正蓮山法清寺(ジャカルタ市)落慶入仏法要
この御親修には、宗務院より庶務部長・八木日照御尊能化、渉外部長・秋元広学御尊師、海外部長.漆畑行雄御尊師、庶務部副部長・阿部信彰御尊師、内事部より大石寺理事・小川只道御尊師、大石寺理事補・小林道剛御尊師が随行し、さらに妙栄寺住職・高野法雄御尊師をはじめ有縁の御僧侶・寺族が日本及びアジア各国から多数出席された。また、来賓信徒として法華講総講頭の法華講連合会・柳沢委員長、須藤登山部長、井手企画部長をはじめ代表が出席した。
☆正蓮山法清寺落慶入仏法要
27日、ジャカルタ中心部から車で1時間半ほど離れた小高い山の頂上付近にある妙願寺で、寺号公称板御本尊入仏法要が奉修された。午前11時、御僧侶と代表信徒一同がお待ち申し上げる中、御法主上人猊下は妙願寺に御到着され、ただちに山号額・寺号額の除幕式に臨まれた。その後、初代住職に任ぜられた高橋正勲御尊師に辞令の授与があり、僧侶・信徒・寺族の順に親しく御目通りを賜った。
午後零時半過ぎ、僧俗の唱題の中を各地の代表がお供えを捧げ持って行列するプロセシと呼ばれる行事が行われ、供物を漆畑海外部長をはじめ御僧侶方が受け取って御宝前にお供えした。プロセシ終了後、開会の辞が述べられ、唱題してお待ち申し上げる中を定刻の午後1時、御法主上人猊下が御出仕あそばされた。小林理事補による御本尊御開扉、八木庶務部長による献膳の儀に続き、読経、慶讃文奉読、唱題と如法に奉修された。この後、御法主上人猊下より、仏法で示す誓願の生き方には4つあるが、御本仏日蓮大聖人の弘められた南無妙法蓮華経にはすべての徳が具わる故に、この妙法受持により三世に亘る妙徳を積むことができる。自他共に幸せになるため、この大法をさらに多くの人々へ伝えていくことが大切である、との御言葉を賜った。
引き続き式の部に移り、ルスディ・ルクマラタ僧唱法人運営委員長より、同日の慶事に至る経過報告があった。次いで、宗務院を代表て八木庶務部長、漆畑海外部長より祝辞が述べられた。さらに、信徒代表の敬子・セノスノトさんより祝辞があり、最後に高橋住職より丁重な謝辞が述べられ、法要は終了した。
法要終了後、御法主上人猊下には、妙願寺入り口から正面玄関へと続く階段の中ほどにある庭において、代表者と共に「黒檀」のお手植えをなされた。次いで本堂裏手の約百メートル上った場所に移動し、御法主上人猊下大導師のもと、故セノスノト会長(正蓮院法心日清大居士)の墓参の儀が執り行われた。このあと本堂に戻って代表者による記念撮影が行われ、妙願寺における一切の行事がとどこおりなく終了した。
午後4時15分、御法主上人猊下は、僧俗一同がお見送り申し上げる中、妙願寺を後にされた。
☆高開山妙願寺寺号公称板御本尊入仏法要
翌28日は、ジャカルタ市内に建立された法清寺の落慶入仏法要が奉修された。午前10時50分、現地僧俗と日本の代表信徒がお待ち申し上げる中、御法主上人猊下は御機嫌麗しく法清寺に御到着あそばされ、正面入り口に掲げられた山号額・寺号額の除幕式に臨まれた。続いて初代住職に任ぜられた阪部正誠御尊師に辞令の授与があり、現地信徒の御目通りを賜った。法要に先立ち、インドネシア報道関係者への記者会見が法清寺内で行われた。
法要は午後1時に開始され、御法主上人猊下の御出仕に続いて御本尊御開扉、献膳の儀、読経、慶讃文奉読、唱題と奉修された。この後、御法主上人猊下より、当法清寺建立はセノスノト家の私財をなげうっての御供養によることと、あらゆる人々が正法の縁を結び、成仏の大功徳を生ずる元となる弘法の一大拠点であり、この大盛事を嫉(ねた)んで必ずや興る魔を打ち破るのは異体同心の団結の信心である、との御言葉を賜った。
続いて式の部に移り、ルスディ・ルクマラタ僧侶法人運営委員長よりの経過報告、八木庶務部長ならびに漆畑海外部長の祝辞、信徒代表のアイコ・セノスノトさんの祝辞と続き、最後に阪部住職より丁重な謝辞が述べられた。法要終了後、御法主上人猊下は玄関前庭で代表者と共に「黒檀」のお手植えをなされた。続いて2回に分けて記念撮影が行われ、午後3時50分、御法主上人猊下は法清寺を後にされ、引き続いて妙願寺・法清寺開設記念総会の行われるジャカルタ・インターナショナル・エキスポへ向かわれた。
2日間にわたる法要は、1日目の妙願寺には、インドネシアの信徒が本堂並びに別会場併せて約3千800名が、法清寺は本堂・別会場・衛星中継会場併せて約3千900名が参列した。
翌29日には、ジャカルタ市内で御法主上人猊下主催の妙願寺・法清寺開設記念祝賀会が催された。定刻の正午に祝賀会は開宴となり、初めに歓迎の創作ダンス「さくら」が披露された。ここで、御法主上人猊下より御言葉を賜り、次いで漆畑海外部長より祝辞が述べられ、さらに、高野妙栄寺住職、日本の信徒を代表して柳沢法華講総講頭より祝辞が述べられた。祝辞の結びとして、インドネシアの信徒を代表し敬子・セノスノトさんが立った後、秋元渉外部長の発声で乾杯が行われた。会食が始まると間もなく、コーラスや各地方の伝統舞踊、竹で作られた伝統楽器アンクロンの演奏などが次々に披露された。最後に妙願寺・法清寺両寺を代表して阪部法清寺住職より、謝辞とインドネシア僧俗の決意が披瀝され、祝賀会は感激の裡(うち)に終了した。
こうしてインドネシアにおける一切の行事をつつがなく終えられた御法主上人猊下御一行は、30日の現地時間午後零時半過ぎにジャカルタを発たれ、成田国際空港に10月1日午後1時28分、無事御到着あそばされた。
本日、当正蓮山法清寺の落慶入仏法要を皆様と共にただいま奉修つかまつりました。皆様、本日はまことにおめでとうございます。
当寺の建立は、現在のパンディタ法人の信徒代表・敬子セノスノト氏、アイコセノスノト氏らが、僧侶法人の許可の見通しに伴い、日蓮正宗のインドネシア共和国における第二番目の寺院として土地建物一切を建設・整備の上、我が宗門に御供養くだされたものであります。この建物はセノスノト家において、その私財をなげうっての御供養であり、その純粋にして強盛な護法の赤誠に対し、御本仏日蓮大聖人は深く御嘉賞あそばされることを確信いたします。また私も、その滅私の尊い御供養に対し心から御礼いたすものであります。
まして、この堂々たる寺院は、これから未来に向かってあらゆる人々が正法の縁を結び、成仏の大功徳を生ずる元となる弘法の一大拠点であります。正法と大聖人に対し奉るこの寺院の御供養の功徳は、まことに言葉をもって及ばざるところであり、無量無辺であると信じます。
しかし、この御供養による大盛儀も、その元にあってインドネシア広布の中心人物であった故セノスノト氏、法名・正蓮院法心日清大居士の仏法護持の功績によることは申すまでもありません。したがって、この寺院の山号・寺号を、その法名にちなんで「正蓮山法清寺」と名付けた次第であります。そして、大聖人様の御法魂に基づく板御本尊が、本日入仏されました。この慶事に、故セノスノト氏・正蓮院法心日清大居士が霊山に在って、いかに喜ばれているかと存じ、感無量の思いであります。
大聖人様は『佐渡御書』に、「正法は一字一句なれども時機に叶(かな)ひぬれば必ず得道な(成)るべし。千経万論を習学すれども時機に相違すれば叶ふべからず」(御書579ページ)と仰せであります。
今日、現代は末法という時機であり、多くの人が様々な道において迷い苦しむ時代であります。したがって、教えの内容を考えることが大切となります。今これについて一言すれば、一切の宗教のなかには、仏教が人類にとって最も適切な教えであり、仏教のなかには法華経、法華経のなかには本門寿量品の南無妙法蓮華経が、最も時代と民衆の心に適切な教法であります。
この大法は、全人類のための真理と善徳を含み、下種本仏日蓮大聖人が生命を懸けて顕されたところであります。故に『報恩抄』という御書に、「日蓮が慈悲曠大(こうだい)ならば南無妙法蓮華経は万年の外(ほか)未来までもながる(流布)べし」(同1036ページ)と仰せられる如く、末法万年の闇を照らす大灯明であります。故に、この大法が現在、世界各地に広まりつつあります。当国においても、特に多くの方々がこの教えを受けて、信心修行に邁(はげ)まれておりますことは、私の最も喜びとするところであります。
昨日の妙願寺入仏法要、そして本日の当正蓮山法清寺の落慶入仏法要は、まさに現当二世にわたり、大聖人様の大正法の基盤がこのインドネシア共和国に名実共に確立したことを示すものであります。そこでインドネシア信徒の皆様が、いよいよ信行倍増され、自他共に正法による功徳により広布の前進を計られることが大切と存じます。
しかし、心すべきことは、この大盛時を嫉(ねた)んで、必ず「魔」が興(おこ)ってくることであります。この魔には、内の魔と外の魔がありますが、内心の魔としての煩悩による怨嫉・利養・驕慢(きょうまん)こそ、あらゆる功徳を滅するものであります。
その上からも最も大切なことは、皆様が正法を護持する同志として、信心を根本とする異体同心の団結を計られることであり、これこそあらゆる魔を打ち破る基であると思います。大聖人様は、「異体同心ならば万事を成じ、同体異心なれば諸事叶ふ事なし」(同 1389ページ)と仰せであります。
本日は、大聖人様の御法魂たる本門戒壇の大御本尊様の御内証を拝し、御書写申し上げた板御本尊が入仏いたされました。皆様には今後、常にこの寺院に参詣せられ、僧俗一致、異体同心に信行倍増し、このインドネシア共和国の繁栄と平和に、正法の功徳をもって貢献せられることをお祈りいたします。以上、本日の言葉といたします。
日蓮正宗宗務院海外部を代表して、一言、御祝辞を申し述べさせていただきます。このたびは、総本山第67世御法主日顕上人猊下の大導師を仰ぎ奉り、インドネシア共和国ボゴール州メガマドンにおいて、待望久しい高開山妙願寺の寺号公称並びに板御本尊の入仏法要が盛大に奉修されまして、まことにおめでとうございます。海外部長として、衷心よりお慶び申し上げるものでございます。
本日、御法主日顕上人猊下より初代住職の大任を仰せつかった高橋正勲師、また故セノスノト会長の「日蓮正宗インドネシア」時代より、この日の到来を誓願し、またパンディタ法人の役員として尽力してこられた敬子・セノスノト氏、アイコ・セノスノト氏、ルスディ・ルクマラタ氏をはじめとする諸役員の皆様、さらに清純な日蓮正宗信徒として精進してこられたインドネシア共和国の御信徒の皆様に対して、謹んでお祝いを申し上げるものでございます。
御承知のとおり、故セノスノト会長は、かねてより、何とかしてインドネシア共和国に日蓮正宗の寺院を開設させていただきたい、日蓮正宗の僧侶の常駐を実現したいとの念願を持っておられました。そして、その実現に向けて政府との交渉を通して「インドネシア人の僧侶を養成する寺院という使命を負うならば道は開ける」との確信を得て寺院建設に取り組まれました。それが妙願寺建立に向けての第一歩でありました。
しかし、志半(なか)ばにして1993年1月6日、故セノスノト会長の突然の逝去という悲しい出来事があり、また日蓮正宗インドネシアよりパンディタ法人への変更もあり、数多くの障害を乗り越えて、故セノスノト会長の七回忌を期して1999年1月6日に妙願寺布教所を開設し、盛大な開所式を奉修いたしたのであります。爾来6年半、初代責任者・中野道賢師、2代責任者・阪部正誠師のもと、妙願寺布教所においてパンディタ法人の役員の研修・養成、また得度前の僧侶の適性を見るための実修等、その他諸々の法要が奉修されてまいりました。
そして、奇しくも故セノスノト会長の十三回忌を前にして、インドネシア共和国の法律の改正により、日蓮正宗のインドネシア担当教師並びに常駐の僧侶が役員となって運営できる日蓮正宗の僧侶法人の設立が司能となり、2003年の11月より、定款(ていかん)の作成や宗門との調整作業等を終えて、2004年12月16日に政府によって僧侶法人が認可されるに至りました。ここにすべての条件が調い、御法主上人猊下の御親修のもと妙願寺入仏法要がまさに奉修されようとしたその矢先、あのスマトラ沖大地震が発生し、当インドネシアもアチェ州をはじめ所々において甚大な被害を被りました。多くの御信徒の待ち望んでいた妙願寺入仏法要でありましたが、津波の甚大な被害と多くの犠牲者のことを考慮されて、妙願寺入仏法要は御法主上人猊下大導師のもと、犠牲者追悼法要として厳粛に奉修され、入仏法要は後日を期すことになったのであります。
このような経過を経て、8ヶ月後の本日、ここに改めて妙願寺寺号公称と板本尊入仏法要を御法主上人猊下の大導師のもと御奉修賜ることができた次第であります。ここに至までの数多くの難に耐えて、今日の慶事を迎えられた敬子セノスノト婦人をはじめとする多くの御信徒に対し、深く敬意を表すものであります。
また本日の盛儀は、日蓮大聖人の大正法の御威光と、御法主日顕上人より賜った尊い数々の御慈悲があったればこそ迎えることができたものと感慨を新たにするものであります。
日蓮大聖人は『教行証御書』に、「前代未聞の大法此の国に流布して、月氏・漢土・一閻浮提の内の一切衆生仏に成るべき事こそ有り難けれ有り難けれ」(御書1110ページ)と仰せあそばされて、世界の広宣流布と一切衆生の救済を願われています。これよりは、いよいよ新住職と共に真の異体同心の信心を全うされ、パンディタ法人と僧侶法人の和合団結を基盤に、妙願寺の興隆発展とインドネシア共和国の繁栄、また、よりよき僧侶や人材の輩出養成に一層の御精進をされますよう、皆様の御活躍を心より期待しております。
皆様の御多幸を心よりお祈り申し上げ、本日の祝辞に代えさせていただきます。本日は、まことにおめでとうございました。
このたび、当地の高開山妙願寺、正蓮山法清寺の2ケ寺における落慶入仏法要を奉修のため、当インドネシア共和国にお伺いいたしました。本日の、インドネシア信徒皆様方によるこの大総会、まことにおめでとうございます。私も日本から参りまして、昨日と本日の両寺落慶入仏法要の慶事に引き続き、この大総会にお招きいただき、信徒皆様の元気なお姿に接し、まことに喜びに堪(た)えない次第であります。
今日、洋の東西を問わず、日蓮大聖人の大仏法は広く弘宣せられておりますが、当インドネシア共和国における教勢は、他の諸国より一段と抜きんでております。これ、まことに当国が仏教のなかでも大乗、大乗のなかでも極大乗に縁のある国土であることを感ずるものであります。
あらゆる宗教のなかで、仏教は一切衆生の生命を正しい意義において説き示す教えであります。それは、三世にわたる因縁因果を説く故であります。心地観経に、「過去の因を知らんと欲せば、其の現在の果を見よ。未来の果を知らんと欲せば、其の現在の因を見よ。」(御書571ページ)という文があります。すなわち仏法は、現在を中心として過去・未来の三世の善悪による因果応報を説く故に、人生にとって正しく適切な針路となる教えであります。現在がいかなるものであっても、それは我々が過去にその原因を作った結果であり、それが現在の相に厳然と出ているのであります。故に現在が不幸ならば、それは過去に自らその悪い原因を作ったからであり、現在が幸福ならば、やはりその原因は過去の善い原因にあります。
さらに未来について言えば、その幸または不幸を招く原因は、現在行うところの善と悪にあります。現在、いかに幸福であっても、未来までそれが続くとはかぎりません。現在、幸福であっても、もし悪い原因を作れば、未来は必ず不幸となり、反対に善い原因を作っていけば、未来は必ず幸福となります。そしてこの原因結果は、生まれる前からの過去と、死後の未来までの三世にわたるのであります。したがって、この原因結果の法則をわきまえるならば、現在が不幸であってもけっして絶望する必要はありません。また現在が一往幸せであっても、善因を作ることを忘れて悪事を行えば、逆に未来には不幸を感ずるに至ります。
故に、この三世の因果による幸・不幸を決定する要因は、善と悪にあることが明らかであります。しかるに、この善悪には無量無辺の段階があり、仏法を学ばずしてはこの全体の在り方を知ることは難しいのであります。
今日の世界において道義の退廃は著しく、親子・兄弟・親族が互いに相(あい)反し、世人は利益のみに走って正義に背き、国と国、あるいは民族同士の種々の闘争の相はなはだしく、釈尊が末法闘諍(とうじょう)堅固の予言もさることながら、すべてが六道九界の善悪の道に迷うところが原因となって起きておるのであります。
これが、あらゆる欲望の濁りによる煩悩濁、思想上の誤りによる見濁、これによって命が濁る命濁(みょうじょく)、さらにこの濁りが世界的に広く蔓延する衆生濁、それが時代的に長く続く劫濁という、末法五濁の世相であります。仏様はこの衆生の苦悩を御覧になり、広大な悟りと大慈大悲の上から、衆生を救うために法を説かれたのであります。
しかし、衆生の性質・欲望は実に様々であり、善悪の段階と内容も違いますから、仏はこれを救い導くために種々に法を説かれたのであります。しかし結局は、衆生を正しく導くためには、いったん説いた大小・高低の法を整理されるのであります。
故に無量義経という経典には、「諸(もろもろ)の衆生の性欲(しょうよく)不同なることを知れり。性欲不同なれば種種に法を説きき。種種に法を説くこと、方便力を以(もっ)てす。四十余年には未(いま)だ真実を顕さず」(法華経23ページ)と示し、また、続いて法華経には、「正直に方便を捨てて、但(ただ)無上道を説く」(同124ページ)と説かれ、多くの衆生の性欲の不同による、低次元の善悪に対応した法では完全な救いとならないことを示されるとともに、すべての衆生を導く真実の法とは、一切の善悪を包含しつつ超越して、それを最高の大善をもって浄化する法、すなわち法華経であることを示されました。
この法華経を釈尊が説かれるに当たり、この法は「唯仏与仏」すなわち、ただ仏と仏とのみがこの真実の相を究(きわ)め尽くすのであり、菩薩や声聞・縁覚、あるいは凡夫が自己の才覚で知ることができないと言われております。故に智慧第一と言われた舎利弗も、ただ信心の一字をもってよく法華経のなかに入り、功徳を得ることができたのであります。
故に大聖人は、末法に弘め給う法華経の肝要の妙法と、釈尊の説かれた一部八巻の法華経との違いについて『経王殿御返事』に、「日蓮がたましひ(魂)をすみ(墨)にそめながしてかきて候ぞ、信じさせ給へ。仏の御意(みこころ)は法華経なり。日蓮がたましひは南無妙法蓮華経にすぎたるはなし」(御書685ページ)と、対比して仏法の法体を示され、また『観心本尊抄』には、「在世の本門と末法の初めは一同に純円なり。但し彼は脱、此(これ)は種なり。彼は一品二半、此は但題目の五字なり」(同656ページ)として、釈尊の法華経と大聖人の御本尊とは種と脱の違いがあり、下種の南無妙法蓮華経が釈尊の法華経の根本であることを明らかに御教示されております。
故に、この御本尊には釈尊の法華経をはじめ、あらゆる五千・七千の経々のすべての意義を網羅し、含み具える故に、これを受持信行するとき、現当二世にわたる無量の功徳を得るのであります。これについて大聖人様は、赤子が母親の乳を無心に飲むことにより自然にその身を成長する如く、末法の一切衆生は妙法御本尊の深い意義内容を、たとえ知らなくとも信心によって題目を唱えるとき、自然に仏道を成就し、一切の善悪を浄化する大善の徳を得るとの御指南であります。
しかし、皆様方、在家の御身はただ信心が肝要でありますが、やはり下種仏法の意義において、多くの人々にこの妙法を正しく示していく上からは、仏法の一分を行じ学ぶことが大切と思います。故に『諸法実相抄』には、「行学の二道をはげみ候べし。行学た(絶)へなば仏法はあるべからず。我もいたし人をも教化候へ。行学は信心よりをこるべく候。力あらば一文一句なりともかたらせ給ふべし」(同668ページ)と仰せられております。
「行」には自行と化他とがあり、自行とは御本尊に向かい読経唱題に励むことであり、化他とは皆様それぞれに縁のある人に対し、仏法の正しいことと教えの深さ、広さ、また広大な功徳のあることを、たとえ一言なりとも語ることであります。また「学」とは大聖人の御書を少しでも拝読し、さらに僧侶の法話、先達の話を聞いて、仏法の正しい理解を得ていくことであります。
この行学の二道は必ず信心が基となるのであり、信がなければ絶対に進むことができません。正しい信心は一切の功徳善根の根本であり、信によって法界に遍く満ち充ちているところの宝の蔵へ入ることができます。しかる時は、法華経の大善のなかへ、あらゆる自己の因縁による善悪の業がことごとく妙化され、それらの善悪も、また大きな功徳の要因となって活(い)かされるのであります。
法華以前のあらゆる経々では、その経々に我々に対しての一分一分の徳はあっても、我々の生命の全体を包含して功徳化する即身成仏の大利益には到底、及ばないのです。故に、下種本仏日蓮大聖人の仏法の信仰につかれた皆様は、心から随喜されて行学の二道に励み、この大正法をしっかり護ることが肝要であります。大法を、皆様がしっかりお護りなさるとき、皆様が御本尊様から護られるのであります。
そして、このインドネシアの国土と民衆が日蓮大聖人の大仏法、妙法の功徳によってますます平和と繁栄を得られますよう、皆様方の信心による貢献の多大なることを願うものであります。終わりに当たり、皆様方インドネシアの信徒の方々の一層の信行倍増と御健康を心よりお祈りいたし、本日の総会の御挨拶といたします。
※今号の掲載作業では昭倫寺支部の若山さんの御協力をいただきました。
高開山妙願寺(ボゴール州)寺号公称板御本尊入仏法要
妙法広布の発展めざましいインドネシア共和国に、御法主日顕上人猊下が、9月26日より30日までの5日間にわたり御下向あそばされた。このたびの御親修は、1月に奉修されたスマトラ沖大地震・インド洋大津波による被災者ヘの追悼法要に続くもので、高開山妙願寺寺号公称板御本尊入仏法要並びに正蓮山法清寺落慶入仏法要の大導師を賜るためである。さらに、これらの法要に続いて両寺の開設記念総会、記念祝賀会も盛大に執り行われた。
御法主上人猊下御一行は、26日午前11時58分(日本時間)、成田国際空港を御出発され、現地時間の午後8時18分、ジャカルタのスカルノ・ハッタ国際空港に御到着あそばされた。
◎御法主上人猊下御言葉
○祝辞 宗務院海外部長・漆畑行雄御尊師
◎御法主上人猊下御言葉
ただし、この法華経を釈尊が説かれたのは、一往、久遠の大昔から釈尊と因縁関係のある菩薩・声聞達を教え導くためでありました。そこで未来の、特に末法という悪世の人々のため、釈尊は上行菩薩を呼び出だされ、法華経の最も根本の要法たる南無妙法蓮華経を付嘱されました。この法は久遠の最も初めのところで仏の証得された法であり、日蓮大聖人はこの根本の仏として今、末法に出現されたのであります。すなわち久遠元初の根本の法を弘める方こそ、まさに根本の仏なのであります。