<4〜8面>
Hokkeko's Childrens Division had the 13th General Meeting at Kofu-bo in the Head Temple Taisekiji from 10:45 a.m. on August 1. Around 2,300 young Hokkeko members got together with vigor for this occasion from various areas throughout Japan. They were fortunate to receive intimate, precious guidance from the High Priest Nikken Shonin.
翌31日 は勤行・朝食の後、広布坊で、午前8時半からの音出しに続いて課題曲審査が行われた。午後零時半からは、夜のコンクールに向け、本番さながらのリハーサルを午後3時まで行い、勤行・夕食を済ませ、コンクールに臨んだ。
一方、少年部合宿参加の少年部員たちは、午前11時までに着山し、午後1時半からの御開扉に参加。終了後、地方部毎に、記念撮影や山内見学などを行い、勤行・夕食の後、鼓笛隊コンクールの行われる広布坊へ移動した。
鼓笛隊コンクール 午後5時半から「第9回全国鼓笛隊コンクール」が広布坊で開催され、御法主日顕上人猊下が御臨席あそばされて演奏をご覧になられた。また総本山並びに有縁の御尊師方、所化・小僧さん方、少年部合宿参加者、さらに中華民国・台湾の本興院よりの参加者が観覧した。さらに、広布坊に入りきれない登山者は常来坊で特設の大スクリーンを通して鼓笛隊の演奏を観覧した。
開会に当たり、法華講大講頭・石毛副委員長が挨拶並びに犬塚英子審査委員長をはじめ審査委員4名の紹介をした。コンクールは、小さい編成のチームから順に演奏を披露。全28チームそれぞれが、準備した曲を元気いっぱいに披露して、約2時間が瞬く間に経過した。この後、審査結果が出るまでの間、『唱えてゆこう妙法を』をブラスバンドの演奏により全員で合唱した。
犬塚審査委員長の講評の後、表彰に移り、法華講総講頭・柳沢委員長より、各賞の表彰状が手渡され、最後に柳沢委員長の挨拶があり、午後8時15分に終了した。審査結果は次の通り。
合宿最終日の7月31日 は午前2時半より、丑寅勤行に参加。明けて、午前8時半より客殿・大講堂で、8月度広布唱題会に出席した。御法主上人猊下の大導師のもと1時間の唱題が行われ、終了後、御言葉を賜った。
この後、最後の行事となる少年部大会参加のため、順次、会場となる広布坊へ移動した。またこの間、日帰り参加の少年部員が順次着山してきた。
少年部大会 午前10時45分より、広布坊において、御法主日顕上人猊下猊下の御臨席を賜り第13回法華講連合会少年部大会が開催された。これには、八木日照大石寺主任理事をはじめ、総本山内の御尊師方が御出席され、法華講総講頭の柳沢委員長、石毛副委員長・永井北関東地方部長・渡辺定元氏・河原北近畿地方部長の各大講頭、各地方部長並びに各地方部少年部長が出席。また、少年部員計2270余名が、付き添いと共に参加した。
開会が宣せられ、ブラスバンドの演奏で「広布に生きる」を合唱した後、3名の少年部員が元気に体験を発表した。次いで法華講連合会星野少年部長による抱負があった。そして御法主上人猊下より御言葉を賜った後、柳沢委員長の挨拶があった。
最後に全員で「唱えてゆこう妙法を」を大合唱して盛大裡に大会を終了。このあと日帰り参加者は午後1時半の御開扉に向かい、合宿参加者は元気に下山の途に着いた。
法華講連合会第13回少年部大会開催、おめでとうございます。このように約2200名の少年部の人達が集まり、また付き添いの方々も多数参加せられて、盛大で意義ある大会が行なわれることは、私としても本当に心から喜ばしく存ずる次第であります。
私は昨日の鼓笛隊コンクールの鼓笛隊の人達の真摯な演奏を聞いておりまして、一人ひとりの人が演奏という一つの事項に集中して、ここへ出てきているということをつくづく感じました。これは人格形成の上からいっても、本当にすばらしいことだと思います。鼓笛隊の皆さん、本当に御苦労さまでした。また、おめでとうございました。先程の話にもありましたが、この鼓笛隊をさらにさらに充実して、各地方部全部が鼓笛隊を持って総本山に集い、立派な演奏を通じて人格の練磨、信心の向上に資(し)していただきたいと思います。昨日は本当に心から感動して鼓笛隊の演奏を聞かせていただきました。
また、先程は3人の少年部員の人達がすばらしい体験を発表してくれました。なかでも、小さい子供ながらも、創価学会の悪いことをはっきり知って折伏をしていこうという気持ちが出ていたことに対して、私はむしろびっくりしたのであります。小さな子供でありながら、正しいことをはっきり弁(わきま)えて「間違った教えはいけない」という気持ちの上から、きちんと折伏をしていこうというすばらしい信心の姿に対し、心から感動いたしました。また、3人それぞれが特色のある意義を持った尊い体験で、本当によかったと思います。
さて、今日はこれから歌うことになっておるようですが、「唱えてゆこう妙法を」という歌は本当にすばらしい歌ですね。昨日、どなたが作ったのだろうと考えておりまして、まだ聞いておらず、そのうちに教えてもらえるかも知れませんが、とにかくこの歌詞を作った人は偉いなと思いました。1番も2番も本当にすばらしいです。特に締め括(くく)りとしての3番の最初の文句が「勇気、正直、正義の木、心に3つの木を持とう」ということですが、このことは大聖人様の教えにそのままぴったりであり、我々一人ひとりの生活の上に当てはめられる言葉だと思います。
最初の「勇気」ということですが、子供さん達のなかで自分で勇気があると思っている人、手を挙げてごらんなさい。あまりないようですね。あちらに少しいるようですね。そのとおりであります、それが正直でよいのです。「私は絶対に勇気を持っている」などと思っていたら、ちょっと間違っているかも知れません。皆さんは私のことをどう思っていますか。勇気があると思いますか(ここで大きな拍手)。
昔の私、すなわち、あなた方のように小さなころを考えてみると、とても臆病だったのです。どちらかと言うと臆病のほうがひどかったのです。今、「いじめ」ということが問題になっておりますが、私も昔、友達にいじめられていたことがありました。その後、だんだんと大きくなってくるなかで、うっかり謗法のことをしてしまったら、本当に罰を受けました。ひどい罰がたくさん出ました。それで結局「お題目を唱えていくことが大切なのだ、これ以外にないのだ」ということが解ったのです。そして、お題目をしっかり唱えていくところに必ず仏様が悟られた人即法・法即人、法界全体の妙法の尊い法の力で勇気を持つことができるのだということを体験してきました。ですから、勇気を持つということは修行が大切なのです。
今朝の1時間の唱題行は大変だったらしく、なかには足を伸ばしたり、身体を前に倒したりして、しっかり唱題していなかった人もあったようです。それもしょうがないでしょう。けれども、これからは、お寺で月に1回、広布唱題会を行なっておりますし、お寺によってはしょっちゅう唱題会を行なっておる寺院もあると思いますので、そこに参詣して1時間、しっかり唱題しようという気持ちを持ってもらいたいと思います(ここで大きな拍手)。
1時間しっかり唱題してみると、なんとなく自分に自信が持てるようになり、そこからさらに色々な面で気持ちがはっきりしてきます。唱題をしっかり行うということにおいて「自分の命が変わってきたな」ということを自分自身で感ずる意味があると思うのです。そのなかで勇気が自然に湧(わ)いてきます。湧いてこなくても、問題にぶつかったときにお題目を唱えるのです。そうすると、不思議にその問題に対して勇気が湧いてくるのです。私自身も普段はずっと臆病だったのです。勇気なんかなかったのです。けれども、ものにぶつかったときにお題目を唱えると不思議に勇気が湧いてくるのです。
完全な勇気を持った人など世の中にいません。だれもいません。今、偉そうなことを言っている政治家でも、その他の人でもみんな根底は臆病なのです。少しでも悪いことをしている人は、必ずそこに臆病な心が出てくるのです。勇気がないということは、また正直でないということにもなるのです。ですから、本当に勇気を出していくということは、しっかり唱題していくことが根本なのです。そのことをまずお話しておきます。
その次が「正直」ということです。「勇気、正直、正義の木」のなかの「正直」ということですが、私はこのことについて、いつも周りの者達、すなわち私の弟子達に言っております。これはもちろん、私の弟子というよりも大聖人様のお弟子として、白衣(はくい)を着て、あるいは袈裟・衣を着けて毎日修行しているのですが、この者達にもいつも「必ず正直ということを忘れるな」ということを言っています。
正直にすると損をするように思っていませんか。これまでに、本当のことを言わないで嘘をうまく言うと、何か得をしたようなことがあったと思います。だから、うまく嘘を言っていったほうがよいと思うかも知れないけれども、そこが違うのです。どんなに損をしてもよいから正しいことを正しく言おうと、自分の気持ちを素直に出し、また悪いことしたら誰に対してもそのことを素直にはっきりと話をする。すなわち正直に「私はこういうことをしました」と言うことが大事だと思うのです。そこで自分をごまかしてはいけません。自分をごまかさないということが正直ということなのです。
ですから、あなた方がしょっちゅう歌っているこの歌は本当に立派な歌ですから、この歌を歌いながら、しかも歌の文句で自分自身の気持ちを顧(かえり)みて、そしてお題目を唱えていくことがよいのです。
最後は「正義」ということです。これは正しいということでありまして、大聖人様の教えは根本的な、一切を含む正義なのです。一切を包含(ほうがん)したところの正しい教えが大聖人様の教えなのです。ですから、どのような人がどのような気持ちのところからも、お題目の教えによって、また修行によって、その人の命がだんだんはっきりと素直な形になって、幸せになっていく道が開かれるのであります。
今の世間は色々な面でめちゃくちゃで、隠れて悪いことばかりしているような人がいるのです。そのような人が多いのは中心がないからです。すなわち仏法の正しい教えという中心が失われているからなのです。あなた方は子供だけれども、その教えをきちんと受けていますから「南無妙法蓮華経」と唱えて信心していくなかに、本当に仲の良い人達がまとまっていく意味の中心がそこにあるのです。そういう気持ちで立派な歌を歌いながら、立派に成長していってもらいたいと思うのであります。
最後にひとこと言いたいのは、仏様の教えのなかに「苦しみ」ということがあるのです。むしろ、お釈迦様は苦しみの内容を全部説き出して、そして世の中は全部苦しみなのだということを言われているのです。けれども、先程、体験発表をした3番目の人でしたか、「信心はとても楽しい」と言っていました。楽しいことも当然あるのです。ですから、苦しいことが根底的にあるけれども、それを本当の楽しみに切り替えていくということが大切なのです。
そこで大聖人様のお言葉で「苦をば苦とさとり、楽をば楽とひらき、苦楽ともに思ひ合はせて、南無妙法蓮華経とうちとな(唱)へゐ(居)させ給へ」(御書991ページ)という御指南があります。
今だって皆さんにも苦しいことはたくさんあるはずです。朝、眠くてしょうがないときに、「学校に行く時間よ。お勤めしなければだめよ」などと言われて起こされる。これはずいぶんつらいでしょう。そういうことはないですか。やはり朝、眠いときに起こされるのはつらいと思います。これも一つの苦しみなのです。そのほか、これからあなたがたが立派に成長していくなかで苦しいことがたくさんあります。
ときにはひどく苦しいことも出てくるでしょう。そういうときに本当のしっかりした心を持っていない人、しっかりした信心を持っていない人は苦しみに負けて、なかには自殺する人も出てくるのです。あるいは一人で隠れてしまうような、つまり公園辺りで蚊帳(かや)みたいなものを吊(つ)って生活している人がおります。このように家から飛び出して蒸発してしまうのは、苦しみに負けた人なのです。あなた方はけっして苦しみに負けてはいけません。
この大聖人様が仰せの「苦をば苦とさとり、楽をば楽とひらき、苦楽ともに思ひ合はせて、南無妙法蓮華経とうちとなへゐさせ給へ」ということは、どのような苦しみがあっても、しっかりお題目を唱えれば、それを全部跳(は)ね返して立派な人になって、自分も幸せになり、人をも幸せにしていけるという人になるということであります。
昔のことわざで、仏法の内容を持っている言葉に「艱難(かんなん)、汝(なんじ)を玉にする」という言葉があります。聞いたことがありますか。ないですか。「艱難」ということは要するに苦しいことなのです。いやなことなのです。それがたくさん来れば来るほど、その人はその苦しみを乗り越えていくことによって本当の立派な人になっていくのです。それが「玉にする」ということです。ですから、苦しいことが出てきたら喜ばなくてはいけないのです。「苦しみが出てきた、大変なことが出てきた。よし、これを乗り越えてやろう」と思ってやっていくと、本当に立派な人になっていけるのです。
そして、その中心となるのがなんといってもお題目なのです。ですから苦しいことを乗り越えながら真剣にお題目を唱えていくと立派な体験ができて、本当の幸せと楽しいことがはっきり起こってくるのです。そういうことを信じて、なお一層、しっかりお題目を唱えていってください。解りましたか。 これで話を終わります。みんな元気で頑張ってください。
私は、ひいおばあちゃんが日蓮正宗にかわった家に、生まれました。生まれて2カ月位からお寺の唱題会に、お母さんと毎日さんかしていたそうです。
ほとけ様へごくようさせていただくことは、とっても大事なんだよとお父さんが教えてくれたので、いつも自分名前を書いて、お年玉からごくようをしています。なのでお年玉は一つもつかえないけれど、心がとってもしあわせな気持ちになります。これからもずっとつづけていきたいです。
小さい時から、ご住しょく様やおく様がいろいろな事を教えてくださって、お寺が大好きでした。でも病気でつらい事がたくさんありました。
私は、食べ物のアレルギーで、牛乳、たまご、お肉、油がだめで、食べたい物が食べられませんでした。2歳の時に、初めてぜんそくの発作が出てから毎月入院していました。ベットでお母さんといっしょに勤行して、「家のご本ぞん様の前で、勤行ができるように、早く治してください」と、祈りました。
発作が出ると、せきが止まらないので、さんそマスクをずっとつけたままで、点てきもして、むねにも心電図のきかいをつけます。たんがつまると息ができなくて死んでしまうので、鼻や口からチューブを入れてたんをすいとる時、いたくってあばれるので体をおさえつけられました。何だか、何もかもが、いやなかんじでいました。
いつも目をさますと、母さんがとなりで唱題していました。「和実ちゃんのぜんそくは、ごう病と言って、ご本ぞん様しか治せないんだよ」と、話してくれました。私も、「早く元気な体にしてください」と祈りました。ご住しょく様やおく様も心配してお見まいに来てくれました。とってもうれしかったです。闘病へいゆのご祈念をしてくださり、げい下様へおねがいして、ごひふをご下付していただいてくださいました。とてもありがたい事なんだなと思って、毎日勤行、唱題を頑張りました。ふしぎな事に、それからは一度も入院していません。
私のお姉ちゃんは、毎日お寺の早朝勤行にさんかしてから学校に行っていました。私もいっしょに行きたくて、ようち園のさい後のころから、さんかできるようになりました。
小学校は、福岡教育大学ふぞく小倉小学校に合格しました。朝5時30分におきてお寺の勤行に行ってから、電車とバスで通っています。学校は、とても楽しくて、勉強も大好きです。全国の同じ学年の人が受けるしけんで一番になった事、ほとんど休まずに学校に行ける事、とてもうれしいです。お寺にさんけいして勤行、唱題を頑張ると、ご本ぞん様がごほうびをくださるとかんじました。いっぱい勉強して、お父さんの病院をつげるようになりたいです。
私は、こてきたいに入りました。毎日30分の唱題とれんしゅうがやくそくです。いつも、勤行、唱題、こてきと勉強で、あそべないけどやくそくを守って頑張ります。
私は、友達の有田君が病気で学校を休む事が多くて「信心をやったら私みたいな元気な体になるんよ」と話したいので、お寺のご祈念ちょうに名前を書いて話せるように祈ってます。
法華講連合会全国鼓笛隊コンクール合宿が、7月30日から8月1日の3日間、全国26地方部・28チームの鼓笛隊員1110余名とブラスバンド、スタッフの380余名が参加して行われた。また、少年部合宿が、翌7月31日・8月1日の2日間、全国の少年部員1230余名と付き添いの2千名が参加して行われた。さらに8月1日には、年部大会に参加するため日帰りの少年部員340余名、付き添いの630余名も登山した。
7月30日 鼓笛隊員は午前中に着山し、午後1時半からの御開扉に参加。その後、午後3時から広布坊で結団式が行われ、鼓笛隊員代表3名の決意発表、小松貞子鼓笛隊責任者による注意事項、井手企画部長の挨拶があり、有意義な合宿となるよう確認した。その後、各チーム毎に分散して午後5時まで練習を行った。この後、それぞれ宿坊で勤行・夕食となり、順次浣衣堂で汗を流し、就寝した。
最優秀賞 西中国 金 賞 東京第一A・大阪 銀 賞 東京第二・東京第一B・北海道第一A 銅 賞 神奈川・中九州・北陸・福岡
◎御法主上人猊下御言葉
♪ 勇気
♪ 正直
♪ 正義
そういうことで、この歌は本当によい歌です。1番の「広い空」、そしてそこへ向かって無限に伸びていこうという気持ち、これが大事なのです。もう1つは、海の底のような深さを持って、色々な人の気持ちを考え、包容(ほうよう)しながら、しかもみんなが仲良くやっていこうということです。しかし、仲良くやっていこうということは中心がないとできないのです。中心がないと必ず仲良くはできません。
♪ 苦しみ
○体験発表 妙宝寺支部・井ノ口和実(小3)