<5〜8面>
御一行は、6日午後0時8分に全日空2便で成田国際空港から御出発あそばされた。米国ワシントンDCで時差調整のため一泊され、翌朝ブラジルヘ向けて再び飛行機に乗られた。御一行は、サンパウロ・グアルーリョス国際空港に、ブラジル時間の7日午後10時32分に御到着。入国手続きを終えられた後、ホテルに向かわれた(日本との時差は12時間)
好天に恵まれた9日、御法主上人猊下には、午後1時15分、ブラジルならびに他の南米各地からの信徒がお出迎え申し上げるなかを正法寺に御機嫌麗しく御到着。早速、正面玄関の山号額・寺号額の除幕式に臨まれた。続いて、初代住職に任ぜられた須藤信大御尊師、御僧侶、信徒各代表、寺族の順に親しく御目通りを許された。
定刻の午後2時より、御法主上人猊下大導師のもと法要が開始された。小林理事補による御本尊御開扉、藤本御尊能化による献膳の儀に続き、読経・慶讃文奉読
・唱題と如法に奉修された。この後、御法主上人猊下より、「真実の法たる法華経受持には予証のごとく必ず三類の強敵の出現があるが経文の予証そのままに身に当てて実践され妙法の真髄たる大人格を顕された方が日蓮大聖人である。また『難をのがれん』との日蓮大聖人の大宣言もあり、それは今日、世界的規模において現実の証拠として表れている。今後、難を受けることがあるかも知れないが正義に向かう敵はないのである、強い信心を持って前進するように(趣意)」との甚深の御言葉を賜った。
式の部に移り、アデマール・トシマサ・カジタ講頭より経過報告があった。次いで藤本御尊能化の祝辞、尾林海外部長の祝辞(秋元渉外部長による代読)、須藤住職の丁重なる謝辞をもって閉式した。引き続きアブリンク財団(青少年の人権保護・社会参加を推進する福祉団体)への寄付金目録贈呈が行われた。
この後、御法主上人猊下には、正法寺前庭にて「イッペィ」の木のお手植えをなされた。再び本堂にお出ましになられて記念撮影が行われ、正法寺落慶入仏法要の一切の行事が終了した。
翌10日は開道山正法寺建立慶祝法要が行われた。開式の辞が述べられ、定刻の午後2時に御法主上人猊下が御出仕あそばされ、献膳の儀・読経・唱題と奉修された。この後、御法主上人猊下より、「善」と「悪」について十善・十悪を引いて御指南あそばされ、行学の二道に励むようにとの甚深の御言葉を賜った。式の部ではアデマール講頭による経過報告、藤本御尊能化、海外部長の祝辞(秋元渉外部長代読)、住職謝辞が述べられ、慶祝法要は終了した。2日間にわたる落慶入仏法要並びに建立慶祝法要には、併せておよそ700名の信徒が参列して、御法主上人猊下のもと奉修された法莚(ほうえん)に連なった。
建立慶祝法要を終えられ、サンパウロ市内のホテルに戻られた御法主上人猊下は、午後6時35分より同ホテル内の会場で催された「正法寺落慶入仏法要記念祝賀会」に御臨席あそばされた。祝賀会は、初めに御法主上人猊下より御言葉を賜った後、藤本御尊能化より祝辞が述べられ、秋元渉外部長の発声で乾杯。さらに、かつて一乗寺住職を務められた阿部庶務部副部長の祝辞があった。続いて、大草大講頭、大和正二ブラジル法華講協会第一副理事長から祝辞があり、祝電の披露も行われた。また、来賓のジェイ・カルマン弁護士は、共に任務を遂行したブラジルの弁護士を紹介し、挨拶を述べた。続いて現地信徒により、この日を迎えた喜びに溢れるサンバが舞台狭しと繰り広げられた。さらに、少年部によるダンス、コーラス、カポエイラ(ブラジル古来の格闘技を起源とする音楽を伴う儀礼的スポーツ)等もあり、しめくくりとしてコーラスが日本語による「地涌讃徳」を歌い上げた。最後に須藤住職より謝辞が述べられ、午後9時半に祝賀会は終了。名残を惜しみながら散会となった。
こうしてブラジルでの一切の行事をつつがなく終えられた御法主上人狼下御一行は、11日午前9時にサンパウロを発たれ、ワシントンDCに立ち寄られた後、14日午後2時35分(日本時間)、成田国際空港に御到着あそばされた。
正法寺は、ビルの建ち並ぶサンパウロ市中心地より車で約15分の住宅街の一角にある。このたびの御親修によりブラジルにおける正義顕揚の真のスタートを切った僧俗は、喜びに燃え、正法広布を力強く誓っている。
皆様、こんにちは。このたび、当ブラジル国サンパウロ市における日蓮正宗開道山正法寺の建立により、その落慶入仏法要奉修のため、お伺いいたしました日顕でございます。皆様、本日は本当におめでとうございます。そして、当ブラジル国における日蓮正宗信徒皆様のはつらつたるお元気な姿に接し、心から喜ぶものであります。
長い間の冬の寒さが春となり、活動と忍苦の夏を過ごし、さらにその努力の結果として稔(みの)りの秋を迎えた喜びこそ、本日の落慶入仏法要に対する皆様方ブラジル国日蓮正宗信徒の心境であると思います。ここに至るまで、長い間の苦難の道を通して、たゆまざる御精進、本当に御苦労様でございました。
宗門の援助と信徒皆様の厚い護法の志により、このような立派な正法弘通の道場が建立されたことは、ひとえに本門戒壇の大御本尊様、本仏日蓮大聖人様の御加護と御照覧の賜物であり、皆様の強盛不屈の信心を御嘉賞あそばされることと確信いたします。この正法寺建立は、さらに未来において日蓮大聖人の大仏法がこの国に弘まり、多くの人々がその功徳によって真の幸福を得て、国家社会の平和と繁栄に貢献することを確信するものであります。
しかし法華経には、大権力者を含めた俗人と僧侶と高僧という三類の強敵が現れ、仏に対し悪口罵詈、刀や杖の迫害、流罪・死罪等を行うことが予言されており、これを身に当てて実践し、妙法の真髄たる大人格を顕された方こそ日蓮大聖人であります。
経文の予証をそのままに起こった、これらの諸々の大難のなかで最大の難は、なんらの罪もない大聖人様を刑場において頸を切ろうとしたことであります。泰然自若として頸の座に座られた大聖人様に対し、斬首の役人がまさに刃(やいば)を振るおうとした時、東南より西北へかけて大光明の物体が出現して太刀取りは眼が眩み、ついに殺すことができなかったのです。
これについては、下種仏法の発迹顕本という重大な法門があり、すなわちこの時、大聖人様は凡夫身の日蓮より久遠元初根本の本仏と顕れ給うたのであります。またこの時、大聖人様の発揮あそばされた法界を一丸とする妙法の大力用(りきゆう)は、御自身の発迹顕本のみならず、滅後末法万年の妙法を受け持つあらゆる人々の、三世にわたる成仏という最大幸福を与えられる本仏の妙徳として確立されたのであります。
そして、大聖人様はその本仏の魂を本門戒壇の大御本尊として顕されました。すなわち末法万年の一切衆生を救い導く、真実の大御本尊であります。その御内証を拝し奉り、唯授一人の相承をもっ書写申し上げる歴代法主の大漫荼羅本尊も、また本仏日蓮大聖人の御魂を宿しまいらせるのであり、この信仰に入られた皆様をお護りくださるのであります。
大聖人は『新尼御前御返事』に末法について、「大火・大水・大風・大疫病・大飢饉・大兵乱等の無量の大災難並びをこり・・・諸人皆死して無間地獄に堕つること雨のごとくしげ(繁)からん時、此の五字の大曼荼羅を身に帯し心に存ぜば、諸王は国を扶(たす)け万民は難をのがれん。乃至後生の大火炎を脱(のが)るべし」(御書764ページ、)と仰せられました。このような救済の大宣言が真実であることは、普通一般の常識では到底、信じ難いことであります。しかし、「道理証文よりも現証にはすぎず」(同874ページ)と仰せのように、これが正しいか否かは、論より証拠、いわゆる現実の証明こそ大切であります。
大聖人様の、この妙法の大漫荼羅を信ずる万民は必ず難を逃れるという本仏の大信念、大確信のお言葉は、実に700年を過ぎた今日において、妙法受持の功徳として判を押す如く、しかも世界的規模において、紛(まが)う方なき現実の証拠として表れております。
すなわち、10年前の日本国の阪神・淡路大震災、奥尻島の大津波、昨年の中越地方の大地震に、日本国内の多くの方々が、お気の毒にも亡くなりました。しかし、それぞれの地における日蓮正宗の信徒は健在であります。また、6年前の台湾中部の大地震による多くの犠牲者のなかで、数千の日蓮正宗信徒の方々においては、ただ一人の犠牲者もなかったのであります。
さらには昨年12月26日、インドネシア・スマトラ島アチェ沖を震源地とする大地震による大津波の被害は、世界災害史上未曽有のことであり、インドネシア・タイ・スリランカ等、周辺諸国の数十万の尊い人命が失われたことは、まことに痛恨の極みであります。私も1月27日よりインドネシアの首都ジャカルタを訪問し、翌28日、インドネシア信徒の方々と共に、心より妙法の功力をもって犠牲者の御冥福を祈り、かつ速やかな災害よりの復興を願い、応分のお見舞いを同国政府の方に呈した次第であります。
そして、インドネシア国における災害犠牲者は30万人以上と言われておりますが、その国における我が日蓮正宗信徒も数十万人と言われております。そのなかで犠牲者は、いったい何人出たでありましょうか。実に1人も亡くなった方がないという報告がありました。スリランカとタイにも数千人の日蓮正宗信徒がおりますが、この両国も現在のところ、この災害による犠牲者は1人も報告がありません。これまさしく大聖人様の「万民は難をのがれん」との御金言が過去・現在・未来の三世にわたり、十方世界中に遍(あまね)く加護があることの現実の証拠ではありませんか。
すなわち本仏大聖人様の御魂は、妙法を信ずる我々皆様のところに常にましまして、末法万年を通じて妙法受持の衆生を守り給うからであります。大聖人様が白法隠没・闘諍堅固の末法において、妙法受持弘通の先陣を切られてあらゆる大難を超克し、その大難によって妙法の偉大な力用と本仏の開顕をあそばしたことは、我々皆様もまた正しい信心によって三世にわたる最大幸福たる成仏を得る現証であり、その手本をお示しになったことを確信すべきであります。
正法を受持し自行化他するところ、必ず難が来ます。皆様方もこのブラジルに在って、なんらかの難を受けることがあるかも知れません。しかし強い信心をもって前進するところ、利剣をもって瓜を切る如く、正義に向かう敵はありません。大聖人様も、「悪は多けれども一善にかつ事なし」(同1390ページ)と仰せであります。
そして本日は、大聖人様の出世の本懐たる閻浮総与の本門戒壇の大御本尊様の御内証を拝し、書写申し上げた当寺常住板御本尊の入仏法要が奉修されました。皆様には、この立派に建てられ荘厳された寺院に常に参詣せられ、僧俗一致和合していよいよ信行倍増し、妙法功徳の発揚に邁進されることを願うものであります。
終わりに臨み、当寺の隆昌と信徒皆様の御健康と御多幸を祈り、本日の御挨拶といたします。
ブラジル国日蓮正宗正法寺信徒の皆様、本日はまことにおめでとうございます。昨日の当正法寺落慶入仏法要に引き続き、本日も当寺建立慶祝法要を執り行った次第であります。しかるところ、参詣信徒皆様の多数のお元気な姿を拝見し、まことに喜びに堪えません。
思えば、晴れて本日の当寺の開設に至るまで、本当に長い道のりでございました。皆様も、この建立成就を一日千秋の思いで待ち望んでおられたことと拝察いたします。しかしながら、世界唯一の大正法を受持相伝して、一切民衆の真の幸福のため、広布に邁進する我が日蓮正宗の寺院がここに建立されるということは、実に深い意義が存するのであります。すなわち、本仏大聖人様の御法魂が、現実にこの地、この所にわたらせ給うからであります。
すなわち、このたび、末法下種の御本仏宗祖日蓮大聖人様の出世の本懐たる世界第一の本門戒壇の大御本尊様を書写し奉りましたところの常住板御本尊が、当正法寺に入仏される運びになりました。これより、未来に永く宗祖大聖人様の御法魂が当寺にましまして、当ブラジル国の正法広布と、皆様方御信徒の信心修行を御高覧あそばされ、限りな御加護を垂れ給うのであります。まことに喜ばしいかぎりでございます。
この寺院創立の意義は、妙法の広布による国家社会への道徳・道義の貢献と、皆様の真の幸福の増進にあり、これを顕していくためにも異体同心の聖訓を常に忘れないことが大切であります。
また、ただいまの御文の終わりには、悪と善についての御指南があります。悪ということは、一般的に言えば「十悪」と言い、身体に殺生・偸盗・邪淫の3つの悪があり、口に悪口・両舌・妄語・綺語の4つがあり、意に貪・嗔・痴の3つがあります。これらの悪を自分中心の欲望から行うときは、必ず不幸な結果とその報いを受けねばなりません。
これらの悪に対して善とは、一般的には「十悪」に対する「十善」を言います。十善とは、先に述べた十悪を行わないことを、十善のなかの「止善」と言い、さらに積極的に十善を行うことを「行善」と言う仏法上の意義があります。しかし、これらを総じたところに自利利他を志す大乗の菩薩行があり、その最高の教えとしては、一切衆生を成仏せしめ、三世にわたって真の幸福へ導く下種の妙法蓮華経、すなわち日蓮正宗の仏法たる本仏大聖人の三大秘法であり、最も勝れた善の大道であります。
このたび、ブラジルの政府当局におかれては、日蓮正宗が善の大道を歩む、正々堂々たる民衆のための正義の宗教であることを理解していただき、その結果としてこのたびの盛大な法要を奉修することが可能となったのであります。この点からも、当寺の建立と発足の意義は、正法の功徳の実証という点において、まことに深いものがあると思われます。
どうか皆様には、この大慶事が当国における大正法興隆の基となることを確信せられ、いよいよ異体同心の信心を倍増せられたく存じます。そして大聖人様のさらに重大な御教訓たる、「行学の二道をはげみ候べし。行学た(絶)へなば仏法はあるべからず。我もいたし人をも教化候へ。行学は信心よりをこるべく候。力あらば一文一句なりともかたらせ給ふべし」(同668ページ)との御聖訓を心中に納め、常に当寺へ参詣されて行学に励むとともに、縁ある方々に妙法の功徳を説き、悠々堂々と広布へ前進いたされることを心よりお祈りいたします。
以上、一言、本日の祝辞といたします。
昨日および本日において、開道山正法寺の落慶入仏法要がめでたくも盛大に行われ、その祝賀会を開催するに当たり、主催者として一言申し上げます。
遠い道も過ぎ、長い闇から抜け出たような燦然たる光明に輝くこの法要を、心の底から喜んでおられるのが、ここにお集まりの信徒代表の方々および全ブラジル信徒の方々であり、皆様の熱烈な信心と護法の志が、当ブラジル国においての正法流布の見事な、また確実な基礎を築いたのであります。しかし、これからのブラジル広布と正法寺の興隆発展こそ大切であり、これは本日この会場に来られた信徒幹部の皆様の双肩にかかっております。どうか、いよいよの自行化他の御精進を祈り上げます。
思えば、幾多の困難を克服し、当国における日蓮正宗の仏法の布教がここに確立できましたのも、三宝様の御加護はもちろんながら、本日御出席の方々の信心と関係各位の御好意によるものであり、心から深く御礼申し上げるものであります。有り難うございました。また、当ブラジル国におかれても、このたびは快く日蓮正宗の布教の許可を再認くださり、その寛大・公正な御処置に心から感謝いたすものであります。さらに、今夕御出席の方々のなかで、特にアメリカよりのカルマン弁護士、当ブラジル国のアマデウ弁護士、グスタホ弁護士、ベラ弁護士、クラディスマール弁護士、ヘナート弁護士、イジルダ弁護士、および日本より管弁護士には、政府要路の方々が日蓮正宗に対する正当な認識を持たれるために、あらゆる面からの懇切丁寧かつ有効適切な尽力をくだされ、おかげをもってこの慶事に到達することができました。まことに有り難うございました。
言葉は意を尽くしませんが、その他あらゆる方々の陰に陽に種々の御協力、御支援を頂いたことをも併せてここに厚く御礼申し上げます。本夕は、この祝賀の意を込めて御招待申し上げた次第であります。どうか皆様には時間の許すかぎり、ごゆるりと御会食、御歓談願いたいと存じます。以上、簡略ながら御挨拶とさせていただきます。
日蓮正宗総本山67世御法主日顕上人猊下の御親教を仰ぎ奉り、待望の開道山正法寺落慶入仏法要が盛大かつ厳粛に奉修せられ、まことにおめでとうございます。幾多の困難を忍び、かつ乗り越えて、遂に今日の喜びの日を迎えられた皆様方の感激はいかばかりかと、衷心よりお祝いを申し上げる次第であります。なおまた、御法主上人猊下の御親教への困難な道を切り開くために、たいへんな御尽力いただいた関係者の方々に、心から厚く御礼申し上げます。まことにありがとうございました。
大聖人様は「異体同心なれば万事を成じ、同体異心なれば諸事叶ふ事なし」(御書1389ページ)と仰せあそばされております。このたびブラジル御親教は、まさに皆様方の異体同心による真剣な祈りと唱題あって初めて実現したものであり、大聖人様のこの御金言を見事に実証した姿であると思いますが、いかがでしょうか。
末法の御本仏日蓮大聖人の南無妙法蓮華経の大法は、世界中のありとあらゆる民衆を真に救済し、幸せに導くところの唯一の正法であり、今やこの正法が、正法たる実証を示しつつ、着々と世界に広布進展の歩を進めていることは否めない事実であります。
既に皆様御承知のとおいり、宗門の本年度の年間方針は「僧俗前進の年」であります。御親教実現の大きな喜びを契機に、ブラジル国僧俗の皆様には、どうか、いよいよ僧俗和合、異体同心の絆を固め、ブラジル広布に向かって大前進の歩を進め、もってこのたび御法主上人猊下の御慈悲のお応え申し上げていっていただきたいことを、心から念願して止みません。ブラジル日蓮正宗のますますの御進展と皆様方のいよいよの御健勝をお祈り申し上げまして、一言もって御祝辞といたします。
本日はブラジル共和国の中心都市サンパウロ市に、晴れて総本山第67世御法主日顕上人猊下の御下向を仰ぎ奉り、持望久しい開道山正法寺の落慶入仏法要が、ブラジル国内信徒はもとより、近隣諸国からの御信徒の御参詣も得て盛大に奉修され、まことにおめでとうございました。御住職の須藤信大師及び在勤の教師各位、そして正法寺信徒の皆様には、平成13(2001)年10月21日の起工式以来、数多の困難を乗り越えて、今日、生涯に二度とない大きな喜びの日を迎えられ、本当におめでとうございます。
先には御法主日顕上人猊下の広大な御慈悲のもとに、正法寺の新規建立の御裁可と日蓮正宗寺院建設委員会の御賛同をいただき、このたびは幾多の障害を乗り越えて御法主上人猊下の御遠路の御親教を賜り、親(まのあた)りに御目通りできたこの感激は、皆様にとって言葉では言い表すことのできないものがおありのことと存じます。
宗祖大聖人様は、「大事には小瑞(ずい)なし、大悪を(興)これば大善きたる」(御書798ページ)と仰せあそばされて、また、「わざはひも転じて幸(さいわ)ひとなるべし。あひかまえて御信心を出だし此の御本尊に祈念せしめ給へ。何時が成就せざるべき」(御書685ページ)と断言あそばされ、私共僧俗を激励してくださっておられます。しかしながら、このたび御法主上人猊下の御親教の実現は、仏祖三宝尊の御威光と共に、ブラジル共和国の政府の関係者、弁護団の先生方をはじめ、実に多くの方々の御尽力と温かい御理解の賜であります。ここに謹んで御礼申し上げます。
また、連日真剣な御祈念と唱題を続けてこられた御信徒の、異体同心の団結による果報とも拝察申し上げるものであります。どうか本日の開道山正法寺の御親教を契機に、皆様方にはいよいよこの大道場に参詣され、多くの功徳を積まれ、さらなる正法広布に対する渾身の大前進を開始してくださるよう切望して止みません。正法寺のいよいよの興隆発展と、皆様方の御多幸とブラジル共和国の繁栄を衷心よりお祈り申し上げ、祝辞に代えさていただきます。本日はまことにおめでとうございました。
一言御礼を申し上げさせていただきます。 本日は総本山第67世御法主日顕上人猊下におかせられましては御法務極めて御繁忙のなかを、遠路遙々当地にまで御下向を戴き、開道山正法寺の落慶入仏法要に親しく大導師を賜り、信徒一同と共に、衷心より厚く御礼を申し上げたいと思います。御法主上人猊下、まことにありがとうございました。
日蓮正宗前総監・常泉寺御住職藤本日潤御尊能化には、御法務御繁忙のなか当法要に御出席いただきました上、ただ今は丁重な御祝辞をいただき、まことにありがとうございました。宗務院渉外部長・秋元広学御尊師、庶務副部長・阿部信彰御尊師をはじめ有縁の諸大徳、法華講大講頭・大草一男様をはじめとする来賓信徒の方々、寺族の方々には、当地ブラジルはサンパウロにまでお越しいただき、当法要に出席いただき、共々にお祝いいただきますこと、厚く御礼を申し上げます。また、日本・アメリカ・ブラジルの弁護士の先生方にも御出席をいただき、まことにありごとうございました。
本日、種々の困難をはねのけつつがなく落慶入仏法要の盛儀を迎えることができましたのは、遍に仏祖三宝尊の御加護はもとより、御法主上人猊下の御慈悲の賜であり、また、海外部長をはじめ諸先輩方の御指導にによるものと深く感謝申し上げる次第でございます。特にこのたびは、各方面に有効にして適切な対応をしてくださった諸弁護士の方々に対し、この場を借りて心より御礼を申し上げます。
これよりは、本日御入仏戴いた常住御本尊様とこの正法寺を、地元法華講員と共に厳護申し上げ、ブラジル及び南米全土における、さらなる正法流布のために力の限り精進し、もって御法主上人猊下の御慈悲にお応え申し上げる覚悟でございます。皆様方には、何卒今後とも御指導・御鞭撻を賜りますよう、謹んでお願い申し上げます。
最後になりましたが、このたびの法要のため、日夜寝食を忘れてお手伝いいただきました宗務院海外部、渉外部、内事部諸役員、海外関係諸大徳、そして、正法寺法華講員の方々には、この席を借りまして厚く御礼を申し上げます。以上、甚だ粗辞にて意を尽くし得ませんが、一言もって御礼に代えさせていただきます。本日はまことにおめでとうございました。
まず初めに、ブラジルと南米の全信徒を代表いたしまして、謹んで日蓮正宗の御法主日顕上人猊下に、開道山正法寺落慶入仏法要の大導師を賜りましたことを、心より厚く御礼申し上げます。また、藤本日潤御尊能化、海外部長・尾林日至御尊能化に深い感謝の念を表し奉ります。また、様々な形でご協力、ご支援をいただきお世話になりました、多くの御尊師方にも御礼を
申し上げたいと存じます。
さらに、このたびの正法寺落慶入仏法要の奉修を可能にしてくださいました、各方面の方々のご努力、ご精励に対して、感謝申し上げます。カルマン弁護士を中心とする弁護士チーム、グスタホ弁護士、ベラ弁護士、クラウディスマール弁護士、アマデウ弁護士、ヘナート弁護士、イジルダ弁護士が、日本の菅弁護士と共に見事な成果を挙げて、ブラジル及び南米信徒が念願しておりました待望の正法寺開院の条件を可能にしてくださったことに対し、厚くお礼を申し上げます。
私はこの正法寺の信徒代表を務めております。これより、今日の栄えある落慶入仏法要を迎えるまでの経過をご報告申し上げたいと存じます。
1998(平成10)年5月に、仮寺院がカウカイア街に移転して4年以上が経ちました。あの仮寺院での日々、私たちは、新寺院を建立するという大事な目標の達成に向けて、種々な信心活動を展開しながら、十分な準備を進めてまいりました。総本山よりは絶え間ない激励をいただき、また、ご援助を賜って面積2,246m2の土地を購入することもできました。さらに、この正法寺建立のためには、総本山からの援助に加え、正法寺とアングラ・ドス・ヘイス布教所の信徒、並びに南米各国信徒よりの純真な建設御供養がありましたことを、心から深く感謝申し上げる次第でございます。
建設工事開始は2001(平成13)年4月16日。同年10月21日に、建築現場で定礎式を挙行、2003(平成15)年7月27日には上棟式が行われました。そして、2003年11月16日に仮入仏法要を奉修いたしました。
3階建ての寺院の概要を申し上げます。本堂は1階にあります。本堂内部は、70m2に祭壇があり、約350m2は信徒席で、400名が腰掛けられるようになっています。本堂の後方には中2階があり、多人数を収用できる2つの部屋となっています。さらに地下1階には会議室が3室と、9室からなる庫裡があります。本堂前庭には、車12台分の駐車場があり、さらに地下1階には6台が駐車できます。さらに地下2階の駐車場には、16台駐車できます。寺院は建物総面積1,960.23m2で、本堂は約630m2、地下1階が約630m2、地下2階が約360m2となっています。
私たちにとって忘れ難いこの佳き日、ブラジル及び南米各地の信徒がここに参集して、光栄にも御法主日顕上人猊下の大導師のもとに法要を奉修し、荘厳な第一歩を踏み出しました。この一歩が、南米の広宣流布への前進の決定的な第一歩となることを深く自覚して、その歩みをこれからも力強く継続していくことが、私たちの使命であります。私たち正法寺信徒は、この使命を果たしてまいりますことをお誓いいたします。ご清聴ありがとうございました。
今日、我々は機会あるごとに色々な所で唱題行を執り行っておりますが、ここにこそ我々一人ひとりの成仏とともに、未来永劫に向かって正法を正しく広宣流布していく源が存すると思うのであります。「縦使(たとい)、発心真実ならざる者も、正境に縁すれば功徳猶多し(中略)若し正境非ずんば、縦(たとい)妄偽無けれども亦種と成らず」(学林版止観会本上175ページ)という妙楽大師の文があります。このことは当然のことで、御承知の方も多いと思います。初めに信心に入る時には、仏法の上の正しい道に基づいて入信するという方はあまりないかも知れません。
たいていが病気の苦しみや家庭の苦しみ、そのほかなんらかの苦しみを解決するために、正法の話を聞いて入信する方が多いと思います。しかし、どのようなところからでも入信をした時に正境、すなわち正しい御本尊に向かって信心をすれば、そこに必ず功徳があるということであります。そのかわり、もし正境に縁しなかったならば、いかに正しい心をもって宗教に入っても、それはけっして種と成らない、すなわち成仏の種というものを成ずることができないと言われるのであります。このような意味からも正しい仏法を信ずる、いわゆる正境を信ずるということがいかに大切であるかということを、我々は深く考える必要があると思います。
身延派の日蓮宗、あるいは『ニセ本尊』をばらまいておる創価学会、その他ありとあらゆる色々な宗教がありますが、その対境とするところの本尊はなんらかの意味において欠けておるのであります。すなわち大聖人様の御魂魄の入っていない身延派等における本尊は、すべて彼らの誤った形として表れておるのであります。
身延派等において、たまに大慢陀羅を安置しておるような寺院もありますが、「南無妙法蓮華経」の下に「日蓮」と書いていないのです。御本仏大聖人様の御名前以外のものが書いてあります。すなわち日昭とか日朗、あるいはそれ以下の僧侶の名前が「南無妙法蓮華経」の下に書いてあります。これらの形式からだけでも、御本仏大聖人様の魂魄が入っていない本尊であることが明かであります。したがって大慢陀羅と形は似ておっても、そのような本尊はけっして成仏の種にはならないのであります。
それ以外にも、日蓮宗においては雑乱勧請と言いまして、鬼子母神や清正公など様々なものが祀ってあります。東京の雑司ヶ谷の鬼子母神についても、皆さん方も色々と聞いておられるでしょう。日蓮宗の法明寺という寺院に鬼子母神が祀ってあるのです。しかし、そこには大聖人様の御魂は存在しないのであります。
そのような点からも、正境に縁するということが非常に大切なのであり、正境に縁することによって、我々の過去遠々劫以来の謗法罪障を消滅し、そして成仏の宿願を成就するとともに未来永劫に向かっての正法広布の道を、我々自身が開いていくという大きな功徳を成ずるのであります。
目に見える功徳はたくさんあるのです。八万四千の塵労門と言われるように、我々、皆様の一人ひとりの心のなかに八万四千の煩悩があるのです。ですから、八万四千の煩悩が色々な意味において「あれも欲しい、これも欲しい、あれもこうしてもらいたい」というように、様々な形で表れてまいります。そして、その一つひとつについて御利益が少しずつあるでしょう。しかし、それが思うようにならないからといって、根本のところの下種の成仏の功徳が、命の一番奧底の功徳であるということを忘れないでいただきたいのです。「底」というものが一番大事なのです。
例えば壺があるとします。壺の役目は底が一番大切なのです。底がしっかりしておれば、上から色々なものを入れても、また水を入れてもそれらがこぼれないのです。しかし底がぬけておったり、ひびでも入っていたら、水を入れてもどんどん漏れてしまうのであります。つまり壺が壺の役目をしなくなるのです。我々は一番の根本のところをしっかりと成就していく、すなわち成仏の功徳を成就していくことが大切であります。
まさしく我々の信心の功徳は唱題行にある、常に忘れずに唱題行を行っていくところに我々の命の奧に真の功徳が成就し、そこから真の命の力、底からの命の力が顕れてくるのです。そこに自由自在な色々な面からの用きが出てまいります。よって「あれも欲しい、これも欲しいが、御利益が成じないからこの信心はおかしい」とか「退転してしてしまおう」とか「唱題を怠けよう」というようなことは大きな間違いなのであります。
今、宗門は僧俗が真に一致して、唱題行を根本として正しい仏法の広宣流布に向かって進んでおります。このような宗団はほかに全くないのです。世界中を探してもどこにもないのです。このように多くの方が集まって僧俗和合一致の上の唱題行を行いつつ、真の成仏、真の国家社会建設のための浄業を行っておるのは我が日蓮正宗のみであります。
皆様方には、正法に縁せられことをさらに深く考えられて、いよいよ正法護持修行に御精進くださることを心からお祈りいたしまして、ひとこと御挨拶といたします。御苦労さまでした。
ブラジル連邦共和国・サンパウロ市
南米ブラジルのサンパウロに御法主日顕上人猊下が御下向あそばされ、新寺院「開道山正法寺」の落慶入仏法要が、諸天の加護のもと晴天に恵まれ、盛大かつ厳粛に奉修された。御法主上人猊下にとっては22年ぶり二度目の御渡伯となり、ブラジルをはじめ南米各地の信徒にとっても待ちに待った御訪問で、現地は喜びに沸き立った。この御親修には、前総監の常泉寺住職・藤本日潤御尊能化、宗務院より渉外部長・秋元広学御尊師、庶務部副部長・阿部信彰御尊師、内事部より大石寺理事・小川只道御尊師、同理事補・小林道剛御尊師ほかが随行し、さらに有縁の御僧侶・寺族が、日本及び他の海外寺院より御出席され、また法華講大講頭の大草一男氏をはじめ、ブラジル・アルゼンチン・ウルグアイ・ペルー・チリより代表信徒が出席した。御法主上人猊下御一行は、7月6日に御出国され、9日に正法寺落慶入仏法要、10日に正法寺建立慶祝法要を奉修されて、14日の午後、御帰国された。
○御法主上人猊下御言葉 落慶入仏法要の砌
釈尊の説かれた一代五十年の経々は大きく二つに分けられます。いわゆる方便と真実であり、華厳・阿含・方等・般若等の経々は方便に属し、法華経のみが真実の経であります。真実である故に一切衆生の仏性を発起せしめ、未来永劫に成仏の大功徳を生ずるのであります。このように妙法蓮華経はあらゆる経々に超えて勝れる故に、これを聞いて信解する衆生は成仏の大功徳を得ます。
○御法主上人猊下御言葉 落慶入仏法要の砌
さて、下種本仏宗祖大聖人様は『異体同心事』という御書のなかに、「日蓮が一類は異体同心なれば、人々すくなく候へども大事を成じて、一定法華経ひろまりなんと覚へ候。悪は多けれども一善にかつ事なし」(御書1389ページ)と仰せであります。この寺院がこのように立派に創建されたのも、下種三宝尊の加護のもと、異体同心の御聖訓に基づき、皆様方信徒の方々が信心根本に一致団結して大法修行に励まれたからであります。そして、この異体同心の信心を中心としてこそ、互いに信頼し、助け合いながら、未来もまた妙法の功徳が広く伝わっていくことができると信じます。
○御法主上人猊下御言葉 記念祝賀会の砌
落慶入仏法要
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◇落慶入仏法要より 祝辞 前総監・藤本日潤御尊能化
◇落慶入仏法要より 祝辞 海外部長・尾林日至御尊能化(代読・秋元広学渉外部長)
◇落慶入仏法要より 謝辞 住職・須藤信大御尊師
記念祝賀会
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◇記念祝賀会より 経過報告 講頭・アデマール=トシマサ=カジタ氏
7月度広布唱題会の砌
皆さんこんばんは。本来、7月度の広布唱題行は明日の第1日曜日に執り行うことになっておりますが、明日は総本山において法華講連合会の夏期講習第6期講習の方々に対して、私の話を午前9時からおこうなうことになっておりますので、唱題行は今夜、執り行った次第であります。今夕は講習会に参加の方々が多数、参詣をされまして、ただいま相共に1時間の唱題行を執り行った次第であります。大空間とも言えるこの客殿のなかに皆様方の真剣な唱題行の声が充満して、客殿のなかに大きな功徳が篭もっておる感じがいたしました。
功徳ということでありますが、「種と成らず」ということを先程も申しました。これは『文底秘沈抄』にも引かれる文ですけれども、種をきちんと受けることが大きな功徳につながるのであります。しかし、皆さん方も御存じのとおり土のなかに種をまいても、表面上は何も見えません。ところが、そこからやがて芽が出て、幹と枝が伸び、葉が出て、そして、亭々たる大木になるのであります。その根本の種とはどのような意味かと言えば、これは我々の命の奧底における功徳であります。命の奧から真実の力が顕れてくる、これが唱題行の功徳であります。