大白法

平成16年7月16日号


主な記事

<1〜5面>

<6〜8面>


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『折伏教本』をもって覚醒させよ 創価学会員への大折伏戦



◎御法主上人猊下御言葉 7月度広布唱題会の砌

 本来であれば、広布唱題会は第一日曜日の明日に行われるのでありますが、総本山においては、夏期講習会の講義の関係上、今夕、執り行った次第であります。しかるところ、講習会に参加されておる信徒各位には、この広布唱題会に多数、参列されまして、ただいま皆様と共に一時間の唱題行を執り行いました。

 本年度は、2日間ある講習の1日目の日程のなかで「立正安国」についての講義が行われておるように聞いております。そして、今月は7月で、『立正安国論』奏呈の記念の月であります。本日の講義で既に『立正安国論』の概要について、皆さんも色々と聞かれたことと思いますが、要は『立正安国論』は「正法治国・邪法乱国」の一語に尽きると思うのであります。「世皆正に背き人悉く悪に帰す。故に善神国を捨てゝ相去り、聖人所を辞して還らず。是を以て魔来たり鬼来たり、災起こり難起こる」(御書234ページ)という、『立正安国論』の初めの御文から始まりまして、「如かず彼の万祈を修せんよりは此の凶を禁ぜんには」(同241ページ)という意味において、法然の念仏の趣意が、一切の仏菩薩を否定し、釈尊の真実本懐たる一切衆生成仏得道の大法である法華経に背き、捨閉閣抛せしめるという、仏法の上からの大悪を行っておるところの宗教が、その当時における「一凶」であるということを御指南あそばされております。

 その時機において、『立正安国論』の不思議な在り方が日本の国土において巻き起こったのであります。おそらく日本国の有史以来、あのような大規模をもって他国に攻められたことは、かつてなかったと思います。しかも、当時は天変・地夭・飢饉・疫癘等が起こり、薬師経あるいは仁王経等において示されるところの七難のうちの五難が現れてきておりました。そのようなこともはっきり御指南であります。これはまた当時の『吾妻鏡』等の歴史書においても明らかなことで、残るところの二難が必ず来たるということを大聖人様が仰せあそばされました。その趣旨をもって幕府に、すなわち最明寺入道時頼に奏呈されたのが『立正安国論』であります。

 それからちょうど15年経って、文永11年の10月に、まさに御金言の如く、元の大軍が壱岐・対馬に押し寄せてきて、さらに筑前(福岡県)にまで攻め寄せてきたのであります。しかし、そのようななかにおいて不思議なことは、佐渡の国に島流しにされておられました大聖人様が赦されて鎌倉にお帰りになり、文永11年の4月8日に「殿中問答」がありました。その時に、兵馬の権を一手ににぎり、日本国乃至、当時の元等の状況も色々な面から把握しておるはずの平左衛門が大聖人様に対して、「(蒙古の国は)いつごろかよ(寄)せ候べき」(同867ページ)という質問をしてきたことであります。これに対して大聖人様が、「経文にはいつとはみ(見)へ候はねども、天の御気色いかりすくなからず、きう(急)に見へて候。よも今年はすごし候はじ」(同ページ)ということをはっきり仰せになるのです。これがまた実に不思議なことであります。

 あらゆる情報も知っておるはずの平左衛門が大聖人様にその時期を聞いたのに対して、大聖人様が「天の御気色が怒り少なからざるをもって、本年を過ぎることはない」ということをはっきりと断言されたのです。そして、その年の10月に蒙古の国が攻め寄せたということ、これは実に仏様ならではのことであります。そのようなことからも『立正安国論』全体における御指南の不思議は、当時のみならず、日本乃至、世界万国にわたるところの立正安国の原理、そしてまた、これは末法万年尽未来際に向かっての「正法治国・邪法乱国」の大原理が示されておるということを、我々は深く知らなければならないと思います。

 立正安国の「正」という字は「一に止まる」と書きます。すなわち『立正安国論』におきましても、「実乗の一善に帰せよ」(同250ページ)ということを仰せになっております。「実乗の一善」とは、一代五十年のあらゆる諸経のなかにおいてただ法華経のみが真の実乗の一善であります。ここに帰するところに初めて、正法治国の実が挙がるのであるということを御指南であり、これはまた当時のみならず、末法万年を通ずる、すべての時機にわたる指導原理であります。

 そのために大聖人様は「一に止まる」ところの根本の法体であるところの法華経の教えを、権実相対・本迹相対・種脱相対の「三重の秘伝」の上から、本門の大御本尊としてお顕しになりました。これが法華経の根本であります。その法華経の根本のところに、一切衆生を真に成仏得道に導くところの大法の利益・功徳が存するのであります。この大法を間違いなく、正しく受け継いで信心修行しておるのが、我が日蓮正宗の僧侶であり、御信徒であります。世界広しといえども、これ以外に真の正法を受持信行するところの団体はないということを皆様方がしっかりと確信されるべきであると思うのであります。

 その上から、特に今日においては「如かず彼の万祈を修せんよりは此の一凶を禁ぜんには」の「一凶」、すなわち正法を否定する「一凶」とは、大聖人様から日興上人、日目上人、そして今日に至るまで正しく大聖人様の仏法の真実を伝えておるところの、この日蓮正宗を誹謗するところの創価学会、池田大作の大謗法の姿であります。皆様方は決然たる覚悟を持って、邪法・邪義を行ずるところの創価学会に誑(たぶら)かされておる学会員の一人ひとりを、縁のあるところ、折伏して正しい道に導くことが大切であります。

 その意味においても、先般、『創価学会員への折伏教本』が出版されたことは既に御承知と思いますが、あの本を是非大いに活用されて、また一人でも多くの人が真の正法に目覚めるところに、広宣流布の一歩一歩が進んでいくのであるということを深く確信されましての、皆様のいよいよの信行倍増を心からお祈りいたり、今晩の挨拶とする次第であります。本日は御苦労様でした。


『折伏教本』研修会
順妙寺
順妙寺支部(静岡市) 御法主上人猊下の御指南のもと、先月から始まった研修会では、『折伏教本』を読むだけでなく、御住職より過去の背景も教えていただく。「こういう本が欲しかった」との声が多く聞かれる。実際に折伏で会う学会員は、最初は「聞く耳持たず」の場合も多いので、『折伏教本』を生かしたねばり強い折伏を展開してゆく。



○信行を磨く 『信仰の寸心を改めよ』 妙栄寺住職・高野法雄御尊師

 「平成21年・『立正安国論』正義顕揚750年をめざして」との御指南がなされたとき、外部の不心得者の中には単なる辻棲(つじつま)合わせと非難する者もいました。しかし、今日の惨憺(さんたん)たる世相を鑑みるとき、御法主日顕上人猊下の御指南は、まさしく時に適い、私共がなさなければならない肝要を指し示されていると拝するものです。

 末法の修行は、本門戒壇の大御本尊を唯一無二と信じ、時の御法主上人猊下の御指南に随うことによってのみ正しく修することができるのです。それは、御歴代上人のところに大聖人の御教えが存するのですから、私たちは血脈法水に基づく信を立ててこそ正法を正しく行ずることができるのです。今、御法主日顕上人猊下は、『立正安国論』に示される一凶とは創価学会であるとされ、学会の邪義を破し、地獄の業を積む学会員を正法に導くよう御指南であります。であれば、このたび宗務院から発刊された『折伏教本』を大いに活用し、学会員救済の実を挙げていくべきでしょう。

 さて、7月16日は『立正安国論』奏呈の日であります。古来「大聖人の御化導は『立正安国論』に始まり『立正安国論』に終わる」と言われております。このことは『開目抄』が人本尊を開顕され、『観心本尊抄』が法本尊を顕されていることに対し、大聖人の御化導が示されていることを顕しています。化導とは教化し導くことであり、信仰の目的、信心によって得られる姿を示しています。大聖人が末法の一切衆生に対し、正法に依ってこそ一身の安楽と国土の安寧が得られることを示されたのが『立正安国論』であります。

 では、私たちはどのようにすべきかと言いますと、「汝早く信仰の寸心を改めて速やかに実乗の一善に帰せよ。然れば則ち三界は皆仏国なり、仏国其れ衰へんや。十方は悉く宝土なり、宝十何そ壊れんや。国に衰微無く土に破壊無くんば身は是安全にして、心は是禅定ならん」(御書250ページ)と御教示です。この『立正安国論』における主人最後の言葉は、一つには不信謗法の者に対して正法に帰依することを勧める御言葉であり、二つには私たち自身のことと拝さなければならないと考えます。つまり、御授戒を受けたからといって、あるいは法華講員となったからといって、それで信心が終わったのではなく、常に初心を忘れず、日々心新たに実乗の一善に帰することを誓うことが大切なのです。そして、一人から一人へと正法が伝え弘められるならば、私たちの住むこの国土も仏国土となり、仏国土に住するが故に身も心も安穏が得られることを示されております。

 大聖人は即身成仏を説かれておりますが、これは一人ひとりの信心の功徳と妙法の功力の最勝であることを示しております。ただし、仏様は一人の人のみを化導されるのではなく、一切衆生を教化されるのが目的であり、他を顧みず自己のみ仏道を成ずるという考えは排斥されます。家族の中に病人がいれば心配もするし苦痛も感じます。一所懸命に働いても会社が倒産すれば給料は貰えません。どれほど立派な家を建てても国が破られたなら、平穏な生活はできません。毎日の勤行での御観念文を、心を込めて行っているならば、御本尊にお誓い御祈念している「広宣流布」と「自他倶安同帰寂光」が嘘にならないよう、精進することが自身の成仏の因となります。

 実乗の一善に帰すとは、正法を立てるということですが、正法を正しく受持信行することがなければ安国もあり得ないことになります。この正法を正しく受持するには、御法主日顕上人猊下が常に御指南になっている「正直」でなければなりません。正直といっても、ただ嘘をつかないことだけが正直ではありません。何に正直かが大事です。自分の迷った心を中心にした正直であれば、子供は学校で勉強するより遊びに夢中になるでしょう。大人は現実に我利我利(ガリガリ)に欲の張った争いの姿を現しているのです。

 一つには、「正」しいものに真っ「直」(す)ぐ向かうことが正直と考えます。畜生は自分より弱い者には威勢よくしますが、強い者の前では小さくなります。心に邪なものを持つ人は御本尊を真っ直ぐに拝することができないものです。また、御本尊の前でも平気で誤魔化す人は不信の人であり、必ず仏罰を蒙(こうむ)るでしょう。御本尊に私心なく相対時し、正法を真っ直ぐに修することが正直といえます。

 二つには、「正」しいものを素「直」に受けることが正直です。人を利するために考え出されたものでも、用いる人の心が歪んでいると返って人を害することになり、仏の教えを我見で受けると地獄への因、悪業を積むことになります。仏の化導を素直に受けることが肝心です。御法主日顕上人猊下は、4月度の広布唱題会の砌、「正直ということは、我々の生活のなかにおけるあらゆる問題について、逃げないで、正しく対処していこうという気持ち、自分の命そのものを本当に正しく顕していこうという気持ちが根本的意味であります」(大白法643号)と御指南です。「自分の命そのものを本当に正しく顕していこうという気持ち」を常にしっかりと持つならば、三宝尊を正しく拝し奉り、行を修めることができるはずです。大聖人の妙法を受持信行することなしに自身の命を正しく顕すことはできません。成仏の境界こそが自分の命を本当に正しく顕すことになるのです。

 妙法を受持する我々は、いかにあるべきかについて『四菩薩造立抄』に、「総じて日蓮が弟子と云って法華経を修行せん人々は日蓮が如くにし候へ」(御書1370ページ)と仰せです。大聖人は絶対安心立命の境界を得るには、大聖人が示された御振る舞いに習いなさい、すなわち折伏せよと御教示です。さあ皆さん、平成21年に向かって、さらには広宣流布に向かって勇躍歓喜し、歩みを進めてまいりましょう。


『折伏教本』研修会
妙住寺
妙住寺支部(奈良県五条市) 妙住寺の法華講は、52年路線と呼ばれる創価学会の一回目の教義逸脱があった頃に脱会した人たちが基になっている。その当時より、月数回の「学会の教義逸脱」等の勉強会を行っており、平成2年さらに多くの脱会者が加わって今日に至っている。この度の『折伏教本』は判りやすく、格好の復習教材になっている。研修会で学会の謗法の実態をさらに学んで、百篇の嘘に飲まれてしまった、かつての仲間だった学会員を救っていきたい。



○ 異流儀破折 『「折伏教本」への低能な言い掛かり――創価学会』


『創価学会員への折伏教本』の研修会が全国あちらこちらで行われていることに一体感を覚える。特にほとんどが創価学会からの脱会者から成っている支部では、『折伏教本』に学会の実態がまさにそのまま書かれているため、脱会以前の学会組織の非常識さ等を思い出し、毎回の研修会で『折伏教本』読み合わせの後は、体験が口々に語られるという声も聞く。

また、以前から学会員への折伏にも力を入れている支部の中には、「池田教対策室」等という名称で、学会破折並びに脱会者のバックアップ体制をしっかり整えている支部もある。脱会者を、地区等の組織で守るのはもちろんのこと、脱会した本人に御住職が、「学会員が訪ねてきたら、私は間違ったものにはついていきません。脱会したんですと、きっぱりとした態度で言いきりなさい。それが法華講員となる第一関門ですよ。また立派な折伏にもなります」と必ず勧誠式で御指導される寺院もある。

さて、『折伏教本』が発刊されてから、学会幹部達は、早速、愚にもつかぬ悪口に躍起になっている。


例:『折伏教本』は、『折伏教典』の猿まねではないか!

答:創価学会は、第2代戸田会長の時代に邪義破折のため、『折伏教典』を発刊しました。ところが、現在の池田学会は、世間に迎合するため、「折伏」の語を「仏法対話」と変えるなど、いつの間にか『折伏教典』を無きものにしています。池田大作は、戸田氏を「恩師」と呼ぶ一方で、戸田氏の言う、「日蓮正宗の教義を東洋全体に知らしめん」(折伏教典1ページ)との心を平気で踏みにじっているのです。

かつての『折伏教典』の存在を抹殺した学会は、今度は自分達が『折伏教本』によって、折伏される邪義集団となっていることに早く気が付くべきです。「猿まね」と歪んだ心で見るのは、あなた自身、『折伏教本』に『折伏教典』の在りし姿を彷佛とさせるものを感じており、それは宗門外護の立場で「邪宗撲滅」と謳って闘っていた、僧俗和合の良き時代を思い出すことが恐いからでしょう。もっと素直な心で『折伏教本』を開いてみませんか。


例:学会員は、学会の実態をよく知っているが故に、だれも組織に疑問など感じていない!

答:『折伏教本』各論の第4章は、「創価学会に疑問を感じている学会員に」と題して、17項目の設問を挙げています。なかでも現在の学会員が、池田大作の「行状・スピーチ」「称号・勲章集め」、また組織の「選挙」「財務」などの在り方に疑問を感じていることは、脱会者の証言からもうかがえます。

では、疑問を持ちながら、なぜ脱会しないのか、と言えば、各論第5章に「創価学会の間違いに気づいていながら脱会できない学会員に」と題して、その理由を12項目、挙げていますのでお読みください。とりわけ、「組織ぐるみの仕返しが恐いから脱会できない」との思いは、会員同士間が密かに持っており、組織の批判も許されない状態ではありませんか。このような現状でも、「だれもも組織に疑問を感じる人はいない」と言うあなたは、学会員の真の実態と心底を知らない無能な幹部と言えます。




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