大白法

平成17年4月1日号


主な記事

<1〜6面>

講頭会

大石寺大納骨堂落成法要


<7〜8面>


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法華講連合会第42回総会
於春季総登山会

春季総登山

「僧俗前進の年」の春季総登山会が、3月26・27日の2日間にわたって行われ、一泊・日帰り合わせた2万9220名余が総本山に参詣した。

26日に午後3時から講頭会が行われ、一泊の登山者は午後7時から御法主日顕上人猊下の御書講義に参加した。27日は法華講連合会第42回総会が御法主上人猊下御臨席のもと開催され、これには藤本日潤総監、大村日統教学部長、早瀬日如庶務部長、八木日照大石寺主任理事の各御尊能化、宗務院各部の部長・副部長をはじめとする御尊師方が御出席された。また、法華講総講頭の柳沢委員長、大講頭の石毛副委員長・永井藤蔵氏・渡辺定元氏・石渡秀男氏・河原昭太郎氏・大草一男氏並びに各地方部長と共に、すべての登山者が広布坊をはじめ各会場で参加した。

春季総登山

春季総登山会第1日目の26日は、午前8時頃より一泊登山者が着山しはじめ、午後1時からの御開扉に臨んだ。また、午後3時から大書院において、講頭会が行われた。登山者は各宿坊で勤行・夕食の後、御法主上人猊下御書講義の受講のため客殿へ移動した。今回は『本尊問答抄』(御書1275ページの1〜16行目)の御文について、75分にわたって御講義を賜った。

翌27日は、午前2時半からの丑寅勤行に参加し、併せて袈裟免許の儀式を拝見させていただくことができた。午前6時半から宿坊での勤行・朝食を済ませ、法華講連合会第42回総会に参加のため、会場へ向かった。また、早朝より日帰り登山者のバスが着山しはじめた。

一方、客殿前に集合した10隊の鼓笛隊は、8時15分に順次パレードを開始。桜のつぼみが膨らみかけた塔中参道を通り、主会場の広布坊前まで向かった。広布坊では、ブラスバンドと西中国地方部鼓笛隊が演奏を披露。会場は他に客殿・大講堂・奉安殿・常来坊・総一坊・総二坊・塔中各坊で、主会場の映像が同時中継で映された。

午前10時、御法主上人猊下がお出ましあそばされると開会が宣せられた。ブラスバンドの演奏で「大法流布の時来たる」を合唱し、次いで南四国地方部大信寺支部の川村孝子さんが体験を発表した。続く決意発表は、大講頭の永井茨城地方部長、石毛副委員長が登壇した。

ここで御法主上人猊下より御言葉を賜った。猊下は、道における3つの義を示され、勤行・唱題を地道に行うことが信心の元であり、折伏ができないのは信力・行力が足りないのであるとされ、勇往邁進の気持ちを持ち御題目を唱え奉るところ妙法の前進の姿が顕れてくる、また命を懸けて子供に信心を教えていくことが大切であると、自行化他・法統相続について御指南あ そばされた。

この後、総講頭の柳沢委員長が挨拶に立ち、自らの尊い因縁を自覚し完壁なる団結をもって「僧俗前進の年」を力いっぱい励もうと話した。最後に「広布に生きる」を鼓笛隊の演奏で力強く合唱し、総会は終了した。


◎御法主日顕上人猊下御言葉

法華講連合会第42回総会が晴天のもと、このように盛大に挙行され、皆様方の元気なお姿を拝見して、大変うれしく思います。まことにおめでとうございます。

思うに、この度の総会は通常にない好天に恵まれております。その前々日、すなわち25日に、国道469号線付け替え並びに龍門橋開通式が行われました。皆様も総本山に御参詣の際に既に通られて、今までと変わった道が出来ておることを御覧になったと思いますが、北山からこちらへ来る時に、今までは大石橋を通って南の方へ回っておった道が、新しい道路と橋が出来、直ちに信号の所、すなわち三門の前の所に接続するようになりました。

このことについては、実は色々な面で、用地に関する過去からの法律上の複雑な諸問題の解決という課題があったのであります。これは話をすれば長くなりますから略しますけれども、総本山として、このような課題を法律に準拠する形において、なんとしても解決しなければならなかったのであります。実を申しますと、私は20年前からこの道の開通を考えておったのであります。ところが、色々な魔が起こり、さらに様々な障害が起こって、中々決定乃至実現が出来なかったのです。しかし、物事というものは、孜々営々(ししえいえい)として一歩一歩、着実に進むところ、そして妙法の功徳をもって、すなわちお題目によってこの実現を期するところには、必ずそれが実現できるということを、実に痛感しておるものであります。

新しく出来た道からは、実に立派な富士山の姿が今日も見えます。このような中で、第42回の総会が行われるというところに、僧俗一致和合団結しての広布への前進の深い意義を感ずるものであります。

この道の事業も、いわゆる平成14年・宗旨建立750年の記念事業の一環として遂行したのであります。僧俗の一致団結しての尊い御供養によって、あの立派な奉安堂が完成いたしました。そして、その付帯事業としての今回の道路の事業にも、相当の費用がかかっております。しかし、これもことごとく僧俗の、特に皆様方の尊い御供養によってあの道と橋が出来たのであります。これは本当に御本尊様もお喜びのことと思います。

先述のとおり、この道の開通式は25日に行われましたが、この時に富士宮市の市長、さらに県からも役職の方が見えまして、色々と挨拶もありました。そのなかにおいて、大石寺がこのように国道を整備してくださったということは実に有り難いことであるという意味のお礼の言葉がありました。これは総本山の整備乃至種々の問題の解決のみでなく、公共の上においても、この道が開通したということが、本当に立派な事業であったと感ずるのであります。

三門の前を通り過ぎましてから東の方へ向かう時には、ちょうど富士山が真正面にはっきりと見えております。皆様も、これから富士山と新しく出来た国道の景観を御覧になって、心の底に留めてお帰りいただきたいと思うのであります。

また、橋から北の方を見ますと滝が見えます。これは昔から「大石滝(おおいしだき)」と呼ばれておりましたけれども、ほとんどの人がその存在を知らなかったのです。今日、この橋の開通によってあの滝がはっきり現れました。そして、その一帯の庭園化とともに、総本山の境域におけるところの名勝の地となると思われるのであります。


総会


道を造るということは非常に大切なことでありまして、これはまた仏法の上からも、釈尊が出現されて色々な教えを説かれ、いわゆる一切衆生の然るべき道を示されたことにも通ずると思います。この道について3つの意義があります。

これは三大秘法の上から拝する次第でありますが、第1番目は本門の御本尊の御当体の御内証において、全体の道が示されておるのであります。これは専門語として非常に難解な意味もありますが、御本尊様の御当体を我々の凡眼凡智をもって知ろうとすることは、むしろ不可能であります。しかし、ただ信の一字をもって拝するとき、法界全体のなかに大聖人様の御本仏たる事の一念三千の御境地が歴々として存することを拝し奉るのであります。

皆さんも既に御承知のとおり、大聖人様が文永8年9月12日に竜の口の刑場に引き出されて、時の最高権力者が大聖人様の御頸(くび)を切ろうとしました。そして、まさに御頸が刎ねられんとする時に、あの不思議な光り物が辰巳(南東)の方から戌亥(北西)に向かって光り渡って、太刀取りの目がくらんで、ついに大聖人様の御頸を切ることが出来なかったのであります。これは一つの不可思議な法界全体の姿であります。地水火風空の五大が、御本仏様のお振る舞いによって妙法の上からの用きをはっきりと顕される、そういう点において法界全体に不思議な妙法の一念三千の道が存するということであります。

世間一般の人はもちろんそのとおりでありますが、我々の中にも小さい気持ちを持っている人があると思います。けれども、御本尊に向かってしっかり唱題し奉る時に、我々の心がそのまま法界全体に広がっていくのであり、ここに我々の道があると思います。それが一番根本の道でありまして、いわゆる「虚通(こつう)の義」ということであります。虚通の「虚」とは虚空の虚であります。虚空に通じておるところの道が無限の御本尊の御当体・御利益・功徳として存するのであり、そこを信ずるところに、信心の内容による不思議な功徳が顕れてくると思うのであります。

先程も、土佐市・大信寺の女性の御信徒の体験発表がありましたが、色々な不思議な体験を皆様と共に私も聞きました。それもこれもことごとく、その元は法界全体が大聖人様の深い御境界によって顕されたところの虚通に当たるのでありまして、一切の法界全体にその道が存在しておるということであります。したがって、妙法を唱える時に無限の利益と功徳が、そこにそのまま存在しておるのでありますから、我々がそこのところを信の上からはっきりと知る必要があると存ずるのであります。


第2番目は、虚通に対して「所践(しょせん)の義」の義ということがあります。これは、その道はいわゆる信ということをもって、智慧をもって認識しつつ、そこに実際に践(ふ)み行っていくということが第二の道の意義であります。

つまり、実践であります。皆様方も時には「今日は疲れたから勤行はやめよう」とか「昨日、勤行をやめたから今日もついでにやめておこう」などと、色々な意味で朝晩の勤行を懈怠(けだい)する人があると思います。中には1週間、10日、気がついてみれば1年も勤行をしていなかったという人があるということを時々、聞きます。これはいけません。御本尊様を安置しておるわけでありますから、必ず御本尊様の前に座るということが大切であり、これが所践の義であります。

つまり、道の意義は正しい御本尊の前に自らの身体を挺してそこに座り、必ず勤行・唱題を執り行っていくというところに、所践の義、いわゆる道が存するのであります。これを忘れたら本当の意味の仏法はなく、妙法の筋道が通らず、その方の生活は日に日に不幸な状態に落ちていくのであります。したがって、所践の義というところに道の意義があると思います。


そして、第3番目が「能通(のうつう)の義」であります。能通とはよく通ずるということであります。つまり、大御本尊様のところに虚通の一切の道が存在するとともに、我々が信心の一念をもって御本尊に対してお題目を唱え奉り、勤行・唱題をしていくときに、自分のその時その時の境界における立場がはっきりと正しく顕れてくるのであり、このことは皆様もおそらく体験もされておると思うのであります。

今日は3月27日で、間もなく4月になります。ちょうど年度替わりということになりまして、官公庁等の役人や、そのほかの会社の方々の異動等も行われます。また学生は、小学校、中学校、高校、大学を卒業し、あるいはまた、それらの学校に入学していくという、ちょうど移り変わりの筋目の時でもあります。

人生には、その時その時において、その人にあるところの問題が存在します。そのなかで、変化ということを体験していく中に、色々な不安や、様々な迷った心が生じて、それが元で段々と不幸になっていく姿が存するのであります。その時その時が問題なのです。我々は常にその時その時の一瞬一瞬の意義に対面しておるのであります。

したがって、その時において、特に4月は大事な時でもありますが、この時、このように立派に総会が行われ、信心修行に勇往邁進の心をもって総本山に集われた皆様方のその心は御本仏様も御照覧のことであり、誠に尊いと思うのであります。また一面、一歩でも信心に狂いが生ずれば、そのところから迷いが生じ、退転が起こります。私は勤行、唱題を一歩一歩、地道に必ず行っていくことが信心の元だと思うのであります。


「流溢(りゅういつ)」という言葉がありますが、1つのコップに水を入れ続けると水が一杯になり、その水が外へあふれてきます。そのように、我々が本当にしっかり妙法を唱えて、我々の人生の真の尊さは妙法の受持にあるということをしっかり体験されれば、そこからは、言われなくとも必ず他に向かって折伏をし、また、言われなくともこの仏法の道を説かなければならないところの境界が必ず顕れてくると思うのであります。このことを、本日お集まりになった皆様方一人ひとりに体験していただきたいと思うのであります。

なかなか折伏が出来ないという方もあります。折伏が出来ないのは、自分自身の信力が足りない、また行力が足りないのです。したがって、これから一人ひとりが勇往邁進の気持ちを持ってお題目を唱え奉るところに、色々な悩みやあらゆるものがことごとく正しく解決され、自分自身の命の中にはっきりとした妙法の前進の姿が顕れてまいります。自分の命そのままが尊い姿として、なんら不安もなく、堂々と前進していくのであるということを確信できると思うのであります。その意味において、いよいよ信行倍増されることをお祈りする次第であります。

最後に申し上げたいことは、法統相続が大切であるということであります。親が子供に対して、いったい何を贈るのか。もちろん色々なものを整え、様々な資具、あるいは勉学の機会を与え、資金を与えて成長を期することでしょう。しかし、それでどうなるかといえば、「あんな親不孝な子供になるのであれば、今まで面倒を見るのではなかった」というような後悔を持っている親もいるということを時々、聞くのであります。

親が本当に子供の幸福を思うならば、大聖人様の仏法の信心を、命を懸けて教えていくということが一番に大切だと思うのであります。これをおろそかにしている人が、割りに多いように思います。背いておる子供・孫の姿、これは全部、自分の信心の姿を表しておるのであるということを深く考えられるならば、この一瞬から本当に御祈念をされることが大切であります。そして、その時その時の、時に当たっての信心によって、その功徳が顕れるのであります。また、それによって必ず、「祈りとして叶わざる無し」(日寛上人御書分段189ページ等)という妙法の功徳を、皆様方が本当に体験されることを信ずるのであります。

その意味において自行化他、さらに法統相続ということを、この総会においてしっかり肚(はら)にお入れいただいて、これからの信行倍増に、また、それがそのまま法界全体、世界全体の人々を救っていく尊い道の実践であるということを確信されて御精進されることをお祈りいたしまして、本日の私の言葉とする次第であります。おめでとうございました。


春季総登山


○体験発表 大信寺支部・川村孝子

皆さん、こんにちは。私は、今ここに立たせていただけていること自体を、御本尊様に深く感謝申し上げています。といいますのも、私の命は仏様から戴いたものだからです。

私は、平成11年8月から、住み慣れた土佐を離れ、愛知県大府市に在住しています。介護が必要となった高齢の母への親孝行をと、看護師の長女の住まいに母と私が移って、娘と私で一緒に世話をすることになったためでした。

私にとって、菩提寺である大信寺から遠く離れることは辛いことでした。そこで、大信寺を生涯の道場と定めた私は、毎月の御報恩御講だけは参詣しようと決意し、名古屋駅を夜11時に出発して翌朝8時半に高知に着く夜行バスで欠かさず参詣しています。この10時間のバスの道のりも、高知では桐見川という山奥から毎日参詣していたことを思えば、訳がありません。

総本山へのご登山の折は、上郷サービスエリアから大信寺支部の登山バスに乗せていただいています。講中の皆様には、色々な面でご協力をいただいています。また、母には悔いのない人生を、私は悔いのない親孝行をと思い、毎月の添書登山を決意しました。ご登山を楽しみにしている母を車椅子に乗せて、娘や孫と共に総本山に参詣しました。


母の臨終に仏様を確信

その母も、平成13年5月3日に87歳で永眠しました。私の幼い頃に父と別れて独りになった母は、親友から折伏を受け、以来、御本尊様を一筋に信じて、ひたすら法統相続を願い続けてきた人でした。願ってきたとおり、その安らかな母の傍(かたわ)らには、一生懸命に題目を唱えている孫とひ孫たちがいました。母の臨終から、願い続けることの大切さを学び、御本尊様は必ず祈りをお聞き届けくださるのだと、仏様の御慈悲を改めて確信しました。

その御慈悲にお応えするため、まず身内から御本尊様のもとへ導こうと思い、創価学会員であった叔父を、御講参詣のため高知へ帰るたびに折伏しました。そして叔父は、叔父の長女と共に勧誡式を受けることができました。

夜行バスでの御講参詣、母の介護、親類の折伏、そして迎えた平成14年・宗旨建立750年の大法要には、開宣大法要から参加しました。その後体調が崩れ、娘の勤務する病院で診察を受けたところ、十二指腸上層部に大きなポリープが発見されました。お医者様の説明は、患部が余りにも大きく、さらにすい臓に癒着しているため、手術しても完治しないということでした。


心臓停止5分

私は御住職・上田雄福御尊師に「今手術を受けると、平成14年を病院で過ごすことになってしまいます。それだけは避けたいのです」と申し上げたところ、もったいなくも御秘符を頂戴でき、大御本尊様の大慈大悲を賜り、当病平癒の御祈念をいただいて、30万総登山に臨みました。5月には、退転状態にあった主人が、入信27年目にして初めてご登山できました。

そんな中、神戸にいる父を長女と見舞うことになりました。その帰り道、ふと加古川にいる兄に会っていこうと思い、兄の家に向かいました。しかし、高速道路上の車中で、突然のどが苦しくなり、それが胸に背中にと拡がり、かつて味わったことのない激しい痛みに襲われました。

運転していた長女は、ただ事でないことを悟り、そのまま救急センターに向かいました。一刻を争う状態だったのですが、救急センターでは対処ができず、別の病院に移送されました。「心筋梗塞です。すぐ手術します」。その言葉を聞いて「待って、私には30万総登山が」と言っても、「何を言っているんですか、生きるか死ぬかなんですよ」と、そんなお医者様の言葉を聞きながら、私は意識を失ってしまいました。

このとき、心臓が5分間停止してしまい、懸命の蘇生術が施され、再び心臓が動き出したところで手術ができたそうです。何とか深い死の淵から蘇ることができ、「妙とは蘇生(そせい)の義なり」(御書353ページ)との御金言を、命の底から噛み締めました。

思えば、娘が看護師でありましたので高速道路上にあっても冷静沈着に対応してくれたこと、移送先の執刀医が循環器の権威であったこと等、すべてにおいて守られ、仏様の御加護を深く確信することができました。

それから、負荷をかけながらのリハビリ中、私たちが会いに行くはずだった兄夫婦が、毎日見舞いに来てくれました。兄は御授戒を受けてはいたものの、ほとんど信心していませんでした。そんな兄夫婦を私は、毎日折伏しました。兄と義姉は毎日見舞いに来て、毎日折伏されて帰っていきました。病状は日増しに回復し、20日間で退院できましたが、6ヶ月間の安静を約束させられました。

心臓と十二指腸に爆弾を抱えたまま、7月からの30万総登山には車椅子で参加させていただきました。私が連れて行くはずだった友人たちが、私を介助してくれました。


そんな中、毎日見舞いに来てくれていた義姉が、くも膜下出血で倒れました。一命は取りとめたものの寝たきりになってしまいました。私の力不足で、仏様のもとに導くことができませんでした。ですから、兄には何としても信心してほしいと願いました。

私は、ご登山を重ねるごとに体力が回復し、10月最後の30万総登山には自分の足でしっかり歩いていくことができました。このとき、念願であった兄のご登山が叶いました。そして奉安堂の竣工式、奉安堂落慶記念大法要にも参加することができ、平成14年の全ての法要が終わり、私はこの大慶祝の法要に1年を通して参加させていただくことができました。


平成21年に向かって新たな使命を自覚

これで、今世における使命を果たせたかなと思っていたある日、突然大量の下血がありました。体中の全ての血液が流れ出すかのように止まらなくなり、とうとうあのポリープが破れたかと覚悟を決めました。しかし、何も思い残すことはないという心境でした。

すぐに検査を受けたところ、想像しなかった結果を見ることになりました。「ポリープは跡形もありません。消えてなくなっています。心配された出血もどこにも見あたらない」とのことでした。それは、再び寿命を賜ると同時に、新たな使命を自覚した瞬間でした。

そして私の中で、寝たきりなった義姉に命ある間に御仏縁をいただかせてあげたい、という強い一念が涌き上がりました。その思いを兄に話し、御住職様に御授戒をお願いしました。平成16年8月、義姉は御授戒を受けることができました。

その直後のこと、なんと兄が、御本尊様を御下付していただきたいと自ら願い出たのです。その年の大信寺の御会式に、兄と共に参詣させていただき、翌日、御本尊様を御下付していただきました。御住職様は、真新しいお仏壇を車に積み込んで、加古川の兄の家まで来てくださいました。私の娘や孫も駆けつけ、無事、御入仏式をすることができました。兄が御授戒を受けてから10年余りの歳月はかかりましたが、兄と義姉に対して、私の役目を果たすことができたと思っています。

高知にいましたときは、毎日大好きな大信寺で唱題していた私にとって、菩提寺に月1度しか参詣できないことは、たいへん辛いことですが、参詣できたときの喜びは、例えようもありません。現在、兄は兵庫から、私は愛知から、毎月御報恩御講に参詣させていただいています。

これからは、兄妹力を合わせて、創価学会という謗法の中で苦悩している親類、また一切信心の話を聞こうとしない父と、私たちを育ててくれた義母(父の再婚相手)、さらに、これまで縁してきた大勢の友人たちを折伏し、本当の意味での幸福を味わってもらおうと誓っています。

「平成21年・『立正安国論』正義顕揚750年」の御命題達成に向け、その節目として、本年の大信寺創立30周年を200世帯で慶祝するために、折伏誓願目標30世帯の完遂の一助となれるよう、御法主上人猊下の御指南を拝し奉り、御住職様の御指導を実践し、講頭様を中心に、折伏・育成・法統相続にと、仏様から戴いたこの命をもって御奉公していく決意です。



※この原稿は昭倫寺支部の若山さんの御協力で掲載致しました。




龍門橋開通式
国道469号線付け替え工事ならびに潤井川の架橋工事が完了


晴天の3月25日午後1時より、国道469号線付け替え並びに龍門橋開通式が、三門東側の龍門橋において御法主日顕上人猊下御臨席のもと、盛大に執り行われた。

このたびの国道469号線の付け替え工事並びに潤井川の架橋(龍門橋)工事は、総本山大石寺において宗祖日蓮大聖人宗旨建立750年慶祝記念の掉尾(とうび)を飾る事業として進めてきたものである。また、併せて橋梁(きょうりょう)付近の潤井川護岸整備、同橋から富士山・大石滝を望むことができるよう周辺の整備も行われた。

龍門橋開通式

これには、総監、教学部長、庶務部長、大石寺主任理事、宗務院の各部長・副部長、大石寺執事をはじめ、塔中・山内・近末の御僧侶方が多数御出席された。また法華講総講頭、大講頭、本部幹事、総本山総代、塔中・山内・近末の寺族が参列した。

さらには富士宮市長・小室直義氏、静岡県富士土木事務所長・斉藤次義氏、静岡県議会議員・須藤秀忠氏、富士宮市議会議長・日原貞二氏をはじめ、行政・議会および施工関係など大勢の来賓も参列した。

式は、はじめに八木大石寺主任理事より挨拶が述べられ、次いで小室富士宮市長の祝辞、斉藤富士土木事務所長の挨拶と続いた。

次に、御法主上人猊下をはじめ、藤本総監、柳沢総講頭、さらには小室富士宮市長、須藤県議会議員、日原市議会議長、斉藤富士士木事務所長、地元の区長会長である清水國臣氏、株式会社川俣組社長の佐野孝氏、富士設計株式会社社長の小野寺誠司氏の10名によって、テープカットが行われた。

次いで、静岡県警のパトカーを先導に、御法主上人猊下をはじめとする代表者らによって渡り初めが行われ、続いて参列者全員も景観を楽しみながら橋を渡り、式の一切がとどこおりなく終了した。

この整備道路区間は国と富士宮市に寄付され、午後2時より、国道469号線として供用が開始された。


龍門橋開通式


☆挨拶 静岡県富士土木事務所長・斉藤次義氏

ただ今、御紹介にあずかりました富士土木事務所の所長の斉藤でございます。本日、国道469号の付け替え工事が完成し、盛大な開通式を迎えられましたことを、心からお慶びと御礼を申し上げます。

この地域は、歴史的にも甲斐の国と駿河の国を結ぶ交通の結節点に当たるほか、風光明媚な富士山の広大な平原に囲まれ、御殿場や裾野方面からも近く、静岡県内でも今後、発展する可能性の高い地域として大いに期待されております。この富士の裾野の平原地帯に、御殿場方面や山梨方面へ直結できる幹線が出来れば、山梨県や静岡県東部地域全体にとって、東海道と並ぶ、なくてはならない東西幹線となるのではないでしょうか。

そのため静岡県では、東名御殿場インターから中部横断道の南部町インター間を国道469号の『富士南麓道路』として計画し、現在、富士宮市の国道229号から裾野市境までの間を、全力を挙げて道路の建設を進めているところであります。そのうち、富士市区間の延長7.8kmにつきましては、昭和62年から建設を始め、平成17年度中の完成を予定しています。また富士宮市区間の延長6.5kmについても、できるだけ早期の完成をめざし、鋭意、用地交渉等を行っているところであります。

公共事業の早期完成につきましては、何よりも地権者をはじめとする地元の皆様の御理解・御協力が必要なことから、私たちも地域との協同に取り組み、地元の皆様の御理解を得られるように努めてまいりますので、今後共、御支援を賜るよう、この場をお借りしてお願い申し上げる次第であります。

そのような中、この国道バイパスの建設に当たり、用地提供はもとより、工事の実施まで、総て大石寺の記念事業として完工されたことは、静岡県始まって以来の快挙であります。改めまして県民を代表し、大石寺をはじめとする関係の皆様方への感謝を申し上げると共に、県として本バイパスを引き継ぎ、地域の皆様をはじめとして多くの方々の利便向上を図るため、県において適正に維持管理していくことをお誓い申し上げる次第です。本当に、ありがとうございました。

桜の季節は、もう間近です。龍門橋からの眺めは素晴らしいものとなり、大いに賑わっている様子が目に見えるようです。今後も、この富士の広大な大地が、益々明るい未来に包まれ、幸多き地であることを祈念しまして、私の挨拶とさせていただきます。



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