<5〜8面>
12月12日早暁に金口嫡々の御相承、16日厳粛に御座替り式を奉修
On December 16th of last year, the Transfer Ceremony was solemnly held at the Reception Hall of the Head Temple. Four days earlier, on December 12th, the 67th High Priest Nikken Shonin transferred the Living Essence of True Buddhism to the 68th High Priest of Nichiren Shoshu. Through the Transfer Ceremony held on December 16th, all duties carried by the High Priest of Nichiren Shoshu were officially transmitted from the 67th High Priest Nikken Shonin to the 68th High Priest Nichinyo Shonin.
午前9時過ぎ、三門前にお出迎えの御僧侶・寺族・信徒が集まりはじめた。三門を背にすると駿河湾が日光を反射して黄金色の小波できらめき、見渡すかぎり雲一つない空には富士山が厳たる佇まいを見せている。午前10時、お出迎えの僧俗が石畳の左右に分かれてお待ちするなかを、御法主日如上人猊下が御到着あそばされた。
車から降りられた日如上人猊下は三門前へと歩みを進められ、題目三唱をなされた。次いでお出迎えの僧俗に対し、御言葉を述べられた。その後、三門をくぐって塔中参道を蓮蔵坊へと歩まれ、御僧侶、大石寺総代、柳沢総講頭ならびに石毛大講頭、寺族がお供を申し上げた。10時18分、小川大石寺執事の先導で小林道剛御仲居をお供に、日如上人猊下が蓮蔵坊本堂に御出仕あそばされ、読経・唱題が修された。
日如上人猊下は午後1時45分、蓮蔵坊本堂正面向拝よりお出ましになられた。大石寺総代と小川大石寺執事の先導による日如上人猊下の行列は、蓮蔵坊の門を出られ、鬼門・客殿前を通って大書院玄関へと向かわれた。行列にお供した御僧侶、大石寺総代、寺族は客殿に入場。いったん控え室に入られた日如上人猊下は、2時3分に御出仕になられ、客殿内陣東側の学頭席に御着座された。
次いで2時6分、日顕上人猊下が御出仕になられ、猊座ヘと着かれた。日顕上人猊下の大導師のもと方便品・寿量品長行と読経が進められた。「而説偈言」で磐が打たれ、日顕上人猊下は「総本山第68世日如上人これへ」と仰せになると、猊座を立たれた。そして御宝前を東側に進まれて隠居座に移られた。
15日、日顕上人猊下が御退位あそばされ、日如上人猊下が第68世の御法主となられて法燈を継がれ、さらに大僧正に叙せられ、総本山大石寺住職に就任あそばされた。また同日、官長推戴会議が開かれ、新管長(※法律上の代表役員)に選定された。そして16日、御座替り式が如法に行われて日如上人猊下が御登座あそばされ、御隠尊日顕上人猊下は前御法主として血脈の不断に備えあそばされることとなった。
新御法主日如上人猊下のもと、我らは令法久住、広宣流布の大願達成へ向けて、近くは平成21年の「『立正安国論』正義顕揚750年」の地涌の友倍増の目標に向けて、僧俗一体となっての邁進をお誓いするものである。
本日は各位、皆様方には多数、総本山にお集まりいただき、座替り式に参詣くだされましたことを厚く御礼申し上げます。また、ただいまは八木総監殿、佐藤主任理事殿、柳沢総講頭殿、渡辺総代殿には御丁重、過分なるお祝辞をいただき、まことに有り難うございました。厚く御礼申し上げます。
御承知のとおり、去る12月12日、日顕上人猊下より血脈相承をお受け申し上げ、総本山第68世の法燈を継ぐことに相なりました。もとより浅学非才・徳薄垢重の身ではございますが、日顕上人様より御相承をお受けした上は、一意専心・不自惜身命の精神をもって御奉公を尽くしてまいりたいと考えております。
幸い、日顕上人には御隠尊猊下としておわしまし、まことに心強く存じます。なにとぞこれから先も私どもをお見守りくださるよう、心から御願い申し上げるものでございます。
また、八木総監、藤本重役、宗務院各部長、内事部各役員、また総講頭をはじめ法華講幹部の方々、総代の方々、皆様方の御協力を得て精進をしていく所存でございます。
今、宗門は、日顕上人猊下より頂いた、来たるべき「平成21年・『立正安国論』正義顕揚750年」、その御命題である地涌倍増と大結集へ向けて僧俗一致して前進すべき、まことに大事な時を迎えております。皆様方には、微意をお酌み取りいただき、今後ともよろしく御支援・御助力くださいますことを厚く御願い申し上げ、まことに簡単ではありますが、御礼の挨拶とさせていただきます。本日はまことに有り難うございました。
また同日付で、
本日は、昨日からの月例登山で御登山の方々、9百数十名と聞いておりますが、その方々とさらに各寺院の支部総登山に参加した方々がこの唱題行に参列されたように思われます。この大きな客殿がほとんどいっぱいになるように大勢の方が参詣されまして、ただいま相共に一時間の唱題行を執り行わさせていただきました。
この月例登山については、私がある時期に法華講総講頭・柳沢喜惣次氏と話し合いまして、宗門の信徒の方々の総本山への参詣、また信心の高揚ということを目標にこれを執り行うことを決めて始めたのでありますが、その趣旨があまり徹底しないために、人数がそう集まらなかったようにも思われます。少ない時は4百名乃至5百名、6百名ぐらいでしたが、今回は9百数十名、1千名になんなんとする方々が参加をされたようであります。
この月例登山は、総本山の大法要等が奉修される月は行いませんが、それ以外の月には必ず行われておりまして、この登山中、僧侶の法話がありますが、このほかに特に総講頭・柳沢氏は、毎回、長い間の信心の蓄積・体験等によるところの非常に適切なお話をされ、そのなかから信徒の方々の信心を激励してくれました。その勇猛精進の境界をもって、総講頭の立場から多くの人を激励されてきたことに対して、私も大変うれしく思っております。総講頭の年齢は、私よりも1つ下ですから既に八十歳を越えておりますが、お身体の続く限りにおいて、今後も総講頭の立場から、あらゆる面において広布への前進の中心として頑張っていただきたいと思うのであります。
また、総講頭と共に色々と苦労をされておる大講頭乃至法華講連合会幹部の方々、その他の方々にも、本年度の最終の唱題行の功徳の上から本年度を省み、さらに明年に向かっての前進を心掛けていただきたいと思う次第であります。
その源は久遠元初にあります。そして今日、末法に御本仏日蓮大聖人が凡夫のお姿をもって御出現あそばされつつ、あらゆる御苦難をされました。これがことごとく法華経の教えの上にぴたっと則っておるところのお振る舞いでありました。したがって、我々凡夫がどのような立場にあろうとも、いかなる苦悩があろうとも、その苦悩を開いて幸せになっていけるというところの道を大聖人様がきちんとお開きあそばされたということを、我々ははっきり拝すべきであります。
お互いに信心をしておりますけれども、その中でどうしても自分に対する甘えというものがあります。しかし、この甘えは人間を不幸にする元であると思うのであります。仏法で言うならば「我執」ということで、いわゆる自分に対する執着であり、我れに対する不当な執着が一人ひとりに存するのです。
例えば、布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧という法門があります。その一つひとつは実に広く深いものであります。研究してみると、布施行にしても、禅定行にしても、あるいは忍辱行にしても智慧行にしても、その広さはとでも一生かかっても勉強しきれないほどの内容があります。まして、それを実際に体験していくことは不可能なぐらいのものがありますが、そのことごとくが妙法蓮華経の五字・七字に具わっておるのです。また、我々迷いの凡夫は地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上界の六道のなかで生活し、その生活のなかに様々な曲がった心がありますが、そのようなことに執われておることもすべて我執によるのであります。
その六波羅蜜を行ずる菩薩であっても、また一分の我執、すなわち自分に対する甘えが残っております。それを一切、振りきって真の妙法のところに到達すれば、我々凡夫がそのまま即身成仏の大きな功徳を得ることができるという意味を、御書においても常に示される次第であります。
それはすなわち、「一心欲見仏・不自惜身命」(法華経439ページ)の境涯であります。「一心に仏を見たてまつらんと欲して、自ら身命を惜しまず」という次第であります。その意味において我々は今後、臨終のタベに至るまで、否、臨終ののちの未来の生に向かって、真の成仏の道、三世にわたるところの仏法の上からの尊い大きな功徳を受けつつ、法界に遊楽するところの悠々とした境界を開いていくことが大事だと思うのであります。
私は登座以来、今年で27年目になります。色々なことを一生懸命、させていただいたつもりでありますが、御本尊様の御目から、大聖人様の御目から御覧あそばされれば、実に至らないことだらけでありまして、自ら実に恥ずかしい気持ちであります。しかしながら、宗門も色々な面においてあらゆる邪義、魔性を打ち破り、今日、ここに真の僧俗和合の元に、平成2年の「三万総登山」、平成6年の「六万大総会」、また、この客殿が不思議な因縁から新しく出来上がって、平成10年の「十万総登山」、そして平成14年の「三十万総登山」と逐次、僧俗の真の和合団結、精進によって宗門が進んでまいりました。
ただいまは、平成21年の「『立正安国論』正義顕揚750年」に向かって精進を続けておるのでありますが、私はこの27年の年をもちまして、宗門の人心の一新を図ることが最も大切であるということから、本年をもって引退する決意をいたしました。12月中にそのことを行うつもりであります。皆様には長い間、本当にお世話になりました。特に、総講頭以下、役員の方々にはあらゆる面から、また各寺院の法華講支部の講頭以下の方々にも大変お世話になってまいりました。
しかし、私の志はあくまで宗門の護持興隆のために、臨終の夕ベに至るまで常に忘れずに、自分にできることを御奉公してまいりたいと思ってはおります。
私が決めた後の方は、実に長い間、宗門の行政に勤められ、さらにまた信行学にわたって抜群の、立派な方であります。私に勝るとも劣らない人材・人物であるということを確信しておるのであります。その方が後をお取りになりますから、皆様方は新しくなられる管長・法主の方の指導を根本として、これからさらに真の僧俗和合に基づいて御精進されることを心からお祈りいたす次第であります。皆様方のいよいよの御精進、御健康を心からお祈りいたしまして、本日の御挨拶といたします。御苦労さまでした。
12月16日、総本山第67世御法主日顕上人猊下より血脈を受け継がれた第68世御法主日如上人猊下の御座替り式が、総本山客殿において厳粛の裡に奉修された。この盛儀には、八木日照総監、藤本日潤重役、高野日海・秋山日浄・大村日統・光久日康・菅野日龍.尾林日至の各御尊能化、細井珪道宗会議長、佐藤慈暢大石寺主任理事、小川只道・関快道大石寺執事、宗務院各部の部長・副部長、塔中の御住職方をはじめ、御僧侶方580余名が参列された。また、柳沢喜惣次法華講総講頭、渡辺定元・井出光彦大石寺総代、石毛寅松・永井藤蔵・河原昭太郎・石渡秀男・大草一男の各大講頭をはじめとする代表信徒並びに寺族が多数参列した。
☆ 御座替り式 ☆
☆ 御盃の儀 ☆
◎御座替り式より 御法主日如上人猊下御言葉
新宗務総監に八木日照御尊能化
このたび、総本山第68世御法主日如上人猊下の管長就任にともない、宗制第17条により、12月15日付をもって八木日照御尊能化が、御法主上人猊下より新たに総監の御任命を受けられた。
が、御法主上人猊下より御任命を受けられた。さらに、宗務院の各主任・書記の御尊師方も、同日付をもって八木総監より任命を受けた。なお、同日付をもって大村日統御尊能化が、御法主上人猊下より新たに富士学林長の御任命を受けられた。
皆様、おはようございます。本年もいよいよ12月、最後の月になりました。ただいま皆様と共に毎月恒例の第一日曜日の広布唱題行を執り行った次第であります。
唱題行の功徳については、大聖人様があの4百余篇の御書のなかのほとんどにおいてお示しあそばされております。仏法の深い意義の上から、さらにまた一切衆生の様々な境界における悩み、苦しみを開いていくところの根本の道、また唯一の道として南無妙法蓮華経の唱題行を、大聖人様が御一生をかけて我々に与えてくださったのであります。
また、仏法には「時」というものが非常に大切であります。あらゆる人々がそれぞれの立場において、その時々の時というものが環境において、立場において存在しておるのでありますが、そのなかで時をしっかり掴んでいくということも妙法の修行の上に大切だと思うのであります。