先程、発表された立派な体験を持った方々がおられますが、皆様方一人ひとりもまた尊い体験をお持ちだと思います。もし、まだそういう体験がない方は、仏法を本当に真剣に行じて、体験が得られるように心に入れていただきたいと思うのであります。「平成21年・『立正安国論』正義顕揚750年」に向かって、皆様方が一致団結して正法興隆のため、いよいよ御精進あそばされることを心よりお祈りいたしまして、私の言葉に代える次第であります。大変おめでとうございました。
○ 御法主上人猊下御言葉(講頭会の砌)
宗門は現在、「平成21年『立正安国論』正義顕揚750年」に向かって、僧俗一致して広布への前進に全力を挙げつつあります。このような時機に当たりまして、従来、「宗規」上には存在しておりましたが、実質的な形で行われたことがなかったところの「講頭会」という行事を今回、名実ともに充実した意義・内容をもってここに開催することができました。これは仏祖三宝尊の尊い御照覧・御加護の賜物であり、また宗内僧俗の一致団結したところの正義顕揚の御奉公の結果によるものと存ずるのであります。そこで今回、講頭会を開くに当たり、皆様方にさらに認識を深めていただきたいという意味から、少々時間をお借りしまして、これから講頭会を中心とした宗門の在り方の内容を申し上げたいと思うのであります。
申すまでもなく、各寺院あるいは教会において、その檀信徒によって法華講支部が結成されているのでありますが、その支部には当然「規約」があり、その上から講頭・副講頭・幹事・会計等があって運営が行われているというわけで、これはもう講頭の皆様は御承知のことと思います。しかし、その法華講支部が連合会のほうから見て誤解がある場合があります。これはついでで申し上げておくのですが、法華講の支部はあくまで「宗制・宗規」によるところの法華講支部であります。それに対して、連合会はその「規約」としては作られておりますけれども、直ちに「宗制・宗規」によるところの存在ではないのです。そこのところを誤解しておる人がありまして、法華講支部が集まって地方部になり、地方部が連合会を構成しているのであるから、組織的に連合会の下に地方部があり、地方部の下に各支部があるというような形で考え、したがって法華講支部には日蓮正宗の僧侶が住職・指導教師としてきちんと存するにもかかわらず、その僧侶までが地方部長の下にあるというような、そこまで徹底してはいないかも知れませんが、そのような意識を持っておる人が、ままあるのではないかと思われます。それは大きな間違いであります。
連合会は、たしかに有意義な意味で今まで宗門に色々な功績を尽くしてくれましたし、まして、この講頭会が始まったことによってどうこうされるようなものではなく、連合会は連合会として従来どおりに機能し、活動していくのであります。これはまた、そこにも誤解がないようにしていただきたいと思います。
では、「この講頭会はいったい何なのか」というように、皆様方の考えのなかにおいて認識が不充分であるといけませんので、それについて少々申し上げたいと思います。それについては、少し元のほうからの話になりますが、日蓮正宗に「宗制・宗規」というものがあり、その「宗制・宗規」に基づいて日蓮正宗の行事内容その他、布教等におけるすべてが運営されておるのであります。これはちょうど国家に憲法があり、あるいは様々な法律があって、それに基づいて色々なことが行われるのと全く同じであります。
現在、「宗教法人法」が国家の法律において定められておりまして、日本国に存在する宗教はことごとく「宗教法人法」のもとにおいて、法人としての資格を取っておるのであります。そして、それぞれの宗教団体は内容的には色々と趣旨が違っておりますから、そのそれぞれの趣意に基づいて「宗教法人法」の範囲のなかで、それぞれが古来の教え、あるいは伝統に基づいた形での基本的な規定を作っております。それが日蓮正宗の場合は「日蓮正宗宗制」というものです。この「宗制」が基本になっております。そして、その「宗制」に基づいた色々な細かい規定、具体均な規定が「宗規」になっておるのであります。ですから「宗制」と「宗規」の2つがありまして、「宗制」に基づいた実際の運用面については、「宗規」で定められた内容において行われておるという次第であります。
その「宗制」は第七章までありますが、そのうちの第五章に「日蓮正宗法華講」という規定があります。ここが日蓮正宗の法華講、すなわち皆様方の法華講支部も含めての一切の元なのです。これは「宗制」の第五十八条でもあります。つまり法華講は、本宗の寺院・教会に所属しておるところの「檀徒」の方と「信徒」の方、すなわち「檀信徒」を総括しておるのであります。ついでに申し上げますと、檀徒と信徒の区別については以前、葬祭追福を依託するのが檀徒であり、それを依託はしないが、信心等において自由に参詣してその信行を増進するというのが信徒というように分けられておったのです。しかし、これは実際問題としては不適当でありますので、規定は、檀徒・信徒と名前は違っておりますが、内容は一つになっております。よって、檀徒および信徒を総括したものを法華溝とするのであります。
次に、法華講には本部と支部があるということです。今は法華講連合会と言っていますけれども、昔は連合会中央の委員長以下役員の事務所を「本部、本部」と言っているような時期がありました。しかし、本部というものはなかったのです。ですから現在は本部という名称は使っていないはずです。また「宗規」による法華講本部と混同してしまいますから、本部と言ってはおかしいのです。ですから連合会は本部ではなく、あくまで連合会です。
この法華講の本部・支部の規定は、既に昭和16年に制定した「宗制・宗規」にきちんと謳われております。ですから明治33年に「宗制寺法」が認可されて以来、もちろん徳川時代には各宗ともに「宗制・宗規」などというものはなく、その後明治時代になってから宗派が分裂を繰り返している形のなかで、それがだいたい安定した時期において「宗制」等が出来てきたのであります。それはともかく、昭和16年の「宗制・宗規」に法華講の本部・支部の規定がありますから、これは古いものなのであり、最近作ったものではないのです。
さて、この第百五十八条には、大講頭は「若干人」とあるのです。顧みれば、池田大作が総講頭になっていた時代がありました。これは当時の実状上、日達上人が宗内全体の広布へ向かっての前進の態勢の上に、適切と思われる考えを採られたのです。ただし、はっきり言えば、創価学会の在り方はそれ自体が特殊だったのです。あのような別個の宗教法人としての特殊な在り方でしたから、大作をそのまま法華講の総講頭という立場にしてありましたけれども、それを実質的に運用していたならば、日蓮正宗に昔からあった法華講が全部、創価学会のなかに入ってしまってめちゃくちゃな形になってしまったことでしょう。日達上人もそのことはよく御覧になっていたと思います。しかしながら当時の実状上、昭和39年4月に池田を総講頭に任命され、その後昭和40年に白木薫次・森田悌二・田中正一などの学会大幹部と、法華講からは1人だけ平沢益吉という人が大講頭に任命されました。
しかしその後、池田大作ら本部役員はいても講頭会は開かれなかったのです。もし、開いていたら今は大変なことになっていて、どうにもこうにも取り返しのつかない状況になっていたと思います。ですから当時の実状上、やむをえず池田大作を総講頭にはしましたけれども、講頭会を開かない、また実際に講頭会としての上からの宗門の活動等を行うことをしなかったのであります。
しかし今回、私はその時機が来たと判断いたしまして、総講頭は柳沢喜惣次氏に前から決まっておりましたが、大講頭は石毛寅松氏1人でありましたので、「宗規」の「大講頭 若干人」という条文の上からも増員をいたしまして、先般、石毛氏以外に5人を任命して6人とした次第であります。 また「幹事 若干人」につきましては、現在は1人ですが、これも将釆は増員する必要もあるかと思っております。それから「会計 二人」となっております。これについては、現在はまだ決まっておりませんが、そろそろ決めていく必要もあると思っております。ただ、幹事、会計は適当な人事によって任命することになると思うのであります。以上が本部についての条項であります。
次に第百五十九条、本部の役員ですが、「第百五十九条 本部の役員は、本宗の檀信徒の、うちから総監の意見を徴して管長が任免する。」ということになっております。これは総講頭・大講頭・幹事・会計の、本部の役員についてのことです。そして、「2 総講頭は、全国法華講を代表し、講務を掌理する。」とあります。ですから、総講頭の任務は法華講を代表すると同時に、日蓮正宗法華講全体の講務を掌理するということであります。また、「3 総講頭の任期は五年とし、総講頭以外の本部の役員の任期は三年とする。但し、再任を妨げない。」とありますが、以前の「宗規」には総講頭の任期はなかったのです。そこには、「総講頭の退職した者を名誉総講頭と称する。」という規定がありましたけれども、退職しなければ終身、総講頭になっているというような形で、あの池田大作が総講頭だった時はそうだったのです。しかしこれは不合理であり、総講頭といえども任期を付けるべきであるということの上から、任期を付けて明文化いたしました。そして、その「附則」によって池田大作等が一旦その資格を喪失するという形になりました。これは平成2年12月の終わりの宗会による議決によってそうなったのであります。ですから総講頭は5年で、それ以外の本部役員は3年の任期に改正されたのであります。
次に、「4 補欠の本部の役員の任期は、前任者の残任期間とする。」、「5 本部の役員は、辞任又は任期満了その他の事由によって欠けたときは、同時にその資格を失う。」。これは通常のとおりの規定であります。それから、「6 支部の役員の選任方法及び任期は、各支部の規約による。」と、このようになっております。各支部においてそれぞれ規約が出来ておるのは、皆さん方も講頭として御承知のとおりだと思います。
次に、「第百六十条 本部及び支部は、それぞれ規約を定めて講中を運営する。」、「第百六十一条 本部に指導教師三人を、支部に指導教師一人を置き、指導監督に当たる。」、となっております。また、その但項二に、「2 本部の指導教師は、教師のうちから管長が任免し、その任期は三年とする。但し、再任を妨げない。」とあります。今まで本部の役員は、総講頭1人、大講頭1人でしたが、今回、本部の組織をきちんといたしました。したがって、今後、色々な面から本部の活動ということも考えられますので、先般、改めて指導教師を任命したのであります。それが今、こちらにおりますが、藤本総監、大村教学部長、それから早瀬庶務部長の3人を、条文に「本部に指導教師三人を」となっておるとおり、本部の指導教師に任命いたしました。
次が、今回皆様方にお集まりをいただいた「第四節 講頭会」という規定であります。これは第三節の「日蓮正宗法華講」の規定から引き続きまして、第四節として講頭会の規定が載っておるのであります。
「第百六十五条 法華講の本部の役員及び支部の講頭で講頭会を聞く。」つまり「法華講の本部の役員」と言いますと、総講頭・大講頭等です。それから「支部の講頭」というのは本日お集まりになった皆様方です。この方々によって講頭会を聞くということになっております。
「第百六十六条 講頭会は、総講頭を会長とし、大講頭又は講頭のうちから副会長一人を管長が任免する。」これが先程、司会から皆様に御披露いたしましたが、本日の講頭会において、その会長として柳沢総講頭、副会長として石毛大講頭をそれぞれ任命したという次第であります。しかし、これはずっと存続するということではないのです。講頭会が開かれる時に、その都度、その日の講頭会の会長となり、副会長となるという意味ですから、任命されたから講頭会の会長がずっと続くという意味ではありません。
次に第百六十七条。ここが一番大事なところなのです。「第百六十七条 講頭会は、左に掲げる事項を審議し、必要により宗務院に建議する。」とあります。これは、講頭会は会長が総講頭でもありますから、今、私が話しており、そのあと総監からも話がありますが、それに続く講頭会の実際の審議では、私どもは退席いたします。僧侶は退席いたしまして、総講頭が会長となり、司会を下条幹事が務めると思いますが、皆様方の充分な意見をそこに出していただくということになると思うのです。そういう意味で信徒の方々、総講頭・大講頭、それから講頭の全部の御意見が色々と出てきて、そこにいわゆる大事な問題を審議していくということであります。そして「ある問題をどうしても宗務院に建議したい。こういうようにしていただきたい」というようなことが議決されれば、宗務院に建議することもできるということになっております。
その内容といたしましては3つあります。「一 講中に関する事項」。この「講中」でありますが、全体的に見れば日蓮正宗法華講そのものが講中と言えます。それからまた、支部で言うならば、皆様方一人ひとりの支部がその講中に当たるのです。そして皆様方一人ひとりの法華講支部において大事なことは、なんといっても、いわゆる「前進する法華講」、「折伏や育成をしっかり行っていく法華講」、「正法正義をしっかり弘宣していけるところの法華講」であり、これが日蓮正宗法華講としての本来の在り方であります。ですから、そういう在り方になっていただきたいし、また講頭の方々にはその中心者として講中をまとめ、指導していくような意味においての自覚を持って御奉公していっていただきたいのであります。その上からも、講頭という自覚において、それぞれの講中というものをよく御覧になっていただきたいし、また自分のところの講中が、大聖人様の教えを正しく受けたところの檀信徒として立派に御奉公、いわゆる正法正義についての前進ができていけるかということを考えて進んでいただきたいのであります。そういうことから、この「講中」ということに関して、総講頭・大講頭、それから各支部講頭の皆様によってなんらかの意見があればそれを審議していただくと、こういうことであります。すなわち、第一は「講中に関する事項」ということになります。
次は、「二 宗門の維持経営に関する事項」となっております。これは先般来、宗旨建立750年の大行事におきましては、色々な法要がありましたし、また「法華講30万総登山」という大法要も立派に完遂できました。そしてまた、奉安堂の建立その他、種々の記念事業が行われましたが、それらについてかなりの資金が必要でありました。これについては、宗門のなかで各寺・教会がありますが、その寺院・教会に蓄積してあった資金のなかからも、かなりの額を醵出(きょしゅつ)してもらったのです。それからまた、日蓮正宗の檀信徒の皆様からも実に多大の御供養を、3年にわたってしていただきました。それによって実に立派な奉安堂が完成し、宗旨建立750年の一切の記念事業が完遂したのであります。そういう点では皆様方から多大な御供養の御奉公をいただき有り難く存じております。しかしながら、実はこれからまた、今後の宗門においても色々な状況があるのであります。
一つには、総本山における諸堂宇についてであります。もちろん、新しい建物はその心配はありませんが、古い建物などは長い経過のなかで修理の必要が出てまいりまして、それらの補修等にかなりの費用もかかるのであります。また、日蓮正宗には600に近い末寺がありますが、古い寺院がかなりあります。そういう寺院のなかで、自力で一切がまかなえる寺院も、もちろんあります。しかし、そうでない寺院も実はあるのです。はっきり言いますと、このなかに30世帯、50世帯ぐらいの寺院の講頭さんも来ていらっしゃると思います。そういう寺院の場合は、大きな傷み等が出てきますと、その補修等においてどうしてもその寺院の力だけではできないのです。ですから、その実状を僧侶が宗務院に訴えてまいります。宗務院ではその状況をよく見た上で、色々な面から調査して無理のないところで、できるかぎり当該寺院の僧侶ならびに信徒の方々の御奉公による補修等もするように指導いたしますけれども、どうしてもできない場合は、さらにその上に宗門のほうで補助をするということも出てくるのであります。これも現在、実際にあちらこちらの寺院で行っております。それから、実際に経常経費のなかにおいては様々な事業等もありますし、それらにおいて一口にはとても言えないような様々な出費が当然、あるのであります。
そういうところから今日、宗門においては、総本山をはじめ末寺においても、檀信徒の参詣等の御供養等でまかなっておりますけれども、宗門の広宣流布へ向かっての足腰の強い堂々たる前進をしていく上におきましては、なんらかの意味で信徒の方々が、本当に無理のない意味で、御信心の上から、そこにやや恒常的な意味で宗門の維持経営のための御供養をしていただければ非常に有り難いと思うのであります。宗門は、皆様の御供養の上に乗っかって贅沢するなどということは絶対にありません。これだけは是非、信頼していただきたい。創価学会は今、色々な悪口を言っておりますけれども、これは悪口を言わんがための彼らの徹底した誹謗なのです。そのようなことは絶対にありませんから、この講頭会においても「宗門の維持経営に関する事項」を審議することが規定されてありますので、この際、こういった面においても賢明なる御勘考のもとに、なんらかの対策をお願いできればたいへん有り難いと思うのであります。
それから、講頭会で審議する内容の3番目として、「三 興学布教その他に関する事項」とあります。この「興学」ということについてですが、大聖人様の、「在家の御身は、但余念なく南無妙法蓮華経と御唱へありて、僧をも供養し給ふが肝心にて候なり」(御書1051ページ) という御指南もあり、信徒は専ら行だけあればよいと考える方も多いかと思います。しかしながら信徒の方々も、僧侶ほど専門的ではないにしても、ある程度、大聖人様の仏法というものの内容・意義を勉強し掴んでいくという面において、この興学が必要かと思うのであります。
宗門の僧侶のほうは、実は御承知でない方もあると思いますが、ここに本部の指導教師の大村教学部長もおりますけれども、毎年、教師講習会は必ず行っております。そのほか、大学科の課程を修了して一人前の教師になってから、さらに富士学林の研究科という勉学機関がありまして、そこで12年間勉強しなければならないのです。その12年間のなかには試験もあるのです。それから論文は毎年あるのです。その年々に出された論題について、論文を書かなければならないのであります。そのなかの優秀論文は教師講習会のなかで発表するような形もあります。それから特に『六巻抄』についての試験が毎年一つずつ、徹底した形での厳しい試験が行われております。さらに日寛上人の「御筆記」等も出ましたので、そのほうからの試験も拡張していく動きもありまして、とにかく12年間、教師になってからも勉強するのです。しかも教師全体が「僧侶は死ぬまで勉強である」という意味から、興学に常に励むということがモットーになっておるのでありまして、これに基づいて行っております。
しかし、在家の方はとにかく信心肝要で、在家の御身は在家の仕事にお忙しい意味がありますから、とても僧侶のようにはできません。けれども分々に行っていかれるということは大事だと思います。そういう意味で、各末寺での勉強会とか、それから御講参詣なども大切でございますし、そのほか色々な意味で、考えようによっては様々な興学の内容があると思います。したがって、講頭等の方々には、それに関して充分な認識と御理解をいただいて、御自分のみならず、講員全体の興学の向上ということをお考えいただくということも大事だと思うのであります。また、その方法論としてどういうものがあるか、もしあれば、それについても審議において意見を開陳されることも結構だと思います。
次に「布教」ですが、この布教ということにつきましては、これは僧俗が打って一丸となって正法正義を弘通していくということ、すなわち、皆様方御承知のとおりの「折伏」であります。たしかに布教師が色々な場所において講演をするということもございます。今日でも連合会の地方部の集まりなどでは僧侶が講演をしておることもあるかと思いますが、そういう意味での布教ということも当然ありますけれども、これに関しても、もし御意見があれば承って結構であります。さらに各講中単位における布教というものは、あくまでその支部のなかにおけるところの折伏弘通・育成というこが大事だと思うのであります。折伏をしても、育成というものがきちんと行われていかなければなりません。折伏ばかろどんどん進んでも、折伏しただけであとは空(くう)になって消えてしまうようなことを、たまには聞くのです。これではいけないと思います。その辺についても講頭さんが、折伏と同時にきちんとした育成を行っていく形を、責任を持って監視しながら、指導教師の指導を受けつつ、御自身もまたそれについて充分な認識と実践をしていただくことが大切かと思うのであります。そういう意味で、この「興学布教」ということがございます。
もう一遍、申し上げますと、「一 講中に関する事項、 二 宗門の維持経営に関する事項、 三 興学布教その他に関する事項」という、この3つでありますが、よく考えてみますと、日蓮正宗の在り方において、特に講中の在り方において、全部がこの3つに括られておるのです。先程も言ったとおり、これは最近作ったものではないのです。昭和22年のことですから、現に50数年も前からのことでありますが、これはよく掴んだものと思います。このなかに一切が篭められておるのです。我々が大聖人様の大法を広宣流布するために御奉公していく内容が網羅されておるような感じがあるのです。
次に、「第百六十八条 講頭会は、毎年一回総本山において開会する。」とあります。が、この条項を今度は改正しました。従来は「毎年」もなにも、長い間ほとんど開かれなかったのですけれども、開会するとしても「毎年一回」となっていたのです。もっとも基本的には1年に1回のつもりですが、場合によっては必要に応じて2回行いたいという場合も出てきますので、ここに毎年1回「以上」という言葉を入れたのであります。これは先般の宗会における「宗規」改正で行われまして、そうなりました。よって「講頭会は、毎年一回以上総本山において開会する。」ということになりました。しかし、基本的には1回であります。
そして、講頭会に関する条項の最後に、「第百六十九条 講頭会の議事は、出席講頭数の過半数で決する。」とありますが、これは議決の問題です。本日の講頭会で半数以上の方が不賛成であれば、仮に案が出されたとしても、これは否決されます。半数以上の方が賛成であれば、それは決するということになるのであります。
以上が法華講に関する「宗制」と「宗規」の内容であります。これについて、実は皆様方は「講頭会を突然開催して、いったい何を考えているのだろう」というように思われるかも知れませんが、基本になる「宗制・宗規」において既に「講頭会」というものもきちんと存在しておりますし、これはむしろ行うべきことであったのが、時期がまだ来ないために手が付けられなかったのであります。まさにこれから「平成21年『立正安国論』正義顕揚750年」に向かって、その第2年目として前進をする本年において、この講頭会を開いて日蓮正宗の法華講が名実ともにその充実を図り、もって広布への大前進を行っていきたいということの気持ちの上から、ここに講頭会が開催されるという次第であります。
以上、長々と申し上げましたが、だいたいの御理解を贈ったことと思います。講頭の皆様にはよろしくお願いいたしたいと思います。御静聴、たいへん御苦労さまでございました。
(講頭会の審議が終了したあと、再度、御法主上人より御指南を賜る。)
ただいま、総講頭から審議の結果について簡略なお話がありました。この話をうかがっておりまして、皆様も大変お忙しいなか、ここにお集まりいただき、長時間にわたって色々と審議をされまして、たいへん御苦労に存じます。宗門のこれからの広布への大前進の上に、力強い前進を続けていく上におきましても、これから色々な面でお互いに考えていかなければならないことも多々あると思います。
今回は第1回の講頭会でありましたが、これから毎年1回は必ず行うことにもなります。皆さん方もこういうことを1回経験されましたので、次の講頭会においては、どのような面について建設的な意味で審議の内容として諮(はか)ってみようというようなお考えが出る方もあると思います。講頭会において、総講頭以下の全講頭が正法広宣流布のため、また、それぞれの信行の上から大きな功徳を積んでいく上において「大聖人様の仏法のなかにおける成仏の境界をお互いに正しく受けきっていくのである」というような気持ちで、今後とも御精進願いたいのであります。その意味におきまして、今回は第1回でありましたが、さらに皆様方の御協カを心からお願いをする次第であります。本日はたいへん御苦労さまでした。
※このご指南は本行寺支部の柳沢信行さんのご協力で掲載いたしました。