大白法

平成17年3月1日号


主な記事

<1〜4面>


<5〜8面>


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総本山ニュース


○宗祖日蓮大聖人御誕生会

宗祖日連大聖人御誕生の日である2月16日、総本山において八木日照御尊能化の御導師のもと、御誕生会と御塔開きの法要が厳粛に奉修された。午前7時、出仕太鼓が打たれるなか、八木御尊能化が御影堂に御出仕され、献膳の儀・読経・引き題目と奉修された。引き続き、五重塔において御塔開きの法要を厳粛に奉修された後、参詣の信徒に対して御宝前に供えられた御造酒・甘露飴・いり豆が配られた。また、全国各寺院でも、この日を中心に御誕生会が奉修された。

末法の御本仏日蓮大聖人の御出現に際して、種々の不思議な瑞相があったことが、御開山日興上人の『産湯相承事』に筆録されている。大聖人の御母君である梅菊女は、懐妊された夜、「叡山の頂に腰をかけて近江の湖水を以て手を洗ひ、富士の山より日輪の出でたまふを懐き奉る」(御書1708ページ)という夢をご覧になったのである。またこの時、御父君である三国大夫重忠も、同じように不思議な夢をご覧になった。さらに、その後の大聖人の御誕生に際しても、同じように不思議な夢をご覧になり、それと同時に、大聖人が御誕生あそばされたことが記されている。

これら数々の瑞相は、御本仏の御誕生を法界全体が祝福したことを表すとともに、日蓮大聖人の真の大法によって、末法濁悪の世が常寂光土と開かれる大功徳を示している。私たちは、末法の御本仏日蓮大聖人の御出現を寿ぎ奉るとともに、その広大な大慈大悲に報恩謝徳申し上げ、「『立正安国論』正義顕揚750年」の御命題達成に向けて、本年「僧俗前進の年」を異体同心の団結で闘ってまいろう。


○法華講連合会2月度登山会

本年最初の月例登山会が、2月19・20日の2日間にわったて行われ、1千余名が参加した。着山の受付を済ませた登山者は、午後1時半から奉安堂での御開扉に臨み、本門戒壇の大御本尊に御内拝させていただいた。その後、午後5時から宿坊で夕の勤行、夕食を済ませ、7時から総二坊2Aで行われた指導会に参加した。

指導会では初めに、東京都江戸川区・白蓮院主管の夏井育道御尊師より「僧俗異体同心で広布目指さん」と題して「『立正安国論』正義顕揚750年」に地涌倍増を成就できる信心について御法話をいただいた。次いで柴山群馬地方部長、大講頭・石毛副委員長の激励があり、最後に総講頭・柳沢委員長の挨拶をもって指導会は終了した。

2日目は、午前2時半から客殿での丑寅勤行に参加した。明けて午前6時半より宿坊で朝の勤行が行われた。その後、総二坊2Aに集合して8時から座談会が開催された。はじめに護国寺支部(神奈川県鎌倉市)の相原和彦さん、大護寺支部(東京都江戸川区)の渡辺欽二さんが体験発表、続いて柳沢委員長の挨拶があり、午前9時に座談会を終了した。



御法主上人猊下御講義 『本門の戒壇(上)』


皆さんおはようございます。台風が海上をずっと西のほうへ行くような感じもありますが、静岡県にかなり近づいてまいりました。皆さん方が客殿へ入場された頃は、まだ雨は降っていませんでしたが、今はぽつぽつ降り出してきたようであります。

さて、いよいよこの講習会も第10期になりまして、本日が本年度の夏期講習会の最後の日になります。本年度の講義におきましては、法義の肝要のところを申し上げたいというような、まことに大それた考えを持ちまして、初めの頃からそれぞれ申し上げさせていただきました。

まず、第1期から第3期までは「三宝」についてのべましたが、特に第1期と第3期は「法宝」を中心とし、第2期は「仏宝・僧宝」について申し上げた次第であります。次の第4期と第5期は「一念三千」という大聖人様のたいへん大事な御法門について粗々申し述べさていただきました。そして第6期と第7期では、大聖人様御一期の御化導の中でも、佐渡に流される以前の鎌倉期の御化導、すなわち三大秘法の御化導の中においては「本門の題目」についての御指南と拝せられますが、その内容について講義をさせていただきました。それから第8期と第9期では、その後の「本門の本尊」を中心としの御化導が、いわゆる佐渡期から身延期にわたっての意義において拝せられるのであり、その内容について申し上げました。

この三大秘法を全体として拝しますと、さらに最も大事な意義、すなわち大聖人様の一切衆生を成仏せしめるという大慈大悲の上からの御化導の本意、これは末法万年の上からの正法広宣流布の内容に具わるわけでありますが、そこにいわゆる「本門の戒壇」という法門が当然存するのであります。そこで本日は、大聖人様御一期の三大秘法の御化導において、一大秘法と三大秘法ということ、それからさらに三大秘法がどのように示されておるのかということ、そして次に戒ということから「本門の戒壇」の意義を少々申し述べたいと思うのであります。


やはり教えというものは正しくなければなりません。間違った教えやいい加減な教え、あるいは部分的な教えでは趣旨が徹底しない意味もあり、いろいろな面からそこに正しい功徳が顕れないのであります。ですから「立正安国」ということは、皆さん方も常に聞かれておることで、この「立正」とは正を立てるということです。ですからやはり本当の正しい教えを示すところに、衆生が正しく導かれる意味があるのであります。

そこで、この正しいということは、どこの教団でも「私のところは正しい」と言っているのです。けれども、どこがどう正しいのかということは、やはり仏法の上の基準がなければならいないのであり、これはやはり道理・文証・現証の三証という意味から、厳格に論ぜられるところであります。その点については、皆さん方も聞かれておると思います。

さらに考えますと、これは全体の上からの化導を拝することが大事であります。お釈迦様の仏法も、一代50年の間には非常に多くの様々な経典が説かれましたが、結局、全体観からみて初めて正しい帰結が出てくるのであります。しかるに、華厳経を中心とする宗旨においては、華厳経が一番尊い経典であると言い、また東南アジアのほうでは、今でも小乗教を中心とした教えが行われておるのであります。しかし、ともかく釈尊一代仏教というものをよく見ると、全体観の上からはっきりしなければならないという意味があります。

そこで、全体の上から釈尊一代仏教を整理され、その帰結をきちっと示されたのが、中国に出現された天台大師という方であります。それまでは南三北七、その他様々な一部分に執われた意見があって、仏教の宗派もたくさん出たわけですが、やはりそこのところをきちんと整理することによって、仏教全体の意味が判ってくるのであります。

「私はこれがいい」「自分はこう思う」と言っても、それは自分が主観的、部分的にそう思い込んでしまっておるということがとても多いのです。ですから、その全部を総合した上から見れば、どれが中心なのかが判り、またその中心から見たときには、あらゆる経典の意味が判るのです。しがって、華厳経だけを見て他の経典を見ない人、また阿含経だけを見ておるような人は、自分勝手にこれがよいと思い込んでいるに過ぎないのです。全体から見た上で初めて、華厳経はどういう意味で説かれておる、阿含経はどういう意味である、方等部の経典はどういう意味であるということが判ってくるのです。そこに方便の教えと真実の正しい教えの違いが明かになるわけであります。要するに、一代仏教の中では、ただ法華経が真実の教えであるとして、釈尊が本懐の意義をもって説かれたのであります。

そこで釈尊の法華経以前の40余年間の教えは結局、そこから見るとすべてが方便になるのです。それは無量義経の中で、「諸の衆生の性欲不同なることを知れり。性欲不同なれば種種に法を説きき。種種に法を説くこと、方便力を以てす。四十余年には未だ真実を顕さず」(法華経23ページ)と、今までの教えは全部方便であったと釈尊自身がはっきりと述べられておるのです。したがって、衆生を導く本当の内容が具わっていなかったわけです。しかるに法華経において初めて、「正直に方便を捨てて 但無上道を説く」(法華経124ページ)と言われ、さらに種々の意味から本当に衆生を救う道は、この法華経であるということが述べられたのであります。

大聖人様の御化導の場合も、やはり全体を拝さなければならないのです。その全体を拝するポイントはどこにあるのかと言えば、これは釈尊が一代仏教をことごとく一丸として法華経の『寿量品』に収められ、その法体をさらに『神力品』において要法として地涌の菩薩に付嘱をされたのであります。この付嘱の法が大聖人様の仏法のすべてなのです。けれども、大聖人様の弟子と称する人たちの中には、その肝要のところを忘れている者が非常に多いのです。他門の日蓮宗や題目を唱える新興宗教は、やはりその本当のところを見失ってしまって、根本から外れた題目になっておるのがその実状であります。

そこに付嘱というものを中心に拝してみると、先ほどは釈尊の場合も法華経中心として一代を見ると全部が判ると申し上げましたが、大聖人様の場合も、南無妙法蓮華経とお唱えになった宗旨建立の時からずっと忍難弘教の御振る舞いがあったわけです。その全体を拝するという意味は、付嘱の法と言うものをはっきりとして、そこから見ると大聖人様の御一期の御化導がすべて明瞭に拝することができるのであります。そのけじめをきちんとつけられておられるのが、大聖人様の唯授一人血脈付法のお弟子であるところの第二祖日興上人であります。したがって、日興上人が真実の僧宝の意義を持たせ給うという所以があります。

三宝の講義のところで、その意義を述べましたけれども、そのようなところから拝すると、大聖人様の御一期は、すべてが三大秘法の御化導なのです。釈尊の化導の場合は、初めの四十余年間は方便であり、最後に真実の教えである法華経が説かれた訳です。けれども大聖人様の場合は、初めから南無妙法蓮華経ですから方便はないのです。ただし、大聖人様は『三沢抄』の中で、「さど(佐渡)の国へながされ候ひし已前の法門は、たゞ仏の爾前の経とをぼしめせ」 (御書1204ページ)とおしゃっている。ここに「爾前の経とをぼしめせ」ということはあるけれども、それは南無妙法蓮華経と唱えよと仰せになった鎌倉期の妙法が、それがそのまま方便であるということでは絶対にないのであります。

これはつまり、お釈迦様の垂迹の化導においては、久遠の昔からずっと来られて最後にインドに出現される。そして華厳・阿含・方等・般若を説かれ、最後に真実の教えである法華経を説かれて釈尊の化導がまとまるわけだけれども、それが一部八巻二十八品として残っておるわけです。その法華経には『妙法蓮華経序品第一』『妙法蓮華経方便品第二』というように、「妙法蓮華経」という題が付いておるわけです。それも一往、題ですから題目と言うけれども、これは垂迹の上からの法華経の題目であります。一往、その法について述べられると共に、さらに付嘱の法体より大聖人様が妙法蓮華経の三大秘法の弘通をあそばされているわけです。ですからその意味においては、やはりお釈迦様の法華経を常に引かれ、またお釈迦様の題目を述べられておる意味があります。そういうところが一往の方便であるとおっしゃっておると拝せられるのであります。

しかしながら、一期御化導の本体から拝するならば、三大秘法の法体は結要付嘱の法にあるわけです。ですから結要付嘱の法から見るならば、要するに大聖人の一期御化導中に「方便」というものはないわけです。宗旨建立の始めから述べられた南無妙法蓮華経が、そのまま三大秘法の上の本門の題目であり、お釈迦様の垂迹の法華経の妙法ではないという、そのけじめがあるのです。そのような意味で拝すべきであります。


そこで問題なのは、付嘱の法が何かということです。天台大師も妙法蓮華経ということをうっすらと述べているけれども、そもそも天台大師が述べたのは迹門中心の法華経ですから、そこに本門の意義もあるけれども、それは裏に回ってしまっておるわけです。つまり迹面本裏の法華経です。したがって天台大師は『方便品』中心の妙法蓮華経を弘通し、それが一念三千の法門や『摩訶止観』として実践方法が示されておるのであります。

しかるに、大聖人様の場合の結要付嘱という意味は、これは大聖人様の御一期の御化導において初めて拝せられのです。これは付嘱を受けた方が初めてその内容を示すわけですから、付嘱を受けていない人が述べられるはずがないのです。ところが大聖人の正しい相伝の法門について、それを「天台が言っていない」「妙楽が言っていない」「竜樹が言っていない」などと莫迦なことを言っているのが、日蓮宗をはじめとする多くの仏教学者共なのです。しかし、天台等は要法の付嘱がないのですから、それを述べるはずがないのです。付嘱あって初めて御自身が受けられた結要付嘱の内容をお示しになれるわけです。これが大聖人様の御一期の御化導であり、御書の本当の精神であります。



第一項 結要付嘱と一大秘法


それではテキストの方に入ってまいりたいと思います。まず、テキストの最初に

◇結要付嘱と一大秘法

とあります。この「結要付嘱」について、これが「一大秘法」であるという意味においてお示しになっておる御文があるのです。

最初に申し上げておきたいことは、この大聖人様の一大秘法は、いったい何であるかということであります。一つは妙法蓮華経を付嘱されておるということです。その妙法蓮華経の法体がどこにあるのかということをお示しになるのも、大聖人様の御化導の上からたいへん大切なことであります。御相伝書の中に、

寿量品の文底の法門 自受用報身如来の真実の法門、久遠一念の南無妙法蓮華経なり。(同1677ページ)

と、『寿量品』の文底においての妙法蓮華経であるということが示されておるのです。つまり文上ではなく文底に沈められておるところの法体がそのまま三大秘法であり、『寿量品』の表面には顕れていない意味での、久遠の根本のところにある妙法蓮華経であるということです。それから、

「文底とは久遠実成の名字の妙法を余行にわたさず、直達正観・事行の一念三千の南無妙法蓮華経是れなり」(同1684ページ)

とあり、この御文「名字の妙法」ということが示されておるのです。この「名字」とは名字即という人格のことで、つまり人と法を表しておるわけです。この名字とは、法を所持し、法を悟るところの人の位が久遠元初のにおいては名字即であるという意味です。そこに大聖人様が日興上人に特別の御相伝の上からお示しになっておる意義が存するのであります。

それから、もう一つ言っておきますと、結要付嘱の法体は本尊なのです。それが、御書の上において特にはっきりと顕れております。このことは第8期・第9期の「本門の本尊」の講義の中で、本尊を述べられた文証を挙げて申し述べましたが、そのところにおいて本尊を付嘱されたということをはっきりと示されおります。


(1)富木入道殿御返事(文永8年11月23日付)

仏滅後二千二百余年に、月氏・漢土・日本・一閻浮提の内に「天親・竜樹、内鑑冷然(ないかんれいねん)たり、外は時の宜(よろ)しきに適(かな)ふ」云云。天台・伝教は粗(ほぼ)釈し給へども、之を弘め残せる一大事の秘法を、此の国に初めて之を弘む。日蓮豈(あに)其の人に非ずや。前相已(すで)に顕はれぬ。去ぬる正嘉の大地震は前代未聞の大瑞なり。

この御書は富木入道殿に与えられたもので、この富木殿という方は、大聖人様が信頼されていた方でもあるし、また大聖人様を種々の面で非常に外護された方でもあります。ですから大聖人様も『観心本尊抄』という有名な御書を富木殿の与えられておるわけです。

○天親・竜樹、内鑑冷然たり。

内鑑冷然とは、心の中では深く判っておるけれども、それを外には表さなかってという意味で、天台大師が述べておるのです。

○外は時の宜しきに適ふ。

仏の化導の内容はその時々のよるわけですから、解脱堅固・禅定堅固・読誦多聞堅固などの時期において竜樹・天親等は方便の教えを一往、述べたのです。

○天台・伝教は粗釈し給へども、之を弘め残せる一大事の秘法を、

法華経について、天台・伝教も弘め残したのは「一大事の秘法」であり、「一大事の秘法」と「一大秘法」とは同じであります。

○此の国に初めて之を弘む。日蓮豈其の人に非ずや。

富木殿は、『観心本尊抄』を与えられるような方であったけれども、『観心本尊抄』の法体の意義が判らなかったのです。ですから「本門の四菩薩をいつ造るのでしょうか」ということを、大聖人様にお聞きしたのです。けれども、大聖人様が地涌上行菩薩として現実に御出現になられているわけで、その像を造って祀ることではないのですが、そこのところが富木殿は判らなかったのです。ですから、ここで「日蓮豈其の人に非ずや」(※訳=日蓮がまさにその人ではないということがあるだろうか)と、こうおっしゃっているわけです。これは非常に大事な御文であります。

ここの「弘む」という語については、二つの考え方があるのです。一つは、お釈迦様からお預かりした法を弘めるという考え方と、そしてもう一つは、お預かりした以上は、その方に法の全体の内容とその資格があるということ、つまり実体実義がそこに存するということですが、特にこれはその後者のほうなのです。その意味において、やはりこの「一大事の秘法」ということが存するのあります。

○前相已に顕はれぬ。去ぬる正嘉の大地震は前代未聞の大瑞なり。

これは、大聖人様の大法である本門の本尊、三大秘法が顕れる時には、必ず前相があるということで、常にあらゆる御書にお示しであります。

前相は確かにあります。最近でもいろいろ不思議な前相がありました。我々が正法広布のため前進する姿の中で、正法が本当に正しく弘まっていくところの前相が、ありとあらゆるかたちで現れておりました。いつも言いますが、あの一昨年の3月28日に総本山の桜が満開になったのです。あれは不思議でした。過去何十年、またその後、去年も今年も本山の桜の満開は4月の6日・7日頃なのです。けれどもあの宗旨建立750年の年だけ3月28日に全くの満開になったのです。あのようなことは他の年にはないのです。その3月28日は、特に宗旨建立建立の御内証の上の開宣大法要を行った日なのです。そこにおいて創価学会は、さんざんな悪口を言ったけれども、宗門が正しいことを諸天善神による天地が現に証明してくださったのです。平成3年以来の瑞相として一々は言いませんけれども、その他にもありとあらゆる前相がありました。

大聖人様の場合は、正嘉元年の大地震がありました。法華経には「此土の六瑞」として大地震が必ず起こるということが述べてあります。その意味で、大法が興る時には大きな地震が起こるのであります。それから文永の大彗星等も述べられております。それを大聖人様は「前代未聞の大瑞」とおっしゃっております。


(1)曽谷入道殿許御書(文永12年3月10日付)

此の四大菩薩は、釈尊成道の始め寂滅(じゃくめつ)道場の砌(みぎり)にも来たらず、如来入滅の終はり抜提河(ばつだいが)の辺(ほとり)にも至らず。加之(しかのみならず)、霊山八年の間に、進んでは迹門の序正の儀式に文殊・弥勒等の発起影向(ほっきようごう)の諸の聖衆にも列(つら)ならず、退いては本門流通の座席に観音・妙音等の発誓弘経(ほっせいぐきょう)の大士にも交はらず。但此の一大秘法を持して本処(ほんじょ)に隠居するの後、仏の滅後、正像二千年の間に於て未だ一度も出現せず。所詮仏専ら末世の時に限って此等の大士に付嘱せし故なり。

○此の四大菩薩は、

法華経の『涌出品』において六万恒河沙の地涌の菩薩が出現をされまして、その上首唱導の師が、上行・無辺行・浄行・安立行の四大菩薩であります。この四大菩薩が釈尊在世に出現されました。ただし末法出現の上行菩薩と、御本尊の中にお示しの一往、在世本門の相より久遠元初の一念中の菩薩界を表す上行・無辺行・浄行・安立行とは、自ずから総別の違いがあるのです。

御本尊の中央首題の「南無妙法蓮華経」の真下に「日蓮」お示しになっておるのが、末法出現の上行菩薩であり、それはそのまま久遠元初の妙法所持の人即法・法即人の仏様を顕されておるのであります。いわゆる本尊総体の日蓮大聖人であります。けれどもこの御文では、まず在世の法華経の付嘱のことをおっしゃっておるわけです。

○寂滅道場の砌にも来たらず、如来入滅の終はり抜提河の辺にも至らず。

この四大菩薩は、お釈迦様がインドに出現し、19歳で出家され、30歳で成道された「寂滅道場」にも現れず、また入滅された際も「抜提河の辺」にも姿を現すことがなかったと仰せであります。この抜提河は、東天竺の拘尸那城(くしなじょう)の最北を流れておる河と言われており、この河の側に沙羅林という林があって、そこでお釈迦様が涅槃経をお説になり、そしてお亡くなりになったが、その時にも姿を現すことがなかったということです。

○加之、霊山八年の間に、進んでは迹門の序正の儀式に文殊・弥勒等の発起影向の諸の聖衆にも列ならず。

これは霊山8年間の間において、法華経迹門の序・正の儀式の時にもおられなかったということです。

この「発起影向」の「発起」とは、要するに仏様の化導を助けるために、あるいは仏様の質問をしたり、あるいは仏様に特別に説法をお願いするのです。つまり仏様が『寿量品』を説かれる時には、その前に『涌出品』の不思議な驚天動地の相を見て不審に思った一会の大衆を代表して、弥勒菩薩がお釈迦様に説法を希(こいねが)うのであります。その結果が『寿量品』の御説法になるのです。そして文殊菩薩は、迹門『方便品』の前の『序品』の時に釈尊の説法を発起する役割があるわけです。

それから「影向」とは、影を映すということで、天月がその影を映すということで、天月の仏菩薩は高いところおられるけれども、衆生に仏法を判りやすいように垂迹してきて、その影を映し表すという意味であります。そういう仏法化導の衆が、文殊・弥勒等の大菩薩であったということです。

○退いては本門流通の座席に観音・妙音等の発誓弘経の大士にも交はらず。

この「観音・妙音」とは、法華経の本門に『観世音菩薩普門品』と『妙音菩薩品』というのがあるのです。それから「発誓弘教」とありますが、これはすなわちこの菩薩たちが滅後の法華経の弘教を誓っておるわけです。ところが、上行等の四大菩薩は、これらの菩薩方にも交わっておらないのです。ただ『涌出品』『寿量品』『分別功徳品』『随喜功徳品』『法師功徳品』『常不軽菩薩品』『神力品』『嘱累品』の8品の間だけに出られたと仰せです。

○但此の一大秘法を持して本処に隠居するの後、仏の滅後、正像二千年の間に於て未だ一度も出現せず。

つまり全く出現されていないと言われるのです。

○所詮仏専ら末世の時に限って此等の大士に付嘱せし故なり。

したがって、釈尊は、専ら末法の時に、その衆生を導くためにこの菩薩を召し出して一大秘法を付嘱したのであると仰せられるのです。そこで、この場合の「一大秘法」という意味は、この御文からも判るように、仏様が上行等の菩薩を召して『神力品』において「四句の要法」をもって付嘱されたわけであります。その「四句の要法」の内容は妙法蓮華経であります。すなわち「如来の一切の所有の法」「如来の一切の自在の神力」「如来の一切の秘要の蔵」「如来の一切の甚深の事」等の内容のことごとくが妙法に篭もっておるわけです。

したがって、これは本門の釈尊が本門の久遠の妙法蓮華経の法体を上行菩薩に付嘱されたということです。しかるにこのことを客観的に述べられておるが故に、妙法蓮華経が主体になっておるわけです。つまり人即法・法即人という意味が本来あるのだけれども、そのうちの妙法蓮華経という「法」を付嘱されたということから「一大事の秘法」と言われず、ここに「一大秘法」と言われておるのです。


(3)南条時光殿御返事(弘安4年9月11日付)

教主釈尊の一大事の秘法を霊鷲山にして相伝し、日蓮が肉団の胸中に秘して隠し持てり。されば日蓮が胸の間(あいだ)は諸仏入定(にゅうじょう)の処(ところ)なり、舌の上は転法輪の所、喉(のんど)は誕生の処、口中(こうちゅう)は正覚(しょうがく)の砌(みぎり)なるべし。かゝる不思議なる法華経の行者の住処なれば、いかでか霊山浄土に劣るべき。法妙なるが故に人貴し、人貴きが故に所尊しと申すは是なり。

○教主釈尊の一大事の秘法を霊鷲山にして相伝し、日蓮が肉団の胸中に秘して隠し持てり。

また「一大事の秘法」とおっしゃっています。一番最初の『富木入道殿御返事』と、この『南条殿御返事』には「一大事の秘法」とあって、二番目の『曽谷入道殿許御書』のところでは「一大秘法」とおっしゃっておるわけです。そこで、この「一大事の秘法」も「一大秘法」も、事実、法体は同じなのです。違ったことをおっしゃているのではないけれども、ただこの御文の上から拝するときには、それぞれの意義が存するのであります。

それは何かと言いますと、「日蓮が肉団の胸中」と言われている、これが一番大事なのです。非常に大事なる故に、御自分の身体の中に秘し隠し持っておると仰せです。つまり大聖人様の身体に、そのまま「一大事の秘法」が具わっておる意義を仰せられるのです。

○されば日蓮が胸の間は諸仏入定の処なり、舌の上は転法輪の所、喉は誕生の処、口中は正覚の砌なるべし。

これは、仏の出現が4つのところに集約される意味があるのです。すなわち、「法身の四処」と言いまして、一には「生処」で、仏様が法の身として現れる時には、まず生まれる処に意義があるので、そこに塔を建てるということです。二には、「得道処」で、これは仏が成道した処です。つまり釈尊は19歳で出家し、それから30歳で成道しました。『寿量品』に「去伽耶城不遠。坐於道場。得、阿耨多羅三藐三菩提。」(法華経429ページ)とあるのが得道処であります。それから、三には、「転法輪処」で、仏様は衆生を導くために必ず法を説かれる、それが転法輪の処です。そして最後が、「入涅槃処」で、仏様の入滅の処を尊ぶ意義で、以上の法の功徳としてのその4カ所があるのです。

それが末法の大聖人様の妙法の境界において存することを、自らここに仰せになっておるのであります。「入定」は定に入るということで涅槃に入るところですから、これは入滅の意義です。それから「転法輪」とは、法輪を転ずる、すなわち衆生化導の意義です。「誕生」とは、つまり仏が出世する意味を表す文です。それから「正覚の砌」とは、「正覚」正しく覚るということですから、成道のことを示されるのであります。このように、仏の法身の4つの意義がことごとく大聖人様御自身の身中に具わっておるとの宣言です。これは妙法蓮華経の法が、そのまま日蓮の当体で人法一体であるということを仰せになっておるのです。

○かゝる不思議なる法華経の行者の住処なれば、いかでか霊山浄土に劣るべき。

この「霊山浄土」とは、釈尊が法華経を説かれた最も優れた尊い場所(※霊鷲山)でありますが、下種仏法の大聖人様の住処は、それよりもなお尊いことをここに仰せであります。これは当時の身延のお住まいのことであります。

○法妙なるが故に人貴し、人貴きが故に所尊しと申すは是なり。

これは要するに、法が貴いが故にこれを行ずる人が貴く、人が貴いが故にその住む所が貴いといことです。そこで、人と法とが一つになった意義と、人法において人の証得した法が表に示される意義があります。

一番目の『富木入道殿御返事』には「一大事の秘法」と仰せであり、それから今の『南条殿御返事』にも「一大事の秘法」とあります。このところは前後の文をよく拝してみると、『富木入道殿御返事』には「此の国に初めて之れを弘む。日蓮豈其の人に非ずや」と、「一大事の秘法」を弘めるのは大聖人自身であることをおっしゃっております。

それから、『南条殿御返事』にも「日蓮が肉団の胸中に秘して隠し持てり」とあります。ですから要するに「一大事」の「事」という意味は、これは法に即する人が必ず存しており、法に人が具わっておるわけですから、これは人法一の内証を「事」と言われるわけです。

この「事」に対する「理」とは理法とも言い、真理という意味で、妙法蓮華経の法格であります。けれども、この法にそのまま人格が具わって実際に法が活用される、法自体が人においてはっきり顕れるというところに「事」があるわけです。

この「一大事」という言葉は、皆さん方が毎日読んでいる『方便品』は、「〜如是本末究竟等」(同90ページ)までですが、その後の文に、「諸仏世尊は唯一大事の因縁を以ての故に、世に出現したもう」(同102ページ)と説かれております。この「一大事因縁」は何かと言えば、それは、「衆生をして、仏知見を開かしめる」(同ページ)ということであります。このところは一切衆生の中に仏性が具わっておるという妙法の意義において、衆生の中に具わるところの仏性を顕すことを述べられるのであります。ですから、ここに妙法が法界の一々に具わるという上から、法と個性の合致する意義において「一大事」という言葉を釈尊が使われております。

これが本門のほうでは、ただちに仏様の上に妙法蓮華経がそのまま具わっておるところが、本門の上の一大事になる意味があります。迹門のほうは、衆生中心の仏性開顕ですから、その上からの衆生に即する一大因縁でありますが、本門の仏そのものに具わるところの妙法蓮華経であります。そこでその文は何かと言えば、寿量品の「如来秘密。神通之力」(同429ページ)の文であります。すなわち、一身にそのまま三身が具わり、三身にそのまま一身が具わるということを天台大師が述べております。ただし、その仏身に種脱の違いがあるのです。

お釈迦様は脱益を施す仏で、その上から御自身が久遠以来垂迹してきた仏であるけれども、その本地は三十二相八十種好の仏のかたちにおいて久遠の昔に成仏しておるということを、インドの在世脱益の衆生を化導する上において述べられたのであります。要するに、お釈迦様が三十二相八十種好の紫磨金色(しまこんじき)の装いをもって出現され、そのところより久遠の成仏を説かれたということは、脱益の衆生を導くためであり、したがって法身・報身・応身が三身相即で具わるけれども、他を導くための他受用身であります。つまり自受用身は仏の自行の報身であり、その悟りの智慧身でありますが、色相荘厳の仏は、他を導くための他受用の仏様なのです。

しかし、日寛上人が『六巻抄』等の中で釈尊の本門の仏身について、「応仏昇進の自受用身」(六巻抄60ページ)と言われておる、この「応仏」というのは、先ほど述べたように三十二相等の応身の仏の装いの上から法華経本門に至って自受用を顕したと言われるのです。これは、他受用報身の上からの方便の説法を聞いた衆生が、見思惑・塵沙惑・無明惑の煩悩を少しずつ断尽して、そして十信・十住・十行・十回向・十地・等覚という菩薩の位までに至って分々の悟りを開いたことが『寿量品』の得益として、その次ぎの『分別功徳品』に説かれています。

しかるに大聖人様は『法華取要抄』やその他の御書の中で、在世の衆生がさらに妙覚の位を得たということを言われておるのです。この妙覚の位、つまり仏に成ったということは経文にはありません。『分別功徳品』で一会の大衆が妙覚という仏に成ったということは、どこにも説かれていないのです。しかるに大聖人様だけが、一会の大衆が仏に成った、つまり妙覚の位を得たと言われたのです。これは、大聖人様の弘通される下種の本門の上から照らして初めて、在世の衆生がその身そのまま仏に成った事実が顕れるのであります。いわゆる久遠元初の自受用報身即妙法蓮華経の意義であります。これが、『本因妙抄』に相伝された、

文底とは久遠実成の名字の妙法を余行にわたさず、直達正観・事行の一念三千の南無妙法蓮華経是(これ)なり。(御書1684ページ)

ということであります。

そしてまた、それが同じ意義より『総勘文抄』では、

釈迦如来五百塵点劫(じんでんごう)の当初(そのかみ)、凡夫にて御坐(おわ)せし時、我が身は地水火風空なりと知(しろ)しめして即座に悟(さと)りを開きたまひき。(同1419ページ)

として、凡夫即極の成道が言われておるわけで、これが下種の本仏、久遠元初の自受用身なのです。

在世の衆生は『寿量品』で釈尊の三十二相の上からの久遠常住の法門を聞いて、そこをさらに徹見し久遠元初の仏様を拝し、凡夫即極の妙法蓮華経の当体である成仏の根本の種を悟ったのであります。そこに在世の衆生が、釈尊の表面の他受用身から、さらにその悟りの境界において自受用身を拝したのです。その意義から日寛上人が「応仏昇進の自受用身」と仰せなっておるのであります。要は、種脱の仏身が共に「如来秘密。神通之力」の正在報身のところに事の法体(※本尊)が存するわけで、「一大事」と仰せの意味がそこに示されてあります。

そこに末法の衆生のためには、久遠元初の仏様がそのまま末法に出現されるというのが大聖人様の御指南でありますが、特に「一大事の秘法」ということは、久遠元初の妙法蓮華経のところにそのまま凡夫即極の仏様が具わるということです。それが誰であるかと言えば、日蓮が初めて弘めるということを仰っておるのが、その文であります。特に『南条殿御返事』に「日蓮が肉団の胸中に秘して隠し持てり。されば日蓮が胸の間は云々」と仰せになっておりますが、このところにいわゆる「一大事の秘法」たる妙法蓮華経の当体が日蓮であるということを仰せになっております。

所詮、人法の一体を示されたのが「一大事の秘法」であり、それをまた妙法蓮華経としての法を表として述べられたのが『曽谷抄』の「一大秘法」と拝せられます。要するに、日蓮のところに一切の教法を総する妙法の当体が存するということを仰せになっておるのであります。



第二項 三大秘法名目の御顕示


前のところでは『富木入道殿御返事』『曽谷入道殿許御書』『南条殿御返事』の三文を挙げましたが、大聖人様の御書の中で「一大事の秘法」という語を示されているいるのが2カ所、「一大秘法」という語が1カ所、これ以外に「一大事の秘法」乃至「一大秘法」ということをおっしゃっている部分はどこのにもないのです。ですから、ここに簡単に挙げられているように思われるかもしれませんが、これは大聖人様が非常に大事な弘通の根本の意をもってここに挙げ給うのです。そしてさらには、この一大秘法を三大秘法として示されております。

◇三大秘法名目の御顕示
 1、三大秘法総在の妙法蓮華経
 2、一期御化導中三大秘法顕示の段階

○1、三大秘法総在の妙法蓮華経

これは三大秘法が大聖人一期の御化導でありますが、その一番の元のところに妙法蓮華経がおわしますわけです。そしてその妙法蓮華経は人に即する法であり、法に即する人であるということを先ほどから言いましたが、その人法体一のところに「三大秘法総在の妙法蓮華経」が存するのであります。妙法蓮華経がそのまま人法体一であるというわけです。

○2、一期御化導中三大秘法顕示の段階

この後ずっと御書を挙げておりますが、これらの文はそれぞれ表現が違っていても、すべて三大秘法を述べられてあるわけです。

そこで問題なのは、三大秘法のうち一大秘法の法体は、一体何であるかということです。つまり三大秘法を一大秘法とした場合には、その一大秘法は「本門の本尊」なのか「本門の戒壇」なのか、それとも「本門の題目」なのかということになりますが、これは「本門の本尊」であります。

ところが他の日蓮門下の人たちは、これを誤って「本門の題目」であるとしているのです。つまり「本門の題目」から三大秘法が開かれたと言うのであります。その言い分は、お釈迦様の法華経二十八品の題目の上から、結局、中心は本門の『寿量品』の題目になるのだけれども、お釈迦様のところに一切があるから、その釈迦様の説かれた法華経の題目から開いたものが「本門の本尊」と「本門の戒壇」と「本門の題目」であると言います。しかし、これは付嘱の本義からの種脱の相異弁えてない謬見(びゅうけん)です。

先ほども述べたとおり、付嘱の法は、そのまま本門の本尊の法体であります。本門の付嘱を受けたということは、受けられた方ががそのまま本門の本尊の当体なのです。このところは、大聖人様が常に肝要な御書においてお示しになっておるとことにも関わらず、それが判らないのが他門の相伝のない人たちであります。天台の法門に執われるから、お釈迦様を中心にして法華経の付嘱の法体を見てしまうというとこらが大きな誤りなのです。

そこで、これからその意義が述べられておる大事な御文を遂次に拝読してまいりたいと思います。非常に大事な御文ではありますが、一文一文について詳しくいくとたいへんな時間がかかりますので、ごく簡略に拝読いたしていきます。


(4)四条金御殿御返事(文永9年5月2日付)

ここで初めて「三大事」という三大秘法の語が示されてまいります。

◇ 今日蓮が弘通する法門はせば(狭)きやう(様)なれどもはなはだふか(深)し。其の故は彼の天台伝教等の所弘(しょぐ)の法よりは一重立ち入りたる故なり。本門寿量品の三大事とは是なり。南無妙法蓮華経の七字ばかりを修行すればせばきが如し。されども三世の諸仏の師範、十方薩ュ(さった)の導師、一切衆生皆成仏道の指南にてましますなればふかきなり。

○本門寿量品の三大事とは是なり。

前にも述べたとおり、大聖人様の御書の中では「三大秘法」と仰せのところと「三大事」と示されるところとがありますが、ここでは「本門寿量品の三大事」とおっしゃっております。三大秘法は一大秘法に具わるところであり、一大秘法を開けば三大秘法となり、合すれば一大秘法となるのです。したがって「一大事の秘法」について前に述べましたが、一大事の人法体一の意義がそのまま三大事となるのであります。『御義口伝』に、

無作の三身とは末法の法華経の行者なり。無作三身の宝号を南無妙法蓮華経と云ふなり。寿量品の事の三大事とは是れなり。(御書 1765ページ)

との仰せも、人法体一のところが「事」であり、それがまた三大秘法と開かれる法体がそのまま「事」の体として三世常住、法界無辺の御利益がましますことを拝すべきであります。

○南無妙法蓮華経の七字ばかりを修行すればせばきが如し。

根本の下種の仏法は広説する必要がないのです。そして大聖人様がまず御自身で御修行あそばす意味が当然存するわけで、それで「今日蓮が弘通する法門は」とはじめに仰せになっております。

○されども三世の諸仏の師範、

つまりこの南無妙法蓮華経は、釈尊を含めあらゆる仏様の師匠なのです。ですから、仏法全体の筋道から言えば、仏様の師匠たる南無妙法蓮華経がすべての法理と修行の根本であります。そこに下種の妙法と諸仏との法勝人劣が示されていることを知るべきであります。


(5)義浄房御返事(文永10年5月28日付)

寿量品の自我偈に云はく「一心に仏を見たてまつらんと欲して自ら身命を惜しまず」云云。日蓮が己心の仏果を此の文に依って顕はすなり。其の故は寿量品の事の一念三千の三大秘法を成就せる事此の経文なり。

ここでは大聖人様が「一心欲見仏 不自惜身命」を実際に身に読まれたことを仰せになっておるわけです。私たちも何か気持ちの上で苦しいとき、辛いときなどは「一心欲見仏 不自惜身命」という気持ちを持って真剣に御題目を唱えると、いつの間にかその辛い気持ちも妙法に浄化されてなくなってしまうのです。

これはずいぶん前の話しですが、ある人から「信心して御題目を唱えていても、少しも喜びが湧かず、つまらない」という内容の手紙をもらったことがありました。そこで私は、その人に「経文や御書に示されるように『一心欲見仏 不自惜身命』という気持ちで御題目を唱えてみなさい」ということを書いて返事を出したことがありました。皆さん方も、何か辛いときがあったら「一心欲見仏 不自惜身命」という気持ちを持って御題目を唱えてみなさい。どんなことでも乗り越えられないものはないと、私は確信しております。

しかし、その根本のお立場より大聖人様は、この経文を実修実証あそばされ、末法の一切衆生を導く仏果、すなわち久遠元初の本仏の境地を顕されたということをお示しになっておるのであります。ですから、これは非常に大事な御文であります。これがやはり竜の口の発迹顕本の後、文永9年、文永10年において「三大事」あるいは「三大秘法」ということを仰せ遊ばされておるわけです。その前の鎌倉期においては、三大秘法に関する御文は全く示されていません。

ただ問題なのは、ここのところ、すなわち佐渡期では「三大事」とか「三大秘法」と仰せだけれども「本門の本尊」「本門の戒壇」「本門の題目」という3つの具体的な名目は仰っていないのです。ですから大聖人様の御化導は、その時期と段階において厳然たる照鑑があり、仏法の法体を弘められる上においても、実に薄氷を踏む思いで、真実の意義を顕すために終始、重大なお心配りをあそばさえておることが拝せられるのです。

文永9年の『四条金御殿御返事』、文永10年の『義浄房御返事』は、どちらも佐渡の国における御配流中の御文であります。故に、大聖人様は法華経の『観持品』に「数々見擯出」(法華経378ページ)とあるように、「観持品二十行の偈」の文々をことごとく身に当ててお読みになるところ、この時期は身業読誦がまだ終わっていないのです。すなわち一度目は、弘長元(1261)年に伊豆の伊東に流されておるわけで、あれも国主の難であります。そして、二度目が文永8(1271)年の佐渡の配流であり、文永10年はまだ佐渡の国においでになり、赦免以前であるということは、数々見擯出の2番目のところをまだ完全に読み切られていないわけです。

したがって、その意味においてこの時期の御書で「三大秘法」「三大事」と仰せられいるけれども、まだ「本門の本尊」「本門の戒壇」「本門の題目」の名目をはっきりお挙げになっていないのです。このへんのところにも、非常に大事なお心配りをあそばされていることが拝せられるのであります。


(6)法華行者値難事(文永11年1月14日付)

追って申す。竜樹・天親は共に千部の論師なり。但権大乗を申(の)べて法華経をば心に存して口に吐きたまはず此に口伝有り。天台・伝教は之を宣(の)べて本門の本尊と四菩薩・戒壇・南無妙法蓮華経の五字と、之を残したまふ。所詮、一には仏授与したまはざるが故に、二には時機未熟の故なり。今既に時来たれり、四菩薩出現したまはんか。日蓮此の事先(ま)づ之を知りぬ。

これは文永11年1月の御書ですが、大聖人様はこの年の3月に赦免になって佐渡からお帰りになるわけです。『光日房御書』に、「而(しか)れどもいまだゆ(許)りざりしかば、いよいよ強盛に天に申せしかば、頭の白き烏(からす)とび来たりぬ」(御書960ページ)とあるように、赦免になる前において頭の白い鳥が飛び来たったのです。故事に準ずるに、まさに我が帰るべき時が来たるという意味を仰せになっております。これがまた不思議な仏様の御妙判であります。

○追って申す、

「追伸」ということであります。この御文は『法華行者値難事』の本文がずっとありまして、その最後の追伸のところです。この当時、佐渡の国に流されて、そこから生きて還った人はいないのでありです。それが大聖人様の場合は、あの佐渡における4年間の中で、頭の白い鳥が飛び来たったのをご覧になり、まさしく帰る時が来たというお心から、初めて三大秘法の名目を「追伸」でおっしゃっているのです。「追伸」というのは、本文ではありません。本文からさらに「追って」という付けたりの文です。しかるに、ここで初めて「本門の本尊と四菩薩・戒壇・南無妙法蓮華経の五字」の大法を弘め残されておると仰せられました。

○竜樹・天親は共に千部の論師なり。

「竜樹」という方は、仏滅後の正法時代にインドに出た大乗論師で、権大乗教である般若経を中心として仏法を説いたのです。この般若経は非常に大事な経典で、かなり深い内容を説いてあります。特に、大乗・小乗等の区別の法を開会して大乗の真義顕すという意味においての教法の意義ありますけれども、やはり法華経から見れば、まだ方便の教えなのです。しかし竜樹菩薩は、法華経の教えをその根底の置きつつも、般若経の解釈として『大智度論』を説き、その他『十王毘沙論』『中観論』『十二門論』等、たくさんの論を述べておるのであります。

それから「天親」という方は、正法時代のインドの大学僧です。天親菩薩は初めに小乗教を学んで、小乗の仏法を徹底して弘めました。それから後に兄である無著菩薩が、小乗仏教を弘めて大乗の教えを誹謗しておる天親菩薩に対して、このままでは必ず地獄に堕ちると思い、自分が病気だと嘘を言って、天親菩薩を呼び寄せたのです。そこで、天親菩薩に向かい「お前が小乗を弘めて大乗を誹っておることは、これは地獄に堕ちるたいへんな業因である。心を入れ替えてお前の智慧をもって大乗をしっかり勉強しなさい」と言うのが、無著菩薩の諫暁(かんぎょう)であります。それを受けて天親菩薩は改心して、大乗の教えをしっかり勉強し、華厳経から方等部の経典、さらに般若経・法華経・涅槃経など多くの経典の解釈論を作りました。その他にも唯識論等についても述べており、「千部の論師」と言われる所以がそこにあるわけです。すなわち『阿毘達倶舎論』を述べたり、それから『唯識論』『摂大乗論』『十地経論』等のたくさんの論を説かれております。

○但権大乗を申べて法華経をば心に存して口に吐きたまはず此に口伝有り。

この方たちは口には権大乗を述べたけれども、本心においては法華経が優れておるということを知っておったということが、この「口伝有り」といことなのです。特に竜樹菩薩においては『大智度論』で般若経の解釈をずっと説いてきたけれども、その100巻目のところで、この経は本当の秘密の法でなく、法華経こそが本当の秘密の教えであるということを、最後に述べておるのであります。

○今既に時来たれり、四菩薩出現したまはんか。日蓮此の事先(ま)づ之を知りぬ。

そして、竜樹・天親・天台・伝教等の仏法弘通の方々は、仏の授与がない故、また時機未熟の故にこれを弘められなかったけれども、今まさに四菩薩が出現する時が到来したと仰せられ、この大法を弘める者は日蓮であるということを述べられております。


(7)法華取要抄(文永11年5月24日付)

問うて云はく、如来滅後二千余年に竜樹・天親・天台・伝教の残したまへる所の秘法何物ぞや。答へて曰く、本門の本尊と戒壇と題目の五字となり。

この『法華取要抄』は、文永11年5月24日の御書です。大聖人様が佐渡より赦免になって3月に鎌倉にお帰りになり、そして4月8日に「殿中問答」がありました。その後、大聖人様がすばらしい高僧であるということが漸(ようや)く判ったものだから、いろいろな寄進をして鎌倉幕府の御用僧にしようとというようなこともあったようです。

けれども、「三度国をいさ(諫)むるに 用ゐずれば山林にまじわれということは定まれるれい(例)なり」(同1030ページ)と仰せられたとおり、結局、日興上人のご縁を辿って鎌倉から富士山の麓の愛鷹(あしたか)山の周辺を通られ、富士には強信の檀徒・高橋入道殿がお住まいであったけれども、そこにはお寄りにならないで身延までお出になりました。そして文永11年の5月17日に身延の波木井郷にお着きになったのです。この『法華取要抄』は、身延に入られてから8日目の御著述ですから、とにかく身延にお出でになってそこへ落ち着かれ、その次の日から見ればちょうど一週間目になります。そこで法華経の大難の身読を終了された意義において、ただちに『法華取要抄』を述べられ、弘通の法体である三大秘法の名目を「本門の本尊と戒壇と題目の五字となり」と、初めてお示しになったのであります。

そこで建治2(1276)年の『報恩抄』では三大秘法を挙げられその本尊と題目の内容まで示されております。


(8)報恩抄(健治2年7月21日付)

求めて云はく、其の形貌如何。答えて云はく、一つには日本乃至一閻浮題一同に本門の教主釈尊を本尊とすべし。所謂宝塔の内の釈迦・多宝・外(そのほか)の諸仏並びに上行等の四菩薩脇士となるべし。二つには本門の戒壇。三つには日本乃至漢土月氏一閻浮提に人ごとに有智無知をきらはず一同に他事をすてヽ南無妙法蓮華経と唱ふべし。此の事いまだひろまらず。一閻浮提の内に仏滅後二千二百二十五年が間一人も唱えず。日蓮一人南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経等と声もを(惜)しまず唱ふるなり。

前の『法華取要抄』では「本門の本尊と戒壇と題目の五字」と、ただ三大秘法の名目として述べられておりましたが、この『報恩抄』では、まず本尊の内容を述べられておるわけです。ところが2つ目の「本門の戒壇」については、やはり名目だけで、他には御教示がないのです。これがまた御弘通の上からの非常に大事なお心構えがおありあそばすのです。

○一つには日本乃至一閻浮題一同に本門の教主釈尊を本尊とすべし。

先般第8期・第9期で、本尊の内容を拝しました時にこの御文も挙げまして、簡略ではあるけれども説明をしてきましたので、今回はこれを省略いたします。

○二つには本門の戒壇。

前の『法華取要抄』では「本門の本尊と戒壇と題目の五字」と、ただ三大秘法の名目として述べられておりましたが、この『報恩抄』では、まず本尊の内容を述べられておるわけです。ところが2つ目の「本門の戒壇」については、やはり名目だけで、他には御教示がないのです。これがまた御弘通の上からの非常に大事なお心構えがおありあそばすのです。

○三つには日本乃至漢土月氏一閻浮提に人ごとに有智無知をきらはず一同に他事をすてヽ南無妙法蓮華経と唱ふべし。

この題目については、鎌倉期から常に折りに触れてお示しになっており、ここでもやはり三大秘法としてまとまった上から「本門の題目」をお示しになっておるのが、この次の御文であります。

○一閻浮提の内に仏滅後二千二百二十五年が間一人も唱えず。日蓮一人南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経等と声もを(惜)しまず唱ふるなり。

まず「日蓮一人南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経等と声もを(惜)しまず唱ふるなり」というのは「本門の題目」であります。しかし、大聖人様が題目を唱えよおっしゃているのは宗旨建立以来のことなのです。しがって、始めはやがて顕れるべき「本門の本尊」を裏付けとして示され、佐渡以降において初めて「本門の本尊」にただちに具わる題目という化導の上においてお示しになっておるのであります。けれども、内証においては宗旨建立以来、終始一貫の「本門の題目」であります。

それから、この「二千二百二十五年」ということは、建治2年が仏滅後2225年に当たるということで、これは大聖人様の当時の『周書異期』の説によるところの御算出の上からのはっきりとした御確定であるのです。さらに、本門戒壇の本尊をお示しになる上において、弘安における本懐究竟の上からの仏滅讃文の問題がありますが、これは御信徒に簡単にお話しすべきではないと思いますので、ここでは省略いたします。けれども、やはり「二千二百二十五年」が建治2年であるということをきちんと示されておる例証的意義があるのであります。

さて、この『報恩抄』の後においては、三大秘法をお示しになっておる御書は少ないのです。それは省略し、最後の究竟の御指南とも言うべき、弘安5(1282)年の『三大秘法抄』を拝します。


(9−1)三大秘法抄(弘安5年4月8日付)

問ふ、所説の要言の法とは何物ぞや。答ふ、夫(それ)釈尊初成道より、四味三教乃至法華経の広開三顕一の席を立ちて、略開近顕遠(りゃっかいごんけんのん)を説かせ給ひし涌出品まで秘せさせ給ひし処の、実相証得の当初(そのかみ)修行し給ふ処の寿量品の本尊と戒壇と題目の五字なり。

この文は本門の久遠において、そのどこに根本の三大秘法がおわすかということを、はっきりとお示しなのです。

○四味三昧

いわゆる華厳経に当たる乳味、阿含経に当たる酪味、そして方等部に当たる生蘇味、般若経の熟蘇味の「四味」と、それから蔵教・通教・別教の「三教」です。

○乃至法華経の広開三顕の席を立ちて、

純円の法華経であり、そしてこの「広開三顕一の席」とある「広開三顕一」とは要するに法華経の『方便品第二』から『授学無学人記品第九』までの八品を言い、ここに広く三乗の法を開いて一仏乗の意義を顕されているのです。その「広開三顕一の席を立ちて」ということは、その正宗分の広開三顕一が終わって流通分に入り、まず『法師品第十』『見宝塔品第十一』と続きますが、その『見宝塔本品』においてお釈迦様は、その霊山の席を立って多宝如来の現れた虚空の宝塔の中へお入りになるから、そのことをここに「席を立ちて」と示されておるのです。

○略開近顕遠(りゃっかいごんけんのん)を説かせ給ひし涌出品まで

それからさらに法華経の説法が進むと『提婆達多品第十二』『観持品第十三』『安楽行品第十四』、そして本門に入り『従地涌出品第十五』となります。その『涌出品』に入ると、その内容において略開近顕遠と動執生疑がある中の、前の略開近顕遠までを言われるのです。これを詳しく説明すると時間がかかりますので省略いたしますが、ごく簡単に述べれば「この地涌の菩薩は、私が30で成道してから教化開導したのである」とまずおっしゃて、そして後のところで、「我久遠より来(このかた)、是等の衆を教化せり」(法華経422ページ)と二重に言われるのです。そこでこれを聞いた衆生は、全くその意味が判らなくなるわけです。

すなわち成道以来と言うと、仏の化導は40余年間ですから、その40余年の間にこのような六万恒河沙にわたる大菩薩方を教化したなどということは、未だかつて見たことも聞いたこともない。さらに久遠と言われても、それはいったいいつのことなのだろうかという疑問を抱き、途方に暮れるわけです。その文のところにおいて、特に「我久遠より来(このかた)、是等の衆を教化せり」ということをおっしゃてるのが、この「略開近顕遠」です。

○秘せさせ給ひし処の、実相証得の当初(そのかみ)修行し給ふ処の

つまり、略開近顕遠までは秘して説かなかった久遠成道の当初の仏法の体相を示されるのです。この「当初」とは、釈尊が久遠の本果の仏と成ったということを言われる文上の『寿量品』のさらにもう一つ奧にある仏法の本地の体が、この「当初」という意味であります。つまり『総勘文抄』や『当体義抄』等の中でも仰せの久遠元初の仏法なのです。ですから、その「実相証得の当初修行し給ふ処のし給ふ処の」と言われるのであります。

○寿量品の本尊と戒壇と題目の五字なり。

そして、この実相証得の当初修行されたのが、実に「寿量品の本尊と戒壇と題目の五字」であると仰せられております。仏法の根本が三大秘法であるということを、ここではっきり仰せになっているわけです。この御文は『三大秘法抄』の最初のところですが、後の結論のところでは、久遠元初の仏法、三大秘法が末法出現の日蓮御自身のところに存する、いわゆる久遠即末法の深意をお示しであります。それが次の御文です。


(9−2)三大秘法抄(弘安5年4月8日付)

此の三大秘法は二千余年の当初(そのかみ)、地涌千界の上首として、日蓮慥かに教主大覚世尊より口決(くけつ)せし相承(そうじょう)なり。今日蓮が所行は霊鷲山(りょうじゅせん)の稟承に介爾(けに)計りの相違なき、色も替はらぬ寿量品の事の三大事なり。(乃至)口外も詮無し。法華経を諸仏出世の一大事と説かせ給ひて候は、此の三大秘法を含めたる経にて渡らせ給へばなり。

これは実にたいへんな御文であります。皆さん方もこの御文を拝してみて、判らなくても何となく有り難いでしょう。すなわち結要付嘱の大法の具体的なかたちがここに顕されておるのです。

しかも、その中で、「日蓮が所行」ということをおっしゃていおります。この所行とは「行ずるところ」ということで、これは本因妙の「境・智・行・位」ということなのです。それで「境」は「本尊」、「智」と「行」は「題目」、そして日蓮という御名はそのまま「位」で「戒壇」であります。要するに境・智・行・位、本因下種の法体とそのまま「寿量品の本尊と戒壇と題目の五字」ということであります。すなわち、これは大聖人様の御当体のところにのみ三大秘法が存するということなのです。前の『南条殿御返事』の「一大事の秘法」のところにも、この意味が拝せられるわけです。

○法華経を諸仏出世の一大事と説かせ給ひて候は、此の三大秘法を含めたる経にて渡らせ給へばなり。

結局、法華経が三大秘法を含めてある経であるが故に「一大事」と言われるとおっしゃっておるのです。ですから法華経の根本は三大秘法であり、これは久遠元初の本仏である日蓮の当体そのものを末法に顕しておるぞという御文であります。

ですから、皆さん方には、日蓮大聖人様を根本の仏様として拝して、題目を唱えていただきたいのであります。世間には、大聖人様を軽視している人たちがおりますが、これはたいへん大きな間違いのです。大聖人様が久遠元初の御本仏であることを信じて題目を唱えるところに、本当の仏法の筋道と功徳が存するのであります。

つづく



御書解説 『教機時国抄』
(平成新編御書269ページ)


一、御述作の由来

本抄は、弘長2(1262)年2月10日、大聖人様が41歳の御時、配流の地である伊豆で著されました。文応元(1260)年7月、大聖人様は時の最高権力者である北条時頼に対して『立正安国論』を奏呈されます。しかし時頼は、これを受け入れるどころか、かえって大聖人様を怨み、策謀を進め、それが松葉ケ谷の法難となり、さらには弘長2年の伊豆配流へとつながっていくのです。

本抄は、述作の年次はなく、「二月十日」と記されているだけですが、巻頭に「本朝沙門日蓮」と、天台の末流ではない独自の立場を宣揚されていることや、内容においても、末法の法華経の行者としての立場を鮮明にされていることなどから、伊豆配流の地で認(したた)められたものと拝されます。


二、本抄の大意

本抄は、題号が示すとおり「宗教の五綱(ごこう)」を教示された著作です。「宗教の五綱」とは、宗教を批判選択し、宗旨を決定するための原理・大綱で、教・機・時・国・教法流布の先後の5つをいいます。本抄では、順次、五綱について説明され、仏教を弘める者は、必ずこの五綱を知って弘通すべきであると仰せられます。さらには、この五綱によって末法弘通の大法が明瞭となることを説かれ、その法こそ法華経であると述べられます。

まず、第一の「教」について、一切の教律論の中には、小乗・大乗・権経・実経・顕教・密教の別があり、これらを弁えるべきことを教示されます。

次に、第二の「機」について述べられます。機を知ることが大切であるとしながらも、機を知るのは智人であって、機を知ることができない凡師は、所化の弟子に一向に法華経を教えよと説かれます。つまり、智人ではない末法の衆生は、謗法の者に対して一向に法華経を説くべきであると教えられるのです。

続いて、第三の「時」について述べられます。農民が田植えの時期を誤ってしまうならば、一分の益も得ることはなく、かえって損害を被ります。それと同じように、時を知らずに法を弘めるならば、利益がないだけではなく、かえって悪道に堕ちると誡められます、そして末法という時が、権経念仏の時であるか、法華経の時であるかを勘みよと教誡されます。

次いで、第四の「国」について述べられます。国によって様々な国情があるように、仏教の上からも、小乗・大乗・大小兼学の国があり、この日本という国が、小乗の国か大乗の国か、それとも大小兼学の国であるかをよくよく勘みよと仰せられます。

さらに、第五の「教法流布の先後」について述べられます。これは先に弘まった法を知り、その後にしかるべき法を弘めよということです。すなわち、「瓦礫を捨てヽ金珠を取る」の道理から、先に弘まった法を弁え、後に弘める法は、より勝れたものでなければならないと教示されます。


次に、これらの五綱(五義)を知って仏法を弘めるならば、日本国の国師ともなるとされ、さらに五綱について一歩踏み込んだ教示をあそばされます。すなわち、

  1. 法華経は一切経の中の第一の経王であり、これを知る者を教を知る者という。
  2. 日本国の一切衆生は、桓武天皇以来、一向に法華経・純円の機である。
  3. 当世は後五百歳に当たって妙法蓮華経広宣流布の時である。これを知るを時を知るという。
  4. 日本国は一向に大乗の国であり、大乗の中にも法華経の国である。
  5. 伝教大師が小乗・権大乗の義を破し、法華経の実義を顕した。その後、禅宗や浄土宗の権宗に付き従っている者は、教法流布の先後を知らない者である。

以上のように、法華経こそ末法弘通の大法であると説示されます。

最後に、末法には必ず三類の強敵があり、この三類の強敵を現して法華経を弘通する者こそ、末法の法華経の行者であると教示され、本抄を結ばれます。


三、拝読のポイント

宗教の五綱

「宗教の五綱」は大聖人様独自の教相判釈で、正しい仏法を弘めて民衆を救うためには、その宗旨の決定に当たり、教・機・時・国・教法流布の先後の5つの方面から厳密に検討すべきことを教示されています。本抄においても、この五綱を知って末法弘通の法を選び出すことが大切であると教えられ、そこから選び出される法は法華経であると明かされます。

(1)教を知る

第一の「教を知る」とは、それぞれの宗教の教義を比較検討し、何が真実で最勝の教えであるかを判釈することをいいます。そのためには比較検討する基準が必要になりますが、体系的なものとしては、『開目抄』に説かれる「五重相対」と、『観心本尊抄』に説かれる「五重三段」を挙げることができます。これらの基準から選び出される法こそが文底下種の妙法であり、大聖人様が御建立あそばされた三大秘法の御本尊にほかならないのです。よって、末法の衆生が成仏するための唯一の法は、三大秘法の御本尊以外にないと知ることが「教を知る」ことになるのです。

(2)機を知る

第二の「機を知る」とは、機根を知ることです。つまり衆生が仏の教えを受け止めようとする心の状態や、教法に対しての衆生の能力を知ることです。本抄では、舎利弗が弟子の機根を弁えずに法を弘めた結果、一分も覚らず、かえって邪見を起こし一闡提(信不具足の者)となったことを挙げ、機を知ることの大切さを教示されています。

末法は五濁悪世の時代であり、謗法によって貧・瞋・癡の三毒強盛の衆生が充満する時代です。したがって、機根の低い衆生が充満する末法においては、熟益や脱益の仏法ではなく、下種仏法、すなわち大聖人様の三大秘法以外に衆生を救う法はありません。このことを知ることが「機を知る」ことなのです。

(3)時を知る

第三の「時を知る」とは、時に適った正しい教えを信仰することです。本抄では、末法という時に適った法が法華経であるとのみ教示されていますが、『開目抄』や『観心本尊抄』に明らかなごとく、末法適時の法とは三大秘法であることは言うまでもありません。

日寛上人も『法華取要抄文段』に、「末法今時は本門三箇の秘法広宣流布の時なり。当に知るべし、今末法に入り小大・権実・顕密共に皆悉く滅尽す」(御書文段535ページ)と仰せられ、三大秘法が広宣流布する時であると明示されています。

ここで「時」と「機」の関係について確認しておきます。大聖人様は本抄で、「仏出世したまふて必ず法華経を説かんと欲するに、縦(たと)ひ機有れども時無きが故に、四十余年此の経を説きたまはず」と仰せられ、また『撰時抄』にも、「機は有りしかども時の来たらざればのべさせ給はず」(御書834ページ)と仰せのように、時を機より優先させるべきであると明確に示されています。したがって、機を知ることは大切ですが、時を無視し、衆生の機根に応じて法を説くことは大きな誤りとなることを知らなくてはなりません。

(4)国を知る

第四の「国を知る」とは、国情を踏まえて布教することです。すなわち、その国の気侯風土の違い、経済的な貧富の差、地理的な辺国・大国・小国の相違、道徳文化の違い、さらに仏法流布の因縁において、小乗・大乗・大小兼学等の差別があることを知り、その上で布教を進めていくことが大切です。

(5)教法流布の先後(序)を知る

第五の「教法流布の先後を知る」とは、教法を弘める前後次第を知って布教することです。すなわち教法流布の順序・次第として、先に小乗・権大乗が弘まったならば、後には実大乗を弘めるべきであり、もしまた実大乗が弘まっていたとすれば、もはや小乗・権大乗を弘めてはならないというように、仏の滅後において弘まるべき教法に順序・次第があることを知り、布教を進めていくのです。

すなわち末法今時には、法華経本門『寿量品』の文底本因下種の三大秘法が弘通されるべき次第に当たっていることを知るべきです。


四、結び

日寛上人は「宗旨の三箇」と「宗教の五綱」について、「総じて蓮祖弘通の大綱は宗旨の三箇、宗教の五箇を出でざるなり。之を宗門八箇の法義と謂うなり。中に於て宗教の五箇は是れ能詮、宗旨の三箇は所詮なり、故に先ず須く宗教の五箇を了すべし云云」(御書又段463ページ)と御指南されています。つまり「宗旨の三箇」は「宗教の五綱」によって明らかとなるのですから、「宗教の五綱」ということを、まず領解すべきであるということです。

したがって、真の大聖人門下である本宗僧俗は、まず自らが「宗教の五綱」を正しく学び、「宗旨の三箇」たる三大秘法を受持信行し、さらには他にも受持信行させるべく折伏弘通に遭進していくことが大切なのです。




異流儀破折 『有名無実の包括法人設立−正信会』


いよいよ包括法人設立

自称正信会の現議長・丸岡文乗が、直近の『正信会報』に、「正信会の宗教法人化がすったもんだの末、(中略)全会一致で可決した」(同誌112号の巻頭言)と述べている。「すったもんだの末に可決」とは、混乱する国会での議決を見るようであるが、この一事を見ても、包括法人設立問題は、完全に意見が一本化できていないようだ。

それはそうであろう。どんなつくろに言い繕おうとも、要するに正信会は、独自の「教派、宗派」を作ろうとしているのであり、それはまさに一宗一派の旗揚げにほかならない。しかし、議論の過程はどうあれ、結局のところ、「全会一致で可決」というのであるから、早晩、「包括法人正信会」がお目見えするようである。日蓮正宗の信仰から離れた謗法の者どもが、自ら日蓮正宗とは無縁の立場であると宣明することになる。こういうのを「愚の骨頂」と言うのであろう。


包括される寺院はいくつか?

正信会問題の発生から20年以上、旗標としていた創価学会の謗法が確定してからでも十数年を経た今ごろになって、なぜ包括法人を設立しようとするのか。

その答えは単純である。結局、彼らの活動が行き詰まっており、なんとか光明を見出そうとしているからにほかならない。このことは、「平成15年2月に行ったアンケート調査では、包括法人設立に賛成する会員は152人中131人であった。もっとも同じアンケート調査で、もし設立された場合『加入する』は58人、『加入しない』は7人、『未定』が87人となっている」(前同)との結果からも見て取れる。つまり、9割近くが、現状の正信会の有り様に不安を抱き、その解決の糸口を包括法人設立に見出そうとしつつ、その2/3は、それによって問題が好転するとは考えていない、もしくは判らないということである。

たとえ、万難を排して包括法人を設立しても、そんな脆弱な法人の傘下に、一体いくつの寺院が加わるというのか。謗法団体の末期症状を、我らとくは篤と見物しておこう。


有名無実の組織

正信会員が蟠踞(ばんきょ)する寺院のほとんどは、本来日蓮正宗末寺であり、登記されている住職(代表役員)も日蓮正宗僧侶である。故に正信会員には、法的に何の権限もない(※居住している者が死去した場合には日蓮正宗に返還される)。したがって、今後、正式に包括法人正信会が発足したとしても、適法に正信会寺院をその傘下に組み入れることはできない。となれば、実際に包括法人を設立しても、ほとんどの寺院は、適正に包括法人正信会との被包括関係を結ぶことすら不可能である。

そんな有名無実の包括法人を設立することにより、なんらかの問題が解決できると思い込んでいる稚拙さには、ほとほとあきれ返る。すべての原因は、自らの大謗法にあると知れ!


根無し草の信仰

また、丸岡某に限らず、正信会員は、つねづね、「日興上人の『いずくにても聖人の御義を相継ぎ進(まい)らせて世に立て侯はんことこそ詮にて侯へ』の御信念を我が信念として…」(前同)と言い張る。

身延を離山される日興上人がその心境を披瀝されたものであるが、よく考えてみよ!日興上人は、日蓮大聖人の御魂である根源の法体、すなわち本門戒壇の大御本尊を奉戴する上から「いずくにても…」と仰せられているのである。

それに比して正信会は、いったい何を根源の法体として奉持しているというのか。あると言うなら、具体的に示してみよ!根無し草の信仰をもって、いかに考えあぐねようとも、その組織が有名無実に堕すことは必定と言うべきであろう。



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