<7〜8面>
「僧俗前進の年」の春季総登山会が、3月26・27日の2日間にわたって行われ、一泊・日帰り合わせた2万9220名余が総本山に参詣した。
26日に午後3時から講頭会が行われ、一泊の登山者は午後7時から御法主日顕上人猊下の御書講義に参加した。27日は法華講連合会第42回総会が御法主上人猊下御臨席のもと開催され、これには藤本日潤総監、大村日統教学部長、早瀬日如庶務部長、八木日照大石寺主任理事の各御尊能化、宗務院各部の部長・副部長をはじめとする御尊師方が御出席された。また、法華講総講頭の柳沢委員長、大講頭の石毛副委員長・永井藤蔵氏・渡辺定元氏・石渡秀男氏・河原昭太郎氏・大草一男氏並びに各地方部長と共に、すべての登山者が広布坊をはじめ各会場で参加した。
春季総登山会第1日目の26日は、午前8時頃より一泊登山者が着山しはじめ、午後1時からの御開扉に臨んだ。また、午後3時から大書院において、講頭会が行われた。登山者は各宿坊で勤行・夕食の後、御法主上人猊下御書講義の受講のため客殿へ移動した。今回は『本尊問答抄』(御書1275ページの1〜16行目)の御文について、75分にわたって御講義を賜った。
翌27日は、午前2時半からの丑寅勤行に参加し、併せて袈裟免許の儀式を拝見させていただくことができた。午前6時半から宿坊での勤行・朝食を済ませ、法華講連合会第42回総会に参加のため、会場へ向かった。また、早朝より日帰り登山者のバスが着山しはじめた。
一方、客殿前に集合した10隊の鼓笛隊は、8時15分に順次パレードを開始。桜のつぼみが膨らみかけた塔中参道を通り、主会場の広布坊前まで向かった。広布坊では、ブラスバンドと西中国地方部鼓笛隊が演奏を披露。会場は他に客殿・大講堂・奉安殿・常来坊・総一坊・総二坊・塔中各坊で、主会場の映像が同時中継で映された。
午前10時、御法主上人猊下がお出ましあそばされると開会が宣せられた。ブラスバンドの演奏で「大法流布の時来たる」を合唱し、次いで南四国地方部大信寺支部の川村孝子さんが体験を発表した。続く決意発表は、大講頭の永井茨城地方部長、石毛副委員長が登壇した。
ここで御法主上人猊下より御言葉を賜った。猊下は、道における3つの義を示され、勤行・唱題を地道に行うことが信心の元であり、折伏ができないのは信力・行力が足りないのであるとされ、勇往邁進の気持ちを持ち御題目を唱え奉るところ妙法の前進の姿が顕れてくる、また命を懸けて子供に信心を教えていくことが大切であると、自行化他・法統相続について御指南あ
そばされた。
この後、総講頭の柳沢委員長が挨拶に立ち、自らの尊い因縁を自覚し完壁なる団結をもって「僧俗前進の年」を力いっぱい励もうと話した。最後に「広布に生きる」を鼓笛隊の演奏で力強く合唱し、総会は終了した。
法華講連合会第42回総会が晴天のもと、このように盛大に挙行され、皆様方の元気なお姿を拝見して、大変うれしく思います。まことにおめでとうございます。
思うに、この度の総会は通常にない好天に恵まれております。その前々日、すなわち25日に、国道469号線付け替え並びに龍門橋開通式が行われました。皆様も総本山に御参詣の際に既に通られて、今までと変わった道が出来ておることを御覧になったと思いますが、北山からこちらへ来る時に、今までは大石橋を通って南の方へ回っておった道が、新しい道路と橋が出来、直ちに信号の所、すなわち三門の前の所に接続するようになりました。
このことについては、実は色々な面で、用地に関する過去からの法律上の複雑な諸問題の解決という課題があったのであります。これは話をすれば長くなりますから略しますけれども、総本山として、このような課題を法律に準拠する形において、なんとしても解決しなければならなかったのであります。実を申しますと、私は20年前からこの道の開通を考えておったのであります。ところが、色々な魔が起こり、さらに様々な障害が起こって、中々決定乃至実現が出来なかったのです。しかし、物事というものは、孜々営々(ししえいえい)として一歩一歩、着実に進むところ、そして妙法の功徳をもって、すなわちお題目によってこの実現を期するところには、必ずそれが実現できるということを、実に痛感しておるものであります。
新しく出来た道からは、実に立派な富士山の姿が今日も見えます。このような中で、第42回の総会が行われるというところに、僧俗一致和合団結しての広布への前進の深い意義を感ずるものであります。
この道の事業も、いわゆる平成14年・宗旨建立750年の記念事業の一環として遂行したのであります。僧俗の一致団結しての尊い御供養によって、あの立派な奉安堂が完成いたしました。そして、その付帯事業としての今回の道路の事業にも、相当の費用がかかっております。しかし、これもことごとく僧俗の、特に皆様方の尊い御供養によってあの道と橋が出来たのであります。これは本当に御本尊様もお喜びのことと思います。
先述のとおり、この道の開通式は25日に行われましたが、この時に富士宮市の市長、さらに県からも役職の方が見えまして、色々と挨拶もありました。そのなかにおいて、大石寺がこのように国道を整備してくださったということは実に有り難いことであるという意味のお礼の言葉がありました。これは総本山の整備乃至種々の問題の解決のみでなく、公共の上においても、この道が開通したということが、本当に立派な事業であったと感ずるのであります。
三門の前を通り過ぎましてから東の方へ向かう時には、ちょうど富士山が真正面にはっきりと見えております。皆様も、これから富士山と新しく出来た国道の景観を御覧になって、心の底に留めてお帰りいただきたいと思うのであります。
また、橋から北の方を見ますと滝が見えます。これは昔から「大石滝(おおいしだき)」と呼ばれておりましたけれども、ほとんどの人がその存在を知らなかったのです。今日、この橋の開通によってあの滝がはっきり現れました。そして、その一帯の庭園化とともに、総本山の境域におけるところの名勝の地となると思われるのであります。
これは三大秘法の上から拝する次第でありますが、第1番目は本門の御本尊の御当体の御内証において、全体の道が示されておるのであります。これは専門語として非常に難解な意味もありますが、御本尊様の御当体を我々の凡眼凡智をもって知ろうとすることは、むしろ不可能であります。しかし、ただ信の一字をもって拝するとき、法界全体のなかに大聖人様の御本仏たる事の一念三千の御境地が歴々として存することを拝し奉るのであります。
皆さんも既に御承知のとおり、大聖人様が文永8年9月12日に竜の口の刑場に引き出されて、時の最高権力者が大聖人様の御頸(くび)を切ろうとしました。そして、まさに御頸が刎ねられんとする時に、あの不思議な光り物が辰巳(南東)の方から戌亥(北西)に向かって光り渡って、太刀取りの目がくらんで、ついに大聖人様の御頸を切ることが出来なかったのであります。これは一つの不可思議な法界全体の姿であります。地水火風空の五大が、御本仏様のお振る舞いによって妙法の上からの用きをはっきりと顕される、そういう点において法界全体に不思議な妙法の一念三千の道が存するということであります。
世間一般の人はもちろんそのとおりでありますが、我々の中にも小さい気持ちを持っている人があると思います。けれども、御本尊に向かってしっかり唱題し奉る時に、我々の心がそのまま法界全体に広がっていくのであり、ここに我々の道があると思います。それが一番根本の道でありまして、いわゆる「虚通(こつう)の義」ということであります。虚通の「虚」とは虚空の虚であります。虚空に通じておるところの道が無限の御本尊の御当体・御利益・功徳として存するのであり、そこを信ずるところに、信心の内容による不思議な功徳が顕れてくると思うのであります。
先程も、土佐市・大信寺の女性の御信徒の体験発表がありましたが、色々な不思議な体験を皆様と共に私も聞きました。それもこれもことごとく、その元は法界全体が大聖人様の深い御境界によって顕されたところの虚通に当たるのでありまして、一切の法界全体にその道が存在しておるということであります。したがって、妙法を唱える時に無限の利益と功徳が、そこにそのまま存在しておるのでありますから、我々がそこのところを信の上からはっきりと知る必要があると存ずるのであります。
つまり、実践であります。皆様方も時には「今日は疲れたから勤行はやめよう」とか「昨日、勤行をやめたから今日もついでにやめておこう」などと、色々な意味で朝晩の勤行を懈怠(けだい)する人があると思います。中には1週間、10日、気がついてみれば1年も勤行をしていなかったという人があるということを時々、聞きます。これはいけません。御本尊様を安置しておるわけでありますから、必ず御本尊様の前に座るということが大切であり、これが所践の義であります。
つまり、道の意義は正しい御本尊の前に自らの身体を挺してそこに座り、必ず勤行・唱題を執り行っていくというところに、所践の義、いわゆる道が存するのであります。これを忘れたら本当の意味の仏法はなく、妙法の筋道が通らず、その方の生活は日に日に不幸な状態に落ちていくのであります。したがって、所践の義というところに道の意義があると思います。
今日は3月27日で、間もなく4月になります。ちょうど年度替わりということになりまして、官公庁等の役人や、そのほかの会社の方々の異動等も行われます。また学生は、小学校、中学校、高校、大学を卒業し、あるいはまた、それらの学校に入学していくという、ちょうど移り変わりの筋目の時でもあります。
人生には、その時その時において、その人にあるところの問題が存在します。そのなかで、変化ということを体験していく中に、色々な不安や、様々な迷った心が生じて、それが元で段々と不幸になっていく姿が存するのであります。その時その時が問題なのです。我々は常にその時その時の一瞬一瞬の意義に対面しておるのであります。
したがって、その時において、特に4月は大事な時でもありますが、この時、このように立派に総会が行われ、信心修行に勇往邁進の心をもって総本山に集われた皆様方のその心は御本仏様も御照覧のことであり、誠に尊いと思うのであります。また一面、一歩でも信心に狂いが生ずれば、そのところから迷いが生じ、退転が起こります。私は勤行、唱題を一歩一歩、地道に必ず行っていくことが信心の元だと思うのであります。
なかなか折伏が出来ないという方もあります。折伏が出来ないのは、自分自身の信力が足りない、また行力が足りないのです。したがって、これから一人ひとりが勇往邁進の気持ちを持ってお題目を唱え奉るところに、色々な悩みやあらゆるものがことごとく正しく解決され、自分自身の命の中にはっきりとした妙法の前進の姿が顕れてまいります。自分の命そのままが尊い姿として、なんら不安もなく、堂々と前進していくのであるということを確信できると思うのであります。その意味において、いよいよ信行倍増されることをお祈りする次第であります。
最後に申し上げたいことは、法統相続が大切であるということであります。親が子供に対して、いったい何を贈るのか。もちろん色々なものを整え、様々な資具、あるいは勉学の機会を与え、資金を与えて成長を期することでしょう。しかし、それでどうなるかといえば、「あんな親不孝な子供になるのであれば、今まで面倒を見るのではなかった」というような後悔を持っている親もいるということを時々、聞くのであります。
親が本当に子供の幸福を思うならば、大聖人様の仏法の信心を、命を懸けて教えていくということが一番に大切だと思うのであります。これをおろそかにしている人が、割りに多いように思います。背いておる子供・孫の姿、これは全部、自分の信心の姿を表しておるのであるということを深く考えられるならば、この一瞬から本当に御祈念をされることが大切であります。そして、その時その時の、時に当たっての信心によって、その功徳が顕れるのであります。また、それによって必ず、「祈りとして叶わざる無し」(日寛上人御書分段189ページ等)という妙法の功徳を、皆様方が本当に体験されることを信ずるのであります。
このたびの国道469号線の付け替え工事並びに潤井川の架橋(龍門橋)工事は、総本山大石寺において宗祖日蓮大聖人宗旨建立750年慶祝記念の掉尾(とうび)を飾る事業として進めてきたものである。また、併せて橋梁(きょうりょう)付近の潤井川護岸整備、同橋から富士山・大石滝を望むことができるよう周辺の整備も行われた。
これには、総監、教学部長、庶務部長、大石寺主任理事、宗務院の各部長・副部長、大石寺執事をはじめ、塔中・山内・近末の御僧侶方が多数御出席された。また法華講総講頭、大講頭、本部幹事、総本山総代、塔中・山内・近末の寺族が参列した。
さらには富士宮市長・小室直義氏、静岡県富士土木事務所長・斉藤次義氏、静岡県議会議員・須藤秀忠氏、富士宮市議会議長・日原貞二氏をはじめ、行政・議会および施工関係など大勢の来賓も参列した。
式は、はじめに八木大石寺主任理事より挨拶が述べられ、次いで小室富士宮市長の祝辞、斉藤富士土木事務所長の挨拶と続いた。
次に、御法主上人猊下をはじめ、藤本総監、柳沢総講頭、さらには小室富士宮市長、須藤県議会議員、日原市議会議長、斉藤富士士木事務所長、地元の区長会長である清水國臣氏、株式会社川俣組社長の佐野孝氏、富士設計株式会社社長の小野寺誠司氏の10名によって、テープカットが行われた。
次いで、静岡県警のパトカーを先導に、御法主上人猊下をはじめとする代表者らによって渡り初めが行われ、続いて参列者全員も景観を楽しみながら橋を渡り、式の一切がとどこおりなく終了した。
於春季総登山会
◎御法主日顕上人猊下御言葉
道を造るということは非常に大切なことでありまして、これはまた仏法の上からも、釈尊が出現されて色々な教えを説かれ、いわゆる一切衆生の然るべき道を示されたことにも通ずると思います。この道について3つの意義があります。
第2番目は、虚通に対して「所践(しょせん)の義」の義ということがあります。これは、その道はいわゆる信ということをもって、智慧をもって認識しつつ、そこに実際に践(ふ)み行っていくということが第二の道の意義であります。
そして、第3番目が「能通(のうつう)の義」であります。能通とはよく通ずるということであります。つまり、大御本尊様のところに虚通の一切の道が存在するとともに、我々が信心の一念をもって御本尊に対してお題目を唱え奉り、勤行・唱題をしていくときに、自分のその時その時の境界における立場がはっきりと正しく顕れてくるのであり、このことは皆様もおそらく体験もされておると思うのであります。
「流溢(りゅういつ)」という言葉がありますが、1つのコップに水を入れ続けると水が一杯になり、その水が外へあふれてきます。そのように、我々が本当にしっかり妙法を唱えて、我々の人生の真の尊さは妙法の受持にあるということをしっかり体験されれば、そこからは、言われなくとも必ず他に向かって折伏をし、また、言われなくともこの仏法の道を説かなければならないところの境界が必ず顕れてくると思うのであります。このことを、本日お集まりになった皆様方一人ひとりに体験していただきたいと思うのであります。
国道469号線付け替え工事ならびに潤井川の架橋工事が完了
晴天の3月25日午後1時より、国道469号線付け替え並びに龍門橋開通式が、三門東側の龍門橋において御法主日顕上人猊下御臨席のもと、盛大に執り行われた。