大白法

平成17年7月1日号


主な記事

<1〜3面>


<4〜8面>


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広布に羽ばたけ
うそをつかない子になろう


みなさん、「正直(しょうじき)」とは、どのような意味(いみ)であるかを知っていますか?国語じてんを引いてみると、「何かをかくして言わなかったり、うそ・ごまかしを言ったりすることがないようす」(さんせいどう国語じてん)とあります。

たとえば、みなさんも「正直に言いなさい」と、ご両親(りょうしん)や学校の先生に言われたりしたこともあるでしょう。みなさんは、うそを言わず、正直に毎日の生活をおくっていますか?

正直を大切にされる日蓮大聖人様

日蓮大聖人(にちれんだいしょうにん)様がいらっしゃった時代は、ねんぶつ宗やぜん宗・しんごん宗などの不幸の原因(げんいん)となる宗教(しゅうきょう)が数多くあり、ほとんどの人々がこれらの宗教を信じていたのです。そこで、大聖人様は不幸(ふこう)の原因はまちがった宗教にあると教えられ、南無妙法蓮華経を説かれました。

しかし、まちがった宗教を信じているそうりょや役人(やくにん)は、自分たちが信じている宗教を「まちがっている」と言われたので、おこって、大聖人さまをころしてしまおうとしたのです。このような命もあぶないという中でも大聖人様は、不幸な世の中、人々をすくうために、ただ正直に南無妙法蓮華経の正しい教えをひろめられました。

このとき、まちがった宗教を信じる人の言うことを聞いて、正しい仏法(ぶっぽう)をひろめることをやめたら、きけんをさけられたかもしれません。しかし、大聖人様はうそを言わず、何があっても正直に正しいおこないをされたのです。また大聖人さまは、「仏ともうすは正直をもととす」(ごしょ1259ページ)とおっしゃられ、つねに「正直」を中心とされる仏さまなのです。

正直な人になろう

みなさんも、正直になりましょう。そのためには、善(よいこと)と悪(わるいこと)をはっきりと区別(くべつ)して、悪をすてることが大切です。

もし、わるいことをしている友だちを見たら、みなさんはどうしますか?ちゅういできればりっぱですが、もしかすると、見てもしらないふりをする人がいるかもしれませんね。でも、そんな人でもわるいことをしている友達をちゅういしなければいけないとわかっているはずです。

ごほっす上人げいかさまは、「自分をごまかさないということが正直ということなのです」(だいびゃくほう651号)とおっしゃっています。本当はちゅういしたいのに、ちゅういしたあとのことを考えて、自分の心に正直になれず、自分をごまかしているのではないでしょうか。

それでは、正直とは言えませんね。ぜひ、みなさんは自分をごまかさずに、ゆうきをもって正直なよい行いをしてください。そのためにも、ごほんぞん様をすなおに信じて、日々のごんぎょう・しょうだいをしっかり行い、正直なゆうきある行いができる人になれるように、ごきねんをしていきましょう。



○体験発表 東京第二地方部鼓笛隊・国島由美(大修寺支部・中3)

私達隊員は、主に週末、八王子の広妙寺様や、国立の大宣寺様で活動をさせていただいています。いつもの練習は、朝10時に集まって、読経唱題から始まります。お昼ごはんのあとにも1時間の唱題をするので、みんなで集まっている10時から3時半までの5時間半のうち2時間、つまり1/3の時間をみんなそろって御本尊様の前に座らせていただくことにかけている、ということになります。

私は、鼓笛隊に入ったばかりのとき、その意味が判りませんでした。楽器を練習し、みんなで合わせた方が上手くなるのではないか、なぜ楽器にさわる時間が少ないのか、そう思っていたのです。でも、今は違います。そうは思いません。みんなで集まって、みんなで一緒にお寺で唱題することにこそ意味がある、そう思います。なぜなら、私たちのつくりあげる音楽の根本は、そこにあるからです。信心と音楽、一見何の関わりもないように見えるけれど、ものすごく深く関わりあっています。ここにいる隊員一人ひとりが音を出し、一つの曲をつくりあげる、それがすばらしいものとなるのは、一人ひとりがみんなと心を一つにしようとして、本当にみんなが心を合わせたときです。私はその心が、「異体同心」の姿・心、ということになるのではないかな、と思うのです。だから、信心と音楽はすごく大きく関わっています。

私達が唱題をするのは、みんなと心を一つにして、一つの曲をみんなで、すばらしいものにしたいからです。しかし、「異体同心」とは、容易なことではありません。一人ひとり、人は違って、今まで生きてきたその環境も違えば、経験してきたことだって違う、誰一人として、全て自分と同じ考え方を持った人なんていない。だから、自分以外の人と心を一つにするのは、たとえ私達みたいな子供でも、すごく難しいことなんじゃないかな、そう思うのです。でも唱題をして、信心をもとに鼓笛隊をやっていると、他の学校の行事やクラブなどでは感じられないような、「みんなと心を一つにして演奏するんだ」という気持ちがわいてくるのです。だからこそ、5時間半の練習時間のうち、2時間を御本尊様の前で、お題目を唱えさせていただく時間にしているのです。勤行、唱題はそれくらい大切なことなのだと思います。

そして、私は最近よく思うことがあります。さきほど、私は信心と音楽はすごく大きく関わっている、といいました。これは、音楽だけのことではないんだ、ということです。信心は、私達の生活の全てに関わっていると思います。当たり前のことかもしれません。一でも、本当に「全て」なのだなと、最近、実感としてあるのです。友人関係や、学校のテスト・成績・健康面や自分の毎日が充実しているか、また自分だけのことではなくて、スケールの大きいものだと、自然災害や世界情勢、何から何まで、本当に深く関わっているんだ、と私は思います。

なぜなら鼓笛隊がきっかけで、私が信心中心の生活に変わったとき、自分と自分の周りが大きく動いたからです。自分の周りが動くのだから、もしこれが大勢だったら、もっと大きいものが動くのではないか、と考えたのです。それはよい方向、悪い方向の、両方へだと思います。より大勢の人が、一生懸命信心をしていけば、きっと世間はよい方向へ向かうんじゃないかなと思うし、もし大勢の人が信心の上で悪いことをしたならば、世間はどんどん悪い方向へ行ってしまうんじゃないか、そう私は考えているのです。だから、これからさき、沢山の人にこの仏法を伝えなければならないのかもしれません。すごく単純な発想かもしれないけれど、自分の鼓笛隊での今までの体験をとおして、このようなことを私は考えてきました。

私は、今鼓笛隊員として、今ここにいることができて、本当に本当によかったと思っています。色々なことを学び、信心のすばらしさを知りました。それは、本当にかけがえのないもので、何にも代えることができない大切なものです。鼓笛隊員でいることで、今、生きる上での信心の土台をつくっていると言っても過言ではないくらい、今、隊員でいる時間がすごく大切です。

また、夏のコンクールで味わう感動は、はかりしれないものだし、総本山に演奏をお供えできる、それがすごく幸せなことなんだと感じます。本当に私達は幸せだと思います。世の中にはものすごい数の宗教があってその中のたった一つの正しい宗教にめぐりあい、今、私達のような年齢だからこそ入ることのできる鼓笛隊に入り、仏法のすばらしさを身をもって体験させていただける、お山で演奏させていただける、本当に幸せです。

そして、この環境をあたえて下さる全ての人、鼓笛隊に通わせてくれる両親、いつも私達のことを心から思って指導して下さるスタッフの方、色々な面で支えて下さっているお母様方、またご住職様、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。そして私達は、その気持ちを、自分達自身の姿であらわさなければならないと思っています。今ある恵まれた環境の中で、私達は広宣流布のお役に立てるように、精一杯、信心の鼓笛隊の隊員として、がんばっていこうと思います。



○体験発表 中部地方部鼓笛隊・田中寛章(普宣寺支部・卒隊者)

僕は、今年で8年間の鼓笛隊を、卒業させていただきました。最初に、ドラムバスを演奏させていただいたのは、小学5年生のときでした。余りの大役で、先代の中部地方部鼓笛隊責任者である紀代先輩には、僕にドラムを憶えさせるのは、大変な御苦労があったと思います。いつもあたたかく見守って支えていただき、お世話になったこと、とても感謝致しております。また、鼓笛隊の先輩に、ドラムの打ち方だけでなく、勤行の姿勢、ご登山の心がまえ、合宿や総本山での振る舞いなどたくさんのことを教えてもらいました。

この8年間を振り返ると、色々なことがありました。特に、中学生のときは、もちろん僕だけでなく、誰もが迷い悩むときだと思います。僕は、部活動と鼓笛隊、この2つの両立に悩みました。学校の部活動で、僕は中学1年生のときから身長が高かったので、アタッカーとしてレギュラーメンバー入りができました。ほんとうにラッキーだと思いました。鼓笛隊では、中部地方部のドラムバスを担当させていただき、外から見れば、とても素晴らしい中学時代に見えますが、現実はそんなに甘くはありませんでした。

信心と鼓笛隊を優先すると、部活の試合に出ることができなくなります。部活動を優先させてしまうと、お寺に行くことができなくなります。僕は、信心あっての鼓笛、鼓笛あっての自分といつも思っていたので、このままバレーボールを優先させていると、信心から遠のくのではないかという気持ちが強くなり、御本尊様への報恩感謝の気持ちも、しだいに薄くなるような気がして、恐ろしくなりました。

ですから、このようなことで思い悩むのはやめようと決意をし唱題をして、部活動の顧問の先生に、思い切って相談をしてみました。そしたら、案の定「ケンカ」になってしまい、それ以後、補欠補佐まで、落とされてしまいました。僕は、185cmもの身長があったので、アタッカーを落とされるのは、とても屈辱でした。でも、信心を優先させて悪くなるはずがないと、心に固く信じて、やってきました。その場から逃げることは、容易なことです。しかし、どんな状況も与えられた試練だと思い、乗り越えられないことはない、御本尊様が守ってくださるのだからと、心に言い聞かせ、辛いときも、前に向かい歩いてこれました。

ところで、僕が、鼓笛隊を優先させてきた理由は、40カ支部により結成された代表であるという誇りです。しかも、ドラムバスは、隊に一台しかない楽器です。僕がぬけると演奏ができなくなるという責任感もありました。また、いつも練習のときに来てくれるスタッフの方達や、鼓笛隊員の御家族の皆さんの熱い思いも大きな理由です。それから、なによりも、御住職様が応援して下さっていらっしゃるということでした。

この8年間で得たものは、御本尊様の元で、がんばれる自分を発見できたことです。それと、鼓笛隊だけに与えられた特権ですが、総本山大石寺で猊下様、御住職様の前で演奏でき、毎年1年間の総決算を見ていただけたということです。この大切なときを決して無駄にしてはいけないのだと、そのとき感じました。

そんな僕も、今年で卒業を迎えることになりましたが、OBとして手伝いに来れるときは、できるだけ参加させていただけたらと心から思っています。4月より高校生となりました。信心・学業・部活動を、中学のとき以上に、バランスを考えて、精一杯がんばっていこうと思っています。また、平成21年の大法要には、総本山任務者・輸送班として任務ができるよう努力し、御本尊様のお役に立てる自分になれるように、がんばりたいと思っています。

僕には、一つ叶えたいことがあります。小学校のときからの友達で、一緒に信心していきたいと思っている親友がいます。彼は、何もかもが、僕より優れているのですが、一つだけ持っていないものがあります。それは、信心です。その信心を教えてあげることが、僕の役目だと思っています。たとえ、時間がかかっても、彼を何とか折伏するために、唱題を重ねて、何にでも相談に応じることのできる、自分になろうと思います。

最後になりましたが、僕は、これから始まる高校生活を無駄にすることなく、日々の唱題で、何事にも動じない、未来に確信の持てる信心を、築いていこうと思います。



体験発表 『信心はしないと言っていた主人が下種を!』
常生寺支部・菊地原多喜子


私は昭和56年、結婚前に義母に折伏され常生寺の信徒としてお世話になり、24年になります。主人の両親はしっかりと信心していて、いろいろなことを教わりました。しかし主人には、「お父、お母は信心しているけど俺はやらないよ。でもお前が信心するのは反対しないし、自由にやっていいから」と言われ、結婚生活が始まりました。

2人の子供に恵まれた私は、子供たちを大切に育ててしっかり法統相続して、いつか主人も一緒に信心ができるようにと願ってきました。埼玉地方部が結成され鼓笛隊が出来たとき、子供たちを入隊させました。信心の躾や唱題の大切さを学ばさせていただけたことに感謝しています。長男は、鼓笛隊卒隊後、連合会ブラスバンドに入り、昨年からは総本山任務者・輸送班もしています。次男は、私と一緒に家庭訪問し、仏様のお使いをしてくれています。

今まで、御本尊様に守られた生活のなかで折伏しなくては申し訳ないという気持ちは常にありました。たくさんの人に下種してきましたが、一歩進んで折伏まではできませんでした。相手の顔色を伺って、あまりいい顔をされなかったり、変な人と思われるのではないかと考えてしまうと、折伏は難しくて私には無理、私はあきらめが早く臆病だからできないと、自分勝手に思ってきました。


折伏を決意

そのようななか、平成14年・30万総登山の年、僧俗協議会に参加させていただいたとき、宣行寺御住職の村上御尊師が山火事を消した「鳥」のお話をしてくださいました。お世話になった山を守りたい、火を消すんだと、最後まであきらめなかった鳥の一念が天を動かし、雨を降らせ、山火事を消し止められたという「志の大事さ」をお話してくださいました。また最後の「皆さん、諸々の悩みの御祈念があるかと思いますが、どうかこの一年、30万総登山成功の祈り、そして折伏の御祈念をしていただきたい、私からのお願いです」との言葉を、私はそれまでの自分を反省し、とても恥ずかしく申し訳ない気持ちで聞きました。難しい年頃の息子を抱える悩みや、未だ信心の歩みがない主人への苛立ちはありましたが、自身の悩みの御祈念ではなく、真剣に折伏の御祈念をしていこうと思いました。

また御住職・平野選道御尊師より、常に感謝した生活をしていくこと、感謝の上に報恩があることを教えていただきました。御報恩御講の御法話での「毎日、朝の勤行の四座の御観念文で広宣流布を御祈念しているのに折伏しないのは、仏様に嘘をついていることです。仏様に誉められるような信心をしていっていただきたい」との御指導に、1回でも多く家庭訪問し、仏様のお使いをさせてくださいと祈り、信心中心の生活へと変えました。御住職様は毎朝8時半より唱題行をされています。私たちが下種した人の名前を提出し、その方々の折伏成就を御祈念してくださっています。私は仕事に行く前に、たとえ10分、20分でも御住職様と一緒に唱題したいと思い、できる限りお寺に足を運びました。そして昨年、2世帯の折伏成就と3名の入信が叶いました。

3月に折伏できた同じ職場の石さんは、中国人で大学4年生です。中国と日本を結ぶ貿易の仕事がしたいと、就職のことで悩んでいました。就職難の時代、なかなか決まらず悩んでいた彼女に信心の話をし、唱題会や支部総会等、お寺の行事に誘い、婦人部の方々にいろいろと話していただきました。また我が家に何回か来てもらって、総本山の写真集を見せたり、今まで私や家族が御本尊様に守られた生活をしてきたことを話しました。すると「私も菊地原さんと一緒にやりたい、お山に行ってみたい」と言って、3月29日に御授戒を受けることができました。早速、翌日には御登山し、本門戒壇の大御本尊様に御目通りも叶いました。御開扉の後、彼女は「今日から私の幸せな一生の始まりです。お山は神秘的」と言って、とても感激していました。今、石さんは、北京に一時帰国しています。帰国に際し、高橋講頭さんより温かな激励のお手紙をいただき、池宮婦人部長さんに優しいお心遣いをしてもらいました。

私は毎朝の勤行の後、「力あらば一文一句なりともかたらせ給ふべし」(御書668ページ)と誓って仕事に行きます。7月16日、「今日は『立正安国論』奏呈の特別な日」と、いつもより早起きして、唱題にも力が入りました。するとその日、仕事帰りに偶然、則松さんに会いました。そのとき私は、御本尊様が会わせてくださったのだと思いました。則松さんは以前の同僚で、8年程前からお付き合いしている大切な友達です。話のなかで彼女の悩みを聞いたとき、心から幸せになってほしいと思い、御本尊様のすばらしさを次々と話している私は、もう臆病ではありませんでした。日々の唱題で勇気をいただき、御本尊様が後押ししてくださったのだと思います。「一度お寺に行ってみない」と誘い、その日は別れました。後日、則松さんから「主人も一緒にお寺に行きたいと言っている」と電話があり、8月の御講の日に約束しました。御講終了後、則松さん御夫妻は、御住職様より折伏していただきました。1週間後、「御住職様のお話で多々納得することがあり、2人で入信したいと思う」と電話があったときは、とてもうれしかったです。8月29日、2人そろって御授戒を受けました。

入信後、則松さん御夫婦は、まず正しく勤行ができるようにと、時間の許す限りお寺の勤行の時間に合わせて参詣し、またいろいろな行事や支部総登山にも積極的に参加して、素直でけなげな信心をしています。12月には御本尊様を御下付いただくことができました。今、則松さんは、入信してからは不思議と嫌なことがないこと、物事のタイミングが合ってきている喜びを、縁ある人に話しています。


今年中にもう一人

御法主上人猊下の「1年に1人が1人以上の折伏を」との御命題に、私は二十数年信心してきて今まで折伏してこなかったことを本当に申し訳なく思いました。もし1年に1人の折伏ができていたら、20人以上の人が幸せになっていたはずです。則松さんの入信直後、私は、今年中にもう1人折伏させてくださいと、願うようになりました。まだ4カ月ある、絶対にあきらめないと決めました。年賀状と年に1・2回の電話で連絡を取り合ってきた新井さんに電話をしました。彼女は10年前の同じ職場の友人でした。彼女が出産のため退職してからは、お互い近くに住んでいながら会う機会がありませんでした。久しぶりの私からの電話に、彼女はとても喜んでくれて、「最近、私、とても悲しいことがあったの」と言うので、すぐに会う約束をして、9月12日、9年ぶりに再会しました。

新井さんは、訳あって生き別れていたお兄さんと22年ぶりに再会、喜びも束の間、2日後にお兄さんが亡くなり、お骨を預かってもらえるお寺を探していることなど、いろいろな悩みを話してくれました。私も新井さんのお兄さんと同い年の兄がいるので、彼女の悲しみは痛いほど判り、「お兄さんの供養を正しくしてあげないと、あなたもお兄さんも苦しんでしまう。正しい宗教でなければ悩みの解決がない」と、そのとき初めて彼女に日蓮正宗の話をしました。後日お寺に誘い、御住職様にお話していただきました。11月の御講にお連れし、12月16日の地区座談会も誘いました。今年もあと半月、もし新井さんが今年中に入信できなくても来年に向けてつなげていけるようにと唱題し、御本尊様にお任せして、後悔のない1年で終わりたいと思いました。

でも心のなかで、もし新井さんが今年中、12月29日に入信できたらうれしいなと思いました。それは、3月に石さん、8月に則松さんがいずれも29日に御授戒を受けられたからです。12月25日、新井さんから、「入信したいんですが、今年中がいいのか、来年にしたほうがいいのか。またどんな手続きをすれば入れるのか」と電話がありました。私は「今年中に御授戒を受けて、きちんと謗法払いをして新しい年を迎えたほうがいい。仏様とのお約束は、明日とか今度ということはない」と伝えました。すると「年内は忙しいけれど、29日ならお寺に行ける」ということで、新井さんと2人の子供さんの3人が入信できました。御主人は、自由にやっていいよと反対することもなく、新井さんは毎月の御講に必ず子供を連れて参詣しています。

昨年、折伏するようになってから主人が変わってきました。今まで年1回の御登山、年2〜3回のお寺の参詣しかしなかった主人が、お寺への参詣の回数が増えてきたのです。子供たちも「おやじ、変わったね」と、びっくりしています。「お寺に行こう」と誘っても、「俺は留守番しているから行っておいで」と言っていた主人が、自らお寺に足を運ぶようになりました。もっと驚いたことは、友人に下種するようになったのです。

先月のお彼岸会の2〜3日前、主人の友人の伊藤さんから電話がありました。そのとき主人が「供養を正しくしてあげないとご両親が成仏できないよ。日蓮正宗でお塔婆を建てて御題目を唱えることが一番の供養だよ。今度、俺と一緒にお寺に行ってみないか」と話していることに、私は耳を疑いました。その後、伊藤さんを彼岸会にお連れできました。今、主人は、「お寺に連れて行ってあげなくちゃいけない人がたくさんいるね」と言っています。ゆっくりとしたぺースですが、一歩ずつ前進しています。

平成21年に向かって御住職様の御指導を中心に、目標を持った生活、御報恩を忘れない信心をして、精進していくことをお誓い申し上げます。




法華講ニュース


○富士会館新築工事経過

法華講富士会館の工事は、6カ月を経過した。現在、作業はコンクリートの躯体が打つ上がり、型枠を解体しつつ、1階から内部工事(サッシ・電気・内壁ウレタン吹付・間仕切り・床下地など)に取りかかっている。また、毎週行う工事定例会において、各施行業者・諸官庁への対応や、安全対策についての検討がなされ、常に万全を期する体制で臨んでいる。さらに御宝前の設計も同時に進行しており、竣工に向けて、諸天の加護のもと順調に工事は進められている。




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