<7〜8面>
3日は午前10時から御法主上人猊下御目通りが行われ、法華講総講頭柳沢委員長、同大講頭の石毛副委員長・永井藤蔵氏・渡辺定元氏・石渡秀男氏・河原昭太郎氏・大草一男氏をはじめ、法華講連合会役員、地方部長、各支部講頭が参列した。柳沢委員長から御法主上人猊下に、一同を代表して新年の御挨拶を申し上げた後、御法主上人猊下より甚深の御指南を賜った。
午前11時より5回にわたり御開扉が行われ、奉安堂において本門戒壇の大御本尊様の御内拝を戴いた。日帰り登山者は順次下山の途につき、一泊者は各宿坊での勤行・夕食の後、午後7時から大講堂で行われた全国座談会に参加した。座談会では、金子東京第2地方部長、大講頭・永井茨城地方部長、大講頭・石毛副委員長からの激励の後、総講頭・柳沢委員長の挨拶があり、8時40分過ぎに終了。
翌4日は、午前2時半からの丑寅勤行に参列した。明けて、午前9時から客殿における唱題行に参加した。唱題行は御法主上人猊下の大導師のもと1時間行われ、終了後御言葉を賜った。この日着山の登山者は、午前1時半の2回の御開扉に臨んだ。こうして初登山の行事がすべて終了した。
立宗753年新春、明けましておめでとうございます。ただいま柳沢総講頭から、まことに御丁重な新年の御挨拶を頂きました。皆様にはまことにお元気なお姿で総本山に御登山をなされ、私も心から有り難く、また、うれしく存ずる次第であります。
本年は、僧俗がいよいよ一致して前進するという年と思われます。僧侶と在家という点におきましては、他宗他門と本宗では非常に大きな異なりがあります。それは、他門では宗旨の在り方において、僧侶は専門家であり、色々な面で一切を執り行い、在家の者は僧侶によって仏法の一分の行事その他を受けていくという意味があると思われます。
しかし、本宗においては僧俗は一途(いっと)であります。このことについては、総本山第九世日有上人も、僧俗は信心において全く平等であるということを仰せです。つまり大聖人様の教えは即、妙法蓮華経の即身成仏の教えでありますから、信心するというところにおいては、僧侶も在家も共に直ちに妙法蓮華経の当体なのであります。したがって、そこには僧俗になんの区別もなく、全く一つであるということが御指南でありますし、また、それによって僧侶のみでなく信徒も、妙法蓮華経の当体の上に、無作の一仏として即身成仏の功徳を得ることができるのであります。
ただし、そこには竹に上下の節があるように、僧俗の礼儀があるべきであるということも御指南であります。この僧俗の上の礼儀ということは、しからば僧侶が上であるから下の者に対して礼儀を忘れてよいかというと、とんでもないことであります。僧侶もまた僧侶の立場からの礼儀をもって御信徒に接し、信徒もまた僧侶に対する信徒としての礼儀をもって尽くされていくことが、礼儀の意義であると思われます。
特にこの礼儀ということは、これから正法を広宣流布していく上において、一番大切なことであると思います。大聖人様が、「教主釈尊の出世の本懐は人の振る舞ひにて候ひけるぞ」(御書1174ページ)と御指南でありますが、この御指南に人に対する礼儀ということが尽くされていると思うのであります。やはり、礼儀を忘れて仏法というものの「取り次ぎ」はできません。どんなに正しい仏法を信じているからといっても、礼儀に外れたならば、それを受けるほうがその仏法を正しく受けることができないのであります。したがって、僧俗が真に前進するということは、お互いが本当に礼儀をわきまえて、その礼節のなかから仏法の筋目を正していくということこそ大切であります。
そして新入信の方、あるいは折伏をしているところの未入信の方々に対しても、けっして高飛車に出たり威張ったり、そのほか様々な意味で相手に悪感情を持たせるような、いわゆる礼儀から外れる言動があったならば、なかなか仏法の功徳を示していくことができないと思うのであります。そのような意味において、僧俗が前進するということは、僧俗が本当に心から一致して広宣流布へ向かって邁進するということであり、このことは本当に大切だと思います。
また本年は、先程、藤本総監より新しい地方部長に対して辞令が授与されたと思います。このことをもって、宗門において分割されておりますところの全国の布教区の一つひとつに、法華講の地方部が出来たということでありまして、これは、連合会の組織が今までよりもさらに充実していく姿だと思います。
法華講連合会は、今まで仏法の大きな功徳を生じつつ色々な意味で御奉公され、そしてまた、広宣流布へ向かっての前進を行ってきたのであります。そして、これからさらにそれぞれの講中を立派に運営されていくとともに、連合会のなかに在ってしっかり連絡を取り合いつつ進むというところに、僧俗の真の和合の姿が表れてくると思うのであります。
また各支部の講頭の方々がここにおいでになりますが、やはりなんといっても講中の信心の在り方は講頭の信心から出発すると思います。もちろん指導教師の指導は大切でありますが、信徒の立場におかれては、なんといっても講頭の信心が大切であり、そこから出発するのであると考えて、強い御奉公の一念を持つことが大切であると思います。また、その一念が講中の姿を色々な面で充実していくところの元と思うのであります。
創価学会は明らかに変質している。客観的な視点に立てば、だれもが気づくことである。創価学会の勤行改変は日蓮大聖人の仏法を変質させたものであり、それは池田大作の退転と変心に起因している。しかし学会員にはそれが分からない。「惚れてしまえば、あばたもえくぼ」とは、恋の盲目を譬えた言葉である。強い好意や信頼を抱いてしまった相手に対しては、その欠点すら長所に見えるという、人間心理の錯覚を端的に表している。
問題は、その欠点の内容と錯覚の程度である。創価学会員の池田大作に対する心情に問題があるのは、如上の理由からである。仏法破壊の大謗法が大善行に見えてしまうのだから困ったものだ。列車の窓から遠ざかる景色に、自分を乗せた列車が遠ざかっていることを忘れるのも錯覚である。日蓮正宗は動いでいない。しかし、創価学会という暴走列車に乗っている学会員は、日蓮正宗のほうが遠ざかっているように見えるのだ。
勤行について日寛上人は、「開山已来化儀化法、四百余年全く蓮師の如し。故に朝暮の勤行は但両品に限るなり」(六巻抄193ページ)と仰せであるが、この時、既に五座・三座の勤行が確立している。日蓮正宗ではその後も三百年間、これを変えていない。それを創価学会は、このたび、いとも簡単に改変したのである。いったい、どちらが「変質」しているか、どちらが動いているか、一目瞭然である。
観念文の文言は、既に平成4年に創価学会独自の謗法経本を作製した時に改変している。基本的な謗法の在り方は、この時の改変と大差ないが、今回の特色は「観念文」を「祈念文」と改称した点と、池田大作に対する報恩祈念を顕在化した点にある。
つまり前回の改変では、五座に創価学会の初代・二代会長に対する報恩感謝の回向を行っていたが、今回はこれを四座に相当する箇所に「繰り上げ」、さらに三代会長の死身弘法に報恩感謝として、池田大作信仰に誘導しているのだ。まことにあつかましい男である。まだ生きている自分に対する報恩感謝を謳(うた)わせ、「死身弘法」だという。全く矛盾だらけの、支離滅裂な「御奇念」である。だが、これは今に始まったことではなく、池田の名を冠する建物を造っては、悦に入っていたのだから、当然といえば当然である。
しかし、観念文は重大事である。日顕上人猊下は、「この相承ということは・・・言葉という上においては『観念文』であります。皆さんは毎日、勤行をしておられますから、もう肚(はら)に入っているはずですが、あの観念文の意味が解れば全部、同じことなのです」(大日蓮・昭和58年11月号)と仰せになっている。
すなわち、日蓮大聖人、日興上人以来の御相承の深義が、観念文の文言のなかには含まれているのである。その難信難解な御大事を、一般僧俗の信心に対して、観念修行としてお許しくださったのが、御観念文なのである。私たちは、いよいよ謗法の念慮を絶(ぜつ)して、浄心に観念しなければならない。
しかるに、僑慢の池田大作たち創価学会の幹部は、この観念文の深さ、尊さを全く無視して、自分たちの私利私欲のために平気でインチキな「祈念文」に改変したのであり、これは、創価学会の崩壊と堕地獄を象徴するものである。
申すまでもなく釈尊一代の教えは、その本義がことごとく法華経に尽きるのであります。また、その釈尊が説かれた法華経は、末法に出現せられた宗祖日蓮大聖人の結要付嘱による妙法蓮華経に一切が尽きるのであります。その妙法蓮華経は、末法万年の一切衆生を三世にわたって正しく導くところの大法であります。それを伝えておるのは日蓮正宗のみであるということを、皆さん方は深く確信せられることが大切であると思います。
日本国には、今日たくさんの宗教があります。また、世界中には、さらに種々の宗教が存しますけれども、その中で真の仏法がこの日蓮正宗に伝わっておるということ、またそこに皆様方が縁をせられておるということに、大きな自覚と喜びを持っていかれることが大切であります。
今回は、大聖人様の御書の中でも、御本尊に関する御文を挙げさていただきました。大聖人様は御本尊に関する御文をたくさんお示しになっておりますけれども、その中でも特に肝要なところを抜粋してテキストのほうに挙げております。
釈尊一代の仏教がことごとく法華経に帰一するということ、それからその法華経がことごとく結要という要点をもって上行菩薩に付嘱をされたということも、これは付嘱という意味からの大事が存するのであります。仏法の一切の主旨は、正しい付嘱ということに存するのでありまして、そこにおいてまた大聖人様の真実の法、化法・化儀が、日興上人に正しく受け継がれ、さらにその法脈が今日に正しく伝わっておるという所以であります。ですから、「結要付嘱」ということを、まずここに挙げましたが、これは法華経の『神力品』に説かれております。
この結要付嘱ということについては、日蓮宗各派の中にはいろいろな考え方が存するのであります。しかしながら、やはりこれは『寿量品』の本因妙に存するということが本義であります。『神力品』に、「要を以て之を言わば」(法華経513ページ)と示されているように、一切のものは肝要、要点ということが最も大切なのであります。
皆さん方も毎日の生活の中において、いろいろな問題にぶつかった時に、この問題の中心はどこにあるのかということを見定めて、きちんと処置していくと、非常に正しく処理ができるということの経験があると思います。ところが要点を見定めずに、漠然とそれに対応しておりますと、いつまでたってもその問題が解決しない、あるいは正しい処理ができないということがあるのですですから御題目をしっかりと唱えていくと、皆さん方の命の中に、要点をきちっと整理するという心が自然に涌いてきて、自ずから問題が正しく処理されていくという意味が存するのであります。
そこで、この要点ということから『神力品』には、「要を以て之を言わば、如来の一切の所有の法、如来の一切の秘要の蔵、如来の甚深の事、皆此の経に於て宣示顕説す」(同)というように、「四句の要法」ということがはっきりと述べられております。そして、それは何であるかと言えば『寿量品』の根本にある下種本因妙、久遠元初の妙法蓮華経の五字、人法一箇の御本尊であるということが付嘱の要法、結要付嘱の妙法蓮華経であり、その法体であります。
まず始めは、大聖人様が佐渡の御配流になる以前の「鎌倉期」における御化導。二には、大聖人様が佐渡の国に流されてからの足かけ4年間における「佐渡期」の御化導。そして三つ目が、佐渡からお帰りなった後に、日興上人の御化導の縁を辿って波木井の所領である身延にお籠もりなった9カ年間の「身延期」における御化導。このように大きく三つに分けられます。
そこで大聖人様の一期の御化導は何かと言えば、これは三大秘法なのです。三大秘法というのは「本門の本尊」「本門の戒壇」「本門の題目」の三つですが、このうちの本門の題目が最初に述べられておるのです。この本門の題目の正しい意義が判らないのが、本宗以外の日蓮宗各派の僧侶たちであります。佐渡へ行ってようやく本門の教えに入ったなどと思っているんですね。これは大きな間違いなのです。大聖人様は宗旨建立建立の時に御題目を唱え始められましたが、すでにその時点で上行菩薩としての根本的な御自覚・御内証の上から悟りがあらわれたのです。ということは、要するに本門の南無妙法蓮華経なのです。
この御題目には、一往、迹門と本門があります。経文の上からも『序品第一』から『安楽行品第十四』までが迹門、『従地涌出品第十五』から最後の『普賢菩薩観発品第二十八』までが本門と、天台大師が分けておられるのです。しかし、これは一往、釈尊の法華経本迹二門であり、再往のところにはさらに深い意義があります。つまり釈尊がインドに出現されて一代の経典を説かれたけれども、その最後に説かれた法華経『寿量品』の中で、久遠の昔を指されて、すでに成仏していたということを述べられるのであります。
そこで、よくけじめをつけてみる。インドに出現した釈尊という方が法華経の『寿量品』の至って、その中で久遠の昔の成仏を説かれた。したがって久遠の昔において、すでに仏の化導があったわけですから、その久遠より立ち還った場合、インド応誕の釈尊の位置というものは、いわゆる垂迹の位置なのです。垂迹ということは、元からずっと迹を垂れて時代が経過し、やがてインドおいて出現して本門を説いたということですから、その本門というものは、いわゆる「垂迹の中の本門」であって、根本の本門ではないのです。
それに対して大聖人様が上行菩薩として釈尊から付嘱された結要付嘱の法は、根本の法体のところであり、それをお受けになったのであります。したがって、大聖人様が末法に御出現になり、宗旨建立の時に初めて唱えられた妙法蓮華経は、そのまま久遠の根本の本門の法体である三大秘法なのです。その三大秘法の御化導のかたちの上においては、初めに「本門の題目」を示され次に、「本門の本尊」、そして「本門の戒壇」というように述べられているのであります。
ところが他の日蓮宗各派の僧侶たちは、上行菩薩の結要付嘱の法体は、実はお釈迦様が説いた法華経二十八品の妙法蓮華経であると考え、垂迹の法華経二十八品とそれに即する妙法五字と、根本の妙法五字との本迹・種脱の違いが判らないのです。しかし、そのへんのけじめ、大聖人の御法門にはっきり示されているのであります。そこで、大聖人様が宗旨建立の時から「妙法蓮華経を唱えよ」ということをおしゃっておるのも、この大旨から存するのです。
たしかに、お釈迦様の法華経の中にも、受持・読・誦・解・説・書写という修行法は説かれております。けれども、法華経の修行として妙法蓮華経を直ちに唱えよということはおっしゃっていないんですね。法華経二十八品のどこを読んでも、その具体的な文はありません。しかるに、大聖人様が宗旨建立の時から「妙法蓮華経を唱えよ」とおっしゃっている、この「唱える」ということは、これは本門久遠下種の法体たる三大秘法の中の妙法蓮華経、すなわち本門の題目の相貎なのです。
その意味において佐前の鎌倉期における御化導がありまして、その中にはずいぶんたくさんの大事な御書がありますが、その要点を挙げて、鎌倉期における妙法蓮華経の意義・内容をお話したのが第6期・第7期の講義であります。
さて、仏教がインドから中国に渡り、そして日本へ来るまでの間には、多くの僧侶をはじめ、たいへんな数の人たちが法華経を修行し、また学んできました。けれども、この法華経の文々句々を身に当ててお読みになった方は、大聖人様の他には一人もいないのです。この法華経をただ一人、御身に当てて読まれたのが大聖人様なのであります。
また、その法華経身読の御振る舞いの中では、数多くの大難、小難が競い起こったのであります。その中でも、文永8(1271)年9月12日の竜の口の法難では、鎌倉の由比ヶ浜において大聖人様は斬首されようとしたのですけれども、いざ頸を斬らんとした時に、江ノ島の方より不思議な光り物が現れて、それによって大刀取りの目が眩んで倒れ臥し、大聖人様の頸を斬ることができなかったわけです。
それから大聖人様は佐渡の国にお出でになり、そこで『開目抄』をお認めになられて、その中で、「日蓮といゐし者は、去年九月十二日子丑(ねうし)の時に頚(くび)はねられぬ。此は魂魄(こんぱく)佐土の国にいたりて」(御書563ページ)と仰せになられております。これは要するに、日蓮という者は頸を刎られて死んでしまったとおしゃっているんです。そして魂は佐渡の国にお出でになったということであります。
この「魂魄」とは何かと言うと、これは本門の本尊としての法体であり、久遠の仏様の御当体なのです。ですから久遠元初の自受用報身と申し上げるのですが、この御内証をもって佐渡の国にお出でになるのです。
要するに、鎌倉期の御化導においては御題目をお唱えになる化導が中心だけれども、次の佐渡期では、その御題目の本体であるところの御自信の内証の上に、本尊を法門として、また大漫荼羅としてお示しになるのであります。ですからテキストの「佐渡以降の本門本尊の関する要文(一部)抜粋」というのがそれであります。
この「草木成仏」ということは、たいへん大事なことであります。まず法華経の本旨を述べた天台大師が、「一色一香も中道に非らざること無し」(摩訶止観弘決会本上55ページ)ということを言っております。これは要するに、あらゆる事々物々がことごとく中道であるという意味です。真理の上から言うと、空諦・仮諦・中諦という三つがあるけれども、それが全部一つのところに円融して具わっておるのが真実の中道であります。ですから中道ということは、あらゆる事々物々ことごとくの当体に法界全体を具えておるということであります。
また、これは天台大師の法門をさらに釈した妙楽大師の言葉ですが、「一草・一木・一礫・一塵・各一仏性・各一因果あり」という文があります。これは法華経の意義からすると、具遍を明かすということで、一切に遍く具わるという意味であります。
我々の命の中には、あらゆるものが具わっており、そこからあらゆることを考えて、喜んだり、怒ったり、楽しみ悩む等、その他にも様々な行動がある。時には、たいへん尊い慈悲の心をもって救済の行動を起こしたりと、いろいろなことがあるわけです。しかしながら、、朝から夜までの一切の生活を見れば、九界が具わっていることは判るけれども、仏界というのはどこにあるのか全く判らない。それほど仏界の存在は高く見難いのです。しかし、その仏の命というものも本来具わっておるということが述べられております。
特に法華経の『方便品』には、「諸仏世尊は、衆生をして、仏知見を開かしめ、清浄なることを得せしめと欲するが故に、世に出現したもう。衆生に仏知見を示さんと欲するが故に、世に出現したもう。衆生をして、仏知見を悟らしめんと欲するが故に、世に出現したもう。衆生をして、仏知見の道に入らしめんと欲するが故に、世に出現したもう。」(法華経102ページ)と開示悟入の四仏知見が説かれており、仏界を具える意義もそこにあります。つまり具えている故に開示悟入ができるわけです。
また、有情のみではなく、あらゆるものが具遍である、仏性が具わっておると言われるのです。ということは、一つの草や木、また一つの小石、さらには空中に浮遊している塵というようなもの、こういうところまでのすべてに仏性が具わっておると言われるのです。
また、具えるという意義は、仏性が正意であるけれども、また法界全体を具えておるということです。ですから「一草・一木・一礫・一塵・各一仏性・各一因果あり」という妙楽大師の文は、因果の中において地獄・餓鬼・畜生・修羅・人界・天上・声聞・縁覚・菩薩・仏までのあらゆる心の用き、この用きが我々人間にあることは、まだそれも推察できるけれども、犬猫などの畜生や、さらには一草・一木・一礫・一塵などのあらゆる事々物々の中にも具わっておることが説かれておるのであります。それを妙法蓮華経の意義の上からの円融互具として述べられておるのが、天台大師や妙楽大師であります。そうした意味から、草木などが縁にしたがって仏に成るという草木成仏の法門であります。
皆さん方が、御本尊様を拝んでいらっしゃるということは、木や紙もまた仏の用きをする道理・現証があるわけです。つまり法華経に示される円融三諦の上からの草木成仏という道理がなければ、ものを拝むという意味がないのです。しかし、ただ何でも拝めばよいうのではなく、そこに成仏の種子が入って初めて仏に成ることができるのであります。 ですから大聖人様が仰せになっておるのは、法華経以外の経典でいくら仏像を造って拝んでも、そこには仏の魂は入らないということです。妙法蓮華経の教法において開眼供養することで、初めて仏の命が入るということを仰せであります。そういうことから「草木成仏口決」という御書があるのです。
しかるに大聖人様は、この草木成仏の法門を、迹門『方便品』のほうからでなく、本門『寿量品』の上から説かれておる意義があるのです。『草木成仏口決』の中には、「草木にも成り給へる寿量品の釈尊なり」(御書522ページ)という御文があります。これは本門のほうから見ると、釈尊の悟りがそのまま法界全体に及んでおりますから、法界そのものが釈尊の悟りの中の法身・報身・応身の三身の中にあるわけです。したがって、仏様の功徳の顕現として法界全体が存するのです。ということになれば、これはもう理を探ってそこに至るのではなく、草木そのものが仏であるというこうとが拝せられるのであります。ですから、あらゆるものが仏の慈悲の表れであり、お互いに助け合っている法界なのです。
人類は、朝昼晩の食事の中で、他の動植物を食糧としております。しかし、これらのものを殺して食べるのは、人間としての特権であり、当たり前だと思うのは人間の傲慢なんですね。法界全体が、すべてお互いに助け合いの上からの因縁果報によって、それが一つひとつの表れとして我々を助けてくださっておるわけです。ですから我々は、そこに常に有り難いという感謝の気持ちを持つことが大切なのです。我々人間は、他の動植物より偉いんだから、いくらでも殺して食べるのが当然だというように思うことは傲慢です。この人間の傲慢が、これからさらに種々な意味で重なっていきますと、結局、その悪の報いは人類に顕れるのです。この意味を本当に考えて、やはり仏法の本義の上から広宣流布をして、正しい因縁果報の法則に基づいて真の楽土を造ることが大切であると思うのであります。
ともかく、法界の大きな存在から見て、一念三千の法門というのは、それに対応する法華経の唯一不思議な法門なのであります。一往、この始めは天台大師が唱えた一念三千法門で、一念に三千が具わるということです。そして一念三千の境界を常に開いていくならば、そのところに仏の悟りが存するという説示ですが、これはまだ自分の己心を中心とした修行法であります。
しかるに、これらの修行法は、直ちにそのところへ凡夫が到達するのは難しいのです。そこで、心に仏が具わるということも、また法界の三千の世間が一念の具わるということも、到底、これは直ちに衆生が信ずることができないから、それを悟らせるために様々な内容を交えて広く述べられておるのです。それが天台の『摩訶止観』という書であります。
この『摩訶止観』は全部で10巻ありまして、その全部において、これらの内容を説いておるわけであります。この『摩訶止観』という書は、非常に難しく、当時においてもこれによって悟る人は非常に少なかったのです。ところが大聖人様は、末法に仏様として御出現になられて、結局、このこの仏法の根本のところをきちっと我々の生活の中、信心の中に、命の中にはっきり顕すことがなければ、末法の人は救えないという上から、この煩瑣(はんさ)な天台の一念三千の法門をことごとく振り濯いで、その肝要を立てたのであると仰せであり、それが大漫荼羅であるというお示しであります。
つまり『摩訶止観』に十章ありますが、その大意・釈名・体相・摂法・遍円・方便・正観・果報・起教・旨帰の中で、第7正観章が中心であり、そこにさらに十境十乗の修行法があって、実に広い法門が展開されていますが、このようないろいろな道程はすべて振り濯いで、その根本のところを示したのがこの妙法大漫荼羅、すなわち大聖人様の御本尊であるということを宣言いたしました。その意義は、佐渡の御法門中、まずこの『草木成仏口決』に存するわけであります。
このテキストのに引文の最初に「『当(まさ)に知るべし身土は一念の三千なり。故に成道の時、此の本理に称(かな)ひて一身一念法界に遍(あまね)し』等云云」とありまして、そこから続いて「夫(それ)始め寂滅道場(じゃくめつどうじょう)・華蔵(けぞう)世界より」のところへ移るわけです。
この『観心本尊抄』は長い御書でありますが、その内容においては大きく「観心段」と「本尊段」の二つに分けられてあります。前半は、まず天台の『摩訶止観』の一番肝要な一念三千の御文を引かれてあるのです。それからずっと法華経の文を挙げられて十界互具の真実を論証あそばされて、そして理具から事具へ迫りだしてくるわけであります。理というのは、あらゆる事々物々に基本的に本理の上から一念三千が具わっておるということです。けれども、それが仏の上からの実証によって具体的にはっきりと示されてくるという内容が、前半の「観心段」であります。それから後半の「本尊段」では、その法体である本尊についての内容を示されております。
前半の観心段において、仏様の境界として一念三千が存するとういうことの最後の部分が、この「当(まさ)に知るべし身土は一念の三千なり。故に成道の時、此の本理に称(かな)ひて一身一念法界に遍(あまね)し」という御文です。これは妙楽大師という方が、一念三千の理を説かれるところにおいて示されて御文です。
この妙楽大師は不思議な方でして、天台大師が主として迹門の理を中心としての妙法を説かれたのに対して、妙楽大師の教学は大聖人様の本門の事の仏法にかなり近くなっているのです。したがって、「本門には本因を以て元始と為し」(法華玄義釈籖会下594ページ)という御文もあるように、本門のほうからの解釈があちらこちらに見られるのです。
さて、このところは妙楽大師の文を引かれておりますが『観心本尊抄』に「観心段」と「本尊段」あるうちの、観心段の一番最後のところがこの御文であります。そのところにおいて「身土は一念の三千なり」ということを述べられておるのです。この「身土は一念の三千なり」の「身土」とは。仏様の本地自受用身の境界におけるところの一身と、その仏様が存する国土であり、一念がそのまま三千であるから法界に遍満しておるということであります。したがって、仏に成る時は、この本理に称(かな)うのであります。つまり仏の一身が法界全体に円融通達されておることが、そのまま仏の境界として「一身一念法界に遍し」と述べられておるのであります。この御文が、心を観ずるという修業段における一番最後のところにあるのです。
皆さん方は、「一身一念法界に遍(あまね)し」ということを言われても、おそらく何のことだか判らないと思います。毎日の生活の中では、家族のことや仕事のことなどで頭がいっぱいで、とてもこの法界、宇宙全体などということを考えたりしないでしょうから、判らないのが当たり前なのです。このことが判らないのは、我々の心が六識の心だからです。しかし、我々の六識の心の奥には、必ずまた七識という心があり、その七識のもう一つ奧には八識という心があるのです。そしてさらに御書に九識という心があるのです。この九識の心においては、我々一人ひとり命がそのまま法界に遍満しておるけれども、それを掴むことは普通では絶対できないのです。
ところが、御題目をしっかり唱えていくと、その九識の妙徳が自然に開発されていく意味があるのです。そんなことはとても信じられないと思う人も多いと思いますが、しっかり御本尊に向かって御題目を唱えていくと、その根本のところからの用きの上において、我々が分々に感得してくる意義は、たしかにあるのです。そこに「一身一念法界に遍し」という無形にしてあらゆる道に通ずる大功徳があるのです。
しかし、その元は本仏の一念にありますから、その法体としての御本尊が示されてくるのが、次の「本尊段」であります。すなわち「当(まさ)に知るべし云々」までは「観心段」の一番最後のところで、次の「夫(それ)始め寂滅道場(じゃくめつどうじょう)云々」の文から『観心本尊抄』の最後までが「本尊段」です。
有名な五重三段という法門がありますが、これは「広釈」のほうの内容になります。それから前の「略釈」のほうは。その初めに方便である権経・迹門の熟益の本尊が挙げられ、その次に本門の釈尊が説かれた在世の衆生に対する本門脱益在世の本尊を挙げられ、最後に文上熟益・脱益の本尊を廃して『寿量品』の文底下種益の本尊を顕す、つまり末法のために遺付され、上行菩薩に授けられたところの結要付嘱の法体、それは実は本尊であるが、それがさらに本門の本尊の根本法体でるところの妙法蓮華経であることを顕されるという、この三つの内容に括って示されておるのです。それがこの次の御文であります。
この妙法蓮華経が本門の本尊たる根本法体であるということは、大聖人様でなければお示しができないのであります。すなわち、ここのところに結要付嘱の妙法蓮華経の大事な所以が存するのであります。では拝読してまいります。
この「寂滅道場・華蔵世界」というのは、お釈迦様が30歳で成道したところです。成道してすぐに華厳経を説きました。その最初のところを寂滅道場というのです。つまり煩悩を一切断滅したところにおいて「寂」、すなわち仏の悟りを得たその道場であるから「寂滅道場」と言います。それから、華厳経を説いて、その仏の悟りの広さを顕現したところの世界の姿を「華厳世界」と言うのであります。
菩薩の位には、十信・十住・十行・十回向・十地・等覚という五十一位がありますが、これは当時、初地や二地という非常に高い位の菩薩方が華厳経の御説法を聞いて、一往の空・仮・中の法門に荘厳された華厳世界を観じたわけであります。それを象徴したのが奈良の大仏なのです。あの大仏は、なぜあのように大きく造ったかと言えば、あれは華厳経を聞いた菩薩方が、大乗の法理の上から仏様の姿をあのようのに大きく観じたわけで、ですからあのように大きな姿に造ったわけです。けれども、末法の我々が華厳経を読んでみても、法理を悟れないため、あのような仏様の姿を観ずることできないのです。したがって、末法において衆生の仏道成就のためには、あのような仏様は無駄なんです。文化財として存するのは結構だと思います。
そこで次に「華蔵・密厳(みつごん)・三変(さんぺん)・四見(しけん)等の三土四土(さんどしど)は」とあります。この「華蔵」とは、華厳経の盧遮那報身の居す実報土であり、それから「密厳」は、大日経などの密教関係の大日法身所住における寂光土であり、「三変」は、法華経迹門の『宝塔品』の三変土田を示し、「四見」は、涅槃経に説く沙羅林の四見についての同居・方便・実報・寂光の四見四土であります。これらを説明していると時間がなくなってしまいますので省略いたします。
要するに、真実の釈尊ではなく、衆生の機根に応じて現れた方便の仏様が方便の法門を説くことによって、それを観じた衆生の内容や国土が、どうのようなもであるかということを述べておるわけです。ですから、最後のところ「能変(のうへん)の教主涅槃に入(い)りぬれば」とある「能変(のうへん)の教主」とは、すなわち釈尊のことなのです。この「能変」ということは、あらゆるものを能く変じて衆生に方便の法門を説くことによって、衆生はいろいろな意味での仏様の仏身と仏土を観じたことをおしゃっているわけです。
そこで「能変(のうへん)の教主涅槃に入(い)りぬれば、所変(しょへん)の諸仏随って滅尽(めつじん)す。土も又以(もっ)て是(か)くの如し」とあり、つまりお釈迦様が亡くなったならば、その仏の説法によって造られた仏様も国土も全部消えてしまうから、爾前経の仏は本来、実体がないのであるとおっしゃておるのです。ですから末法正意の大御本尊を顕す順序として、まずここのところで爾前・迹門の本尊を有名無実であるとして、本門の上からはっきりと成敗しておるのです。
次の「今本時の裟婆世界は」のところから、脱益の本尊として本門の釈尊を説かれるのです。これは久遠以来の因縁を持った衆生が漸く法華経本門へ来て、その法を聞くことにおいて衆生が悟りを得たという意味の一念三千であります。前文中「此(これ)即ち己心の三千具足、三種の世間なり」の文がこれであります。
すなわち、在世の人々がやっと本当の元のところにへ辿りつき、一念三千成仏を得たことを、その利益の内容から脱益というのです。これに対して下種益、すなわち種を下ろすのは末法の益、末法の衆生に対しての仏様の化導であります。ですから在世の本門は脱益であり、その本尊と衆生が一体となった成道の次の原文における45字の文で示されておるのです。
「今本時の娑婆世界は三災を離れ四劫を出(い)でたる常住の浄土なり。仏既(すで)に過去にも滅せず未来にも生ぜず、所化以て同体なり。此(これ)即ち己心の三千具足、三種の世間なり。迹門十四品には未だ之を説かず、法華経の内に於ても時機未熟の故か」という文は、迹門で説かれなっかったところの本門の内容です。これは本因妙・本果妙・本国土妙土の三つが述べられておる意味があります。
皆さん方がお読みになっている『寿量品』の「自従是来。我常在此。裟婆世界。説法教化。亦於余処。百千万億。那由佗。阿僧祗国。導利衆生。」(法華経431ページ)という文は、この本国土のところをおしゃっているのです。しかし、文底の上からの本当の仏様の悟りは、法界全体の無限の時間・空間をそのまま一身において開かれる意味から、これは先ほどの「一身一念遍於法界」の御文に当たるのです。ところが、これは妙法五字の直達正観にありますから、久遠の昔に信心が薄く退転した在世の衆生には判りません。そこでお釈迦様は、因縁によって仏身の上からは三十二相の容姿で顕れている化導の姿にあてはめて、そのかたちの仏が、実は久遠の昔においてすでに悟りを開いており、今日まで常住であるという意味より妙法を悟らしめることが、在世の衆生に必要であったわけです。
ところが、久遠元初即末法の御本仏である日蓮大聖人様は、久遠の昔に悟りを開いて今日まで常住であるという釈尊の『寿量品』の表現は、さらにその本の無作の上の本有常住であり、その実証は竜の口の発迹顕本において「一身一念遍於法界」の上からの仏身をその御振る舞いの上に、はっきりとお示しになっておるわけであります。そこのところに下種益と脱益の違いがあるのです。
今の科学的な見解から言って、お釈迦様の『寿量品』の御説法が内容的に齟齬(そご)するのではないかと思う人がいるかもしれませんが、それはお釈迦さまのインドにおられた当時の衆生に対する化導のかたちなのであって、いまの科学万能の見解から判らないのが、むしろ当然なのです。そこのところは、もう一つ根本に進み、下種の本法である妙法蓮華経の大聖人の仏法から、お釈迦さまの仏法を正しく振り返らなければならないのです。
それはともかく、釈尊の寿量顕本における在世の本尊と衆生の得益を、ここにこのように述べられており、そこでまず「常住の浄土」を示されておるわけです。
次の「仏既(すで)に過去にも滅せず未来にも生ぜず」の文は、仏身の本有常住という意味を述べられておるのであります。それから次の「所化以て同体なり」というところに、本因妙の意味と、さらに在世の衆生がこれによって久遠の仏の悟りに到達したということが言えるわけであります。
しかるに、ここのところには二重の意味が存するのです。すなわち一往は、お釈迦様の久遠の法を聞いて、お釈迦様の常住を信ずることによって等覚の位まで行ったのです。再往、そこからさらに在世の衆生は根本の久遠元初の本仏の内証を悟り、妙覚に至ったのです。それを示されるのが、『総勘文抄』の「釈迦如来五百塵点劫の当初、凡夫にて御坐せし時、我が身は地水火風空なりと知ろしめして即座に悟りを開きたまひき」(御書1419ページ)とある、あのたいへん大切な御文であります。ここに本仏の久遠元初の証得を述べられておるわけで、このところに一切衆生が到達して、仏の三十二相に執われず、自分自身の命そのままの当体が久遠元初の仏様と同じ直達正観の悟りをもって妙法の当体として開くわけであります。つまり下種の妙法蓮華経に最終的に到達することによって、在世の衆生が名字等覚という真の成仏をすることができたのです。その意味が、この「所化以て同体なり」の文に全部込められておるわけであります。
そこで、これはそれまで迹門には説かれることなく、本門において初めて解き明かされたのであります。要するに、以上は在世脱益の本尊と衆生の観心の文であります。
「此の本門の肝心、南無妙法蓮華経の五字に於ては仏猶(なお)文殊薬王等にも之を付属したまはず」。この「本門」という語は、迹門を簡(え)らんでおる。つまりこの法体は迹門ではないと断られるのです。次の「肝心」という語は、さらに本門の中の脱益を簡らんでいるのです。本門のもう一つ肝心なところが妙法蓮華経、つまり久遠元初下種の妙法蓮華経の法体であるということです。それを「本門の肝心、南無妙法蓮華経」と仰せであります。
これは大聖人様が御出現になられて、佐渡の国から初めてお顕しになさる大漫荼羅の当体をお示しの文なのです。ですから南無妙法蓮華経とおしゃっているので、それがそのまま大漫荼羅の中央に顕示されておるわけです。そして、その首題の左右に釈迦・多宝・上行・無辺行等と御本尊に示されてあるのは、人即法として根本の法に具わる十界の個性を示されるのです。
しかるに身延派等他門の人たちは、在世の衆生が『寿量品』の説処において、このように集まっていたから、その当時の法体を漫荼羅に示したのだと言うけれども、そうではないのです。その垂迹の在世の相を借りて、実は久遠元初の仏様の巳心に具わる十界互具・百界千如・一念三千を顕し給うのであります。すなわち久遠元初の仏様の御境地、法体である十界互具を釈迦・多宝以下の菩薩、さらには地獄・餓鬼・畜生までの相として大漫荼羅に示し給うのであります。
次の文に「何(いか)に況(いわ)んや其の已外(いげ)をや。但(ただ)地涌千界を召して八品を説いて之を付属したまふ」とある、この「八品」ということは、法華経の付嘱の始終を言うのです。ここに「八品を説いて」とあるから、八品の本尊であるというように考えるのが、京都にある法華宗本門流の本能寺です。その八品正意を説いたのが法華宗の派祖である八品日隆という人ですが、これはとんでもない間違いであります。この八品とは『従地涌出品第十五』から『嘱累品第二十二』に至るまでの八品であり、この間に寿量開顕より付嘱までをされておるわけですから、その始終を言うのです。ですから、ここの「八品を説いて付嘱したまふ」という意味は、まさに付嘱の始終を言われるのです。
次に「其の本尊の為体、本師の裟婆の上に宝塔空に居し」。この「本師の裟婆」とは、久遠元初自受用報身の当体の裟婆であります。この裟婆は、そのまま法界全体を意味しておるのです。ですから「宝塔空に居し」というのは、地・水・火・風・空の能成の意味において存住する人即法の上の法界全体であるわけです。
次の「塔中(たっちゅう)の妙法蓮華経の左右に釈迦牟尼仏・多宝仏、釈尊の脇士(きょうじ)上行等の四菩薩、文殊・弥勒等は四菩薩の眷属(けんぞく)として末座に居し」の文の「塔中の妙法蓮華経」とは、法華経の会座においては、釈迦・多宝が宝塔の中に二仏並坐されていたけれども、妙法蓮華経という法体が、その基に在します意義において示されておるのです。すなわち久遠元初の根本の法体としての人即法の妙法蓮華経であります。そして釈迦・多宝以下は、前にも述べた人即法の意義とともに法即人の自受用身の己心の十界を明かされるのであります。
また「釈尊の脇士上行等の四菩薩、文殊・弥勒等は四菩薩の眷属」というのは、釈迦・多宝の脇士は上行等の四菩薩、さらにその脇士が文殊・弥勒等であるということであります。これは一往、在世の化導の姿ですが、前述のように迹の相を借りて本を顕すのであります。
次に「迹化(しゃっけ)・他方の大小の諸菩薩は万民の大地に処(しょ)して雲閣月卿(うんかくげっけい)を見るが如く、十方の諸仏は大地の上に処したまふ。迹仏迹土を表する故なり」これらは在世当時の霊山虚空会でありますが、これらの文のすべては、「脱は現に在りと雖も具に本種を騰(あ)ぐ」(法華文句記会本上36ページ)という意義において、本種の法体に具わる十界三千の諸法を挙げられおるのであります。
したがって、この妙法蓮華経のところに久遠元初の本仏の当体即また法界全体の意義が存するのです。したがって、われわれの命もまた妙法蓮華経であり妙法を素直に信じるところに、我々の命が仏の命にそのまま一如して即身成仏の本懐を得ることができるのであります。
ある新聞のコラムに「人生は三つの坂がある。上り坂、下り坂、そして『まさか』という坂である。(趣意)」とありました。何事も上がり調子になる時には、それに至る前々からの因縁があり、下降線を描く時にもそれなりの因縁があります。そして「まさか」というようなことも、決して一朝一夕に起こったというような偶然ではありません。必ず「まさか」のことが起こるそれなりの因縁があるのです。「まさか」には、良いこと悪いこともあります。思いがけないチャンスが巡ってきたとしても、そのチャンスを活かして持続させるのは、やはりその人の徳と力であります。
今宗門は、一人ひとりの力を充分に発揮して、懸命に上り坂を歩んでいます。大聖人様は『立正安国論』に「蒼蠅(そうよう)驥尾(きび)に附(ふ)して万里を渡り、碧蘿(へきら)松頭(しょうとう)に懸(か)かりて千尋(せんじん)を延(の)ぶ。」(御書243ページ)と仰せであります。駿馬の尻尾にしっかり取り付いて「僧俗前進の年」を充実いたさねばなりません。
また『上野殿御返事』には、「人は善根をなせば必ずさかう」(同1446ページ)とあり、さらに『御義口伝』には「善根は題目なり」(同1767ページ)とあります。日々の勤行・唱題は功徳を積むことで、判りやすく言えば、勤行・唱題こそ、功徳を我が身に積む貯金と言えます。ですから、まさかの苦難が起こっても、功徳を我が身に積んでいれば、その受け取り方と進み方が前向きになってまいります。自分の罪障や業の消滅を自覚して祈っている人は、それを乗り越えようと努力します。そこに日蓮正宗の本物の信仰の在り方が必要になってくるのです。
そもそも信仰の在り方とは、御戒壇様と血脈相承に絶対の信を置くことです。さらには、「命を仏にまいらせる」(同1544ページ)ことであり、それは、「一心欲見仏・不自借身命」(法華経439ページ)の信心でなければならないのです。この「命を仏にまいらせる」とは、不自借身命の志を一生を通じて持ち続けて修業に精進し、最終的に自信の成仏という境界に到達することです。このような信行を称して唱題行と言うのであります。御法主上人猊下は、「一切を開く鍵は唱題行にある。」(大日蓮635ページ)と仰せです。仏道修行の「行」である限り、「命を仏にまいらせる」行でなければならず、自分の願い事のための行は、本来の行にならないのであります。したがって自行化他に亘りての南無妙法蓮華経妙を、本当に心の底から信じて唱え奉るべきであります。
命の尊さは誰でも自覚してます。しかしながら、その尊い命とつり合うほどの生き方を、私たちはしているでしょうか。この尊い命をもって尊くいきるためには、「命を仏にまいらせる」信心でなければなりません。御本尊様を根本とした生き方をしなければならないと存じます。その生き方を身に付けていくために唱題行があります。その唱題を通じて心身に振る舞っていくことが日蓮正宗の信心と言えます。
本年の実践テーマは、@勤行・唱題行の励行、A御報恩御講参詣・広布唱題会参加の徹底、B「一人が一人の折伏」を実践、と設定されています。この徹底と実践こそが現代の一凶たる創価学会の折伏につながるのであります。
毎月の御報恩御講では、指導教師が真剣に大聖人の仏法に基づいて説法をさせていただいています。御講の参詣を通じて、三大秘法の大御本尊様の尊さと、自分の命が成仏していくすばらしさ感じ取り、「一人が一人の折伏」で五十展転の功徳を語り続けていただきたいのです。実践テーマを中途で挫折することは禁物です。常に水の流れるごとく、滔々と地道に続けることが肝要であります。
昨年12月の東京第一布教区の広布推進会も砌、持経寺住職・丸岡雄道師が信心修行について、日本画家・小倉遊亀さんの「磨鉢峠」という名作を話しをしてくださいました。二曲一双の屏風の右に、つづらを背負った旅の若い僧が描かれています。厳しい修行に耐えられず、志伴ばにして故郷へ戻ろうとしている図です。日が暮れて僧は峠に差しかかります。ふと見ると一人の老女が斧を研いでいる図が左の屏風のほうに描かれています。この絵の見どころは、老女が僧を見返し、二人の視線がぶつかる、この二人の視線の表現から二人の会話を読み取るところにあると言われています。「一本しかない針が折れてしまったので、この斧を研ぎきって針を作るのです。」しかし、斧から一本の針を研ぎ出すまでには、とてつもない時間がかかるに違いない。そこで僧は、道を求める自分の志がいかに軟弱であったかを悟り、きびすを返して再び修行を続ける、という物語をこの絵は表しているのです。誓願を立てたからには、最後まで挫折しないで、弛みない努力を続けることが達成への鍵であるという話しでああありました。私は、この話しに大変感動いたしました。人間は物事を成すには、所志貫徹が大事であります。
ところで、先月、台湾において御法主上人猊下親修のもと、2ヶ寺の山院号公称板御本尊入仏法要が奉修されました。有り難いことに、私も今回の御親修のお共を許され、先の本興院・法宣寺・妙徳寺と合わせて5ヶ寺の陣容をもって見事に上り坂の前進をいたしておりますところの台湾の実状を、つぶさにこの目で見ることができました。気に満ち、歓喜そのもでした。それには日々、積み重ねの信心があったればこそと痛感した次第です。
海外は上り坂の行進中であります。国内にあっても、この「僧俗前進の年」と銘打たれた新年を迎え、今生きている実感を各自十分に発揮いたそうではありませんか。
そのためには、御法主上人猊下の常々の御指南である「一人が一人の折伏」を心肝に染め、『一生成仏抄』にしめされる、「深く信心を発(お)こして、日夜朝暮に又懈(おこた)らず磨くべし。何様(いかよう)にしてか磨くべき、只南無妙法蓮華経と唱へたてまつるを、是をみがくとは云ふなり。」(御書46ページ)の実践あるのみです。御一同様の御健闘をお祈りし、年頭所感とさせていただきます。
同寺は、嘉元元(1303年)年、第三祖日目上人の弟子・大夫阿闍梨日尊師によって建立された。日尊師は重須の談所で修学の時、日興上人より信行の姿勢について叱責され、正安元(1299)年から12年間にわたり勘当を受けた。その間、日尊師は日興上人の慈誡に応えるため、妙法弘通に東奔西走し、赦免されるまでに36ケ寺を建立したと伝えられる。同寺はそのうちの一カ寺として建立され、爾来700年、様々な苦難を乗り越え、宗開両祖の御遺誡を遵守し、僧俗和合して法灯を守り続けてきた。今般、創立700年を記念して、本堂内外の改修工事、庫裡の新築、境内地の拡張並びに整備等の事行を行い、このたびの慶事を迎えたものである。
この法要には、随行の総監・藤本日潤御尊能化、大石寺理事補・小林道剛御尊師、さらには教学部長・大村日統御尊能化、庶務部長・早瀬日如御尊能化、大石寺主任理事・八木日照御尊能化、関東大布教区大支院長・光久日康御尊能化、菅野日龍御尊能化、海外部長尾林日至御尊能化、宗会議長・細井珪道御尊師、そして埼玉布教区副支院長の日成寺住職・佐々木正演御尊師をはじめ布教区内外から多数の御僧侶が御出席された。また法華講連合会からは法華講総講頭の柳沢委員長、大講頭の石毛副委員長、さらに布教区各支部講頭並びに信徒代表、妙本寺信徒など700余名が参列した。
午前10時半、僧俗が一同がお出迎え申し上げる中、御法主上人猊下が妙本寺に御到着あそばされ、直ちに山門前にて山号額の除幕をなされた。その後、御僧侶、信徒代表、寺族、親族、来賓が親しく御目通りを許された。
法要の部は午前11時に開始され、御法主上人猊下大導師のもと藤本総監による献膳の儀、読経、唱題と如法に奉修され、この後、御法主上人猊下より甚深の御言葉を賜った。引き続き式の部に移り、戸田博総代より経過報告、続いて藤本総監(宗務院代表)、佐々木副支院長(布教区代表)、柳沢委員長(信徒代表)より祝辞が述べられた。次いで住職・藤本信恭御尊師より、御法主上人猊下並びに参列の各位に対して、丁重な謝辞と今後の決意が述べられた。
この後、本堂玄関前にて御法主上人猊下による「一位」の御手植えがなされ、小憩の後、御親教の部に移った。午後1時20分、再び本堂に御出仕あそばされた御法主上人猊下より『十如是事』(御書104ページ)の御文について、約1時間にわたり甚深の御説法を賜った。最後に本堂において記念撮影が行われ、午後3時40分、御法主上人猊下には僧俗一同がお見送り申し上げる中、妙本寺をお発ちになられ、法要の一切がとどこおりなく終了した。
本日は当経王山妙本寺創立700年記念法要を執り行うに当たり、お伺いをいたしました。しかるところ、法華講総講頭柳沢喜惣次氏ほか法華講連合会幹部の方々、当寺檀信徒の方々、また埼玉布教区内各寺院講頭等の幹部の方々には、多数、参詣せられ、このように盛大に法要が執り行われまして、まことに喜ばしい次第であります。仏祖三宝尊にも定めし御嘉納のことと存じ奉ります。皆様、本日はまことにおめでとうございます。
当寺の創立七百年に当たりまして、当寺住職・信恭房が、非常に心を砕いて報恩の志を表そうと考えたのであります。そして、住職の道念と檀信徒皆様の護持の赤誠によりまして、創立700年の記念の御報恩の事業がまことに立派に完成した次第であります。本堂内外の改装等も行われ、また、特に庫裡を全面新築いたしました。さらに本堂から向かって右手に新しく土地も購入しまして、境内の整備も行われてたようです。これらのことを総合して創立700年の記念法要の御報恩に資したのであります。まことに住職の道念、そしてまた、信徒の方々の志がまことに尊く、その故をもってこのような立派な記念事業が執り行われ、創立700年御報恩に資することができたと思います。
この妙本寺は、皆様も御承知のとおり嘉元元(1303)年という大昔に建立されたのであります。嘉元元年とは、第二祖日興上人が身延を御離山あそばされ、現在の総本山大石寺をお造りなられたのが正応3(1290)年でありますから、それからわずが13年ののち嘉元元年に当たります。日興上人様は故あって大石寺おいでになり、その8年後かと思いますが、永仁6(1298)年に重須のほうへお移りになり、そこに談所を開かれたのであります。要するに、日興上人が大聖人様の仏法を唯授一人の血脈をもってお受け継ぎあそばされ、その上からさらなに弟子の方々に、その大聖人様の仏法を正しく教導するために、当寺の法門を学ぶ所、すなわち学校をいう意味もありますが、そういう意味での談所、すなわち重須談所を開かれたのであります。
それが永仁6年ですが、日興上人はこの重須において、直ちに門弟の教導に当てられました。ところが、その翌年ある秋の日の講義の時に、太夫阿闍梨日尊上人が庭前の枯れ葉が落ちてくる姿うっかり見ておりました。このことに対して、日興上人様が大変お怒りになり、直ちに勘当されたのであります。しかし、日尊上人はそのことに大いに発奮されまして、それから日本全国を巡って、特に出雲地方に行かれて折伏し、たくさんの寺を建立されました。それから取って返し嘉元元年には、岩代の満願寺、小薬の浄円寺、そして、先般伺いました富久成寺、それから妙本寺と、この4カ寺のほか会津の実成寺、美濃の正興寺に2カ寺を加え6カ寺が日尊上人の折伏弘教によって出来たのであります。今から考えますと、1年に6カ寺も造るということはまことに驚異的な姿と思われるのでありますが、このことからも、日尊上人は折伏弘教という意味において非常な力を持った方のように思われます。こうして日尊上人は全部で36カ寺を造り、日興上人から36カ寺の御本尊を頂戴したという記録が存するのであります。
このような意味で、当寺も700年の歴史をもって正法を護持されてきたのでありますが、惜しいことに明治20(1887)年の大火によりまして、ほとんどのものが焼失されました。そのためにそれ以前の詳しい記録等がほとんど判らない状態になっております。しかしながらその後、特に第22代の滑津阿闍梨照道房という方がこの寺の住職になり、非常に苦しいなかを苦心惨憺いたしまして、大正14(1925)年に本堂が出来たということになっております。
ただいま、皆様と共に読経、唱題申し上げました当寺御安置の板御本尊様は、大正6(1919)年の総本山第56世日応上人が滑津阿闍梨の代に下付された御本尊であります。そころはまだ正式な本堂が出来ていなかったと思われますが、それから6年過ぎた大正14年に本堂が出来ました。その後、さらに昭和34年に第23代住職の木村要学師の時に再建されたようであります。そして、皆様もこれは御承知の方がほとんどだと思いますが、昭和62年に、先代の第24代住職・田中教導房が住職の時に、立派な本堂に造り替えられたのであります。そのころの本堂はだいぶ狭小であったため、信徒の御参詣の関係上、教導房の非常な護法の赤誠によって、この立派な本堂が出来たのであります。この昭和62年の本堂落慶の時には、私がお伺いいたしまして法要を勧めさせていただきました。そして、本日は2回目の慶事に再び私がお伺いすることになりまして、まことに有り難く存ずるものであります。
大聖人様の御教えは、一代仏教中で根本の法華経の本門の教えであります。したがって「妙本寺」というのは、意義において「妙法蓮華経連の本門の寺」という意味があると思うのであります。
「根ふかければ枝しげし、源(みなもと)遠ければ流れながし」(御書 1036ページ)という法華経の意義を説いたお言葉があります。根が深ければいっさいの植物の枝は非常に繁茂するもであり、また川の流れが遠ければ、その源をたどれば必ず「流れながし」ということであり、その道が正しく伝わっていくという所以であります。特に宗門の教えにおきましては、法華経のなかにおいても迹門に対して本門の教えが大聖人様の宗旨であります。そして、その本門の根本の久遠元初の法体をもって、末法の一切衆生成仏のための大御本尊を顕されておるのであります。これこそまさに「源(みなもと)遠ければ流れながし」の根本の法であるということを我々は常に拝しつつ、正法をしっかり護持し、信心修行に励む必要があると思うのであります。
本日は、皆様方の道心をもってこのように立派な法要ができましたが、今後もいよいよ寺檀和合一致されまして、大聖人様の大法を700年間伝えたこの寺院をいよいよ立派に、寺運の興隆を図られることを心からお祈りいたす次第であります。以上、簡単でありますが、ひとことと御挨拶とさせていただきます。本日はまことにおめでとうございます。
このたび、当経王山妙本寺におかれられましては、開創700年を迎え、これを記念して本堂の荘厳、庫裡の新築を施し、内外を整備して、本日ここに総本山より御法主日顕上人猊下の御下向を仰ぎ奉って、このように盛大かつ厳粛に記念法要が奉修せられましたこと、心よりお慶び申し上げます。まことに、おめでとうございます。
当山は、第三祖日目上人の御弟子・日尊師の開創になる、歴史と伝統を誇る名刹であり、36カ寺の一つと言われる由緒深い寺院であります。日尊師のわずかな懈怠に対する日興上人の厳しい御勘気と、それを受けての日尊師の36カ寺建立という精進の姿は、宗門草創期における謗法厳誡の厳しい宗風を如実に物語るものであり、この伝統の精神は700年後の今日も脈々と宗門に受け継がれております。当宗妙本寺の歴史も、歴代住職の道念と御信徒の熱烈な信心よって、まさにこの清浄なる宗風を受け持ってきたが故に、今日この妙本寺の立派な姿があるものと確信する次第であります。
今、先住、先々住の方々の永年の丹精と檀信徒の皆様方の熱い外護を受けて、現在・藤本信恭房には、本堂御宝蔵の荘厳、庫裡の新築等を施し、もって700年記念の御報恩の志を表され、御法主上人猊下、またこれをお容れくださり、記念法要御親教、さらに甚深の御親教を賜りますこと、まことに有り難く、御住職・檀信徒の皆様方のお喜びこの上ないとものと、衷心より重ねてお祝い申し上げるものであります。本当におめでとうございました。
どうか、御住職並びに檀信徒の皆様方には、本日のこの喜びと功徳をもって、来たる「平成21年・『立正安国論』正義顕揚750年」の御命題を必ず成就達成し、さらに未来広布に向かっていよいよの精進を重ね、もって仏祖三宝尊への御報恩御謝徳に供え奉り、このたび御法主上人猊下の広大なる御慈悲のお応え申し上げていっていただきたいことを心より念願いたしまして、一言もってお祝辞に代えさていただきます。本日は、まことにおめでとうございました。
法要は、午前10時50分に開始され、唱題のなか御本尊奉掲が行われ、引き続き読経・焼香・唱題と進められた。続いて藤本総監、柳沢委員長、設計業者、施行業者による鍬入れ式が行われた。その後、柳沢委員長より挨拶があり、題目三唱ののち御本尊が奉収され、11時15分、式はとどこおりなく終了した。
立宗753年、「僧俗前進の年」の法華講連合会初登山会が、晴天のもと、1月3日・4日の2日間にわたって行われた。この登山会には一泊・日帰り合わせて、全国から26700余名が総本山に参詣した。
○各講中講頭お目通りの砌
変質する創価学会
観念文を祈念文と改称
観念文の大事
平成16年夏期講習会第9期の砌
皆さん、おはようございます。この講習会も今回で第9期になりまして、期を増しますほどに夏の暑さも激しくなってまいりました。特に、この前の第8期もそうでしたが、前から比べるとたいへん暑いようであります。その中を実に多数の方が講習会に参加せられ、御戒壇様に御報恩申し上げ、さらに大聖人様の仏法を研修するということは、まことに尊いことと思うのであります。
結要付嘱の妙法蓮華経(三大秘法) 宗祖大聖人一期御化導中、佐渡以降の本門本尊に関する要文(一部)抜粋
実は、本年の講習会では、第1期・第2期・第3期の時には、三宝に関して述べさせていただきました。それから第4期・第5期では、一念三千の法門を中心としてお話をいたしました。そして第6期から第10期までは、大聖人様の一期の御化導について順序を追って述べていますが、その中で宗旨建立から御遷座あそばされるまでの約30年間の御化導においては、大きく三つに分けられるのです。
それから前回の第8期、そして今回の第9期では、大聖人様が佐渡にお出でになってからの、佐渡期の御化導について述べる次第であります。この佐渡にお出でになってからの大聖人様の御化導においては、本門の本尊を御弘通になる所以があるのです。
『草木成仏口決』(文永9年2月20日)「一念三千の法門をふりすすぎたてたるは大漫荼羅なり。当世の習ひそこなひの学者ゆめにもしらざる法門なり。」(御書523ページ)
さて、妙法蓮華経が法界の全体にわたることの融通により、一切が一事一物に具わっておることを説いておるのが、天台の解釈から来る迹門の『方便品』の法門です。皆さん方が毎日お読みになっている『方便品』に、「如是相。如是性。如是体。如是力。如是作。如是因。如是縁。如是果。如是報。如是本末究竟等」(同89ページ)という「十如是」の文がありますが、この文をよく拝してみると、あらゆるものがこの法則に全部具わって存在しておるということが判ります。ですから十如是の法が具わっておるということは、その法理の上から一草・一木・一礫・一塵にも、各一仏性、各一因果が存するのであり、迹門中心の天台の法門の上からこれが述べられておるわけであります。
『如来滅後五五百歳始観心本尊抄』(文永10年4月25日)「当(まさ)に知るべし身土は一念の三千なり。故に成道の時、此の本理に称(かな)ひて一身一念法界に遍(あまね)し」等云云。夫(それ)始め寂滅道場(じゃくめつどうじょう)・華蔵(けぞう)世界より沙羅林(しゃらりん)に終はるまで五十余年の間、華蔵・密厳(みつごん)・三変(さんぺん)・四見(しけん)等の三土四土(さんどしど)は、皆成劫(じょうこう)の上の無常の土(ど)に変化(へんげ)する所の方便・実報・寂光・安養・浄瑠璃(じょうるり)・密厳等なり。能変(のうへん)の教主涅槃に入(い)りぬれば、所変(しょへん)の諸仏随って滅尽(めつじん)す。土も又以(もっ)て是(か)くの如し。今本時の娑婆世界は三災を離れ四劫を出(い)でたる常住の浄土なり。仏既(すで)に過去にも滅せず未来にも生ぜず、所化以て同体なり。此(これ)即ち己心の三千具足、三種の世間なり。迹門十四品には未だ之を説かず、法華経の内に於ても時機未熟の故か。此の本門の肝心、南無妙法蓮華経の五字に於ては仏猶(なお)文殊薬王等にも之を付属したまはず、何(いか)に況(いわ)んや其の已外(いげ)をや。但(ただ)地涌千界を召して八品を説いて之を付属したまふ。其の本尊の為体(ていたらく)、本師の娑婆の上に宝塔空(くう)に居(こ)し、塔中(たっちゅう)の妙法蓮華経の左右に釈迦牟尼仏・多宝仏、釈尊の脇士(きょうじ)上行等の四菩薩、文殊・弥勒等は四菩薩の眷属(けんぞく)として末座に居し、迹化(しゃっけ)・他方の大小の諸菩薩は万民の大地に処(しょ)して雲閣月卿(うんかくげっけい)を見るが如く、十方の諸仏は大地の上に処したまふ。迹仏迹土を表する故なり。
この「本尊段」は、本門の本尊を示されるについて、前の「略釈」と後の「広釈」に大きく分けられてあります。略釈とは、略して肝要を述べるということで、広釈は、広く述べるという意味です。
「夫(それ)始め寂滅道場(じゃくめつどうじょう)・華蔵(けぞう)世界より沙羅林(しゃらりん)に終はるまで五十余年の間、華蔵・密厳(みつごん)・三変(さんぺん)・四見(しけん)等の三土四土(さんどしど)は、皆成劫(じょうこう)の上の無常の土(ど)に変化(へんげ)する所の方便・実報・寂光・安養・浄瑠璃(じょうるり)・密厳等なり。能変(のうへん)の教主涅槃に入(い)りぬれば、所変(しょへん)の諸仏随って滅尽(めつじん)す。土も又以(もっ)て是(か)くの如し」
さて、次の御文から末法の正法たる遺付の本尊の相貎を明かすところの内容になります。すなわち釈尊が末法の衆生のために久遠元初の法をもってまず上行菩薩に付嘱をし、その上行菩薩が末法に御出現あそばされて久遠元初の法体を顕し給うのであります。それがこの次のところからです。
関東大布教区大支院長・光久日康御尊能化
本年は「僧俗前進の年」と銘打たれ、輝かしい「平成21年・『立正安国論』正義顕揚750年」の佳節に向かい、力強い前進が始まっております。
一切を開く鍵は唱題行
年間実践テーマを徹底しよう
12月23日、埼玉県宮代町の経王山妙本寺において、同寺の創立700年記念本堂内外改修、庫裡新築落慶法要並びに御親教が、御法主日顕上人猊下大導師のもと、厳粛かつ盛大に奉修された。
○御法主上人猊下御言葉
○宗務院代表祝辞・藤本日潤御尊能化
昨年12月21日、法華講富士会館新築の着工法要が日蓮正宗総監・藤本日潤御尊能化の御導師のもと厳粛に執り行われた。この法要には東京第一布教区より宗務院庶務部長の法道院主管・早瀬日如御尊能化、支院長の妙縁寺住職・光久日康御尊能化、宗会議長の常在寺住職・細井珪道御尊師、副支院長の妙因寺住職・鈴木譲信御尊師、また大石寺執事の小川只道御尊師をはじめとする御僧侶方が御出席。また法華講総講頭の柳沢委員長、同大講頭の石毛副委員長・永井藤蔵氏、渡辺定元氏、石渡秀男氏、河原昭太郎氏・大草一男氏、並びに佐々木東京第一地方部長、金子東京第二地方部長をはじめ連合会各部長、富士会館職員らが参列したほか、工事関係者も参列した。