大白法

平成16年9月16日号


主な記事

<1〜4面>

<5〜8面>


back      index      next



御法主日顕上人猊下御言葉
御登座25周年奉祝行事の砌より抜粋


※妙音の編集方針に基づき、大布教区別僧俗代表指導会に関連の記事は、大日蓮703号に掲載の御法主上人猊下の御言葉で差し替えました。


暑いなか、皆さん、本当に御苦労さまです。満25年前の8月6日、要するに昭和54年8月6日に私が登座をさせていただく運びになったのであります。この登座25周年に当たって、八木日照君が発起人になり、ある一部の人達と話をして、弟子一同でなんらかの形をもって祝いの印を表したいというような話がありましたので、私としてもそれはたいへん有り難いことと思いまして、遠慮なくそれを受けることにしたのであります。

時というものはおもしろいもので、実は私も、最近の色々な宗門の情勢などを感じた上から、できれば弟子達一同、すなわち君達にある話をしておきたいということを考えていたのであります。そういうところから、この申し入れを受け入れるとともに、弟子である君達一同に私から話をしたいと思います。

「出づる息は入る息を待たず」(御書1823ページ)という大聖人の御聖訓もある。また、「かしこきも、はかなきも、老いたるも若きも、定め無き習ひなり」(同1482ページ)と大聖人様が仰せのように老少不定ですから、私もいつ、どういうことがあるかも知れないし、また、縁あって君達が私の弟子となっておる以上、そこに宗門のことを深く考えるとき、みんなが集まってきてくれたことを幸いに、色々な面で話をしたいと思います。たいへん暑いなかで、お仕置きに近いけれども、しばらくの間、辛抱してもらいたいと思う。

御登座25周年奉祝行事

○登座以来の三原則

まず、私は登座以来、君達ばかりでなく、宗門全体の僧侶の人達に三原則というものを申し上げてきたのです。

その一つは「祖道の恢復(かいふく)」ということであります。これは当然、日興上人の「二十六箇条」の御指南を基準としておるわけです。その「二十六箇条」の御指南が、時代によってきちんと守られていないような形が、もし、あるならば、たいへん申しわけないことであると思います。したがって、そういうことをおのずから是正して、日興上人の御指南に基づいた祖道の上から、我々僧侶の実践を図っていくということであります。

次が「広布への前進」ということであります。必ず広宣流布へ前進していくという宗門の在り方を、我々一人ひとりが常に心肝に染めていかなければならないわけである。その意味での「広布への前進」ということが一つの大きな命題としてあるということを述べてきたのであります。

三番目が「異体同心の確立」であります。この異体同心ということは、色々な意味で、口では簡単に言うけれども、実際には非常に難しいことなのです。このなかには色々な魔が出てくるのです。その魔が色々なところから現れてきて、例えば、それがその人個人が持っておる過去からの色々な煩悩・罪障ということが原因になっておる場合もあるのです。ともかく様々な意味で色々とくだらないことを考えたり、言ったりすることによって、それがさらに伝播していって、お互いがけんかをしたり、そのほか様々な意味で心が離ればなれになっていくのである。そして、総本山を中心とした根本の在り方というものが、いつの間にか外れていくような姿が出てくるのです。

そういう点で、まず僧侶が異体同心の模範をきちんと示していかなければならないのであります。広宣流布が阻害されている大きな原因の一つに、僧侶と信徒、あるいは信徒間の色々な意味での感情的な軋礫(あつれき)や様々なことがあって、異体同心ができないという姿があるのです。しかし、大聖人様は常に、「日蓮が一類は異体同心なれば、人々すくなく候へども大事を成じて、一定(いちじょう)法華経ひろまりなんと覚へ候」(同1389ページ)と御指南であります。したがって、我々は常に異体同心ということを考えなければならないのであります。

私は、この3つを常に申し上げてきたつもりであります。日達上人の時には日達上人の御指南に基づいた宗門の方針、もちろん根本的には全部同じだけれども、その上からの日達上人の御指南によって、すべての人がそのもとに広布へ前進し、異体同心の前進を図ってきたのでありますが、私になってからは特にこの3つをはっきり申し述べて、そこに方針をきちんと表してきました。

したがって、その方針は終始、確定しているのです。ところが、最近、確定していないようなことを感じている人がいるらしいのです。それというのは、創価学会と一緒になってやってきた時代があって、その後、創価学会と別れたが、そこには宗門の正しい方針が確立していないのではないかということを考えたり、言ったりする者がいるようなのである。これは私から言わせれば、大きな間違いです。

創価学会がいようと、いまいと、今、申し上げた三原則は七百年来のことでもあり、私も登座以来、この三原則をきちんと申し述べておるわけであります。そこには創価学会が一緒になっていた時も、いない時も、少しも変わりはないのです。そこには既に根本方針が確立しているのです。それを今さら「学会がいなくなったことによって、宗門の方針はまだ確立していないのだ」などと言うこと自体、その考えが根本的に間違っているのである。そこのところをはっきり申し述べておきたいと思うのです。


○宗門の教学について

それから、もう一つは教義の問題ですが、御書を根本とするということは日興上人の「二十六箇条」に示されております。すなわち、「当門流に於ては御抄を心肝に染め極理を師伝して若(も)し間(いとま)有らば台家を聞くべき事」(同1884ページ)とあります。よって、台家を学ぶことは従なのです。さらに八宗を兼学するということもあるけれども、それももちろん従なのです。

御書を根幹とするということは、特に日興上人の教えにおいて存するのです。しかし、他門はそうではありません。ですから五一相対、『富士一跡門徒存知事』などで、他門の僧侶が御書をすき返しにしたり、その他、様々な意味で御書を軽視した形もあるということで、日興上人の破折が存するのです。他門の者達、特に日蓮宗は、昔は一致門流と勝劣門流があり、一致門流がおおよそ現在の日蓮宗になっており、勝劣門流のほうは色々な派に分かれているわけだが、この者達の考え方の元は、簡単に言えば、すべてが釈尊の説かれた法華経のなかから顕れた日蓮聖人ということなのです。だから、すべては釈尊の教えのなかから出ており、したがって天台の法華経の解釈からも日蓮聖人の法門が出ていると考えているのであり、それが結局、大聖人の正しい教えにきちんと入ることができない所以(ゆえん)なのです。

大聖人の御法門は、みんなも知っているとおり、三重秘伝、あるいは五重相対、『観心本尊抄』の五重三段等の法門の上から従浅至深して、その上で結要付嘱の法体を大聖人様の弘通の法としてはっきりお示しになるのです。この内容をお示しになるのは大聖人様の特権なのです。それを、釈尊はそのようなことを言っていないとか、天台大師の法門にもそのようなことはないとか、あるいは本経・本論から見れば云々などと、そのようなことを言うのが日蓮宗の連中なのであり、これはとんでもない話なのです。

付嘱の法体をお顕しになるのが三大秘法で、その三大秘法の内容は大聖人が初めて、御自身の御所持の上からお示しになるわけだから、大聖人以外に正しいことを示された方はいないのです。だから天台・伝教の考え方よりも、さらに大聖人の御指南が根本となるのである。そこで日興上人の「御抄を心肝に染め」という御指南が存するわけであります。その上からいくならば、みんなも『六巻抄』を勉強しているはずだから解っていると思うが、根本の法体は久遠元初即末法・末法即久遠元初なのです。そこに三大秘法総在・人法一箇の御本尊の当体が根本にましましておるわけである。このところの法体がそのまま日蓮大聖人の御所持の法であり、大聖人様の御当体なのであって、そこのところが根本なのです。

そうすると、釈尊の仏法は、相対妙からするならば内外相対・権実相対・権迹相対・本迹相対・種脱相対とだんだんと入っていくのだが、根本のところが三大秘法の法体として顕れたときには、今度は「そのなかから顕れてくる釈尊仏法」なのです。だから釈尊が垂迹の立場から法華経を説き、法華経の本門の上に久遠五百塵点劫の本果の仏の化導を顕し、その体を顕したということになるが、能生・所生の関係においては、この本果の仏はさらに久遠元初の本因の仏から顕れてきているものなのです。このことはみんな知っているはずです。能生は根本の法体であり、そこから顕れてきておるのが釈尊仏法なのです。その釈尊仏法のなかにおいて、今日、色々な法が残っておるということなのであります。その根本のところが中心になるならば、あとは垂迹のほうのことだから、その見方が色々な形になって出てくる意味があるわけだ。しかしそれは、一切が垂迹の形なのである。だから垂迹の上においてそういう見方、こういう見方というように色々な見方があったとしても、それはことごとく根本の妙法の一大秘法に帰一するのである。

したがって、垂迹の上のところに執われて、そういうことを色々とやっておることが本当の学者だと考え、他宗の学者と意見の相違を論じたりして、一分において他宗の学者の考え方を正すなどということを行っている者もいるようだが、君達が根本の大聖人の法体のところから、すなわち御化導の上から堂々と破折をするなり、あるいは論争するならば、それは結構です。大いにやってもらいたい。しかし、そこのところを外れて、「中古天台がどうだ」、「天台の五時八教が本当である」とか「五時八教は信じられない」などと、垂迹のところをもって論争するのであれば、それは意味がないのです。

ついでに申し上げると「五時八教が信じられない」という説があるが、これは今の研究で、法華経は釈尊滅後300年ごろとか500年ごろの成立であるとしているのです。あらゆる経典がみんなそうであり、その一つひとつは別々の成立なのだと言うのです。では、お釈迦様の教えの中心はなんなのだということになると、結局、ばらばらになってしまっておるから、そこには基本中心は何もなくなってくるのです。では、どのような形で仏教全体があるのだ。「釈尊は小乗仏教しか説かなかった」という意見もあるし「それからあとの大乗はみんな別の聖人などが次から次へと現れてきて説いたのだ」と言っても、結局、仏教は釈尊が説いた形になっておるわけだ。

もし、別々だということを徹底して論じるならば、徹底してそのところの立場に立てばよいのである。ところが、現実はそうではないではないか。念仏を唱えたりするなど、それぞれの宗旨は元からの「その立場」において行っているではないか。それはみんな、過去からの仏教全体の在り方の上における各宗の祖師の間違った判釈に依つているわけであって、特に変わり映えもないのです。ところが博士と言われるような他宗他門の連中は、自分の宗旨とは懸け離れたような色々な意見をいっているのです。しかも同じ宗旨の人でも、みんな意見が違っているのだ。そのような学者のお世話になって博士号を取ったからといっても、私もろくなことはないと思うのです。つまり、一切が垂迹から来ているということを見るならば、その一つひとつのところに執われる必要はないのです。このことを一つだけ、教義の問題について言っておきたいと思います。

我々が信仰する大聖人の御法、つまり三大秘法総在の妙法蓮華経のなかにはあらゆるものが具わっておるのです。ここからあらゆること、すなわち世間の人事百般のことまでも含めて、これを広げれば、日寛上人も仰せのように、一大秘法が三大秘法、三大秘法がさらに六大秘法、六大秘法がさらに八万四千の法蔵になるのである。八万四千の法蔵ということは、一切衆生の一人ひとりの煩悩が八万四千あるから、それに対応する法門が八万四千あるとも言われるわけで、そこに、あらゆる人間を導いていく法が存するわけだ。その元は妙法蓮華経にあるのである。その信心が根本であり、修行があり、そこにまた学問があるのである。<その意味の学問を大いに行ってもらいたい。

だから、そこのところはきちんとけじめをつけた上で、『本尊問答抄』にもある能生・所生の問題、すなわち、「法華経は釈尊の父母、諸仏の眼目なり。釈迦・大日総じて十方の諸仏は法華経より出生し給へり。故に全く能生を以て本尊とするなり」(同1275ページ)というところから、能生をもって本尊とするということが肝要であります。ですから、あらゆる仏・菩薩、あらゆる経々はすべて妙法蓮華経から顕れ出たものなのだ。そこをきちんとしていくのが、大聖人の仏法を正しく拝し、御書を中心とする拝し方になるわけです。「その勉学」をしっかり考えてもらいたいと思います。


○自称正信会について

それから、これはみんながどう見ているかは知らないけれども、自称正信会の連中が勝手に色々なことを行ったことがありました。すなわち色々なものを批判し、私をも批判している面がある。このあいだは自称正信会のおかしな者に対して、宗門の有志の者が基本のところから論じて、彼らの考えの誤りをきちんと破折してくれたようです。

さて、実は私はけっして私自身、立派なことを行ってきたとか、優れたことを行ってきたなどとは絶対に思っていません。本当に足りないことだらけでもあり、間違ったことも多々あったと思うが、ただ、私自身の気持ちにおいては、日達上人が「おまえがあとをやるのだ」と仰せになって、それをお受けした以上、本当に大聖人様の仏法に正しく準拠して、どこまでもその真実の上からの気持ちをもってやらせていただこうという、その一念を持ってやってきたのです。だからその時々に応じて、その時の正しい対処をはっきり行う覚悟でやってきました。ところが、25年間を振り返ってみると、ありとあらゆる魔が荒れ狂ったという面もあるだろうし、色々な流れが、実に複雑あるいは怪奇な状況を表してきたということもたしかにありました。

最初のうち、なぜ私が創価学会と一緒にやってきたかというと、前からの経緯もたしかにありましたし、私が日達上人の元で教学部長、また、ごく短い期間だったけれども総監の役職もお受けしたことがありました。そういう形のなかで、創価学会と一緒に宗門の広布の上に法務を執らせていただいた時期がありました。これは登座以前ですけれども、その時に色々な問題があって、特に池田大作の増上慢の上から「創価仏法」だとか、色々なことを言い出したのであります。池田大作は本当に根本から増上慢の人間だったのです。

しかし、日達上人の御遷化の年、昭和54年の5月3日に、創価学会が日達上人をお招きしての総会があり、私も出たけれども、その総会において、大作が今までのことを改めて宗門の外護の団体としてしっかりやっていくという誓いの意味での発表を行ったと思いました。日達上人もそれに対応されて、その総会の時に、今までの誤りを反省した上で、信徒の立場を正しく弁(わきま)えて、宗門をあくまで正しく外護していってもらいたいというお話をされたのであります。つまり、色々な問題がありましたが収束されたのです。

そのころ、自称正信会という者どもが出てきて、盛んに創価学会、池田大作の悪口を言っておったわけで、そのことに対して日達上人も最終的に「やめなさい」と仰ったのです。そして、私はその時、「その状況」をお受けしたわけです。それ以前に付嘱の意味においてお受けはしていたけれども、特にその時のお言葉をお受けしつつ、御遷化に値(あ)ったわけであります。したがって、その時からあとは、日達上人が収束あそばされた以上は、そこのところを基準にしなげればいけないわけだ。

ところが、自称正信会の者どもは創価学会に対する攻撃をやめないのです。そして、創価学会を攻撃する大会を開くというのです。「やめなさい」と言ったのですが、開催してしまったのです。したがって首謀者何人かに対しては、ある程度の処分をしたのです。そのほかの者に対しても軽い処分をしました。ところが、今度は私の血脈相承のことについて云々しだしたのです。最初のうちは、私に対してきちんとした形で一往、随従しながらやっていくというような形を示したにもかかわらず、その処分があってからは血脈の問題を裁判に訴えたのだ。こんな莫迦な話はないのです。どんなに訴えようが宗教上の問題が世間の法で裁くことはできないのです。ですから裁く範囲外であるということが終始一貫した裁判所の見解だったのです。これは当たり前の話です。そのようなことを裁判にかけること自体がおかしなことなのです。よって、自称正信会は現在、まことに踏み外した道を歩いている結果になっでおるわけです。

だから、私は日達上人が御収束あそばされた上から、創価学会を大きく抱きかかえつつ、それでもなんらかの折りには、池田大作に対しても指導をしてきたつもりであります。そのような流れでずっと来たわけですが、やはり大作には「俺が大聖人の仏法の中心だ」という、まことにわがままな、宗門の仏法の本質を誤った我見の考え方が根底にあったのです。それが徐々に頭をもたげてきて、ありとあらゆる面で色々な謗法の姿が出てきたという次第であります。私はこれに対しても改めさせようとしましたけれども、結局、改めることがなく、さらに誹謗が非常にひどくなってきたのです。


○平成法難について

そして平成2年の「11・16」の不遜なスピーチが行われたのでありますが、この時の状況が実に不思議でした。私はこの時に「時」ということを感じたのであります。大聖人様は御書のなかで本当に時ということをおっしやっておるのです。末法は妙法を弘通すべき時であると同時に、すべての邪宗邪義の力が右往左往し、一切の人がその謗法の姿のなかで堕地獄の相を表しているような時であるということをおっしゃておる。やはり時ということがあるのです。

みんなも覚えているだろうが、平成2年は大石寺開創七百年の年なのです。この時に創価学会の謗法が具体的にはっきり出てきたのです。そのはっきりした最初が「11・16」なのである。あれも非常に卑怯な形がありました。どうしてかと言うと、衛星放送を使って全国の会館に池田のスピーチを流したのです。日本国中、津々浦々の会館に会員をみんな集めて、池田大作のスピーチを聞かせて、会員を宗門から離れさせる洗脳を図っていたのです。しかも会館に入る時に、参加の婦人部員のハンドバッグのなかを全部、青年部員に改めさせたのです。なぜ、そのようなことをする必要があるのか。そのなかに、いわゆる盗聴マイクとか、テープレコーダーなどが入っていないか調べるのです。要するに池田大作の、言葉が録音されないようにするのです。そのようなことをいちいち調べているのです。

創価学会ば表面上は「人権だ、平和だ」などと偉そうなことを言うけれども、裏ではいかに汚い策略を回しているかということなのです。池田大作は自分のスピーチの内容を宗門に聞かれてはまずいから、そのようなことをさせるのです。ところが不思議に「11・16」の池田大作のスピーチの全部が録音されたテープが手に入ったのです。それがこちらの手に入ったので、創価学会に「どういうことですか」と、そのテープを提示して聞いただけなのです。ところがそれに対して創価学会は荒れ狂いました。なぜそんなに荒れ狂う必要があるのか。堂々と言っていることなら、それに対してまた堂々と返事をしたらよいではないか。

けれども、彼らが言ったことはどうだ。「こんなテープはうそなのだ」と全部、うそだと言うのです。いかに彼らの考え方の表と裏とが違っているかということが色々な形で解るだろうと思うのです。そういうことから、どうしても創価学会は直らないので、はっきりとけじめをつけて、平成3年に破門にしたのであります。

今日の創価学会は本当に謗法の団体になりました。ありとあらゆる面から謗法の団体になっておる。よって、私の弟子のなかで、大聖人様の正しい仏法を受け継ぐ上において、創価学会の者どもと肚のなかで気を合するような考えがあるとしたらとんでもないことだ。「謗法の者をせか(塞)せ給ふべし」(同1388ペー)という大聖人の御指南のとおり、創価学会の者については常に破折ということ、そしてその破折によって正法に帰せしめるという気持ちを持ってもらいたいと思うのです。


○僧侶の心構えについて

三原則ということを先程、言いましたけれども、いわゆる「広布への前進」ということは宗門の大目標であります。「造次も顛沛(てんぱい)も」という言葉があるが、いついかなる時でも我々一人ひとりは広宣流布のために生きているのだ、僧侶として生きているのは、大聖人様の正しい仏法を広宣流布するためであるということを忘れないでもらいたい。安易な気持ちで流れてしまうと、つい、そこを忘れるのです。

それから生活の問題についてですが、このなかのある程度の人が、ある程度の収入しかない場合があって、願い出てきちんとした収支計算を宗務院財務部へ提出すれば、足らない部分は毎月、ある額までが宗門から補助されているはずだ。それだからといって、それでよいものではないのです。自分がもっと真剣に勉強して、勤めて、できればこのような宗門からの援助を頂かなくても済むようにやっていこうという気持ちが大切だと思うのです。

しかし、やむをえず頂いていることは頂いているということで、それは結構だけれども、そのなかから安易な気持ちに流されて「これで御飯が食べていける。これだけあれば、足りない分は補助してもらってやっていける。願えば、足りない分が来るから、全部の合計がいくらになる。毎月、合計金額は決まった額になるから、いくらの月給をもらっているようなものだ」ということで、いい加減に、安易な状況に流されている者がいるとしたら、これはとんでもないことです。それだけ大聖人様から頂いているのだから、毎日、毎日を本当に広宣流布のためになんとか考えていこうと、そして、その方策はその一念の信心があれば見つかるはずなのだ。これもひとつ是非、考えてもらいたいと思います。

次に僧俗の関係ということを少し言っておきたいと思います。僧俗の関係はやはり信頼が大事です。けれども、やはり僧侶は世間知らずなのです。世間の人達には色々な意味の厳しい世間の事柄が多々あり、そのようななかで生活しているのです。いわゆる色々な意味の人情の機微などは世間の人間のほうが詳しい意味もあるのであって、僧侶はやはり世間知らずの意味があるのだ。ですから、僧侶がいい加減でわがままなことを言う癖があると、こちらにそんなに悪い気持ちはなくとも、ちょっとした言葉が、ある信徒の心を大変に傷つけて、結局、その人は信心を退転してしまうこともあるのです。せっかくお寺へ来ているような縁故がある人の信心を退転させてしまうということは、これも一つの大きな謗法になるわけです。

それよりもお互いのなかに信頼ができてくれば、その信徒の人達が逆に「あの御僧侶の所へ折伏した人を連れて行こう」という気持ちになるのです。なかには折伏してきた人に対して冷たい態度を取ったり、知らん顔をしてみたり、「お寺に迷惑をかけるような人だったら折伏するな」などと言うことはとんでもないことだ。どのような人でも全部、受ける気持ちでやってもらいたいのだ。それで、仮りにお寺に迷惑がかかったら、かかったでよいではないか。どのような人をも救っていこうということが、大聖人様のお心ではないでしょうか。その上でこの下種の大法をもって、どのような人でも救うのである。時には非常にひどい境遇の人を折伏したとしても、正しい気持ちで導いていくところにおいて、本当にその人が大きな功徳を持ったときに、今度はその人が完全な、真剣な正しい信心をもって折伏することができるのだ。


○「僧侶主導の広宣流布」について

それから、最近、宗務院でも言っていることだが「僧侶主導の広宣流布」ということを色々と聞いていると思います。私はたしかに僧侶主導の広宣流布ということを言いました。それはそうでしょう。広宣流布と言っても、お寺に御授戒を受けに来るところから始まるのであり、そしてお寺にしよっちゅう通ってきて信心を倍増していくところから信徒の在り方ができてくるわけで、そのなかから正しい功徳を受け、御利益を頂いて「これならひとつ、是非、ほかの人にも伝えていこう」という、五十展転・随喜の功徳、つまり折伏が始まるわけである。

したがってその元は僧侶にあるのであって、もしも僧侶の姿がインチキだったり、いい加減だったり、冷たかったり、わがままだったりすると、信者が「このお寺には来たくない」ということになるのです。これでは広宣流布にならないではないか。

ですから、説法一つをするにしても、一週間前、十日前からお題目を唱えて、一生懸命に御書を拝してみると、何か自分のなかで掴(つか)めるものがあるのだ。そして、それを掴みながら、また、さらにお題目を唱えれば、そこに「よし、この内容をお話ししよう」ということがはっきり出てくるわけだ。また、自分自身がしっかりと大聖人の御指南を正しく拝することによって掴めるのであるから、そういう意味における説法は身になるのです。

ところが、世間話ばかりして終わるような寺院があるということを聞いております。たしかに世間の話もよいでしょう。けれども、仏法のところから照らした世間の話でなければいけません。仏法から正しく照らした世間の話は「このような世間の状況は、これは仏法から見てこうなのだ」と言うことは結構だが、仏法と関係ないような世間話をして、それで終わるようなことだったらどうするのだ。御講に対する態度一つにしても、そこに僧侶の考え方が根本的にまじめで、自分自身のなかで正しく大聖人の仏法の話をさせていただこうという気持ちがあれば、それができるはずなのだ。私はそこから広宣流布が始まっていくと思うのです。

そういう意味で、私は広宣流布の主導は僧侶にあると言ったのです。ところが、信徒間のありとあらゆる意味での発展とか、そういう意味での連絡・指導等までを僧侶がやらなければいけないというように間違えているような形が少しありましたので、このあいだ、総監や庶務部長等を呼んで、その点についてもう少しきちんとした考え方をしたほうがよいのではないかということをお話し申し上げたのです。よく解ってくれました。あの人達もその点は解っていたのだけれども、つい、言葉だけが一人歩きしたのではないかと思うのです。

要するに、信徒といっても、例えば100所帯、あるいは300所帯、500所帯というように、それぞれの寺院によって色々な所帯数があるが、新しい信徒がいるとした場合に、この信徒は御供養をどのようにしたらよいのかとか、あるいは、どのような時にお寺へ来なさいとか、そのほか色々な問題があったときに相談に乗るというようなことについて、そのすべてを一人の僧侶が対処できるでしょうか。だいいち、接触の機会も少ないし、一人ひとりが住職の元へやって来たら大変です。

ところが「そういうことまでみんな僧侶が行うから、信者はしてはいけない」ということを言った僧侶がいるらしいのだ。僧侶主導の広宣流布ということを履き違えているのです。それでは将来に向かって一閻浮提広宣流布などできますか。信徒から信徒へ正しく教導されて、指導が行われることが大事なのではないでしょうか。

指導という意味は、たしかに僧侶がいる前で「信徒の指導があります」というのは多少、遠慮したほうがよいと思います。例えば僧侶・信徒が大勢いるときや、私がいるときに「これから総講頭の指導があります」というのは、気をつけたほうがよいけれども、それでも、私は指導という言葉ぐらいはよいと思うのです。指導などという言葉はどうということはないではないか。信心というものの在り方は色々な意味で色々な部分があるわけだから、それが信徒から信徒へ伝わっていくわけだし、300所帯、500所帯にもなったら、その一人ひとりに、一人の指導教師が全部、話をすることができるでしょうか。そのようなことはできないのです。やはり講頭以下、支部の組織がありますから、そのなかから先達の人が次の人に色々な形を教えていくことになるのであり、結局、これは指導になるのです。「そのような在り方があってはいけない」とか「それが僧侶主導の広宣流布なのだ」などという考えは、履き違えもよいところだと思うのです。もう少し、実相をきちんと考えてもらいたいと思います。

ただ、信徒があまりに威張り過ぎたり、あるいは信徒が僧侶を蔑(ないがし)ろにしたりするようなことがあるから、あくまで僧侶が指導するのだという考えもあっただろうけれども、そういうことがあれば、冷静に慈悲の心で注意すべきです。しかし、そこのところが言葉だけで冷たかったり、あまりに行き過ぎたら、今度は信徒が萎縮してしまって「それでは我々は何もしなくてよいのだ」ということにもなりかねないのです。そこには全く発展はありません。このことは難しいと言えば難しいけれども、僧俗が本当に素直な気持ちでお互いが助け合いながら、その上で僧侶は根本のところをしっかり行っていく。そして、さらに信徒はその指導教師なり住職の意図を受けて、横に広く、組織のなかにおいてお互いに励まし合い、あるいはまた場合によっては指導しながら、前進をしていくということが大切だと思うのです。その意味において是非、僧侶主導の広宣流布という言葉を履き違えないようにしてもらいたいと思います。

もう一つは「情理兼到」ということを考えてもらいたいと思います。明治の文豪で、『吾輩は猫である』とか『坊ちゃん』などというおもしろい小説を書いた夏目漱石の有名な言葉があります。それは、「智に働けば角が立つ。情に悼(さお)させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角(とかく)に人の世は住みにくい」と言うのですが、たしかにそういう意味からすれば、情のほうに偏ると、どうしても流されてしまうのです。それによって筋道を乱すような形が出てくるのです。それから理のほう、すなわち、きちんとけじめをつけて四角四面の状態で行っていくと、そこについ角が立って、お互いが言い合いをしたりけんかをするようなことも出てくるということなのです。しかし、理の面、すなわち正しくけじめをつける面と、それから情という両面から大きく包んで、情けの上から色々な人を包容していくという意味があるのです。しかし包容し過ぎると、まずいことが起こるのです。特に、親が子供を包容し過ぎて、子供の悪いところに対して何も言わないでかわいがってばかりいると、その子供は必ず不良になります。ろくな子供になりません。やはりある程度、悪いところは悪いできちんとけじめをつけなければいけません。そこにおいて情理、情と理の両方が大切なのです。その情理を兼ねて到るということを考λてもらいたい。つまり信徒に対しても、情けと慈悲の上からの気持ちと、理の上からのけじめをきちんとつけること、その両面をきちんと筋目をつけながら行っていくことが大事だと思うのであります。


○勤行の姿勢について

次に申し上げたいのは、勤行の姿勢であります。私は登座以来、丑寅の勤行に出仕する所化・小僧に厳しく言っている。このなかでも、勤行の姿勢について私からずいぶん怒られた人間がいるでしょう。手を挙げなさいと言ったらかなりの人間が手を挙げるだろう。皆さん、大聖人様の御書を拝してごらんなさい。結局、南無妙法蓮華経と唱えることにおいて一切が救われるし、一切が解決するし、成仏の道は南無妙法蓮華経と唱えることと言われているでしょう。いわゆる三大秘法総在の妙法蓮華経はそのまま直達正観の南無妙法蓮華経なのですから、そこが根本なのです。お題目を唱えるということがあらゆる教義・教学の一切を含めた根本なのです。そこが解らなかったら何を勉強したとしてもどうしようもないのです。

だから勤行というものは大事だということをしっかり考えてもらいたい。特に住職の者は、朝晩の勤行を時間どおりにきちんと行うということが大切です。ある僧侶が、勤行をしないというのです。私はそのようなことを信じませんし、信じたくもありません。とにかく、朝晩の勤行ほど大事なことはないのです。僧侶の生きがいの一番中心はそこにあるのです。そして、決まった時間に勤行をすることが大切です。それがいい加減だと、結局、「あの僧侶はいい加減だ」ということになってしまうのです。そこに信頼の有無の根本があるのだ。もっともそのほか様々なこと、つまり僧侶の振る舞い・行動・教導等の内容においても存在するけれども、一番の元は勤行だと思います。

勤行を行う場合、「勇猛精進」ということを忘れないでもらいたいと思います。勇猛精進の気持ちでしっかりお題目を唱えるのです。そうでなくて、いい加減な題目を唱えたり、いい加減な勤行をしていると、信徒は解るのです。「あの御住職の勤行の態度は、頭がしょっちゅうあちらこちらを向いたりしています」という手紙が信徒から来たこともあるのです。そういう姿を見ると、信者もおかしくなってしまうのです。それでは広宣流布はできないのです。やはり僧侶の勤行の姿勢がきちんとしていることで、信徒に広宣流布に対する模範を示しているということがあると思うのです。

また、勤行の時には目をしっかり開いてもらいたいと思います。そして手は胸の前で45°に正しく合掌する。手をダラッと下げているのもだめだし、目はまさしく御本尊を拝して、場合によっては「南無」を拝することもよいでしょう。「妙法」も「蓮華」も「日蓮」の御名を拝することももよいでしょうが、だいたい中心である「妙法」を拝して題目を唱える。そうすれば顔の角度が正面よりも少し上を向いた形で、御本尊に正対する頭の上げようがそこに出てくるのである。

ところが、頭が下がってしまっている、目をつぶっでお経をあげているような姿は、昔の僧侶の一部のなかにあったろうけれども、もしも君達の親がそういう態度でいたら、言ってあげてください。「師匠である御前様からこう言われた」と。おまえさん達は因縁の上から私の弟子なのだから「お父さんの勤行の姿勢は、頭が下がって目をつぶっているが、それでは大御本尊様の御当体である『南無妙法蓮華経日蓮』の人法一箇の御内証を拝することはちょっと難しいのではないでしょうか」ということを言ってあげてください。

ともかく、皆さん方弟子は、これからの宗門を担っていくのであるから、勤行の姿勢をきちんとしてもらいたいと思います。その上で勇猛精進の相を示していくところに信徒がおのずと導かれてくると思うのです。ある先輩の僧侶が、ある格好をしている。だから私もそのまねをすればよいのだという考え方の人もこのなかにいたかも知れない。けれども、これからの僧侶は一人ひとりが広宣流布を担っていく僧侶ですから、このことを願いたいのです。

要するに唱題による大功徳を確信してください。御書のなかにも、特に『聖愚問答抄』のなかに有り難い御文があるし、そのほかのところでも、「あひかまへて御信心を出だし此の御本尊に祈念せしめ給へ。何事か成就せざるべき」(御書658ページ)という御指南があります。これが本当にあるのです。世間の人達は毎日、色々な面で不安な状況のなかで生活しているのです。ですから、あなた方はその面だけはよく見てあげたほうがよいのです。その面から本当に救われるためには唱題以外にないのです。真剣な唱題をすることによって、その人が救われるのです。

さらに、「なにの兵法よりも法華経の兵法をもちひ給ふべし」(同1407ページ)という御指南もあります。このあいだの寺族同心会の時に女性の方が歌いましたが、「勝つと思うな。思えば負けよ」という柔道の歌があります。本当にそのとおりなのです。勝とうと思うことも執われなのです。しかし本当に真剣に唱題すると、自分の身体に持っておるものが自然と如実の形において表れてくるのです。だから頭で考えなくても、命がそのまま、その時、その形になるのです。どのような形においてもその形になっていく意味があると思うのです。そうならば、負けることもまた、未来への充実発展の足場となるのです。そのほかありとあらゆる世の中の事柄、子供を育てることにしても、あるいは料理を作るにしても、その他、人事百般、ありとあらゆることの正しい解決が、お題目を唱えるところにあるということを私は今、本当に確信しているのです。

皆さんも、一人ひとりが唱題をしっかり行うと同時に、そのことを確信してもらうと、人を導いていくところの一番基本の心が必ず出てくると思うのです。

先日、ある人から質問があったのです。つまり「人間は死んだあと、どうなるのでしょうか」ということです。ですから私は因縁という上から、いわゆる断見と常見の話をしました。そして、世間の考え方は間違いであって、因縁の上からの三世常住、生死は業によって転じていくという意味のことを話したのですけれども、その時々に相手に応じて色々な法門なり、話をすることも結構でしょう。けれども一番の基本は唱題ということです。唱題をして確信を持って導いていけば、君らの一人ひとりがどのような人をも折伏できるし、また指導できるのです。


○住職初任地での御体験

さて、大変に忙しいところ、また暑いところ御苦労でしたが、最後に私が申し上げたいのが、どのようなことについても、苦しみに負けない覚悟を持ってください。私はこれだけは自慢して言える話があります。

私が初めに住職の資格を頂いたのは本行寺だったのです。それが昭和22年の5月です。ところが本行寺は焼けてしまって、その建物はまるっきりないのです。それで「名前だけ本行寺をもらっておきなさい」と、言われたので、わけが解らなかったが、そのようにいたしました。すると、本行寺の住職になったとたんに官から書類が来たのです。つまり、土地の払い下げに関する書類を出しなさいというのです。

戦時中に行っていた払い下げ問題が中断されて、戦後になって再開するから、その書類を提出しなさいと言うのです。ただし、その時に建物が建っていて宗教活動をしていないところは、この際、その土地を全部、官に召し上げると言うのです。しかも、その土地は官地になっていたのです。あの当時は、常泉寺もほかの寺も官地になっていたのです。明治5年の太政官布告によってそうなって、ほとんどの寺が官地になっていたのです。官地というのは、つまり大蔵省(現在の財務省)の所有で、ただ、ずっと無償で貸し付けを受けてきていたわけだ。その後、戦時中に土地の払い下げ問題が始まったのだけれども、戦争で中断になって、戦後、昭和22年から始まるというのだ。そして私が辞令を受けたとたんにその書類が来たのです。

しかし、書類を出せと、言われても建物が焼けてしまってないのです。ところが建物がないところの土地は全部、取られてしまうのです。私はこれについては2年間、大変に悩みました。その経緯については今、話をすると30分もかかるから言わないげれども、悩みに悩み、苦しみに苦しみました。

そのころ私は、常泉寺の執事をしながらそのことに当たっていたのです。そしてとうとう、昭和23年の11月2日に大工の手が全部、抜けたのです。大きな寺など出来るはずもなく、もちろん小さな寺だったのです。2年前に書類を出したが、大蔵省の役人がいつ見に来るか解らないのだ。そして、見に来た時に建物が建っていないと、それでおしまいなのです。ですから、私は2年間、役人が見に来ないように一生懸命、御本尊様に拝んでいたのです。その際、私は朝晩、涙がぼろぽろこぼれました。「なぜ、私だけこのような苦労をしなければいけないのだ」と思ったのです。

それでも真剣にお題目を唱えました。そうすると実際に見に来なかったのです。そしてわずか12坪の建物でしたけれども、完成して大工の手が抜けたのです。そして、大工の手が抜けて一週間目に大蔵省の役人が見に来た時には驚きました。・でも、このことによって今の本行寺の土地が無償で払い下げになったのです。その後、今の住職さんがもう少し土地を買い足して、また広くはなっているけれども、そういうこともありました。

その時に私は、お題目を真剣に唱えると必ず願いがかなうということを体験させていただきました。おまえさん達も、苦しいことがあったらしっかりお題目をあげなさい。このお題目によって苦しいことが必ず突破できますから、むしろ苦しいことがあったら「自分は大聖人様から、これをもって苦しめと言われているのだ。この苦しみは大聖人様から授かった苦しみなのだ」、と思ってもらいたいのです。それで、しっかりお題目を唱えると、大きな体験ができるのです。そして、このことが皆さん方がこれから一生を通じて信徒を正しく教導していく一番の元になると、私は確信するものであります。

大変に長い間、御苦労だったが、この機会において皆さん方に日ごろ話したいと思っていたことを話した次第であります。今後、それぞれの立場において、さらにしっかり精進してもらいたいと思います。


※中見出しは妙音で付けさせていただきました。



back      index      next