授戒とは
仏法の信仰は、戒・定(じよう)・慧(え)の修行が中心です。この「戒」とは戒律のことで、悪や非とされる行いから離れて善を顕すことであり、「定」とは禅定のことで、心を安定させる法をいい、「慧」とは智慧のことで、仏の真理を体得することをいいます。
仏法に帰依(きえ)しようとする人は、まず戒を授かって、我が身の振る舞いを仏の教えに基づいて正すことが大切であり、この戒を授かることを「御授戒」といいます。
日蓮正宗の御授戒
日蓮正宗の御授戒は、寺院または御本尊様が御安置されている御宝前で行われます。謗法払いを済ませた入信希望者は、紹介者と一緒に御宝前に座り、導師から授戒文を受けます。授戒文では、
- 今身(こんじん)より仏身(ぶつしん)に至るまで爾前迹門の邪法邪師の邪義を捨てて、法華本門の正法正師の正義を持(たもち)ち奉るや否や。
- 今身より仏身に至るまで爾前迹門の諦法を捨てて、法華本門の本尊と戒壇と題目を持ち奉るや否や。
- 今身より仏身に至るまで爾前迹門の不妄語戒(ふもうごかい)を捨てて、法華本門の不妄語戒を持ち奉るや否や。
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と導師がそれぞれ問いかけますので、御授戒を受ける者と紹介者も導師に合わせて、その都度、「持ち奉るべし。南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経。」と発声して、爾前迹門の謗法を捨てて、三大秘法の御本尊様を受持することをお誓い申し上げます。
そして、御授戒を受ける者は、御本尊様を頭に戴くのです。
受持即持戒
宗祖日蓮大聖人様は『教行証御書』に、「此の法華経の本門の肝心妙法蓮華経は、三世の諸仏の万行万善の功徳を集めて五字と為(せ)り。此の五字の内に豈(あに)万戒の功徳を納めざらんや」(御書1109ページ)と、あらゆる仏様の無量無辺の功徳を具(そな)えた御本尊様に、あらゆる戒の功徳も納まっていることを仰せられ、この御本尊様を受持することが戒を持つことになることを御教示されています。
このように、大聖人様の仏法においては、御授戒を受け、正しい御本尊様を受持することが戒を持つことになるのであり、これを「受持即持戒」というのです。創価学会のように「受持即持戒なんだから御授戒は不要」等というのは、御授戒の本義を忘失した邪見と言うべきです。
私たちは、御法主日顕上人猊下が、「例えば皆さん方の信心の状態で考えてみますると、謗法をして大御本尊様にお目にかかれなかった時はまだ道に入っておらないわけですから、道前の姿である。それを、折伏を受けてお寺の門をくぐり、御本尊様にお詣りをして正法正師の正義を信受するところが道の中に入ったわけである。また、その授戒が終わって家に帰り、そして御本尊様を信心する生活に入ると、これは以前と同じ家にいるようであっても、前の謗法の時の自分と、それから大法を受け、その本当の功徳を信じて道を開いていく境涯に入った自分とでは違っておるのである。この道にいったん入った上においてはどういう所に在っても、その根本の道を外さないかぎりにおいてはあらゆる自由自在な正しい用きと幸せの道につながっておるのであります」(大白法307号)と仰せられるように、御授戒を受けて仏法の大道に入り、しっかりと修行していくところに大きな功徳があるという意義を深く拝して、信心修行に励んでいくことが大切です。
勧誡式とは
退転してしまった後に、再び日蓮正宗の信仰に帰依した場合には、勧誡式が行われます。勧誡とは「誡(いまし)めて勧(すす)める」ということで、退転して謗法を犯したことを誡め、改めて正法受持を勧める意味です。
勧誡を受ける時は、勧誡文を受けて、御本尊様を頭に戴き、二度と謗法を犯すことなく、信行に精進することを御本尊様に誓います。
謗法払いについて
日蓮正宗に入信する際には、それまでに所持していた他宗の本尊や経典、お守りなどの一切を処分して謗法の汚れを清め、日蓮正宗の信仰に帰依する準備を整えなければなりません。また、自分で処分ができない場合は、各寺院へ納めることができます。
御本尊御下付について
御本尊様は信仰の対境(たいきよう)であり、成仏得道(じょうぶつとくどう)には欠かすことのできない功徳の根源です。
総本山第26世日寛上人は、加賀の信徒福原式治に与えた書状の中で、「本尊等、願の事。之れ有るにおいては、遠慮なく申し遣べし(中略)たとへ授戒候とも、本尊なくば別して力も有るまじく候」と仰せられ、御授戒の後は、御本尊様を御安置して修行に励むことが大切であると御教示されています。
御本尊様は、守護し御安置できる状況が整えば、本人の願い出によって、総本山より末寺を通して、御下付(御貸し下げ)されます。『経王殿御返事』に、「日蓮がたましひをすみにそめながしてかきて候ぞ、信じさせ給へ」(御書685ページ)と仰せられるように、御本尊様は御本仏日蓮大聖人様の御魂魄(こんぱく)であり御当体ですから、我が家に御本尊様を御安置することは、大聖人様をお迎えすることと同義なのです。
したがって、御授戒を受け、御本尊様を御安置したならば、日夜、真心からのお給仕を心がけることが大切です。私たち法華講員は、こうした御授戒の意義を学び、日々のお給仕と勤行を疎(おろそか)かにすることなく、修行に励んでまいりましょう。