<6〜8面>
本日は、全国の各寺院においても一斉に唱題会を執り行っております。これは、いわゆる広布のための唱題行でありますが、また、一人ひとりの僧侶ならびに信徒が、自己自身の命を本当に正しく鍛えていく行であり、それによって成仏の道につながる功徳が顕れていくという意味において、この唱題行が執り行われるのであります。
世間の多くの人は妙法の深い意義を知らないし、また信心がありません。要するに、それは自分自身の本来の在り方、深い命の真実の姿を忘れており、知らないということであります。妙法蓮華経のなかにこそ、一切の十界を具えた深い意義が、また法の姿がそのまま具わっておるのであります。南無妙法蓮華経と唱えるところに、我々の命が本来の真実の在り方としての当体を、自分自身で知ると知らざるとにかかわらず、そのままそこにはっきりと帰着し、顕れてくるのであります。それを忘れておる人々はその元を知りませんから、すなわち親を離れた浮浪児がふらふらとあてもなく漂い歩くように、元を忘れておるという姿があります。
しかし、我々は大聖人様の三大秘法の大御本尊を信じ奉り、妙法を唱えるところ、この妙法の当体を深く勉強し、修行し、そして自分自身がその元に帰ることができるのでありまして、それを知らない人は自分の尊い命の当体が何であるかということを全く知らず、また忘れておるのであります。これを法華経信解品においては、父のもとを離れて長い間、浮浪しておったところの窮子(ぐうじ)の姿として、その譬えのなかに示されておるところであります。それがいわゆる本源のところに帰って、長者の息子であったことをはっきりと自覚し、そのすべてを受け継ぐところに、その窮子が本来の命の当体を取りもどすことができたのであります。
このことは法界のすべての衆生について、この意義が言えることであります。皆さんが唱えていらっしゃる方便品の最後の所に十如是があり、その最後に、「本末究竟等」(法華経90ページ)とありますが、この本末究竟ということは十界にわたっております。すなわち地獄は地獄の衆生のなかで本末究竟し、仏界は仏界のなかで本末究竟しておりますが、本(もと)を忘れた我々の生活、命が妙法を唱えることによってそのまま仏の命としての本体、本質を自覚し、それによって本末の末のほうのあらゆる用きが顕れてくるということです。
この本末ということは、一つは体(たい)と用(ゆう)いう意味にも考えられます。体という意味においては我々の命がそのまま尊い妙法の当体であり、一念即十界互具・百界千如三千を含む深い意義を持っておるところの仏の姿であります。ただ、妙法を忘れておる人々、そしてあらゆる方便の教えに執着しておる人は、そこのところの自覚が全く出てこないのであります。しかし、本当の教えである法華経を信じ、お題目を唱えるところ、その本体がはっきりと自己自身の上に仏の当体として、おのずから感ぜられてくるところが本末究竟の本であります。それに従って、今度はその人の過去からの色々な罪業、なかには貧乏な人もあるし、病気で苦しんでおる人もあるし、そのほか様々な悩み、苦しみがありますが、それらが妙法の本体をしっかりと自覚しつつお題目を唱えるその力用において用きが顕れてくる、すなわち功徳として顕れてくるのが本末究竟の末であります。
この姿は薬王菩薩本事品において、「渡に船を得たるが如く(中略)貧しきに宝を得たるが如く」(同535ページ)と、様々な意味での功徳がたくさん説かれております。一切の人々の悩み、苦しみ、またそれによるところの願い、欲するところの心は無量でありますが、要するに、自己自身の過去の謗法の悪業によって今日の悩みがあるということをしっかり知っておけば、そこに本末究竟が常に迷いと悩みのなかで繰り返されることはなく、さらに妙法をしっかり信ずるところに、そのまま仏の体が顕れ、その体の上に用きとして、本末の末のほうの、あらゆる意味での諸願成就・罪障消滅したところの真の幸せな姿が、その人の生活、心のなかに顕れてくるのであります。ここのところを我々はしっかり見定めつつ、修行していくことが肝心であります。
さて、法門を忘れておるということを言うならば、あの創価学会はまことに根本を忘れたところの在り方であります。大聖人様は『開目抄』において、本門を忘れて迹門だけに執われ、爾前権教に執われておる者達には本無今有、有名無実という二つの失があるということを仰せになっております。特に「本無今有」というのは、「本が無くて今だけが有る」ということでありますけれども、本が無い場合は、今の状態も結局は流されて失ってしまうのであります。ちょうど、大きな雨が降ってきてあらゆる土地の上に水が一杯流れておったのが、豪雨がやめば直ちにその水はなくなってしまうように、本ということがないと、一時は非常に盛んであるようだけれども、因縁が去れば消えてしまうのであります。しかるに、泉の水はこんこんとして絶えることがありません。これを孟子という人が、「本有る者は是くの如し」と言っているように、これは日蓮正宗において大聖人様が顕された大御本尊様を根本とする三大秘法の在り方を、常に衆生に向かって説き示していかなければならないのであります。このところにこそ、我々の広宣流布へ向かっての道が存するのです。
したがって、この根本をしっかりと掴(つか)んでいくところに、必ずあらゆる人々を救っていくところの功徳が成就できるということをお互いに信じつつ、特に、本年は「破邪顕正の年」でありますから、破邪の、凶であるところの創価学会の邪義を色々な面においてはっきりと見定め、これを破折していくところに、そしてその間違った創価学会のなかに執われておる人を一人でも救っていくところに、本年度における破邪顕正の意義が存すると思うのであります。
皆様方のいよいよの自行化他の御精進を心からお祈りいたしまして、本日の唱題行における御挨拶といたします。御苦労さまでした。
6年ぶりに会ったかつての同級生の熱心な勧めにより、日蓮大聖人の崇高なるお振る舞いと仏法の透徹した道理に感嘆し、また「お金は一切かからない。功徳の体験がなければいつやめてもよい」という甘い言葉を信用して、素直に顕正会に入信してしまいました。最初は違和感を覚えた会合や活動も、しばらくすると染まってくるもので、浅井会長のアジ演説と先輩に後押しされ、21歳という多感な青年期と相侯って、顕正会こそ宗祖の御遺命を守る唯一正しい団体と信じ込み、活動に没頭するようになりました。やがて、男子部の班長、支隊長、総支隊副長と役職を与えられ、広宣流布に戦うのは顕正会しかないとの誇りと使命感のもと、「誓願」と称する勧誘ノルマを見つめ、毎日のように深夜まで活動しました。時には明け方まで及ぶこともあり、多くの人を巻き込んで、多大な迷惑をかけてしまいました。
そのような中、以前同僚だった大宣寺の法華講員・江村さんをしつこく勧誘し、入会させてしまったのでした。しかし、幸いにも江村さんは、かの独裁国家を彷彿とさせる「総幹部会」という会合に嫌悪感を示し、顕正会の経文に諸天供養がないことや大幅に簡略化された顕正会式勤行に疑問を述べ、また、ノルマ本位の強引な布教方法に呆れ果てすぐさま、顕正会を辞めていきました。このときの縁が、後に私を正法へ導く縁となったのでした。
不可能だと思っていた大御本尊御遷座が本当になってしまうと、浅井会長は宗門復帰を全く口にしなくなり、もう宗門に望むものは何もないと言いながら、かえって宗門や御法主上人に対する誹謗は激しくなり、顕正会はますますおかしな方向に走っていきました。さらに「御遺命守護完結」の暁には、今までただの管長呼ばわりしてきた御法主上人を「『日達上人・日顕上人』とお呼びさせていただく」と言っていた会長が、突如「66・67代の御相承は断絶した。しかし、血脈は断絶せず」と意味不明な事を言い出し、66、7代は歴代上人から削除せよと、それまでの自説を翻しました。そして、次々と会館が建設され、そこには元日蓮正宗僧侶から受け取ったとされる、まだ真新しく見える大幅の日布上人御書写の御形木本尊が安置されていきました。また自宅拠点に安置されていた、日達上人・日顕上人猊下御書写の本尊は、出所も真偽も不明の日寛上人の本尊に懸け替えられ、「本当に正しい御本尊なのか。なんで顕正会はこれほど御本尊を持っているのだ」と大いに不安な気持ちになりました。
それから御書講義の回数がめっきり減り、教学誌は廃刊となり、近年中に発刊予定だった御書全集も一向に発刊されず、会長ばかりが賛嘆されるようになりました。 その後、江村さんには顕正新聞を送り続けていましたが、江村さんのほうも『大白法』を送ってくるようになり、宗門動向が知りたかったので、情報として『大白法』を活用しようと読んでいました。読んで思ったことですが、浅井会長は、宗門や学会の動向について、発表の時期を遅らせたり、都合の悪い部分は知らせなかったりと、巧みに情報操作していることが判り、複雑な気持ちになりました。しかも冷静な目で両紙を比べると、顕正新聞からは大聖人様の伝統法義は薄れ、会長の絶対化ばかりが強調されるような印象を覚え、『大白法』の紙面のほうが充実しているように見え、悔しいことにかなりショックを覚えました。
ちなみに顕正新聞は顕正会唯一の機関紙ですが、値段は『大白法』の倍の200円、郵送による1年間の定期購読をほぼ義務付けられています。幹部には購読部数のノルマが課せられ、前年度の1割増しのノルマが設定されているのです。しかし、どこも退転者だらけなのに目標は下がらないので、結果として幹部が自腹を切って目標部数の辻褄合わせをしていました。入会歴の長い会員になると、1人で50部あるいは100部と、負担する部数が多く、年間1部8500円は結構な出費で、定期預金や保険を解約したり、サラ金に駆け込む人も珍しくありません。私も、入信して1年経った頃、所属していた支隊が目標部数に届かなかったため10数部も負担することとなり、それ以来着実に負担部数が増え、部屋は顕正新聞で埋もれていきました。
顕正会の活動のことですが、多くの組織が、以前にも増して成果だけが目的といった傾向に走り、その場だけ試しに勤行に参加した人も、「入信報告書」という書類に勝手に名前を記入され、入信者扱いされます。入信者が育とうが育つまいが、あくまで成果第一主義でしたので、相手の納得など二の次で、「とにかくやればわかる」「まず試してみろ」「やり方を覚えてみよう」と一度でも勤行させることに執着します。
私の家は自宅拠点といって、顕正会の入信勤行を行う場になっていました。私の家は、他の組織もよく利用していたため、いろいろな現場を目の当たりにしました。「これより入信勤行を始めます」と言った瞬間、「試そうと言われただけです。なんで入信なんですか」と困惑する人や、入信勤行が終わった途端数珠をつき返す人も少なくなく、また、玄関の表に「お守り」を置き、勤行が終わった途端に「お守り」を返してと言う人、強引に連れてこられたのか隙を見て逃げ出す人などなど、どこの組織もほとんどが、「入信報告書」を隠して入信勤行を行っていました。顕正会は、死亡しても脱会のないシステムなので、会員数に引き算がなく、実態のない会員が増え続けていきます。成果に追われているため、深夜や明け方に「入信勤行をやらせてください」と頼まれることもありました。活動している人の気持ちは痛いほど判るので断れず、日頃の勧誘活動と相侯って、慢性の睡眠不足に悩まされました。会社に遅刻や突然の有休を取ったりと、やればやるほど経済的にも肉体的にも支障をきたしていきましたが、邪教の洗脳とは恐ろしいもので、これもすべて広宣流布のため、成仏のためなのだと耐えていました。他の拠点責任者の中に、相次ぐ深夜の入信勤行の攻勢に夜逃げ同然に去ってしまった人が、私の知る限りでも3人程いました。
今思えば、どれも血脈の切れた本尊の害毒が原因だったと思います。魔の入った本尊は、正常な感覚を失わせます。勧誘のためならすべてを犠牲にし、無理な活動から組織ぐるみで借金を重ねる組織もありました。このような状態でも、罰や無間地獄という呪縛に縛られ、生活はすべて顕正会一色とされ、会に対して疑問を抱けないようにマインドコントロールされていきます。
国立戒壇論と12年間やっていた固執により、なかなか踏ん切りがつきませんでしたが、法義上の誤りを知りながら支隊長として指揮を執ることに、ついに耐え切れなくなり、ようやく観念して江村さんに電話をしました。今までの非礼を詫びて素直に話を聞こうと、妻と共に大宣寺に何度か連れて行ってもらいました。お寺の方々の様子や、御住職・菅野日龍御尊能化、大竹副講頭からお話を伺う中、浅井会長に植え付けられてきた誤解や偏見がなくなりました。そして、意を決して顕正会での役職の辞退を上長に申し出ましたが、「役職を降ろしたら退転するのだろう」と断られました。ならば強行突破との思いで、一切の連絡を遮断しました。非礼だとは思いましたが、独裁国家からの亡命にも似た気持ちでした。
その中、私を心配して、支隊員であり班長だった細沼さんとその班員の茂木さんが訪ねてくれました。私が顕正会の誤りを破折していくと、たちまちに動執生疑を起こし、その晩二人は眠れなかったそうです。そして妻と細沼さんと茂木さんをお寺にお連れして、御住職様に折伏していただいたところ、素直に決心し、私を含めた全員で御授戒を受けることが叶いました。ようやくの思いで正法に縁することができ、長年心を覆い尽くしていた雲が、一気に晴れる思いでした。その後、上長と話しましたが法義上の話はほとんどできず、学会による宗門誹誘を踏襲しただけの浅井会長の受け売り宗門誹謗や、「貴様は無間地獄へ堕ちる」と連発され、情けなくなりました。
そしてたった一本の電話により除名が告げられました。上長から、これで貴様は無間地獄確定だと言われ、一方的に電話を切られました。除名の理由は、「広宣流布の暁に建立する御遺命の本門寺の戒壇に対して、義はともかくとして何故『国立戒壇』の名称の用否に拘(こだわ)る必要があるのか」と私が述べ、「国立戒壇」という言葉の要否だけを論じたことに対して、なぜかそれが御遺命否定とみなされました。これが顕正会の実態でした。国家を救うなどと表では嘯きながら、無慈悲な組織の実態を最後に見せてもらい、長かった顕正会の呪縛がようやく解けました。このことを御住職様にご報告申し上げたところ、「除名になったのか。よかったじゃないか」と喜んでくださいました。
今は、かつての苦悩に沈んだ生活から開放され、妻共々、正法に浴せる生活に感謝の思いで一杯です。以前は、朝が来ることがとても重く苦しく、なかなか布団から出られませんでしたが、御授戒を受けてからは、平日は五時きっかりに起きることができ、御給仕を申し上げ、歓喜の中、五座の勤行を申し上げ、御書の数ページを拝読してから出勤しています。以前は、朝は定時ギリギリに会社に駆け込み、「朝は遅く、帰りは早い」などと椰揄され、仕事上のミスを連発していました。しかし、今は30分前には出社し、落ち着いて意欲的に仕事に取り組めるようになりました。そして、常にイライラしっ放しだった気持ちも、驚く程、穏やかになった気がします。回り道をしましたが、正法に巡り合えた感激は言葉に尽くせぬ有り難さです。
また、肝心の折伏ですが、細沼さんと共に顕正会時代の同志を折伏していたとき、今は私や柿沼さんと会うだけで、何らかの処分があると脅されていることを聞きました。しかし、例え何年かかろうと正法に縁させるべく御祈念申し上げ、かつての同志を折伏しきらんと決意しています。申し訳なくもたいへんな罪障を積んでしまいましたが、下種三宝様に心から懺悔申し上げ、自身の罪障消滅をかけて折伏の列に連なり、「破邪顕正の年」の決意とさせていただきます。
院第3742号
平成16年2月26日
宗 内 一 般
日 蓮 正 宗 宗 務 院 [印]
写真偽造事件裁判 ― 最高裁が宗門に上告棄却の不当決定
「御法主上人(個人)に対する名誉毀損を認めながら、日蓮正宗・大石寺(宗門)
に対する名誉段損には当たらない」との常識はずれの高裁判決を黙過した怠慢決定
去る2月14日、写真偽造事件において最高裁判所第三小法廷(金谷利廣裁判長)は、日蓮正宗
と大石寺の上告を棄却する不当な決定を下しました。
本件は、そもそも宗門僧侶2名が自らの古稀記念祝賀会に、御法主日顕上人猊下を含む僧侶11
名、夫人8名を招待し開催された際の写真を、恰も御法主上人お独りがいわゆる『芸者遊び』をし
ているかのように意図的に加工を施し、これに極言した侮辱的大見出しを付けて悪質な誹謗中傷記
事に仕立て上げ、平成4年11月に2回にわたって『創価新報』において大捏造報道を行い、その
後も大々的に名誉毀損報道を繰り返した創価学会特有の悪質極まりない事件であります。
これに対し、日蓮正宗及び大石寺は、平成5年5月、右名誉毀損報道により布教妨害等、多大な
損害を被ったため、真実を明らかにするとともに、煽動・加担した池田大作および創価学会の違法
を断罪するべく、謝罪広告と損害賠償等の支払いを命ずる判決を求め提訴しました。
東京地裁―池田大作と創価学会に損害賠償命令
第一審東京地裁(平成11年12月6日判決)は、『創価新報』の写真が創価学会によって加工
された御法主上人への「人身攻撃」であり、「宗教関係者も世間一般の社会ルールを守るべきは当
然のことである」と認定して、御法主上人を含む宗門に対する名誉毀損を認め勝訴判決を下しまし
た。
これに対し、創価学会が控訴したところ、東京高裁(平成12年12月5日判決)も、創価学会
が偽造した写真を「写真を見た者に対し、阿部日顕一人が酒席で芸者遊びをしているとの実際の状
況とは異なった印象を抱かせるのに十分であり、これをもって客観的な報道ということはできず、
修正の限度を超えている」と認定し、さらに、『創価新報』の記事は、「正当な言論や評論の域を
超え、単に阿部日顕を揶揄し、誹謗、中傷するものとして、違法性を有するものというべきである」
として、御法主上人に対する名誉段損が成立することを明確に認定し、創価学会の違法行為を厳し
く断罪しました。
東京高裁―肩すかしの不当判決
しかしながら、他方で東京高裁は、この報道は御法主上人個人に向けられたものであるから、
「これをもって直ちに、被控訴人両名(日蓮正宗・大石寺)に対する不法行為に該当するというこ
とはできない」との奇妙な理屈を持ち出して、結論的には日蓮正宗・大石寺の請求を棄却するとい
う不当判決を下したのであります。
およそ御法主上人に対する名誉段損があれば、それは即、日蓮正宗・大石寺に対する名誉段損で
あることは誰の目にも明らかなことであります。この高裁判決の持ち出した理屈は、たまたま御法
主上人個人が原告に入っていなかったというだけで、宗門(日蓮正宗・大石寺〉の請求を認めない
というものであり、これは裁判所という余りにも世間の常識から隔絶した、閉ざされた特異な世界
でしか通用しない理屈であります。
創価学会の行為は御法主上人に対する名誉殿損であるが、日蓮正宗・大石寺に対しては、何の責
任も取らなくてよいというのですから、あきれる外はありません。当然のことながら、宗門は、断
固とした決意をもって上告をなし、最高裁(上告審)において、次のように堂々たる主張を展開し
ました。すなわち、
@ 日蓮正宗における御法主上人は、教義・信仰上の最高指導者であると同時に宗教法人の代表者
であり、一般の法人、他の宗教団体以上に密接であること、
A そして日蓮正宗・大石寺(宗門)自体の社会的評価を貶めるためには、御法主上人の「醜聞」
を撒き散らすことが最も効果的であり、平成3年以降、創価学会が御法主上人に対してなしてき
た数々の名誉毀損行為も、その為であり、創価学会は日蓮正宗の信徒団体として、日蓮正宗の法
主の権能、尊崇さを具に見てきているが故に、その効果を熟知したうえでなされているものであ
り、一層悪質であること、
B さらにこれ程の害意ある悪質な名誉殿損行為につき、教団としての是正処置・名誉回復処置を
求められないのであれば、宗教活動は著しく制限されてしまうこと、
などを指摘し、高裁判決の不当性を追及したのです。
最高裁―非常識な怠慢決定
ところが最高裁は、宗門側の上告理由を受理してから、約3年もの期間を徒に空費した挙げ句、
不当にも宗門側の主張を実質的に顧慮することなく、僅か数行の文章をもって、単に宗門側の主張
が憲法違反等の上告理由に当たらないとの形式的理由を示しただけで、宗門側の上告を棄却したの
です。
最高裁が非常識な高裁判決を目前にしながら、これを真摯に見直そうとしなかったことは明白で、
これはまさに怠慢決定という外ありません。そして、結果的に、創価学会の反社会的行為を免責し、
このような違法行為を行った集団を、いわば野放しにしてしまったものです。
池田創価学会―“実質敗訴”を誤魔化した報道
創価学会は、この決定を受け、いつものように大々的報道を行っておりますが、『創価新報』に
掲載された報道が、「客観的な報道ということはできず、修正の限度を超えている」との高裁認定
があるにも拘わらず、これを「2枚の写真を一部修正して」と誤魔化し、また、「阿部日顕の資質
を追及した学会の正しさが改めて法廷の場で明白になった」とか「公正な論評だ」などと喧伝して
います。
しかし、高裁判決は前記のとおり、「控訴人(創価学会)らが主張するような日蓮正宗の宗教上
の教義に関わる問題や阿部日顕の宗教的聖性についての論争、さらには、正当な言論や評論の域を
超え、単に阿部日顕を揶揄し、誹謗、中傷するものとして、違法性を有するものというべきである」
としており、創価学会が御法主上人に対して行った報道が違法行為であったことを明確に断罪して
いるのですから、創価学会が現在行っている喧伝がまっかなウソであることは明らかです。
宗内各位には、本件写真偽造事件に限らず、内容では実質的に負けておりながら、たまたま結果
として勝訴したことのみを強調し、中身をすりかえるという創価学会の欺瞞的な常套手段に惑わさ
れることなく、宗門の正義を持って断固として破折せられるように願います。
以 上
皆さん、おはようございます。ただいまは総本山客殿において、3月度の広布唱題会を執り行った次第であります。
大宣寺支部・大野勝保
私は、昨年の10月18日に御授戒を受けました。それまでは、かって日蓮正宗の一法華講でありながら総本山から解散除名処分を受けた妙信講が、後に改称した顕正会に、12年間籍を置き、活動していました。私の家では、祖父が昭和28年に日蓮正宗に入信し、昭和50年に他界するまで創価学会で活躍していたそうです。両親は入信していたものの、あまり熱心ではなく、祖父の死を機に創価学会をやめ、日蓮正宗の信仰とは全く無縁の状態となりました。そして平成3年4月に私は再び御本尊様と縁をすることとなりましたが、それは顕正会だったのです。
そして平成10年、本門戒壇の大御本尊様が正本堂より奉安殿に御遷座されると、顕正会では「御遺命守護完結」として歓喜に沸きました。ちなみに当初、「御遺命守護完結」とは、大御本尊御遷座の他、宗門に国立戒壇論が蘇り顕正会が宗門復帰することを意味し、晴れて御登山が叶うとされていました。しかしこれら会員の夢だったことが反故にされたのは申すまでもなく、釈然としない気持ちが残りました。そのようなときに、江村さんと再会しました。江村さんは、元顕正会員で現在、法華講妙観講支部の渡辺雄二氏の著書『顕正会からの脱出』を元に、顕正会の誤りを破折してきたのですが、私は話を全く聞こうとせず猛反発し、顕正会の自説を一方的にまくしたて、勝ち鬨(どき)をあげるといった始末でした。
しかし、法華講員と対論をすると、いつも釈然としない気持ちが残るのです。いくら一方的に顕正会の正当性を訴えても、客観性がなければ破折もできないと思い、今まで浅井会長を中心として法門を見ていましたが、初めてそのフィルターを外して、客観的に見てみようと思いました。インターネット等を通じていろいろと調べたところ、御本尊の件や戒壇論も含め、顕正会の理論はもう破綻していると認めざるをえませんでした。「時間の無駄だから法論は回避せよ」との幹部からの指示の理由が判り、それまでの疑問が氷解し、顕正会はただの新興宗教でしかないことが判明していきました。そして、顕正会はもう日蓮正宗には戻れないだろうと思わざるをえませんでした。
そして12年間、夢にまで見た登山が叶いました。大石寺に足を踏み入れ、山内に一歩一歩足を進めると、ようやく正法にたどり着いた感激は、言葉に尽くせませんでした。すばらしい山内を見学させていただいた後、御開扉を受け、本門戒壇の大御本尊様と御法主上人猊下を直に拝したときには、いろいろな思いが一気にこみ上げ、有り難さと申し訳なさで胸が一杯となりました。そして帰りに書籍類をたくさん買い込みました。比べるのも恐れ多いのですが、書籍類の内容の充実、深さ、判り易さは、顕正会のそれとは、当たり前ながら全く比較にならず、初歩的なことや基本的な事柄も、法華講に入って初めて知ったことが多々あります。
※この原稿は本行寺支部の大嶋さんの御協力により転載いたしました。