大白法

平成17年4月16日号


主な記事

<1〜6面>


<6〜8面>


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総本山御霊宝虫払大法会奉修される


暖かな好天に恵まれた4月6日・7日の両日にわたり、総本山大石寺において恒例の御霊宝虫払大法会が、御法主日顕上人猊下大導師のもと、盛大かつ厳粛に奉修された。この大法会は秋の御大会と並ぶ宗門の二大法要の一つであり、宗祖日蓮大聖人・御開山日興上人以来、七百年にわたって総本山に厳護されてきた数多くの重要な御宝物を後世に末永く伝えていくため、年に一度お風入れをしてその破損を防ぐとともに数多くの参列者に披露する、荘厳にして重要な儀式である。

この大法要には新総監・早瀬日如師、教学部長・大村日統師、新庶務部長・八木日照師(兼大石寺主任理事)、海外部長・尾林日至師、藤本日潤・高野日海・光久日康・菅野日龍の各御尊能化、細井珪道宗会議長、宗務院各部長・副部長をはじめとする御尊師方が多数御列席。また、法華講総講頭の柳沢委員長、大講頭の石毛副委員長・永井藤蔵氏・渡辺定元氏(兼総本山総代)・石渡秀男氏・河原昭太郎氏・大草一男氏、総本山総代の吉野範里氏・井出光彦氏、法華講連合会役員、寺族をはじめ、国内信徒3千130余名及び海外21カ国信徒650余名の代表が参列した。


御開扉 御霊宝虫払大法会は、6日午後1時半より奉安堂における御開扉で始まった。午後1時半、御法主日顕上人猊下の大導師のもと、読経・唱題と厳粛に進められると、僧俗一同が唱題する中、御法主上人猊下が須弥壇に登られ、新総監・早瀬御尊能化の介添えにより、本門戒壇の大御本尊様の御煤(すす)払いの儀が、懇(ねんご)ろに執り行われた。続いて御法主上人猊下より、本門戒壇の大御本尊、最初仏、大聖人御霊骨について甚深の御説法(御戒壇説法)を賜った。

御書講 午後6時15分、御書講の準備が整ったことを知らせる喚鐘が打ち鳴らされると、全山に荘厳な緊張した空気が満ちわたる。そして御法主上人猊下が柄香炉を手にされて大書院の玄関からお出ましになられた。多数の御僧侶方を従えられた御法主上人猊下の行列は、錫杖(しゃくじょう)の音を響かせながら、客殿正面・二天門前を通り、篝火(かかりび)が灯され、大勢の信徒がお待ち申し上げる御影堂正面の参道を厳かに進まれた。

行列

御影堂正面から西側を回って裏向拝(うらごはい)から入堂あそばされた御法主上人猊下は、御宝前に三礼された後、内陣中央の高座に登られた。読経・唱題と進められた後、『上野殿御返事(別名:龍門御書)』の御文について甚深の御説法をなされた。

御説法

布教講演会 御書講を終えられた御法主上人猊下が御退出されると、小憩の後、布教講演会が開催された。はじめに大村教学部長より挨拶と講演者の紹介が述べられ たあと、全国布教師・夏井育道御尊師(江戸川区・白蓮院主管)が「災難興起の元凶を断つべし」と題して、次いで全国布教師の高野日海御尊能化(墨田区・本行寺住職)が「即身成仏−一人の身・一人の心の信心」と題して講演された。この後、題目三唱して布教講演会は9時に終了した。なお、御書講および布教講演会は、客殿・大講堂にもモニターによる放映が行われ、多くの参列者が拝聴した。

勤行衆会・御開山御講 2日目は、午前2時半から勤行衆会(丑寅勤行)が客殿で行われた。また、明けて午前7時からは御開山御講が御影堂で奉修された。御開山御講に御出仕される御法主上人猊下の行列は錫杖の音を響かせ、しずしずと歩みを運ばれ、御影堂の裏向拝から入堂された。御法主上人猊下は献膳の儀を懇ろに執り行われたあと、読経・引き題目と厳粛に進められ、御開山日興上人に御報恩謝徳申し上げた。

御霊宝虫払 午前9時からは、客殿で御霊宝虫払の儀が厳修された。御法主上人猊下が御宝蔵にお出ましになり、総本山に厳護されてきた宗祖日蓮大聖人、第二祖日興上人、第三祖日目上人以来、御歴代上人の御霊宝・重宝の数々が納められている輪宝・鶴丸・亀甲の御紋がそれぞれ入った3つの長持が、御法主上人猊下及び総本山総代の先導で、御宝蔵から客殿に運び入れられた。

長持

客殿で御法主上人猊下をお待ちする参列者の唱題の中、総本山総代の立ち会いのもと、内陣に据えられた長持を開封。そして輪宝長持から日蓮大聖人の「御生骨」と大聖人が御所持されていた「雨の祈りの三具足」が取り出され、正面の御前机に供えられた。

ここで、御法主上人猊下と早瀬総監の読み上げに従い、内陣に特設された御本尊奉掲柱に、「師資伝授の御本尊」「建治元年十一月の御本尊」「建治二年・病即消滅不老不死の御本尊」「弘安三年二月の御本尊」「弘安三年十一月・本門寺重宝の御本尊」をはじめとする8幅の日蓮大聖人御真筆御本尊、並びに「鏡の御影(みえい)」と称される大聖人の御画像及び日興上人の御影画像等が、白手袋をはめ、樒の葉を口にした御僧侶の手によって順次、奉掲された。

さらに外陣の特設柱には、第二祖日興上人から第9世日有上人までの御歴代上人が御書写あそばされた御本尊が奉掲された。最後に大石寺開創の砌、日興上人から第三祖日目上人に授与された大幅の「御座替わり御本尊」が、外陣中央に奉掲され、御法主上人猊下の大導師で読経・唱題が行われた。続いて大村教学部長から、奉掲の御本尊等についての説明があった。参列者が唱題する中、御本尊等が再び元の長持に納められ、御霊宝虫払の儀は終了した。

御真翰(しんかん)巻返し 小憩の後、日蓮大聖人がお認(したた)めになられた御書の真筆をはじめ、日興上人以降の御歴、代上人がお認めになられた文書やお手紙等にお風入れをする、御真翰巻返しの儀に移った。

内陣中央の高座に登られた御法主上人猊下の大導師のもと読経・唱題を行ったのち、長持から取り出された「日蓮一期弘法付嘱書」(写本)「身延山付嘱書」(写本)と、日興上人が日目上人に譲状として与えられた「日興跡条々事」(真蹟)を御法主上人猊下が奉読され、またその譲状の草案(真蹟)などが参列者に披露された。

御真翰

さらに「上野殿御返事」「春之祝御書」「三三蔵祈雨事」「減劫御書」「白米一俵御書」「宝軽法重事」「諌暁八幡抄」「衆生身心御書」などの大聖人の御真筆をはじめ、日興上人の御書写による「立正安国論」や「四信五品抄」の写本、さらに第6世日時上人の文書や御書の写本等が次々に紹介・披露された。

御真翰

これら参列者に披露された御真翰は、白手袋をはめ、樒の葉を口にした御僧侶により丁重にお風入れがなされ、再び長持に納められた。最後に唱題の中、「御生骨」「雨の祈りの三具足」が長持に納められると、三つの長持は御宝蔵へ運ばれ、厳重に収納された。

こうして2日間にわたって奉修された御霊宝虫払大法会の一切の盛儀は、正午過ぎにとどこおりなく終了した。



◎御法主上人猊下御説法 上野殿御返事(龍門御書)


『上野殿御返事』(御書1427ページ)※漢字表記に改めました

 唐土に竜門と申す滝あり。高き事十丈、水の下ること強兵(がっぴゃう)が矢を射落とすよりも早し。このたきに多くの鮒(ふな)集まりて登らむと申す。ふなと申す魚(いを)ののぼりぬれば、竜となり候。百に一つ、千に一つ、万に一つ、十年廿年に一つものぼる事なし。或は急き瀬にかへり、或いは鷲・鷹・鴟(とび)・梟にくらわれ、或は十丁のたきの左右に漁人(いおとるもの)ども列なりゐて、或は網をかけ、或は汲みとり、或いは射て取るものもあり。魚の竜となる事かくのごとし。

 日本国の武士の中に源平二家と申して、王の門守(かどまも)りの犬二疋(ひき)候。二家ともに王を守りたてまつる事、山人(やまがつ)が八月十五夜の峰より出づるを愛するがごとし。殿上の男女のあそぶをみては、月と星との光を合わせたるを、木の上にて猿の愛するがごとし。かゝる身にてはあれども、いかんがして我等殿上の交わりをなさんとねがいし程に、平氏の中に貞盛(さだもり)と申せし者、将門(まさかど)を打ちてありしかども、昇殿を許されず、其の子正盛(まさもり)又かなわず。其の子忠盛(ただもり)が時、始めて昇殿をゆるさる。其の後清盛(きよもり)・重盛(しげもり)等、殿上にあそぶのみならず、月を生み、日を抱く身となりにき。

 仏になる道、これに劣るべからず。魚の竜門をのぼり、地下(じげ)の者の殿上へ参るがごとし。身子(しんし)と申せし人は、仏にならむとて六十劫が間菩薩の行を満てしかども、堪へかねて二乗の道に入りにき。大通結縁(だいつうけちえん)の者は三千塵点劫、久遠下種の人の五百塵点劫生死に沈みし、此等は法華経を行ぜし程に、第六天の魔王、国主等の身に入りて、とかう煩らわせしかば退して捨てしゆへに、若干(そこばく)の劫に六道には巡りしぞかし。

 彼は人の上とこそみしかども、今は我等が身にかゝれり。願はくは我が弟子等、大願ををこせ。去年(こぞ)去々年(おととし)の疫病に死にし人々のかずにも入らず、又当時蒙古の攻めに免かるべしともみへず。とにかくに死は一定なり。其の時の歎きは当時のごとし。をなじくは仮にも法華経のゆへに命をすてよ。露を大海にあつらへ、塵を大地に埋づむとをもへ。法華経の第三に云はく「願はくは此の功徳を以て普(あまね)く一切に及ぼし、我等と衆生と皆共に仏道を成ぜん」云云。恐々謹言

  十一月六日

日蓮花押 

 上野賢人殿御返事

  此は熱原の事のありがたさに申す御返事なり。


本年度、総本山恒例の御霊峰御虫払大法会に当たり、法華講総講頭・柳沢喜惣次殿、大講頭各位、各法華講支部講頭各位、法華講連合会各役員の方々ならびに一般信徒の皆様、さらに遠く海外各国よりの信徒方々には多数参詣せられ、まことに有り難く存ずるものであります。この大法要のなかで。今夕は御報恩のため、御書講を奉修する次第であります。

ただいま拝読の御書は、通称『上野殿御返事』と申しますが、また古来『竜門御書』とも称しております。弘安2年1月6日、身延におわしました宗祖大聖人様より上野郷主・南条七郎次郎時光殿に与えられた御書であります。この御書は当総本山に古来、格護されてあり、明日の御真翰巻き返しの折りにも御披露いたすところであります。本夕はこの御書の御意につき、少々申し上げたいと存じます。


1.御書の背景(熱原の法難)

この御書の意義は一にかかってあの熱原の法難という大事が、その背景になっております。すなわち正嘉2年に大聖人様が日本国土に打ち続く天変地夭の災難に対する経釈の明文を御確認のため、岩本実相寺にお入りになって一切経を閲覧あそばされました。その時、この寺に修行していた学僧の伯耆公、すなわち日興上人が大聖人の弟子となって以来、駿河国東部方面の方軌をそのまま受け継がれて弘教に挺身し、文永11年ごろより建治元年に至り、特に富士郡下方の圧熱原滝泉寺の寺僧であった下野房日秀師・越後房日弁師・少輔日禅師等を教化し、これによって在家の者の入信者も多く、この地方に妙法の唱えが疾風の如く伝わったのであります。

滝泉寺の院主代・行智は元々無頼のにわか道心者であり、法華信者の増加による利害関係より強い怨嫉を生じその他の謗法者と示し合わせて、あらゆる迫害を次第に強めました。そしてついに弘安2年9月21日、日秀師の田地の稲刈りに多くの信徒が志しをもって手伝いをしたのを待ち受けた行智らは、熱原神四郎の兄で念仏者・弥藤次という者の訴えとともに、政所代の役人をも入れた多数をもって押し包み、乱闘の末、信徒20人を捕縛し、あらゆる嘘の罪名をでっち上げて鎌倉へ送ったのであります。かくして20人は牢獄にいること20日余り、その間も種々、信仰改変の強圧があったと思われますが、その最後の10月15日、取り調べの頭領・平左衛門尉頼綱は20人を牢より引き出し、念仏への転宗を命じ、蟇目(ひきめ)の矢をもって射るなど様々に威嚇し、転宗を迫りました。

しかし一同は泰然自若として、この不当な命令には従いません。ついに業を煮やした頼綱は、張本と見なした神四郎・弥五郎・弥六郎の3人を、この日、直ちに斬首の刑に処したのであります。この15日に斬首の刑が行われたことは、この顛末を聞こしめされた身延の大聖人様より、鎌倉におられる日興上人等へ宛てられた10月17日状「聖人等御返事」の文により明らかに拝推されます。歪んだ邪教と曲がった政治権力により、問答無用の残虐極まる処刑が、ここに公然と行われたのであります。

この「上野賢人御書」は15日の処刑よりわずか21日の後の御書であり、まさにこの法難によって神四郎・弥五郎・弥六郎の三烈士が法華経の信仰に尊い命を捧げた事実を御高覧あそばされた大聖人様が、信応上、富士方面の門下の筆頭とも言うべき関係にあった南条時光へ、三世にわたる法華経の成仏のための不惜身命の信力・行力を賞し給うとともに、さらにもって難に当たるべきを御指南あそばされたものと拝せられます。


2.仏と成る道の厳しいこと

さて、先程拝読いたした御書では、その冒頭から仏と成る道の厳しいことについて、2つの事例を挙げられております。

 a. 登竜門

その1つは、唐土にある竜門の滝のことが示されてあります。この滝は「たかきこと十文」とありますから30mほどであり、水の下る速さは強い兵の放つ矢よりも速く、この滝へ多くの鮒(ふな)が登ろうとし、もし登ることができるならば竜になるけれども、百千に一つ、万に一つも、また10年、20年に一匹も上がることはないと言われております。まして自力で上がることがほとんど不可能であるのみならず、登ろうとする魚に対し、あらゆる鳥や漁人が待ち構えてこれを捕らえる故に、登ることはますます難しく、したがって魚が竜になることは全くありえないとの譬えであります。

 b. 源平の昇殿

次は、源平二家の武士について示されております。その武士達は本来、殿上を許されぬ地下の者でありますから、殿上人になることは全く難しいことを、まず挙げられました。しかるに特別な事例として、平氏では貞盛がかつて逆賊の平将門を打ち滅ぼす大功を立てたけれども昇殿を許されず、その子正盛もまた叶いませんでした。しかし、さらにその子忠盛の時に歴代の大功・忠節が嘉(よみ)されて昇殿を許されたこと、したがってその子清盛や重盛は自由に殿上を行き来することのできる身となったのみならず、さらに「月をうみ、日をいだく」身になったと示されております。この「月をうみ」とは清盛の第2女が高倉天皇の后となり建礼門院と号したことを仰せであります。また「日をいだく」とは高倉天皇と建礼門院の間の御子が安徳天皇となり、清盛はその天子の祖父に当たる故に、かく仰せられたのであります。


次いで仏と成る道は以上の例のとおり、魚が竜門の滝を登って竜となり、また地下の者が殿上人となる如く、非常に難儀であることを仏法の上から示されます。

 c. 身子の退転

その成仏が難しい仏法の事例として、まず身子すなわち舎利弗が六十刧の菩薩の行のうち布施行を行じたところ、婆羅門の魔が現れて布施行の現証として眼を乞われました。舎利弗はやむなく自らの眼をくじり抜いて渡したところが、婆羅門はその眼を大地に叩きつけ、足で踏みにじりました。このあまりの無残さに舎利弗は暗然落胆に極みに達し、ついに菩薩行を退転して声聞の道、いわゆる自調自度の二乗に墜したのであります。

 d. 大通結縁の第二・第三類

また法華経化城喩品にに説かれる三千塵点劫の昔、大通智勝如来の法華経の化導による十六沙弥の法華経覆講のなかで、釈迦牟尼仏はその沙弥の1人でありましたが、大通仏より授けられた法華経を覆講し、多くの衆生に下種をいたしました。しかるに、それを聞きつつも信に徹底できないため、退転して六道を巡り今日の法華経の化導にまで至った者、またさらには本門寿量品の五百塵点劫における、いにしえの化導の下種よりも退転して今日までの長い間、生死の苦しみに沈んだ者もあることを挙げられております。

これは何の原因によるかと言えば、大正法たる法華経を修行する者には、必ず第六天の魔王その他の魔の眷属が大権力者や親兄弟の身に入り、内より外よりあらゆる妨害を行う故に、菩提心の弱い者は難に恐れて法華経より退転するに至ります。その結果、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天の迷いのなかをつぶさに流転し、あらゆる苦を受けるのであり、これは法華経の三世にわたる因果果報の衆生の実相として経文に明かであります。


3.「我不愛身命 但惜無上道」の大願を起こすべきこと

しかしながら、大聖人様の仰せは、それがけっして他人のこと、あるいは単に教えの上のことのみでないことを厳然と示されます。すなわち好むと好まざるにかかわらず、一切衆生の一々が直面しつつあって免れないのが生死ということであるとともに、その生死の苦しみを根本的に解決すべき道は日本第一の法華経の行者たる日蓮が弟子檀那の修業にかかっているのである意義を示し給うのであります。この道理より「願わくば我が弟子等、大願ををこせ」すなわち、「我不愛身命 但惜無上道」(法華経377ページ)の大願を起こせと仰せられたのであります。

次にその現実上、大願を起こさねばならない理由として生死の苦しみを解決する道は、永遠無上の大法たる法華経を根本として生死を越えるほか正しい解決はありえず、それについて「去年(こぞ)一昨年」すなわち建治3年より弘安元年にかけての大疫病が流行し多くの人が死んだけれども、そのなかにも入らず生き残った者達、また蒙古の襲来が将来あった時において、はたして命が助かるという保証は全くないことを指摘せられ、ともかく種々の災難等をも含め、寿命に限りあるなかで人は必ず死なねばならない、死は一定、決まっているのである。故に、いたずらに死を恐れて三世にわたる平等と救済の大法たる法華経に傷を付けてはならないとの意が拝せられます。

これはその21日前に、神四郎等の三烈士が法華経の正しい信心を守るために壮絶な殉教を遂げたことを鑑み給い、その尊い信心こそ現当二世の成仏の手本である故に、不惜身命の大願を起こせとの御指南であると拝されるのであります。したがって、次に、「をなじくはかりにも法華経のゆへに命をすてよ」と仰せであります。まことに臆病者、あるいは目前の利益のみに走る者にとっては肝を消すようなお言葉ですが、御本仏の御指南として我々は深く、たじろかず、このお言葉をお受けすべきであります。

けだし、末法の凡夫は心浅薄であり、決定心がないことではあるが「かりにも」すなわちほんの一時の気まぐれのような気持ちであっても法華経という法界に遍く充つるところの十界皆成仏の妙経に命を捨てることは、神四郎等の信心の如く大功徳であるぞとの激励であります。そしてこのことは、あたかも「つゆを大海にあつらへ」つまり小さな露も大きな海に託せばその広大な徳に入る如く、また「ちりを大地にうずむとをもへ」とは小さな塵も大地にうずまってその甚大な徳の一分となる如く、法華経の大海、大地に我らの小さい生死を入れて、大いなる仏の功徳となることを思えという意義と言葉をもって、この便りを結ばれたのであります。

そして末尾には、化城喩品において諸々の梵天が大通智勝仏を供養賛嘆するなかの文を引かれて、法華の受持信仰の広大な意義を充足されました。すなわち「願はくは此の功徳をもって普(あまね)く一切に及ぼし、我等と衆生と皆共に仏道を成ぜん」との文は、法華経が法界全体を一丸とする平等無差別十界皆成の教えであることを示されてありますから、すべての人が必ず死する命を、かりにも法華経のために捨てるならば、必ず自他共に大きな成仏の功徳を成ずるとの意を、この文によって最後に証されたのであります。

以上で当御書の御文が終わりますが、次にこの書の宛名の文字について少々触れます。


4.上野賢人号について

この宛名は実にた他のあらゆる弟子檀那へ与えられた御書に類例を見ないのであり、それは上野殿に対し「上野賢人殿御返事」つまり賢い人と記されておることであります。しかしこの時、上野殿すなわち南条七郎次郎時光殿は、年歯わずか21歳であります。いかに信仰強き上野の地頭とはいえ、21歳の若者に対し「賢人」の呼称を与えられることは、時光殿の信仰と人柄が大聖人様の御眼より御覧になって、いかに優れておられたかが拝されるのであります。

しかも、この御真蹟の文字をよく拝しますと、この「賢人」の賢という字は、実は大聖人様が書き直された跡が歴然としておるのです。つまり大聖人様は一旦「上野聖人」、「賢」の字ではなく「聖」という字をお書きになって、そののちに聖を賢の字に改め給うた墨の跡が拝せられるのであります。これは大聖人様のお心において、南条時光殿は法華経を守り継ぐべき最大の信力・行力を持つ信者の模範として映ぜられたことから一旦は「上野聖人」と書かれながら、時光殿が年歯21歳の若さであることに思い直され、聖の字の上をなぞられて賢の字に書き変えられた如くであります。

このように時光殿を深く信頼あそばされた具体的事例として、この書の最後尾の追伸の文、すなわち「此はあつわらの事のありがたさに申す御返事なり」の文に熱原の法難に関連する時光殿の、この間の苦心の尽力が明らかに拝されるのであります。時光殿は熱原の法難に当たり法華信仰の僧俗が受けた種々の災難を、背後より種々心を砕いて援助されましたが、当然これによって謗法の者より、怨嫉され、自身もこの時より、さらに後にわたって多くの難を被ったのであります。

これは、この法難の余波とともに弘安3年〜4年にまで続いたことが弘安3年7月2日状、同年12月27日状の上野宛ての御書に明かであります。したがって、この法難勃発当時の時光殿が、あらゆる難をも顧みず命懸けの援護奔走をされたことを、「此はあつわらの事のありがたさに申す御変地なり」と感謝・激励あそばされたものであります。ひるがえって、この書の冒頭に竜門の滝の例を引き給うのは、成仏の難きを、時光殿の強い信心によるならば必ず成仏するであろうことを、この文と「賢人殿」という呼称に顕されていると拝すべきであります。

以上、まことにあらあらこの御書について申し上げた次第でありますが、我々は宗門永遠の信心の鑑である熱原の三烈士と南条時光殿の不退転の信行をさらに肝に銘じ、いよいよ不自惜身命の修行に邁進することが肝要と存じます。


5.潤井川に「龍門橋」が完成(宗旨建立750年慶祝記念事業)

ここで最後に、蛇足ながら申し述べたいことは、このたび当山山門前を通る国道469号線の付け替え工事と、その道の上における潤井川の架橋工事が完成し、去る3月25日にその開通式が行われました。この付け替え工事は、総本山における過去以来の種々の事業に関連した用地の法律上の整備が必要であったことから、その実現を考えていたことであり、実に20年来の懸案でありました。なかなかの難事業で多くの問題があり、けっして一朝一夕に出来る仕事ではなかったのであります。

しかるに、ようやく時至り、先般の宗祖大聖人宗旨建立750年慶祝記念事業の一環として、鋭意その実現の努力を重ねてまいりました。そしてこのたび種々の複雑な問題もことごとく整理され、めでたく開通の運びになりました。これも結局は宗内僧俗の宗旨建立750年の大事業への真心の御供養によるものであります。この開通は皆様の護法の志によって成就したものであることを、ここに申し述べる次第であります。

そしてこの開通と架橋により、まことに通りやすい道として公共の用に共するとともに、用地公園化と庭園造成も行われつつあり、特にその整備による見事な見晴らしの景観が生まれました。そのなかで従来、隠れていた2つの「大石滝」がはっきり現れ、橋の上からも展望できるようになりました。この滝は、高さ約10メートルであり、十丈・30mの唐土竜門の滝には及びませんが、2本の滝が揃っております。

そこで、総本山に格護する大聖人様御真蹟の『竜門御書』とその冒頭に示される竜門の滝のこと、さらにこの書が総本山開創の大檀那である南条時光殿へ賜った書であることにちなみ、このたびはっきり現れた2つの滝との関連的な意義の上から、その下流に当たる今回の新しい橋を「龍門橋」と名づけたのであります。

さらには、これからも総本山へ仏道修行に参られる信徒の皆様が、大聖人様の御指南に基づき、各々の願いたる生死一大事の根本解決を強い妙法の信心をもって乗り越えられるためにも、その道程にある新しい橋を「龍門橋」と名づけることが妥当と思う次第であります。

以上、今回の道路開通と龍門橋について申し上げましたが、これはまことに隆々たる宗門発展の相と思うものであります。本年度の命題である「僧俗前進の年」に当たり、皆様方のいよいよの御信心を自行化他の倍増を祈り、本日はこれをもって失礼いたします。




御法主上人猊下御言葉
4月度広布唱題会の砌


本朝は、例月の第一日曜日に行われる広布唱題行に当たり、近郷近在の方々も参詣されておるようでありますが、また、全国の各寺院の支部総登山で御登山の方々もお見えになっておるやに見受けられます。まことに大勢の方々がここに御参詣になり、ただいまは相共に、「日蓮がたましひ(魂)をすみ(墨)にそめながしてかきて候ぞ、信じさせ給へ」(御書 685ページ)と仰せあそばされた大御本尊様に向かい奉り、1時間の唱題行を真剣に執り行った次第であります。

大聖人様の御一期(いちご)の御化導は、ことごとく本門戒壇の大御本尊様をお顕しあそばすためのお振る舞いであらせられました。そこには、なんぴとも読むことのできない法華経の文々句々の重大な修行のお振る舞いが示されてあります。釈尊が二千余年の当初(そのかみ)、法華経を説き置かせられたのち、その文々句々をことごとく正しく読まれた方は一人もいなかったのであります。特に、法華経の弘通のために「数数見擯出(さくさっけんひんずい)」「流罪・死罪」等の経文を身に当ててお読みあそばされ、その妙法の実証体験をあそばされて、いかなることがあろうとも妙法を受持するところに真の成仏の道があるということをはっきりと示されたのであります。その究極が本門の三大秘法の随一たる本門戒壇の大御本尊様であります。

唱題会

客殿の御本尊について

その大聖人様から唯授一人の血脈をもって正法を受けられた日興上人様が、この大石寺を建立あそばされた時に書写なされたところの譲座御本尊、その御彫刻がこの客殿に安置まします御本尊であります。

この御本尊様は通常の日興上人の御本尊様と違っておるところがあります。それは御書写あそばされた日興上人の御名と御花押が、中央の「日蓮」という御名の右側に書かれてあることです。それと同時に中央の「日蓮」の御名の左に「日目授与之」ということが示されてあります。すなわち、大石寺の建立の時には、日目上人は既に日興上人から次の御法主として血脈相承の大法を受けられた、その印としてここに示されておるのであります。

したがって、日目上人以来の代々の上人は必ず「日蓮在御判」の左に御名をお書きあそばされるという、御本尊の上からの相伝が拝せられます。その意味からも、一番根本の大石寺が世界広布の根本の大道場であるとともに、その根本をなすところの日興上人から日目上人への御付嘱の法体を顕し給うのがこの譲座御本尊、つまり座を譲るという意味での譲座御本尊と、古来、称されておるのであります。

このように、大聖人様の御魂たる御本尊様を正しく拝し奉ることが、この日蓮正宗の相伝の仏法であり、それがないところが身延派その他の日蓮宗であります。そこでは御本尊が色々なのです。あるときは仏像を、あるときは鬼子母神を、あるときは清正公その他、様々な大漫荼羅を安置するところもあります。けれども、その大漫荼羅は相伝のない御本尊ですからまことに狂っております。

南無妙法蓮華経の下の「日蓮」の御名をなくしてしまって、書写者が自分の名前を書いておる例がほとんどであります。そのような面からも、また、あらゆる面で御本尊が間違っておるが故にお題目の功徳がありませんし、その功徳自体が解りません。これが、今日、我が日蓮正宗のみが正法広宣流布の上からの尊い信心をもって、毎月の第1日曜日に広宣流布のための唱題行を執り行っておる所以(ゆえん)であります。我々が迷いの命のなかから本当の正しい凡夫即極の功徳を成就するところに、妙法を受持信行する唱題行の功徳が存するのであります。


心の実体は妙法

我々の心は非常に定めないものであります。ですから、その日、その時によって色々な心が起こって、いったい、どれが本当の自分の心か判らない人もあります。そのようななかで非常に迷いに迷って、生活のなかで不幸な形を表していく姿が実に多いのであります。

昔の歌で、「心にも/及ばぬものは/何かあると/心に問えば/心なりけり」という歌があります。我々の心というものは、実に不可思議であります。しかもその不可思議なことは、いつも迷いから迷いへと転じておるような、すなわち、どれが本当の自分か判らないような姿があり、これは世間の謗法の人達のなかには特に多いのであります。その心を正しく見るというところに、我々の仏道修行の真実の目的があります。心を正しく見るならば、おのずとその振る舞い・行業・生活のなかの功徳ははっきりと顕れてまいります。

我々の心とはいったいなんでしょう。その実体はすなわち「日蓮がたましひをすみにそめながしてかきて候ぞ」と仰せあそばされた南無妙法蓮華経であります。我々は南無妙法蓮華経を仏様の御当体として、法として拝しておりますけれども、それはそのまま我々の心の実体なのです。ですから、我々の心の本質・本体・実体がそのまま南無妙法蓮華経であるということをはっきり知るならば、毎日の修行において、お題目を唱えることは絶対に必要なのであります。そうでなければ、我々の心は次から次へととめどなく狂いだして、不幸な状態を醸し出していくということが存するからであります。

皆様には、毎日の生活自体が妙法であり、そのなかに不思議な功徳が存するということをしっかりと肝(はら)に入れていただきたいと思います。

妙楽大師という方が「十不二門」という法門において、法華経の妙法と妙という内容について述べておられますが、そのなかに「内外(ないげ)不二門」ということがあります。内は「うち」外は「そと」です。我々の命のなかの主観的な心、これが内とするならば、その外(そと)において認識するあらゆるものは皆、外(げ)であります。あるいはまた、皆さん方の一軒の家を単位といたしますと、皆さん方の家を内とするならば、そのほかのあらゆる家庭その他はすべて外であります。このように、あらゆるところに内と外はありますけれども、日蓮正宗の信仰において正しく信心修行するところに、内の功徳がそのまま外にはっきりと顕れるのです。私は、皆さん方の一人ひとりの生活のなかに、このことが顕れてくるということを確信するものであります。


妙法と法界

さて、これは何回も言うことですけれども、総本山には桜がたくさんあり、特にソメイヨシノが非常に多く植えられております。しかし、本年はまだほとんどの桜がつぼみの状態であります。今年は例年よりわずかに遅れておる意味もあると思いますので、4月の9日か10日ごろが満開になると思うのであります。

毎年、総本山の桜の満開の時期は、だいたい4月の6日・7日〜10日ごろまでの間なのです。このことは判子で押したように、だいたい決まっておることなのです。ところが不思議なことに、宗旨建立750年の年、いわゆる平成14年の3月28日に、大聖人様の御内証の上からの宗旨建立の意義あるによって、この日、「開宣大法要」を執り行いました。その日がまさしく全山の桜の完全な満開日だったのです。

このようなことはありえないのです。その前年はおろか、そのずっと前の年もそのあとの年も、つまり平成15・16年と全部、4月に入ってから満開になったのですが、とにかく、あの年だけが3月28日に満開となったのです。これは不思議といえば不思議であり、不思議でないといえば「そんなことは偶然だ」と思う人もあるかも知れませんが、私は、ここに日蓮正宗が打って一丸となって大聖人様の内証宗旨建立の意義に対して御報恩申し上げるための3月28日の開宣大法要が行われたことにおいて、天地がこれに感応して、総本山全体の桜が満開となったのであるということを信ずるものであります。

これは1つの例でありますが、皆様方一人ひとりの生活のなかで、皆様方が正しい信心をもって「我が心すなわち妙法なり」という確信のもとに唱題行を続けられるところに、内と外との不思議な関連のなかでの生活、あるいは会社のなかなどで不思議の意義を体験しつつ、その功徳が必ず成就されていくということを確信していただきたいのであります。

また、その確信があるところ「流溢(りゅういつ)」の意義をもって、言わず、語らず、言われなくとも、皆様方が因縁のある人を折伏していくという、仏法の功徳をしっかり説いていくところの行業が表れると思うのであります。その意味において「平成21年・『立正安国論』正義顕揚750年」に向かって、僧俗一致和合団結してのいよいよの自行化他の増進を図ってまいりたいと存ずる次第であります。皆様方のいよいよの御精進を心からお祈り申し上げます。


※この原稿は昭倫寺支部の若山さんの御協力で掲載致しました。




信行を磨く
『口業成就で得られる歓喜』 高野法雄御尊師


昨今の大災害や悲惨な事件を見聞するにつけ心を痛め、これらのことがいつ自身に降りかかるかも知れない不安、一向に回復しない景気から、仕事におけるストレス、世代間の断絶から家庭での孤立等々、こうした不安から逃れるためか、「癒し」という言葉がもてはやされているようです。

現在の世相を見れば、「癒し」が求められているのも頷けるし、一時の安堵も必要ではあるでしょう。しかし、商業的に提供される癒しに乗せられて、現実逃避に陥ったり、意志が弱められたりすることがないかを危惧します。特に若年層には厳しい現実に対応して、それらを克服する、自己の惰弱さに打ち勝つ克巳心が求められます。

『四菩薩造立抄』に、「総じて日蓮が弟子と云って法華経を修行せん人々は日蓮が如くにし候へ」(御書1370ページ)と仰せです。この御文「日蓮が如く」と御教示ですが、何事においても習熟すには真似るところから入ります。何を真似るかというと、まずは、形を真似る。形を真似ることは表面的なようであっても、その実、心を得ていくことにその本意があります。大聖人の御在世当時、人々から生き仏のように崇められいた良観等は、形はいかに高僧のように見せても、その心には悪鬼が住み着いていたのです。大聖人はあくまでも仏の金言、経文によって正邪・浅深を判釈され、妙法蓮華経を即身成仏の唯一の直道と示されました。

では、法華講の信心を受け継ぐ私たち「日蓮の如く」の御文を、どのように拝すべきでしょうか。まずは大聖人の御化導を拝し、その御化導に随順することが肝要であります。『四条金御殿御返事』の「日蓮は少(わか)きより今生のいのりなし。只仏にならんとをもふ計りなり」(同1179ページ)との御教示を拝するとき、御本仏の一切衆生を救済せんとの、まことに有り難い大慈大悲を知ることができます。この大慈大悲の一分なりとも体得し『立正安国論』に示される破邪顕正・折伏に精進することが大聖人の御化導に随順することといえるのです。

また、大聖人の御化導を正しく拝するには、師弟相対の信心が不可欠です。日興上人が大聖人にお仕えした行体行儀、日興上人の御指南を受けて正統流布に励まれた法華講衆の信心にを鑑とすべきです。今、法華講衆として信心に励まれる方々はすべて、僧俗が築いてきた尊い歴史を今日に受け継ぎ、伝えいく使命があるのです。

5月末から始まる法華講夏期講習会は、戒壇の大御本尊在す総本山で、御法主日顕上人猊下から直々に御講義を戴けるのですから、私たちの信心を増進させる最高の機会であります。進んで参加されることを願ってやみません。


御法主日顕上人猊下は、常々、身口意の三業にわたる勤行の姿勢を御指南されます。

「大聖人様が、『口業の功徳を成就せり』(同115ページ)ということを御指南のとおり、お題目の広大な功徳がどれほどかは判らないけれども、お題目を口で唱えていくことによって、自分自身の身にきちんとした信心が自然に成就し、いわゆる『出離の人と成るなり』(同ページ)という大聖人様の御指南のとおりになるのであります。ですから、口が一番大事だと思うのです」(大日蓮706号)

また、本年1月3日の唱題行の砌には、私たちの常識とはかけ離れた仏法の深さ広さの上からの、ありとあらゆる功徳が篭もっている大御本尊の御威光を御指南されました折り、健康面でも、

「手をきちんと合わせて、身体の背筋を正して胸を張って、そして顔を上げて御本尊様を拝する。この姿勢で何分でも何十分でも唱題を行っていくことが大切でありますが、これに勝る健康法はないと、私は思うのです」(大白法662号

と御指南です。勤行・唱題のときに、仏様に相対峙しているとの緊張感をもって正座してますか。唱題中に俯いたり、何かを呟いているような声でしてませんか。決して大声を張り上げる必要はありませんが、はっきりとした口調で清々しく朗々と唱題をしなさいと教えられおります。そのためには姿勢を正し、心を御本尊の一点に留めなければなりません。

口業を正すことは身業を正し、意業を正すことでもあります。世の中には口ばかりが達者で心のない人、言っていることと、なすことが違っている人を多く見かけます。信心の上からは、御題目を唱えていても口先だけで、他の本尊を拝む人や、心を大聖人以外に寄せている人などがいるかもしれません。このような人々は、正しい口業を修することはできません。正法を受持する私たちに対する御法主上人猊下のこの御指南は、唱題の声の中に私たちの信心姿勢がはっきりと現れているとの厳しい御言葉でもあります。

しかし、大聖人の御化導に倣う、日興上人がお仕えしたお姿に倣うことを考えたならば、今日の私たちの環境がどれほど恵まれていることか。ましてや、信心を成就させて「出離の人と成る」ことができるのでありますから、そこには大いなる歓喜が伴うのであります。鍛えることなくして強い体、意志を養うことはできないように、厳しさの経験なくして円満な人格は形成されないといえるのです。

昨年の12月の広布唱題行における御法主上人猊下の、

「心を定めて御本尊様に向かい、目ははっきりと御本尊の『南無妙法蓮華経』を拝しつつお題目を唱えると、いつの間にか雑念が去って、そこに仏様の大慈悲によるところの大きな境界が、皆様方一人ひとりの命のなかに湧いてくるのであります」(同659号)

との御指南を実践することが大事です。

「癒す」という言葉は、癒されることを期待する、自分自身の外に何かを求める姿勢が感じられます。成仏という人生最高の境界を得る方途を知らない世間の人は、一時の安楽を求め、その永続を願うだけしかできません。しかし、妙法を受持する私たちは、唱題によって得られる生き生きとした命において、自ら苦しみを安楽に変えることができるのです。そればかりではなく、折伏をすることによって自身もまた他の人とも、共に大きな喜びの境界が得られるのです。これこそまさに、「大歓喜の中の大歓喜」(御書1801ページ)であります。「僧俗前進の年」の本年の要は、真剣な唱題のもと、現代の一凶たる創価学会をはじめとするあらゆる邪義謗法の破折にあります。

さあ、折伏の実践をもって、共々歓喜の人生を歩んでまいりましょう。




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