<6〜8面>
幸いにして、今宗門は日顕上人の大英断によって、血脈正統に基づく清浄なる宗風を厳護し、広布へ向けて凛として前進していることは、まことに悦びに堪えないところであります。
さて、大聖人は『撰時抄』に、「法華経の第七に云はく『我が滅度の後、後五百歳の中に広宣流布して閻浮提に於て断絶せしむること無けん』等云云。経文は大集経の白法隠没の次の時をとかせ給ふに、広宣流布と云云」(御書837ページ)と仰せられ、同じく『撰時抄』に、「法華経の流布の時二度あるべし。所謂在世の八年、滅後には末法の始めの五百年なり」(同838ページ)と仰せられて、末法を指して広宣流布の時と定められています。すなわち、末法において広宣流布は必ず達成すると仰せあそばされています。
しかし、広宣流布は私共の弛(たゆ)まざる努力なくしては達成できないこともまた必定であります。私共一人ひとりの信心に約して一言えば、強盛にして揺るぎない堅固な信心と不断の精進が基となり、その上に築かれるものであることを銘記しなければなりません。
大聖人は『聖人御難事』に、「各々師子王の心を取り出だして、いかに人をど(嚇)すともをづ(怖)る事なかれ。師子王は百獣にをぢず、師子の子又かくのごとし。彼等は野干(やかん)のほう(吠)るなり、日蓮が一門は師子の吼ゆるなり」(同1397ページ)と仰せであります。師子王の心とは、破邪顕正の強固なる心をもって、いかなる障魔も恐れず、敢然としてこれを退け、微動だにしない不動の信念と、広布へ向かって前進していく勇猛果敢なる信心であります。それは単に、精神的・表面的なものではなく、内実した心そのものであり、強靱(きょうじん)にして不屈の精神を基とした、広布への実践活動を伴うものでなければなりません。
而して、その不動の信念は大御本尊に対する絶対の信、「無疑曰信(むぎわっしん)」から生ずるものであります。大聖人は『経王殿御返事』に、「あひかまへて御信心を出だし此の御本尊に祈念せしめ給へ。何事か成就せざるべき。『充満其願・如清涼池』『現世安穏・後生善処』疑ひなからん」(同685ページ)と仰せであります。この御金言を拝し、大御本尊に対する絶対の確信のもとに、一切衆生救済の誓願に立ち、遠くは一天四海本因妙広宣流布達成のため、近くは来たる平成21年の大佳節へ向けて大同団結し、全力を傾注していくことこそ、今、最も肝要であります。
しかし、ただ漠然として遠くを見つめているだけでは所願達成は不可能であります。足許を見つめ、今なすべきことを一歩一歩確実に進めていかなければなりません。そのためには、各講中が本年「決起の年」を必ず勝利することであります。本年を勝利するためには、先ず講中の一人ひとりが行動を起こすことであります。すなわち決起とは、要は決意して行動を起こすことであるからであります。この志を忘れることなく、すべての講中が一致団結して決起し、もって日顕上人から御下命戴いた御命題を見事に果たし、平成21年の大佳節を歓喜のもとにお迎え申し上げ、御報恩の誠を尽くしたいと存じます。
御金言に、「法自(おの)づから弘まらず、人(にん)、法を弘むるが故に人法ともに尊し」(同1687ページ)と仰せであります。この御金言を胸に、なお一層の精進を祈り、新年の辞と致します。
既に御案内のとおり、昨年12月12日、野衲は宗祖大聖人・日興上人以来、唯授一人血脈相伝に基づく仏法の大事を、学頭・日如師に付嘱いたしました。その後、所定の手続きにより同月15日、日如上人が第68世法主となり、また総本山大石寺住職と日蓮正宗管長に就任され、したがって野衲は退位つかまつりました。
思えば昭和54年より27年にわたって、凡下の身にもかかわらず、法主・管長として法務を執行することができましたのも、仏祖三宝の御加護はもちろんながら、宗内僧俗皆様の絶大な御支援と御厚情の賜(たまもの)であり、篤く感謝申し上げます。まことに有り難うございました。
第68世日如上人は、その人格・学識・識見、共に抜群の方であり、宗内僧俗各位には日如上人を一宗の師と仰ぎ、その教導に随って、いよいよ大法の護持興隆に精進されるよう念願いたします。
しかしながら、広大な御仏意の照覧を拝するとき、至らざること洵(まこと)に多く、不敏不才の行業に心中、忸怩(じくじ)たるものがあります。加えて、既に当座27年を重ねつつあり、今や宗内の人心一新の必要あるを感じ、ここに退位を決意した次第であります。この上は、及ばずながら老骨に鞭打ち、できる限りの御奉公をと念じおります。
しかるに末世の闇はますます深く、世界的な多大の天変地夭や人災に加えて道義の衰頽(すいたい)はなはだしく、この時に当たり大白法の広布こそ、最も緊急のことと思います。御法主日如上人の大指揮のもと、「『立正安国論』正義顕揚750年」の節目に向かい、僧俗一致の大前進を重ねられることを願うものであります。皆様の御健康と御精進を祈り、新年の御挨拶といたします。
平成18年の新春、明けましておめでとうございます。柳沢総講頭・大講頭各位をはじめ、法華講員各位には正法広布への決意も新たに、清々しい新年をお迎えのこととお慶び申し上げます。
ご案内の通り、昨年12月、27年の長きにわたり宗門を董(とう)され、法華講発展のために様々な御指南を賜った日顕上人猊下が御隠退なされ、第68世日如上人猊下が御登座遊ばされました。新御法主猊下は長らく宗務院の要職にあって宗内を細かに掌握遊ばされており、さらに国内随一の法華講を擁する東京・法道院の教導に当たって来られました。これよりは我々僧俗一同に等しく御指南を賜ることとなり、誠に尊い極みであります。
さて今年は「決起の年」であります。「決」とは先ず一人ひとりが自らの心に堅く決意を固めることであり、「平成21年・『立正安国論』正義顕揚750年」の佳節に向け、昨年までの信行を土台としてさらに一層の前進をしよう、必ず「地涌の友の倍増乃至、それ以上の輩出と大結集」を成し遂げよう、との一念心を確固不動のものとすることであります。自信を失くし途中でグラグラ揺らいだり、諦めて放り出すようでは堅い決意とは言えません。その心に固めた決意を実際に身に行じ、行動を起こすことが次の「起」であり、折伏行であります。平成21年までの残された3年という「時」をしっかり自覚して一人ひとりが折伏に邁進していく、このことこそが「決起」の持つ意義であります。
大聖人様は、「日蓮等の類(たぐい)おそるべき文字一字之有り。・・・夫とは置の一字是なり。・・・謗法不信の失を見ながら聞きながら、云はずして置かんは必ず無間地獄へ堕在すべし」(御書1857ページ)と仰せられ、謗法を破折せずに放置するのはそれ自体が堕獄の因となる、と厳しく誠めておられます。今こそ我々は真の仏弟子として新御法主日如上人猊下の御もとに一結して、「現代の一凶」である池田創価学会をはじめ、あらゆる邪宗邪義を破折して真の仏国土建設に向け精進して参りましょう。
全国各支部・地方部のいよいよの興隆発展をお祈り申し上げ、新年のご挨拶といたします。
平成18年、立宗754年の新春、明けましておめでとうございます。
総本山第68世御法主日如上人猊下におかせられましては、御健勝にて御登座最初の新年をお迎え遊ばされ、心より慶祝申し上げます。御隠尊日顕上人猊下におかせられましても、お健やかに新年をお迎え遊ばされ、衷心よりお慶び申し上げます。
法華講総講頭・柳沢喜惣次氏をはじめ大講頭各位、全国法華講員の皆様にも、お元気にて新年をお迎えのことと心からお喜びを申し上げる次第であります。
昨年末12月13日、日顕上人猊下御出仕最後の御開扉の砌、御開扉終了後、猊下より参詣御信徒一同に対し、御当職として最後の御開扉をおつとめ遊ばされた旨の、尊い御言葉を賜りました。すると参詣御信徒一同から、「猊下様、永い間ありがとうございました」と感謝のご挨拶を申し上げたことは、心に焼きついて忘れられない光景でありました。参詣された御信徒の数はそれほど多くはありませんでしたが、この感謝の言葉は、全国乃至全世界の御信徒の言葉であり、心であると思います。
全国乃至全世界の御信徒の皆様には、どうかこの感謝の心を、新御法主日如上人猊下への信伏随従の信心に置き換え、先ずは本年「決起の年」を、力一杯闘い切って、各支部の目標を達成し、もって、「平成21年・『立正安国論』正義顕揚750年」の御命題達成への礎を強固に築いていただきたいことを心から念願してやみません。
「決起の年」とは、全国の法華講員の一人ひとりが、決起して折伏に起ち上がるところにその意義目的があり、これを一人ひとりが真に自覚し、唱題に唱題を重ねて実践にうつすならば、必ず各支部の目標は成就達成されることを確信するものであります。皆様方のいよいよの御精進をお祈りいたしまして、一言もって新年のご挨拶とさせていただきます。
全国法華講員御一同には、立宗754年の新春を迎え、慶賀の至りに存じます。野衲(やのう)、嚢(さき)に日顕上人より血脈相承を受け、総本山第68世の法燈を継ぎ、本宗管長の職に就きました。素より徳薄垢重の身にしてその器ではありませんが、血脈法燈をお受けした上は、その責務の重大なることを自覚し、捨身弘法の覚悟をもって広布の願業に精進していく決意であります。
Official English Verision is here.
立宗754年の新春、明けましておめでとうございます。宗内僧俗皆様にはますますお元気にて、この輝かしい新年をお迎えのことと存じます。
思えば、野衲の当座27年を顧(かえり)みて、御報恩として宗祖大聖人第700遠忌、日興・日目両上人第650遠忌、さらには宗旨建立750年の大佳節を、野衲当座中に奉修できましたことは、何物にも換え難い喜びでありました。また総本山の種々の整備や、宗門の大学教育課程の開設、僧俗和合による教学の充実と広布への前進についての破邪顕正の処置等に、幾分でも関与させていただいたこと等も、心から有り難く存ずるものであります。
■ 総監・八木日照御尊能化
■ 重役・藤本日潤御尊能化