大白法

平成16年2月16日号


主な記事

<1〜5面>

<6〜8面>


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全国526会場で9,800余名が初級教学試験を受験



1月25日、「破邪顕正の年」の重要行事である初級教学試験が、全国526の寺院(特設会場を含む)を会場として行われた。全国の会場で午後1時より一斉に試験が開始され、9千8百余名の受験者は60分間にわたって、日頃の教学研鐙の成果を発揮した。この試験に向けては、昨年10月、宗務院教学部の編纂による「初級教学試験設問集」(平成16年度版)が受験者に配布され、全国の各支部においては、指導教師の御尊師より設問集の「法華経の概説」から「御書要文」までの30項目について、勉強会を開いていただきながら教学の研鑽に取り組んだ。試験の問題には設問集より、「法華経の会座」「三類の強敵」「一念三千」「三大秘法」「四箇の格言」「日蓮大聖人の御事蹟」「御書要文」の7つが出題された。

教学試験会場

今回の試験では、主催者である宗務院の御指導のもと、各布教区の実行委員ならびに各支部の試験担当員が計画・準備・担当・運営に当たり、万全の体制で当日の試験に臨んだ。試験終了後、答案用紙と受験票は各試験会場から布教区の採点会場となる寺院にただちに届けられ、1月31日には宗務院教学部の「採点基準」に基づき、採点責任者である宗務支院長の指導監督のもと、各採点会場において厳正な採点が行われた。

なお、合否の通知については、3月5日までに布教区実行委員から各支部へ送付される予定であるが、今回からは合格者に対して「合格証」が発行される。このたびの試験を機に各受験者は、合否の結果にとらわれることなく、勉強会等を通じて学んだ信心の確信をもって、日々の勤行・唱題、そして折伏に励んでいくことが最も大切である。

「平成21年・『立正安国論』正義顕揚750年」を5年後に控えた本年、「破邪顕正の年」の意義の上から、御法主上人猊下の御指南のままに、自他の邪悪を破し、どこまでも妙法の正義を顕していく信行に徹してまいろうではないか。




総本山ニュース 伝統行事の寒経行われる



1年を通して最も寒い時期である1月20日から2月2日までの2週間、総本山大坊の伝統行事である「寒経」が、すべての障子戸が開けられ寒風吹き込む総本山の六壼において午後6時より行われた。

これは、大坊に在勤している所化・小僧さん方が、御僧侶として必要な正しい読経・発声・姿勢などを学び、喉を鍛えるための修行である。総本山の境内に響きわたるほどの大きな声で読経するため、2・3日もすると声が掠(かす)れて日常生活での会話も聞き取りにくくなる。この「寒経」によって、御僧侶としての読経における姿勢が錬磨されていくのである。

寒行で読経する所化小僧さん

Kangyo is held each year, from January 20th to February 2nd, for the intensive training of the student priests' voices. Each evening at 6:00 p.m. they gather to recite the Sutra with all of the windows open; letting in the harsh cold. Kangyo always falls on the Daikan, which is the coldest two weeks of the year in Japan. Through reciting the Sutra under these severe conditions, the young priests can develop the strength and clarity of their voices.





異流儀破折 『顕正寺はどうなった!?』



平成10年4月、正本堂に厳護されていた本門戒壇の大御本尊は、奉安殿へ御遷座された。この出来事に、一喜一憂した男がいた。顕正会会長・浅井昭衛である。

かねてから大御本尊が正本堂から御遷座されることをもって「御遺命守護の完結」と叫び、顕正会の年来の大目的としてきた。それが浅井にしてみれば、何の前触れもなく、大御本尊が御遷座されてしまった。慌てふためいた浅井は、この出来事を「還御(かんぎょ)」と称し、顕正会の戦いによって大御本尊を守護できたとすまし、「御遺命守護完結奉告式」なる式典を開いている。

ここにおいて、まさかの御遷座の出来事によって、組織の存在の意義を失うこと(解散)を恐れた浅井は、会員に顕正会が新しい時代に入ったなどと言って、適当にごまかしている。このことからも、大御本尊が正本堂から御遷座されないことを一番願っていたのが、実は浅井だったと言える。

なぜなら、正本堂からの御遷座など永遠にありえない事態と思えばこそ、組織を永続させるための生命線にしてきたのである。いわば一級品の御宗門誹謗ネタだ。解散の意思など、初めからあるわけがない。故に、大御本尊御遷座を聞きつけた浅井は、表面上は感涙すれども、その心中たるや、けっして穏やかでなかったに違いない。ましてや、浅井による宗門への諌暁(?)によっての御遷座でもなく、さぞやカッコもつかなかったことであろう。

もはや、本来の目的を失った浅井よ。顕正会を即刻解散させるのが筋ではないのか!


<顕正寺はどうなった?>

さて、浅井には、大御本尊御遷座に伴う組織の解散とともに、果たすべき事柄がまだある。顕正会には独自で建てた「顕正寺」という、寺まがいのものがあった。昭和53年3月に行われた同寺の落慶式で浅井は、「このお寺は誰のものでもない。(中略)御遺命守護完結のその日には、この顕正寺は時の御法主上人猊下に御供養申し上げる」(顕正新聞昭和53年3月15日号)と、実直さを装い、顕正寺の寺院規則をペラペラ喋っている。爾来20年、大御本尊は御遷座され、「御遺命守護」なるものも完結されたはずだが、浅井は顕正寺の件には何も言及せず、頬被(ほおかぶ)りを決め込んでいた。

ところが浅井は、平成14年になると、突然、顕正寺の老朽化と納骨堂の収容能力の限界を理由に、同寺の全面建て替えを「新顕正寺建設」と、ひとまず発表している。(顕正新聞平成14年5月15日号・取意)しかし、それから1年後の平成15年5月には、驚くことに顕正寺を、何食わぬ顔で「冨士大石寺顕正会・典礼院」という、納骨専門の“会館”に全面的に建て替え、寺自体を完全に消滅させたのである。これが浅井の手口である。

「これが、広宣流布に戦う唯一の仏弟子の集団・顕正会に相応しい、時に適った姿」(顕正新聞平成15年5月25日号)―――寺を壊した浅井の言い訳だ。顕正寺の実体を無くすことにより、自らの約束事も忘却の彼方へと追いやる浅井。会員を欺く姿は詐欺師も顔負けである。

浅井の納骨堂建設のカラクリは穢(けが)れている。一には、顕正寺落慶式での発言を反故(ほご)にしたことを会員にばれないよう美化し、うやむやにするため。二には、在家教団として不都合な寺院を廃棄処分できるチャンスのため。三には、組織運営に必要な財源作り。生前から予約できるこのロッカー式の使用料は、一体用が20万円、二体用が35万円らしい。会員は全員入れ、と言わんばかりの浅井の納骨ロッカー勧誘は、ハゲタカが貪(むさぼ)りつくかのようだ。

顕正会員達よ、顕正寺を消滅させた浅井昭衛に騙されるな!




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