大白法

平成16年4月1日号


主な記事

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春季総登山会・法華講連合会第41回総会

春季総登山会

御命題に向かう2年目「破邪顕正の年」の春季総登山会が、3月27・28日の2日間にわたって行われ、一泊・日帰り合わせて2万9千8百余名が桜花の開き始めた総本山に参詣した。一泊の登山者は、27日午後7時から客殿において行われた御法主日顕上人猊下の御講義に参加した。翌28日には法華講連合会第41回総会が御法主上人猊下御臨席のもと開催され、これには藤本日潤総監・大村日統教学部長・早瀬日如庶務部長・八木日照大石寺主任理事・尾林日至海外部長の各御尊能化、宗務院各部の部長・副部長をはじめとする御尊師方が御出席された。また、法華講総講頭の柳沢委員長、大講頭の石毛副委員長・永井藤蔵氏・渡辺定元氏・石渡秀男氏・河原昭太郎氏・大草一男氏並びに全地方部長と共に、すべての登山者が広布坊をはじめ各会場で参加した。

On the two days of March 27 and 28, the Hokkeko Federations Spring General Tozan was held at Taisekiji. More than 29,800 believers visited the Head Temple for the early spring Tozan to be granted the Gokaihi Ceremony. Hokkeko's Fife and Drum Corps gathered from all over Japan to parade from the Tatchu Pathway through the Sanmon Gate to the front of the Kofubo on the second day before and after the 41st Hokkeko Federation's General Meeting was held.


☆ 法華講講頭会を開催 ☆

春季総登山会1日目の27日、御開扉に続いて午後3時より法華講講頭会が、御法主日顕上人猊下御臨席のもと総本山の大書院で行われた。これには、法華講本部指導教師の、藤本総監・大村教学部長・早瀬庶務部長の各御尊能化をはじめ、講頭会会長・柳沢総講頭、同副会長・石毛大講頭、永井・渡辺・石渡・河原・大草の各大講頭、法華講本部の下条幹事、そして全国各法華講支部の講頭558名(代理含む)が出席した。

From 3 p.m. on March 27, there was a meeting of the Hokkeko lay-believer leaders at the Great Drawing Room of the Head Temple, with all the lay-believer leaders gathering from each local temple of Nichiren Shoshu across the nation.

講頭会

はじめに講頭会会長・副会長の紹介が行われた後、審議に先立ち、御法主上人猊下より御指南があった。御法主上人猊下は講頭会について、日蓮正宗宗制及び宗規における法華講講頭会の項目について御指南あそばされ、数十年ぶりに行われる講頭会を機に法華講が名実ともに充実を図り、広布へ大前進していくことを望まれた。続いて、本部指導教師を代表して藤本総監が挨拶に立たれ、御法主上人猊下の御指南に副(そ)い奉る御奉公に徹し、もって支部講頭としての責務を全うすることを望まれた。また、柳沢会長は、「『立正安国論』正義顕揚750年」ヘの御命題実現のため、地涌の流類の自覚のもと、さらなる広布への決意を、と話した。

ここで、御法主上人猊下・本部指導教師がいったん退席され、審議に移った。審議では、はじめに柳沢会長が挨拶し、@講中に関する事項、A宗門の維持経営に関する事項、B興学布教その他に関する事項について、各支部講頭から意見が種々出された。この中で、「宗門の維持経営のための御供養」について活発な発言があり、審議を経て、恒常的な形で御供養を行うことが賛同者多数により議決された。さらに、数項目の報告事項がまとめられた。ここで、再び御法主上人猊下・本部指導教師が席に着かれた。柳沢会長から審議結果の報告が行われ、御法主上人猊下より御言葉を賜り、午後5時50分に終了した。


○ 御法主上人猊下御言葉(総会の砌)

日蓮正宗法華講連合会第41回総会が、満天下、雲のない晴天に恵まれ、このように盛大に執り行われましたことを心からお喜び申し上げます。おめでとうございます。

ただいまは、妙縁寺の信徒の方、持経寺の信徒の方、そしてまた大講頭2名の方より、体験発表・決意発表がありましたが、それを承っておりまして、私は実に感銘いたした次第であります。特に体験発表では、あらゆる悩みや苦しみを乗り越え、確固たる信念・確信のもとに唱題を重ねて、周りの人々をことごとく正法に導き、お互いに真の正法による和楽の家庭を建設し、さらにまた、その功徳に基づいて折伏を進めている姿をうかがったのであります。また、その間、筆舌に尽くせない苦労のなかに大きな功徳があったということも承り、まさに御本仏大聖人様の御指南による三大秘法の大功徳は絶対に誤りのないところであることを私は感じさせていただきました。たいへん有り難く存ずる次第であります。

また、ただいまのお話に対する皆様方の拍手からも、皆様方も一人が一人を折伏すべく、しっかり唱題をしつつ、正しい人生の確固たる道を開いていこうということを、心から決意されておられることを感ずるのであります。したがって、皆様方の信心については、私もこれ以上、申し上げることはないように思うのであります。そこで本日は、最近の宗門の状況に関して申し上げます。

猊下登壇

全国の寺院において、法華講の各支部がありますが、その支部にはそれぞれ講頭・副講頭・幹事・会計という役員の方がおられます。そのなかで特に講頭という職務の方はその講を代表する、また講全体を責任を持って指導していくような、各支部にとっての重大な責務を担っております。また、宗門の「宗制・宗規」、特に「宗規」の規定のなかにおいて「講頭会」が行われるようになっておりました。しかし、それが色々な実状上、今までほとんど行われていなかったのであります。

この規定が出来たのが昭和22年でありまして、既に50数年が経っております。それから2・3年経った時に2・3回行われ、さらに昭和37年にも1回行われたような記憶がありますが、それからあとは行われておりません。昭和39年に、前に解体をいたしました大客殿の落慶式の時に、あの時の状況において御先師日達上人より創価学会の会長である池田大作に対して、法華講総講頭の辞令が与えられたのであります。しかしながら、その後、創価学会の特殊な状況もありまして、すなわち実質的な形で講頭会を行うような状況ではなかったために、そのようなことが行われなかったのであります。しかしながら、最近、特に僧俗が真に一致したところの法華講の前進が平成2年、平成6年、平成10年、平成14年の4回にわたって、しかも不思議にも4年ごとの節目をもった大行事が行われ、その大前進が図られてきたのであります。

今日はいよいよ真の僧俗一致のもとに、「平成21年・『立正安国論』正義顕揚750年」に向かっての大前進をお互いに切磋琢磨しつつ、精進しておる姿があるのであります。このような時機におきまして、今まで行われておりませんでしたが、「宗規」にのっとって講頭会を開会するということを決めたのであります。そして、数十年間、一遍も行われなかった講頭会が、いわゆる全国の法華講支部の講頭の方々を集めて、昨日、大書院において開催された次第であります。

講頭会の審議事項といたしましては、一つには講中に関する問題があります。これは日蓮正宗の広宣流布に向かって前進する基本の形における単位が、それぞれの寺院における法華講であります。いわゆる結成された支部の存在としての法華講であり、これには御承知のようにその寺院・教会の住職・主管が一人ずつおりますから、これが指導教師となっておるのであります。そして、そのもとに「規約」が作られ、講頭・副講頭等の役員が決まっております。ですから、この講中がしっかりとした力を持って信心根本に広宣流布に向かって前進をし、折伏をする講中としての在り方がなければ、広宣流布の道はけっして開かれないのであります。

したがって、こうして法華講連合会としての集まりがあって、そのなかの大きな雰囲気のもとに正法護持興隆の志を皆様方一人ひとりがお持ちになりましても、また元の講中の所にお帰りになりますと、何かその講中に存在しておるところの、立派な講中でない内容のものが少しでも残っておりますと、そのなかに入って、つい信心が緩くなり、また懈怠が生じ、様々な内容においてその講中の発展が自ら阻害されていくような形が存在するのであります。

故に、どのような講中においても、たとえそれが30〜50人の小さな講中から、2千〜5千人等の大きな講中に至るまで、どれ一つを取っても、この講中はいい加減でよいということはけっしてありません。どのような講中も、大聖人様の御命に基づいたところの自行化他の信心がなければなりません。それを命題として、講中の中心となる講頭の方々がしっかりこの面を自覚しつつ、講頭としての職務を果たしていかれるという意味において、第一の審議の内容として「講中に関する事項」が存するのであります。

第二番目が「宗門の維持経営に関する事項」であります。これは当然、総本山をはじめ末寺の各々が、信徒の方々の葬祭追福その他、志のある御供養等をお受けいたして御本尊様をお護り申し上げ、宗門乃至寺院の維持経営に当たっておるのであります。しかしながら今日、色々な問題が起こってきております。すなわち、総本山においても年限を経た堂宇が多くあり、末寺においてもそれぞれの建物が年限を経るにしたがって、あるいは雨漏りがし、あるいは色々な所が壊れたり、様々な状況も起ってきております。御本尊様をお護りする上においで、これらもきちんと整備整頓していく必要があります。

その他、ありとあらゆる面で創価学会の誹謗の姿があります。特に、前から色々な問題がありまして、これに対して宗門はきちんとした対処をしてまいりましたが、彼らがありとあらゆる問題について、いわゆるでっち上げて、裁判を起こしてくるのであります。その心根は、裁判を起こすことによって宗門をあたふたと対応させて、それによって宗門の経済力を悉く削っていこうという、彼らの悪心によるのであります。しかし、これらに対しても宗門は今まで、実に長い間、本当に正しい対処をしてまいりました。その結果、彼らが提起したほとんどの裁判は、全部ではありませんが、一部は当然、裁判官の誤認識等がありまして、こちらの主張が通らなかったことがありますけれども、80%ほどは宗門が勝利しております。これは宗門の本来の在り方が、正々堂々とした正義に基づいておるということが、はっきりと感ぜられるのであります。

そういう点であらゆる経費が色々とありますし、これからも様々な問題が起こってくると思いますけれども、宗門が未来末法万年に向かって、力強い正法広布の大前進を続けていく上におきましては、真に僧俗が一つとなり、そしてまた信徒の方々がその志を一つにして、いわゆる宗門に対するところの色々な意味での維持経営に関する御協力が幾分でも願えればということが、その内容であります。したがって「宗門の維持経営に関する事項」というのが、その審議内容のなかに入っております。

三番目には「興学布教」ということが謳(うた)われておりまして、これを申し上げれば長くなり、時間もありませんので省略いたしますが、皆様方が先般、初級の教学試験をお受けになりました。それらのこと、その他、色々な面における興学布教の一環として、折伏等の問題も含めての内容として「興学布教」というものがあるのであります。

講頭会では、主にこの3点についての審議を行っていくことになっております。また、この講頭会は毎年1回行うということになっておりましたが、最近の「宗規」改正によって「1回以上」ということにして、必要に応じては1年に数回開くこともできるということにいたしたのであります。

境内梅

そのようなことで、この講頭会が昨日行われまして、それに関して講頭の方々からも色々な審議があったようであります。講頭会は、要するに信徒の方々の盛り上がりによる決議でありますから、僧侶は座を外して、その場におりませんでした。そして、総講頭・柳沢喜惣次氏を会長として以下、全国の講頭・5百数十人の方々によって、色々な面から審議された次第であります。このことは各講中で色々な機会において発表され、それに基づいての在り方を皆様方も聞かれることと思うのであります。この講頭会は古来、宗門において「宗規」に定まっておったことであり、これはまた、宗門の末法万年における広布大前進のための、僧俗一致の内容を審議していくのであるということを、御理解いただきたいと思うのであります。

少し話が遅れましたが、しばらく前から総講頭1人、大講頭1人が任命されておりました。また、法華講には本部と支部があります。法華講本部は総本山に置きます。そして、その本部の内容は、「総講頭1人、大講頭若干人、幹事若干人、会計2人」となっておりますから、先般、大講頭を5名増員して、1名から6名にしたのであります。さらに幹事を1名任命して、本部組織としての運営・活動が充分に行われるような人事を配置したつもりであります。これは、これからもさらに色々な面で、充実・拡充していくことも必要かと思っております。

そのようなことですが、その在り方について、「では、法華講連合会は一体どうなるのか」というようなことをお考えになっていらっしゃる方があるようにも伺いました。これは全く杞憂(きゆう)であります。講頭会は講頭会としての在り方があって、それを具体的な形で推し進めたに過ぎません。さらに、法華講連合会は戦後以来の長い歴史を持っており、特に近年において連合会の「規約」というものが出来まして、その「規約」が微に入り細を穿(うが)つような形でしっかりとしたものになっております。それに基づいて、柳沢氏を連合会の委員長として、そのほかの役員の方々、また地方部においては地方部長以下の各役職の方々がおられまして、そして連合会としての「規約」に基づいて、宗門の護持と広宣流布への前進、具体的には総本山における年に数回にわたる色々な趣旨の参詣等があるのであります。

特に法華講30万総登山あるいは奉安堂建立というような大事業が平成14年において立派に完遂できましたのは、いわゆる法華講連合会の方々のあらゆる組織を挙ぜての、打って一丸となった協力、支援、態勢による成果であります。私は法華講連合会の方々には、その組織と実践について本当に有り難く思っておるのであります。本日ここに、これだけの方々がお集まりになっており、さらにはあちらこちらの会場の方々も合わせて、約3万人の信徒の方々が連合会春季総登山会としておいでになっております。この在り方は実に尊いものであり、講頭会とはまた違った意味で、宗門の僧俗一致、和合団結によるところの広布への大前進を実際に推進していく具体的な形としての団体という意味において、法華講連合会の存在意義は、これから未来にわたって絶対に存するのであります。これからもいよいよ連合会の立派な団結と活動を心から願う次第であります。したがって、連合会は講頭会とそこになんら抵触するものではありません。

また、連合会の役員や地方部長等の方々によって中央教議会、地方教議会等が行われております。多くの方はこのことについてあまり御存じではないかも知れませんが、そういう在り方についても、講頭会は講頭会、また連合会の在り方は連合会の在り方としての、僧俗の真の和合をきたしていく上における前進の態勢なのでありまして、今後も行っていくということであります。

以上、連合会と講頭会等のことについて少々申し上げましたが、皆様方がこうしておいでになるのも、連合会の大きな用きの上において、本日ここに御登山をされておるのでありますから、その意味において宗門の組織の在り方がこのようであるということを、それぞれ認識していただいて、信心の上にしっかりと了承していただくことが肝要と思うのであります。

鼓笛演奏(法安堂前)

さて、色々と申し上げましたが、せっかくここに立ちましたので、先程の話を承っておりまして私が感じたことを少々申し上げます。それは『当流行事抄』のなかの唱題篇において、日寛上人が『大乗起信論』の内容の意を取って、「一には根本を信じ、二には仏宝を信じ、三には法宝を信じ、四には僧宝を信ず」(六巻抄194ページ)と引かれてあります。この「根本」ということについては、色々な面から拝せられるのであり表す。

これについて簡単に申し上げますと、大聖人様の『三大秘法抄』という御書があります。この御書は弘安5年4月にお示しになっておりまして、いわゆる大聖人様が御入滅あそばされた年であります。この御書の中に、「此の法門を書き付けて留め置かずんば、門家の遺弟等定めて無慈悲の讒言(ざんげん)を加ふべし。其の後は何と悔ゆとも叶ふまじきと存する間貴辺に対し書き遺し候。一見の後は秘して他見有るべからず、口外も詮無し。法華経を諸仏出世の一大事と説かせ給ひて侯は、此の三大秘法を含めたる経にて渡らせ給へばなり」(御書1595ページ)という御文があります。この「三大秘法」は大聖人様の御化導の根本中心でありますが、その全貌を本当に根本のところから、先程申したところの「根本を信じ」という、その根本のところからはっきりとお示しになった御書が『三大秘法抄』であります。

その冒頭にも示されておりますように、釈尊は四十余年間の方便教を説かれたのち、真実の法華経を説かれました。いわゆる迹門から進んで本門を説かれましたが、末法の衆生を導くために地涌の菩薩を呼びいだされたのが、本門の最初の従地涌出品第十五であります。それから寿量品という大法をお説きになったのちに、本門八品の流通(るつう)の化導の括(くく)りとして神力品第二十一を説かれましたが、この品において不思議な付嘱がありました。これは御承知と思いますが、「如来の一切の所有の法、如来の一切の自在の神力、如来の一切の秘要の蔵、如来の一切の甚深の事、皆此の経に於て宣示顕説す」(法華経513ページ)とお説きになっております。

このなかの「如来の一切の所有の法」とは、如来の一切の法の名前を示されておるのであります。これはすなわち「妙法蓮華経」なのです。一代諸経ことごとく妙法蓮華経、という意味があるのです。しかしながら、その肝要を論ずるならば、法華経二十八品のなかの事の法華経として迹門の方便品、本門の寿量品が存し、そのさらに根本としては、久遠の本源のところにおいて仏様が唱(しょう)された妙法蓮華経の五字が存するのであります。これは『総勘文抄』等にもそのところの御当体を、大聖人様にして初めてはっきりと御指南あそばされておるのであります。その意味での「如来の一切の所有の法」であります。

そのあとに「如来の一切の自在の神力、如来の一切の秘要の蔵、如来の一切の甚深の事」とありますが、これは妙法蓮華経の用きと、実体と、因果の理法すなわち即身成仏の宗を示されており、その意味において述べられておるのが、この「四句の要法」であります。これについては、「妙法蓮華経」ということだけを一往、天台・妙楽も言っておられます。しかしながら、その妙法蓮華経が一体どこに存しておるかという根本については述べておりません。いわゆる「根本を信じ」ということがありましたが、その根本を述べられたのは大聖人様以外におわしません。

歴史上、法華経を信じ、学び、色々な面で学説を立てた人は実にたくさんあります。何百人・何千人とあるのです。そのなかの一番の中心者が天台や伝教でありますが、この方々も述べることができませんでした。これは付嘱を受けた上行菩薩が末法に現実に御出現して、これはまた『観心本尊抄』において明らかに地涌の菩薩の出現、すなわち現実のこの土における出現を述べられておりますが、その出現の上からこれをお示しになるのが大聖人様の一代の御弘通であり、その最後の帰結として、『三大秘法抄』の最初に「四句の要法」を挙げられたあと、「釈尊初成道より、四味三教乃至法華経の広開三顕一の席を立ちて、略開近顕遠を説かせ給ひし涌出品まで秘せさせ給ひし処の、実相証得の当初修行し給ふ処の寿量品の本尊と戒壇と題目の五字なり」(御書1593ページ)ということをお示しであります。

「釈尊初成道」つまり、華厳経を説かれた30歳の成道の時より、「四味三教」すなわち、四味は華厳・阿含・方等・般若等の法華経以前のあらゆる経典のことであり、三教は円教を除く蔵・通・別を言うのであります。また「法華経の広開三顕一の席」とは迹門の化導を指しますが、その迹門十四品はもちろんのこと、「略開近顕遠を説かせ給ひし涌出品まで秘せさせ」られたということからも、本門に入ってもまた、寿量品を説かれるまでの間は、すべて秘されておったということが明らかです。

その寿量品において説かれたのは久遠本果の法門であると同時に、さらにその根本に久遠元初本因妙の法体が存することを仰せになっておるのであります。本因妙というのは修行なのでありますが、仏様は絶対に揺るがないもので立派な方ですから、ただ座って法を説かれるものだと思っている人が、世の中にはたくさんいるのです。けれどもそうではなく、大聖人様が「実相証得の当初修行し給ふ処の寿量品の本尊と戒壇と題目の五字」と仰せのように、久遠元初の仏様は修行をされたのです。そこに即身成仏の大法が存するのであります。ですから、行ということが仏法の一切であるけれども、その根本の法体において、修行が存するということをお示しになったのが『三大秘法抄』の最初の御文であります。

したがって、その根本を信じ、そして仏を信じ、僧を信ずるということは、この根本のところをはっきりと拝して、そこから今末法に久遠元初の根本の本因妙の三宝が出現するのであるということをお示しになっているのであります。また、そのことをしっかりとお受けあそばされたのが、第二祖日興上人でありまして、いわゆる久遠元初の仏法僧がそのまま末法に移されて、ここに唯授一人の法の上から末法万年の一切衆生を導く法体として顕れたのであります。

この『三大秘法抄』にはさらに戒壇についての甚深の御指南がありますが、これについては省略いたします。それから戒壇の御指南の前の所で、本門の題目についてお示しであります。これは皆さんも御承知のとおり、「今日蓮が唱ふる所の題目は前代に異なり、自行化他に亘りて南無妙法蓮華経なり」(同1594ページ)という御指南であります。すなわち、天台、伝教等は自行だけでしたが、末法においては自行と化他がそのまま本門の題目なのです。これは大聖人様の下種仏法にしか存しないのであります。

故に、僧侶がまず、自行化他の題目を行うべきであります。しかし、僧侶だけではなく、ここにおいでになる信徒皆様方一人ひとりがすべて自行化他の題目を行じていくところに、大聖人様の御仏意に適う所以であり、即身成仏の大法の実践が存するのであります。

先程からの色々な発表のなかにおいても、折伏の尊さが実証されておることは皆様方も聞かれたと思います。お題目をしっかり唱えることにおいて、皆様方一人ひとりの生活のなかにおけるあらゆる問題が正しく解決いたします。これは私がはっきりと申し上げるものであります。また、その功徳の確信を持って、必ず一人から一人へ向かって化他の題目、すなわちお題目を唱えることが大切だということを勧め、教えていくことが、いわゆる自行化他にわたっての題目であります。

先程、発表された立派な体験を持った方々がおられますが、皆様方一人ひとりもまた尊い体験をお持ちだと思います。もし、まだそういう体験がない方は、仏法を本当に真剣に行じて、体験が得られるように心に入れていただきたいと思うのであります。「平成21年・『立正安国論』正義顕揚750年」に向かって、皆様方が一致団結して正法興隆のため、いよいよ御精進あそばされることを心よりお祈りいたしまして、私の言葉に代える次第であります。大変おめでとうございました。



○ 御法主上人猊下御言葉(講頭会の砌)

宗門は現在、「平成21年『立正安国論』正義顕揚750年」に向かって、僧俗一致して広布への前進に全力を挙げつつあります。このような時機に当たりまして、従来、「宗規」上には存在しておりましたが、実質的な形で行われたことがなかったところの「講頭会」という行事を今回、名実ともに充実した意義・内容をもってここに開催することができました。これは仏祖三宝尊の尊い御照覧・御加護の賜物であり、また宗内僧俗の一致団結したところの正義顕揚の御奉公の結果によるものと存ずるのであります。そこで今回、講頭会を開くに当たり、皆様方にさらに認識を深めていただきたいという意味から、少々時間をお借りしまして、これから講頭会を中心とした宗門の在り方の内容を申し上げたいと思うのであります。

申すまでもなく、各寺院あるいは教会において、その檀信徒によって法華講支部が結成されているのでありますが、その支部には当然「規約」があり、その上から講頭・副講頭・幹事・会計等があって運営が行われているというわけで、これはもう講頭の皆様は御承知のことと思います。しかし、その法華講支部が連合会のほうから見て誤解がある場合があります。これはついでで申し上げておくのですが、法華講の支部はあくまで「宗制・宗規」によるところの法華講支部であります。それに対して、連合会はその「規約」としては作られておりますけれども、直ちに「宗制・宗規」によるところの存在ではないのです。そこのところを誤解しておる人がありまして、法華講支部が集まって地方部になり、地方部が連合会を構成しているのであるから、組織的に連合会の下に地方部があり、地方部の下に各支部があるというような形で考え、したがって法華講支部には日蓮正宗の僧侶が住職・指導教師としてきちんと存するにもかかわらず、その僧侶までが地方部長の下にあるというような、そこまで徹底してはいないかも知れませんが、そのような意識を持っておる人が、ままあるのではないかと思われます。それは大きな間違いであります。


連合会は、たしかに有意義な意味で今まで宗門に色々な功績を尽くしてくれましたし、まして、この講頭会が始まったことによってどうこうされるようなものではなく、連合会は連合会として従来どおりに機能し、活動していくのであります。これはまた、そこにも誤解がないようにしていただきたいと思います。

では、「この講頭会はいったい何なのか」というように、皆様方の考えのなかにおいて認識が不充分であるといけませんので、それについて少々申し上げたいと思います。それについては、少し元のほうからの話になりますが、日蓮正宗に「宗制・宗規」というものがあり、その「宗制・宗規」に基づいて日蓮正宗の行事内容その他、布教等におけるすべてが運営されておるのであります。これはちょうど国家に憲法があり、あるいは様々な法律があって、それに基づいて色々なことが行われるのと全く同じであります。

現在、「宗教法人法」が国家の法律において定められておりまして、日本国に存在する宗教はことごとく「宗教法人法」のもとにおいて、法人としての資格を取っておるのであります。そして、それぞれの宗教団体は内容的には色々と趣旨が違っておりますから、そのそれぞれの趣意に基づいて「宗教法人法」の範囲のなかで、それぞれが古来の教え、あるいは伝統に基づいた形での基本的な規定を作っております。それが日蓮正宗の場合は「日蓮正宗宗制」というものです。この「宗制」が基本になっております。そして、その「宗制」に基づいた色々な細かい規定、具体均な規定が「宗規」になっておるのであります。ですから「宗制」と「宗規」の2つがありまして、「宗制」に基づいた実際の運用面については、「宗規」で定められた内容において行われておるという次第であります。

その「宗制」は第七章までありますが、そのうちの第五章に「日蓮正宗法華講」という規定があります。ここが日蓮正宗の法華講、すなわち皆様方の法華講支部も含めての一切の元なのです。これは「宗制」の第五十八条でもあります。つまり法華講は、本宗の寺院・教会に所属しておるところの「檀徒」の方と「信徒」の方、すなわち「檀信徒」を総括しておるのであります。ついでに申し上げますと、檀徒と信徒の区別については以前、葬祭追福を依託するのが檀徒であり、それを依託はしないが、信心等において自由に参詣してその信行を増進するというのが信徒というように分けられておったのです。しかし、これは実際問題としては不適当でありますので、規定は、檀徒・信徒と名前は違っておりますが、内容は一つになっております。よって、檀徒および信徒を総括したものを法華溝とするのであります。

次に、法華講には本部と支部があるということです。今は法華講連合会と言っていますけれども、昔は連合会中央の委員長以下役員の事務所を「本部、本部」と言っているような時期がありました。しかし、本部というものはなかったのです。ですから現在は本部という名称は使っていないはずです。また「宗規」による法華講本部と混同してしまいますから、本部と言ってはおかしいのです。ですから連合会は本部ではなく、あくまで連合会です。

この法華講の本部・支部の規定は、既に昭和16年に制定した「宗制・宗規」にきちんと謳われております。ですから明治33年に「宗制寺法」が認可されて以来、もちろん徳川時代には各宗ともに「宗制・宗規」などというものはなく、その後明治時代になってから宗派が分裂を繰り返している形のなかで、それがだいたい安定した時期において「宗制」等が出来てきたのであります。それはともかく、昭和16年の「宗制・宗規」に法華講の本部・支部の規定がありますから、これは古いものなのであり、最近作ったものではないのです。

さて、この第百五十八条には、大講頭は「若干人」とあるのです。顧みれば、池田大作が総講頭になっていた時代がありました。これは当時の実状上、日達上人が宗内全体の広布へ向かっての前進の態勢の上に、適切と思われる考えを採られたのです。ただし、はっきり言えば、創価学会の在り方はそれ自体が特殊だったのです。あのような別個の宗教法人としての特殊な在り方でしたから、大作をそのまま法華講の総講頭という立場にしてありましたけれども、それを実質的に運用していたならば、日蓮正宗に昔からあった法華講が全部、創価学会のなかに入ってしまってめちゃくちゃな形になってしまったことでしょう。日達上人もそのことはよく御覧になっていたと思います。しかしながら当時の実状上、昭和39年4月に池田を総講頭に任命され、その後昭和40年に白木薫次・森田悌二・田中正一などの学会大幹部と、法華講からは1人だけ平沢益吉という人が大講頭に任命されました。

しかしその後、池田大作ら本部役員はいても講頭会は開かれなかったのです。もし、開いていたら今は大変なことになっていて、どうにもこうにも取り返しのつかない状況になっていたと思います。ですから当時の実状上、やむをえず池田大作を総講頭にはしましたけれども、講頭会を開かない、また実際に講頭会としての上からの宗門の活動等を行うことをしなかったのであります。

タンポポ

しかし今回、私はその時機が来たと判断いたしまして、総講頭は柳沢喜惣次氏に前から決まっておりましたが、大講頭は石毛寅松氏1人でありましたので、「宗規」の「大講頭 若干人」という条文の上からも増員をいたしまして、先般、石毛氏以外に5人を任命して6人とした次第であります。 また「幹事 若干人」につきましては、現在は1人ですが、これも将釆は増員する必要もあるかと思っております。それから「会計 二人」となっております。これについては、現在はまだ決まっておりませんが、そろそろ決めていく必要もあると思っております。ただ、幹事、会計は適当な人事によって任命することになると思うのであります。以上が本部についての条項であります。

次に第百五十九条、本部の役員ですが、「第百五十九条 本部の役員は、本宗の檀信徒の、うちから総監の意見を徴して管長が任免する。」ということになっております。これは総講頭・大講頭・幹事・会計の、本部の役員についてのことです。そして、「2 総講頭は、全国法華講を代表し、講務を掌理する。」とあります。ですから、総講頭の任務は法華講を代表すると同時に、日蓮正宗法華講全体の講務を掌理するということであります。また、「3 総講頭の任期は五年とし、総講頭以外の本部の役員の任期は三年とする。但し、再任を妨げない。」とありますが、以前の「宗規」には総講頭の任期はなかったのです。そこには、「総講頭の退職した者を名誉総講頭と称する。」という規定がありましたけれども、退職しなければ終身、総講頭になっているというような形で、あの池田大作が総講頭だった時はそうだったのです。しかしこれは不合理であり、総講頭といえども任期を付けるべきであるということの上から、任期を付けて明文化いたしました。そして、その「附則」によって池田大作等が一旦その資格を喪失するという形になりました。これは平成2年12月の終わりの宗会による議決によってそうなったのであります。ですから総講頭は5年で、それ以外の本部役員は3年の任期に改正されたのであります。

次に、「4 補欠の本部の役員の任期は、前任者の残任期間とする。」、「5 本部の役員は、辞任又は任期満了その他の事由によって欠けたときは、同時にその資格を失う。」。これは通常のとおりの規定であります。それから、「6 支部の役員の選任方法及び任期は、各支部の規約による。」と、このようになっております。各支部においてそれぞれ規約が出来ておるのは、皆さん方も講頭として御承知のとおりだと思います。

次に、「第百六十条 本部及び支部は、それぞれ規約を定めて講中を運営する。」、「第百六十一条 本部に指導教師三人を、支部に指導教師一人を置き、指導監督に当たる。」、となっております。また、その但項二に、「2 本部の指導教師は、教師のうちから管長が任免し、その任期は三年とする。但し、再任を妨げない。」とあります。今まで本部の役員は、総講頭1人、大講頭1人でしたが、今回、本部の組織をきちんといたしました。したがって、今後、色々な面から本部の活動ということも考えられますので、先般、改めて指導教師を任命したのであります。それが今、こちらにおりますが、藤本総監、大村教学部長、それから早瀬庶務部長の3人を、条文に「本部に指導教師三人を」となっておるとおり、本部の指導教師に任命いたしました。


次が、今回皆様方にお集まりをいただいた「第四節 講頭会」という規定であります。これは第三節の「日蓮正宗法華講」の規定から引き続きまして、第四節として講頭会の規定が載っておるのであります。

「第百六十五条 法華講の本部の役員及び支部の講頭で講頭会を聞く。」つまり「法華講の本部の役員」と言いますと、総講頭・大講頭等です。それから「支部の講頭」というのは本日お集まりになった皆様方です。この方々によって講頭会を聞くということになっております。

「第百六十六条 講頭会は、総講頭を会長とし、大講頭又は講頭のうちから副会長一人を管長が任免する。」これが先程、司会から皆様に御披露いたしましたが、本日の講頭会において、その会長として柳沢総講頭、副会長として石毛大講頭をそれぞれ任命したという次第であります。しかし、これはずっと存続するということではないのです。講頭会が開かれる時に、その都度、その日の講頭会の会長となり、副会長となるという意味ですから、任命されたから講頭会の会長がずっと続くという意味ではありません。

次に第百六十七条。ここが一番大事なところなのです。「第百六十七条 講頭会は、左に掲げる事項を審議し、必要により宗務院に建議する。」とあります。これは、講頭会は会長が総講頭でもありますから、今、私が話しており、そのあと総監からも話がありますが、それに続く講頭会の実際の審議では、私どもは退席いたします。僧侶は退席いたしまして、総講頭が会長となり、司会を下条幹事が務めると思いますが、皆様方の充分な意見をそこに出していただくということになると思うのです。そういう意味で信徒の方々、総講頭・大講頭、それから講頭の全部の御意見が色々と出てきて、そこにいわゆる大事な問題を審議していくということであります。そして「ある問題をどうしても宗務院に建議したい。こういうようにしていただきたい」というようなことが議決されれば、宗務院に建議することもできるということになっております。

その内容といたしましては3つあります。「一 講中に関する事項」。この「講中」でありますが、全体的に見れば日蓮正宗法華講そのものが講中と言えます。それからまた、支部で言うならば、皆様方一人ひとりの支部がその講中に当たるのです。そして皆様方一人ひとりの法華講支部において大事なことは、なんといっても、いわゆる「前進する法華講」、「折伏や育成をしっかり行っていく法華講」、「正法正義をしっかり弘宣していけるところの法華講」であり、これが日蓮正宗法華講としての本来の在り方であります。ですから、そういう在り方になっていただきたいし、また講頭の方々にはその中心者として講中をまとめ、指導していくような意味においての自覚を持って御奉公していっていただきたいのであります。その上からも、講頭という自覚において、それぞれの講中というものをよく御覧になっていただきたいし、また自分のところの講中が、大聖人様の教えを正しく受けたところの檀信徒として立派に御奉公、いわゆる正法正義についての前進ができていけるかということを考えて進んでいただきたいのであります。そういうことから、この「講中」ということに関して、総講頭・大講頭、それから各支部講頭の皆様によってなんらかの意見があればそれを審議していただくと、こういうことであります。すなわち、第一は「講中に関する事項」ということになります。

次は、「二 宗門の維持経営に関する事項」となっております。これは先般来、宗旨建立750年の大行事におきましては、色々な法要がありましたし、また「法華講30万総登山」という大法要も立派に完遂できました。そしてまた、奉安堂の建立その他、種々の記念事業が行われましたが、それらについてかなりの資金が必要でありました。これについては、宗門のなかで各寺・教会がありますが、その寺院・教会に蓄積してあった資金のなかからも、かなりの額を醵出(きょしゅつ)してもらったのです。それからまた、日蓮正宗の檀信徒の皆様からも実に多大の御供養を、3年にわたってしていただきました。それによって実に立派な奉安堂が完成し、宗旨建立750年の一切の記念事業が完遂したのであります。そういう点では皆様方から多大な御供養の御奉公をいただき有り難く存じております。しかしながら、実はこれからまた、今後の宗門においても色々な状況があるのであります。

一つには、総本山における諸堂宇についてであります。もちろん、新しい建物はその心配はありませんが、古い建物などは長い経過のなかで修理の必要が出てまいりまして、それらの補修等にかなりの費用もかかるのであります。また、日蓮正宗には600に近い末寺がありますが、古い寺院がかなりあります。そういう寺院のなかで、自力で一切がまかなえる寺院も、もちろんあります。しかし、そうでない寺院も実はあるのです。はっきり言いますと、このなかに30世帯、50世帯ぐらいの寺院の講頭さんも来ていらっしゃると思います。そういう寺院の場合は、大きな傷み等が出てきますと、その補修等においてどうしてもその寺院の力だけではできないのです。ですから、その実状を僧侶が宗務院に訴えてまいります。宗務院ではその状況をよく見た上で、色々な面から調査して無理のないところで、できるかぎり当該寺院の僧侶ならびに信徒の方々の御奉公による補修等もするように指導いたしますけれども、どうしてもできない場合は、さらにその上に宗門のほうで補助をするということも出てくるのであります。これも現在、実際にあちらこちらの寺院で行っております。それから、実際に経常経費のなかにおいては様々な事業等もありますし、それらにおいて一口にはとても言えないような様々な出費が当然、あるのであります。

そういうところから今日、宗門においては、総本山をはじめ末寺においても、檀信徒の参詣等の御供養等でまかなっておりますけれども、宗門の広宣流布へ向かっての足腰の強い堂々たる前進をしていく上におきましては、なんらかの意味で信徒の方々が、本当に無理のない意味で、御信心の上から、そこにやや恒常的な意味で宗門の維持経営のための御供養をしていただければ非常に有り難いと思うのであります。宗門は、皆様の御供養の上に乗っかって贅沢するなどということは絶対にありません。これだけは是非、信頼していただきたい。創価学会は今、色々な悪口を言っておりますけれども、これは悪口を言わんがための彼らの徹底した誹謗なのです。そのようなことは絶対にありませんから、この講頭会においても「宗門の維持経営に関する事項」を審議することが規定されてありますので、この際、こういった面においても賢明なる御勘考のもとに、なんらかの対策をお願いできればたいへん有り難いと思うのであります。

それから、講頭会で審議する内容の3番目として、「三 興学布教その他に関する事項」とあります。この「興学」ということについてですが、大聖人様の、「在家の御身は、但余念なく南無妙法蓮華経と御唱へありて、僧をも供養し給ふが肝心にて候なり」(御書1051ページ) という御指南もあり、信徒は専ら行だけあればよいと考える方も多いかと思います。しかしながら信徒の方々も、僧侶ほど専門的ではないにしても、ある程度、大聖人様の仏法というものの内容・意義を勉強し掴んでいくという面において、この興学が必要かと思うのであります。

宗門の僧侶のほうは、実は御承知でない方もあると思いますが、ここに本部の指導教師の大村教学部長もおりますけれども、毎年、教師講習会は必ず行っております。そのほか、大学科の課程を修了して一人前の教師になってから、さらに富士学林の研究科という勉学機関がありまして、そこで12年間勉強しなければならないのです。その12年間のなかには試験もあるのです。それから論文は毎年あるのです。その年々に出された論題について、論文を書かなければならないのであります。そのなかの優秀論文は教師講習会のなかで発表するような形もあります。それから特に『六巻抄』についての試験が毎年一つずつ、徹底した形での厳しい試験が行われております。さらに日寛上人の「御筆記」等も出ましたので、そのほうからの試験も拡張していく動きもありまして、とにかく12年間、教師になってからも勉強するのです。しかも教師全体が「僧侶は死ぬまで勉強である」という意味から、興学に常に励むということがモットーになっておるのでありまして、これに基づいて行っております。

しかし、在家の方はとにかく信心肝要で、在家の御身は在家の仕事にお忙しい意味がありますから、とても僧侶のようにはできません。けれども分々に行っていかれるということは大事だと思います。そういう意味で、各末寺での勉強会とか、それから御講参詣なども大切でございますし、そのほか色々な意味で、考えようによっては様々な興学の内容があると思います。したがって、講頭等の方々には、それに関して充分な認識と御理解をいただいて、御自分のみならず、講員全体の興学の向上ということをお考えいただくということも大事だと思うのであります。また、その方法論としてどういうものがあるか、もしあれば、それについても審議において意見を開陳されることも結構だと思います。

次に「布教」ですが、この布教ということにつきましては、これは僧俗が打って一丸となって正法正義を弘通していくということ、すなわち、皆様方御承知のとおりの「折伏」であります。たしかに布教師が色々な場所において講演をするということもございます。今日でも連合会の地方部の集まりなどでは僧侶が講演をしておることもあるかと思いますが、そういう意味での布教ということも当然ありますけれども、これに関しても、もし御意見があれば承って結構であります。さらに各講中単位における布教というものは、あくまでその支部のなかにおけるところの折伏弘通・育成というこが大事だと思うのであります。折伏をしても、育成というものがきちんと行われていかなければなりません。折伏ばかろどんどん進んでも、折伏しただけであとは空(くう)になって消えてしまうようなことを、たまには聞くのです。これではいけないと思います。その辺についても講頭さんが、折伏と同時にきちんとした育成を行っていく形を、責任を持って監視しながら、指導教師の指導を受けつつ、御自身もまたそれについて充分な認識と実践をしていただくことが大切かと思うのであります。そういう意味で、この「興学布教」ということがございます。

もう一遍、申し上げますと、「一 講中に関する事項、 二 宗門の維持経営に関する事項、 三 興学布教その他に関する事項」という、この3つでありますが、よく考えてみますと、日蓮正宗の在り方において、特に講中の在り方において、全部がこの3つに括られておるのです。先程も言ったとおり、これは最近作ったものではないのです。昭和22年のことですから、現に50数年も前からのことでありますが、これはよく掴んだものと思います。このなかに一切が篭められておるのです。我々が大聖人様の大法を広宣流布するために御奉公していく内容が網羅されておるような感じがあるのです。


次に、「第百六十八条 講頭会は、毎年一回総本山において開会する。」とあります。が、この条項を今度は改正しました。従来は「毎年」もなにも、長い間ほとんど開かれなかったのですけれども、開会するとしても「毎年一回」となっていたのです。もっとも基本的には1年に1回のつもりですが、場合によっては必要に応じて2回行いたいという場合も出てきますので、ここに毎年1回「以上」という言葉を入れたのであります。これは先般の宗会における「宗規」改正で行われまして、そうなりました。よって「講頭会は、毎年一回以上総本山において開会する。」ということになりました。しかし、基本的には1回であります。

そして、講頭会に関する条項の最後に、「第百六十九条 講頭会の議事は、出席講頭数の過半数で決する。」とありますが、これは議決の問題です。本日の講頭会で半数以上の方が不賛成であれば、仮に案が出されたとしても、これは否決されます。半数以上の方が賛成であれば、それは決するということになるのであります。

以上が法華講に関する「宗制」と「宗規」の内容であります。これについて、実は皆様方は「講頭会を突然開催して、いったい何を考えているのだろう」というように思われるかも知れませんが、基本になる「宗制・宗規」において既に「講頭会」というものもきちんと存在しておりますし、これはむしろ行うべきことであったのが、時期がまだ来ないために手が付けられなかったのであります。まさにこれから「平成21年『立正安国論』正義顕揚750年」に向かって、その第2年目として前進をする本年において、この講頭会を開いて日蓮正宗の法華講が名実ともにその充実を図り、もって広布への大前進を行っていきたいということの気持ちの上から、ここに講頭会が開催されるという次第であります。

以上、長々と申し上げましたが、だいたいの御理解を贈ったことと思います。講頭の皆様にはよろしくお願いいたしたいと思います。御静聴、たいへん御苦労さまでございました。


(講頭会の審議が終了したあと、再度、御法主上人より御指南を賜る。)


ただいま、総講頭から審議の結果について簡略なお話がありました。この話をうかがっておりまして、皆様も大変お忙しいなか、ここにお集まりいただき、長時間にわたって色々と審議をされまして、たいへん御苦労に存じます。宗門のこれからの広布への大前進の上に、力強い前進を続けていく上におきましても、これから色々な面でお互いに考えていかなければならないことも多々あると思います。

今回は第1回の講頭会でありましたが、これから毎年1回は必ず行うことにもなります。皆さん方もこういうことを1回経験されましたので、次の講頭会においては、どのような面について建設的な意味で審議の内容として諮(はか)ってみようというようなお考えが出る方もあると思います。講頭会において、総講頭以下の全講頭が正法広宣流布のため、また、それぞれの信行の上から大きな功徳を積んでいく上において「大聖人様の仏法のなかにおける成仏の境界をお互いに正しく受けきっていくのである」というような気持ちで、今後とも御精進願いたいのであります。その意味におきまして、今回は第1回でありましたが、さらに皆様方の御協カを心からお願いをする次第であります。本日はたいへん御苦労さまでした。

※このご指南は本行寺支部の柳沢信行さんのご協力で掲載いたしました。




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