大白法

平成17年8月1日号


主な記事

<1〜3面>


<4〜8面>


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日蓮正宗新重役に藤本日潤御尊能化が御就任


5月24日の第163臨時宗会において、重役・吉田日勇御尊能化の任期が本年7月22日付をもって満了することに伴い、宗制第6条第2項により次期重役の選出がなされ、このたび7月23日付をもって、新たに藤本日潤御尊能化が重役に就任なされた。

藤本御尊能化は、これまで日蓮正宗総監をはじめ、法華講本部指導教師、寺院等級審査委員会委員長、法規改正委員会委員長、教学護法財団理事、寺院建設委員会委員長、日蓮正宗護法局局長、宗旨建立750年慶祝記念局委員長等々の宗門の要職を歴任され、五十余年もの間、宗門の行政に携わってこられた。



平成17年度夏期講習会が終了


10期わたって行われた平成17年度、第3回法華講夏期講習会が7月26日(火)・27日(水)の両日をもって終了した。最終日の27日、台風一過の晴朗な天気に壮大なる富士山が姿を現したことは、僧俗一致して邪義謗法の嵐の中を、確固として正法弘通に進む日蓮正宗の前途を示しているかごとくであった。

夏期講習会は各期とも、第1日目から午後1時からの御開扉で始まった。その後、客殿をはじめ各会場に移動し、1時限目は『四条金御殿御返事』(比経難持書)、2時限目は「佐渡の法華講衆とその信仰」、そして3時限目は「信心の歓喜(よろこび)」について、各担当講師の御僧侶より講義いただいた。宿坊に戻って勤行・夕食の後、午後7時半から、宿坊の御住職の導師のもと1時間の唱題行に参加して1日目を終了。(第2期と第6期は翌日が第1日曜日に当たるため、客殿・大講堂で、御法主日顕上人猊下大導師のもと広布唱題行会に参加した。

翌2日目は、丑寅勤行に参加し、朝の勤行・朝食・清掃の後・午前9時から客殿・各会場で、御法主上人猊下より御講義を戴いた。御法主上人猊下の御講義は、第1期・第3期が「信行学ー信について」、第2期・第4期が「信行学ー行について」、第5期・第6期は「日蓮正宗の修行(正行・助行と方便品・寿量品読誦)」、第8期は「信・行・学」を総括的に御講義賜り、第9期・第10期において「現代の一凶・創価学会」について御講義を賜った。また7月、御法主上人猊下はブラジルに御親教あそばされ、その時期と重なった第7期は、教学部長・大村日統御尊能化が御法主上人猊下の御代理として「法華講員の信心」について御講義された。御講義の後は毎朝、講習会終了に当たり早瀬総監をはじめとする宗務院代表の御尊能化・御尊師よりの御挨拶と、法華講総講頭・法華講連合会柳沢委員長の挨拶があり、これをもって行事のすべてが終了した。

なお、平成15年度の第1回法華講夏期講習会は『立正安国論』について、昨年の第2回は三大秘法等の根本義について、そして本年は、日蓮正宗信徒としての具体的信行・生活の在り方について、甚深の御講義を賜ったのである。殊に本年第9期・第10期において私たちは、正しい仏法を誹謗する現代の一凶たる創価学会の悪について、大事な御指南を戴いた。御法主上人猊下は、現代の一凶と断ずる所以を、創価学会の考え方が日本乃至世界の人類のなかに邪義・魔義・悪義を露(あらわ)にし、社会を紊乱(びんらん)させていくと故に決せられた。

また、「仏法上のことは、勿論、国家社会の在り方においても非常に世道人心を悪化せしむるような姿が創価学会の本質に存する。ただ単に日蓮正宗を誹謗している故に、それに対し切り返しているということでは絶対にない。こういう在り方が、これからの日本乃至全世界の思想等の中において、陰に陽に様々な因縁関係の上から、多くの者に悪影響を与えていく(趣意)」とも仰せあそばされ、道理・文証・現証の上から破折あそばされた。この甚深の御指南を、私たちはしっかりと拝したい。

「誤った思想」という毒を知らず知らず飲むことで社会はますます荒廃し、天はこれを瞋り、天譴(てんけん)による災禍を受ける。故に「清気清風を世に送る」という日蓮大聖人の門下の使命は、自らの振る舞いを正した法華講が折伏によって創価学会員を救い、社会全体に魔義の魔義たるを知らしめしていくことで拡散、増幅する邪義・魔義・悪義をくい止めることである。これにより大聖人様が「諸王は国を扶け万民は難をのがれん」と仰せのごとく、自ずから申すに及ばず、全体を救っていくことが叶うのである。「日蓮が一門となり通す」か否か、今が正念場である。


○挨拶 総監早瀬日如御尊能化

本年度法華講夏期講習会第10期、最終回の終了に当たり、一言御挨拶を申し上げます。はじめに今回、本年度法華講夏期講習会第10期に参加の皆様方には、本門戒壇の大御本尊様と金口嫡々・唯授一人・血脈寸法の御法主上人猊下在す、ここ総本山において、一泊二日にわたる夏期講習会の全日程をめでたく終了され、まことにおめでとございました。

また、ただ今は御法主日顕上人猊下から、「現代の一凶 創価学会」と題し、直々に甚深の御講義を賜り、私一同、心から厚く御礼申し上げるものであります。さらにまた、御法主上人猊下には、本講習会中、ブラジル正法寺落慶入仏法要御親修のためご不在であった第7期を除いて、お疲れも厭(いと)わず全10期中9期にわたって甚深の御講義を賜り、まことに有り難く、一同、重ねて厚く御礼申し上げます。御法主上人猊下、まことにありがとうございました。

さて、今、本宗僧俗は、御法主上人猊下の御指南のもと、来たるべき平成21年「地涌倍増」の御命題達成へ向けて僧俗一致・異体同心して前進すべき、まことに大事な時を迎えております。「地涌倍増」の御命題は、我ら僧俗に与えられた大事な使命であり、我らは何としても達成しなければなりません。

特に、今、天災・人災を問わず、また国の内外を問わず至る所で起きている民族間の争いや内戦、爆弾テロ、凶悪な犯罪、さらには悲惨な事件や事故など、また先般インドネシアで起きた大地震や大津波をはじめ、異常気象による台風や洪水など様々な災害を見るとき、この感を一層強くするものであります。まさしく、このような混迷を極めたる惨憺(さんたん)たる現状を救済する唯一の大法こそ日蓮大聖人の仏法であり、その救済の使命と役割を担う者こそ我ら本宗の僧俗であることを、一人ひとりがしっかりと自覚していかなければならないと思います。

大聖人は『新尼御前御返事』に、「末法の始めに謗法の法師一閻浮題に充満して、諸天いかりをなし、彗星は一天にわたらせ、大地は大波のごとくをどらむ。大旱魃・大火・大水・大風・大疫病・大飢饉・大兵乱等の無量の大災難並びをこり、一閻浮題の人々各々甲冑(かっちゅう)をきて弓杖(きゅうじょう)を手ににぎらむ時、諸仏・諸菩薩・諸天善神等の御力の及ばせ給はざらん時、諸人皆死して無間地獄に堕つること雨のごとくしげからん時、此の五字の大慢陀羅を身に帯し心に存ぜば、諸王は国を扶け万民は難をのがれん。乃至後生の大火炎を脱(のがれ)るべしと仏記しをかせ給ひぬ」(御書 764ページ)と仰せであります。

すなわち、たとえいかなる災難・災害に遭おうとも、妙法五字の大慢陀羅を受持信行する者は、大御本尊の広大無辺なる功徳によって難を逃れることができるとお示しであります。しかし、この妙法受持の功徳を単に個人のみに止めず、個々から全体へ弘め伝えていくところに我らの大事な使命があり、やがてその波動がさらに国土世間に及び、仏国土を築くことになるのであります。

まさしくこれは「立正安国」の原理によることころであります。また、その「立正安国」の原理に照らせば、今日の惨憺たる現状は、すべてこれ邪義・邪宗の謗法の害毒が原因であるとことは明らかであります。よって、我々は邪義・邪宗、特に今日にあっては、御法主上人猊下が「現代の一凶」と断ぜられた池田創価学会の仏法破壊の大謗法を破折し、もって多くの人々を塗炭(とたん)の苦しみから救っていかなければなりません。「破邪」なくして「顕正」はないからであります。

故に大聖人様は『立正安国論』に、「早く天下の静謐(せいひつ)を思はゞ須(すべから)く国中の謗法を断つべし」(同 247ページ)と仰せであります。特に今月は「『立正安国論』正義顕揚」の月であります。今日ここにお集まりの皆様には、『立正安国論』の御金言を深く身に体し、各支部へお帰りの上は、御法主上人猊下の御講義を直々に戴いた聴聞の功徳と、この講習会で得たすばらしい体験と感動をもって、僧俗一致して大折伏戦を展開し、もって御命題達成へ向けて大前進されますことを心からお祈り申し上げ、一言御挨拶とさせていただきます。


○挨拶 総講頭・柳沢喜惣次

第3回法華講夏期講習会第10期終了に当たり、謹んで御礼の御挨拶を申し述べさせていただきます。御法主上人猊下におかさられましては、本年もまた、御法務殊(こと)のほか御繁多のなかも顧みられず御講義を賜り、1期から4期にわたっては信・行・学について、5期と6期に日蓮正宗の修行、7期の時に、先般ブラジル連邦共和国・サンパウロ市に新しく開道山正法寺が建立され、その落慶入仏法要の御親修のため御渡航、御無事で御帰国あそばされ、そのお疲れの御身にもかかわりませず、8期は信・行・学の総括、そして9期・10期には、宗門の義の上から現代の一凶創価学会の邪義について厳しく御講義を賜り、我ら一同、まことに悦びに堪えません。一同を代表し謹んで御礼申し上げます。御法主上人猊下、まことにありがとうございました。

省みますれば、法華講は平成7年より始まった夏期講習会では、30万総登山の平成14年を除いて9年間、初歩から御教導を戴き、今は回を重ねるごとに大きく成長いたしてまいりました。また、本年は「僧俗前進の年」、講義内容も一段と深くなり、1時限目は『四条金御殿御返事』(此経難持書)、2時限目は「佐渡の法華講衆とその信仰」、3時限目は「信心の歓喜(よろこび)」の御講義をいただくなか、我らはお互いに信心を深く反省し、また創価学会の謗法は御指南の如く、彼らが最も恐れるのは真実を語られ、それを気付かれること、とのことでありますから、我らはあらゆる面で真実を語り尽くして、仮借(かしゃく)なくけじめをつけた折伏を、地域ごとに展開していくことを決意いたすものであります。

御講義を戴くなかで、法華講は今こそ、一人ひとりが広宣流布への使命を自覚し、謗法によって毒された社会を浄化していかなければならない時を、私は強く観ずるものであります。

さて、法華講は、先般の講頭会の建議による「特別御供養」が、4月1日から始まっております。この御供養の特徴は、恒常的に毎年持続していけることであります。それ故にこの御供養の持続できる生活に、一人ひとりが自覚し今までの生活を改めて、無理なく御供養し、功徳を積んでいける時の到来を、私は観ずるものであります。その生活とは、第二祖日興上人様以来、御宗門の700年来の大理想・妙法広布に連なる、僧俗和合・異体同心の法華講衆等の、令法久住の生活であります。やがてこの生活は、皆さん方の家庭も支部も、数年の間に見違えるほど立派になっていくことを、私は確信いたすものであります。

我らは本年は僧俗と共に前進して、平成21年「地涌の友の倍増乃至、それ以上の」の御命題達成に向かって勇猛精進してまいることを、ここにお誓い申し上げ、御礼の言葉に代えさせていただきます。御法主上人猊下、長期間にわたり、まことにありがとうございました。

なお、総監様、教学部長様、殊に教学部長様には、7期の御法主上人猊下様お留守の時の御代理として、「法華講員の信心」について御指導を賜り、ありがとうございました。また、10期にわたりそれぞれの担当の御尊能化様、御尊師様方にも衷心より御礼申し上げます。ありがとうございました。

さあ皆さん、平成21年に向かって、本年「僧俗前進の年」の後半は、特別御供養ならびに講習会で戴いた数々の御指南を実践し、就中(なかんずく)創価学会の折伏は御法主上人猊下の御指南を戴き奉り、みんなで力いっぱい、折伏に励んでまいろうではありませんか。




日蓮正宗の基本を学ぼう(1)
大聖人様の御名前


幼名 「善日麿』(ぜんにちまろ)

大聖人は幼名を善日麿と称されます。その名前の由来は、大聖人の母、梅菊(うめぎく)女が、大聖人の誕生時にご覧になられた夢に由来しています。『産湯相承事』(御書1708ページ)には、まず大聖人のご両親が、大聖人ご懐妊のときにご覧になった不思議な夢について記されています。

母の梅菊女は、比叡山の頂(いただき)に腰掛け、琵琶湖の水で手を洗うと、富士山から太陽が昇り、その日輪を梅菊女が懐(いだ)くというものでした。またこのとき、大聖人の父、三国太夫も、夢に、虚空蔵菩薩が肩の上に見目(みめ)美しい子供を乗せて現れ、「この子は上行菩薩といい、一切衆生を導く大導師である。この子を汝に授ける」と言われたというものでした。

また、大聖人ご誕生時にも梅菊女は不思議な夢をご覧になられました。それは、梵天・帝釈等の諸天善神が現れて、「善哉(ぜんざい)、善哉、善日(ぜんにち)童子、末法教主・勝釈迦仏」と三度唱え、礼をして去っていかれたというものです。それにより、大聖人は「善日麿」と名付けられたということです。ちなみに「麿」とは、鎌倉時代では子供を示す言葉です。

さらに大聖人は、この母の夢について、母の物語と思ってはならない。仏の言葉と拝しなさいと、日興上人に語られました。つまり「善日」という名は大聖人ご誕生以前より、諸天をして、そのように呼称されていたということです。


出家の名 「是聖房・蓮長」(ぜしょうぼう・れんちょう)

善日麿は16歳の時、清澄寺の道善房を師として出家し、「是聖房蓮長」と名乗られました。

蓮長は清澄寺において、師匠や先輩の浄顕房・義浄房などから薫陶を受け、勉学に励まれました。その後、蓮長は仏教の盛んな日本でなぜ戦乱や天変が続くのか等の原因を深く尋ねるため、鎌倉や比叡山に学ばれました。蓮長はその研鑽の中で、釈尊の説く仏法の本懐は法華経であり、その法華経に予証された末法の一切衆生を救う上行菩薩こそ日本に生まれた自分であるとの確信を深められたのです。しかも是聖房の「是」とは、「日」の「下(もと)」の「人」と表記されるのです。

さらに蓮長は、「日本第一の智者となし給へ」(御書443ページ等)、「末代の衆生の為には何をもって本尊とすべき(趣意)」等と虚空蔵菩薩に願いを立てられました。すると虚空蔵菩薩より「智慧の宝珠」を右手に賜り、一切経の勝劣・浅深が手に取るように明らかとなりました。また本尊については、「汝の身を本尊とせよ、明星の池を見給え(趣意)」と告げられたということです。そこで蓮長は御自分の姿を「明星の池」に写したところ、そこには大漫荼羅本尊が現れ、末法の一切衆生を救済する方法は三大秘法の広宣流布であるという確信を得られるのです。


末法の御本仏 『日蓮』の名乗り

御自分こそ、末法の一切衆生を救済する仏であるとの確証を得られた蓮長は、建長5(1253ページ)年32歳の御時、下種仏法の立宗を宣言あそばされました。このときに当たって、「蓮長」の名を「日蓮」と改められました。

まず3月28日には順縁というべき、師匠の道善房と少々の大衆に御法門を示し、また4月28日には、逆縁の衆生を導くため念仏の強信者等にも念仏無間等の法門を説かれました。それにより、怒った念仏者等は大聖人に刀杖を加え、悪口を浴びせましたが、大聖人の信念は決してゆらぐことはありませんでした。

宗旨建立

法華経には末法出現の御本仏の衆生救済の御化導について、次のように記されています。「日月の光明の能(よ)く諸の幽冥を除くが如く、斯の人世間に行じて能く衆生の闇を滅し」(法華経516ページ)、「世間の法に染まざること、蓮華の水に在るが如し」(同425ページ)

つまり、日月の光明が一切世間を平等に照らして闇を除くように、末法出現の御本仏は人として世に生まれ、そのお振る舞いはまさに太陽のような存在として一切衆生の闇を除くのであると。またその仏は汚泥のような世間の中にあって、常に清らかな蓮華のごとくであると、予言されているのです。

また大聖人御自ら『四条金吾殿女房御返事』に、「明らかなる事日月にすぎんや。浄(きよ)き事蓮華にまさるべきや。法華経は日月と蓮華となり。故に妙法蓮華経と名づく。日蓮又日月と蓮華との如くなり」(御書464ページ)と、日蓮こそ法華経に予言された本仏であり、日月のごとく衆生の闇を照らし、濁悪の世にあって常に蓮華のごとく清らかに法を説くのであると御教示です。このように、「日蓮」の名とはすなわち御本仏の名称なのです。

さらに、日蓮正宗では「日蓮大聖人」と尊称いたしますが、大聖人は、『開目抄』に、「仏世尊は実語の人なり、故に聖人・大人(だいにん)と号す。外典・外道の中の賢人。聖人・天仙なんど申すは実語につけたる名なるべし。此等の人々に勝れて第一なる故に世尊をば大人とは申すぞかし」(同529ページ)と仰せられています。すなわち「大聖人」という呼称には、過去から未来にいたる三世の生命を正しく見極める「聖人」と、一切衆生を成仏へと導く偉大な仏様という「大人」の意義が込められているのです。

他の日蓮宗等では「聖人」や「大菩薩」という呼称を用いますが、日蓮大聖人が一切に勝れた仏であるという意義を顕すことができません。つまり単なる「聖人」という呼称では過去に聖人と言われた偉人と同列の嫌いがあり、また「大菩薩」では仏様を「菩薩」と下(くだ)す大謗法となるのです。

私たちは、末法の御本仏は「日蓮」の御名前をもって御出現された大聖人以外にはおられないという大確信をもって信心に励むことが肝要です。




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