大白法

平成17年2月1日号


主な記事

<1〜5面>


<7〜8面>


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日蓮正宗ニュース


○全国で中級教学試験

1月23日、中級教学試験が、全国の寺院等を会場として行われた。各会場では、午後1時より一斉に試験が開始され、受験者は60分間にわたって、日頃の教学研鑚の成果を発揮した。この試験に向けては昨年10月、宗務院編纂による「中級教学試験テキスト」(平成17年版)が受験者に配布され、各支部では、このテキストをもとに勉強会を開いていただき、教学の研鑚に取り組んだ。

教学試験


試験には「釈尊伝概略」「日蓮大聖人伝概略」「天台大師」「法華経の概要」「御書要文」等の項目が出題された。今回の試験では、主催者である宗務院の指導のもと、各布教区ごとに御僧侶と地方部からの実行委員、ならびに各支部の試験担当員が準備・担当・運営に当たった。

試験終了後、答案用紙と受験票は各試験会場から布教区の採点会場となる寺院にただちに届けられ、1月29日には採点責任者(宗務支院長)の指導監督のもと、宗務院教学部よりの「採点基準」に基づき厳正な採点が行われた。なお、合否の通知は、3月5日までに布教区実行委員から各支部指導教師宛に合格証の発行をもって行われる。このたびの教学研鑚を基礎として、僧俗一致して本年の誓願達成に向かっていよいよ前進してまいろうではないか。


○スマトラ沖大地震・インド洋大津波で各国大使館に義援金

昨年12月26日に起こったスマトラ沖大地震・インド洋大津波の被災国の中でも、特に被害の大きかったタイ・インド・スリランカの各国に対して、日蓮正宗より義援金を寄贈した。

1月17日、海外部長・尾林日至御尊能化、海外部主任・中本代道御尊師が、品川区にあるタイ王国大使館を訪問され、尾林海外部長よりスイット・シマサクン大使に対して義援金が手渡された。次いで19日には、同じく尾林海外部長、中本海外部主任が千代田区にあるインド大使館を訪問され、大使代理のスリニワス一等書記官に義援金が手渡された。さらに翌20日には港区にあるスリランカ民主社会主義共和国大使館を訪問され、カルナティラカ・アムヌガマ大使に義援金が手渡された。

それぞれの大使館において尾林海外部長は、日蓮正宗として、スマトラ沖大地震・インド洋大津波という、前代未聞の大災害に巻き込まれた各国の被災者の方々に対して、心からのお見舞いを述べられ、さらに、被災地の1日も早い復興を願う日蓮正宗僧俗の真心を伝えられた。また、各国の大使より、日蓮正宗の誠意に感謝の意を表する言葉が述べられた。



御法主上人猊下御言葉


○唱題行(1月3日)の砌

 皆さん、新年おめでとうございます。総本山においては昨年と同様、1ヶ月間にわたって唱題行を執り行うことにいたしました。したがって、これは1日から始めております。昨年は総本山ならびに全国の末寺において、毎月第1日曜日の広布唱題行を執り行った次第であります。皆さん方もそれぞれの所属寺院で唱題行に参加されたことと思うのであります。また、本日は法華講連合会の新春初登山会で大勢の方々が御参詣になっており、その方々がここにお見えになっておると思います。


 さて、皆さんも新聞上等で御承知のとおり、インドネシアのなかのスマトラ島の北部にアチェという所がありまして、そこの所の沖で大地震が起こり、それによって大津波が発生して、インドやスリランカのほうにまで大きな被害があったということであります。また、これはインドネシアで起こった地震ですから、インドネシアでも約8万人の方が亡くなっているという被害もあるということです。

 ところが、以前からインドネシアに行っており、今回、妙願寺の住職予定者となっておる私の弟子がおりますが、その者から12月30日に報告がありました。また、昨日も海外部長から改めて現状の報告がありましたが、なんと、8万人の方々が亡くなっているインドネシアにおいて、しかも日蓮正宗の御本尊を頂いて信心修行をしている信徒が相当数いるのにもかかわらず、一人も亡くなっていなかったのです。あのような大災害によって大勢の方が亡くなっているのにもかかわらず、数十万人いる日蓮正宗の信徒は一人も亡くなっていないということです。

 特に、災害の一番ひどかったアチェという所では、5人の信徒が行方不明になったそうです。「この方はだめだろう」と言われておりましたけれども、3名が無事に発見され、そして残りの2名が依然、行方不明のままだったのですが、2名の方も無事に元気でいらっしゃることが判り、今日に至るまで、インドネシア全土で日蓮正宗信徒は1人も亡くなっていないことが判ったのであります。これについて、大御本尊様の御威光、つまり大聖人様が、法界全体のなかにおいて久遠元初自受用報身如来の御当体としての大きな御功徳を、信行を正しくする者に対して与えてくださっておるということ、故に我々の常識とは懸け離れた仏法の深さ、広さの上からの功徳というものがあるということを感じた次第であります。


 さて、私はこの唱題行にはありとあらゆる功徳が篭もっていると信ずるのであります。ですから、こうして1ヶ月間、総本山において行っておるのでありますが、さらにまた、唱題行は最高の健康法だと思うのです。このようなことを言うとびっくりする人がいるかも知れません。また「莫迦(ばか)なことを言うな」と言う人もいるかも知れません。

 今、世の中には健康法というものがたくさんあります。中国などでは身体をゆったりと動かして行う健康法だとか、これも聞いたことがあると思いますが、真向法(まっこうほう)というものもあるのです。そのほか今日、健康に関するありとあらゆる道具が研究され、ありとあらゆる健康法が世の中にはびこっております。

 しかし、私は健康の元はやはり呼吸だと思います。なにしろ呼吸をしていなかったら人間は死んでしまうのです。10分間、呼吸をしなかったならば、だれでも死んでしまいます。ですから命の元は必ず呼吸にあるのです。ここにはお年寄りの方もいらっしゃるようですけれども、お年寄りには体操をしない人が多いのです。そうすると深呼吸をすることすら忘れてしまうのです。

 ところが、この唱題行を行っていると深呼吸をせざるをえないのです。息をして空気を肺に一杯、吸い込んで、唱題行をしている間に徐々に肺から空気が出ていくわけです。しかも唱題中は声も出ますから、そこに前進の調和と活力が、呼吸によっておのずと生まれてくるのです。また、肺が丈夫になることによって五臓六腑のすべてが丈夫になっていく姿もあると、私は思います。五臓、すなわち心臓・肺臓・腎臓・脾臓・肝臓はすべてお互いに関係し合っておりますから、肺が丈夫になるということによって、すなわち呼吸をしっかり行うことによって、全身の新陣代謝につながるのです。手をきちんと合わせ、身体の背筋を正しく胸を張って、そして顔を上げて御本尊様を拝する。この姿勢で何分でも何十分でも唱題を行っていくことが大切でありますが、これに勝る健康法はないと、私は思うのです。皆さん方は、ただ単に「唱題をすると御利益がるのだ」と思っておられるでしょうが、健康になること自体が既に御利益なのです。


 そのほか、我々の心のほうの問題についても非常にたくさんあります。南無妙法蓮華経の「南無」は絶対の安楽を顕されております。「妙法」は法界全体の遍満する、健全でしかも立派な命を妙法として顕されております。「蓮華」は我々の命の清浄な姿、つまり自分も清浄なり、人をも清浄にしていくところの蓮華の意味があります。そして、生住異滅・生老病死ということがありますが、生まれてからだんだんと年を取って、病気になって死んでゆくことは、人間として避けられないことなのです。しかし、世の中の様々な不幸や様々な変化のなかに在りながら、それいて常住、少しも変わらないところの境界、命というものが非常に尊いのであって、これが「経」であります。ですから、南無妙法蓮華経のなかには最高の人格が示されておるのです。よって、我々が真剣にお題目を唱えるところ、たとえ解らなくとも、その意義が我々の命のなかに功徳として顕れてきます。

 「徳」という字には行人偏があります。これは善いことを行うことによって、その徳を得るということであります。その善いことのなかでも一番善いことは何かと言うと、それは唱題行なのです。その意味で。今朝は皆様と共に1時間の唱題行をさせていただきました。皆さん方にも困ったときもあるでしょうし、そのほか色々なことがあると思いますが、そのときに、朝晩の勤行以外の時でも、気がついたら唱題行を行ってみてください。そこに大きな功徳を感ずると思います。

 今回は、たいへん多くの大勢の方々が総本山へ御参詣、まことに御苦労さまでした。皆様方のいよいよの正法護持の御精神を心からお祈りする次第であります。



○唱題行(1月4日)の砌

 宗旨建立753年の新春、明けましておめでとうございます。本年も1月1日から、総本山客殿におきまして唱題行を執り行っております。しかるところ本朝は、昨日から本日にかけての法華講連合会初登山会に当たり、法華講総講頭・柳沢喜惣次氏ほか幹部の方々、そして、かなり大勢の御信徒の方々がここに参詣されまして、ただいまは共に本因下種の題目を1時間、勤行させていただいた次第であります。

 さて、本年は大変おめでたい年だと思います。一つは、昨年度において法華講本部の組織が充実されたことにより、それらの方々の発議によって、僧俗が一致しての宗門万代の外護と言いますか、それに関する方策が確定されまして、私に対しての建議もありました。それに対して、私はたいへん有り難くお受けしたのであります。そして、このことは本年度から実施されることになっております。

 それからまた、連合会においては、昨日、藤本総監から辞令授与も行われましたが、本年から宗門の各布教区と同じ形で対応する意味で、地方部が非常に増えましたので、新たにその地方部長等が任命された次第であります。そういうところからも、本年は法華講本来の本部・支部の関係、そしてまた連合会としての在り方のことごとくが、僧俗和合の上の真の広布へ向かっての実質的な前進を開始する年だと思うのであります。

 そういう点でも、本日は総講頭以下の幹部の方々がこの唱題行に参加されて、本年度におけるこれからの折伏、自行化他の精進を御本尊様にお誓い申し上げることはたいへん意義のあることであり、有り難く存ずるものであります。


 この宗旨建立753年ということは、要するに「七・五・三」であります。皆さん方も七五三ということは聞かれておることと思います。男の子は3歳と5歳、女の子は3歳と7歳に、その成長の過程を祝う、いわゆる祝儀が行われます。これは一・三・五・七・九という奇数が、非常にめでたい数字であるという日本の伝統的な考えに基づいて、三と五と七を採って、七五三という祝儀が行われるのであります。

 さらにまた、七五三には昔、賓客に出すお膳、すなわち「七五三の膳」というのがあったのです。私は七五三のお膳というものを食べたことはなかったように思いますが、皆さん方にはその経験があるかも知れません。それはともかく、まず本膳に七品の料理が作られまして、次の二の膳が五品、三の膳が三品と、賓客に対する非常に豪華なお膳を七五三の膳と言うのであります。これも一つのお祝いという意味から作られたのであります。

 しかし考えてみると、この一・三・五・七・九の数字は、大聖人様の仏法が一番根本になっておるのです。いや、むしろ今日の七五三等のお祝いは、大聖人様の仏法から来ておるというふうに考えるほうが正しいと思います。久遠元初の根本の法の尊さからあらゆるものが生じておるわけですから、そこから来るところの流れのなかで、七五三という祝いも存在しておると、私は信ずるのであります。

 すなわち、最初の一は「一大秘法」という御法門であります。大聖人様は御書のなかでこの一大秘法については3カ所しかお示しになっておらないのです。しかし、わずか3カ所ではありますけれども、この内容は仏法の根本の意義を含んでおります。いわゆる、「教主釈尊の一大事の秘法を霊鷲山にして相伝し、日蓮が肉団の胸中に秘して隠し持てり」(御書1569ページ)という御文があります。日蓮の当体がそのまま仏の境界であるという意味のことが、この御書に示されておるのであります。したがって、この一大秘法がまず根本でありまして、そこから「三大秘法」がおのずと開かれてくるのであります。

 また、妙法蓮華経をこの一大秘法の元として各御書の深意においてお示しになっております。そこにまた「五字」という意味が存するのであります。ですから、妙法蓮華経はそのまま一大秘法であり、その一大秘法の姿を妙法蓮華経の五字として仏様がお示しくださっておるのであります。そして、先述のように、この一大秘法が御化導の上に三大秘法として開かれてくる形があります。そこに本門の本尊・戒壇・題目という3つがおのずと具わる所以であります。

 御本尊におきましては、妙法蓮華経が仏様の御境界の上に、御修行の上に、境智冥合の深い意義をもって南無妙法蓮華経の「七字」としてお示しになるのであります。それが我々の常に拝し奉るところの御本尊様の御当体であります。

 大聖人様は御書のなかで「妙法蓮華経の五字」あるいは「南無妙法蓮華経の七字」あるいはまた成仏の道として、続けて「五字・七字」ということを仰せになっております。ですから、妙法蓮華経と南無妙法蓮華経とは同じようであるけれども、御本尊様の御当体として顕し給うところには、必ず南無妙法蓮華経とお示しになっておる意義があります。しかし、そこにおいて、これはそのまま南無妙法蓮華経が七字であり、妙法蓮華経という意味における根本の三大秘法総在の上からは五字であります。ですから、五字七字が一大秘法、また、三大秘法が根本の形としては五字七字と顕れておるのであります。

 それでは「九字」がないではないかということもあるかも知れませんが、九字はもちろんあります。これは「南無妙法蓮華経 日蓮」というお示しであります。それはまた、人法一箇の御当体を明らかにお示しになっておるわけでありますから、ここに一・三・五・七・九の数字が、そのまま大聖人様の仏法の根本である妙法蓮華経、三大秘法の随一たる本門戒壇の大御本尊様の御当体であるということが正しく拝せられるのであります。

 そのような意味からも、本年は宗旨建立753年という年で、大変おめでたい年であります。その上からも、皆様方が本日のこの唱題行の意義をもって、御自身の命のなかに未来永劫にわたっての成仏の根本の種を常に植えていくところに、成仏の境界が必ず顕れてくることを確信せられて、御精進されることを心からお祈りする次第であります。


 最後に、悲しいことについて申し上げます。私が登座する以前から、この総本山大石寺の総代として、あらゆる職務の上から、すなわち責任役員の筆頭として御奉公いただいた井出潔という方が、1月2日にお亡くなりになりました。たしか午後9時半ごろと聞いておりますが、今晩が通夜、明日が葬儀となっており、私もお伺いする予定であります。

 井出家は狩宿(かりやど)という所にありますが、皆さんも御承知の源頼朝公が八百十数年前の昔に、富士の巻狩りを行った時に、その宿として泊まったのが井出家でありまして、現在もそのとおり、その場所にあるのであります。また井出家の敷地内には、頼朝公の馬をつないだと言われる桜があり、このことから「下馬桜」「駒止(こまど)めの桜」とも言われます。これはまた、昭和27年に国の特別天然記念物に指定されております。この桜は、初代の桜が2回、3回と若返りを繰り返したもので、その桜がしっかり残っております。ですから狩宿の井出家というのは、そのような名家なのであります。

 御書のなかでも、源頼朝公があの宿敵の平家を滅ぼして親のかたきを取り、源氏の世にしたのは、ひとえに法華経を信じた故であるということを数力所にお示しであります。つまり法華経の功徳の現証がこのようであるということをお示しでありますが、その頼朝公が立ち寄られて、富士の巻狩りの際に泊まった宿と言われております。

 それからのち、この井出家が代々にわたって長い間、総本山総代として、この総本山を護ってくださってまいりました。その当主の方が今回、お亡くなりになりましたが、立派な跡継ぎもおられるようであります。

 私が登座して今年で26年になりますが、その間には、皆さんも御承知のように様々なことがありました。けれども、その根本には御信徒の外護がなければ、安定したところの充分な御守護ができなかったわけでありますから、その意味からも井出さんの御功績を深く感じておる次第であります。

 皆様には直接の御関係はないかも知れませんが、皆様方の信仰の根本は大石寺であります。その大石寺を総代として二十数年も外護していただいた方に対して、私も謹んで心からの回向を捧げたいと思っておる次第であります。

 それはともかくとして、皆様方には先程も申し上げましたように、真剣な信行をもって、本年における広布へ向かっての前進の道を立派に飾っていただきたいことを申し上げて、本日の言葉といたします。御苦労さまでした。


御言葉


○唱題行(1月11日)の砌

 皆さん 毎朝、たいへん御苦労さまです。前にもお話をしたと思いますが、今年の唱題行は23日で終了いたします。ただ、少し意味が違ってまいりまして、最初はインドネシアの妙願寺と法清寺の2カ寺における落慶入仏法要に行くことになっておりました。現地でも約6千名の信徒が集まって祝賀の色々なパフォーマンスと言いますか、そういうものまで計画しておりました。しかしながら、やはり祝賀という点では今は適当ではないと私が判断いたしまして、インドネシアに行くことはやめたのであります。

 ところが、そのことを現地に人達に伝えましたら、現地の人達がそのことをたいへん悩まれたそうであります。その結果、追悼法要を行ってもらいたいという話が出てまいりました。やはり、今回の大災害は全人類にとっても不幸な出来事であります。特にインドネシアにおいては8万人以上の方が亡くなっているのです。ところが、日蓮正宗の信徒の方はほとんど被害がなかったように聞いております。一往、公称50万人とも言われるインドネシアの信徒がいるのですが、そのなかで1人も亡くなっていないということは、ちょっと信じられないという意味もありますが、現在までの報告では亡くなっていないのです。

 そういうことで、インドネシアを中心とした全般にわたって大不幸がありましたので、追悼法要に伺うことになりました。現在のところ、25日に日本を出発いたしまして、26日、27日と法要を行って、28日に現地を出発し、29日の早朝には帰国する予定です。したがって、今月下旬の唱題行は奉修できませんので、23日の日曜日をもって区切りとし、本年の唱題行を終了することといたします。また、この日は大勢の御信徒がお見えになると思いますので、例によってお汁粉の用意も考えております。

 さて、この唱題行は功徳の累積であるということを我々は信ずるべきだと思います。一遍のお題目にも無量の功徳が存するという御書があります。まして、1時間、真剣に唱題していくということ、さらにこれを1カ月間、行うのであります。よって、この唱題行は功徳の累積であるとともに我が心身を荘厳し、さらに三世にわたる大福運の源であるということを我々は信じて、大聖人様の仏法の護法弘通に精進すべきであると思うのであります。本日は御苦労様でした。



○唱題行(1月12日)の砌

 おはようございます。本朝も、渡辺定元法華講大講頭・大石寺総代以下かなりの方が参詣されまして、ただいまは共に唱題行に励んだ次第であります。私も、こうして毎日、皆さん方のお顔を拝見してますと「見覚えのある顔だな」と、少しずつ判ってきておるのですが、名前が判らないのです。皆さん方のほとんどの方について名前が判りません。このなかで名前を知っている方は3人か4人です。あとの方は、顔は判っているのですが名前が判りません。しかし、名前が判らなくても、一緒になって一生懸命にお題目を唱えているのでありますから、それでよろしいかと思います。

 さて、今日は12日でありますが、12日の意義は実に深く広いものがあるのです。そのほんの一分を申し上げたいと思います。


 仏法においては、我々の命は過去からの原因によって存するということが説かれております。しかし、世間一般の人は自分の命がどういうところから、どうなってきたのかということが解らないのです。仏法では、基本のところからずっと述べられておるなかで、過去から現在、現在から未来ということが説かれております。そして、実は12という数には「十二因縁」という法門があるのです。

 まず無明・行が過去の二因であります。識・名色・六入・触・受という状態が現在の五果であります。無明・行という過去の原因によって現在の識・名色・六入・触・受という形があるのです。つまり、お母さんのおなかに宿って、生まれてきて成長していく過程の形であります。それからまた、現在の生活に愛・取・有という3つの原因があります。そして、愛・取・有の三因によって未来の生・老死という二果が存するのであります。これが十二因縁であります。つまり、過去の原因によって現在の結果があり、現在の原因によって未来の結果が存するのです。

 このことについて、わけの解らない人生観の人は、無明の元があるにもかかわらず、その無明自体が解らないのです。つまり迷いの煩悩が元になって今日、迷いの姿や不幸の姿存在しておるけれども、それも解らないのです。そしてまた、それが原因となって、未来においてもまた、迷いから迷いに行くというところに、仏法を知らない世間一般の人々の命が存するのであります。そこで、その根本の無明をどのように処理していくかとというところに、仏の大慈悲による教えがあるわけで、釈尊も一代仏教のなかで、この無明をどのように処理していくかということを述べられております。

 無明と一口に言いましても、この内容を分ければ、見惑・思惑・塵沙惑・無明惑となります。そして、小乗仏教においては見惑・思惑の内容だけを無明というように考えております。しかし、大乗の教えからいくと、見惑・思惑のほかに塵沙惑、そして無明惑というように、その内容が深くなってくるのです。よって、中道の内容、すなわち円の内容が解らないところに根本の無明が存するわけで、大聖人様もこれについて御書のなかで色々と御指南であります。

 したがって、その無明をどのように処理していくかとということについて、小乗の考えでは、まず無明を滅していく、つまり、なくしていくということが説かれるのであります。すなわち、「無明滅すれば則ち行滅す。行滅すれば則ち識滅す。識滅すれば則ち名色滅す。名色滅すれば則ち六入滅す。六入滅すれば則ち触滅す。触滅すれば則ち受滅す。受滅すれば則ち愛滅す。愛滅すれば則ち取滅す。取滅すれば則ち有滅す。有滅すれば則ち生滅す。生滅すれば則ち老死憂悲苦悩滅す」(御書101ページ)というように、だんだんとなくしていく形で、それで結局、最後は空に帰するというところに本当の悟りがあるのだとするのです。

 しかし、大乗ではそうではなく、命そのものの当体において直ちに無明即明と開くというのが法華経乃至大乗の教えであります。特に法華経において無明即明の教えの当体がはっきりと示されておるのであります。ですから、無明という内容がそのまま即明であるというところが不思議なのです。だから妙法蓮華経とも言うのです。妙とは不思議ということであります。よって、不思議の当体を信じて南無妙法蓮華経と唱えるところが無明即明であります。

 法界三千ことごとくが我々の命の当体であります。したがって、その迷い、迷いといってもその迷いには仏の命が具わっておるのであります。つまり、九界に仏界が具わり、仏界に九界が具わるということをはっきり示されるとともに、その修行の道を顕わされたのが法華経であり、末法においては大聖人様の三大秘法であります。ですから、南無妙法蓮華経と唱えるところに、その境界がおのずとはっきり顕れてくるということが拝されるのであります。

 この12日には、大聖人様の不思議な御振る舞い、御化導が存します。つまり、生まれてきてから死んでいくという迷いの凡夫の命の姿そのものが、また、久遠の本仏であるという意義をはっきり顕されております。これは13日の法門から来るわけですから本日は申しませんし、長くなりますから省略しますけれども、12日というところに、十二因縁の我々の迷いの命が、御本尊を深く信じ奉り、南無妙法蓮華経と唱えることによって、無明即明、すなわち無明という根本の煩悩がそのまま明として我々の命のなかに必ず顕れてくるのであり、このところに下種仏法の広大な利益が存するということを、ひとことだけ申し上げる次第であります。たいへん御苦労さまでした。



○唱題行(1月13日)の砌

 おはようございます。本日は13日で、月は違いますが大聖人様の御入滅の日であります。御承知のように、旧暦の弘安5年10月13日を新暦に直しますと11月21日に当たるのであります。その関係から毎年、総本山においては11月20日に御逮夜法要、21日に御正当会という意味において御大会の法要を奉修しておる次第であります。

 さて、我々の迷いの姿は煩悩と生死ということであると思います。生死ということは生まれて、そして死んでいくということであります。この生死ということについては、たいへん難しい意味があります。しかし、世間一般の人はほとんど生ということを考えず、また死ということも解らないのです。けれども、生死ということが我々の命の当体であります。

 もう一つは、生活のなかにおいて様々な迷いがあり、苦しみもあります。その苦しみの元になるのが迷い、煩悩であります。これについて法華経では「煩悩即菩提・生死即涅槃」という法門が説かれており、大御本尊様のなかでは生死即涅槃という法門の上からの意義をもって、梵字で右側に不動明王が示されてあります。それから煩悩即菩提という意味において、同じく梵字で左側に愛染明王が示されております。愛染の「愛」は愛するということで、愛に染まるという意味であります。我々の煩悩の命のなかでも、また生きていくなかでも、そのような煩悩が中心、根本に存するのであります。しかし、その煩悩が即菩提であるということを法華経の妙法の意義の上においてお示しであります。

 そして、この意義がそのまま大聖人様の一期の御化導の上にはっきり示されております。昨日も少し話しましたが、十二因縁というものは迷いから迷いへ行く姿で、無明・行・識・名色・六入・触(そく)・受・愛・取・有・生・老死であります。この十二因縁のところに、無明が即、明として、つまり悟りとして開かれるところに妙法の功徳が存するのであり、また大聖人様の御一生のお振る舞い、すなわち本日、13日の御入滅というところに、凡夫即極の本仏の当体が拝せられるのであります。

 つまり、12日が十二因縁の姿としての煩悩を顕し、それがそのまま13日に転ずるところに、無明即明という意味での生死の姿があります。これは色々な面で非常に難しい意味もありますが、寿量品では「非生現生・非滅現滅」という法門が説かれております。生に非ずして生を現じ、滅に非ずして滅を現ずるということが、寿量品のなかでずっと説かれておるのであります。すなわち、仏様の真の当体は、生に非ずしてしかも生を現されており、滅に非ずしてしかも滅を現ぜられるということであります。大聖人様のお振る舞いが、まさにこの生死の意義を示されております。

 大聖人様は2回、13日に亡くなっておるのです。毎年、9月12日には、総本山におきましても御難会を奉修いたしておりますが、大聖人様は、「日蓮といゐし者は、去年九月十二日子丑の時に頸はねられぬ」(御書563ページ)と仰せになっております。

 このなかで「十二日」とおっしゃっておるのは、9月12日の夕刻に召し捕られて、鎌倉の評定所から馬に乗せられて、その途中、八幡大菩薩に諌暁あそばされ、竜の口の刑場に引かれて行かれるその時間も含めて仰せなのです。よって、この御難は12日から現れておりますから、まず「十二日」とおっしゃっておるのです。

 そして、その次に「子丑の時に頸はねられぬ」と仰せでありますが、子の刻はちょうど真夜中の12時なのです。正確に言えば12日の午後11時から13日の午前1時までが子の刻なのです。丑の刻はそれからあとの2時間でありまして、13日の午前2時が丑の刻になります。よって「子丑の時に頸はねられぬ」とは、12日から御難が始まって、そして9月13日の明け方にまさに頸を切られんとされたということであります。

 そして、この時に月の如き光り物が不思議に現れて、「辰巳(たつみ)のかたより戌亥(いぬい)のかたへひかり(光)わたる」(同1060ページ)ということをお示しであります。そして、その光りによって太刀取りの目がくらんで、ついにお頸を切ることができなかったということであります。

 ただいま申し上げましたように、大聖人様は「日蓮といゐし者は、去年九月十二日子丑の時に頸はねられぬ」と仰せであります。「頸はねられぬ」ということは、殺された、頸が飛んでしまったということであり、このことをはっきりおっしゃっておるのです。これはどういうことかと申しますと、凡夫である大聖人様のお頸が刎ねられて、そして久遠元初の御本仏として新たにお生まれになったということであります。

 そこに死と生という意味があるのです。ですから、寿量品の「非生現生・非滅現滅」の法門には、そのまま大聖人様のお振る舞いに、すなわち9月12日の子丑の時に頸を刎ねられる意味があるのです。そこから御本仏として佐渡においでになり、以後、次第に本門三大秘法をお顕しになって、末法の一切衆生を導く大法を建立あそばされた次第であります。

 そして、弘安5年10月13日に御入滅あそばされておるのです。ですから竜の口の御難の時に頸を刎ねられたのも13日であり、御入滅も13日なのであります。大聖人様は、十二因縁のところからもう一歩入って、無明即明の根本の悟りを開かれ、実際に弘安5年10月13日の午前8時ごろと言われておりますが、この時に御入滅あそばされました。そして、その御魂魄が本門戒壇の大御本尊様として、日本乃至世界の一切衆生を真に導くところの大法を顕されつつ、今日、常住にあらせられるのであります。大聖人様が下種の御本仏としてのお振る舞いの上から、生死の姿、煩悩の状態をことごとく浄化されて、そして末法の一切衆生を導くところの本有常住の仏様として、今日、おわしますというところに大きな功徳が存するのであります。

 先般も申しましたが、インドネシアのあの大災害のなかにあって、今のところの報告では、日蓮正宗の信徒は一人も亡くなっていないのです。大聖人様は、「此の五字の大曼荼羅を身に帯し心に存ぜば、諸王は国を扶(たす)け万民は難をのがれん」(同764ページ)と仰せであります。つまり、あらゆる人々がこの大法によって難を逃れると仰せあそばされた御本仏の御魂魄が、今日、常住であるが故に、この妙法を受持する人は大きな功徳をそのまま受けることができるのであると拝する次第であります。

 本日は13日ということから、御報恩の意味において、大聖人様の広大な御仏徳について少々、申し上げた次第であります。皆様方のいよいよの御精進をお祈りいたします。




御法主上人猊下御講義
『佐渡以降の御化導−本門の本尊(下)』


『観心本尊抄』 此の釈に「闘諍の時」云云、今の自界叛逆(ほんぎゃく)・西海浸逼(しんぴつ)の二難を指すなり。此の時地涌千界出現して、本門の釈尊を脇士と為(な)す一閻浮提第一の本尊、此の国に立つべし。(御書661ページ)

この文の「闘諍の時」というのは、伝教大師が『法華秀句』の中で、末法の時を言っておるのであります。まさしくそのとおりに、大聖人様が御出現の時に、自界叛逆・西海侵逼の二難が起こってまいりました。大聖人様が文応元(1260)年に『立正安国論』を奏呈(そうてい)されて、それから14年後に予言が実現して、文永11(1274)年に蒙古の国が初めて日本の国に攻め寄せてきたのです。必ず他の国が攻め寄せてくると予言したとおりになったわけです。

しかもその年は、大聖人様が佐渡の国からお帰りになって、その直後の4月8日に鎌倉において、あの有名な「殿中問答」がありました。その時に平左衛門という当時の政治権力者が、大聖人様に対して「蒙古の国が攻め寄せてくると言うが、いったい、いつ攻めて来るのか」と尋ねてたわけです。この平左衛門は、政治の権力者でありますから、国の内外のあらゆる情報を掴んでいるはずですが、あえて世の中の情報も特別にない大聖人様に対して、このような質問をしたわけです。これに対して大聖人様は、「天の御気色(みけしき)いかりすくなからず、きう(急)に見へて候。よも今年はすごし候はじと語りたりき。」(御書867ページ)と仰せのになったのです。これこそまさに妙法の法界通暁の御境地からの御言葉です。このようにおしゃったのが4月8日で、その年の10月に蒙古が攻めて来たわけですから、まさしく大聖人様の具体的な予言がそのまま現実のものとなったのです。

したがって、『観心本尊抄』を著されたのが文永10(1273)年4月で、前年の文永9(1272)年に自界叛逆の難は起こっているけれども、まだこの時点では西海侵逼の難は起こっていないのです。そして翌年の文永11年に初めて蒙古が攻めて来たのであります。ですから、その前の文永10年において、ここに自界叛逆の難と共に西海侵逼の難があるということを、はっきりとおしゃっているのが兼知未萌(みぼう)の明鑑であります。

続いて「此の時地涌千界出現して」との文は、それと同じ時に地涌千界が出現するいうことで、つまり大聖人様が御自身のことをおしゃっているのです。

次に「本門の釈尊を脇士と為す」。この「脇士」とは、普通は中心の仏の左右にいて、中心の仏を化導を助ける菩薩を言うのです。ですから阿弥陀如来の脇士としては観音菩薩と勢至菩薩、また薬師如来は日光菩薩と月光菩薩というように、京都や奈良に行ってみると、真ん中の本尊の仏像の左右に2つの像があるでしょう。あれが脇士であります。よって、中心はあくまで真ん中の仏なのです。そこで、「此の時地涌千界出現して、本門の釈尊を脇士と為す」ということは、地涌千界が出現して、本門の釈尊が逆に脇士となるということです。釈尊本仏家は到底信じ難いのですが、そこのところの真意が大事なのです。

大漫荼羅御本尊の当体を拝すると、中央に「南無妙法蓮華経」とあり、その南無妙法蓮華経の真下に「日蓮」とお認めになっています。この「南無妙法蓮華経日蓮」が人法一箇の御本尊ということなのです。これが、地涌千界出現の本尊の御当体なのです。さらに、その左右に釈迦・多宝・上行・無辺行等が認められておりますが、これはまさしく脇士の姿であります。上行・無辺行とあるけれども、これは末法出現は日蓮大聖人。この意味においては、南無妙法蓮華経の御所持の御当体でありますから、そのまま久遠元初の御本仏という意義がここに示されておるのであります。それで「一閻浮題第一の本尊、此の国に立つべし」と仰せられるのです。

この「本門の釈尊を脇士と為す」という読み方は、漢文の例から言ってもそのとおりなのです。『観心本尊抄』の前文の中に、「正像二千年の間は小乗の釈尊は迦葉・阿難を脇士と為(な)し、権大乗並びに涅槃・法華経の迹門等の釈尊は文殊・普賢等を以て脇士と為す。」(御書654ページ)とあるように「脇士と為す」という文が2例あるのです。『観心本尊抄』の原文は漢字体で、送り仮名は付いていません。したがって前2例このところも「為脇士」となっています。これを「為ス(二)脇士ト(一)(脇士ト為ス)」と前2例で読むのは当然ですから、このところも「本門の釈尊を脇士と為す」というように読むのが、正しい読み方です。

しかるに、他の日蓮宗関係の人々の主張においては、ここは「地涌千界出現して、本門の釈尊の脇士と為り」と読むのです。そうすると「地涌千界が出現して、本門の釈尊を建立して、その脇士となりつつ、その地涌千界がまたさらに一閻浮題第一の本尊をこの国に立つであろう」という解釈になります。けれども、これでは時期も矛盾し、御本尊安置の形式もわけが判らなくなります。「本門の釈尊」と言っても、それは法華経に説かれたもので、その裟婆出現の仏はすでに入滅しておいでになるわけです。ところが「地涌千界出現して」ということは、歴史的な段階において日本の国に出現するということなのです。では、実際に出て来る地涌千界は誰なのかと尋ねると、上行・無辺行等がその名前では出ていないし、これもわけが判らないのです。たとえそれが日蓮大聖人であったとしても、その大聖人が「本門の釈尊の脇士と為り」というように解釈してしまうと、まず中央に安置した釈尊の脇へ大聖人様がのこのこと入って脇士になるというような、わけの判らない本尊のかたちになるわけであり、とてもまともな本尊の形式として通じません。ですから、このような解釈は大きな誤りであります。

無理に前例と違った読み方をしなくても、素直にこれは大漫荼羅のことをおっしゃっていると拝すれば、先ほども言ったとおり、何らの矛盾がなく、自ずからこの御文が正しく収まり、このとおりの御本尊の相貎になるわけであります。大曼荼羅を否定して仏像造立に執われるために、このような読み方になるのです。



『報恩抄』(建治元年7月21日) 求めて云はく、其の形貌(ぎょうみょう)如何(いかん)。答へて云はく、一つには日本乃至一閻浮提(えんぶだい)一同に本門の教主釈尊を本尊とすべし。所謂宝塔の内の釈迦・多宝、外(そのほか)の諸仏並びに上行等の四菩薩脇士となるべし。(御書1036ページ)

これは『報恩抄』全体の結論とも言える終わりの部分で、三大秘法を述べられておる御文です。そこでまず本尊のことをこのように示されております。

この御文は、非常に真義を拝するのが難しく間違えやすい意味があるのです。「本門の教主釈尊を本尊とすべし」とまずはっきりおっしゃっているから、これは誰が何と言おうが、お釈迦様を本尊とすべきであると解釈するのが他門の人々です。けれども寿量の文底観心のところより拝すると、この「釈尊」という語には多くの種類があり、一様ではありません。すなわちインド出現の釈尊については、その中でも小乘を説いた釈尊があり、また権大乗を説く釈尊があり、法華経迹門の釈尊があり、法華経の本門『寿量品』を説いた釈尊というように、その教理の浅深によってかたちが異なるたくさんの違いがあるし、さらにその元には、先ほども述べた、「釈迦如来五百塵点劫の当初、凡夫にて御坐せし時、我が身は地水火風空なりと知ろしめして即座に悟りを開きたまひき」(同1419ページ)という御文の寿量の文底久遠元初凡夫即極の当体からの釈尊が厳として存するわけです。

その意味においては、この『報恩抄』の御文は、この後の御文との関連からも、これは久遠元初の釈尊のことをおっしゃっているのです。そして、この久遠元初の釈尊は、実はそのまま付嘱の上から末法に御出現になって日蓮大聖人様の御当体なのです。したがって、この教主釈尊を本尊とするという文の意義は、大漫荼羅を建立し給う日蓮大聖人御自身と、その大漫荼羅本尊の相貎を示し給うところに存するのであります。

以上が標文であり、これに関連してこれを解釈するのが次の「所謂宝塔の内の釋迦・多宝、外の諸仏並びに上行等の四菩薩脇士となるべし」の文です。ここに、「所謂」とありますが、これは「いうところ」という意味ですから、「所謂」以下は当然、前の部分を解釈する御文になるのです。ですから、この引文の全体は「標文」と「釈文」に分かれます。つまり「本門の教主釈尊を本尊とすべし」というかたちは標文なのです。それから、その標文を解釈するのが釈文ですから、したがって「所謂」以下は解釈になるのです。

そこでまず「本門の教主釈尊」とあって、次に「宝塔の内の釈迦・多宝、外(そのほか)の諸仏並びに上行等の四菩薩脇士となるべし」とありますが、そうすると、この「釈迦・多宝」とある「釈迦」は、小乘・大乗・迹門・本門の中のどういう釈迦かと言うと、これは必ず本門の釈迦なのです。なぜかと言えば、それはさらにその左右に「上行等の四菩薩」が挙げられて脇士となっているからです。上行等の四菩薩が左右に示される釈尊は迹門の釈尊ではないはずです。つまりそれは経文の上で見ると判ることで、法華経本門の『涌出品』において上行等の四菩薩が出現されますから、そこからの釈尊は本門の釈尊になります。そうすると標文も本門の釈尊であり、釈文の釈尊も本門の仏ということです。

そこで、仏像に執らわれる他の日連門下の人たちは、この文の解釈に困ってしまうのです。どういうことかと言えば、標文のほうには「本門の教主釈尊を本尊とすべし」とありますから、これは明らかに釈尊を本尊とすることになります。けれども釈文を見れば、そこには「宝塔の内の釈迦・多宝」以下「外の諸仏並びに上行等の四菩薩」が脇士として示されており、この釈尊も本門のわけです。するとこれは二重の釈尊を造るのか、それとも一体の本門釈尊とするのか、けれども多宝と上行等が脇士となって体形が調わないというように、いったいどういう形式にすればよいのか判らなくなってしまうのです。そこで他の門下の人たちはまちまちの解釈で、結局、本尊が定まらないのです。例えば、その中の主な人たちは一往、標文に示されるごとく、お釈迦様の一尊を立てて上行等の四菩薩を脇士とする「一尊四士」という仏像形式をとっていますが、「釈迦・多宝」のうち多宝がどこかにいってしまうので、この『報恩抄』の文にそぐわないのです。

ところが、真実はそのような仏像造立を意味するのではありません。この『報恩抄』の標釈の御文は、そもそも大漫荼羅のことをお示しになっているのです。その中で標文については前に述べましたが、釈文において「所謂宝塔の内の釈迦・多宝」というのは、御本尊の中央首題の南無妙法蓮華経の左右に釈迦・多宝とある、そのことを言われておるのです。それから「外の諸仏」とありますが、これは善徳仏と十方分身の諸仏で、建治年間の真筆御本尊すべてに示されております。この『報恩抄』が建治2(1276)年であることからも、この釈文が大漫荼羅を説かれていることが明らかなのです。したがって「所謂」以下は、まさしく大漫荼羅の左右の体相を示されているのであります。

今日、大聖人様の御真筆の御本尊は150幅程度しか現存していません。けれども、なかには時々、大聖人の御本尊として先祖代々伝わっているから鑑定してくださいと言って来る人がいるのです。私も昔、本行寺の住職をしていた頃、いろいろな人が時々持って来られたことがありました。その御本尊を一見してみると、その裏に身延の貫首が「大聖人の御真筆に疑いない」という趣旨のことを書いているのです。ところが御本尊の表を見ると、大聖人様の御筆とは全く違う偽物です。私どもは一目見れば一目瞭然、大聖人の御真筆か否かは判ります。そういう偽物が日本中にたくさんあるのです。今日、大聖人の御真筆の御本尊であることが本当に判っているのは、総本山にも8幅ほどが格護されております。また日本中には120数幅あると思われます。

その御本尊を、きちっと年代順に拝してみると、「外の諸仏」すなわち善徳仏と十方分身の諸仏がお入りになっているのは、文永の終わりから建治の終わりまでで、この間においては、まさしく善徳仏と十方分身の諸仏がお入りになっているのです。ところが弘安に入ると、これが一切なくなってしまうのです。大聖人様が、善徳仏、十方分身の諸仏を除かれたことにおいて、本当の久遠元初の本仏の当体たる意義より三大秘法を整足あそばされ、本門の本尊の御当体をお示しになっておるのであります。

つまりこの『報恩抄』は建治2年7月の御書ですから、そこでまさしく建治年間の御本尊は全部、一幅も残らず「外の諸仏」とおっしゃっておる意味での善徳仏と十方分身の諸仏が、釈迦・多宝の左右に必ず認められてある。これが弘安に入ると全部なくなるわけです。ここには非常に大事な意義が存するのです。しかしながら一方、この建治の頃からの御本尊は「南無妙法蓮華経」の真下に「日蓮」と、はっきりお示しになっております。

今は宗門から離脱してしまった房州の保田の妙本寺という寺がありますが、あそこには文永11年に蒙古の軍が攻め寄せて来た時に認められた立派な御本尊があるのです。この御本尊は、やはり上行菩薩出現の上からの御内証をはっきりとお示しになっております。御本尊の讃文には「上行菩薩出現」と書かれているのですが、「日蓮」の御名は右下に「御判」は左下に小さく分けてお書きになっておるのです。それはどういうことかと言うと、南無妙法蓮華経妙の法体がまさしく日蓮であるということを示し給うのに、一歩を控えられる時期であるからです。ところが建治に入ると「南無妙法蓮華経」の真下に「日蓮」とお示しになってくる深義があります。

その上からも、この『報恩抄』の御文は、久遠元初の南無妙法蓮華経の当体そのまま人即法、法即人の本尊の御当体を示し給う文として拝すべきであります。したがって、この「本門の教主釈尊」とは久遠元初の本仏教主釈尊、すなわち末法出現の日蓮大聖人様であることをお示しであります。



『本尊問答抄』(弘安元年9月) 問うて云はく、末代悪世(あくせ)の凡夫は何物を以て本尊と定むべきや。答へて云はく、法華経の題目を以て本尊とすべし。(乃至)釈尊と天台とは法華経を本尊と定め給へり。末代今の日蓮も仏と天台との如く、法華経を以て本尊とするなり。其の故は法華経は釈尊の父母、諸仏の眼目なり。釈迦・大日総じて十方の諸仏は法華経より出生し給へり。故に全く能生を以て本尊とするなり。問ふ、其の証拠(しょうこ)如何。答ふ、普賢経に云はく「此の大乗経典は諸仏の宝蔵也、十方三世の諸仏の眼目なり、三世の諸の如来を出生する種なり」等(御書1274〜5ページ)

この「問うて云はく、末代悪世(あくせ)の凡夫は何物を以て本尊と定むべきや。答へて云はく、法華経の題目を以て本尊とすべし」というのは、一往、法華経の題目が本尊であるとおっしゃっています。しかし、この「法華経の題目」には「名通」と「義別」、すなわち名は通ずるけれども義においては別であるという二義があります。さらには、「功帰」、すなわち元に帰るという意義があり、その功徳の元を論ずるということからすれば、その内容は本果と本因ということになります。この文の「法華経の題目」とは、その本因の妙法蓮華経なのです。

ですから本門の妙法蓮華経と言うと、すぐにお釈迦様の題目だと思ったら大きな間違いです。お釈迦様の法華経二十八品の題目でも『序品』の題目と『方便品』の題目では意味が違うし、さらに『寿量品』の題目と『方便品』の題目では、やはり意義が違うのです。さらに言うならば、今言った功帰の上からの本因妙の題目という根本の意義が存するのです。そこに大聖人様が当抄の冒頭に「法華経の題目を以て本尊とすべし」と仰せられた意義があるのであります。その内容が、次に述べられております。

「釈尊と天台とは法華経を本尊と定め給えり。末代今の日蓮も仏と天台との如く、法華経を以て本尊とするなり。」このように一往、釈尊と天台に寄せて述べられ、特に釈尊が題目を本尊とされる文に注意すべきであります。法華経にも広・略・要という意義がありますが、大聖人様が仰せになっている法華経は、広・略・要のうちの要の法華経であります。故に以下「法華経」とあるのは、すべて要の法華経たる妙法蓮華経の意であります。

「其の故は法華経は釈尊の父母、諸仏の眼目なり。釈迦・大日総じて十方の諸仏は法華経より出生し給へり。故に全く能生を以て本尊とするなり」。先ほども『観心本尊抄』の御文のところに「能」「所」についての立て分けがありました。すなわち「能変の教主涅槃に入りぬれば、所変の諸仏従って滅尽す」ということでしたが、この場合も同様に「能」と「所」の問題であります。妙法蓮華経は、よく諸仏を生ずるわけで、諸仏は妙法蓮華経によって生ぜられるわけであります。要するに、法と仏を比べると、法が能生であって、仏が所生であるという法門が、釈尊一代仏教において存するのであります。

「問ふ、其の証拠(しょうこ)如何。答ふ、普賢経に云はく『此の大乗経典は諸仏の宝蔵也、十方三世の諸仏の眼目なり、三世の諸の如来を出生する種なり』等」。この、「諸仏の宝蔵」ということについて言えば、世間においても宝蔵というのがあるのです。古くから続いている家などには、よく土蔵がありますね。あの土蔵の中に入ると、先祖から伝わっている様々な宝物があります。そういう意味において、この宝蔵の中にもあらゆる宝物が入っているという意義です。したがって「諸仏の宝蔵」ということは、諸仏の内証において証得されたところの功徳がことごとく妙法蓮華経の中に具わっておるという意において宝蔵と言うのであります。

それから「諸仏の眼目」とありますが、仏は五つの眼を持っています。

【五眼】(ごげん)

1つ目は「肉眼」と言って、これは赤・青・白・黒などの色や、男や女、または犬や猫などの様々なものを認識しますが、目の前の遮るものがあればその向こうは見ることができません。つまり肉眼は、限界があるのです。

2つ目は「天眼」で、これは昼や夜、遠くや近くをすべて見ることができるのです。この天眼はほとんどの人が持っていません。けれども世の中には、その一分を持っている人が稀にいるのです。これはやはり過去からの特別な因縁の上に具わるのです。

3つ目が「慧眼」と言いまして、これは深い空理を得ることによって物事を判断する二乗の智慧の眼であります。

4つ目は「法眼」で、これは仏法の上から一切の事物や事象の因縁相を判断する菩薩の智慧の眼を言います。

最後が「仏眼」で、一切の事物や事象、また法の相を三世十方にわたって見通すことのできる仏の智慧の眼を言うのであります。

このように、仏様には五つの眼が具わっており、このすべての上から本当の真実の相をご覧になっていくのが、仏様の悟りにおける認識の内容であります。ですから、「十方三世の諸仏の眼目なり」とは、三世十方の諸仏がその眼を得るのは妙法によるということです。


さらに「三世の諸の如来を出生する種なり」というのは、これは仏と成る始めの種を言うのです。すなわち妙法蓮華経が、あらゆる仏を生ずる種であります。お釈迦さまの化導は脱益の化導で、下種の化導ではないのです。故に一部八巻の広の法華経を、四十余年の方便経の後に説かれました。しかるに末法の大聖人様の化導は、一切衆生に成仏の種を下す下種の化導であります。故に妙法蓮華経を本尊として弘通されます。我々はその種を疑いなく受けて、それを正しく育てていくことが唱題修行であります。

さて、この種にも「性種」と「乗種」があります。

【性種と乗種】(しょうしゅとじょうしゅ)

「性種」というのは、我々の命の中に具わっている妙法蓮華経のことを言います。我々もこの妙法蓮華経の当体であるということを全く忘れて、小さな執わればかりを考えているから妙法蓮華経の用きが少しも顕れてこないのです。ですから、我が身が本来尊い妙法の体であると知ることこそ大事であります。

けれども、さらに大事なのが「乗種」ということです。これは、我々の命をそのまま妙法としての無限の功徳を開発させていただくところの御本尊のことであります。ですから本門戒壇の大御本尊様が、我々の成仏の根本の乗種ということであります。


そういう意味からも、妙法が一切を出生する種であるということを、ここに説かれておるのであります。



『三大秘法抄』(弘安5年4月8日) 「寿量品に建立する所の本尊は、五百塵点の当初(そのかみ)より以来(このかた)、此土有縁深厚・本有無 作三身の教主釈尊是なり。寿量品に云はく「如来秘密神通之力」等云云。」(御書1594ページ)

これも大変大事な御文であります。大聖人様の御書の中には、本尊を人に約してから説かれるところ、つまり人格的な教主釈尊というような意味において述べられるところと、法に約して説かれるところの二つがあります。先ほどの『本尊問答抄』は「法華経の題目を以て本尊とすべし」とあり、これは人に即する法に約されておるわけです。しかるに『三大秘法抄』は「本有無作三身の教主釈尊是れなり」とあって、これは法に即する人に約されているのです。

この『三大秘法抄』の御文の中に「五百塵点の当初」とあるでしょう。この「当初」の2文字が大変大事なのです。先ほど挙げた 『総勘文抄』にも、「釈迦如来五百塵点刧の当初、凡夫にて御坐せし時、我が身は地水火風空なりと知ろしめして即座に悟りを開きたまひき」(同1419ページ)と、やはり「当初」という御文がありました。これはつまり先ほども言ったとおり、久遠元初の教主釈尊のことを言われるので、インド出現の釈尊のことではないのです。

このように、大聖人様の御書においては、人に即して法を述べられる『本尊問答抄』のような場合と、法に即して人を示される『三大秘法抄』のような場合がありますが、この『三大秘法抄』のように、法に即して人を示されるような場合の重要な御書においては、必ず「当初」すなわち久遠元初の仏としての御指南が存するというところに、大聖人様の御本尊の深い意義があるのです。このへんのところをずっと拝していくと、大聖人様がやはり末法出現の御本仏であることが明かです。

そして、その意味での御魂を、「日蓮がたましひ(魂)をすみ(墨)にそめながしてかきて候ぞ、信じさせ給へ。仏の御意(みこころ)は法華経なり。日蓮がたましひは南無妙法蓮華経にすぎたるはなし」(同685ページ)とあるように、そのまま法としてお示しになられておるのです。

ここには種脱ということがきちんと述べられております。すなわち「仏の御意は法華経なり」とある「仏」とは、釈尊のことです。釈尊は一代において華厳・阿含・方等・般若等の方便を説いたけれども、結局、一部八巻二十八品の法華経をもって括りとされるわけです。けれども末法の日蓮大聖人様は、下種の法華経の上から南無妙法蓮華経をもって魂とされ、それを御本尊として顕されるのであります。そのところに、やはり下種仏法の大事な所以が存するのであります。ですから人即法、法即人ということが、この意味において存するのであります。



『御本尊七箇之相承』(弘安5年10月10日)「唱えられ給う処の七字は仏界なり、唱え奉る我等衆生は九界なり。是れ則ち四教の因果を打ち破りて真の十界の因果を説き顕す云云。此の時の我等は無作三身にして寂光土に住する実仏なり、出世の応仏は垂迹施権の権仏なり」(聖典378ページ)

この『御本尊七箇之相承』は『平成新編御書』には集録されていません。なぜ抜いてあるのかと言いますと、やはり信心のしっかりした見方がありませんと、御文の解釈を誤る場合があるという考慮からです。けれども、これは『日蓮正宗聖典』のほうには入っております。そこで、この中より大事な御文を挙げた次第であります。

まず初めに「唱えられ給う処の七字は仏界なり」とお示しになっておるところが非常に大事なのです。この南無妙法蓮華経の七字がそのまま仏界であるということは、これは大聖人様の御魂のことを仰せられおるのです。ですから御本尊様の南無妙法蓮華経に対しては、これを皆さん方は御本仏の御魂として拝するべきなのです。「日蓮がたましひは南無妙法蓮華経にすぎたるはなし」とおっしゃっているとおりなのです。このような意義をすっかり忘れてしまって、一往のかたちの上では、目は御題目を拝していても、頭の中ではくだらないことばかり考えていたのでは、功徳はありますが、過去の罪障のため、はっきりしないのです。南無妙法蓮華経は御本仏大聖人様の御魂であることを拝して、御本尊様に向かって真剣に御題目を唱えることによって必ず功徳を戴くことができるのです。

そこで、「唱えられ給う処の七字は仏界なり、唱え奉る我等衆生は九界なり」。この我々九界の衆生というのは迷っているのです。我々は、他の人を導こうという、九界のうち一番上の菩薩境界を持っている時もあれば、またある時には地獄界であったり、餓鬼や畜生の境界であったりするわけです。けれども、その中において常に南無妙法蓮華経の仏界を拝していくことが大切なのであります。

「是れ則ち四教の因果を打ち破りて真の十界の因果を説き顕す」。この「四教」とうのは蔵・通・別・円でありまして、法華の円を除く四教は全部方便の教えになりますから、その上から来るところの原因と結果であります。その結果として、三十四心断結成道の仏の劣応身、それから勝応身、さらには奈良の大仏のような盧舎那仏報身というような仏で、これはみんな四教の上からの因に対する果なのです。つまり仏果ですから、仏様の結果として出ているわけです。それに対する因は、仏縁に成るための修行であり、これが菩薩の修行になるわけです。そして、これらをことごとく方便のものとして打ち破るのが本門の教法であります。そこに我々の迷いの九界がそのまま仏界になり、仏界がそのまま九界となって、真実の十界互具の成仏の因果が存するのです。

ですから、仏様も十界を具えていらっしゃることを知るべきであります。仏様には仏界しかないんだろうと思ったら大きな間違いです。南無妙法蓮華経の中には全法界が具わる故に十界のすべてが具わるのです。妙法の法の字は、そのまま法界全体を著すわけですから、地獄も餓鬼も畜生も全部具わっているのです。それでなければ我々の命の中の迷いが、そのまま仏界と一つになれないのです。そこに九界即仏界、仏界即九界という意義があり、尊い即身成仏の境たる十界の因果が存するのであります。

そこで、次に「此の時の我等は無作三身にして寂光土に住する実仏なり」とその功徳をこのようにはっきりととおっしゃっています。つまりこれは大聖人様が無作三身の御本仏であると同時に、大聖人様を信じ、また御本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱える我々が、そのまま無作三身の成仏をするという御指南です。

次の「出世の応仏は垂迹施権の権仏なり」というこの「垂迹」とは、迹を垂れるということで「施権」は権を施すということです。そして「権仏」とは方便の仏でありますから、つまりこれは「出世の応仏」とは釈尊のことで、これは方便を施しておるところの権仏、仮の仏であるとうことです。



『御本尊七箇之相承』 日蓮と御判を置き給う事如何。【三世印判日蓮体具】師の曰わく、首題も釈迦・多宝も上行・無辺行等も普賢・文殊等も舎利弗・迦葉等も梵・釈・四天・日月等も鬼子母神・十羅刹女等も天照・八幡等も悉く日蓮なりと申す心なり。(乃至)法界即日蓮、日蓮即法界なり。(聖典 379ページ)

この御文で判るように、釈迦・多宝が仏で偉いのだからと言って、それだけを一生懸命に拝むのは、法華経の大義から言って大きな間違いなのです。この御文は、御本尊様に認められている首題をはじめ、釈迦・多宝や四菩薩、さらには提婆達多、鬼子母神、十羅刹女などの十界のことごとくが日蓮であるということが御本尊の正意なのです。その故に中央の七字の真下に大きく「日蓮在御判」を顕わされているのです。故に御本尊様の中には、十界のことごとくが日蓮大聖人の人法一箇の御当体であるという意味の御指南であります。

大漫荼羅の御当体は、南無妙法蓮華経の真下にお示しあそばされている日蓮大聖人様なのです。ですから我々は、日蓮大聖人様を一切諸仏の根本たる本当の仏様として常に拝すべきであり、そこに我々の真の成仏の道が存するのであります。この日蓮大聖人様が御本仏であるという意義が判って、その信仰が次第に伝わっていくところに、この世の中の人々が真に成仏をして広宣流布の道に適っていくのであります。そういう意味において、これは人法一体であり、「南無妙法蓮華経」の首題がそのまま「日蓮」であるということであります。

次に「三世印判日蓮体具」ということは、三世に通ずるところの一切衆生即身成仏の印判が日蓮の体に具わっておるという意味です。そして、そこから「法界即日蓮、日蓮即法界なり」と御指南であります。下種の仏様も当然、三身相即です。すなわち法身・報身・応身の中の法の身とは全法界であります。そして法界には、時間と空間が具わっているのです。

この時間ということについて言えば、皆さん方も、この時間というものがいつから始まっているか全く不明だと思います。今の瞬間は、誰でも判ります。それから昨日や一昨日も判ります。けれども、それが1年前、10年前、100年前、1万年前というように頭で理解されますが、それならいったい時間はいつからあるのかと言えば、無限としか言いようがありません。今の科学では、ずいぶん先のところまで推測しているけれども、最初に時間が始まったのがいつかということは判らないのです。

一往、今の科学では「ビックバン」ということを、仮定的な意味を含んで論じます。つまり宇宙の元は、初めはマッチ箱みたいな小さな存在で、そこから爆発的に膨張を始めたと言うのです。それが今では何百億光年というような先にまで広がっていると言っています。我々の住んでいるこの地球も太陽系の1つの惑星で、その太陽系も銀河系の中の1つなのです。そしてこの銀河系も大宇宙の構成要素である小宇宙のうちの1つであると言われているのです。今では、そういうことが望遠鏡でだいたい判るそうです。そこで、この宇宙はビックバンから始まったというけれども、では、その前は何だったのかということも疑問であり、結局、この時間の始まりということはよく判らないのです。

また、この時間と同様に空間ということも、結局、今の科学ではよく判らないのです。「ドップラー効果」で見ると、今、宇宙はどんどん遠ざかっている、つまり広がっているということになっているわけです。けれども、広がっていった先はどうなるのか、また、は宇宙空間に限界があるのかないのかということも、結局、判らないのです。

ですから、この時間と空間という問題は、私は永遠に判らないと思います。けれども、その中において変化ということは存在する意味があると思うのです。仏法で言う成・住・壊・空という四刧の上からいけば、無限の変化がそのまま常住という意味もあると思われます。ともかく時間と空間は無限と言ってよいと思います。

そこで、この御文に「日蓮即法界なり」とおっしゃっているところに、むしろ本仏の本仏たる境地冥合の真身がましますのです。お釈迦さまは、御自身の三十二相という仏の姿に約して発迹顕本され、久遠からの成仏の境界であることを示されたわけで、これはやはり脱益の化導のかたちなのです。ですから法界そのものの仏様の悟りは、下種益による下種仏の「法界即日蓮、日蓮即法界なり」の顕示であり、そこにその本質が存するのであります。

それは最初に述べた「一身一念法界に遍し」という御文そのものであり、内鑑冷然の師・妙楽大師は、その教学の上で本門の法体を喝破しているわけです。ただし結要付嘱がなく、その法体を顕示する役目ではないので、文の上に説いたまでです。その意義を大聖人様は、御化導の上で本門の本尊としてお顕しあそばされておるのであります。また、それが我々の心性の奧底にある九識の法体として示されていることが拝されるのであります。



『百六箇抄』(弘安3年正月11日)「本化の本尊の本迹 七字は本なり、余の十界は迹なり。諸経・諸宗中王の本尊は万物下種の種子無上の大曼荼羅なり。」(御書1697ページ)

『百六箇抄』は相伝書でありますから、大聖人様の御指南の中でも特に難しい御書であります。

この「七字は本なり」とは、先ほど述べたことと同様で、南無妙法蓮華経の七字が一切の諸仏菩薩、十界の根本であるということです。それから「余の十界は迹なり」とは、釈迦・多宝等の十界は、その七字より顕れた十界ですから垂迹の内容であるということです。ですから御本仏の御当体として一身一念に具わる十界という意味においても、十界そのものは迹ということなり、一念の妙法がそのまま本ということであります。

そこで、「諸経・諸宗中王の本尊」、すなわちあらゆる経典、あらゆる諸宗の教法中の王たるべき教え、いわゆる本尊の当体としては「万物下種の種子無上の大曼陀羅なり」ということであります。この「万物下種」とは、一切に仏に成る下種をなすということですから、これはありとあらゆるものが大漫荼羅の大きな功徳によって成仏の下種をされるのであります。要は、皆さん方が妙法の大義を深く信じ、行じ、体していくところに、あらゆるものに対する下種の徳が存するということです。

皆さん方が食べるところの菜っ葉やご飯というような中にも、仏の命がそのままそこに用いられていくのであります。ですから、そこにも万物に下種していくという意義があるわけです。したがって「万物下種の種子無上の大漫荼羅なり」とは、種子においてこの上ないところの大漫荼羅の大功徳がすべてに具わるということを仰せになっておるのです。

大聖人様の御出現の御本懐は、十界互具、事の一念三千の大漫荼羅、本門戒壇の大御本尊にましますのであります。そこに大聖人様の一期の御化導においては「余は二十七年なり」(御書1396ページ)と仰せのように、本懐成就の順序次第がありまして、これには三大秘法の整足という意義が存します。

つまり鎌倉期においては、本門の題目が初めに弘通されました。これは一往、釈尊の説かれた法華経二十八品の上の妙法蓮華経ですが、再往、その功帰を尋ねれば、未だ本門の大漫荼羅が顕れる以前ではあるけれども、それに即する久遠元初本因妙の意義における本門の題目としての御弘通であったのです。

それからさらに、竜の口の法難において発迹顕本あそばされ「魂魄佐渡の国にいたりて」(同563ページ)という根本の仏様の御当体を顕される上からの、本門の本尊としての御化導があり、そして佐渡期を経て身延にお出でになって、弘安以降の御本懐の御本尊を顕し給うのであります。

これは、日寛上人が、その意味のことある程度おっしゃっておるわけです。ただし日寛上人の時代は、まだ写真技術がありませんでしたから、大聖人様の御本懐である本物の御本尊の内容を全部ご覧にならなかった意味があるのです。しかし、現在では、ほとんど明かになっています。日寛上人の時代においては、大聖人様の全部の御本尊をご覧になることができない環境にあり、ほんのわずかしかご覧にならないけれどもだいたいの見当をつけられいる御指南において、不思議にも日寛上人のおっしゃっていることが全部合っているのです。これにはやはり日寛上人の深い教学と、信心の上から三大秘法の内容を悟られた透徹した意義が拝され、実に尊く思われるのであります。その上からも弘安以降の御化導、特に弘安2年において、大聖人様は御本懐を成就されてことが拝されるのであります。

したがって要は、そこから大聖人様の久遠元初自受用報身としての御境界における御本尊を顕し給うのであり、またそれがそのまま戒壇の意義の顕現に通ずるのであります。よって弘安2年10月12日に御図顕あそばされた本門戒壇の大御本尊が、大聖人様一期の施化の御本懐であります。



『日女御前御返事』(弘安2年8月23日)「此の御本尊全く余所(よそ)に求むる事なかれ。只我等衆生、法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱ふる胸中の肉団におはしますなり。是を九識心王真如(くしきしんのうしんにょ)の都とは申すなり。十界具足とは十界一界もか(欠)けず一界にあるなり。之に依って曼陀羅とは申すなり。曼陀羅と云ふは天竺(てんじく)の名なり、此には輪円具足(りんねんぐそく)とも功徳聚(くどくじゅ)とも名づくるなり。此の御本尊も只信心の二字にをさまれり。以信得入(いしんとくにゅう)とは是なり。」(御書1388ページ)

この「此の御本尊全く余所(よそ)に求むる事なかれ。只我等衆生、法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱ふる胸中の肉団におはしますなり」ということは、要するに御本尊の内容は他にあるのではなく、我々自身の命にあるという御指南ですから、御題目を唱える我々の命が実に尊いということであります。そこに成仏の境界がそのままあるということも、これは信ということからはっきりと判るのであります。

「胸中の肉団」とは心臓のことで、人間は心臓が止まると死んでしまいます。よく脳が大事であるとも言うけれども、命の当体という点からいくと、脳よりも心臓のほうが根本になるのです。一般的には、脳が全身の活動を司るから、脳が生命活動の根本であると思っているかも知れないけれども、命そのものの当体からするならば、心臓が根本になるのです。例えば、脳は死んでも心臓はまだ動いているという脳死の状態はあるけれども、心臓が止まったならば、これは一巻の終わりです。ですから心臓が根本であり、この「胸中の肉団」というところに、非常に深い意味があるのです。

「是を九識心王真如(くしきしんのうしんにょ)の都とは申すなり」。この「九識」という命の当体も、ただ頭の中だけに存在するのではなく、身体全体に存するのです。ですから「九識心王真如の都」という意味は、やはり妙法蓮華経の我々の命の当体であるということであり、そこに十界がことごとく存在しておるのであります。ですから我々がどのような命であっても、妙法蓮華経を真に信じて唱えるところに、必ず大漫荼羅の功徳をもって救われる、成仏することができるのであります。故に「輪円具足(りんねんぐそく)とも功徳聚(くどくじゅ)とも名づくるなり」と仰せであります。

要するに「此の御本尊も只信心の二字をさまれり。以信得入(いしんとくにゅう)とは是なり」とあるように、この御本尊が我々の「信心の二字」に納まっているということですから、信心以外には成仏の道はないのです。信ずるというところに一切の成仏の元が存するのであります。

この御本尊様を疑っていたのでは、絶対に御本尊の功徳を成就できません。その上からも信の一字をもって、しっかり御題目を唱えつつ、自行化他に向かっての修行をすることが肝要であると申し述べまして、これをもって私の今回の話しを終了する次第であります。(題目三唱)




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