蓮正宗の僧侶でなかったならば、本当の温かい心の篭(こ)もった指導、教導はできないということを知っておいていただきたいと思うのであります。
日本でも最近、いわゆる従軍慰安婦の問題や、あるいは中国大陸で731部隊という部隊が細菌兵器を使って人体実験を行ったというような報道もあります。それから中国あるいは韓国の人々を強制連行して、炭坑や道路建設、鉄道建設等の厳しい労働に従事させたという問題もあります。そういうものに対する認識をきちんと持っていなければいけないし、それからアジア各国の中学校・高等学校の教科書などを見ますと、やはりそうしたある時代の日本の残虐な行為というものがきちんと載せられております。ですから、その国の子供達はそういうことを実際に学んで大きくなっております。それに対して、私達日本人のほうは、仮りに教科書にそういうことが載っていたとしても、被害者の国の教科書と比べれば、ほんのごくわずかでしかなく、歴史教育は古代から順番にやっていきますから、どうしても時間がなくなって、現代史の勉強はほとんどされていない、教育されないというのが日本の教育の現場での実状であります。
しかしアジアの国の人達は、そういう現代史を中心に勉強しているのであります。したがって、そういうことからの問いかけがあった時に、日蓮正宗僧侶としてそれを知らない、またその傷みを理解する心もないということでは、海外広布の一つの障害となりかねません。そういうことも含めて、どうか温かみのある僧侶となって、適切な指導を海外各国において展開していってもらいたいという気持ちがあり、その上からアジアに関する歴史認識ということも特に取り上げた次第でございます。
6.おわりに
そのほか、特に社会福祉の取り組みでありますが、これも実際に台湾では奨学金を授与したり、あるいは連休などを利用して公園や海岸の清掃をしたり、それから台湾の5ヵ寺のそれぞれで、信徒を含めた形で集団で献血に協力をするというようなことをやっております。
それからインドネシアでも、麻薬に犯された子供達、あるいは家出少年・不良少女というような人達を本部で60人・70人と受け入れて、その子供達を更正させて、しかも職業に就けさせる。あるいはダンスのチームとか音楽のコーラスのチームというものを作って、そういう不良少女や家出少女を更正させて、しかもそういう人達をプロのダンサーにまで教育して、実際にテレビ出演をしたり、地方公演を行ったり、また本部に生活しながら、信心活動と合わせてそうした文化活動に従事しております。
そういうことが政府に認証され、評価されて、あのような95%をイスラム教の人達が占める国にあって日蓮正宗の信仰が認められているのです。しかも仏教のなかでは、僧侶の常駐が認められているのは日蓮正宗だけであります。そういう信頼を勝ち得ることができたというのも、そういった社会貢献も一つの要因になっているということを知っていただきたいと思います。
つたない報告ではありましたけれども、海外布教研究会の現在の状況をお話し申し上げまして報告に代えさせていただく次第であります。御静聴、有り難うございました。