第67世御法主日顕上人猊下 新年の辞
大白法(法華講機関紙)版
立宗第752年・元旦、明けましておめでとうございます。全国の日蓮正宗法華講員の皆様には、一昨年の宗旨建立750年の大事業完遂に一結して精進され、また昨年は新たな目標としての「『立正安国論』正義顕揚750年」に向かって堂々たる大法弘通の出発を致された処の大仏法信受の境界より、悠々堂々、歓喜に涌く豊かな心を以て、この新年を迎えられたことと存じます。
いうまでもなく、正月とは新しい年を迎えることで、時運の大きな節目であります。特に有意義な大目的のある人生を送る方々にとって、正月は実に深い意義と希望に満ち溢れる時であります。皆様、妙法の功徳を期し、心より此の新年を祝おうではありませんか。
しかるに一度目を転ずれば、世界各国もまた我が日本社会も、六道輪廻の中に存在する種々の宗教の対立と、それに基づく憎悪と怨念による果てしない闘争と破壊の環境の中で、種々の恐怖と混乱に右往左往する状態であります。これを宇宙法界に於ける因縁果報の絶対なる正理が籠められている妙法蓮華経の大法より照らすとき、この世界がその対立と抗争から脱却できない理由は、法界の実相たる六道四聖のあり方に無知である、あらゆる指導者層の念慮の狭小によるものであり、根本的には衆生の謗法罪障の悪業によるのであります。
法界の中には、一切万物を妙化し包容する絶対の「善」の生命があると共に、これ対抗して多くの者を貪(むさぼ)りと瞋(いか)りと愚かな生命観による迷いの中に閉じ込めようとする「悪」の生命があります。これは三界中、欲界の最高の天である他化自在天、即ち第六天の魔王の支配によるものです。この欲界の衆生の特性は、元品の無明に覆われた「我」の一言に尽きます。この「我」に於ける六道一切の衆生が、相互にその立場を主張し闘わせるのです。従ってこの、「我」の解決なくして世界に於ける対立闘争を止めることはできません。
しかし、この「我」は、天下万物より私共の一人ひとりまで、すべての個性が具え、且つ執着する処です。この「我」の解決は、六道のみならず「四聖」即ち声聞・縁覺・菩薩・仏界の因縁果報を知り、それに対する正しい修行によって不思議の徳を顕すことにあります。即ち九界の迷いに仏界が具わり、仏界の悟りに九界が一体となる妙法の大真理に入ってこそ、始めてあらゆる善悪の因縁果報の浄化、即ち救済が実現します。これを悟り、その完全な法理の意義を込めた大良薬を、末法という「我」の荒れ狂う時代のために示し開かれた方が仏であり、日蓮大聖人であります。
その良薬たる妙法蓮華経の実体は「本門の本尊」であり、その本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱えるのが「本門の題目」であります。真剣に唱題を重ねるとき、謗法と個我に執われることによって起こってきた様々な苦悩が、その運びに任せ、三世の生命の上に正しく解決していきます。
「個我」によるあらゆる対立や悪念・悪業の解決、これは個人より全人類の種々の問題に至るまで、共通する命題であります。かと言って声聞や縁覺のように「我を無にする」修行は、末法の衆生には絶対にできません。我利我利の自我を捨てずして、しかも不思議な自利利他の徳を積み表す道、それは妙法不思議の謗法罪障消滅の功徳を以て行う外はありません。いわゆる広宣流布への道であり、広布への前進です。
個人としては妙法唱題に徹する処、先ず腹がすわります。命の奥に不思議な力が漲(みなぎ)ってきます。折伏やなすべき事に対しては勇気を以て奮い立ち、またある事には気を長く豊かとなり、ある時には心がしっかり落ち着き、またある時は身の程を知り自己を顧みる。その他無量の心の徳をもって対処する自由自在な境地は皆、妙法唱題によって到達する妙徳です。
大聖人様は『経王殿御返事』に、「あひかまへて御信心を出だし此の御本尊に祈念せしめ給へ。何事か成就せざるべき。『充満其願、如清涼池』『現世安穏後生善処』疑ひなからん」(御書685ページ)と仰せです。自己を救い他を救う功徳の道、妙法の実践に本年もしっかりと取り組み、来たる「立正安国論正義顕揚」の大なる目標を完遂目指して前進して参りましょう。
皆様のいよいよのご健康とご精進をお祈り申し上げ、新年の辞といたします。
大日蓮(日蓮正宗機関誌)版
立宗752年の元旦を宗内各位と共に心よりお祝い申し上げる。
本年は、「『立正安国論』正義顕揚750年」に向かっての正法広布の大前進も、いよいよ第二年目に入った次第である。そして「破邪顕正の年」と銘打ち、『立正安国論』の御指南を拝し奉ると共に、その御化導の主体として本門三大秘法の広布へ邁進すべき時である。このために尤も大切なことは、宗門僧俗の真の一致協力であると信ずる。
さて、その一致と協力は、何に依って可能であろうか。それは相互の深い信頼にある。そのためには僧侶たるもの、特に住職・主管は、大法広布への強い信念を元として、信徒への慈悲といたわり、そして大法に沿った正しく適切な教導を常に心掛けるべきである。また「維持経営ができれば、もうこれでよい」という観念が、もしあるとすれば、情けない限りである。大聖人様の大慈大悲による正法弘通に対し、もうこれ位でよかろうでは相済むまい。
世界広宣流布は、僧侶の教導が根本であるが、僧侶だけで出来るものではない。世界数十億の人口に対し、現在宗門の僧侶数を考えれば、これは自明の理である。則ち大法の興隆と広布への前進は、僧侶自らが全力を挙げて行うべきであるが、信徒間のアドバイスや激励・教示も大切であり、これらについて僧侶は好意をもって暖かく見守るべきである。広布が進み信徒数が増加すれば、個々に対する僧侶の教導には限界が生ずる。従って信徒の組織を正しく拡充してゆく必要がある。特に折伏の縁は、ほとんど信徒の方々の生活の中に存している。この意味を尊重し、広布への一体感に住しての相互の信頼と協力こそ大切である。
これらを踏まえて本年は、宗門の法華講組織内容を「宗規」に合わせて更に充実してゆくべきと考える。僧俗の真の和合の上に一層の広布の進展を計るべく、宗内諸師の協力と精進を祈り、一言、新年の辞とする。
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