私は法華講の家に生まれ、大病を克服したとか、大きな事故を免れたというような大きな体験はありませんが、今、こうして幸せに信心をさせていただいていることについて、今までの人生の中で、いくつかの転機がありましたので、そのことについて発表させていただきます。
両親とも九州の出身ですが、父の転勤の関係で昭和35年に東京で生まれ、東京の法道院で御授戒を受けさせていただいたと聞いています。私は、少年部時代は自分が日蓮正宗であることさえ知らず、お宮のお祭りに行ってしまうなど多くの謗法を犯してきました。中学生になるとき、父の転勤で福岡に戻りました。転校まもない頃、鞄や上履(うわば)きを隠されたり、放課後に呼び出されて殴られたりなどのいじめに遇いました。母親に励まされ、とある休日、初めて1人で朝の勤行をしたことを、今でも鮮明に覚えています。初めてでしたので、初座の勤行も長行まで唱えてしまい、兄に笑われました。しかし、このときから本日まで、勤行だけは欠かしたことがありません。そのうち、いつの間にかいじめられることもなくなり、楽しい学生生活を送ることができました。
東京にいるときも九州に引っ越してからも、登山にはいつも家族全員で行きました。それというのも、母はいつもお寺で登山の募集が始まると、誰にも相談せず、全員の申し込みをしていたからです。「迷ったら行けなくなる。申し込めば必ずみんなで行ける」というのが母の考えでした。父も、仕事の都合などあったのでしょうが、いつも一緒に登山ができました。
高校1年生のとき、オートバイの免許を取りました。兄のときには、危ないからと最初は免許を取ることすら反対されて、やっとの思いで許され、オートバイを買ってもらっていましたが、私は自身の意に反して、母から免許を取れと言われました。それというのも、母が、私たち兄弟のオートバイの後ろに乗って家庭訪問に行くためでした。毎週のように休日には必ず家庭訪問に連れて行かれ、それにつられて兄と2人だけで青年部の方の家庭訪問に行ったことも何度かあります。こうして考えると、両親は、私に身をもって信心の仕方を教えていたのだと感じます。
また高校1年生のときから、輸送班として総本山の任務に着かせていただきました。当時は、たとえば丑寅勤行の任務が終わると、その場ですぐに、「今の心境は」というような形でミニ体験発表会をしていました。そうすることで御本尊様の前で任務をさせていただくことに、心の底から喜びを感じ、また他の任務者の話を聞けました。さらに総本山で修行をされている所化さんや御尊師方に接することで、御僧侶の御高徳を感じました。この体験は、何ものにも代え難く、私の子供たちにも是非、ご奉公させたいと思っています。
大学時代は、青年部の座談会に友達を連れて行くなどの活動をしていました。社会人になった私は、大阪本社での研修を終え、福島県に配属になりました。この頃は、早く仕事を覚えたい一心で仕事優先となりました。朝夕の勤行は欠かしませんでしたが、御報恩御講などは、仕事がなければ参詣しようというような信心姿勢でした。
時期は忘れましたが、法華講連合会の総会だったと思います。柳沢委員長が、「大体、学生の頃はしっかりと信心しているように見えても、社会人になると、とたんにだめになるんです」という趣旨のことを話されました。そのとき、まさに自分のことだと感じました。振り返ってみますと、その頃は営業成績も悪く、信心姿勢がそのまま業績に反映していたと思います。母から信心について厳しく言われたときも「題目ばかり唱えていても、仕事ははかどらない」などと反発していました。
平成8年3月、父が亡くなりました。仕事人間だとばかり思っていた父が亡くなる2日前に私に言った最後の言葉は、「仕事も大事だが、最後は信心だぞ」でした。遠く離れて暮らしていた私にとって、父の臨終にきちんと間に合い、手を握って最期を見送ることができたことは、御本尊様のお陰と、本当に感謝申し上げています。
少し話は戻りますが、社会人になって5年目に結婚いたしました。妻とは社内結婚ですが、3回目のデートで福島市の広布寺の御講に連れて行きました。小さい頃から母に「お嫁さんは信心してくれるなら誰でもいい」と言われ続けていたことが、このような行動になったのだと思います。彼女が少しはびっくりするかと思いましたが、素直に受け入れてもらえました。結婚後は、むしろ家内のほうがまじめに御講に参詣するので、お陰で私は信心姿勢を変えることができました。その後、家内の両親と末の妹も、私たちの生活を見て入信し、現在は仙台の日浄寺でお世話になっています。
3人姉妹の家内にとって、残る2番目の妹は、主人の反対で入信できずにいましたが、本人だけならよいという許可をもらい、平成14年4月に入信できました。宗旨建立750年の30万総登山には、家内の母と姉妹3人がそろって登山させていただくことができました。また昨年の夏には、その2番目の妹の2人の子供たちも御授戒を受けることができました。残るは妹の主人1人となり、現在、親戚みんなで御祈念させていただいているところです。
一昨年、会社の部下を折伏させていただきました。その後、彼は、両親と、お付き合いしている女性に、「自分が信じるこの信心を、是非一緒にしてほしい」という一言で折伏し、30万総登山へは、両親、彼女と共に参詣できました。そして今年の4月 3日、彼女の両親の反対はあったようですが、久成寺において無事結婚式を挙げました。本当によかったと思っています。
会社では、昨年10月から岐阜の営業所長をさせていただいています。全国156の営業所の中で、昨年度全国第2位の成績で終わることができました。これも本当に御本尊様のお陰であると感じています。本年1月の広布唱題会の砌、御法主上人猊下は、「私が皆様に申し上げたいことは、朝晩の勤行をしっかりと行うということです。一切の仏法の根本の教えであり、法体であるところの妙法蓮華経の五字・七字をきちんと信じて朝晩の勤行をしっかり行い、さらに時間を選んで唱題行を行うところに、あらゆる問題の解決が根本的に存するということを信ずべきであります。」と仰せです。このことは毎日感じています。いろいろなトラブルがあっても本当にきちんと解決させていただけるところに、御本尊様のすばらしさを確信しています。
現在、私には高校1年生の長女を筆頭に5人の子供がいます。「信心は、家族そろって」が我が家では当たり前になっています。下の子供たちはまだまだ朝の勤行などはさぼりがちですが、お寺の参詣や登山などは、いつも家族7人一緒です。
子供たちは、中部地方部鼓笛隊に参加しています。鼓笛隊では、昨年夏の総本山での鼓笛隊コンクールの前から、勤行以外に毎日15分以上の唱題をと言われています。長男は毎日15分、長女は最近、毎日1時間の唱題を続けております。我が家では、中学1年生になったら入学祝いに、御書を買ってあげることにしています。そして、夕方の勤行を家族そろってできた日は、少しずつですが、拝読しています。私自身、そのように育ってきましたので、大学時代、下宿で独り暮らしをしたときから、この御書の拝読をずっと続けることができました。子供たちにも是非、続けてほしいとの願いで、させていただいています。本日は、お陰さまで5人の子供全員が、中部地方部総会の鼓笛隊演奏に参加させていただくことができました。本当に幸せなことだと感じています。
10数年前、東京出張の折、朝の勤行をするために法道院へ参詣させていただきました。ちょうどそのとき御授戒があり、観妙院日慈上人が、御授戒を受けられた方に「幸せに信心しなさいね」と声をかけられていました。私は、涙が止まりませんでした。信心して幸せになるということではなく、信心させていただいていること自体が幸せなんだということを、心から感じることができました。
まだまだ我が家は、法統相続できたとは言えません。私たちの孫が、きちんと信心してくれるまでは、安心できませんので、本年の年間実践テーマである「勤行・唱題の励行で信心の基礎確立」を再度肝に銘じ、1人が1人以上の折伏ができるようしっかりと唱題させていただきます。必死の思いで、私にこの信心を身につけさせてくれた両親に感謝して、発表を終わらせていただきます。ありがとうございました。
※この原稿は昭倫寺支部の若山さんのご協力で掲載いたしました。
『入信後すぐに始めた縁ある方への折伏』 妙照寺・佐々木ひろ子
私は、平成13年3月に、友達と15年ぶりに再会した折、その友達の母親である仲沢さんの折伏で入信させていただきました。その頃の私は、真如苑という謗法の団体に縁をしていました。もともと、念仏の無間地獄の中で生活していたところにさらに謗法を重ねていたので、日々の生活は定まらず、餓鬼・畜生の世界で苦しんでいました。そんな私を見かねた仲沢さんは、妙照寺へ連れて行ってくださいました。御住職・早瀬道義御尊師は、そのとき「仲沢さんは72歳。佐々木さんのほうが年から言えばずっと若いかもしれないが、私には仲沢さんのほうがずっと輝いて見えますよ。それは命が輝いているということですよ。自分の境界を高めることができる絶対の信心なんですよ」と力強くおっしゃいました。そのお言葉で目が覚めたように思い、入信させていただきました。
仲沢さんに朝夕の勤行を教えてもらいながら、「罪障消滅して宿命を換えるには、折伏することよ」と教わり、「折伏しなくては」と思いました。高校で同級だった友達が創価学会に入っていることに気づき、「どんなに一生懸命、勤行・唱題しても創価学会に入っていてはだめだよ」と話しに行きました。普段はおとなしい彼女が、だんだんと鬼のような形相になり、聞く耳を持ちませんでした。
そのときのことを、佐久地区長の竹内さんにお話すると、「総本山大石寺へはもう行って来たのかい?登山がまだなら行こう。行けば、どんなにすばらしい信心か確信が持てる。大石寺の様子をその友達に話してあげるといい」と言われ、仲沢さんと一緒に、初めての登山をしました。本門戒壇の大御本尊様に御目通りが叶い、大石寺の歴史にも触れさせていただき、感激して帰って来ました。帰ってすぐに、友達を折伏しようと会いに行きましたが、彼女は、学会の婦人部長とやらまで引っぱり出して、大石寺やお寺の悪口をまくしたてるだけでした。友達に私の想いは通じませんでした。
入信した頃、私は、下着の販売の仕事をしていました。その同僚にも学会員がいたので、お宅へ伺いお話しましたが、その方のご主人が屈理屈ばかり並べ立てて、話になりませんでした。このときは、自分の勉強不足を思い知らされました。この後、その学会員からは、仕事の上でも嫌がらせをされ、その非常識な振る舞いに、ますます創価学会は正しい信心からかけ離れていると思いました。
また、70歳を過ぎている土屋さんというご婦人と、よく仕事の行き帰りに我が家で茶飲み話をしていました。土屋さんはその年齢にもかかわらず食堂で働いていて、よく息子さんの話をしていました。息子さんは占い好きで、方角が悪いと言っては改姓したり、方角が悪いと言っては新築したばかりの家を売って転居したり、今度は、亡くなられたご主人のお墓まで、場所が遠くなったからと言って移そうとしているという話を聞きました。息子さんに翻弄(ほんろう)されている姿を気の毒に思い、私は土屋さんを妙照寺へお連れしました。御住職様の「ご主人の回向(えこう)をきちんとされていかれるとよいですよ」とのお言葉に、土屋さんは涙を流して入信を決意され、御本尊様を御下付していただき、ご自宅に御入仏することができました。
その後、私は病院の調理場に勤めることとなりました。不安定だった収入が、僅かずつではありましたが安定してきました。時間的にも、登山、お寺の行事、地区の唱題会に参加できるよう都合がつけられるようになり、御法主上人猊下の御指南や御住職様の御指導をいただけることに感激し、充実した日々を送れるようになりました。
一年程前、借金苦に悩んでいた望月さんに信心の話をしました。地区長さんの応援をいただいて、学会員である望月さんのご両親を折伏に行ったのですが、御本尊様は破れ、ガムテープでとめられているあり様でした。学会の間違いを話したのですが、聞き入れてもらえませんでした。その後、ご両親の御本尊様は『ニセ本尊』に変えられてしまい、望月さんだけでも助けたいと思った私は、御住職様のもとにお連れして入信させることができました。
それからの私は、病院の調理場にいて垣間(かいま)見る介護者の姿や、私自身の18年間の老人介護の経験から、生涯の仕事のためにと、訪問介護員の資格を取りました。資格が取れるとすぐに、老人ホームの仕事に就くことができました。そこは、神様あり、キリスト教あり、天理教、学会員と、邪義邪宗のオンパレードでした。亡くなった時間が判らない方やガンで入退院をくり返す方、狂暴性がある方、痴呆(ちほう)症だと思っていたら脳(のう)腫瘍(しゅよう)だったり、手足の関節が曲がったまま硬直している学会員の末路など、間違った信仰の恐ろしさを改めて感じることができました。
地区長のもと毎週金曜日の唱題行を続けている中で、今年に入って間もなく、佐久地区の婦人部員と女子部員が折伏を成就しました。1週間で2世帯の成就でした。「よし。私も折伏させていただこう、させてください」と祈っていると、以前アルバイト先で知り合った間宮さんが、数カ月ぶりに電話をかけて来てくれました。以前から折伏したいと思っていた方だったので、すぐに会う約束をしました。ちょうど地区長のお宅で折伏成就を祈って唱題していたところへの電話だったので、間宮さんは御本尊様に縁がある、と強く
確信して出かけました。間宮さんの話は仕事の愚痴(ぐち)ばかりでしたので、すぐに地区長のお宅に連れて行きました。用事があってたまたま地区長宅へ釆ていた講頭さん、
会合で集まっていた青年部の方たちにも折伏していただけて、間宮さんはその場で入信を決意されました。2日後の1月19日、御住職様に御指導をいただいて御授戒を受け、御本尊様を御下付いただきました。折伏成就が叶いました。
その後、私は初級教学試験に向けて、唱題に励み勉強会に参加していました。「行解(ぎょうげ)既に勤(つと)めぬれば三障四魔紛然として競ひ起こる」(御書1063ページ)と御金言にありますように、まさに試験前日の1月24日、天職と思って意欲満々でいた職場を1月一杯で解雇、という状態になってしまいました。教学試験は無事に済ませ、唱題していると、1月の座談会での御住職様の「魔は天界に住むんだよ。自分が気づかないうちに心の隙間(すきま)に入り込んでくるんだよ」との御指導を思い出しました。さらに、間宮さんを折伏したときにいただいた「間宮さんが初信の功徳を戴けるよう、協力してあげてください」とのお言葉も忘れていました。私の心に慢心があったのかも知れません。我利我利の自行はあったとしても化他の、相手を思いやるという部分に欠けたところがあったと反省しました。今は「自行化他の信心」を自分自身に確立するために与えられた時間だと有り難く思い、日々勉強させていただいています。
先日、なかなか連絡がつかなかった間宮さんに会うことができました。一緒に唱題ができて、さらに4月25日の支部総登山に行くと約束してくれました。一緒に登山できることを喜んでいると、間宮さんがとても条件のよい仕事に就くことが決まりました。
「一切を開く鍵(かぎ)は唱題行にある」と御法主上人猊下は御指南されています。お寺での唱題行、地区での唱題行と欠かさず参加させていただいて、御指導をいただきながら、広宣流布のお役に立てるようご奉公させていただきたいと思います。
いつも地区長は「家で唱題ができなかったらいつでもおいで。とにかく題目を唱えて難を乗り切るんだ」とご自宅を開放して、励ましてくださっています。『報恩抄』に、「極楽百年の修行は穢土の一日の功に及ばず」(同1036ページ)とございます。私の家からお寺までは1時間はかかるので、有り難く思い、地区長宅で唱題させていただいています。
本年「破邪顕正の年」、さらに唱題をして、広宣流布のお役に立てる境界にしていただけるよう精進してまいります。一月三十一日の唱題行の砌の御指南にございますように、邪悪な集団である創価学会から、必ず友達を救い出したいと決意しています。また、かつて真如苑に縁をさせてしまった友達もいるので、折伏していこうと思います。そして、折伏させていただいた方たちと共に歓喜にあふれた信心修行がしていける境界にさせていただけるよう精進してまいります。
最後に、私が最近強く感じていることをお話します。今年の一月に折伏成就できた同じ地区の女子部員は、入信以来、素直にまじめに信心修行をして大きな功徳を積み、良縁に恵まれて大石寺近くの富士宮市の法華講員のもとへ嫁ぐことが決まりました。その姿を通して、素直な信心の大切さを感じていることをご報告させていただいて、終わります。
※この原稿は本行寺支部の大嶋さんのご協力で掲載いたしました。